DEAD STOCK




6.Carry Out



 目を眩ませる、電飾による光の洪水。
 地下の地下の暗さに慣れ切っているから、何度来ても困惑する。瞼がないので複眼に入る光量は調節出来ない ため、頭から布を被って触角だけ出しながら、マゴットは四枚の羽を震わせていた。かつての人類が繁栄を極めて いた名残である大都市は、知識も指導者も文化も失ったダウナー達が手当たり次第に壊し尽くしたために瓦礫の 山と化してしまったが、イカヅチは自身の電気を用いて死に絶えたかと思われていたコンピューターに通電させて 生き返らせ、ありとあらゆる情報を引き出し、機械を蘇らせ、力のない者達を使役して復興を遂げた。
 そして出来上がったのが、この大都市である。イカヅチの類い希なる能力と、有り得ないと思われていた復興を 遂げた事柄に対する驚愕を込めて、人々の間ではサンダーボルト・シティと呼ばれている。しかし、その名を知って いる者は都市部で暮らすことを許された、ごく一部の人々と能力者だけであって、それ以外の者達はその名すらも 耳に入れることはない。それだけ、イカヅチが堅牢で平和な暮らしを作ろうとしている証拠だが、閉鎖的な価値観は アッパーに通じるものがある。イカヅチに気に入られた者だけしか立ち入ることを認められない、彼の理想郷であり、 箱庭でもある。その中の一人であることを誇るべきか蔑むべきか、マゴットは未だに計りかねている。
 堅実な都市計画によって整然と建ち並んでいるビルの間を擦り抜け、眼下の道路を行き交う車両の群れを視界 の端に入れながら、高層建築物に添って吹き上がる風に煽られないように気を付けつつ、マゴットは都市の中心で ある最も高いビルへ向かっていった。これでもかと金と人員を注ぎ込んで造り上げられた奇妙な螺旋状の建築物、 それこそがイカヅチの牙城であり、自宅でもあるビルである。
 螺旋状のビルのミラーガラスに映る自分の姿を横目に、マゴットは徐々に高度を下げた。正面の入り口から入る のはあまり好きではないので、ビルの中程にあるテラスに降りて透き通ったドアから室内に入ると、適温の空気が 外骨格を舐めた。掃除の行き届いた廊下には埃一つなく、顔が映るほど磨き上げられている。人気はなくとも監視 の目はそこかしこに光っていて、マゴットがビルに近付いた時点から、浮遊する球体のカメラ、メダマがマゴットの 後にぴったりと付いてきていた。地下の地下から出てくる時に体を綺麗にしてきたつもりではあったが、外骨格の 繋ぎ目にこびり付いた泥やくすみが目立ってしまい、若干気後れした。
 瑞々しい植物が生い茂る温室、豊富な情報と技術を温存してあるコンピュータールーム、図書室、その他諸々の 部屋を通り過ぎながら階段を昇っていくと、球体の水玉が浮かんでいる部屋に至った。かつての人類の繁栄の証 である反重力装置を利用して作った、プールである。直径は十メートルほどで、透き通った真水の表面にはさざ波が 立っている。その波が急に大きくなったかと思うと、赤黒い染みが広がり、包帯まみれの少女が現れた。

「ぶへぇっ!」

 水面を突き破って顔を出したのは、刃物女、ジャクリーン・ザ・リッパーであった。彼女はぐしょ濡れの長い黒髪 から水を滴らせながら、唯一外に出ている左目を瞬かせ、目の焦点をマゴットに合わせた。

「あ、えーと……」

「イカヅチの友達だよ」

「あ、そうだ、そうだったっけぇ、うん、そおだぁ」

 ジャクリーンは何度となく頷き、自分を納得させた。気が触れている彼女の意識の中には、空想上の恋人である まーくんの他には、絶対的な主人であるイカヅチしか存在していないのだ。だが、迂闊にまーくんの名前を出すと、 ジャクリーンは思い込みから逆上して襲ってきてしまうので、イカヅチの名前を出した方が比較的安全だ。

「で、何をしていたのさ」

 マゴットが訝ると、ジャクリーンは水を吸いすぎて重たくなった包帯を絞りながら、プールから出た。弱重力空間 なので、プールから出ても落下することはなく、無数の水玉を纏いながら空中をゆったりと浮遊する。

「イカヅチがね、お風呂に入れって言ったの。だから、お風呂。ドロドロでベタベタになっちゃっていたから」

「そりゃ大変だったね」

「でね、うんとね、なんだっけ。そうそう、あれ。イカヅチのお遣いをしに海岸沿いの農地にある倉庫に行ったんだけど、 まーくんのお友達じゃない奴らがね、邪魔してきてね、やっつけようとしたんだけど、まーくんが来てね、色んなことを お話ししようって思ったら、まーくん、いつもみたいにバラバラになっちゃって」

