ドラゴンは滅びない




戦端



 巨大な山が、夜空を遮っていた。
 ロザリアは開け放した窓から身を乗り出し、本島と大陸の間に悠然と浮かぶ山、ブリガドーンを見上げていた。
風が吹き付けてもその山から吹き下ろされることはなく、潮風は海の上だけを渡り、基地の中に吹き込んでいた。
それは、空間が歪んでいる証だとグレイスが言っていた。ロザリアにはよく解らないが、夫が言うなら間違いない。
 灰色の城から見えていたブリガドーンも巨大だったが、間近で見ると重圧を感じるほどの質量を誇っていた。
ブリガドーンから発せられる強大な魔力が辺りの空気に満ちているが、強い風が吹くたびに掻き混ぜられていた。
あれを、連合軍の艦隊と地上部隊が撃ち落とすのだと言う。そのために、高射砲を海岸沿いに据え付けていた。
数十基の高射砲がずらりと並んでいる様は壮観で、嗅ぎ慣れた火薬の匂いがたちこめているのも好きだった。
基地と併設している軍港には、黒い鯨のような軍艦がいくつも停泊させてあり、高射砲の姿を覆い隠していた。
高射砲だけでなく、海からも軍艦の対空砲を撃ち込むのだ。そうすれば、ブリガドーンの崩壊も格段に早まる。
 硬く鋭い緊張感が、基地全体に満ちていた。それがなんともいえない心地良さを生み、眠ることが惜しかった。
明日が訪れるのが、楽しみで仕方ない。拳銃による殺戮も好きだが、砲撃による破壊を見るのも好きだった。
敵からの反撃がなさそうなのがつまらないが、妥協するしかない。大規模な活劇を、見せてもらえるのだから。

