DEAD STOCK




8.Mud Dauder



 敵は、さぞや仕事が簡単だっただろう。
 何せ、掴まえるまでもなく、相手が最初から檻の中に入っているのだから。デッドストックはウィンチと思しき鈍い モーター音を瓦礫越しに聞きながら、檻の鉄柵に食らい付いているワイヤーとフックを眺めていた。スマックダウン の死体に爪を立てた主か、その関係者が掘ってくれたのだろう、傾斜の付いた一本道が空いている。檻はその中を 真っ直ぐ通っていて、さながら鉱山から運搬される鉱石のようだった。
 なぜこうなったのか、問われても答えようがない。デッドストックは怯え疲れて寝入ってしまったプレタポルテを 膝の上に載せながら、斜め上に空いている穴とその先にある濁った空を仰ぎ見た。プライスレスは暴れるだけ体力 の無駄遣いだと早々に悟っていて、大人しく身を丸めている。檻の鉄柱には、スマックダウンの肉片が付着している 爪痕が深く刻まれていた。あの爪の主の全貌もまだ目にしてはいないし、デッドストックらが窒息死するまで放置して おかないどころか助けようとする意味も理由も定かではなかったが、味方だと思い込むのはあまりにも早計だ。
 掘削機か何かで穿ったように滑らかな穴を通り抜けると、十数時間ぶりに外界へと至った。だが、喜んでいる暇 はないので、デッドストックはスマックダウンとの激闘で受けたダメージがそれなりに回復した体を起こした。傍らの プライスレスも、砂埃で真っ白くなったガスマスクを払ってから、最も使い慣れた武器であるスコップを組み立てた。 プレタポルテは外界の控えめな光量に目を慣らしてから、ぎょっとした。

「ぴっ」

「なんだ、こいつらは」

 小さな体で思い切りしがみついてきたプレタポルテを支えてやりながら、デッドストックは目を凝らし、檻をぐるりと 取り囲んでいる異形達と向かい合った。一言で言えば、それは虫だった。逆三角形の頭部に胴体から生えた六本の 足、楕円形に膨らんだ腹部にはオレンジ色の帯がある。デッドストックが知る限り、これは確か、ハチと呼ばれている 種類の昆虫ではなかっただろうか。ハチが原型になっている能力者は珍しくもなんともないし、かの有名な娼館の 女王、クイーンビーはその極みだ。しかし、虫の外骨格は金属製で、生き物であるとは思いがたかった。

「……ジガバチ?」

 プライスレスはスコップを握る手に力を込め、肩を怒らせる。

「知っているのか」

 デッドストックが問うが、プライスレスは答えなかった。その代わりにスコップを真っ直ぐに投擲し、檻の隙間から 赤い印が額に付いた金属製の虫に狙いを定めた。が、赤い印が額に付いた虫は即座に反応して太い爪を振るい、 プライスレスのスコップを両断して転がしてしまった。

「相変わらずだな」

 少し籠もった女の声が、赤い印が額に付いた虫から発せられる。

「あんたもな。何をしに来た」

 プライスレスは追撃を行おうと、リュックサックの中から手近な刃物を次々に取り出していく。

「クイーンビーの命令だ。そこの人造妖精を掴まえてこいと」

 黒光りする爪が縮こまっているプレタポルテを示すと、プライスレスはじゃらりと数本のナイフを両手に広げる。

「あのクソ婆ァ、まだ生きてやがるのかぁ、よぉっ!」

「生憎だがな」

 プライスレスが投げ付けたナイフを受けても、金属製の虫は動じなかった。短い刃は跳ね返るだけで突き刺さる こともなく、地面に転がった。赤い印が額に付いた虫は他の虫に檻をトレーラーに運び入れさせてから、背中に 生えた羽を振るわせて浮かび上がり、クイーンビーの娼館の方向へと飛び去っていった。プライスレスはあらん限りの 語彙で罵倒して、その姿が見えなくなるまで叫び続けていた。
 過去に何があったのかは知らないが、プライスレスのことなど取り立てて聞くほどのことでもなさそうなので、デッド ストックは黙り込んだ。プレタポルテもそれに従った。だが、プライスレスはそれが不満なのか、しきりに問い詰めて くれよ、だの、俺の話が気にならないのかよ、だのと騒ぎ立ててきた。相手にするのも鬱陶しかったので、下腹部に 重たい蹴りを加えてやると、プライスレスはやっと大人しくなった。他人に自分の過去を詮索されたり、問われたいと 思う気持ちは欠片も理解出来ない。そんなものを知ったところで、腹が膨れるわけでもないのだから。
 つくづく、面倒臭い少年だ。




