アルゼンタムは、戸惑っていた。 手を出してみると、刃物で出来た指先がくにゃりと曲がる。艶やかな銀色の刃に、同じく銀色の仮面が映っていた。 吊り上がった目元、その奧の魔導鉱石の瞳、狂気の笑みを浮かべる口元。長い間見ていなかった、己の顔だ。 体を動かすのは久々なのでその感覚に慣れず、意味もなく首を回したり手首を揺らしたり、足を振り回したりした。 壁に造り付けられた、豪奢で巨大な鏡の中には銀色の骸骨がいた。羽織っているマントも、当然ながら銀色だ。 その背後には、上機嫌な灰色の呪術師と、無表情な竜の少女、フラスコの中のスライム、大柄な甲冑がいた。 なぜ、今になってこの体を与えられるのか、解らなかった。眠りから目覚めたら、再び機械の体を得ていたのだ。 アルゼンタムは不可解な気分になり、ぐきっと首を曲げた。今更、この体を与えられても、嬉しくなどない。 「超ワッカンネェエエエエエ」 「何か不満か」 竜の少女、フィフィリアンヌが眉を吊り上げると、アルゼンタムはくきっと手首を曲げ、大きな手を振る。 「テェーイゥカー、超訳解ンネェエエエエエ! ナァーンデマタ、オイラァ元に戻すンダァーヨォーウ」 アルゼンタムは体を反転させ、ギルディオスの目の前にやってくると、甲冑を真下から睨み上げた。 「裏切りヤガッタァアーナァアアア、ギルディオスゥウウウウウ! オイラァ、この野郎から逃げるためにテメェの手ン中に入ったツゥノニヨォオオオ、そのテメェがグレイスの野郎にオイラを引き合わせるッツゥノハドゥーイウコッタァアアアアン!?」 アルゼンタムの鋭い指先が、へらへらと笑うグレイスを指した。ギルディオスは手を翳し、銀色の骸骨を制する。 「まぁ落ち着けよ、アルゼンタム。オレは別に、お前を裏切ったわけじゃねぇよ」 「裏切りも裏切りダァーロォガアアアアアア!」 アァアアアン、と首を捻りながらギルディオスに凄むアルゼンタムに、フィフィリアンヌは呟いた。 「ふむ、なかなか面白い機械人形だ。さすがは貴様の設計だ、グレイス」 「お褒めに預かり光栄でございます、会長どの」 わざとらしく、グレイスはフィフィリアンヌに頭を下げた。床に置かれたフラスコの中で、スライムが震える。 「はっはっはっはっはっはっは。うむ、我が輩もこういった輩は好きであるぞ、罵り甲斐がありそうなのでな!」 「超ムカつく超腹立つ超超超ウッゼェエエエエエエ!」 伯爵の低く響きのある笑い声を掻き消すかのように、アルゼンタムは上体を逸らして、苛立った声を放った。 ギルディオスは苛立ちを露わにするアルゼンタムから目を外し、グレイスの後方に立っているロザリアに向いた。 我が子を抱いているロザリアは、かなり面白くなさそうだ。ギルディオスの知る彼女は、これほど表情は出さない。 不機嫌そうな黒い瞳が見据える先には、竜の少女がいた。ギルディオスは二人を見比べ、ああ、と納得した。 恐らくロザリアは、フィフィリアンヌに妬いているのだ。彼女の表情は、腹立たしげでもあり情けなさそうだった。 当のグレイスは、やたらとフィフィリアンヌに絡んでいるのだが、その度にフィフィリアンヌに邪険にされている。 時折グレイスは妻を見るが、またフィフィリアンヌに戻した。その様子に、ギルディオスはげんなりとしてしまった。 こいつ、わざわざ妬かせて楽しんでやがる、とギルディオスは内心で毒づいたが、その気持ちは解らないでもない。 あからさまに嫉妬されるということは、それだけ愛されているということなので、男としては嬉しかったりする。 だが、煽り立ててさせるとなると、それは最早悪趣味でしかない。ギルディオスは、ロザリアに同情してしまった。 ロザリアはギルディオスの視線に気付くと、顔を背けた。手入れの行き届いた長い黒髪が、その横顔を隠した。 ギルディオスは、いきり立つアルゼンタムを弄ぶ伯爵の声を聞き流しながら、窓から見える旧王都を望んだ。 この時点では戦火を逃れている旧王都は、一見すると以前と変わらぬままのようだが、人の姿は格段に減った。 