手の中の戦争




第十四話 スクール・ウォーズ 後



太陽が銃口を上げる直前、強風が抜けた。
それは、飛龍の起こした風だった。北斗と南斗を振り払うかのように空高く飛び上がっていき、次第に小さくなる。
北斗と南斗の影も、飛龍を追う。あっという間に間を詰めると、北斗と南斗は同時に飛龍の両肩に蹴りを入れた。
だが、飛龍は揺らがなかった。二人の蹴りが入るのと同じタイミングで、背中のジェットの威力を強めたのだ。
北斗と南斗に身を乗り出した飛龍は、両肩にいる二人に手を掛けて投げ落とそうとしたが、その前に二人が引く。
飛龍は身を捻って南斗に蹴りを放つと、南斗は避けたがその直後、今度は太い尾が南斗に突っ込んできた。
南斗は急上昇して、ぎりぎりのところで尾を避けたが、次は先程とは反対側の足、右足が振られて飛んできた。
一連の動きには、無駄がない。大柄ながら流れるように体を動かして、尾ももう一本の足のように使っている。
飛龍は北斗と南斗を捉えようとしているようだが、北斗と南斗は目まぐるしく飛び回って、飛龍を翻弄している。
だが、攻撃は加えられていない。間を詰めようと思っても飛龍の腕と足が邪魔をし、そして尾によって攻撃される。
飛龍には、隙がない。なんとか近接戦闘に持ち込まないと、こちらのペースに引き入れることは出来なさそうだ。
彼らの巻き起こす強烈な風音に混じり、破裂音がした。私の傍を通り抜けた弾丸が、コンクリートにめり込んだ。

「どこ見てる」

私は、屋上の階段の壁を見やった。太陽の撃った弾丸が潰れていて、そこを中心にして細いヒビが走っている。

「あっちはあっちで、こっちはこっちだ。集中しようじゃねぇか」

私はMP5Kを持ち上げ、太陽に向けた。引き金を押し込もうとした時、上空から一直線に何かが降ってきた。
激しい衝撃音と粉塵が舞い上がり、屋上の端が砕ける。うがっ、と声が漏れ、瓦礫の中から南斗が起き上がった。

「こんの野郎ー!」

南斗はすぐさま飛び上がって、飛龍の元に向かった。南斗の出したジェット噴射で、更に粉塵が舞い上がった。
数秒間程度、粉塵で視界が奪われた。私は視界を取り戻すと、太陽の姿が失せていて、辺りを見回した。
迷いのない足音が私の前から外れていき、飛び上がった。ヒビと瓦礫の上を飛び越えて、こちら側に着地する。
太陽が姿勢を戻す前に、私は太陽に向けてMP5Kを撃った。だが、またもや弾丸の軌道上から体をずらした。
姿勢を低くしたかと思うと腰を上げて、拳銃ではなくナイフを手にしていた。真っ直ぐに、私に向かってくる。
やばい、このままじゃやられてしまう。私は手榴弾を出してピンを引き抜くと、太陽に向けて放り投げた。
ごとっ、と重たい音がし、コンクリートの上に転がる。太陽はこちらに向かう足を止めて、跳ねるように後退した。
私も後退し、出来るだけ離れた。数秒後、閃光が迸り、炸裂した。あまりの音の強さに、私の耳は痺れた。
鼓膜にびりびりとした震動が残り、頭の芯が痛いくらいだ。それはあちらも同じだろうと、正面を見据えた。
煙が晴れると、太陽の姿が見えた。手榴弾の硝煙で目をやられてしまったのか、しきりに目を拭っている。