「何、見てんだよ」

 ロザリアの背中に温かいものが覆い被さり、吐息が耳元を掠めた。ロザリアは夫を見上げ、微笑む。

「決まっているわ。明日、あなたが壊すものよ」

「ちゃーんと見ておけよ。完膚無きまでにぶっ壊して、暗い海底に沈めてやるんだからよ」

 グレイスはロザリアを抱き寄せると、彼女の艶やかな黒髪に頬を当てた。

「作戦の決行は夜明け前だ。基地島の両脇に隠してある艦隊も出撃させて、正面と左右から総攻撃を加える」

「あら、一方向が抜けているのね。大陸側には手を付けないつもりなの?」

「大陸側からだと、高射砲の射程距離に足りないんだよ。大陸側にも軍艦を回そうかとも思ったんだけど、それじゃ面白みに欠けるからやめたんだよ」

「どうして?」

「ちょっと、思うところがあってな」

「そうね、大陸側には、あなたの愛する剣士様がいらしているものね」

 ロザリアは体に回されたグレイスの腕に縋り、彼の胸に寄り掛かった。

「リリ・ヴァトラス殺害未遂は、いい挑発になったみたいね」

「ああ。リリがフリューゲルに攫われちまったのは、ちょっと計算外だったけどな。だけどまさか、ヴィクトリアも魔導兵器三人衆に攫われるとは思ってもみなかったぜ」

 グレイスは妻の肩越しに、ブリガドーンを仰ぎ見た。ロザリアは、夫に寄り掛かる。

「確か、軍人の息子も攫われたんだったわね」

「やっと面白くなってきやがったぜ」

 グレイスはロザリアの頬に唇を触れさせた。ロザリアは、くすぐったさで笑む。

「明日の戦いで、どれだけ人が死ぬのかしら。ああ、ぞくぞくするわ」

「なあ、ロザリア」

「なあに、グレイス」

 互いに名を呼び合った二人は、絡めていた指を固く繋ぎ合わせ、どちらからともなく顔を寄せて口付けた。

「この世で一番幸せなことって、何だと思う?」

 グレイスの穏やかな問いに、ロザリアは愛おしげに目を細めた。

「そんなの、決まっているわ。あなたの手で、殺してもらうことよ」

「そりゃあいい。オレも、お前が他の誰かに穢されるぐらいだったら、喜んでその命を頂くよ」

 グレイスはロザリアを離すと、向き直らせた。ロザリアは手を伸ばし、夫の頬に触れる。

「じゃあ、私からも聞くわ。あなたにとっての一番の幸せは、何?」

「お前を抱いて死ぬことだ」

「そうね。でも、もっと幸せなことがあるんじゃなくて?」

 ロザリアは、うっすらと頬を紅潮させた。グレイスは、柔らかく笑む。

「ああ、あるねぇ。お前とオレとヴィクトリアで、毎日楽しく過ごすことだな」

「ええ」

 ロザリアは笑みを浮かべ、同意を示した。

「なあ、ロザリア」

 グレイスは妻を抱き寄せ、その耳元で囁いた。

「城に帰ったら、お前の料理を喰わせてくれよな。連合軍のメシには、もう飽き飽きしちまってよ」

「だったら、あの子と一緒に作ってあげるわ。でも、期待しないでね? きっと、ひどいことになるから」

 少し照れたように、ロザリアは囁き返した。グレイスは、にいっと口元を上向ける。

「上等だ。いくらだって喰ってやるよ」

 鉱石ランプから放たれている青白い光が、揺らいだ。二人は重なり合うと、そのまま影の中に倒れ込んだ。
二人の言葉が止むと、建物に吹き付けている潮風の泣き声や潮騒、兵士達の静かなざわめきが漂ってきた。
机に転がされている懐中時計の内側で歯車が軋み、針が動いて時を進める。夜明けも、次第に近付いている。
 夜が明ければ、戦いが始まる。そして、事も始まる。一度、歯車を噛み合わせてしまえば、後は動くだけだ。
動いてしまえば、もう誰にも止められなくなる。最後に訪れるものは終焉と、完膚無きまでの滅びだけしかない。
 さあ、滅んでしまえ。




 東の空が、淡く白んでいる。
 夜明けの訪れを示しており、日が昇る時も近い。絶え間なく押し寄せる潮風も、ほんの少し温くなっている。
眼下に広がる大地には未だに暗澹とした闇が立ち込め、朝日の恩恵を受けるのはもうしばらく後のようだった。
髪に似た形状の装甲が潮風になぶられ、先端が背部装甲の表面を擦るたびに、耳障りな金属音が聞こえた。
 両腕の砲は、既に熱い。体内に蓄積出来る魔力の限界まで満たしたため、人造魔力中枢が高ぶっている。
魂を納めている魔導鉱石も、今までになく熱している。あの男への殺意が心中に漲り、魂を炙っているからだ。
けれど、嬉しい気持ちもあった。戦闘になるとはいえ、また彼に会えると思うと心の一部は高揚してしまった。
我ながら矛盾しているとは思うが、そうなのだから仕方ない。だが、そんな甘い心は、戦う前に捨てなければ。
 ルージュは副砲の先に付いた大きな手を、軋むほど強く握り締めた。痛みこそ感じないが、決意は固まった。
生き物らしい思いを奥底へ押し込めて、大陸側の港を見下ろした。徐々に昇った朝日の一筋が、差し込んだ。
白い閃光に照らされた港には、数人の人影が立っていた。その中には、黒いマントを翻す青年の姿があった。
彼の銀色の瞳は、敵意に満ちている。ルージュは僅かに目を細めたが、すぐに表情を戻し、背後に振り向いた。

