DEAD STOCK




8.Mud Dauder



 狭い檻が連なる、下級娼婦が詰め込まれた建物。
 若かりし頃のデッドストックが、後にリザレクションと呼ばれる女と出会ったのは、その一角だった。自分がどこで 生まれてどこへ行くのか、なぜ触れたものを腐らせる能力を持っているのか、どうして過去の記憶がないのか、など という疑問と不安を持て余していた頃だった。その頃はまだ、デッドストックという名前ではなかった。ジョン、或いは ジャックといった有り触れた名前を名乗っていたような気がするが、よく覚えていない。ある日、気付いたら地下世界 に立っていたのだ。だから、自分という男は誰から産まれ、育ち、生きてきたのかも解らない。
 全身を覆うラバースーツを手に入れたのは、ふとした切っ掛けからだった。その日もまた、空腹を紛らわすために 行きずりのダウナーを殺して荷物を漁っていたところ、人間の形をした奇妙な素材の衣服が現れた。その滑らかで 弾力のある素材は素手で触れても腐敗せず、同じ素材で出来ている手袋とマスクも同様だった。興味に駆られて その衣服を身につけてみると、それまでは素肌を曝していたために常時発生していたメタンガスが発生しないように なった。おかげで身動きが取りやすくなったが、目的まで得たわけではなかった。
 それでも、人間に近い生き物として生まれた以上は欲望が膨れ上がる。食欲、睡眠欲、そして性欲が扱いづらい 肉体に備わるようになった。ラバースーツ越しに触れれば、女もすぐには腐らないのだが、それでは肝心要の行為 が行えない。かといって、死体を組み敷いても面白味はなく悦びもない。能力者ではない女では脆すぎるので、腕を 掴んだだけでへし折れてしまいかねない。だから、おのずと行き着く先は定まった。
 ヴィラン達の話を漏れ聞いていたので、クイーンビーの娼館の存在は知っていた。だが、大枚を叩いてまで買う ほどの女がいるのかと疑わしかったので、これまでは行く気にはならなかったのだ。日に日に溜まる本能的な欲求 を押し殺しながら、時折行き交うトレーラーや車両に忍び込んで移動した末、煌びやかな色街に辿り着いた。
 しかし、手持ちの金などタカが知れているので、高級娼婦など到底買えるわけもなく、下級娼婦達が家畜のように 押し込められている建物に向かった。鉄格子の填った檻が、簡素な屋根と粗末な壁だけの建物の中にずらりと 並べられていて、痩せた女達の足には鎖の付いた拘束具が填められていた。鉄格子の隙間から、女は骨と皮ばかり の手を伸ばしながら自分を誇示する。男に買ってもらえないと、クイーンビーから身受けされた際に強制的に作らされた 借財を返せる目処が立たないから買ってもらおうとするのだ、と通りすがったヴィランの男が言っていた。
 つまり、女達は自分の尊厳を買い上げるために自分を安売りせざるを得ないのだ。そんな哀れな女達を買う男達 も、女達の悲劇を喰い物にしているクイーンビーも、そして娼婦となるしか生きる道が見出せなかった女達も、皆、 ろくでもない。自分もその一人に過ぎないのだ、と女達を吟味しながら痛感した。
 そして、一際目を惹いたのが、離れた場所にある檻に閉じ込められていた一人の女だった。女は赤黒く乾いた血 の海に倒れていて、腹部が裂けていて、内臓が零れ落ちていた。饐えた匂いに釣られてぶんぶんとハエが集って いたが、女はそれを鬱陶しげに手で払っていた。内臓が出ているのに、人間一人分にも相当する血が流れ出して いるのに、女は生きていたのだ。乾いた血で固まった髪を掻き上げながら、女は体を起こし、目を上げた。

