ドラゴンは眠らない




勇ましき戦い



「閃光よ、我が盾となれ!」

ブラッドの叫声が響き、爪先が止まった。震えるほど力を込めて突き出された手の先に、輝く壁が出来ていた。
魔力で生み出した雷撃を凝結させた、防護壁の一種だった。その瞬きに照らされて、骸骨の装甲が眩しく光る。
光の壁の向こうでは、少年が表情を強張らせていた。恐怖を必死に押し込めて歯を食い縛り、立っている。
ヴェイパーは、アルゼンタムの肩越しにブラッドを見下ろした。あんなに怖い顔をしている彼は、初めてだった。
アルゼンタムの指先は、光の盾を打ち破らんとするべく伸ばされていく。だが、光の盾は思いの外強固だった。
ばちばちと爆ぜていた電流が、金属の体を駆け巡った。ウォワォ、とアルゼンタムは仰け反り、身を引いた。
びょんびょんと跳ねて後退したアルゼンタムを、ブラッドはじっと睨んでいた。手を下ろすと、光の盾が消えた。
肩を上下させ、呼吸を整えた。電流による痺れが残っているのか、アルゼンタムはしきりに手を振っている。
魔法が、効いた。効かないはずなのに、という疑問が頭の片隅に湧いてきたが、今はそれどころではない。
これならいける。きっと、勝てる。ブラッドは精一杯の闘志を漲らせ、ばさっとマントを広げ、両手を突き出した。

「雷光招来!」

ブラッドの突き出した手の手前から、青白い雷光が迸った。一直線に、銀色の骸骨へと向かって飛んでいく。
アルゼンタムはその雷撃から逃げようとしたが、膝を曲げて飛び跳ねるより前に、強烈な圧と痛みに貫かれた。
激しい熱と痺れが体を突き抜け、視界が瞬いた。数秒の後、がしゃり、とよろけると、足元から煙が昇っていた。
アルゼンタムの周囲の草が、綺麗に焼け焦げていた。どうやら、アルゼンタムを通り抜けた雷撃で焼けたようだ。
衝撃と痛みで混乱しながらも、アルゼンタムは姿勢を戻した。直線上に立っている少年は、肩を怒らせていた。
眉を吊り上げて奥歯を噛み締め、全身に力を込めている。膝は僅かに震えていたが、曲がることはなかった。
なぜ、この体に魔法が効く。アルゼンタムは疑問が湧いたが、それを悩むよりも先に、次の魔法が放たれた。

「空の息吹よ、精霊の囁きよ!」

ブラッドは突き出していた手の一方を下げると、勢いを付けて前に振り翳した。

「我が命に従い、刃となれっ!」

直後。強く大きな風と共に、風の刃がアルゼンタムを叩いた。構えようと思うが、それよりも先に関節を打たれる。
膝を殴られ、肘を打たれ、腹を抉られる。刃の一つ一つは大した威力ではないが、連続されるとさすがに辛い。
アルゼンタムは打ち付けられながら、数歩後退った。少々動きの鈍った膝を曲げて足を広げ、姿勢を崩した。
体を横に傾げて、少年の軌道上から逸れてみた。すると、風の刃は失せ、あれほど強かった風圧もなくなった。
やはり子供の考えだ。アルゼンタムは膝を曲げると、強靱なバネで高々と飛び上がり、少年の真上に浮かんだ。
魔法を放った手を下げさせる間もなく、ブラッドの真正面に飛び降りる。ざっ、と足元で切れた雑草が舞った。

