ドラゴンは滅びない




背信



 魔導兵器三人衆に与えられた仕事は、禁書の回収だった。
 しかし、しっくり来なかった。邪魔をする者は排除して構わない、と言われたが、戦闘をしても全く歯応えがない。
ラオフーは、連合軍基地から脱する際に専用兵器として開発された金剛鉄槌も奪い、それを戦闘で使っていた。
金剛鉄槌の破壊力は素晴らしく、魔力を込めれば込めるほど威力も上がるのだが、戦う相手がひどく呆気ない。
戦う相手は、連合軍の戦闘部隊、禁書を隠し持っている魔導師や反乱組織などが主だったが、どれも退屈だ。
爪もなければ牙もない者達は、金剛鉄槌で潰さなくとも爪先を引っ掛ければ簡単に腹が破れて血が噴き出した。
魔法や小銃などで反撃されることもあったが、分厚い装甲を持つ体となった今は、どんな攻撃も痒いだけだった。
 吸血鬼の女、ルージュはあまり表情を見せないので今一つ読めないが、鳥人、フリューゲルは楽しんでいた。
といっても、禁書を回収する作業ではなく、連合軍との派手な戦闘と殺戮を行うのが楽しくてたまらないようだった。
ルージュはそれなりに年齢が高いようだが、フリューゲルはまるで幼く、言動は分別のない子供そのものだった。
ラオフーは二人のどちらにも興味を抱かなかったので、話もしなかった。なので、二人と親しくなることもなかった。
 禁書の回収を始めて少しすると、魔導兵器三人衆の主であるフィフィリアンヌはほとんど姿を見せなくなった。
たまにふらりと現れることはあったが、三人に具体的な指示を出すこともなく、いつも古びた本を読み耽っていた。
だから、三人とも彼女と意志を疎通させることはなかったので、上下関係にあることを忘れるのはしばしばだった。
竜族に対する畏怖はある。しかし、フィフィリアンヌ本人への忠誠心はなかった。よって、部下意識は希薄だった。
 機会さえあれば、いつでも背こうと思っていた。


 その男と出会ったのは、いつもの戦闘の後だった。
 ラオフーは、連合軍と派手な戦闘を繰り広げた後に一息入れていた。魔導兵器といえど、疲労は感じるものだ。
金剛鉄槌で叩き潰した戦車に腰掛け、肩の力を抜いた。周囲には、金剛鉄槌で砕かれた人間が転がっていた。
腕や足が辛うじて残っている者もいたが、ほとんどは腹から吹き飛び、血生臭い臓物と骨の破片を散らしていた。
生前であれば辺りに立ち込めている生臭さで食欲を催していたのだろうが、この体では食欲など沸くはずもない。
それを少々残念に思いつつも、ラオフーはべっとりと血がこびり付いた金剛鉄槌を傍らに置き、胡座を掻いた。
 すると、聴覚が足音を聞き取った。ラオフーは素早く金剛鉄槌に手を伸ばすと、視線を動かして影を探した。
金剛鉄槌で叩かれて折れ曲がった戦車が突っ込んでいる森の奥で、ほんの僅かながらも雑草が揺れていた。
獣のそれとは明らかに違う、人の息吹もかすかに聞こえていた。ラオフーは面倒に思いながらも、腰を上げた。

「もう一仕事、あるっちゅうことか」

 ラオフーは乾き切っていない血が滴る金剛鉄槌で、草の揺れた部分を指した。

「どれ」

 金剛鉄槌を振り翳すべく腰を捻ると、長く伸びた雑草が割れ、小銃を構えた男が現れた。

「待て」

 男のきっぱりとした言葉に、ラオフーは捻っていた腰を戻した。

「なんじゃい。儂に用でもあるんか、おぬしは」

 男は構えていた小銃を下ろすとその場に屈み、何かを拾った。

「ラオフー、というのがあんたの名前か」

「おぬし、これでも読んだのか?」

 ラオフーは、左手で側頭部を小突いた。男は立ち上がり、首を横に振る。

「いや、違う。これだ」

 男は手を広げ、今し方拾った金属片を見せた。それは、ラオフーが金剛鉄槌で破壊した戦車の破片だった。

「ここから色々と読めた。あんたがどこから来て、何をしていて、何を考えているかってことも」

「ほう?」

 ラオフーが少し興味を示すと、男は端に赤黒い血がこびり付いた破片を握り締めた。

「あんたは、主に背きたいと思っているんじゃないのか」

「その主とは?」

「竜の女だ。オレも知っている輩だ」

「まあ、当たっとるが、だからなんなんじゃい」

「手を貸してほしい」

「不躾な。儂がおぬしに手を貸したところで、儂に何の利益があるっちゅうんじゃ?」

「あんたは、竜に勝ちたいと思っているんじゃないのか?」

 男の言葉に、ラオフーはさすがに動揺しそうになった。再び力を振るうようになり、戦闘の願望も蘇ってきていた。
この体ならば、今度こそ竜族に勝てるかもしれない。フィフィリアンヌの姿を見ながら、そう思ったことは少なくない。
言動から察するに、この男は接触感応能力者であると解ったが、あんな小さな破片でそこまで解るのだろうか。
しかし、これはハッタリではない。その証拠に、男の眼差しには迷いがなく、ラオフーを真っ直ぐに見据えていた。

