DEAD STOCK




5.Rip Off



 鎖を左手の拳に巻き、即席のメリケンサックを作る。
 デッドストックは目を凝らし、息を詰め、刃物女の軌道を追う。ざざざざざざざっ、と丈の短い草が分かれて一陣の 風が抜けるが、既にそこに彼女の影はない。追うだけ無駄だな、と早々に悟ったデッドストックは、プレタポルテを 右肩の上に載せて座らせた。こうすると鎖のリーチは減ってしまうが、プレタポルテを分銅代わりに振り回して壊す 危険性は減るからだ。イカヅチが手に入れたがるとなると、やはり、人造妖精には価値がある。
 草の切れ端が舞い上がり、僅かにうねる。青臭さも捩れ、メタンガスを絶えず吸い込んでいるせいで馬鹿になりか けている嗅覚が刺激される。デッドストックはその匂いを辿って上体を捻り、鎖を絡めた拳を突き出すと、全ての指 から刃を生やした拳と斬り結んだ。大きさこそデッドストックの半分ほどだが体重が上手く載っていて、受け止めた 瞬間に肘から肩に掛けて強烈な衝撃が訪れた。受け止め損ねれば、大の男でも吹っ飛んでしまうだろう。

「まーくんはねぇ、良い子なんだよぉ?」

 追い打ちを掛けずに後退したジャクリーンは手近な檻に飛び乗ると、両腕の側面から伸ばした鎌を構える。その様 は何かに似ている。そう、あの虫だ。獲物を狩って交尾したオスを捕食する、肉食の昆虫、カマキリだ。細い手足を 曲げて力を溜めた後、ジャクリーンは呆気なくデッドストックの頭上を取る。急降下、そして横に一閃。

「まーくんはねぇ、とっても弱いんだよぉ?」

 咄嗟に鎖を巻いた拳を広げ、手のひらの鎖で刃を受け止める。だが、衝撃に耐えきれずによろけたデッドストック に、刃物女は回し蹴りを加えてきた。ブーツの平たい靴底が喉を押し、首が傾き、吹っ飛ばされる。それでも右肩の 人造妖精を守るべく、左半身を地面に擦り付けながら倒れ込む。ジャクリーンから目を離したのは、倒れ込んだ瞬間 に過ぎなかったが、瞬きして瞼を上げた時には刃物女の姿は失せていた。
 今度は一体どこから来る。デッドストックはしゃくり上げているプレタポルテを右手で軽く叩いてやってから、辺りを 窺った。立て続けに斬撃を浴びた左腕は痺れていて、余韻が抜けない。素肌を出して刃物を受ければ、ともちらりと 考えたが、ジャクリーンの刃の材質が鉄であるとは限らない。若い頃に、敵の扱うナイフが鉄だと思い込んだせいで ハラワタを切り刻まれそうになったことがあるからだ。能力者となれば、尚更だ。自分も含めて、普通の感覚で考えて はいけない相手なのだ。デッドストックはプレタポルテの腰を掴み、歯噛みする。

「だからねぇえっ、私が守ってあげなきゃいけないのぉおっ!」

 斜め後方から声が飛んできたが、その声が鼓膜を叩くよりも速く、長い髪を靡かせる影が右腕に激突する。

「ぉげあっ!」

 ラバースーツと皮膚が滑らかに切り裂かれ、骨から肉が削がれる。ごりぃっ、と骨伝いに嫌な振動が脳に響き、 途方もない激痛で背骨が伸び切る。デッドストックは右腕から血と肉片を散らしながらよろけると、肉片が付いた刃 を振り下ろしたジャクリーンが、草に長い足跡を残しながら制動する。ブーツの底に土が溜まり、根が千切れる。

「まーくんはねぇ、まーくんはねぇ、まーくんはねぇ」

 同じ言葉を繰り返すジャクリーンの左目は、殺戮衝動でぎらついていた。この女もまた、生きるために殺人を屁と も思わなくなっているからだ。右上腕の筋肉を大きく刮げ取られたせいで右腕に力が入らなくなり、デッドストックは プレタポルテを下ろそうとしたが、プレタポルテは首を振って嫌がり、力一杯しがみついてきた。ラバーマスクを思い 切り握られてしまうのには辟易したが、所有物としては良い心構えだ。
 削がれた肉と血は地面に落ちると、早速土と草を腐らせ始めた。素肌を触れさせるだけでも充分な威力がある が、デッドストックの生体組織となれば、その倍以上の威力を持つ。今し方まで生き生きと繁っていた葉は次々に 腐り、とろけ、崩れていった。だが、ジャクリーンの刃には錆一つ浮いていない。鉄製ではない証拠だ。