「甘い甘いぜ甘っチョレェエエエエエ!」

ブラッドが身を引く間もなく、アルゼンタムの手は伸ばされた。だがその寸前で、少年はくるりと身を翻した。
銀色の爪先は、少年の目ではなく、黒いマントを切り裂いただけだった。千切れた布から、黒い糸が数本散る。
ブラッドは切り裂かれてしまったマントを脱ぎ、背後に放り投げた。浅く速い呼吸を繰り返しながら、拳を握る。
アルゼンタムは悔しげに、チィ、と舌打ちしている。その様子だけでも恐ろしく、鼓動は痛いほど速まっていた。
気を張っていないと、恐怖心が膨れ上がる。魔法をまともに放てたのだって、偶然と言っても良いくらいだった。
立っていても、足が震える。拳を握っても力が籠もらないし、魔力を高めようと思っても、それほど高まらない。
無意識に滲んだ涙で、視界がぼやけていた。怖い、逃げたい。けれど、ここで逃げたら、一生自分は後悔する。
アルゼンタムが現れた瞬間は、逃げてしまいたかった。だが、ヴェイパーに助けてもらい、すぐに思い直した。
もう逃げないと決めたはずなのに、また逃げてしまうのか。一度腹に据えたことを、忘れてしまったのか。
僅かでも、逃げることを考えた自分が嫌になった。ブラッドは自己嫌悪と恐怖の狭間に揺れる心を、定めた。
無理に力を入れて、拳を固める。襲い掛かる隙を窺っているアルゼンタムを睨むうちに、記憶が蘇ってきた。
あれは、フィリオラを傷付けた。歌劇場での戦いの後の、包帯にまみれた痛々しい彼女の姿が目の裏に浮かぶ。

「よくも」

ブラッドは渾身の魔力を込めた拳を、突き出した。

「フィオ姉ちゃんを!」

ぐっ、とつま先が土を抉った。魔法を放つために簡単な呪文を喉まで迫り上げたが、思わず飲み下してしまった。
アルゼンタムは一瞬身動いだが、止まった。ブラッドは見開いた目から落ちた涙を、ぐいっと手の甲で拭う。

「くそぅっ」

怖い、怖い、怖い。とても、恐ろしい。背筋が逆立つ、足から力が抜ける、肩ががくがくする、体が竦んでしまう。
うかかかかかかかか、とアルゼンタムは甲高い笑い声を上げて、ブラッドの恐怖心を煽るように間を詰めてくる。
ブラッドは反射的に後退ろうとしたが、足が動かない。突き出したままの拳の前に、銀色の骸骨が立ち塞がる。

「ちぃーとビィビッチまったジャアネェーカァー、ガキンチョーゥウウウウ」

がちがちと鳴る歯を噛み締め、ブラッドは嗚咽を飲み込む。アルゼンタムは身を屈め、指先を伸ばしてくる。
ひやっとしたものが、頬に触れた。アルゼンタムの刃物の指が、少年の涙に濡れた頬を軽く引っ掻いていった。
少年の頬の皮が浅く切れて、うっすらと血が滲んだ。一滴の血が顎を伝って落ち、ぱた、と乾いた草を叩いた。
限界近くまで恐怖が高まったのだろう、少年の体で震えていない場所はない。アルゼンタムは、楽しくなってきた。

「うけけけけけけけけけ」

仮面の口の中に、指を差し入れる。ほんの少しだけ付いた少年の血を、ぎざぎざの歯に刮ぎ落とし、味わった。

「うかかかかかかかかか」

ああ、とても良い味だ。かなり久々に感じる血の味は鮮烈で、鉄臭く渋い味にどことなく甘みがあり、旨かった。
魂に、じわりと魔力が染み渡る。その心地良さがたまらなくて恍惚としながら、アルゼンタムは踏み出した。
もっと血を、もっと力を、もっと、もっと。その欲動に任せ、アルゼンタムは高々と、大きな手を振り上げた。



 父ちゃん。



少年の口が、そう動いていた。アルゼンタムは振り下ろそうとしていた手を、なぜか、止めてしまった。
ブラッドは、がくがくと震えている。今にも倒れてしまいそうなくらいに青ざめて、涙を溜めている。

「どうしたらいいんだよ、どうすりゃいいんだよ、教えてくれよ、教えてくれよぉ!」

少年の絶叫が、乾いた草原に広がる。涙混じりの声が、響いている。

「解んねぇよ、ちっとも魔法が出てこねぇよ、オレ、まだ強くなれねぇよ!」

絶叫が、弱々しくなる。

「なあ、なんでだよ、なんで、オレは全然強くなれねぇんだよ、なんでなんだよ!」

悲痛な、声だった。



「父ちゃん!」



振り上げたままの指先から、力が抜ける。きちり、と真新しい部品が僅かに軋み、背中のマントが揺れている。
ブラッド。なぜ、泣いているんだ。真下で立っている息子は、ぼろぼろと涙を零しながらしゃくり上げていた。
息子の柔らかな頬に、斜めに傷が付いている。口の中に、息子の血の味がする。人であり、魔物である血の味だ。
ああ、そうだ。これは、私がやったんだ。私が、息子を。そう理解した途端に様々な記憶が溢れ出し、戦慄した。