「準備はいいか」

「儂はいつでもええわい。そんで、あっちの方でごちゃごちゃやっとる連合軍には何もせんでええんか?」

 ルージュの背後にいたラオフーは、金剛鉄槌で島側の海岸を示した。ルージュは、背後のブリガドーンを仰ぐ。

「あの人は、どうでもいいと言っていた。だから、余計なことはしない方がいい」

「オレ様は連合軍と遊びたい気もするけどなこの野郎! くけけけけけけけけけけけけっ!」

 フリューゲルは両腕を上下させ、ばさばさと羽ばたいた。ラオフーは鉄槌を上げ、フリューゲルに向ける。

「じゃが、連合軍と遊んどる間に、おぬしの大事なリリが奪い返されるやもしれんぞ?」

「えぇー! それはやだぞこの野郎! リリはオレ様のトモダチなんだ、絶対に返さないんだぞこの野郎!」

 途端にむくれたフリューゲルに、ルージュは問うた。

「お前、なぜそんなにあの子供が好きなんだ?」

「だって、リリは面白ぇんだぞこの野郎! それに、なんかいいのくれたしな!」

 フリューゲルは右手を挙げ、手首に巻かれたネッカチーフを振り回した。ラオフーは、金剛鉄槌を肩に担ぐ。

「なんとも単純じゃのう。おぬしは気楽でええわい」

「全くだ」

 ルージュは、再び二人に背を向けた。フリューゲルはネッカチーフを見つめていたが、首をかしげた。

「なあ、トモダチってなんだ? それってどういう意味なんだこの野郎?」

「私に聞くな。答える気はない」

「儂も、答えかねるのう」

 二人が実に素っ気なく返したので、フリューゲルは苛立った。

「なんだよてめぇら! いっつも偉そうなくせに、ちっとも役に立たねぇなこの野郎!」

「興味がないんじゃ、そんなモン」

 ああ下らん下らん、と漏らしながら、ラオフーはルージュの傍らまで歩み出た。

「さて、そろそろ行こうかのう。あちらさんも、儂らが来るのを待っちょるようじゃから、あまり待たすんは悪かろう」

「なあ、教えてくれよ! トモダチってなんだよ! それと、リリがいつも言うオトーサンとオカーサンってなんだよ!」

 答えが知りたくてたまらず、フリューゲルは空中へ飛び出した二人の背に問い掛け続けた。

「ニーチャンってなんだよ、オウチってなんだよ、ワルイコってなんだよ、イイコとワルイコって違うのか、なあ!」

 だが、二人は何一つ答えずに飛び出した。フリューゲルはますます苛立ちを募らせながらも、宙に躍り出た。
両腕を広げて体内の人造魔力中枢を稼動させて全身に魔力を行き渡らせ、魔導金属製の翼で風を掴んだ。
答えを返してもらえないもどかしさを抱えたまま、フリューゲルは目の前に迫ってくるどす黒い海面を睨んだ。
東側から差し込んでくる朝日が波を煌めかせ、一瞬目が眩みそうになったが、視覚を補正して光度を調節した。
海面に接するよりも前に魔力を高め、加速する。少し前を飛んでいた二人をすぐに追い越し、一番前に出た。
 目的地は、廃墟の港町だ。そこに何かしらの気配があることは昨日の夜から察していたが、様子を見ていた。
だが、あちらからの動きはなかった。こちらの出方を待っている。ならば、こちらから赴いた方が手っ取り早い。
連合軍の動きが不穏な今、事は早い方がいい。フリューゲルは海面すれすれまで高度を下げながら、飛んだ。
海水が両翼に当たって砕けるたびに水飛沫が散り、装甲を舐める。右手のネッカチーフが、風に揺さぶられる。
横目にネッカチーフを見たフリューゲルは、なんだか嬉しくなってしまい、内心でにやけた。トモダチの証だ。
トモダチの意味は、事が終わったらフィフィリアンヌから教えてもらおう。あの女なら、どんなことも知っている。
 港が、目前に迫ってくる。戦火で焼けて黒ずんだ倉庫街の前には、見覚えのある者達が並んで立っていた。
その中の一人、黒衣の礼装と黒のマントを羽織り、その下からコウモリに似た翼を生やした青年が歩み出た。