「なあに、私を買うの」

「……ああ」

 きっと、何かの能力を持っているのだ。だとすれば、多少触れたぐらいでは女は死なない。そう確信して答えると、 すぐさま金属製の虫がやってきて、女の入った檻を運んでいった。今にして思えば、あれはジガバチだったのだ。 金属製の虫に促されて進んでいくと、少し広い部屋に入らされた。そこで女の檻が開けられ、血みどろの女が鎖が 繋がった足を引き摺りながら出てきた。部屋の隅にあった汚れた水で体を洗ってから、女は体を開いてくれた。
 思った通り、女はちょっとやそっとでは死なない体の持ち主だった。素肌が触れて腐っても、早々に血が止まって 傷口が塞がった。それは凄まじい苦痛を伴っているようだったが、女は手近な布を噛んで悲鳴を堪え、娼婦の領分 を果たしてくれた。生まれて初めて触れた他人の体温と柔らかさに戸惑いながらも、事を終えた。

「ねえ」

 腐肉と新たな血ととろけた内臓の破片が散らばるベッドの上で、女は身を起こした。青黒く腐ったはずの内股の 肌が回復し始めていて、本来の白さと柔らかさを取り戻しつつあった。

「デッドストック」

「なんだ、それは」

 ラバースーツに両足を入れてから振り返ると、女は腰の当たりを指し示してきた。

「それがあなたの名前なのね。腰骨の上に、そういうタトゥーが入っているんだもの」

「いや、知らないな」

「そりゃそうでしょうね、背中を鏡に向けでもしなければ見えないから。でも、あなたはそういうことをしている余裕も 場所もなかったでしょうから、知らなくて当然よね」

「そうか。意味は解るか」

「死蔵品、売れ残り、不良在庫、屠殺された家畜」

「俺に丁度良い」

 ならば、今、この瞬間からそう名乗るとしよう。自分の中にあった隙間にぴたりと部品が填ったような、歯車がかちりと 噛み合ったような、落ち着きさえ覚えた。デッドストックは己の腰に触れてから、ラバースーツを着込んだ。

「お前の名は」

「人を散々いじめておいたのに、名前も知らなかったの? ……まあ、いいわ」

 女は赤黒い蛋白質が乾き始めて強張ったシーツから下りると、ボロ切れのような服を身に付けて肌を隠した。

「昔はなんだったかしら、マリアだったか、ルーシーだったか、とにかくそんな感じの名前だった。クイーンビーの部下に 拾われてからは、番号で呼ばれるようになったけど、それだとちょっと味気ないから、この前私を買いに来た鉱石男 がくれた名前を教えてあげる。リザレクションよ」

「そうか。覚えた」

「あの男、また来るつもりでしょうね。帰り際に、私の背中に自分の手から生やした鉱石で、何かの字を書いていた から。でも、そんな傷はすぐに消えちゃうから無意味なんだけどね。ほら」

 そう言って、女は背中を曝してみせた。背骨と肩胛骨と肋骨が浮いた背中には傷一つなく、青白い肌には薄く汗が 滲んでいた。女は肌を隠してから、デッドストックという名を与えた男を窺った。

「あなたは、また来てくれる?」

「金が貯まれば来る」

「だったら、その時を楽しみにしているわ。殺してほしいから」

 女はちょっと照れ臭そうに頬を緩め、汚れた肌を拭った。

「私の体はやたらと回復能力が高くて多少の傷じゃ死なないし、さっきみたいに血を抜かれても、内臓を千切られても、 なんだかんだで生き返っちゃうの。もう、それが何十年と続いているの。どこで生まれたのか、なんでそんな体 なのか、何をするための力なのか、何一つ解らない。ただただ、苦しいだけで。だから、死にたいっていつも思って いた。だけど、誰も私を殺せるほどの力もないし、死ぬのを許されるような場所じゃない。あの鉱石男だって、私を 殺しきれない。でも、あなたは違う。きっと、私を殺せる」

 だってほら、と女は腐敗しきった自身の肉片を指し、心底嬉しそうに笑った。

「私の肉が腐っていくのを見たのは、これが初めて。もっと腐らせてもらえれば、きっと本当に死ねると思うの。だから、 もう一度私を買いに来て。その時に、私の全部を腐らせて、殺して。待っているから」