「てめぇ!」

太陽は素早く拳銃を上げ、連射した。私がその場から逃げた直後に、数発の弾丸がフェンスにぶつかった。
私は階段の建物の傍に身を隠すと、太陽の放った弾丸の数を数えた。これでもう、七発は撃っている計算だ。
太陽の使っているSIG・P220の装填弾数は、九発。チェンバーにもう一発入れていたら、十発となる。
ということは、残りは多くて三発。少なくて二発。それだけ消耗させれば、撃たれる心配はなくなるだろう。
自動小銃は、分断された屋上のあちら側にある。マーカー弾も使うかもしれないが、それは大丈夫だろう。
ちぃっ、と太陽の苛立った舌打ちがした。太陽の足音が次第にこちらに近付いてきたので、私は腰を上げた。
階段の建物の周りを回って、中に入ろうかと思ったが、それは止めた。それでは、袋のネズミになるだけだ。
私は太陽の視界に入らないように気を付けながらも、いつになく緊張していた。ここは、私には不利な場所だ。
身を隠す場所がほとんどないし、太陽の方が手練だ。どう考えても、私には勝ち目らしい勝ち目なんて、ない。
ちらりと上空に目をやると、あちらもあちらで大変そうだ。追い詰めようとしているが、追い詰められない。
だが、北斗と南斗は決してやられているばかりではない。じりじりとだが、飛龍にダメージを与えている。
何度もやり合っているうちにタイミングが掴めてきたようで、北斗と南斗は飛龍の間合いに入っていた。
けれど、そこから先へは行けない。後もう一息、というところで追撃が加えられて、飛龍を掴めないのだ。
なんとももどかしい。だが、いつまでも彼らを見ているわけにはいかないので、私は太陽に注意を戻した。

「飛龍!」

太陽が叫ぶと、数秒のラグの後、飛龍は顔を上げた。

「飛龍!」

太陽が再度名を呼ぶと、飛龍はこちらを見下ろした。赤いスコープアイを強く輝かせ、姿勢を傾げてくる。

「飛龍!」

命令は、通じないのではなかったのか。いや、命令はしていない、呼んでいるんだ、こちらに来るようにと。
飛龍の影が、どんどん近付いてくる。私と太陽のいる屋上に突っ込んでくると、二人の姿も落下してきた。
巨大な飛龍が飛び降りる寸前に屋上に降りた北斗と南斗は、私のいる前に立つと、両腕の装甲を開いた。
じゃきり、と二人は両腕から速連射銃を出すと、ジャケットに差し込んでいた専用のマガジンを引き抜いた。
それを両腕の銃身に差し込み、両手を握り締めた。唇を引き締めて飛龍を見据えていたが、一声、叫んだ。

「発砲!」

同時に、二人は発射した。私は二人の背を見ながら撃たれ続ける飛龍を見上げたが、装甲には穴も開かない。
どれだけ、硬い装甲なんだ。じゃらじゃらっと飛び散る薬莢が途絶え、辺りには硝煙の刺激臭が広がった。
北斗と南斗は、速連射銃の生えた腕を下げた。飛龍の両足が屋上に下ろされ、ずぅん、と屋上全体が揺らいだ。

「ここで戦え! その女がいれば、そいつらは逃げられないからな!」

飛龍の顔が、北斗と南斗に向いた。北斗と南斗が身構えると、飛龍は立ち上がり、腰を捻って尾を伸ばした。
しなやかに振られた尾の先が、階段の建物に叩き込まれ、歪んだ鉄骨とコンクリートの破片が飛び散った。
一際大きな破片が、私の頭上に落ちてきた。逃げようと思うよりも先に、飛び上がった北斗が破片を蹴った。

「でぇあっ!」

蹴り飛ばされた破片は、飛龍へと向かう。飛龍は顔面へと向かってきた破片を、簡単に手の甲で薙ぎ払った。
狭い屋上でも、飛龍の動きは淀まない。足場が狭くて脆いはずなのに、先程と何ら変わらない素早さだ。
北斗と南斗は私の傍から離れようとしたが、それよりも先に飛龍の蹴りや拳が訪れ、逃げる暇などなかった。
二人は寸でのところで避けているが、足元が危ういことと、私が背後にいるために、反撃出来ていなかった。
飛龍の蹴りが叩き込まれるたびに、屋上どころか校舎が震え、分厚いコンクリートが粉々にされていく。
細かな破片が掠めたのか、頬に鋭い痛みが走っていた。このままじゃやられるだけだ、と私は二人に叫んだ。

