ドラゴンは滅びない




背信



 最初の頃は、とても順調だった。
 アンソニーの所属する異能部隊は、彼の言葉通り頻繁に連合軍と衝突し、戦闘を繰り広げて消耗していった。
あまりにも頻繁に起きるので作為的なものを感じていたが、案の定、アンソニーが皆を誘導していたらしかった。
他の者になぜばれないのか、とラオフーがアンソニーに尋ねると、やり方さえ解れば誤魔化せる、と言われた。
恐らく、魔法か何かを用いていたのだろう。接触感応能力者という立場を存分に利用し、彼は仲間を陥れ続けた。
 だが、ある日の戦闘で、ラオフーは一人だけ即死させることが出来なかった。相手は、精神感応能力者だった。
連合軍の仕業に見せかけるために、連合軍の荷物から拾った軍用サーベルを投げて、兵士を貫くはずだった。
だが、相手に思考を読み取られてしまったらしく、ラオフーが投擲した軍用サーベルは簡単に避けられてしまった。
仕方なく、再び軍用サーベルを拾って兵士の胸を貫いたが、兵士は目を見開いてこちらを見据えたまま昏倒した。
出血量もひどく、放っておいても死ぬだろうと判断したラオフーは、見つからないために足早にその場を去った。
 この日は、ラオフーも急いていた。フィフィリアンヌに怪しまれないように異能者を殺すのは、割と大変だった。
禁書を回収する仕事もしなければならないし、その合間にルージュとフリューゲルと顔を合わせなければならない。
元々単独行動が多かったラオフーは、長時間一人で動いていても怪しまれなかったが、それでも限度はあった。
疑念を抱かれないように、用事がなくてもブリガドーンや空間移動式の魔導球体へと帰り、二人と言葉を交わした。
しかし、楽しいとも思っていた。異能者達の暗殺は、連合軍や魔導師を粉砕するのとは違った楽しさがあった。
竜の女と戦うための下準備として引き受けた暗殺だったが、いつしか殺すこと自体を楽しめるようになっていた。
 狩りに似ていた。足音を殺して息を潜めて獲物の背後に忍び寄り、爪で皮を切り裂き、牙で喉笛を貫くのだ。
今は、背後に忍び寄っている最中なのだ。竜の女がこちらの思惑に気付いて振り返った頃には、既に手遅れだ。
あの女の首を噛み砕き、翼を踏み躙り、ツノを折る光景を何度となく夢見た。勝利に猛る自分の姿も、夢想した。
戦いに対する快楽が蘇ると、同時に慢心も膨れ上がってきた。ウェイランに敗北した時と、まるで変わらなかった。
あの過ちを繰り返してはいけないと自制心を張るも、久しく味わっていなかった緊迫感と高揚感が酔いを誘った。
いつしかラオフーは、その酔いに身を任せていた。魔導兵器と化したことで生まれた新たな慢心が、心を緩めた。
 死して尚も、弱い部分は変わっていなかった。