「先程から、儂の過去を見てきたようなことを言うのう」

 ラオフーが返すと、男は金属片を掲げた。

「視たからさ」

「それで、おぬしのような者がどうやって儂と竜を戦わせてくれるんじゃ? うん?」

 ラオフーは一歩踏み出し、金剛鉄槌を男へと突き出した。だが、男は眉一つ動かさない。

「戦い続ければ、いずれ戦えるようになる。保証する」

「竜っちゅうても、生き残っちょるのは二人しかおらんはずじゃが? そのどちらと戦わせてくれるんじゃな?」

「竜の女だ。あれは、東竜都を滅ぼした竜の姉だ。その様子だと、知らないようだな」

 男が口にしたひどく懐かしい地名と思い掛けない事実に、ラオフーの動揺は一気に跳ね上がった。

「…なんと」

 東竜都。ラオフーが死した場所であり、縄張り争いで敗北した場所であり、親しくしてくれた女が殺された場所だ。
あれからかなりの年月が過ぎ去った今でも、東竜都には思うところがある。リーザを思い出すと、感傷的にもなる。
ラオフーは、平静が崩れそうだった。この男の言うことが事実ならば、これまで許し難い者に従っていたことになる。
ラオフーの動揺が落ち着くまで、男は黙っていた。ラオフーは金剛鉄槌を握り締める手に、無意識に力を込めた。

「そうじゃとしたら、相手に不足はないのう」

 戦意以外の感情も含めた言葉を、ラオフーは漏らした。男は、先程連合軍が通ってきた道の先を指す。

「異能部隊の隊員を、殺してほしい」

「イノウブタイ、とな?」

「その名の通り、異能者が寄せ集まった部隊だ」

「おぬしもその異能者じゃろうに。妙な力を持っちょるではないか」

「異能者だからといって、異能者が好きだとは限らない」

「まあ、それもそうじゃな」

 あまり深く聞くのは面倒だと思い、ラオフーは受け流した。

「つまり、儂はおぬしの仲間を殺していけばええっちゅうことじゃな? じゃが、それだけでなぜ儂が竜の女と戦えることになる? やろうと思えば、儂は一人でも竜の女を襲えるぞ?」

「だが、それだけでは勝てない。違うか?」

「儂の力を見もせんうちに何を言うか。なんじゃったら、今からおぬしの頭を吹っ飛ばしてもええんじゃが」

「竜の女を弱らせるためにも、オレの仲間を殺してくれ。そうすれば、確実に首を奪える」

「弱った者を嬲っても、面白うないわい」

 ラオフーは言い返したが、実際は心が揺さぶられていた。信ずるに値しない甘言だと思おうにも、欲望が膨らむ。
消化不良の戦いが、何度となく続いていた。心おきなく戦える強靱かつ強力な敵が欲しいと、常日頃思っていた。

「だったら、言い方を変えよう」

 男は少し間を置いてから、返した。

「竜の女を倒すためには、外堀から埋めなければならない。そのためにも、オレの仲間を殺してくれ」

「うん?」

「竜の女は外面こそ冷徹だが、中身は案外脆いんだ。竜の女の最大の理解者であり友人である、オレの元上官を弱らせれば、いずれそれが竜の女にも届く。一人で踏ん張っているような顔をしているが、実際は周囲に支えてもらっているからな。その中でも最も太いのが、オレの元上官、ギルディオス・ヴァトラスだ。少佐さえ崩せば、後は楽に進むだろう。だが、少佐の足元も充分に頑強だ。そこを崩すためにも、元部下である異能者達を殺してくれ。少佐は部下を子供も同然に思っていたから、それが皆死んだとなれば弱るだろう」

「面倒な話し方をするのう」

 ラオフーはその回りくどさが鼻に付いたが、そこまでして自分を担ぎたいのかと思うと、なんだか可笑しくなった。
男は口調こそ平静だが、かなり必死だ。ラオフーを自分の世界へと引き摺り込み、利用したくてたまらないのだ。
他者を利用して仲間を殺そうとする腹積もりは気に食わないが、獣の王に怯まない心意気だけは少し気に入った。