「そりゃ大変だったね」

「うん、大変だった。大変だけど、でも、いいの。まーくんには、また会えるから」

 ジャクリーンは瞼の引きつった左目を細め、屈託のない笑顔を見せた。その表情と口調だけ見れば、ジャクリーン はどこにでもいそうなティーンエイジャーである。だが、実年齢は定かではない。マゴットが地下の地下から外界に 出るようになったのは二十年ほど前で、ジャクリーンはその頃から気が触れていた。年齢性別問わず、まーくんで あると思い込んだら最後、無差別な殺戮を繰り返していた彼女がイカヅチに見初められたのは、十数年前であった と記憶している。終わりのない夜が延々と続く世界で息づいているダウナーにとっては、月日の流れもどうでもいい ものではあるのだが、ジャクリーンの実年齢が気にならないと言えば嘘になる。だが、過剰な詮索をすれば、彼女 の刃に切り刻まれることは火を見るよりも明らかなので、マゴットは己の知的好奇心を必死に殺した。
 着替えてくる、と言ってプールサイドのシャワールームに向かっていったジャクリーンを見送ってから、マゴットは 階段を昇っていった。エレベーターを使えば早いのだが、機械を使えば使った分、イカヅチの放つ電気を無駄にして しまうことになる。仮にもイカヅチの寵愛を受けている身なのだから、その辺の気は遣わなければならない。
 洒落たデザインだが耐震性の欠片もなさそうな階段を昇り、ビルの上層部にある吹き抜けに至ると、その中心 に無数のケーブルが突き刺さったサイボーグが座っていた。それこそが、ヴィジランテのボスにして地下世界に再び 文明の光をもたらした男、イカヅチである。彼の周囲には絶縁体であるガラスが半球状に、しかも三重に配置され、 無意識に放電する余剰分の電気を押さえていた。それもこれも、若い頃に脳に受けた重大なダメージが自己再生 能力を持ってしても治らなかったため、能力の制御が効かなくなっているせいである。

「ああ……マゴットか」

 ぎ、と飾り気のないデザインの頭部を反らし、イカヅチはガラス越しにマゴットを捉えた。

「やあ、イカヅチ」

 マゴットはイカヅチに近付いたが、ガラス越しであろうとも放電されている微細な電気が静電気となって、外骨格に まとわりついてきた。その煩わしさを気にしつつも、マゴットは彼の正面に立った。

「珍しいねぇ、電話じゃなくて直に僕を呼び出すなんて。アッパー言語の翻訳は進んでいるけど、君が読みたがって いた文書の内容はまだまだなんだ。ごめんよ、期待に添えなくて」

「いや、今日はそれではない」

「もしかして、人造妖精のことかい?」

 マゴットが心当たりを述べると、イカヅチはレンズの填った目を伏せる。途端に、彼の周囲に立体映像がずらりと 浮かび上がり、メダマで捉えた映像が動き出した。そのどれもが、人造妖精とそれに関わった者達の映像であり、 もちろんデッドストックとプライスレスの映像も多かった。イカヅチの視線が一点に止まると、その映像も止まる。

「そうだ」

「ねえ、イカヅチ。あの妖精ちゃんを掴まえたら、どうするつもりなんだい?」

「偶像化する。今のところ、クリスタライズに関する番組を四六時中流して思想を誘導しているが、さすがにそれも 少し飽きられてきていてな。打開策がないかと思っていたのだが、あの人造妖精が奪われた様を見て、思い付いた のだ。あのラバースーツの男が何の目的で人造妖精を手に入れたのかは解らんが、あんな奴では貴重な人造妖精を 野垂れ死にさせてしまうのがオチだ。だから、私が有効活用してやらねばと思ってね」

「確かに、あの人造妖精はなかなか状態がいいからね。勿体ないもんね」

「その通りだよ、マゴット」

 イカヅチは合金製の腕を曲げて頬杖を付くと、関節の節々からヒューズが飛んだ。

「君は賢いから解っているとは思うが、世界を動かすのは、やはり人間なのだ。我らは今でこそダウナーとして地下 世界に追いやられているが、凄絶な生存競争と劣悪な環境を乗り越えて生き延びている我らこそ、本物のアッパー であると言えよう。アッパー共が日々垂れ流している、吐瀉物以下の内容の娯楽番組の低俗さからして、アッパーは 平和という名の停滞に陥っていることは窺い知れる。軍事力もなければ生産力も乏しく、開拓精神も失い、ただ ただ怠惰に資源を食い潰している害虫共だ。だから、我らは地下世界の空を塞ぐ壁を打ち破り、天上を制し、真実の 世界を取り戻すべきなのだ。だが、そのためには圧倒的に人力が足りない。社会も成り立っていない。ヴィラン共は つくづく愚かだよ、生活とは統率と規律と知性によって成り立つものなのに、それらを全て放棄して犯罪漬けの生活を 送っているのだからな。故に、私はヴィジランテと共にヴィランも導かねばならん」

