ドラゴンは眠らない




箱庭の子供



レオナルドが倉庫を焼き尽くしてから、二年後。異能部隊は、一応の平穏を保っていた。
人を殺した罪悪感と恐怖から暴れ回ったレオナルドも、牙が抜けたように大人しくなって、上官に従順になった。
だがその代わり、日に日に表情が失せていた。以前は時折見せてくれた笑い顔も、一切見せなくなってしまった。
十六歳になったダニエルは少年兵から上等兵に昇進したこともあり、任務も増え、彼と接する時間も減っていた。
レオナルドのことは常に気掛かりだったし、出来れば近くにいたかったが、そんな時間すらなくなってしまった。
次第に顔色も悪くなり、目付きばかり鋭くなっていくレオナルドと擦れ違うたびに、激しい不安に苛まれた。
明らかに、力を使いすぎている。過度な炎の力の放出で、精神力や魔力はおろか体力まで多大に消耗している。
このままでは、レオナルドはいずれ死んでしまう。そう思ったが、ダニエルの元には矢継ぎ早に任務が下された。
その中には将軍直々の命令もあって、将軍は己の種で生まれた子供の実力を実戦で試しているようだった。
そのことに対しての複雑な思いもあり、レオナルドに気を向ける時間は更に減り、気付けばまた冬が訪れていた。
ダニエルが、旧王都で内乱を企ていた反乱軍の一派を抹殺する任務から首都の基地へ戻ると、雪が降っていた。
二年前の出来事を思い出しながら営舎に戻り、自分の部屋に入ると、冷え切った部屋の中が妙に温まっていた。
ベッドの間、部屋の中央に、レオナルドが座り込んでいた。熱の発生源が彼であることは、間違いないだろう。
ダニエルは防寒着を自分のベッドに放ってから、久々に顔を合わせたレオナルドを見下ろし、少し表情を緩めた。

「久しいな、レオ」

「うん」

覇気のない声で返したレオナルドは、胡座を掻いた足の間を見下ろした。そこには、毛の固まりが丸まっていた。
それを見た途端、ダニエルはぎくりとしてしまった。急いで扉を閉めてからレオナルドの傍に寄り、声を潜めた。

「誰かに、言ったか?」

「いや、別に。言ったら、こいつがどうなるか解るから」

レオナルドは、足の間で丸まって眠りこけているネコを見下ろした。ダニエルは、安堵の息を漏らす。

「なら、いいんだが」

ダニエルは手を伸ばし、そっとネコの背を撫でた。至極平和な顔をして、くうくうと心地良さそうに眠っている。
灰色で縞模様のある野良ネコで、旧王都の任務から帰還する際に見つけ、思わず連れてきてしまったのである。
軍紀違反であることは重々承知しているが、冬の間だけ、と自分に言い訳して飼い始めてしまったネコだった。
ネコの毛を撫でながら、ダニエルは自然と顔が緩むのを感じていた。身を捩ったネコは、寝惚けて声を出した。
それすらも可愛くて仕方なくて、ダニエルはネコを抱き上げてしまいたくなったが、起こしてしまうので堪えた。
ダニエルが一心にネコを撫でているのを見ていたレオナルドは、どこか呆れたような顔をしていたが、言った。

「ダニー」

「なんだ」

ネコを撫でる手を止めずに顔を上げたダニエルに、レオナルドは外との気温差で結露が浮いた窓を見やった。

「オレ、もう、何人燃やしたのか解らねぇ」

レオナルドの口調は淡々としていたが、苦しげだった。

「最初は、見たことない軍服みたいなのを着た男で、二人目は魔導師の恰好をした女、三人目は人じゃなくて変な感じの魔物、四人目はオレを散々殴り付けてきたどこかの兵士、五人目は…いや、そこから先は、数えてねぇな。つーか、数えたくないんだ。数えたら、それだけ人を殺したんだって実感が沸いてくるから」