「……ああ」

 この女はイカレている。だが、その願いを聞き届けた自分も充分にイカレている。デッドストックは、女からの懇願と 見送りの言葉を背に受けながら、娼館を後にした。だが、それきり二度と女には会えなかった。金を貯めている 最中に女の元に再び鉱石男が訪れ、女を結晶化させた後に乱雑に砕いてしまったからだ。しかし、それでも女は 死ねなかった。そればかりか、女の肉片を摂取すると、どんな傷もたちまち回復して死を免れられるという評判が 立ち、女の破片はありとあらゆる悪人共の手に渡った。そして、女は未だに死ねずにいる。
 だから、リザレクションを殺してやらねばなるまい。




 そして、リザレクションを生殺しにした鉱石男も殺さなければならない。
 色街でもクリスタライズの存在は祭り上げられていて、泥沼のどん底を這いずりながら生きている娼婦に無責任な 希望を与えるための偶像として扱われていた。やけに性能が良いヴィジョン受像機が街の至る所に据え付けられ、 ヒーローとなった元ヴィランの成り上がり者の活躍を映し出していた。立体映像の中では、結晶体で出来た外骨格を 身に纏って犯罪組織と戦う男が躍動し、煌びやかな肢体を機敏に動かしては犯罪者達を制圧していた。それがどこ まで本当なのかは、怪しいものだ。映像は誤魔化しが効くし、事実をねじ曲げた嘘も作り放題なのだから。
 デッドストックは、今正にその嘘を味わっていた。クリスタライズの活躍だけを流すチャンネルとは別のチャンネルを 受信しているヴィジョン受像機の中では、デッドストックとプレタポルテとプライスレスの映像と音声がうんざりする ほど繰り返されていたが、ほとんど嘘だった。歪曲され、誇張され、偽られ、在りもしない過去が捏造されていた。 デッドストックが人造妖精に執着を抱く理由はかつて手込めにしようとした人造妖精が腐って死んでしまったから、 プレタポルテがデッドストックに逆らいもせずに懐いているのは薬物を服用させているから、プライスレスが二人の 後を付いて回るのは生き別れの妹の生殺与奪をデッドストックに握られているから、というものだそうだ。いずれも 馬鹿馬鹿しすぎて、笑い飛ばすことすら億劫になる。
 額に赤い印が付いた金属製の虫、ハニートラップに導かれるまま、デッドストックはプレタポルテを担いで色街の 中を歩き回っていた。クイーンビーの元に案内されるという名目ではあったが、実際にはデッドストックらは娼婦達 とその客の晒し者にされていた。娯楽には常に飢えているからだろう、皆、興味津々でこちらを注視してくる。一人 ずつメダマを抉って腐らせてやりたい衝動に駆られたが、無駄なことをすれば体力を消耗するので、デッドストック は四方八方から突き刺さってくる視線をやり過ごした。

「オスカーといったな」

 それが、あの少年の古い名前だとは今まで知らなかった。デッドストックが何気なく呟くと、ハニートラップはぎしり と関節を軋ませながら振り返り、複眼の端に黒い男と人造妖精を捉えた。

「そうだ。それがどうかしたのか」

「お前やジガバチもまた、娼婦が産んだ子なのか」

「私達は色々だ。クイーンビーの産んだメスバチから産まれた子もいれば、その子とダウナーが交わって産まれた子 もいれば、荒野を彷徨っていた女もいる。私は元々はヴィランだったが、色々あって色街に行き着いた」

「そうか」

「ぷりゅくゃ」

「問われたからには、答える義務が発生するな。私を含めたジガバチは、見ての通りクイーンビーの兵隊だが、この 金属製の外骨格を与えられる際の脳を少しばかりいじくられるんだ。ジガバチの神経を体に突っ込まれて脳みそ を繋げられ、力を得る代わりに過去の記憶のほとんどを失う。自我も希薄になる。私達は群体だからだ。私達 は電波を超越した通信手段……言ってしまえばテレパスだが、それを通じ合って自我を統一、融合して一元化して いるんだ。それで不便な目に遭ったこともあるが、利益の方が多い」

「お前は何なんだ」

「けりゅ?」

「一言で言えばリーダーだ。いかに優れた者達であろうと、統率されなければ意味がないからな」

「プライスレスの名前の由来は」

「こみゃ?」

「デッドストック、お前もどこかで耳にしたことはあるだろう。通信用語だ。アルファー、ブラボー、チャーリー、デルタ、 エコー……。つまり、記号であって意味はないんだ。あいつは、その年の十五番目に産まれた子だからだ」

