手の中の戦争




第十一話 恋の行方



高宮屋敷の裏手にも、大きな駐車場があった。
そこには、高宮重工のトレーラーが三台も並んでいて、警備のために配備された自衛官達が周囲を固めていた。
彼らは自動小銃を手にしていて、直立不動だ。こんなことのために休日に呼び出されちゃうなんて、大変だ。
私は彼らへの労いを込めて、敬礼した。夏じゃないからまだ良いけど、それでも立ちっ放しは辛いのだ。

「ご苦労様です」

彼らは、敬礼をやり返してくれた。私よりも先を歩いていた朱鷺田隊長も敬礼すると、彼らは再度敬礼をした。
鈴音さんと話していた北斗と南斗が、こちらにやってきた。鈴音さんは、また今度ねー、と手を振っている。
二人も鈴音さんに軽く手を振ってから、トレーラーにやってきた。三台もあるのは、偽装工作も兼ねている。
一台だけに北斗と南斗が二人も乗っていたら、その一台を狙われた時に、あっさりと全滅してしまうのだ。
それを防ぐために分乗し、もう一台はダミーというわけだ。金は掛かるけど、用心にするに越したことはない。
リボルバーとインパルサーも、見送りにやってきていた。インパルサーは、可愛らしいケーキ箱を手にしている。

「礼子さん、これ」

インパルサーが慎重に渡してきたケーキ箱からは、香ばしいバターと小麦の匂いがふわりと漂っている。

「アップルパイです。お帰りになった後にでも、どうぞ」

「どうも、ありがとうございます」

私がケーキ箱を受け取ると、インパルサーはトレーラーを囲んでいる自衛官達に向いた。

「皆さんの分も作りましたので、トレーラーに乗せました。駐屯地にお戻りになったら食べてみて下さいね」

「気ぃ回しすぎだろ、おい」

リボルバーが肩を竦めると、インパルサーは、いえいえ、と首を横に振る。

「最前線で働いて下さっている方々は、大事にしなければいけないんですよ。国防を担ってらっしゃるのですから」

「そりゃあそうだがよ…」

リボルバーは、あまり腑に落ちていないようだった。自衛官達を見ると、表情は硬いが嬉しそうな様子だった。
疲れている時には、甘いものは嬉しいものだ。インパルサーの気遣いは余計じゃないと思うぞ、リボルバー。
朱鷺田隊長は、三番目のトレーラーの後部を開けている。そういえば、と思い、私は朱鷺田隊長を見上げた。

「隊長、乗っけてもらってきたんですか?」

「まぁな。俺の車はあるんだが、出すのが面倒だったんだよ」

それだけだ、と言い残して、朱鷺田隊長は三番トレーラーに入っていった。不精というか、効率的というか。
北斗と南斗はと見ると、なぜか、唐突にジャンケンをしていた。三回勝負を行っていたが、北斗が二回勝った。

「それでは、自分が一番だ!」

ははははははは、とやけに嬉しそうにしながら、北斗は一番トレーラーに向かった。なんだ、そんな勝負か。

「ちぇー。三番でやんのー」

南斗もやけに悔しげに、グーで負けた手を握ったり開いたりしている。相変わらず、子供っぽいことをするなぁ。
次はオレが、と無意味に意気込んでいる南斗を、私は見上げた。目元とヘルメット以外に、北斗とは差がない。
遠目にぱっと見ただけでは、見分けは付かない。見慣れていない頃には、そんなことがよくあったものだった。
でも、今となれば見分けは付く。南斗は立ち姿がちょっとだけ緩いのだけど、北斗はやたらと硬いのである。
簡単に説明すれば、肩を怒らせているか下ろしているか、というのが違いだ。それは、性格のせいなのだろう。
私はケーキ箱を落とさないようにしっかりと持ってから、スカートのポケットを探り、あるものを取り出した。

「南斗」

南斗が振り向いたので、私はそれを握った手を伸ばした。

「手、出して」

「何、礼ちゃん?」

南斗は、私に言われるがままに手を差し伸べてきた。私はかかとを上げて背伸びをし、その手の中に落とした。

「これ、返すね」

ちゃりっ、と小さく金属音がした。チェーンから外した一枚のドッグタッグが、南斗の手のひらに、滑り込んだ。
私が渡した物を見、南斗は表情を消した。薄く開いた唇がぐっと締められたが、それが、強引に上向いた。