「う」

人の味が蘇る。肉と骨を噛み砕いた感触が顎に、飲み下した感触が喉にある。鉄の匂い、血の臭気、雨の涙。

「う、ぐっ」

なんてことを。私は、なんと大きな罪を犯したんだ。仮面を力一杯押さえると、ぎちり、と金属が擦れて鳴った。

「わたし、は」

ここはどこだ。この恰好は何だ。そして、なぜ、私は息子と戦っている。なぜ、なぜ、なぜなんだ。

「私は、一体…」

アルゼンタムの発した冷静な声に、ブラッドは目を丸くした。とち狂った甲高い声以外の声を、知らなかった。
その響きは誰かに似ていたが、すぐには思い出せなかった。アルゼンタムは足元がふらつき、一歩、下がった。
仮面を押さえていた手がだらりと下がり、揺れた。脱力している銀色の骸骨は、混乱しているように見えた。
挙動不審に、辺りを見回している。今し方までの恐ろしげな態度も消え、状況を把握しようとしているようだった。
ブラッドは呆気に取られていたが、気を取り直した。散々喚いて恐怖心が薄らぎ、少しだが冷静さが戻ってきた。
萎えかけていた魔力を奮い立たせ、今度こそ高めていく。拳を開いて手のひらを正面に突き出し、力一杯叫んだ。

「涼やかなる潤いよ、迸りたまえ!」

少年の手のひらから溢れた水流が勢い良く正面に向かい、アルゼンタムの肉のない体に当たり、強く揺さぶった。
水流に圧倒され、アルゼンタムはよろける。がしゃ、とふらついた足を踏み締めて姿勢を戻すと、熱が起きた。

「我が力を受け、我が命を受け、熱き滾りとなれ!」

銀色の装甲を潤わせていた水が、瞬時に蒸発した。どしゅっ、と真っ白な蒸気が全身から昇り、視界が失せる。
なぜ、どうしてこうなっている。アルゼンタムがこの状況を理解しようと首を動かすと、仮面に衝撃が訪れた。

「だっ!」

ブラッドが投げた光球、魔力弾が銀色の仮面にめり込んだ。アルゼンタムは上体を逸らし、容易く転倒した。
マントの下で、枯れた草が潰される。後方に倒れながら、視界の端にちらついていた巨体の機械人形を捉えた。
確か、あれはヴェイパーと言った。胸の青い魔導鉱石が空の色を映していて、そこに、銀色の骸骨も映っていた。
あれが、私だ。魂が縮み上がりそうなほどの驚愕と畏怖に貫かれ、目を見開いたつもりでいたが、瞼はなかった。

「ここ、は」

手を上げてみると、骨そのものの形状の腕の先に、やけに大きな手が付いていた。その指は、刃で出来ている。

「私、は」

顔を横に向けると、遠くに灰色の城が見える。私は、あの城の主と彼に従っていた。人形だった。傀儡だった。
口の中には、血の味が残っている。機械の体は味覚など存在しないはずなので、恐らく、感覚的なものだろう。
殺した人々の断末魔が思い出される。誰も彼も恐怖に引きつっていて、命乞いをして、それでも殺してしまった。
首を刎ね、腹を割き、骨を砕き、血を啜り、人間を貪った。この手で、この刃で、何十人という人間を殺した。
ただ一人の女を、守りたかったがために。恐ろしく利己的で独り善がりな理由に、自分が、情けなくなった。
たったそれだけのために、機械人形となることを選んでしまった。強い後悔が、止めどなく溢れ出してくる。