「いいから、下に降りて!」

「しかし、礼子君!」

振り下ろされた尾を受け止め、北斗が私に叫んだ。私は飛龍を見上げてから、太陽を横目に睨む。

「このままじゃ、あんた達がやられちゃうだけだ! だから、校庭でもグラウンドでも降りて戦って!」

「けどさぁ!」

飛龍の足を掴んでいる南斗が抗議の声を上げると、私は一際強く声を張った。もう、足手纏いでいたくない。

「いいからさっさと行け! 私は大丈夫、一人でなんとか出来る!」

二人は、私に振り向いた。驚いたような、それでいて戸惑っているような顔をしていたが、表情を引き締めた。

「アイサァアアアアッ!」

北斗と南斗は、力強く猛った。背中のジェットポッドから走る炎を一気に膨らませ、風に混じる熱も上昇する。
飛龍が、持ち上げられていく。重心を支えている左足が徐々に反っていき、バランスが怪しくなっていく。
大きいから、足下を掬われると弱いようだ。北斗と南斗もそれに気付いているのか、ジェットの威力を増す。
北斗と南斗が、砕けたコンクリートを蹴り上げた。二人が急上昇すると、飛龍は体の上下をひっくり返された。
屋上のフェンスを破りながら後ろにのめり、頭が反れていく。そして、飛龍の巨体は、地面に叩き付けられた。
ずん、と鈍い音と重たい震動がした。やった、と私が内心で歓声を上げると、無線からすばる隊員が言った。

『早うしいや! あんまりもたもたやっとると、コマンドシステムが復旧してまうで!』

「了解っ!」

飛龍の落ちた場所から、北斗と南斗の叫びが返ってきた。前転して立ち上がった飛龍の姿が、ちょっと見えた。
あっちは、もう大丈夫だ。きっと、勝てる。私は深く呼吸してから、全身に怒りを漲らせている太陽に向いた。
最終手段の飛龍がやられているから、焦っているのだ。酷薄な笑みはもう見えておらず、ただ苛立っている。

「投降しろ、李太陽」

「…うるせぇ」

「投降しろ。もう、お前に逃げ道はない」

私が淡々と言うと、太陽は目を吊り上げて私を睨んだ。

「うるせぇっつってんだよこのアマ! オレが鉄砲玉だと、そんなこと有り得ねぇ!」

「どうだか。これだけ派手なことをやらされているわりに、あんたの周囲には誰もいないじゃない」

私は努めて冷静さを保ちながら、太陽を狙った。すばる隊員の言っていた通り、太陽は、正しく鉄砲玉なのだろう。
この作戦は、今までのシュヴァルツ工業のやり方に比べたら、荒が目立っているというか、色々と雑な感じがする。
自衛隊を装って中学校に襲撃を仕掛けたわりに、いきなりロボットを持ち出すなんて、極端すぎて妙な気がする。
殺戮が目的なら全校生徒を殺すはずなのに、何もしない。私を捕らえるつもりなら、もっとちゃんとやるはずだ。
そう、ただ派手なだけだ。ロボット同士が取っ組み合って暴れているだけで、根底の部分は見えていない作戦だ。
私が窺えていないだけなのかもしれないが、太陽自身も解っていないのではないだろうか。この戦いの目的を。

「太陽」

私は、太陽に向き直った。

「シュヴァルツ工業が勝てば、誰が得をする? 高宮重工が負ければ、何が損になる?」

「何が言いたい」

「利害関係の整理。第一、公立中学校なんかを襲撃すること自体が、まずずれている気がするんだよね」

私は、感じた違和感を並べ立てた。

「政治目的ならそれ相応の場所に、要求があるなら犯行声明を、無差別殺戮なら襲撃なんてしないで適当な爆弾でも仕掛けているはずだよ。なのに、あんた達はそういうもっともらしいことを何一つしなくて、私だけを狙って、だけど殺そうともしていない。確保するとか言うわりに、見張りがあんただし、他の戦闘員達はあんたに比べて、やる気がなかった。戦闘員の誰かが言っていたけど、やろうと思えば、私を確保するのなんて簡単なはずだよ。殺すのもね。だけど、何もしていない。あんた自身も、するなと命令されている。こちらも、あんたを今のところは殺せない立場にある。だけど、どちらも背後関係は分厚い。ということは、その背後関係を餌にした、ルアーなんじゃないの?」

「…ルアー?」

「疑似餌ね。で、私達の下にくっついている針は、あの二人とあんたの飛龍」

私は、校門の前にごった返す報道陣を見下ろした。あの中には、シュヴァルツの関係者がいるのだろう。

「私とあんたが動けば、必然的にあの二人も動き、あんたは飛龍を動かす。そして、戦闘ロボットだから戦い合うのは当然だよ。でもって、報道規制が間に合わなかったのも、ちょっと変だと思うな。高宮重工はもとい、シュヴァルツ工業も、それぐらいのことなら出来るはずだと思う。なのに、していない。ということは、見せたいんじゃないのかな。あいつらの戦いを」