「…これは、さすがにオレでも解るぜ」

その声は明るかったが弱々しくて、切なそうだった。南斗は、偽物だが自分のドッグタッグと、私を見比べる。

「これ、マジ?」

「マジ」

私が頷くと、南斗はドッグタッグを握り締めた。

「超、有り得ねーって感じ? これ、あの野郎、知ってんのか?」

「まだ」

私は、首を横に振った。南斗は一瞬悔しげにしたが、にっと笑った。無理しちゃって。

「そっか! 礼ちゃん、頑張れよ! まぁ、頑張らなくたって、あの野郎ならすぐに落とせると思うけどな!」

「うん。ごめん、南斗」

私が目を伏せると、南斗は私の髪を乱した。それは、リボルバーと同じ手付きだった。

「謝る必要なんてねーって。そりゃ、オレはマジ残念だし超悔しいけど、礼ちゃんが決めたんだからさ!」

な、と南斗は私の顔を上げさせてから手を離した。その笑顔は妙に明るくて、それが痛々しいと感じてしまった。
南斗も、私のことが好きなんだ。北斗ほどあからさまじゃないけど、茶化してはいるけど、それは本当のことだ。
だから、余計に悪い気がしてしまった。自分で決めたことだけど、少しだけ後悔しそうになって、思い直した。
この方がいいんだ。こうしておかないと、後でもっと苦しい思いをする。私は髪を直し、南斗に笑い返した。

「うん」

「じゃな、礼ちゃん」

南斗は私に背を向け、手を振りながら三番トレーラーに向かっていった。私は、その大きな背を見送っていた。
私も、南斗のことは好きだ。でも、ちょっとだけ違うんだ。考えて、悩んでいると、その違いが解ったんだ。
一緒にいればいるほどその違いが身に染みてきて、好きにも種類があるのだと、私は初めて知ることになった。
自分のことなのに、まだ信じられない。でも、これは嘘じゃないんだ。私は、三台のトレーラーに背を向けた。
すると、強い風が巻き起こった。見上げると、リボルバーの重厚な影と、インパルサーの細身の影が浮いている。
北斗と南斗と同じく反重力装置を使っているのか、空気がふわふわする。インパルサーの姿が、変わっている。
背に付いている翼が大きさを増していて、立派になっている。どうやったのかは知らないけど、変形したのだろう。
リボルバーは身を屈め、私を真上から見下ろしてきた。敬礼に似た形で手を上げてから、にやりと笑った。

「あばよ、嬢ちゃん。また会えるかもしれねぇし、もう二度と会わないかもしれねぇがな」

「あの」

私は、リボルバーに言い忘れていることがある。二人が起こす風で乱れた髪を押さえ、声を張った。

「助けてくれて、ありがとうございました!」

「…おう」

リボルバーは、嬉しそうに目を細めた。十年前に言えなかったことを、また言いそびれてしまうところだった。
彼らは正義ではない。けれど、悪でもない。でも、私の中ではヒーローなんだ。助けてくれた、命の恩人だ。
それだけは確かで、揺るぎのない真実だ。リボルバーが助けてくれなければ、私はここに立っていないのだから。

「それでは、さようなら。礼子さん、またいつか、お会い出来る日を楽しみにしています」

インパルサーが飛び立とうとしたので、私は彼にも言った。

「ケーキ、とってもおいしかったです! ごちそうさまでした!」

「ありがとうございます」

インパルサーは小さく頭を下げると、すいっと音もなく上昇した。リボルバーの影も、徐々に上へと進んでいく。
二人はある程度の高さまで上がると、駐車場の端を見やった。その視線の先には、鈴音さんと由佳さんがいた。
彼女達は、寂しげだった。彼らも、寂しげだった。心から好き合っているのに、離れなければならないのだから。
互いの思い人から目を外した二人の戦士は、一気に加速した。その瞬間に発生した強烈な風が、吹き抜けた。
その風が失せると、赤と青の影も見えなくなった。空のどこを探しても、目に付く原色はどこにもいなかった。
好きな人を守るために離れていなければならないなんて、なんて皮肉だろう。けれど、それは仕方ないことだ。
彼らは、もう二度と戦わないと誓った。彼らが高宮重工の傍にいる限り、シュヴァルツ工業の影は近寄ってくる。
シュヴァルツ工業の影がある限り、戦いは起きる。その連鎖を断ち切っておくためにも、必要なことなのだ。
とても、切ないけれど。