「この野郎っ!」

真上から降ってきたブラッドが、がしゃっ、とアルゼンタムの仮面を踏み付ける。だが、姿勢が保てなかった。
少年は足を滑らせてよろけ、草の中に転げ落ちた。だが、すぐに起き上がり、銀色の骸骨に馬乗りになった。

「壊れろ、壊れろ、ぶっ壊れちまえ!」

小さな拳が、何度も何度も仮面を殴り付けてくる。

「お前なんか、全然怖くねぇんだからな!」

そう言いながらも、少年の声は震えていて、仮面の上には涙がばらばらと降ってきた。

「オレは強くなるんだ、強くならなきゃならねぇんだよ!」

だん、と一際強く殴り付けたことで腕が痺れたのか、ブラッドの顔が引きつった。

「だから、お前になんか負けてられねぇんだよ!」

殴り付ける力は、徐々に弱くなる。それでも、ブラッドは殴ってくる。

「オレは強くなるんだ、もう逃げたくねぇんだ、逃げるのはもう嫌なんだよ!」

涙混じりで上擦った叫びが、草原を走る風に掻き消される。

「立て、立てよアルゼンタム! オレはお前を倒すんだ、お前を倒して強くなるんだ!」

真っ赤に腫れ上がった小さな手が、だん、と仮面の中心を殴る。だが、その力はすっかり弱くなっていた。

「立てよ、立ってくれよ…。オレは、戦うんだ。オレだって、戦いたいんだ。役に立ちたいんだよ!」

叫びすぎて、少年の声は枯れていた。

「役立たずのガキのまんまじゃ、いたくねぇんだよ…」

真下にあるアルゼンタムの仮面には、傷も付いていなかった。滑らかな銀の仮面に、涙がいくつも落ちている。
泣き崩れてぐしゃぐしゃの、自分の顔が映っていた。まだ、ダメなんだ。少し鍛えたぐらいでは、どうにもならない。
ちっとも、強くなんてなれない。戦おうと思っても体が震えて、まともな魔法も撃てなくて、傷も付けられない。
こんなことでは、いけないと思って強くなりたかったのに、強くなるどころか弱い部分ばかりが曝し出されてしまう。
情けなくて、悲しくて、悔しくて、ブラッドは崩れ落ちた。アルゼンタムの仮面に縋り、涙を堪えずに、喚いた。

「お願いだぁ、オレと戦えぇ!」

だが、アルゼンタムはぴくりとも動かず、倒れているままだ。

「戦ってくれよぉ!」

ブラッドは、幼児のように泣き喚いていた。恰好だけは立派にしているが、中身はまだまだ子供でしかない。

「…ブラッド」

ブラッドは自分の泣き声でその声が聞こえなかったのか、声を上げ続けていた。

「お前は、強くなった」

しばらく見ないうちに、顔付きが変わっていた。魔法の威力だって、以前に比べたら立派なものになっていた。

「とても、立派だ」

安易な道を選んで狂気の機械人形と化した自分とは違い、真正面から恐怖に立ち向かって戦ったのだから。



「大きくなったな、ブラッディ」



その呼び名と声に、ブラッドはがばっと体を起こした。その呼び名を使うのは、この声で呼ぶのは、ただ一人。
ブラッディ。女みたいな呼び方だから気に食わなくて、何度となく反発したけど、それでもそう呼んできた。
いつもいつも言い返していたけど、そのうちに言い直してもらうのを諦めた。その代わりに、素っ気なくした。
嫌いじゃない、けれど、鬱陶しい。憎いわけじゃない、だけど、やりづらい。いつのまにか、距離を置いていた。
たまにべったりと甘えてしまいたい時もあったけど、縋り付いてしまいたい日もあったけど、自制してしまった。
なんとなく、気恥ずかしかった。男が男に、息子が父親に甘えるなんて、成長してきた自尊心が許さなかった。
その人の声と、良く似ていた。いや、それそのものだ。久々に聞いた父親の声に、ブラッドは小さく呟いた。