「イカヅチのそういうところ、僕は結構好きだな」

「ははは、謝辞であろうとも礼を述べておこうか。筋書きは既に出来ている。あのラバースーツの男、デッドストック を名のあるヴィラン共に襲わせる。そして、デッドストックを追い詰め、嬲り殺しにさせる。あの少年もだ。解放された 人造妖精はクイーンビーの娼館へ逃げ込ませ、クイーンビーの手中に収めさせる。クイーンビーの関心が人造妖精 に移って娼館全体の警備が手薄になった隙に襲撃を掛け、娼婦とその客達をヴィジランテにさせる。そうすれば、 市民の数が大幅に増やせるばかりか、クイーンビーの勢力を大いに削げるからね」

「となると、サンダーボルト・シティの人口が十万人の大台に突入するってことかい? 今のところ、サンダーボルト・ シティの総人口は九万五千人程度で、クイーンビーの娼館で働いている女達の数は単純計算でも三千人、そこで 女を買いに来ている男達の人数も合わせると、それぐらいになるねぇ」

「それに気付くとはさすがだよ、マゴット」

「いやあ、大したことじゃないさ。で、僕は何をすればいいのさ。本題はそれだろう?」

「クイーンビーの色街へ向けて、人造妖精は不老不死の妙薬の材料になるという番組を作って放送しておくれ。 色街の掌握後に投影する映像も用意してくれたまえ。その際、ちらつきに見せかけてサブリミナル映像も大量に 仕込んでくれ。そういった技術については、書籍や資料で知り得ているだろう?」

「ああ、あれね。面白そうだから、喜んで引き受けるよ。機材も揃っていることだし、使わない方が勿体ない」

「あの女のみならず、大抵のダウナーはアッパーから受ける情報を無条件で正しいと信じ込んでいるのだから、 それを利用しない手はないのだよ」

「全くだよ。で、その後はどうするんだい?」

「どうとでもなるさ。私の手中には、勝ち札しか揃っていないのだから」

 イカヅチの表情は読めずとも、その余裕のある口振りから勝ち誇った笑みが窺い知れた。圧倒的な権力と財力を 持っている者でなければ醸し出せない、優雅ささえ感じられる。だから、彼に靡いてしまう者が後を絶たないのだ。 衣食足りて礼節を知る、という古い言葉があるが、地下世界では生きるだけで精一杯で、他のことに気を回す暇を 持たない者がほとんどだ。マゴットも例外ではなかったが、イカヅチがマゴットの眷属である無数のハエ達を使った 乾燥蛆虫の売買を持ち掛けてきてからは、生活が目に見えて安定した。知的好奇心も芽生え、欲するままに情報 や書物を貪ったおかげで、眠っていた才覚と知性が表に出た。
 人間は知恵の実を囓った獣だったが、ダウナーとして分類されるようになってからは、せっかく囓って飲み込んだ 知恵の実を吐き戻してしまったらしい。だから、再び食べられるようにしなければ始まるものも始まらない。たとえ、 イカヅチの計画が荒唐無稽であろうとも、大衆扇動のための詭弁だと知っていてもだ。
 俄然、面白くなってきた。




 都市と荒野の境目に、また新たな境界線が横たわった。
 どずぅんっ、と腹の底に響く衝撃と一直線の砂埃が、目に見えない壁の質量の重さを知らしめた。これで何度目に なるだろうか。いや、そんなことは考えるだけ無駄だ。壁が作られたら、その壁を壊してしまえばいい。お仕置きが 通用しないものは、この世界のどこにもないのだから。スマックダウンは指の根元が鬱血し始めた拳を握り直して、 ガスマスクの下で嘆息した。砂埃が落ち着くと、足元に横たわる線の向こう側に人影が見えた。
 ベルトや紐を何本も巻き付けた、奇妙な服装をしている長身の女性。それが、目に見えない壁を生み出している 張本人、クローズラインである。能力者であれども女性として生まれてしまうと、ヴィランの世界では長生き出来ない のだが、ヴィジランテとしてイカヅチに囲われるようになれば話は別だ。
 一直線に切った前髪と、やはり一直線に切った後ろ髪が、緩い風でかすかに揺れた。伏し目がちな目元以外は マスクで覆い隠しているので顔形は解らないが、顎は細く、ベルトだらけのロングコートの下から垣間見える肢体は 胸は控えめだが尻の大きい、なかなか肉感的な女だ。ヴィジランテの用心棒にしておくには、惜しい体である。