 一年四ヶ月前。その日も、ラオフーは暗殺を行っていた。
 異能部隊の進軍を阻まぬように程良い距離を保ちながらも、ぴったりと貼り付いて見失わぬように進んでいた。
今回殺したのは、先発部隊の数人だった。アンソニーの偽情報に踊らされていた兵士達は、実に簡単に死んだ。
最初の頃こそ異能者達の能力に戸惑ったものの、慣れてしまえばどうということもなく、あしらえるようになった。
この頃になると、異能部隊の人数もかなり減っていた。ラオフーが殺し続けたおかげで、半分以下になっていた。
異能部隊は、ラオフーとアンソニーに負けたと言っても過言ではない。外と内から攻められては、一溜まりもない。
連合軍との戦いを凌いでいるのが不思議なぐらいだった。このまま行けば、全滅させられるのは時間の問題だ。
だが、事を急くなとアンソニーとヴィンセントの主からも言われていたので、ラオフーは緊張感を持って行動した。
 先発部隊を殺した後、ラオフーは即座に身を隠した。肉眼では目視出来ない距離まで下がり、気配を殺した。
異能部隊が通り過ぎた後でなければ、離脱するのは危険だ。ラオフーは、死体の散らばる獣道を見つめていた。
しばらく待っていると、そこへ異能部隊が進んできた。彼らは仲間の死体を見つけると、揃って落胆し、嘆いた。
いつものように、ダニエルは念動力で地面を掘り返して仲間の死体を埋めると、野営するためにまた前進した。
ラオフーは、その光景をじっと眺めていた。アンソニーはこちらに視線を向けることもなく、ひたすら前進していた。
もうしばらくしたらここから脱しよう、とラオフーが思っていると、異能部隊の隊員の一人がこちらに目を向けた。
 目が合った。視線の主は唯一の女性隊員であるフローレンスで、青い瞳を見開いてラオフーを凝視していた。
ラオフーが身動ぐと、フローレンスの眼差しは強張った。間違いなく、彼女はラオフーの存在に気付いている。

「母さん?」

 母親の異変に、息子のロイズが不思議そうな顔をした。

「ん、なんでもない」

 フローレンスは身を屈め、幼い息子と視線を合わせた。

「さっさと歩いて、今日の野営地を探さないとね。明日も一杯歩かなきゃならないんだから、しっかり休まないと」

「うん」

 ロイズは疑問を残していたようだったが、早く休みたいらしく、少し先を歩く巨体の魔導兵器の背を追いかけた。
隊列の一番最後になったフローレンスは、背負っている小銃を担ぎ直すと、長い髪を隠した帽子の鍔を上げた。
一見して女と解らないように大きな胸は布で潰し、武装も他の兵士と全く同じ重武装だが、体型は隠せていない。
フローレンスは迷いのない視線で、再びラオフーを見据えてきた。ラオフーは金剛鉄槌を取り、下がろうとした。

  そこのあんた。

 ラオフーの頭の中に、フローレンスの声が響いた。思念だった。

  ちょっと、あたしと付き合ってくれない? 話しておきたいことがあるんだけど。

  おぬし、子がおるじゃろうに。とんだ姦婦じゃな。

 ラオフーが思念で返すと、フローレンスの思念には笑みが含まれた。

  お生憎様。あたしは獣と通じるほど悪趣味じゃないわ。まあ、そのごっつい体にはそそられるけど?

  機械を愛しちょるんか。それはそれで悪趣味だと思うがのう。

  あたしはそうは思わないけどね。それで、あんたはあたしと話をしてくれるの、してくれないの?

  良かろう。じゃが、どうなろうとも知らんぞ。

 ラオフーが目を細めると、フローレンスは歩き出して仲間達に続いた。

  愚問よ。

 フローレンスの姿が見えなくなってから、ラオフーも歩き出した。草木を踏み分けて進んでいると、思念が入った。
それは、異能部隊が進んでいった先と思しき光景だった。だだっ広い平原に太い道が通る、見通しの利く場所だ。
この場所へ来い、ということなのだろう。罠か、と思ったが、それならそれで力任せに粉砕してしまえばいいことだ。
アンソニーが何も言ってこないことが少し気になったが、アンソニーならばこの事実に気付いていないはずがない。
いつものようにラオフーに丸投げするつもりなら、応じるまでだ。ラオフーの仕事は、異能者を殺すことなのだから。
 女であっても、やることは同じだ。