「おぬし、名は」

 ラオフーが問うと、男はかすかに口元を緩めて安堵の色を浮かばせた。

「アンソニー・モーガン」

「異能者共がどんなモンかは解らんが、竜を倒すまでの肩慣らしにはなりそうじゃからのう」

 ラオフーは金剛鉄槌を下げ、呵々と笑った。

「儂の名はラオフー、獣の王よ」

「心得た」

 アンソニーは、緊張を抜くようにゆっくりと息を吐いた。

「じゃが、一度に殺してしもうては面白味に欠ける。おぬしも、何か注文があれば先に言うてくれ。全部叩き潰した後にごちゃごちゃぬかされるのは、面倒じゃからのう」

 ラオフーが言うと、アンソニーは唇の端を歪めた。形こそ笑みに似ているが、温度のない表情だった。

「ならば、申し上げよう。これから先、オレ達は連合軍と何度となく交戦するはずだ。その戦闘の中で部隊とはぐれてしまったり、負傷して取り残された者がいたら、まずそういった者から殺してくれ。隊長であるダニエル・ファイガーや他の異能者に気付かれたら、全てはお終いだ。だから、気付かれないように動いてくれ。だが、一度には殺しすぎるな。一人二人と、確実に削っていってくれ」

「殺してほしい、っちゅうわりには慎重じゃな」

「焦ったところでいいことはない。慎重に進めれば、それだけ確実に事は運ぶ。それに、人間と言えども異能者だ。真正面から襲い掛かったとしても、一斉に反撃されてしまったら、さしもの魔導兵器でも不利になる可能性がある。不安要素は確実に潰した方がいい」

「なかなかええ判断じゃ」

 ラオフーはアンソニーに背を向けると、金剛鉄槌を肩に担いだ。

「して、なぜおぬしは異能者をそこまで嫌うのじゃ。おぬしも異能者ならば、同族も同然じゃろうに」

「さっきも言ったはずだ。同じだからと言って、好きだとは限らない」

 アンソニーもラオフーに背を向けると、森の奥へと歩き出した。ラオフーは、彼の背を一瞥する。

「気難しい奴よのう」

「ええ、全くでごぜぇやす」

 誰に向けるでもなく呟いた言葉に答えが返ってきたので、ラオフーはやや驚きながらも、その声の主を探した。
いつのまにか、白い毛並みのネコが足元に座っていた。だが、一目見て、そのネコが普通ではないと解った。
しなやかに揺れている長い尾は、二本もあったからだ。魔物の類らしい。白ネコは、澄んだ青い瞳を瞬かせた。

「お初にお目に掛かりやす、虎の御隠居。あっしは、シライシ・ヴィンセント・マタキチと申しやす」

「おぬし、あれの知り合いか?」

 ラオフーがアンソニーが立ち去った方向を指すと、へえ、とヴィンセントと名乗る白ネコは目を細めた。

「まあ、そんなところでごぜぇやす。あっしの仕事は、虎の御隠居やあの旦那に情報を運ぶことなんでやんす」

「隠密のようなモンか」

「物解りが早ぇお人は好きでやんす。説明する手間が省けやすからねぇ」

 ヴィンセントはにたりと笑いながら、ラオフーの太い足に毛並みを擦り寄せた。

「虎の御隠居があっしらにその大きなお手を貸して下さるんでしたら、百人力でさぁ。あの旦那も使い勝手はええんですが、戦力としては物足りねぇんでやんすよ。これで、事が進むのが早まりやすぜ」

「ちゅうことは、おぬしとあの男を繋げちょる者がおるんじゃな?」

「へえ。接触感応の旦那をこっちへ引き入れたのはあっしですが、その注文をなさったのはあの御方でしてねぇ」

 ヴィンセントはラオフーの足元でするりと回っていたが、満足したらしく、離れた。

「いずれ、お会いになることでしょうや。きっと、気が合いやすぜ」

 それでは、とヴィンセントは深々と頭を下げると、足音を立てずに駆け出して草むらの中に飛び込んでしまった。
だが、草を掻き分ける音は聞こえず、気配も消えた。どうやら、魔法か何かを用いて姿を消してしまったようだ。
 ヴィンセントなるネコの口振りから察するに、ラオフーはアンソニーだけでなく、ネコの主にも担がれたらしかった。
多少なりとも腹は立ったが、この話に乗ったのは紛れもなく自分だ。だから、いちいち腹を立てていても仕方ない。
異能者との戦いはそれほど興味がそそらないが、その先に待っているフィフィリアンヌとの戦いは心が浮き立った。
戦う時は、あの女も竜へと戻るのだろう。巨大な竜をこの手で叩き潰せるかと思うと、ぞくぞくしてたまらなかった。
 それだけでも、裏切った価値はある。死した魂に体を与え、この世に引き戻してくれた相手だが、恩は感じない。
必要最低限の流儀は通すが、それ以上のことはしない。忠誠心も恩も感じない相手に、尽くす理由はないからだ。
だから、躊躇いも感じない。ラオフーは地面を踏み切って、足の裏から炎を噴射して加速しながら上空を目指した。
 西の空の果てには、ブリガドーンが浮いていた。





 


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