「まぁくんは、ねーぇ」

 歌うように空想の男の名を呟いたジャクリーンは、負傷の痛みで膝を曲げかけているデッドストックに近付いて きたが、半径二メートルほどで足を止めた。頭のネジは飛んでいるが、知性までは飛んでいないらしい。不用意に 近付けば最後、生身の部分を腐らせられて殺されると知っているのだ。それがまた、厄介だ。
 前触れもなく、三人の周囲に散らばる檻が震えた。中身の犯罪者が、檻から逃げ出そうとしているからだ。檻の 錠前に貼り付けられていたビニール袋を破ってカードキーを出し、電子ロックに差し込んで錠前を開くと、中にいた 男が転がり出てきた。人目を惹くオレンジ色の作業着を着ている中年の男は、デッドストックとジャクリーンの視界 から外れる場所を走っていったが、ジャクリーンは男の背に左目を据えて瞳孔を広げる。

「あ、いたぁ」

 ジャクリーンは満面の笑みを浮かべると、軽やかな足取りで駆け出していった。もちろん、豪速である。

「まーあーくぅーんっ!」

 一秒と立たずに追い付かれ、行く手を塞がれた男は、手錠を填められている手をしきりに動かすが、こちらもまた 電子ロックで施錠されている手錠は緩みもしなかった。青ざめた男は悲鳴を上げて駆け出し、何度となく転びながら 刃物女から逃れようとするが、ジャクリーンは男の決死の逃走を嘲笑うかのように、その周りを飛び跳ねる。

「まーくんまーくんまーくんっ、どこ行くの? ねえねえどこ行くの、ねえねえねえええええっ」

 ひいひいと喘ぎながら、泥まみれになりながら、男は足を動かすが、ジャクリーンは子供っぽくまとわりつく。

「あのね、私、まーくんと一緒に行きたいところがあるの! えへへっ、ちょっと恥ずかしいけど」

 ジャクリーンが男の手を掴むと、男の手はジャクリーンの手から生えた刃で切断、指がぽろぽろと落ちる。

「私みたいな子には似合わないだろうけど、でもね、やっぱりね、オシャレしたいの!」

 ジャクリーンが男の腕に自身の腕を絡めると、男の腕が削がれ、骨が露出する。

「このジョシコーセーっていう恰好も嫌いじゃないけど、いつも同じだから、まーくんも飽きちゃったかなぁって」

 ジャクリーンが男の胸に寄り掛かると、ジャクリーンの額から飛び出した刃が男の心臓を突き破る。

「だからね、私、クイーンビーの領地のお店に行ってみたいんだ。イカヅチには怒られちゃうだろうし、今まで稼いだ お金が全部吹っ飛んじゃうかもしれないけど、でも、やっぱり、綺麗な服を着て御化粧したいなぁって思うの。…… やっぱりダメ? うん、そうだよね、だって私みたいなのがオシャレしても、可愛くないもんね」

 ジャクリーンが男の腰に手を回すと、腕から生えた刃が男の胴が真っ二つにした。腰骨と背骨が割れる。

「そっか、うん、解った。まーくんって優しいね。だから私、まーくんのことが大好き」

 ジャクリーンは悲鳴すら上げなくなった男の頭部を抱きかかえるが、その拍子に腕の内側からも刃が伸び、男の 首が飛んだ。ジャクリーンの腕から擦り抜けた男の上半身は、内臓と骨と大量の血を引き摺りながら倒れ、その場 に赤黒い池を作った。ジャクリーンは男が異常に軽くなったことに気付いていないのか、鬼の形相の死に顔となった 男の頭部を大事そうに抱えて立ち上がった。服は彼女自身の刃で細切れとなり、男の血肉に染まっていた。