 日が暮れてから、女は現れた。
 ラオフーはフローレンスに指示された通りの場所で、金剛鉄槌に腰掛けて待っていた。辺りは、既に薄暗かった。
ぎらぎらする西日は眩しかったが、影は厚みを増していた。東の空は藍色に変わり、程なくして夜が訪れるだろう。
小さな街の廃墟から、フローレンスはやってきた。魔導兵器も仲間も伴わずに、一人きりで大股に歩いていた。
歩いてくる途中で、長い髪を隠していた帽子を外した。豊かな金髪が肩と背に零れ落ち、夕日を浴びて煌めいた。
腰には拳銃とナイフを提げているが、ラオフーに通じる武器ではないと解っているのだろう、手にする気配はない。
どうやら、本当に話に来たようだ。ラオフーは腰を上げると金剛鉄槌を肩に担いで、フローレンスを待ち受けた。

「来おったか」

「ごきげんよう、鋼鉄の猛虎さん」

 フローレンスは口調こそ親しげだったが、顔付きは険しかった。

「単刀直入に言うわ。あんたが、あたし達の仲間を殺していたのね?」

「どこで気付いたんじゃ?」

 フローレンスの強気な態度が気に入ったラオフーは、はぐらかさずに返した。彼女は、顔をしかめる。

「半年くらい前に、ゲイリーとハンスが戦闘中に殺されたわ。その時はあたしも戦死だって思っていたし、連合軍の武器が転がっていたから素直に信じそうになった。連合軍の部隊を全滅させてから、あたしがポールと一緒に駆け付けた時には、ゲイリーは意識はなかったけど息は残っていた。それからすぐに彼は死んじゃったけど、その前にゲイリーはあたしに思念で伝えてくれたわ。馬鹿でかい鉄槌を担いだ魔導兵器が、連合軍のサーベルでハンスの胸を貫く光景をね」

「だから、なんだと言うんじゃ? 儂を殺そうっちゅうんか、うん?」

「出来るものならそうしてやりたいけど、あたしの力は実戦向きじゃないからね」

 フローレンスは、ふと、ラオフーから視線を外した。その先を辿ると、西日を全身に浴びた人影が立っていた。

「アンソニー…」

 アンソニーはフローレンスの姿を見定めても動じた様子はなく、真っ直ぐに二人の元へ向かって歩いてきた。

「すまない、フローレンス」

 アンソニーはホルスターから拳銃を抜くと、慣れた動作でフローレンスの額に銃口を定めた。

「ダニーでも、もう少しは丁寧だと思うけど?」

 フローレンスはアンソニーの銃口を睨んでいたが、口元を歪めた。アンソニーが僅かに身動ぎ、眉根を曲げた。
思念を読まれたらしく、アンソニーはこめかみを押さえた。フローレンスは数歩後退ったが、ラオフーに阻まれた。

「そんな理由で、あんたは皆を殺させていたっての!? 無茶苦茶じゃない!」

「君にとってはそんな理由かもしれないが、オレにとっては大事なんだ」

 親指でハンマーを起こしたアンソニーは、フローレンスの肌に冷ややかな銃口を押し当てた。

「だから、死んでくれ」

「冗談じゃないわよ」

 フローレンスはアンソニーの拳銃を掴むと、力任せに押し戻した。

「じゃが、覚悟の上で来たんじゃろうが。今更、何を抜かす」

 ラオフーは金剛鉄槌を逆さにし、丸太のように太い柄の先でフローレンスの背を押した。手応えは、柔らかい。
少しでも力を込めれば、簡単に突き破れそうな脆さだった。だが、フローレンスは怯えた様子は一切見せない。
それどころか、ラオフーすらも睨んできた。ラオフーは金剛鉄槌を押して彼女の背を抉りながら、笑みを零した。