ダニエルが黙っていると、レオナルドはダニエルに向いた。彼は、おぞましい言葉を言っているのに無表情だった。

「人を燃やした後に、何度も逃げようとしたよ。お偉い軍人もここの隊長も燃やそうとしたけど、ダメだった」

部屋に籠もっている熱の温度が、上がっている。だが、ダニエルの背には冷たい汗が滲んでいた。

「いつも魔導師協会の魔導師がいて、オレがやること終わらせたらオレの力を封じ込めちまうんだ。だから、燃やせって言われた相手しか燃やすことが出来なかった。オレ、このまま、箱庭の中の人形で終わっちまうのかな」

「箱庭?」

「だってそうだろ。ここは、四角い箱の中の狭い庭じゃんか。オレらみたいなのを閉じ込めておいて、使いたいときに取り出すためにある箱なんだよ」

「だが、ここは」

ダニエルはギルディオスが異能部隊を作った理由を話そうとしたが、それよりも先にレオナルドは吐き捨てた。

「このまま、便利な道具扱いされた挙げ句に殺されてたまるもんか!」

「私達は、道具ではない」

ダニエルはネコの背から手を外し、床に座り直した。普段は冷え切っている床すらも、すっかり温まっていた。

「私達は兵士だ。上官の命令に従って任務を遂行するのは当然のことだが、それ以前に一個の人間ではないか」

「そりゃ、オレらは人間だよ。おかしな力は持ってるけどな」

レオナルドは胡座の間からネコを持ち上げると、ごろりと傍らに置いた。だが、ネコは起きずに丸まっている。

「けど、あの隊長とか上の連中とかはそうは思っちゃいないんだ。オレらが人間だってこと、忘れてるんだ」

そのまま顔を伏せたレオナルドは、黙ってしまった。八歳になったばかりのはずなのだが、子供らしさがなかった。
二年前に倉庫を燃やす以前は見せていた、溌剌とした表情も、気恥ずかしげだが嬉しそうな笑顔も、消え失せた。
ダニエルには、レオナルドの気持ちが解らないでもなかった。人を殺せと命じられる時は、嫌悪感が湧いてくる。
任務だと割り切ることが出来るようになるまで数年は掛かったし、今でも人を殺すことには躊躇いがあった。
だが、殺さなければ殺される状況が多いので、その躊躇いを振り切って敵の首をへし折れるようになっていた。
しかし、レオナルドはその覚悟をするより以前に他人を殺めてしまい、都合の良い武器として扱われている。
それでは、道具だと考えるようになって当然だ。ギルディオスが隊長であったならば、違っていたことだろう。
ダニエルは俯いているレオナルドから目を外し、起き上がって伸びをしているネコを抱え上げ、膝の上に乗せた。
腹の辺りにぐりぐりと頭を擦り寄せてくるネコを撫で回しながら、ダニエルは鉄格子の填った窓を見上げた。
レオナルドがこの基地を、箱庭、と称したことがいやに耳に残っていて、なかなか頭から外れてくれなかった。
その表現は、間違っていない。首都から離れた島の上に造られた、灰色の塀に囲まれた異能者ばかりの庭だ。
だが、ダニエルにとっては決して居心地は悪くない。むしろ、出身地である南部地方の都市よりも余程良い。
地面を這いずるように働いて今日の分の生活費を掻き集めなくても仕事はあるし、食べるものもちゃんとある。
母親以外は認めてくれなかった念動力も受け入れてもらえる上に、この力を生かせる任務も下されてくる。
魔法の衰退と共に世間から疎まれ始めた異能力を持っている者にとっては、外の世界よりも生きやすい場所だ。
だが、レオナルドはそうは思わない。道具扱いされたからなのかもしれないが、他の隊員達とは違っている。
ダニエルとしては、レオナルドはこの塀の内側にいるべきだと思った。外へ出ても、行き着く先は見えている。
魔力と違って制御の難しい異能力を持て余して、周囲からは疎まれて、己の生きる道を見定められなくなる。
だから、外へは出ない方がいい。ダニエルはそれを言おうと思ったが、レオナルドは思い詰めた顔をしていた。
炎とまではならずとも、熱として放出され続けている力に混じっている思念には、強固な決意が漲っていた。
レオナルドは、本気で外へ出る気だ。それを感じてしまうと、ダニエルは出ない方がいいとは言えなくなった。
冬らしからぬ熱気の籠もった部屋に、ふにゃあ、とネコの気の抜けた鳴き声がした。