 地平線の果てでは、この世の楽園が煌めいていた。
 プライスレスがジガバチと呼んだ集団が使っているトレーラーはコンテナがなく、錆びた荷台が剥き出しになって いるので、デッドストックらの檻は吹き曝しの状態だった。布すらも掛けてくれなかったので、砂混じりの冷えた風が 絶え間なく襲い掛かってきた。金属製の虫達はトレーラーの前後左右を取り巻いていて、ぢぢぢぢぢぢぢっ、という 独特な羽音がエンジン音を塗り潰していた。整地はされていないが轍が出来ている道の先では、終わりのない夜の 中で果てのない欲望を貪っている、女王バチの巣がそびえていた。
 それこそがクイーンビーの娼館であり、娼婦達を喰い物にして栄えた街だ。イカヅチとは異なる方法で得た電力を 惜しみなく使っているために街全体が燦然と輝いていて、これ見よがしに澄み切った噴水も沸き上がっている。高級 娼婦がただ一人の客を相手にするためだけの建物や、中級娼婦達が客を取るための建物や、下級娼婦達が色街 を訪れた男達に買ってもらおうと鉄格子の向こうから手を伸ばす、牢獄も同然の建物が並んでいる。建物の外見に 統一感がないのは、地下世界で健在だった見栄えのいい建物を、能力者を使って丸ごと運んできたからである。
 中でも突出しているのが、女王バチたるクイーンビーの巣であった。八角形の構造物を複雑に重ね合わせて 屹立させた、ハチの巣の塔だ。至る所に金色の装飾が施されていたが、あまりにも過剰なので美しさよりも下品さ の方が先に立つ。クイーンビーの品位が見て取れるようである。
 プレタポルテは興味津々だったが、ジガバチの群れは色街には向かわずに脇道に逸れた。そのまま地下道へと 下り、真っ暗で黴臭いトンネルに入り、奥へ奥へと進んでいった。迷路のように入り組んだ地下道を何度も曲がり、 曲がり、下り、たまに上がり、ようやくトレーラーは停車した。ジガバチの群れが檻を下ろすと、赤い印が付いた虫が やってきた。すぐさま爪が振り下ろされ、鉄格子が一息で真っ二つに断ち切れた。

「お前達は下がっていろ。私が処理する」

 赤い印が付いた虫が他の虫に命じると、皆、羽を振るわせて移動していった。その無数の羽音がトンネルの彼方 に遠ざかってから、デッドストックは切れた鉄格子の隙間から這い出し、身構える。

「お前は何者だ」

「私達は群れだ。個体名に意味はない。そこのクソガキが言っただろう、ジガバチだと」

「俺はそのジガバチを知らない」

「ああ……そうか。お前はヴィランの中でも、行動範囲が狭いタイプだったな。他のヴィラン共は、一度ならず二度 三度と女を買いに来ては騒ぎを起こして出入り禁止を喰らうか、ツケを溜めすぎて殺されるかのどちらかだが、お前 は割と模範的だったな。女を買いに来たのはただの一度だったが、まともに金を払っていったな」

「それがどうした」

「私は、お前が買った女の隣の檻にいたんだよ。だから、割と覚えているものさ」

 金属製の外骨格が割れ、複眼から光が失せ、赤い印が両断される。ジガバチの全ての関節から蒸気が噴出し、 胸が開き、どろりとした液体が溢れ出してきた。その中から、悩ましい肢体にタイトなスーツを貼り付けている女が 現れたが、顔全体にマスクを被っていた。ガスマスクにも似ているが、マスクの口元からは太いチューブが伸びて いて、ジガバチの頭部の内側に繋がっていた。伝声管か何かだろうか。