「何も言うことがないんじゃったら、早々に殺してしまおうぞ」

「…あんたも充分イカれてんじゃないの。そんなことのために、人殺しを請け負うってわけ? 有り得ない!」

 金剛鉄槌越しにラオフーの思念を読み、フローレンスは声を震わせた。

「おぬしにはそうかもしれん。じゃが、儂らにとっては大事なんじゃよ」

 ラオフーは、アンソニーへ目線を送る。

「のう?」

「ああ」

 アンソニーはフローレンスの胸元へ銃口を向けると、引き金に指を掛けた。

「大事だから、ここまでやるんだ」

「どいつもこいつも…」

 フローレンスの声には、激しい怒りが漲っていた。彼女に思念で仲間を呼ばれては面倒だ、とラオフーは思った。
早々に処分しなければ、とラオフーは金剛鉄槌を振り上げるべく肩を回そうとしたが、なぜか肩が動かなかった。
アンソニーも目を見開き、銃口に掛けた指を凝視している。二人とは対照的に、フローレンスは深く息を吐いた。
フローレンスは二人の間から出ると、ぴんと指を弾いた。アンソニーの手が上がり、銃口がラオフーへと向いた。
同時にラオフーの手も下がり、金剛鉄槌の柄の先がアンソニーの額へと向けられ、二人は睨み合う恰好になった。

「何をした、フローレンス!」

 アンソニーが激昂すると、フローレンスはにいっと唇を広げた。

「あたしの力は精神感応だってこと、忘れないでよね。力加減さえ上手く出来れば、あんた達の体の自由なんて簡単に奪えるのよ。あたしがちょっと考えるだけで、あんた達は勝手に殺し合ってくれるしね」

 途端に、ラオフーの姿勢が傾いだ。金剛鉄槌の柄が振り下ろされたが、アンソニーの額のすれすれで止まった。

「ほらね」

 フローレンスは異能力を全開で使っているために、額に脂汗を滲ませていたが、それを袖で拭った。

「それじゃ、あんた達の目的と下らない理由を全部視せてもらいましょうか」

 フローレンスの右手が上がり、アンソニーの頭部を掴んだ。だが、アンソニーもやられてばかりではなかった。
三人を繋げるフローレンスの思念に、凄まじい衝撃を持った思念が駆け抜け、ラオフーは精神に衝撃を受けた。
肉体的な衝撃こそなかったが、強い目眩を感じて仰け反った。すると、体の自由が戻り、肩も動くようになった。
見ると、アンソニーの背後でフローレンスは頭を押さえていた。アンソニーは再び拳銃を上げ、彼女に定めた。

「見くびるな、フローレンス。オレの力も精神感応だ。それに、付き合いも長い。どこがお前の弱点かなんて、そんなものはとっくの昔に読んで知っている」

「ああ、そう」

 フローレンスは青ざめながらも、気丈に笑みを作っていた。

「だから、それがどうだって言うのよ。今ので全部解ったわ、あんたも騙されてるってことがね」

「何を言うかと思ったら、ただの虚言か。オレはオレの信念の元に行動している。それにオレは、お前の馬鹿な旦那のように簡単に騙されるほど単純に出来ていない」

 アンソニーが毒突くと、フローレンスはよろけながらも足元を踏み締め、背筋を伸ばした。

「ダニーはね、あたしらを戦いから解放したいだけなのよ! そのために戦ってんのよ、あの軍隊馬鹿は! ずっと逃げ回っているのだって、部隊の皆が落ち着ける場所を見つけるためで、ルーロン・ルーなんて見つけ出す気は更々ないわよ! あんなのはただの口実でしかないんだから! 本当は、ルーロン・ルーなんていう化石みたいな呪術師なんてどうでもいいし、連合軍を倒して共和国を平和にしようなんて思ってもいないし、戦いすぎたせいで体にも異能力もガタが来ているからそろそろ落ち着きたいって思っているし、あたしら家族だけじゃなくてあんた達にも人並みの幸せってやつを味わわせてやりたいなんてことも考えてんのよ! あんたがあたしらを騙していることなんて、とっくに知っていたわよ! あたしを舐めるんじゃないわよ、隠し事なんて出来るわけないでしょうが!」