灰色の城に来るまでの間、フィリオラらに見つからない程度に旧王都を歩いてみたが、かなり閑散としていた。 過去に、何度も見た光景だ。戦いが近付いてくる様子は、生身の体であった頃から何度となく目にしてきた。 だが、今回は違っている。国全体の空気の重苦しさも、去った人々の数も、戦場で見た死体の数も段違いだ。 負けるな、とギルディオスは確信した。それでなくても、共和国軍は内部からの崩壊が進み続けていたのだ。 数十年前はそれほどでもなかった軍の権力が増大するに連れて、将軍を始めとした上位軍人は、道を外した。 力に溺れ、増長し、政府をも圧倒し始めた。いつしか、将軍は国を守ることではなく、制することを欲した。 今回の戦争も、そういった思想の元で始まった。隣国を支配せんがために、その経済に圧を掛け、こう言った。 共和国との取引を再開したくば領土を明け渡せ、さもなくば、そちらの国土は戦火に見舞われることだろう。 かつて、帝国もそんな取引を周辺の小国に行っていた時があった。使い古しのやり方だが、昔は通用した。 だが、時代は変わった。共和国による圧制を長年受け続けていた隣国は、溜め込んでいた鬱憤を爆発させた。 そして隣国は、同じように共和国に怒りを持った国の軍を掻き集めて連合軍を作り、共和国に攻め入ってきた。 相当に燻っていたのだろう、連合軍の勢いは止まるところを知らず、ほとんど休みなく行軍を続けている。 共和国軍に異能部隊がいたように、連合軍にも魔導師部隊がおり、彼らの魔法による戦績は相当なものだった。 彼らは、街ごと共和国軍勢を消したという話を、いくつも聞いた。もう、手段を選んでいる余裕などないのだ。 一呼吸遅れて、共和国軍、というより、特務部隊も同じようなことを始めたが、戦況をひっくり返せはしない。 反撃の間が悪すぎる、とギルディオスは感じた。軍が機能を果たしていれば、首都の襲撃など予測出来たはずだ。 なのに、軍がそれをまるで感知せずに首都を滅ぼされたのは異様だ。やはり、これも、彼の仕業なのだろう。 グレイスによれば、彼は将軍をも意のままに操るという。となれば間違いなく、この戦争も彼の所業なのだ。 ギルディオスは、魂が次第に過熱してくるのを感じた。魔導鉱石を填めた金属板まで、じりじりと熱してくる。 熱い怒りを鋼の体に染み渡らせていると、ふと、視線を感じた。フィフィリアンヌが、ギルディオスを見ていた。 「んだよ」 ギルディオスがそちらに向くと、フィフィリアンヌは切れ長の目を逸らした。 「ニワトリ頭。貴様は、今回の事に最後まで付き合えるのか?」 「付き合うっきゃねぇだろうが。今更、逃げ出したってどうにかなるはずもねぇんだから」 ギルディオスはがしゃりと肩を竦め、両手を上向けた。フィフィリアンヌは、目を伏せる。 「そうだな」 アルゼンタムは、ぎち、と首を動かした。俯いている竜の少女に視点を据えた途端、身動ぎ、関節が固まった。 まただ。また、この感覚が起きる。だが、なぜ。疑問ばかりを巡らせながら、フィフィリアンヌをじっと見ていた。 伯爵はフラスコの内側から、急に大人しくなった銀色の骸骨を見上げていたが、ごぼり、と気泡を吐き出した。 狂気の笑みを浮かべた仮面には、竜の少女が映り込んでいる。やはり、フィフィリアンヌの推察は正しいようだ。 彼の中身は、ラミアンに違いない。魂が疲弊して呪いが緩んだためか、フィフィリアンヌに対して反応している。 呪いが完全に解けるのが、楽しみになってきた。伯爵は事の成り行きを想像し、ごぼごぼと粘液を泡立たせた。 「さ、あ、てぇー」 グレイスがにやにやしながら歩み寄ってきたので、ギルディオスはすぐさま後退する。 「なっ、なんだよ」 「オレは、ちゃーんとお前らの言うことを聞いてやったぞー? 黒幕の野郎を裏切って、アルっちを元に戻す手伝いをしてやってんだぞー?」 徐々に間を詰めてくるグレイスに、ギルディオスはたまらずに顔を背ける。 「だから、なんだっつうんだよ! てめぇは報酬も何もいらねぇっつって、オレらの側に付いたんだろうが!」 