「父ちゃん…?」

真下で、狂気の笑いを貼り付けた仮面が頷いた。

「久しいな、ブラッディ」

それは、紛れもなく父の声だった。ブラッドはひくっと息を飲むと、飛び退いた。

「う、嘘だ、嘘だそんなこと!」

「私も、嘘だと思いたい。だが、私は私なのだよ、ブラッディ」

アルゼンタムは起き上がることもなく、空を仰いでいた。少年の涙に濡れた仮面に、空の色が映り込んでいる。

「嘘だと思うなら話してやろう、ブラッディ。私は」

「てめぇなんかと話すことはねぇ! どうせ、ろくでもない魔法で父ちゃんみたいになっただけなんだ!」

ブラッドは魔法を放つため、魔力を高めた手を突き出した。アルゼンタムは、冷静に続ける。

「ブラッディ。ブラッド・ブラドール。ラミアン・ブラドールとジョセフィーヌ・ブラドールの息子で、今年で十歳になった。いや、そろそろ十一歳だな。性格は素直なのだが少々生意気で口が達者で、最近は自尊心が成長してきたために一層生意気になった。魔力を扱うことは得意だが勉強するのは嫌いで、文字は読めるが上手く書けなくて、たまに書かせたら思い通りにならないからと癇癪を起こすことが多かった」

「や…」

ブラッドは、空恐ろしくなって後退した。ブラッドとラミアンしか、知らないことばかりだった。

「やめろぉ…」

「英雄譚と冒険譚の話がお気に入りで、その本だけは私の助けがなくても読めている。家畜の血よりも魔物の血が好きで、甘い菓子はもっと好きだ。走り回るのは好きだが泳ぐのは苦手で、空を飛ぶのもあまり上手くない」

「やめてくれぇ!」

ブラッドが両耳を押さえて背を丸めても、アルゼンタムは止めない。

「動物や魔物と戯れるのも好きだが、ヒトクイネズミだけはどうしても嫌いだ。幼い頃、コウモリとなった時に喰われかけてしまったせいだ。七歳頃、悪戯にしては少々ひどいことを街中でやらかして、その時に国家警察からこってり絞られてしまい、余程怖い思い出だったのか、それ以降警察と名の付くものが嫌いになった。近頃、私に似てきた。ジョーの、母親の面影が出てきた。背が伸びた。魔力の出力が向上した。強くなった。大きくなった。立派になった。ブラッディ。お前は、私とジョーの」

アルゼンタム、いや、ラミアンは仮面を息子に向け、内心で微笑んだ。



「愛すべき、自慢の息子だ」



ブラッドは膝から力が抜け、その場に崩れ落ちた。仮面の奧にある、緑色の魔導鉱石の瞳に見つめられている。
その眼差しは、温かかった。表情がないはずなのに、笑っているのが見えるはずなのに、優しい顔なのだと解る。
これは敵だ。アルゼンタムだ。憎らしい敵だ。そう思い直そうとしても、父だと解った途端に戦えなくなった。
あれほど強かった恐怖も、戦意も、何もかもが溶けて消えた。だが、同時に、強烈な罪悪感が沸き起こってきた。

「じゃあ、お…おれ…」

ブラッドは、赤く腫れた自分の手を見つめた。

「とうちゃんを…」

「気に病むな、ブラッディ。お前は、当然のことをしたまでだ。私は、沢山の罪を重ねてきた邪悪な存在だ」

ラミアンは落ち着いてはいたが、声は僅かに震えていた。

「撃たれて、叩かれて、殴られて当然なんだ。偉いぞ、ブラッディ。よく、戦った。とても、恐ろしかっただろう」

「あ、あるぜんたむが、とうちゃんだって、し、しってたら、おれ、そんな」

ブラッドがわなわなと手を震わせると、ラミアンは首を横に振った。

「優しいな、ブラッディ。だが、私は罪を犯したのだ。沢山の人々を欲望のままに切り裂き、血を啜り、肉を食み、骨を噛み砕いた。それぐらいの報いは、受けて当たり前なんだ。いや、まだまだ足りない。私の罪を償うには、私自身が罰を受けるためには、まだまだ必要だ。もっと攻撃してくれても、良かったくらいだ」