「ウゼェんだよ、さっきからよぉっ!」

 スマックダウンは振りかぶり、お仕置きだぁ、と叫びながら拳を叩き込む。壁は消える。が、また作られる。

「無ー駄ー」

 やる気の欠片もない、平べったい声で呟いたクローズラインは、空中に指先で線を引く。二つ、三つ、四つと壁。

「殺しもしねぇ、掛かってきもしねぇ、下がりもしねぇ、何がしてぇんだぁよぉうっ!」

 血管が切れかねないほど苛々が募ったスマックダウンは声を荒げるが、クローズラインは目を逸らす。

「知らなーいー」

「てめぇのクソ上司は何してやがる、俺に気付いてねぇわけねぇだろぉがよぉっ!」

「知ぃーらなーいー」

「ああもうウッゼェエエエエエエ!」

 スマックダウンは怒りと力を持て余した拳で再度壁を殴り、壊すが、またも作られる。

「その辺にしておいたら? 病み上がりなんだしさぁ」

 トラックの傍で胡座を掻いているバードストライクは、退屈凌ぎに鳥の死骸の羽根を毟っていた。

「だがよぉ」

 このままでは、腹の虫が治まらない。スマックダウンは奥歯を噛み締め、唸った。

「んむ」

 不意にクローズラインは目を丸め、ロングコートのポケットを漁り、小さな機械を取り出した。

「あー、はーいー。わっかりましたぁー、ボスぅー」

 クローズラインは誰かと会話をした後、その機械をポケットに戻すと、スマックダウンを見据えた。

「そんじゃー、まー」

 レッツゴー地下牢ー、と言いながら、クローズラインは手を四方に振り、スマックダウンとその部下達がいる空間を 四角く区切った。かと思うと、その後方に新たな壁を作り、四角く区切った空間を地面ごと押し出し始めた。予想も していなかった展開にスマックダウンはつんのめりかけたが、踏み止まり、クローズラインを睨んだ。だが、彼女は 振り向きもせずに目に見えない壁を操っていて、自身も線の上に乗って移動していた。応用の利く能力だ。
 スマックダウンは痛む拳をさすりながら、自分の浅はかさに渋面を作った。デッドストックにやられて頭に来ていた とはいえ、我ながらさすがに短絡的すぎた。イカヅチの手中に収まることもまた腹立たしいが、体勢を立て直すため にも、一度頭を冷やさなければ。覆面の下でくすくすと笑みを漏らすバードストライクを殴って黙らせ、スマックダウン はトラックの屋根に飛び乗り、次第に迫ってくるイカヅチの都市を睨んだ。

「おい」

 トラックの荷台に詰め込まれているゴロツキ共を見回し、スマックダウンは一人の男に目を付けた。

「てめぇは確か、覗きが得意だったな?」

「穴さえあればね」

 そう言って誇らしげに笑ったのは、ピープホールである。どこから掻き集めてきたのか、様々な大きさの拡大鏡を じゃらじゃらと首から提げている。在り合わせの布を繋ぎ合わせた粗末な服を身に付け、ベルトが千切れかけている 防塵マスクを付け、これまた分厚いレンズのゴーグルを被っている。

「あのクソアマを覗け」

「そりゃ構いませんけどねぇ、ボスの頼みとあっちゃ」

 うひょういいケツしてるぅ、と粗野な笑みを零しながら、ピープホールは親指と人差し指を曲げて穴を作ると、その 上に拡大鏡を被せた。その名の通り、ピープホールはどんな大きさであろうとも、穴さえあれば中を覗ける能力の 持ち主であるが、その穴を見つけるまでが至難の業なので役に立つか否かで言えば否である。スマックダウンが 気紛れに拾うまでは、針先よりも小さな穴を覗き込んでは家主の留守を狙って盗みをするか、男女の営みを覗いて 興奮しているだけという、どこにでもいる下らない男だった。だが、何かの役に立つのではと踏んで、端金を渡して 雇ったのだ。イカヅチにお仕置きしたいのは山々だが、その前にクローズラインを潰さなければ面倒だ。
 イカヅチの腹積もりがどうであれ、楽しんでやろうではないか。





 


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