「だったら、なぜ今までオレのことを殺さなかったんだ?」

 アンソニーの嘲笑混じりの言葉に、フローレンスは苦々しげに顔を歪めた。

「馬鹿なことに、あたしはあんたを信じようとしちゃったのよ。長い間一緒に行動していたから、あんたがあたし達を裏切ったって知ってもそれを信じられなかった。裏切られたんならさっさと切り捨てるべきなのに、迷うなんて、あたしも随分と焼きが回ったわ」

「全くだ」

 アンソニーの銃口が、彼女の汗ばんだ喉元を押さえた。フローレンスは再び力を出そうとしたが、激痛が走った。
魔力中枢そのものが裂けてしまいそうな衝撃が、精神を貫き、魂を痛めた。フローレンスは、たまらずに呻いた。

「あんた…何を!」

 胸を押さえて苦しむフローレンスを、アンソニーは冷たい眼差しで見下ろした。

「簡単な魔法だ。お前の力と出力をそのまま跳ね返して、魂を揺さぶっただけだ。何、大したことはない」

「あっ…や、やだ…ぁ…」

 フローレンスは両手で頭を抱えると、後退った。見開かれた目は焦点を失い、目元には涙が溜まっていた。

「あ、あ、ああぁ、あぁっ、いやぁ、壊れる、消えちゃうぅ…」

「おぬし、何をした」

 フローレンスのあまりの異変に、ラオフーは戸惑いながらアンソニーに尋ねると、彼は事も無げに答えた。

「さっき言った通りのことをしたんだ。だが、出力の調整が上手くいかなかったらしい。どうやら、魂と一緒に脳の方まで損傷させてしまったらしい」

「よくやるのう」

 ラオフーは皮肉を込めて呟いた。アンソニーのやり口は日頃からえげつないと思っていたが、これは凄まじい。
そこまで異能者を憎んでいるとは。ラオフーも竜族のことはそれなりに憎いが、ここまで突き抜けた憎悪はない。
この男は表情を作って取り繕うのが上手いらしく、あまり表情を見せないが、時折見せる素顔は悪意ばかりだ。

「そろそろ殺してくれ、ラオフー。あまり遅くなると、不審がられる」

 アンソニーは、ぼろぼろと涙を流しながら苦しんでいるフローレンスに背を向けた。

「ああああっ、いやあ、消えちゃう、消えないでええええ!」

 フローレンスは両手で頭を抱えたまま仰け反ると、喉を裂かんばかりに絶叫した。

「あたしの、かぞくがあ!」

 フローレンスが損傷を受けた部分は記憶を司る部分らしく、消えていく記憶を引き戻そうとしているようだった。
だが、いくら叫んでも損傷は少しも止まらず、それどころか魔法による浸食は深まり、抉られるように崩壊していく。
一時的にだがフローレンスと精神を繋げていたため、ラオフーにもその苦しみは僅かながら流れ込んできていた。
それだけでも、相当な苦痛だった。愛する男の笑顔、温かな愛情、我が子の姿が、次第に薄らいで消えていった。
アンソニーにも伝わっているはずだが、異能部隊の野営地へと戻っていくアンソニーの足は少しも緩まなかった。
ラオフーはその冷酷な姿におぞましさを覚えたが、心中に押し込めた。獣が人に臆されるなど、馬鹿馬鹿しい。

「ごめん、ごめん、ごめんね、ごめんね、ごめんねぇ…」

 記憶が崩れる恐怖で我を失ったフローレンスは、この場にいない者にしきりに謝っていた。

「ダニー、ロイズ、ヴェイパー…。ごめんね、ごめんね、ごめんね…」

「金剛鉄槌奥義」

 ラオフーはフローレンスの背後に歩み寄ると、金剛鉄槌を逆手に持って、その背に柄を振り下ろした。

一貫イーグァン!」

 手応えは軽かった。兵器を壊すよりも遥かに柔らかく、他の異能者を殺すよりも遥かに容易く、女の背を貫いた。
金剛鉄槌の太い柄がフローレンスの肩胛骨の間付近を破ると、背骨と肩胛骨と肋骨が砕ける鈍い音が聞こえた。
一瞬の後、金剛鉄槌の柄の先端はフローレンスの胸元から飛び出すと、押し出されるように鮮血が飛び散った。
心臓を破ったらしく、溢れ出る血の量は多かった。フローレンスの腹部から下は赤黒く濡れ、口元からも零れた。