「そりゃそうなんだがなー、愛しのギルディオス・ヴァトラスに久々に会ったんだ、一夜ぐらい共にしろよぅ。それぐらいの報酬、くれてもいいだろー?」 グレイスはギルディオスの兜を掴み、ぐいっと向き直らせた。 「誰がするかぁ!」 ギルディオスは、顔からグレイスの手を引っ剥がした。乱暴に振り解かれた手に、グレイスは眉を下げる。 「連れねぇなぁ、もう。ちょっとぐらい、いいじゃねぇかよぅ」 「ちょっとでも嫌なもんは嫌だ!」 ギルディオスは、がちり、と背中の鞘からバスタードソードを抜いた。グレイスの目の前に、切っ先を突き付ける。 「いいか、近付くなよ。近付いたら、本気で首刎ねてやっからな!」 「本気で殺す気なんてないくせにぃ」 グレイスが緩んだ口元を押さえると、ああもう、とギルディオスはヘルムを押さえて盛大にため息を吐いた。 どうしてこうも、この男はいつも同じことを言うのだろう。昔ほど積極的ではないが、鬱陶しさに変わりはない。 未だに、なぜグレイスがここまで自分に執着するのか解らない。こんな甲冑の、どこに恋い焦がれるというのだ。 ヘルムから手を離すと、ギルディオスはもう一度ため息を零した。バスタードソードを、背中の鞘に収める。 「あーうざってぇ…」 ギルディオスはグレイスから距離を開けると、フィフィリアンヌに顔を向けた。 「フィル、オレはちょいと行ってくるわ。ヴェイパーに命令してくる」 「抜かるなよ。貴様のことだから心配はせんが、貴様がしくじったら元も子もないのだからな」 フィフィリアンヌの言葉に、へいへい、とギルディオスは生返事をした。 「ああ、せいぜい頑張ってくるよ」 「行ってらっしゃいませー、剣士さんー」 居間から出ていったギルディオスに、レベッカは深々と頭を下げた。その動きに合わせ、バネ状の髪が上下した。 甲冑の足音が廊下を遠ざかっていくと、グレイスは少し残念そうにしていたが、アルゼンタムに向き直った。 「んじゃ、アルっち。あんたにも命令だ」 「ケッ! オイラァ、もうテメェの命令なんざ聞く義理ァネェー。オイラァ、自由になるんだからナァアアアアア!」 アルゼンタムは姿勢を低くすると片手を前に突き出し、しゃりん、と鋭い指先を擦り合わせた。 「ドォーシィテモーッツゥンナァーラァー、テメェの魔力をもらおうジャネェカァー、グゥレイスゥウウウウウッ!」 「そう言うなよ、アルっち。オレらの命令聞いてくれたら、いいものやるぞ」 にんまりとしたグレイスに、アルゼンタムは訝しんだ。 「ショーモネェモンだったら承知シィーネェゾォーウウウウウウ?」 「アルゼンタムよ。貴君が我が輩達の命を聞き入れるならば、貴君が望む報酬を与えるのである」 伯爵は触手を伸ばし、フラスコの中から銀色の骸骨を指す。アァアアアン、とアルゼンタムはスライムを睨む。 「ソォーレジャア何カァー、テメェらはオイラに欲しいモノをくれるッツゥノカァアアアアア?」 「そうだ」 フィフィリアンヌはアルゼンタムの前にやってくると、小さな手を差し出した。 「貴様が私達の命令を聞きさえすれば、どんなものでも与えてやろうと言っておるのだ」 「ソリャー、マジなのカァーヨォーウ…」 アルゼンタムは僅かに身動ぐと、白く小さな手のひらと、その向こうの美しくも無表情な竜の少女を見下ろした。 望むものを、得られる。だとしたら、欲しいものは一つだけだ。人形ではなく、束縛されずに自由に生きたい。 血への飢えは少し残っていたが、その方が遥かに強かった。魂のみとなってからは、不思議と本能は弱まった。 おかげで、大分思考も冷静になってくれている。なので、この状況がかなり異様であることは、理解していた。 グレイスとギルディオス、そしてフィフィリアンヌ。この三人が手を組むことほど、不自然で不可解なことはない。 ギルディオスは、グレイスの所業に最も怒りを示している。事実、彼はアルゼンタムの殺戮にかなり怒っていた。 そんな彼が、グレイスに手を貸してくれと頼むのは明らかに異様だ。