日も昇らぬ早朝に、ダニエルは目を覚ました。
度重なる震動と、体を揺さぶる激しい騒音が轟いている。ベッドの中から天井を見上げると、ほの明るかった。
だが、朝日にしては色が赤い。ダニエルはあまり良くない予感を感じつつ、布団をめくって起き上がった。
ベッドから下りようとして、気付いた。向かい側の壁に接して置かれているベッドは、空になっていた。
ダニエルは、窓の外を見ないようにしながら、子供の形に丸く膨らんだままになっている布団を見つめていた。
昨夜、レオナルドはあそこに寝ていた。相部屋の兵士が任務に出ているので、ベッドに空きがあったからだ。
レオナルドが眠たくなるまで、二人でネコを構ってやりながら、他愛のない話をしていたことを覚えている。
訓練はきついけど結構楽しい、だけど勉強はそんなに好きじゃない、たまには首都に出てみたい、などと。
ダニエルがレオナルドの名残を凝視していると、ダニエルの膝に擦り寄ってきたネコが、うにゃあ、と鳴いた。
ネコは呆然としているダニエルを見上げ、ヒゲを動かして小さな鼻をひくつかせていたが、窓の外に向いた。
破壊音と思しき轟音が、聞こえてくる。それと同時に、兵士達に命令を下している上官の怒鳴り声も。
ダニエルは、何が起きているのか考えたくなかった。窓から目を逸らそうと扉の方へ向くと、気配がした。
扉の前の空間が、一瞬、歪んだ。暗い赤の戦闘服を着込んだポールが、唐突に姿を現し、駆け寄ってきた。

「おい、ダニー、起きてるか!」

ポールはベッドに座り込んでいるダニエルの前にやってくると、ダニエルの両肩を掴み、向き直らせた。

「いいか、良く聞け! 隊長からの命令だ!」

ダニエルがポールを見上げると、ポールは叫んだ。



「レオを殺せ!」



みゃあ、と間延びした声でネコが鳴いた。ダニエルの耳には、どこかの建物が崩れた轟音だけが聞こえていた。
何を言われたのか、何が起きているのか、理解するのが恐ろしかった。だが、その予兆は十二分にあった。
二年前の倉庫での火災、日に日に表情が失せる少年、冷え切った部屋を熱くさせるほど高まっていた炎の力。
いつかこうなると、予想は出来たはずだ。だが、それに気付けなかったばかりか、目を逸らそうとしてしまった。
ダニエルは苦しげな顔をしているポールから目を外すと、窓に向いた。窓の外は、恐ろしいほど明るかった。

「戦況は」

「最悪だよ」

ポールはダニエルの肩から手を外すと、だらりと下げた。

「馬鹿みたいだ。たった一人の、それも八歳のガキに、すっかり押されちまってるよ」

「だが、銃声がしないのはおかしいな。いくら異能部隊とて、銃を使わないはずがない」

ダニエルは表情を固くし、ベッドから下りた。寝間着を手早く脱ぎ捨てて戦闘服を着込み、ベルトを締める。
ベルトに武器を差し込むダニエルを見ていたが、ポールは目を伏せた。あまり言いたくなかったが、言った。