「みんな、あいしてる」

 その言葉はフローレンスの声としてではなく、思念としてラオフーの魂を掠めたが、すぐに掻き消えてしまった。
それを最後に、フローレンスは事切れた。口中に溜まった血を零しながら、自重で金剛鉄槌の柄から滑り抜けた。
力なく地面に倒れ込んだフローレンスは、両手両足を投げ出し、目元に涙の残る目は見開かれていたままだった。
ラオフーは真新しい血に濡れた金剛鉄槌を振り、払い落とそうとしたが、粘り気があるのであまり落ちなかった。
錆び付かせないために、後で入念に洗うしかない。ラオフーはフローレンスの死体に背を向けると、歩き出した。
 これも全て、竜と拳を交えるためだ。



 ロイズは、咆えていた。
 裏切られていた。それも、同じ異能部隊隊員であるアンソニーに。しかもアンソニーは、母親を嵌めて殺させた。
途中から、ラオフーの話が聞こえなくなった。どうしようもないほどの怒りを堪えきれずに、声に出していたからだ。
まだ力の入らない拳を振り上げて、地面を何度も殴った。手の皮が切れて血が流れ出しても、止められなかった。

「我が本懐は、叶わぬままに終わるか…」

 それもまた一興、とラオフーは笑みを零したが、その声は今にも消え入りそうなほど弱かった。

「もう、逝く時のようじゃな」

 ラオフーは寂しげでもあったが、満足げでもあった。

「おぬしらとの戦い、ちぃとは楽しかったぞ」

 その言葉の後に、紫の魔導鉱石に更なるヒビが走った。氷を砕く時の音によく似た軋みがし、石のヒビを広げる。
みしみしと亀裂と亀裂が擦れ合うと、魔力の活性を失って劣化した魔導鉱石が一層脆くなり、光も失われていった。
ぎりっ、と鈍い摩擦音を立てて、ラオフーの首が傾いた。尖った耳の生えた頭が横に向き、マスクが土に触れた。
 かなり光の弱まっていた瞳から赤が失せていき、両の目が空虚な闇になると、遂に紫の魔導鉱石が砕け散った。
思いの外軽い破裂音と同時に、紫の破片が宙に舞う。大振りな破片も、地面に突き刺さった瞬間に粉々になる。
地面を鷲掴みしていた大きな手からも力が抜け、ずるりと土を削りながら太い指が広がり、とうとう動かなくなった。
 ラオフーが死んだ。ロイズはその事実に気付いていたが、顔を上げることも出来ずにひたすら泣き喚いていた。
誰かの足音が駆けてきたが、顔も上げられなかった。すると、ロイズの体が持ち上げられ、強い声が掛けられた。

「ロイ、ヴェイパー、何があった!」

 冷たくも大きな銀色の手が、ロイズを抱き起こしていた。ロイズは口を開いたが、強烈な嘔吐感が迫り上がった。
そのまま、吐き戻してしまった。極度の疲労と激しい絶望感、そして母親の最期の姿が、壮絶すぎたからだった。
ロイズが咳き込むと、背をさすられた。その手の主がギルディオスだと気付いていたが、顔を上げられなかった。