「……こんなに好きなのに、まーくんはいつも黙っているね」

 切なげに漏らしたジャクリーンは男の首を抱き締めようとしたが、胸元の間から刃が飛び出し、男の頭部を一瞬 で輪切りにしてしまった。脳漿と髪と骨片とその他諸々が散らばり、ジャクリーンのつま先を汚した。デッドストックは しょんぼりと肩を落とした刃物女の背中からも複数の刃が生えていると知ったが、それ以上は知るべきではないと 感情を沈めた。能力者として生まれた以上は、皆、似たような業を抱えているからだ。
 ジャクリーンが細切れのまーくんにデートの日程を聞かせている最中に、デッドストックは背後に寄り、右手の鎖を 巻いた拳を振り下ろした。一発、二発、三発と全力で殴ると、ジャクリーンはよろめいて膝を付いた。左目は眼球が 零れ落ちそうなほど見開き、包帯がずれて苦痛に歪む唇の端からは唾液の泡が沸いた。意識が混濁すると刃物も 引っ込むらしく、ジャクリーンが昏倒して顔から地面に突っ込んでも、新たな刃は飛び出さなかった。
 後は、鎖で首を絞めて刎ねてしまえば片付く。デッドストックはジャクリーンの首に鎖を巻き付けようとしたが、別の 檻の中にいる男が絶叫し始めた。変な訛りが付いた聞き取りづらい言葉で、しかも恐ろしく早口で叫んでいるので、 内容は解らなかったが、大したことではないだろう。だが、男が叫んでいるせいで怯えてしまったのか、プレタポルテ が泣き出してしまった。デッドストックは渋々ジャクリーンから離れ、左手の手袋を外した手で男の檻に突っ込むと、 その顔面を握り締めた。途端に男の顔面は腐り落ち、頭部も腐り落ちて崩壊した。

「おい」

 これで泣き止んでくれ、とデッドストックがプレタポルテを見やると、人造妖精は小刻みに震えていた。

「うぅ」

「いちいち泣くな。面倒臭い」

「うぇ、う」

 プレタポルテはデッドストックの肩に顔を埋め、肉が削がれて白い骨が垣間見えている傷を、ひどく震える指先で 指し示した。つまり、デッドストックがあまりにも痛そうだから自分まで痛くなりそうだ、ということらしい。そんなことを 共感されても鬱陶しいだけだが、痛いのは事実である。戦闘の高揚が収まってきたせいで激痛が脳に至ったデッド ストックは、絶叫してしまいたい衝動に駆られたが、ぐっと堪えた。ラバースーツの内側に溜まった血が早々に腐敗 していて、このままでは右腕のラバースーツがメタンガスで膨張し、破裂してしまう。
 ジャクリーンに止めを刺すべきだが、まずは右腕を洗わなければ。デッドストックはプレタポルテを下ろすと、右腕 の傷口を左手で押さえ、貧血と闘いながら円形の部屋を後にした。プレタポルテはトレンチコートの裾を掴みながら デッドストックの後を追い掛けてきて、しきりに心配してきた。激痛さえなければ振り払っていたが、今はそんな余裕 など一欠片もない。最後には這いずるように進み、ようやく水場に辿り着いた。ラバースーツの裂け目を破いて右腕 を引き抜き、水で洗い流すと、メタンガスの発生が収まった。ラバースーツの中に溜まった血と腐敗汁とメタンガス を洗い流したが、そこでデッドストックは緊張の糸が途切れてしまい、視界が暗転した。
 骨が見えるまで肉を削がれたのは、久し振りだ。




 ぺちぺちぺち、ぱちぱちぱち、と顔が叩かれた。
 何度も瞬きしてぼやけた視界を拭い去る、目の前には目を赤く腫らしたプレタポルテがいた。頭上では、貴重な 真水が蛇口から垂れ流されていて、排水溝に収まりきらずに床へと溢れ出していた。その真水がトレンチコートに 吸われているのか、背中に布が貼り付いている。右腕の傷は大きすぎて回復が遅いようだったが、先程よりも痛み は和らいでいるので、微々たる回復はしているのだろう。