だが現に、ギルディオスは灰色の城にいた。 フィフィリアンヌは魔導師協会会長という立場があり、悪事の固まりのグレイスと手を組むのは不利益のはずだ。 見るからに頭の冴えたフィフィリアンヌが、そんな危険を冒すだろうか。だがやはり、彼女も灰色の城に来ている。 グレイスは二人と関わることが好きなようだし、いつものように楽しげだが、その笑顔の裏には何かがあるはずだ。 それ自体もいつものことだが、今度ばかりは妙だ。アルゼンタムを組み上げ直すことからしても、不可解だった。 アルゼンタムは、役立たずの烙印を押されているはずだ。フィリオラに負け、ギルディオスに破壊されたのだから。 役に立たない機械人形は鉄屑にしてやる、ということを、グレイスは以前にアルゼンタムに言っていた覚えがある。 だから、本来であれば鉄屑にされるはずだ。灰色の城に連れてこられた時も、そうなるのだとばかり思っていた。 だが、こうして体を与えられ、再び使役されようとしている。二度も負けた者に、利用価値があるとは思えないのに。 そんなものを、どうして。アルゼンタムが様々な疑念を巡らせていると、フィフィリアンヌの手が目の前に出された。 「さあ言え、アルゼンタム。貴様は何を欲する」 「オイラァ…」 アルゼンタムは疑念が消えてはいなかったが、言った。 「自由にナァーリテェンダァーヨォー。今ァ、ソォーレダァーケダァー」 「ふむ。なかなかまともな答えであるな、アルゼンタムよ。自由、それすなわち、束縛からの解放であり、抑圧からの脱出である。貴君は、元々機械人形ではないのであるからして、グレイスと黒幕の傀儡であり続けることは、さぞや不愉快であったであろう。願望としては至極真っ当であり、明確な人格と自我を持った存在としては、当然の思考である。して、どうするのかね、フィフィリアンヌ、グレイス」 伯爵は触手を伸ばし、二人を交互に指した。フィフィリアンヌは手を下ろし、グレイスに向く。 「私はこの機械人形を所有しているわけではないから、決定権はないな。決定権は、所有者であるグレイスにある」 「ま、拒否る理由もねぇし。その通りにしてやるよ」 楽しげに笑うグレイスに、アルゼンタムは身を乗り出した。 「マジカァヨォーウ! マジでオイラァ、自由になれんのカァーヨォーウ!」 「うん、自由にしてやる。だがその前に、オレの命令を聞いてくれねぇと自由にしてやんねぇぞ」 「了解了解超了解ィイイイイ! 自由になれるンダッタラァ、何だってするぜしちゃるぜしてやるゼェエエエエエ!」 うけけけけけけけけ、とアルゼンタムは浮かれながら高笑いした。 「んじゃ、命令な」 グレイスは、にやりと目を細めた。 「ブラッド・ブラドールを喰い殺せ」 その命令に、アルゼンタムは毒気を抜かれた。なんだ、そんなことでいいのか。ただ、喰うだけで良いのか。 確か、半吸血鬼の子供だったように思う。過去に一度、旧王都内の公園で、怯えた姿を見たことしかなかった。 ギルディオスの体に魂を入れたフィリオラ、フィリディオスと戦っている最中も、ただ震えているだけだった。 いくら人外と言えど、少年一人を喰ったところで、腹が満たされるどころか、却って物足りなくなってしまいそうだ。 だが、子供を喰うだけで自由になれるなら、いくらでも喰ってやる。血肉と言わず、骨も残さず喰い尽くしてやる。 うくくくくくく、と含み笑うアルゼンタムに、グレイスは言った。窓の外を指して、旧王都の東側の草原を示す。 「明日の昼間にでも、あそこにブラッドは来る。その時に喰え」 「オゥイエー! 喰うぜ喰らうぜ喰っちゃるゼェエエエエエエ!」 アッハァ、とアルゼンタムは愉悦の声を漏らした。相当に嬉しいらしく、うけけけけけけけっ、と再度高笑いした。 がくがくと体を揺さぶりながら笑う銀色の骸骨を見ていたフィフィリアンヌは、目を逸らし、伯爵を見下ろした。 伯爵は触手を伸ばし、フィフィリアンヌに向けた。真上にいる彼女に触れるつもりで、フラスコの内側を撫でた。 