「撃つ前に、溶かされちまうんだよ。だから、銃も剣も役に立たないんだ」

「なるほど、レオらしい。心得ているな」

淡々と言い返してきたダニエルに、ポールは少しぞっとした。

「ダニー。お前さ、レオと一番仲が良かったよな。オレ達はそんなにあいつと話さなかったけど、お前だけは、いつもレオの傍にいたよな」

「そうだ」

拳銃に弾丸を込めつつダニエルが返すと、ポールは苦しげに呟いた。

「なのに、お前、レオを殺す気だな?」

「そうだ」

ダニエルが部屋から出ようとすると、ポールはその背に声を上げた。

「それでいいのか、ダニー! 本当に、レオを殺しちまっていいのか!?」

扉を半分ほど開けたダニエルは立ち止まり、青ざめているポールを見やった。

「任務とあれば、仕方ないだろう」

そのまま、ダニエルは出ていった。廊下を駆けていく足音が遠ざかるのを聞きながら、ポールは唖然とした。
ダニエルとレオナルドは、友人同士のはずだ。それは、少年兵時代からの二人を見ていればよく解る。
どちらもあからさまに好きだとは言わないが、互いに相手を好いているのは確かで、たまに笑い合うほどだ。
ほとんど笑わないダニエルと常に不機嫌なレオナルドが、唯一、笑顔を見せる相手なのだから間違いない。
レオナルドはその能力と気性の激しさから、異能部隊の中でも少し遠巻きにされていて、浮いた存在だった。
だから、そんなレオナルドが心を許しているダニエルは、レオナルドにとって掛け替えのない友人であるはずだ。
ダニエルも、それを解っていないはずがない。ダニエルは一見冷ややかだが、その中身は割と気が優しいのだ。
確かに、彼は任務に対しては非情に思えるほど冷徹だし、命じられたことは忠実に遂行する優れた兵士だ。
だが、少しぐらいは躊躇いを見せてもいいだろう。彼の判断は正しいし当然なのだが、受け入れがたかった。
ポールはダニエルの出ていった扉を見ていたが、はっと意識を戻し、瞬間移動の力を高めて空間を移動した。
移動した先は、炎に包まれた基地の真っ直中だった。


箱庭の中は、炎に満ちていた。
営舎から駆け出たダニエルは、所々に火傷を負って倒れている兵士達を横目に、正面に向かって走っていった。
異能部隊基地の中に並んでいる建物という建物は、熱で窓が砕け、壁にはヒビが走り、炎に覆われている。
燃えていない場所はないと思えるほど火が回っていて、普段は聞こえている潮騒が全く聞こえなくなっていた。
上官の怒号に混じって兵士達の悲鳴も聞こえ、ダニエルは足を速め、悲鳴が発せられている方向へ向かった。
建物が途切れると、燃やすものがないからか炎の勢いも少しばかり弱まったが、熱いことに変わりはなかった。
冬だというのに汗だくになってきて、戦闘服は煤と汗でべったりと汚れてしまい、鬱陶しく思えてくるほどだった。
朱色の染まった視界の先に、倒れた兵士達と逃げ腰になっているアーノルド、そして、レオナルドが立っていた。
アーノルドはダニエルが駆け寄ってきたことに気付くと、引きつった変な笑いを浮かべ、すぐに走ってきた。

「ふぁ、ファイガー上等兵!」

ダニエルは上官を無視し、倒れている兵士達の元に近寄った。一人を抱き起こすと、意識はないが脈はあった。
手にしている銃はでろりと溶けていて、戦闘服の胸元、心臓の位置が丸く焼けている。だが、服に穴はない。
ダニエルは気絶している兵士を地面に寝かせてから、息を荒げているレオナルドに向き直り、銃を構えた。

「燃やすだけが能ではないんだな。だが、殺していないというのは意外だな」

「たまに、こんな命令されるんだよ」

レオナルドは、ダニエルの銃口を見据える。

「なるべく傷を付けないように、死体をきちんと残しておくように、だけど一撃で殺せってな。それと同じやり方で力を弱めてやれば、気絶させるだけで済むんだよ」

「なるほどな」

ダニエルの銃口は、真っ直ぐにレオナルドの額を狙っていた。

「効率的だ」

「は、早く、あれを殺してしまえ! ダニエル、命令だ!」

ダニエルの背後に回ったアーノルドは、じりじりと後退っている。ダニエルは、ちらりと背後に目を向けた。

「あれではありません。レオナルド・ヴァトラス少年兵です」

「なんでもいい、とにかく殺せ、殺してしまえ!」

アーノルドは後退っていたが、倒れた兵士に足を取られて転んでしまった。それでも、身を下げていく。

「早くしろ、ダニエル!」

ぜいぜいと浅い呼吸を繰り返しているアーノルドの目尻には、僅かながら涙が滲んでいて、ひどく滑稽に見えた。
ダニエルは、アーノルドから目を外した。ほんの少しは抱いていた上官への敬意が、呆気なく吹き飛んでしまった。
何も泣くことはないだろう。ダニエルは本気で呆れ果てながら、背後から聞こえるアーノルドの懇願を聞き流した。
レオナルドに向くと、レオナルドは身動ぎもせずに立っていた。炎に照らされた頬は、真っ赤に染まっている。
ダニエルは銃を下げて、少年に歩み寄った。レオナルドは逃げることもせずに立ち尽くしていたが、肩を落とした。