「まずは、ご挨拶をさせて頂きましょう」

 彼は胸に手を当てて頭を下げると、顔を上げ、右手を海へ振り翳した。

「母なる海よ、我が声を受け、その無限なる命を天空へ放ちたまえ!」

「退け、フリューゲル!」

 ルージュの声が飛んできたが、その声を聞き取った時にはもう遅かった。海面が、下から押し上げられている。
フリューゲルが停止した途端に、海面を突き破って大量の海水が吹き出し始め、強烈な水圧が全身を襲った。
それは、一本ではなかった。フリューゲルが海面から空まで吹き飛ばされた時には、二人も飛ばされていた。
高く舞い上がった三体の魔導兵器は上昇が終わると落下したが、海面に叩き付けられる寸前で姿勢を整えた。
三体に遅れて落ちてきた海水が、雨のように降り注ぐ。真水よりもべたつく水が装甲を伝い、視界を歪ませる。
ルージュは左手で目元を拭って海水を払い飛ばしてから、魔法の主を睨んだ。ブラッドは、強気に笑っていた。

「これで目が覚めただろ? 寝ぼけたままじゃ、ろくな戦いが出来ねぇからな」

「こんの野郎!」

 ブラッドに掴み掛かろうとしたフリューゲルを、ラオフーが制した。

「まあ待たんか。挨拶をされただけじゃ。じゃが、そうならば、儂らも挨拶をせんといかんのう」

「挨拶か」

 ルージュは僅かに口元を曲げた。真っ直ぐに進んで港の上に降り立つと、他の二人もほぼ同時に降り立った。

「どうせ、お前達は死ぬ。だからこそ、最低限の礼儀は払うべきかもしれないな」

「それはてめぇらの方だろうが。だが、やりてぇってんなら付き合ってやるぜ」

 間隔を開けて横一列に並んだ男達の中心に立つ甲冑、ギルディオスはバスタードソードを抜いて掲げた。

「ヴァトラス小隊隊長、ギルディオス・ヴァトラス!」

「ルージュ・ヴァンピロッソ」

 ルージュは右腕の主砲を上げ、砲口をギルディオスらに向ける。

「東の地より来たりし王の中の王、獣の覇者、ラオフー!」

 ラオフーは金剛鉄槌を頭上に掲げて回し、ぶぅん、と空気を鈍く唸らせると、巨大な鉄槌を正面に突き出した。

「最強最悪最速の魔導兵器、フリューゲル様たぁオレ様のことだあ! くけけけけけけけけけっ!」

 フリューゲルは両翼を大きく広げ、高笑いを放つ。 

「ふん」

 ギルディオスは一笑してから、剣先を三人に突き出した。

「それじゃあ、とっとと始めようじゃねぇか。条件は忘れてねぇな?」

「当然じゃて。おぬしらが勝てば、子供らは返してやろう。儂らが勝てば、素直に禁書を渡してもらおう」

 ラオフーが言うと、一番左端に立っていたラミアンが四冊の本を片手に載せ、持ち上げてみせた。

「禁書はここにある。事を終えたら、お渡しいたそう」

「まあ、ええわい。どうせ、儂らが勝つんじゃからのう。せいぜい、潰されるがええ」

 ラオフーは鼻で笑った。ブラッドの背後に立っていたヴェイパーは、両の拳を握る。

「潰される前に、潰してやるさ!」

「それは楽しみだな」

 ルージュは、機械の体を得てから初めて笑った。どうせ、もう笑う機会などない。彼を殺し、殺されるのだから。
視界の隅に入っているブラッドの表情は、変わらない。ただの敵だと思っていてくれるのなら、その方が楽だ。
憎むべき男。鬱陶しい相手。敵対関係にある者。そして、生まれて初めての恋心を覚えた、半吸血鬼の青年。
 不思議と、心は落ち着いていた。激しく波打ったりささくれ立ってばかりいた魂も、とても穏やかに凪いでいる。
これから戦いを始める者の心境としてはおかしい気もするが、悪くはない。ルージュは、主砲に魔力を注いだ。
 全てを、終わらせるために。




 世界の異物を中心に据えた戦いは、遂に幕を開ける。
 来るべき時を待ち構えていた彼らは、それぞれに漲る力を解き放つ。
 勝利するのは誰か、そして、敗北するのは誰か。
 
 それを知るのは、戦女神のみなのである。







07 6/21