彼女は、かなり複雑そうだった。結果が解っていると言えども、多少なりとも不安になってしまうようだった。 それは、伯爵も同じだった。本当に、グレイスがこちら側に手を貸してくれているのか、よく解らないからだ。 グレイスは、本当に良く裏切る男だ。黒幕と呼ばれている彼のことも、実にあっさりと裏切ってしまったのだ。 フィフィリアンヌがこちらの計画を書いた手紙を一通出しただけで、実質的には、二つ返事で裏切ってしまった。 伯爵としては、さすがに今度ばかりは寝返らないだろう、と思っていたが、その当ては見事に外れてしまった。 グレイスは、黒幕の計略がちょっと気に食わなくなったから裏切ったの、と言ったがそれにしては簡単すぎる。 何か裏があるのではないか、と勘繰ってしまうが、その裏がある場合もあるし、本当にない場合もあったりする。 全く持って、掴み所がない。何百年と付き合っているが、グレイスの考えていることはさっぱり見当が付かない。 グレイスは高笑いを続けているアルゼンタムを見ていたが、その横顔は悪戯をする子供のように楽しげだった。 灰色の呪術師は、至極上機嫌だった。 翌日。ブラッドは、うきうきしていた。 初めて、ヴェイパーから遊びに行こうと誘われた。それだけで嬉しくなってしまい、足取りが軽くなっていた。 行き先は、夏の日に遊びに行った旧王都の東側だった。草は枯れているだろうが、広いので遊び甲斐はある。 のんびりとした歩調で歩く巨体の機械人形に連れ立って、旧王都の東側の門を出て、細い道をずっと歩いた。 人々の影がなくなった工場街を抜けて、その先の細い小川の傍までやってくると、遠くに灰色の城が見えた。 山の斜面にそびえている灰色の城は、秋となって空の色がくすんでいるので、その雰囲気は一層暗く感じられた。 ブラッドは黒いマントを翻し、ヴェイパーの隣まで駆けた。乾いた雑草を踏み締めながら、灰色の城を見上げた。 ブラッドは、無表情な機械人形を見上げた。ヴェイパーも首を動かし、同じようにブラッドを見下ろすと、言った。 「けしき、だいぶ、かわった」 「秋になると、草が枯れちまうからなぁ」 ブラッドは、それが少々残念だった。ヴェイパーと水で遊んだ小川も、今となっては凍えるほど冷え切っている。 山に生えた木々も、針葉樹以外の木の葉は茶色く縮んでしまった。鮮烈な色ばかりだった夏が、懐かしくなる。 その頃はまだ、戦争も拡大していなかった。国境付近で燻っていただけなのに、あっという間に戦火は広がった。 身近に感じられなかった戦争の実感も、肌で感じるようになった。夏が終わると同時に、平和も終わったようだ。 ブラッドは、切なくなってきた。久々に着た黒の上下のズボンをぎゅっと握り締め、胸苦しさを紛らわした。 ヴェイパーは、物悲しげな目で遠くを見ているブラッドを見下ろした。これで、自分の任務はほぼ終わりに近い。 昨日、ギルディオスに会ったのだが、その際に彼から命令されたのだ。お前だけの極秘任務があるんだ、と。 極秘、と項目を付けられると、その時点で第一級機密事項であるとヴェイパーは判断するので、すぐに従った。 第一級機密事項、すなわち極秘事項は、他の任務や命令を受けていても、それを最優先させるべき命令なのだ。 お前だけの、との指定もあったので、ダニエルに指示を仰ぐこともフローレンスと思念を接続させてもいない。 なので、ヴェイパーは実質的に単独行動を取っていた。初めての経験だったが、とても喜ばしいと感じていた。 極秘と付いているわりに任務の内容は至って簡単で、ブラッドを旧王都の東側に連れてこい、というものだった。 どうやって連れてくるかは自分で考えろ、と言われたので、ヴェイパーは自分で考えて遊びに誘うことにした。 経験上、ブラッドはこれが一番好きだ。少しでも暇が出来たら遊びたがるし、雨の日でも外に出たがるほどだ。 案の定、ブラッドは浮かれながら付いてきた。ヴェイパーは自分の作戦が成功したことが、やけに嬉しかった。 