「……おい」

 デッドストックは左手でプレタポルテを押しやると、プレタポルテははっとした。

「うぃ!」

「そんなに俺を殴るな。殴り返すぞ」

「うぃ!」

「解っているのか」

「うぃー!」

 プレタポルテは滂沱しながらも、笑いかけてきた。何がそんなに嬉しいのかさっぱり解らない。デッドストックは貧血 故にふらつく頭を押さえながら起き上がり、蛇口を捻って水を止めた。意識が飛びそうな状態でやってきたので、ここが 何をする場所なのかを把握する余裕はなかったので、今一度周囲を見回した。
 設備からして調理室のようだが、使われた形跡はなく食材も見当たらなかった。真っ新な状態で放置されていて、 うっすらと埃が積もっている。デッドストックが倒れ込んでいたのは皿洗い場と思しきステンレス製のシンクだったが、 デッドストックのラバースーツが排水溝を塞いでしまったせいで水が溢れ返ったようだった。そのラバースーツ の袖を引っこ抜くと、がぼごぼと気泡が沸き上がり、腐った水が吸い込まれていった。

「おー、いたいた」

 調理室のドアが不躾に開き、返り血と泥と草にまみれたプライスレスがやってきた。

「なんだ、死ななかったのか」

 デッドストックが舌打ちすると、プライスレスは誰のものとも付かない血にまみれたスコップを下ろす。

「ストッキーもしぶといなー。血痕を辿っていったら、刃物女のジャクリーンが寝てやがんの。てか、あいつとまとも にやり合って手足が繋がっている奴なんて、そう滅多にいるもんじゃないぜー?」

「運が良かっただけだ」

「だぁよなー」

 プライスレスはデッドストックの右腕の傷口を見、うげぇ、と声を潰して肩を竦めた。

「うぇええ痛そぉ」

「痛い」

「右腕、まともに動く?」

「今は怪しい。だが、二三日もすれば筋が繋がる」

「んで、刃物女が起きる前に、金目のモノを漁ろうぜ。でねぇと割に合わねぇ」

「なんだ。刃物女に止めを刺してこないのか。甘っちょろいことをしやがって」

「触らぬイカレポンチに祟りなし。つか、俺は勝ち目のない争いはしない主義だから」

「勝手にしろ。メダマもお前が持ってこい」

「そんなんじゃ、歩くのもやっとって感じだもんなぁ。仕方ねぇなぁ、もう」

 世話の焼けるストッキーだこと、と半笑いになったプライスレスの後頭部に、手近な調理器具を投げ付けた。左手 は健在だからである。プライスレスはつんのめって文句を言ったが、大きなリュックサックを揺すりながら駆け出して いった。それから小一時間後、プライスレスは台車の上に大荷物を載せて帰ってきた。
 見るからに利便性の高い道具からガラクタにしか見えないものまで様々だったが、いくらプライスレスであろうとも これを全部担いで動けるわけがないので、取捨選択をすることになった。デッドストックは調理室にあったシリコン製 のシートを右腕に巻いて止血しつつ、水を飲み、プライスレスが盗んできた物資の中にあった高濃度圧縮非常食と やらを口にしてみた。ひどく味が悪かったが、不思議と腹は膨れた。

「んで、これがメダマだ」

 プライスレスが得意げに差し出した金属製の球体を、デッドストックは一瞥した。メダマに良く似た機械だが、細部 の形状が異なっている。真っ白く埃を被っていたが、プライスレスの血と泥の汚れた手形が付いていた。

「それは違う。形は似ているが、別物だ」

「違っているけど違わないって。型落ちなんだよ、こいつ」

「型落ち?」

「だから、あーまあいいや、その辺の説明はややこしくなるから。今、出回っているメダマはフルオートで全部無線 で動くやつなんだけど、これは数世代前のメダマだからマニュアルモードがあるんだよ」

「イカヅチは、なんでそんなものまで持っているんだ」 

「知るかよ、そんなこと。でも、マニュアルも見つけたから、設定してみる」

 プライスレスは妙に分厚い本を広げると、メダマの外装を開いて何やらボタンを押し始めた。しかし、一筋縄では いかないらしく、悪態を吐いては本を捲り、首を傾げていた。この分では、メダマが作動するかどうかも怪しい。右腕 の傷が熱を持ち始めていて、重苦しい怠さに襲われたデッドストックは、冷たい床に寝そべった。
 あれだけ苦労して、肉まで削がれて、得たものはこれだけか。脇腹がむず痒いので目をやると、プレタポルテが 丸まってデッドストックのトレンチコートの内側に潜り込んでいた。狭い、暑苦しい、邪魔だ、と罵ろうとしたが、喉を 震わせて声を出せるほどの余力もなく、デッドストックは意識を手放した。
 労力の分だけの報酬を得たとは、思いがたかった。





 


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