「誰に」

「そういうことは、そっちの方が詳しいと思うけど」

私はそこまで言ってから、一旦言葉を切った。だけどこれは、ただの思い付きで、確証なんて何一つないけれど。

「囮が囮に食らい付いた、ってことだよ。でもって、囮同士で戦っているんだよ。飛龍の性能を見せ付けて、シュヴァルツの技術力を知らしめて、シュヴァルツの売り上げに貢献するための、デモンストレーションに過ぎない戦いなんだよ、きっと」

「オレが、囮…?」

太陽はそんなことは考えたこともなかったらしく、目を見開いている。私は、頷いてやった。

「囮。私も囮なら、あんたも囮なの。最前線を任された、一人前の兵士なんかじゃないよ」

中学校どころか周辺一帯に響き渡る、爆発音に似たものが鼓膜を叩いた。土煙が、校門側から上がっている。
飛龍の巨大な姿が、頭から地面に突っ込んでいた。その尾は南斗に掴まれていて、南斗はそのまま急降下した。
股の間を通して曲げられた尾はぎちぎちと装甲が軋み、コードが切れたらしく、ぶちぶちっと音がしていた。
そして、尾の装甲がずれ始め、内部が露出した。太いシャフトが現れると、すかさず北斗が拳を突っ込んだ。
尾を折られた飛龍は地面から頭を抜こうとしているが、余程深くめり込んだのか、逆に首の装甲が外れている。
北斗と南斗と戦ううちに、関節でも痛めていたのだろう。首は無惨にも抜け、コードが切れてヒューズが飛ぶ。
首を失った飛龍は、よろけながら立ち上がった。すると、どこからか飛んできた銀色の円錐が、背中を貫いた。
それは、グラント・Gのデストロイドリルだった。HeyHeeey、と上機嫌に笑いながら、彼女は校舎から出てきた。
左腕のドリルはなくなっていて、長方形の箱のような腕の先端には、接続用のジョイントが露わになっていた。
どうやら、あのドリルは発射出来るものらしかった。一撃必殺の、正しく最終手段に相応しい強力な武器だ。
金属同士が擦れ合う嫌な軋みと、火花を飛び散らせながら、背中に大穴の開いた飛龍は、よろけていった。
発射した後も回転を続けているデストロイドリルの先端が、飛龍の胸に現れた途端に、穴は大きく拡大した。
そこから、どっとオイルが溢れ出した。黒ずんだ茶褐色の、艶々とした液体が流れ出し、水溜まりを作る。
飛龍、と太陽の力のない呟きが聞こえた。ぎぎぎぎぎぃ、と関節を鳴らしながら、飛龍の巨体は崩れ落ちた。

「勝負あり」

私は校門側から目を外し、太陽に向いた。太陽は拳銃を構えたが、手が震えているので照準はぶれていた。

「嘘だ、嘘だ! オレは鉄砲玉なんかじゃない、ダシになんかされてねぇ! オレの親父はシュヴァルツの実力者だ、息子を手放すわけがないんだ! いい加減なことばっかり吐きやがって、ちくしょう、ちくしょう!」

だぁん、だぁん、だぁん、と三回銃声がしたが、その後はしなかった。弾切れだ。

「そういう立場の人間だから、身内が邪魔なんじゃないの? すばるさんを取り戻そうとしないのだって、そういうことなんじゃないの?」

「違う、違う、違う! 黙りやがれ!」

「私の傍に置かれたのだって、そうだと思うよ。いざとなったら、私ごと殺せるように、じゃないの?」

「嘘吐くんじゃねぇ!」

ぜいぜいと息を荒げて、太陽は私を見据えていた。弾丸の尽きた拳銃を持っていたが、それを投げ捨てた。

「北斗、南斗、来て」

私は耳元のイヤホンを軽く叩いてから、言った。太陽は顔を上げると、喚きながら私に向かって駆けてきた。
威嚇射撃を行うよりも先に、太陽は私に飛び掛かってきた。私の持っているMP5Kを奪おうと、掴んでくる。
私はMP5Kを引っ張るのではなく、思い切り押した。重たい銃身が太陽の腹に埋まり、太陽は咳き込んだ。
彼の手が僅かに緩んだ瞬間に、私は太陽の腹に靴底を当てて蹴り飛ばし、手を離させてから一歩二歩下がった。
倒れた太陽は、何度もむせていた。顔を上げて立ち上がろうとする太陽の手を、体重を掛けて、踏んだ。
靴底に、人間の骨の硬い感触があり、肉と皮のぐにゃりとした感触があった。力を込めると、太陽は唸った。