私は、正面玄関側の駐車場に向かっていた。
行きが神田隊員の車だったので、帰りも神田隊員の車だ。電車でも良いのだけど、時間が掛かりすぎるのだ。
広い屋敷の玄関から伸びた、玉砂利の敷かれた敷石の並ぶ道を歩きながら、バイクのエンジン音を聞いた。
涼平さんは、一足先に帰ったようだ。由佳さんは鈴音さんと話し込みたいとかで、まだ帰らないのだそうだ。
匂いだけでも物凄くおいしそうなアップルパイを崩さないように、ケーキ箱をしっかり抱え、慎重に歩いた。
だから、足音も小さかった。私が駐車場まで近付いていくと、そこには神田隊員とすばる隊員の姿があった。
ああ、またこういうシチュエーションか。別にデバガメ趣味はないんだけどなぁ、と思いながら、身を引いた。
幸い、高宮屋敷の庭には綺麗に揃えられた植木がある。身を隠すには丁度良い、ゲリラ戦向きの前庭なのだ。
身を引っ込めて、生け垣の間から様子を窺う。出ていくタイミングを逃したら、家に帰れなくなってしまう。
すばる隊員は眉を下げていて、泣きそうにも見えた。神田隊員と由佳さんのことが、気掛かりなのだろう。

「ホンマ、由佳はんって可愛え人なんやねぇ」

神田隊員は黒のジープラングラーの、ボンネットに背を預けている。あのアップルパイの箱も、載せてある。

「美空も高宮も、高校の頃から全然変わらないんですよ。オレは、大分変わっちまいましたけどね」

「やっぱり、うちはあの人には勝てへんね。勝てるはずがないんや」

すばる隊員は、声を涙混じりに上擦らせ、俯いた。

「せやから、神田はん。うち、あのこと、全部忘れさしてもらいます」

神田隊員の表情ははっきりとは見えなかったが、険しいように思えた。

「すばるさん」

良く通る、覇気の強い声だった。すばる隊員は、顔を上げない。

「もう、ええんです。礼子ちゃんにもみぃんな話してもうたし、もうええんです。うちは、裏切り者やし」

神田隊員は、すばる隊員の両肩を素早く掴んだ。そのまま力一杯引き寄せて、腕の中に閉じ込めてしまった。
逃げる間もなく抱き竦められたすばる隊員は、ぐしゃりと顔を歪めた。神田隊員の胸を、押し戻そうとする。

「せやから、もう、ええんやて! もう、もう、優しゅうせんといたって! ホンマ、お願いやから!」

神田隊員の手がすばる隊員の後頭部を押さえ、更に深く抱き締めた。

「聞けません。あなたはオレの上官じゃありませんから」

すばる隊員はまだ何か言おうとしたが、くぐもっていて聞こえなかった。神田隊員は、彼女の髪を撫でる。

「すいません、すばるさん。オレが煮え切らないばっかりに、ずっと、辛い思いをさせてしまって」

神田隊員はすばる隊員の肩に、顔を埋める。

「すいません」

「神田はんは、悪ぅないよ。ただ、うちがアカンの。神田はんが優しゅうんを、勘違いしてしもてん。それだけなんよ。苦しいんも辛いんも、みんなみんなうちがアカンの。せやから、神田はんが困ることないんよ」