「できないよぉ、できないよぉ、できないにきまってんだろうがぁ!」

両手で顔を覆ったブラッドは、掠れた声で吼えた。ラミアンは、どこか嬉しそうにした。

「ありがとう、ブラッディ。お前は、私を愛してくれているのだな」

ブラッドは、何度も何度も頷いた。ラミアンは内心で目を細め、泣きじゃくる息子を愛おしげに見つめた。

「ああ、大きくなったなぁ、本当に」

ブラッドの泣き声に、重たい足音が混ざった。ラミアンが辺りを見回すと、ヴェイパーがこちらに歩み寄ってきた。

「ある、ぜんたむ…」

ラミアンを頭上から見下ろしたヴェイパーは、複雑そうだった。ラミアンは、申し訳なく思いながら言った。

「すまない、ヴェイパー。私は、アルゼンタムという名ではない。ラミアン・ブラドールという名の吸血鬼なのだ」

「らみ、あん」

「そうだ」

ラミアンが頷くと、ヴェイパーは俯いていたが、顔を上げた。

「でも、ともだち。あるぜんたむ、でも、らみあん、でも、う゛ぇいぱーの、ともだち、は、ともだち」

「ありがとう、ヴェイパー。私も、君の友人でありたい」

ラミアンの言葉に、ヴェイパーは鈍く笑った。金属を擦り合わせたような音の、生物では出せない笑い声だった。
その声に、ラミアンは表情には出ないが笑みを返していた。清々しいまでの開放感が、全身に広がっていた。
押さえ込まれていた魂が、解放されている。封じられていた記憶が蘇り、力も戻り、感覚も冴え渡っている。
強制的に彼のものと繋げられていた精神も、接続が断ち切られていた。本当に、自由を得られたようだった。
吸血鬼の鋭敏な感覚が、この近くにいる存在を知らせていた。ラミアンは体を起こすと、灰色の城へと向いた。
灰色の城が建っているなだらかな斜面から続いた細い道に、人影があった。大柄な影と小柄な影と、もう一人。
弱い日差しを受けて、彼の丸メガネが反射していた。グレイス・ルーは満足げな顔をして、こちらを見ていた。
これは彼の計算なのだ、とラミアンはすぐに察した。恐らくグレイスは、魂を封ずる呪いを弱めたのだろう。
ラミアンが覚えている限りでは、魂と共に記憶を封じる呪いには、黒幕の手によってある魔法が掛けられていた。
それは、ラミアンが息子を殺すか、ブラッドが父親を殺すか、のどちらかの瞬間に呪いが解けるというものだ。
大方グレイスは、その魔法を弱めたのだ。それも、どちらにも危害が及ぶ前に、だが戦い合った後に戻るように。
ありがたい気遣いだ、とラミアンは内心で皮肉混じりに笑った。確かに、その方がどちらにとってもいいだろう。
だが、その加減がずれていたら、どうなっていたことか。それを想像し、ラミアンは背筋がぞわりと冷たくなった。
ラミアンはブラッドの魔法による痺れが残る足に力を込め、立ち上がった。小柄な影、フィフィリアンヌを見据えた。
フィフィリアンヌは、あの日と同じように厳しい顔をしていた。無表情ではあるが、険しい目をして睨んでいる。
やはり、許してくれているはずがない。ラミアンはフィフィリアンヌから目を外すと、ブラッドを見下ろした。
だが、あの日、あの竜の青年を殺さなければこの子は生まれなかった。ジョセフィーヌも、死んでいたはずだ。
後悔はしていない。決して正しくないが、間違っていたとは思わない。ああしなければ、いけなかったのだから。
ラミアンは、薄い雲の切れ端が散らばっている空を、仰ぎ見た。風の匂いは、首都ともゼレイブとも違っていた。

「全てを、話そう」

穏やかな声で、狂気の機械人形の姿をした吸血鬼は言った。

「私の犯してきた罪と、そして」

少し、語気が強められた。



「キース・ドラグーンを殺した真相を」




血を分けた父と子は、策略によって戦い合う。
それは、父が自由を得るためであり、子が強くなるためでもあった。
理性と記憶を取り戻した吸血鬼は、己を見つめ、そして。

過去を、語り始めるのである。







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