「久しいな。オスカー」

「そんなもん、俺の名前じゃねぇよ! そんなにクッソダセェ名前が俺の名前だなんて、認めてやるもんか!」

 途端にプライスレスが激昂したので、デッドストックは納得した。

「お前はこいつの親なのか」

「そう言えなくもないな。ジガバチに限らず、クイーンビーの配下の女は共同体だ。娼婦が産んだ子供は娼婦全体 で育て、生かし、労力にする。もっとも、そいつは五歳の誕生日を迎える前にケチなヴィランに盗まれて、それきり 死んだものだと思っていたが、左の肩胛骨の上に火傷があるクソガキがヴィランの縄張りを荒らしまくっているという 話を聞いてからは、もしやと思って情報を掻き集めていたんだが、ヴィジョン越しに姿と声を聞いた途端に確信したよ。 お前は私達の子であるとね」

 女はマスクに手を掛けたが、これは外せないんでね、と断ってから、青い粘液まみれの体を拭った。

「それで、オスカー。そいつらをクイーンビーに引き渡してくれないか」

「なんでだよ。ストッキーとは、妖精ちゃん絡みの盗みをしてやるから上前を跳ねるって契約を交わしてんだぞ!」

 プライスレスは檻から出ようとしたが、リュックサックが引っ掛かってつんのめった。

「誰もそんなことを決めた覚えはない」

 デッドストックはプライスレスのリュックサックを掴み、強引に引き摺り出してから女の前に放り投げた。

「俺がそう決めたんだよ、ストッキーが決めなくたって俺が決めたなら絶対に決まってんだろ!」

 起き上がったプライスレスはデッドストックに掴み掛かろうとするが、今度は女がリュックサックを掴んだ。

「オスカーの都合も理屈も何も聞いてはいない。クイーンビーがそう決めた、それ以外の理由は必要ない」

 突如、女はプライスレスを物凄い力で引き摺り倒すと、仰向けになったプライスレスのガスマスクを踏み躙る。

「私達は考えることを放棄した。お前もそうだ、オスカー。働きバチの腹から産まれたのだから、働きバチ以外の 何者にもなれはしない。たとえ、クイーンビーのタトゥーを消されようと名前を変えようとこんな屑の中の屑と連んでも、 お前の本質が変わるわけがないだろう。なあ、オスカー・ワーカーホリック」

 ぬるりとした粘液を纏ったマスクの奥で、女が毒々しく笑みを零した。

「このクソアマ、ゲロビッチ!」

 プライスレスは女の足を払おうとするも、逆に再度踏み付けられ、喉にかかとをねじ込まれて噎せ返った。血流も 圧迫されているからか、次第にプライスレスの動きは鈍くなり、最後には失神した。弛緩して手足を投げ出した少年 を一瞥してから、女はデッドストックとプレタポルテに向き直る。

「というわけだ。デッドストック、そして人造妖精。クイーンビーとの接見を許可しよう」

「願ってもない話だな」

「おや、それは意外だな。私を腐らせるものだとばかり」

「俺は元々、あの女に用があってここを目指していたんだ。お前達を殺して道を空ける手間が省けた」

「とんだ好き者だな」

「それはお前達の女王にこそ言うべき言葉だ」

 起き上がる気配すらないプライスレスを一瞥してから、デッドストックは女に歩み寄った。

「お前の名は」

「共同体ではないお前達には、私の個体識別番号を教えても理解出来ないだろう。そうだな……個体識別名称は、 娼婦時代の名前でいいだろう。ハニートラップだ」

「そうか。俺達の名はどこで知った」

「ヴィジョンだ。昨日から、スマックダウンを殺した直後の映像が繰り返し流されていてな、お前の顔と名前と人造妖精 と、そのクソガキの名前もだ。嫌でも覚えるさ。イカヅチも悪趣味なことをしてくれる」

「そうか」

 だからといって、何が変わるわけでもない。スマックダウンにケンカを売った時点で、自分のラバーマスクを被った 顔も名前も売れに売れているからだ。ハニートラップと名乗った女は再び金属製の虫の中に収まると胸部を閉め、 付いてこいと促してきた。デッドストックはプライスレスの様子をしきりに気にしているプレタポルテを肩車してやり、 女の後を追っていった。楕円形の腹部は歩くたびに左右に揺れ、男に媚びる女と同じ仕草だった。
 あの女も、そうだった。





 


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