「そうか」

「うぃ」

「ああ、そうなんだよ」

 そう答えたハニートラップは、歩調を早めた。娼館街を細い路地まで練り歩き、デッドストックとプレタポルテを散々 見世物にするという用事が済んだからだ。どこかの建物からは、甘ったるく耳障りな音楽が流れてくる。ドラッグが 多分に混じっている香が焚かれていて、その周辺では痩せ細った女達が苦しげな呻き声を上げている。女の体を 貪り尽くした男達が一塊になり、粗末な食事を掻き込んでいる。奇怪な獣が檻に閉じ込められていて暴れていて、 その中では女が無惨に食い散らかされている。その様子を眺める男達は、異常に興奮している。血と精液と胃液と 脳漿と、その他諸々の匂いが複雑に絡み合い、ねっとりと淀んでいた。
 下級娼婦の街を出て中級娼婦が収められている街に至ると、甘い匂いが一層濃くなった。着の身着のままで檻の 中に閉じ込められている下級娼婦達に比べると、身なりもよく、化粧が施されている中級娼婦達は、別の生き物の ようだった。中級娼婦のいる狭い建物の前には、用心棒のジガバチが一匹ずつ置かれていた。彼女達はリーダー であるハニートラップが通り掛かると、一様にひれ伏し、触角を下げてきた。中級娼婦達はそれなりの教養は女王 から与えられているのだろう、原色の赤や青で縁取られた目には知性が宿っていた。デッドストックとプレタポルテ を目で追い掛けはするが、それだけだった。皆、扇情的であるだけで機能性が皆無な透けた服を着ていた。
 そして最後に至ったのが、上級娼婦達が住まう楽園だった。地平線を白ませていた光源のほとんどが上級娼婦の 建物に集中していて、乱雑に配置されている高層建築の端々に付けられた照明がいやらしく輝いていた。上級娼婦 達の顔は外からでは拝めなかったが、高層建築の玄関前にヴィジョン受像機が一つずつ置かれていて、着飾った 上級娼婦が立体映像の中で悩ましいダンスを踊っていた。つまり、映像を見て品定めしろ、ということらしい。

「この電力はどうやって調達している」

 多方向から照明を浴びて薄い影を帯びたデッドストックが訝ると、ハニートラップは触角の片方を曲げた。

「私達が作っているわけじゃない。クイーンビーが見つけた電力源から、直接引っ張ってきているだけだ」

「イカヅチの電力ではないのか」

「けりゅ?」

「この街の土台は、元々はアッパーの街だったのさ」

 ハニートラップはその場に滞空すると、毒針が生えた腹部を前後に振る。

「何百年か前に、街ごと剥がれて地下世界に降ってきたそうだ。建物も機械も何もかも、一度にな。それ自体は特に 珍しくもなんともないんだが、この街の地面には電気が溢れていたんだ。それを直接使っているから、電気にだけは 不自由したことがないんだ。どういう理屈でそうなっているのかは誰にも解らんし、調べる気もない。そういうものと してそこにあるのだから、それでいいじゃないか」

「そうだな」

「うぃ」

 物事を深く考えるだけ、時間と体力と脳細胞の無駄遣いだ。それは、地下世界の全てに言えることである。時折、 天上世界の構造物は新陳代謝を行うように乖離しては落下してくる。前触れもなければ落下地点もランダムなの で、構造物に圧砕された街も人間も数知れないが、防ぎようがないし、アッパー達は地下世界がどうなろうと知った ことではないようなので収まる気配もない。地下世界で生きるには、許容し、甘受し、馴染んでいくしかない。
 八角形の構造物を組み合わせて螺旋状に組み、造り上げられた、クイーンビーの牙城であるビルは目の前だ。 デッドストックはショルダーバッグを担ぎ直すと、歩き疲れて少しぐずっているプレタポルテの鎖を引っ張り、ビルの 入り口が開くのを待った。ハニートラップは光る板に爪先を添えて動く線に読み取らせた後、振り返った。
 女王の膝下へと至る道が、開いた。





 


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