「レオ」

ダニエルが名を呼ぶと、レオナルドは顔を上げずに呟いた。

「悪ぃ、ダニー。オレ、本当に限界だ」

炎の燃え盛る音で掻き消されてしまいそうなほど、弱々しい言葉だった。

「もう、嫌なんだ」

ダニエルは、今にも泣き出してしまいそうなレオナルドを見ていたが、がくがくと震えているアーノルドを見た。
掠れた声で、殺せ、と繰り返している。ダニエルはレオナルドを抱え上げると、念動力を高め、一気に放った。
地面を強く蹴り、跳ね上がった。炎が生み出す上昇気流と煙に満ちた基地の上空まで浮かび、基地を見下ろした。
基地島の、塀に囲まれている内側だけが明るかった。東の空が白み始めていたが、辺りはまだ夜のままだった。
もう一つの営舎も、整然と並んでいた倉庫も、基地の中央にある建物も、見張り台も、その全てが燃えていた。
燃えていない場所には瓦礫が散らばっていて、兵士達のものと思しき凄絶な悲鳴や叫び声が、聞こえてくる。
ダニエルの腕の中で震えている少年は、熱かった。この破壊の全てを彼が行ったのかと思うと、畏怖を感じる。
だが、同時に悲しくもなった。レオナルドがここまで荒れてしまうほど、彼はひどい目に遭っていたのだろう。
ダニエルは、レオナルドの苦しみに気付けなかった自分が、情けなくて、腹立たしくて、悔しくなってきた。
いっそ殺した方が楽に出来るかもしれない、任務だと思えば殺せるかもしれない、と思ったが出来ず終いだった。
ダニエルは姿勢を傾げ、基地上空から外れていった。基地島と陸を繋いでいる跳ね橋すらも、延焼していた。
赤々と燃える基地に背を向けて、海岸線を辿っていった。夜の暗さを吸い込んだ海面の上を、音もなく飛ぶ。
岬を通り越して異能部隊基地から見えない場所までやってくると、高度を下げ、砂浜にずしゃりと足を付けた。
抱えていたレオナルドの重量でダニエルはよろけかけたが、転ぶ前に姿勢を直し、レオナルドを下ろした。
湿った砂の上に足を付けたレオナルドは、ダニエルを見上げた。薄暗いせいで、表情がよく解らなかった。

「ダニー…」

ダニエルは、不安げな顔をしているレオナルドを見下ろした。殺されるかもしれない、と思っているようだ。
異能部隊基地で暴れていた時の威圧的な態度が、引っ込んでいる。というより、冷静さを取り戻したのだろう。