すばる隊員は神田隊員の胸をもう一度押し、下がった。

「でも、もう、ええ。ホンマに、ええ。神田はんに、こんなに優しゅうしてもろたから、気ぃ済んだわ」

「オレの気が済みません!」

神田隊員は、すばる隊員を引き戻した。すばる隊員は混乱しているらしく、声色が高ぶった。

「なっ、なんでやの、なんでそうなるん!? 神田はんは、うちのことなんとも思うとらへんねやろ!?」

「なんとも思ってなかったら、あんなことはしませんよ!」

神田隊員の叫びは、照れくさいのと恥ずかしいのが混じっている。すばる隊員の声色が、また高くなる。

「せっ、せやかてぇ。あ、あんまりいきなりやったしぃ、神田はん、そんなん、全然…」

「区切りを付けてからでないと、悪い気がしたんです。美空にも、すばるさんにも」

すいません、と神田隊員は再度謝った。すばる隊員の肩を押して離し、真正面から向き合うと、表情を硬くした。
すばる隊員の頬は真っ赤になっていて、涙のせいで瞳が潤んでいる。気弱な眼差しで、神田隊員を見ている。
遠目に見ても、可愛かった。これで本当に二十五歳なのだろうか、と思えるほど、少女じみた表情だった。
神田隊員の理性が決壊するのも、時間の問題だ。神田隊員はすばる隊員を見据えていたが、強く、言った。



「好きです。本当に、好きなんです」



すばる隊員の頬が、もっと赤くなった。神田隊員は横顔しか見えないが、彼もまた充分に顔を赤らめていた。

「…二度も言っちまった」

顔を逸らし、情けなさそうにする神田隊員を、すばる隊員はまじまじと見つめていた。

「ホンマ?」

恐る恐る、といった様子で確かめてきたすばる隊員に、神田隊員は顔を押さえた。余程、恥ずかしかったらしい。

「冗談で言えますか、こんなこと!」

すばる隊員は、何度か瞬きした。目元に滲んだ涙を拭ってから、照れを我慢している神田隊員を見上げる。

「ホンマに、ホンマなんやね?」

「嘘なもんですか」

神田隊員が漏らすと、すばる隊員は口元を押さえた。

「ほなら、もう一回、してくれへん?」

すばる隊員の指したものが何なのかすぐに解ったのか、神田隊員は目を丸めた。

「今、ですか?」

「あ、嫌やったらええよ、しとうないんやったらええよ、い、言ってみただけやから!」

慌てて、すばる隊員は身を下げて手を横に振る。神田隊員は肩から力を抜くように、深く息を吐いた。

「…一度だけですよ。何度もやったら、オレの方がやばいです。色々と」

「人んちやしねぇ」

「しかも上司の家ですよ」

真顔で返した神田隊員に、すばる隊員はぎくっとした。

「あ、そやったねぇ、うっかり忘れとったわ…」

「まぁ、見つかる前にさっさと終わらせちゃえばいいだけのことですよ」

神田隊員はすばる隊員を引っ張って、黒のジープラングラーの影に入らせた。そこは、監視カメラの死角だった。
車の側面に、すばる隊員の背が押し当てられる。両肩を掴んでいた神田隊員の手が外され、そっと頬を包む。
すばる隊員は神田隊員の首に腕を回すと、引き寄せた。互いの息が掛かるほどに、二人は距離を狭めた。
そして、目を閉じたすばる隊員の薄い唇に、神田隊員は己の唇を押し当てた。舌を差し込んだのか、深くなる。
そこまで見てしまって、私は急いで背を向けた。見てはいけないものの一部始終を見ちゃった、見ちゃったよ。
この分だと、帰るまで大分時間が掛かってしまいそうだ。私は音を立てないようにしながら、そっと立った。
ばくばくとうるさい心臓の音を聞きながら、アップルパイの箱を落とさないように気を付けつつ、離れた。
私以外の誰もいない前庭を歩きながら、考えてしまった。私も、ああいうことをするようになるんだろうか。
しない、とは思うけど、してしまうかもしれない。やり方は神田隊員ので解ってしまったから、きっと、たぶん。
そんな、気がして止まない。




翌日。私は、一日中ぼんやりしていた。
なので、学校の授業にはまるで集中出来なくて、奈々の話も聞き逃してしまうくらいに、ひどい上の空だった。
奈々は風邪でも引いたのかと心配してくれたが、真相は話せなかった。話したら、奈々が食い付くからだ。
他人の色事を目の当たりにして、挙げ句にやることやるまで見てしまったなんて、絶対に言えるはずがない。
そして、そのことを図らずも自分のことに重ねてしまっては、内心で、無意味に照れたり戸惑ったりしていた。
そのせいで無駄に気力と体力を消費し、下校する頃になったらぐったりしてしまい、夜の読書が捗らなかった。

恋って、やりづらい。





 


06 7/31