「お前ら、ラオフーと戦ったのか?」

 ギルディオスの問いに答えたのは、ロイズではなくヴェイパーだった。

「すみません、少佐。ロイズを、止められなくて」

 両腕と右足を破損しているものの、ヴェイパーの声は確かだった。ギルディオスは、ロイズの背を軽く叩いた。

「そうか。だが、生きていりゃなんだっていい。ロイ、出すだけ出しちまえ。余程のことがあったんだな」

「う、ぐぇ」

 ロイズはギルディオスに縋りながら吐こうとしたが、残っていたのは胃液だけだった。

「あいつが、かあさんを」

 ロイズは嘔吐の息苦しさと憎しみから溢れた涙をぼたぼたと落としながら、上擦った声で喚いた。

「よくもみんなをうらぎったなあ! あいつさえいなければ、かあさんはしななかった! とうさんだって、きっと!」

「裏切ったって、誰がだよ」

 ギルディオスがぎょっとすると、ロイズは爪を剥がす勢いでギルディオスの腕に爪を立てた。

「あいつだ! アンソニーだあ! あいつが、みんなをころしやがったんだあああ!」

 ギルディオスが反射的にヴェイパーへ振り返ると、ヴェイパーは地面に押し当てていた顔を上げた。

「本当です、少佐。ラオフーは死ぬ前に、僕とロイズに僕達に話したんです。ラオフーがフローレンスを殺した経緯と、僕達の仲間を殺していた理由と真相を。アンソニーはラオフーと手を組んでいたんです。偽情報でダニーや皆を都合良く操って、連合軍の仕業に見せ掛けながら、異能部隊の皆を殺していたんです。そのことに気付いて二人を倒そうとしたから、フローレンスは殺されたんです。体さえ動けば、すぐにあいつを叩き潰すのに…」

「なんだと…?」

 ギルディオスは戦慄し、ロイズを抱き締める腕が震えた。アンソニー・モーガンは、信頼出来る仲間のはずだ。
ギルディオスが異能部隊の隊長であった頃からの兵士で、冷淡な性格ではあるが、任務に忠実な兵士だった。
そのアンソニーが異能部隊を裏切り、ラオフーと共謀して仲間達を殺したというのか。すぐには信じられない話だ。
だが、二人の口調には嘘はない。ラオフーが嘘を吐いたにしても、死に間際に嘘を吐ける者などいないだろう。
となれば、信じる他はなかった。出来ることなら信じたくないと頭も心も拒絶していたが、信じなければならない。
 絶望と恐怖から少しでも逃れるために、ロイズは泣き叫んだ。だが、頭に流し込まれた光景は消えなかった。
今までアンソニーに対して抱いていた、年長者への敬意や仲間意識の延長のような好意が汚らわしいと思った。
接触感応能力者の彼に、触れられたことは何度もある。その部分や感触を思い出すと、また吐き気がしてきた。
母親に銃口を向けた手で、ラオフーの過去を暴いた手で、仲間を殺した手に触れられていたかと思うと寒くなる。
あの手は、素晴らしい手だと思っていた。見えないことを知ることの出来る、優れた能力の使い手だと信じていた。
だが、そうではなかった。父親を狂わせて死へと導き、母親を謀って殺し、仲間達を地獄へと送った手だったのだ。
 こんなにも、誰かを憎いと思ったことはない。あまりの憎悪に異能力が暴走しそうだったが、魔力が切れていた。
おかげで空間は少しも歪まなかったが、魔力が欠片でも残っていたら、アンソニーの元へと飛んでいっただろう。
そして、この手で殺すのだ。どれほどの苦しみと悲しみと悔しさと寂しさを味わったか、心身に叩き込んでやる。
だが、体は相変わらず動かなかった。己の吐瀉物の刺激臭と血臭が鼻を突き、また吐き気が込み上がってきた。
 味方こそが、敵だったのだ。




 勝利の果てに訪れたのは、残酷な事実だけだった。
 竜の女に背きし猛虎は、同胞を憎みし男と手を組み、絶望を造り出した。
 幼き戦士と鋼の兵士の気高き魂を、憎悪の闇で塗り潰した許し難い行為の名は。

 裏切りに、他ならないのである。







07 9/8