「外へ、出たかったのか」

ダニエルの言葉に、レオナルドは頷いた。ダニエルは、岬に隠れてしまっている基地島を仰ぎ見た。

「そのためだけに、あんなことをしたのか」

「最初は、門を吹っ飛ばすだけのつもりだったんだ。だけど、歯止めが効かなくなっちまって…」

レオナルドの声は、沈んでいた。ダニエルは、項垂れている少年を見下ろした。とても、痛々しい姿だった。
大きさの合わない戦闘服には火の粉による焼け焦げが出来ていて、薄茶の柔らかな髪は煤と泥にまみれている。
念力発火能力を制御しようとしたのか、手のひらには爪が深く食い込んだ傷痕があり、血が滲んですらいた。
ダニエルは腰のホルスターに差してある拳銃に手を掛けて抜こうとしたが、それを抜くことはなく、手を下げた。
レオナルドは多大なる罪を犯したのだから、殺すべきだとは思うし、殺すのは容易い。だが、一生後悔する。
戦いのない世界への渇望があるのは、ダニエルも同じだった。心の片隅に、平穏な日々を求める気持ちはある。
だが、その程度は小さい。レオナルドのように、何がなんでも外へ出たい、という衝動になるほどではない。
だから、ダニエルにもレオナルドの気持ちは理解出来る。しかし、軍人としての自分は別の判断を下していた。
ここでレオナルドを殺してしまわなければ、後々に影響する。異能部隊だけでなく、軍全体に関わるかもしれない。
仮にレオナルドが外の世界へ脱したとしても、これほどの能力を持った彼を、軍が連れ戻さないとも限らない。
だが、連れ戻された後でも今回のような事を起こしたら、異能部隊のみならず異能者達全てに影響を及ぼす。
それでなくても化け物扱いされている異能者が危険視されて、差別でもされてしまったら、それこそいけない。
だが。彼の友人としての自分は、レオナルドを殺せない、友人である彼を殺してはいけない、と叫んでいる。
ダニエルは、そのどちらを取るかで悩んでいた。箱庭の中で生きてきた自分と、箱庭の外を見ている自分がいる。
初めてのことだった。普段であれば、任務と思えばどんなことだって出来たし、人を殺すことなど容易かった。
だが、レオナルドを殺すことは任務だと思おうとしても、彼を殺したくない気持ちばかりが強くなってきてしまう。
ダニエルが揺れ動く心を定められずにいると、レオナルドは目元に滲んだ涙を拭ってから、ダニエルを見上げた。

「ダニー。オレを、殺しに来たのか?」

「ああ。そのために来た。そのつもりだった」

ダニエルは、自虐的に笑った。どちらの心も嘘ではないからこそ、判断が付けられなかった。

「だが、その気になれないんだ」

「んじゃ、ダニーがその気になる前に、オレは帰るよ」

レオナルドはダニエルに背を向けて、歩き出した。ダニエルは、その小さな背に振り向いた。

「どこへ」

「首都に、オレの家族がいるから。だから、そこに。帰ってもろくな扱いされないのは解ってるけど、帰りたいんだ」

レオナルドは岩に手を掛けてよじのぼり、上に到達すると、ダニエルを見下ろした。

「ダニー。オレを止めないのか?」

「止めたら、レオは私を焼くだろう?」

「解ってるじゃん」

あばよ、とレオナルドは素っ気なく言い残し、岩場の反対側に飛び降りた。そして、彼の気配は遠ざかっていった。
ダニエルは急に力が抜けて、近くにあった岩に背を預けた。レオナルドを殺すべきかどうか、まだ迷っていた。
今、追いかけていけば、まだ間に合う。あれだけの炎を放っているのであれば、レオナルドは相当消耗している。
炎を放たれたとしても大した威力ではないだろうし、念動力や拳銃を使わずとも、素手で倒せることだろう。
だが、やはり、殺したくない。歳は離れているかもしれないが、レオナルドはただ一人の友人らしい友人だ。
ダニエルは自分の考えの甘さが嫌になってきたが、レオナルドを追いかける気力は、欠片も出てこなかった。
岩に寄り掛かったままずり下がり、冷えた砂に座り込んだダニエルは、まばらに星が散る白んできた空を仰いだ。
このまま、レオナルドのように逃げ出して姿を消してしまえば、灰色の箱庭の外へ出ることは叶うだろう。
年端も行かない頃に入隊してからずっと、あの塀の中で生きてきた。だから、出てみたいという思いはあった。
しかし、決断は出来なかった。痛め付けられた異能部隊を見捨てられないし、軍から離れることは躊躇われた。

「所詮、箱庭の中の住人か」

ダニエルは岩から背を外すと、念動力を解放して己の体を浮かばせて足元を蹴り、勢いを付けて上昇する。
砂浜から離れて海面の上に出ると、日の昇り始めた空を焼かんばかりに燃え続けている基地島に向き直った。
夜のうちに雪雲が晴れたのか、空は明るい。氷のように冷え切った風を切り裂き、ダニエルは一直線に飛んだ。
レオナルドへの複雑な思いや、外への憧れを振り切るために、更に加速しながら基地島に向かっていった。
箱庭の内へ、戻るために。




異能者のために生み出された、異能者達の住まう箱庭。
念動力を操る少年は、そこを生きる場所と定めたが、炎の子供は違っていた。
外への渇望のままに破壊を繰り返し、外へ出た炎の子供が、残していったものは。

熱き炎と、箱庭の出口である。







06 4/18