ブラッドを連れてきた後のことは知らないが、恐らく、ギルディオスには何かしらの考えがあってのことだろう。 ヴェイパーは体内に仕込まれた魔力感知装置を作動させ、周囲を調べた。先程から、何かの気配がしている。 山の斜面の灰色の城からは、強い魔法と魔力の気配がする。だが、それだけではなく、何かがすぐ傍にいる。 それを、自分は知っている。ヴェイパーは魔導鉱石式蒸気機関を加熱させ、戦闘状態に移行させておいた。 ブラッドは、太い両腕を前に突き出して構えているヴェイパーを見上げた。機械人形は、辺りを見回している。 「どうしたんだよ、ヴェイパー?」 「いる」 ヴェイパーは首を動かすのを止め、真上を見上げた。ブラッドは怪訝にしながらも、その目線の先を見上げる。 「何が?」 二人の頭上が、陰った。勢いを失った日光を放つ太陽が何かに遮られ、その遮蔽物の輪郭が眩しく輝いた。 影との距離が、次第に狭まってくる。一直線に、迷いなく、それはブラッドの頭上に向かって落下してきている。 輝いていた輪郭が失せ、影の中に光が差した。空と太陽を遮っていたものが、ばさばさとなびいて鳴っている。 それが、降ってきた。近付くに連れて甲高い笑い声と強烈な気配を感じ取り、ブラッドは目を大きく見開いた。 「イィヤッホォオオオオオオオッ!」 激しく、金属と金属がぶつかった。ブラッドの真上に差し出されたヴェイパーの拳が、鋭い刃物の手を防いだ。 巨大な拳を握り潰さんとするように、ぎちぎちと刃物の指先が擦れる。銀色の骸骨が、宙に留まっていた。 銀色のマント。銀色の仮面。銀色の手足。骨そのものの体形。それは間違いなく、あの、狂気の機械人形だった。 「あ…」 ブラッドが身動ぐと、ヴェイパーが力強く声を張り上げた。 「あるぜんたむ!」 「うかかかかかかかかかかっ!」 アルゼンタムはヴェイパーの拳から手を放すと、四つん這いに着地した。すぐさま、跳ねるように起き上がる。 ヴェイパーは、少年と銀色の骸骨の間に立った。傷の付いた拳を前に突き出し、放てるように腰を落とした。 「ぶじ、だった、んだ」 「オゥイエー! 心配シィーテクゥレタァーノカァー、ヴェイパァアアアアアアッ!」 アルゼンタムが腰を落とすと、ヴェイパーは上体を捻って構えた。 「うん、した」 「ヴェイパー、お前、アルゼンタムと知り合いなのか?」 戸惑いながら、ブラッドは二体の機械人形を見比べた。オゥイエー、とアルゼンタムは甲高い声を上げる。 「マ、ァー、ダチみてぇなモンサァアアアア」 「あるぜんたむ。どうして、うえから、ふって、きたの」 ヴェイパーが平坦に尋ねると、アルゼンタムは仮面の下で金属製の歯をがちがちと鳴らした。 「ソォーリャアモチロン、喰うために決まってンダァーロォーウ?」 「だれを」 「ハッハッハァーン。コォーノ状況デェー、誰も何もあるはずネェダロォガァアアアアア!」 銀色の仮面が、少年に向いた。ブラッドはその甲高い声に気圧され、う、と悲鳴を飲み込んだ。 「…なんで、オレを」 「オイラァ自由にナリテェンダァアアアア! そのためニィー、テメェを喰って喰って喰い尽くすンダァアアアア!」 がちん、とアルゼンタムが踏み出した。 「手ェ出すナヨォー、ヴェイパァアアアアアア! 自由ッテェノハ、超最高なんだからヨォオオオオオ!」 「…う」 ヴェイパーは、攻撃態勢を緩めた。それは間違いないことだ。自由を得るのは最高に嬉しく、楽しいことだ。 自由ではなかったアルゼンタムが、自由を得ることが出来るのだ。ブラッドを殺し、喰らうことによって。 ヴェイパーは、ブラッドの命とアルゼンタムの自由のどちらを優先するべきか迷った。どちらも、大切なことだ。 判断を付けられないうちに、傍らを銀色の骸骨が過ぎた。閃光の如く煌めく銀色のマントが、視界の隅で翻る。 はっと意識を戻し、振り向いた。そこには、友人である少年に掴み掛かろうとする、無機物の友人の姿があった。 アルゼンタムの鋭い爪先が、ブラッドを切り裂くために伸ばされた。 「うかかかかかかかかかかっ!」 06 3/3 |