「う…」

「同情はしない。出来ないから」

「殺すなら、殺せよ」

「殺さない。任務の内容と違うから」

私は太陽の胸元に、MP5Kの銃口をねじ込んだ。鳩尾に入ったのか、太陽は顔を歪めて何度か咳き込んだ。
太陽は、息を詰めた。私が踏み付けている右手ではなく左手でナイフを抜き、身を乗り出して斬り掛かってきた。
私はそのナイフが届くより先に、MP5Kを横にした。がきっ、と銀色の刃が、MP5Kの銃身を食い込んだ。
右手を踏み付けていた右足を上げて、太陽の胸に膝を力一杯叩き込んだ。黒い銃身から、ナイフが離れていく。
太陽は、まだ気絶はしていないようだったが、息が詰まってしまっているようで、咳き込んでも弱々しかった。
二つの影が、私の背後に舞い降りた。北斗と南斗は私の左右にやってくると、揃って項垂れた太陽を見下ろした。

「こいつも囮か。そうかもしれんな」

北斗は太陽の肩を軽く蹴り、転ばせた。呆気なく背中から倒れた太陽は、苦しさからか、目元に涙が滲んでいた。
泥とオイルに汚れた手袋を外した南斗は、それをポケットにねじ込んでから、私を見下ろして太陽を指した。

「礼ちゃん、あれ」

「あ、うん」

私は忘れかけていたが、任務の内容を思い出した。太陽の両手を退けてから、スラックスのポケットを探り出した。
そこから二枚のドッグタッグを取り出し、確認した。今度こそ間違いない、私の本物と北斗の偽物ドッグタッグだ。
それを戦闘服のポケットに突っ込み、私はちょっと安心した。これで、私に与えられた任務は全うしたことになる。
北斗は太陽の服を探って武器の有無を確かめてから、腕と足を縛り上げて拘束し、口には猿ぐつわも噛ませた。
芋虫のような状態の太陽を担ぐと、北斗はため息を吐いた。いかにも、呆れている、といった声色で漏らした。

「カンダタは、これでもシュヴァルツが正しいことをしているのだと信じておるのか?」

「神田さんだもん、信じてるんじゃないの? 私は微妙だけど」

私が返すと、南斗は私を持ち上げて肩に乗せてしまった。おい、何をするんだ。

「オレも信じてみたい気がするけど、最前線にいると、そんなもんマジどうでもいいって感じー」

あっ、と北斗が変な声を上げて南斗に振り向いた。

「南斗、礼子君に何をするのだ!」

南斗はにやけながら、私の背中を手で支える。こういうのって、結構恥ずかしい。

「いいじゃねーか、ちょっとぐらい。お前はそっち、オレはこっち。礼ちゃんのチューを差し引くと、平等じゃん?」

「しかしだなぁ!」

北斗が文句を言おうとすると、南斗はむっとする。

「たまにはお兄ちゃんにもいい目を見させろよ。んなことより、今は李太陽を移送するのが先じゃね?」

「それは、そうなのだが…」

ええいくそう、と北斗はぐちぐち言いながら、足早に階段を下りていった。んじゃオレらもー、と南斗も歩き出す。
階段には、屋上から入り込んだと思しきコンクリート片が無数に転がっていて、転んだら大ケガをしそうだった。
下に行けば行くほど、血と硝煙の匂いが濃くなった。感じないように、見ないように、息を止めて目を閉じた。
一階は、一番ひどかった。グラント・Gが破壊の限りを尽くしたのか、壊れていない場所の方が少ない気がした。
校舎の外へ出ると、校門前の校庭には、機能停止した飛龍が倒れている。つんとした、オイルの匂いが鼻を突く。
朝に見た中学校の風景では、なくなっていた。教育棟もそうだが、専門棟も体育館も、ボロボロになっていた。
この分だと、立て直す必要がありそうだ。私は南斗から落ちないようにしがみ付きながら、無性に泣きたくなった。
学校は、私の日常との接点だった。学校があるから、私は普通の部分を保てていたが、それを破壊してしまった。
修学旅行もないだろう、三学期だって来ないだろう。卒業式だって、こんなに壊れた校舎で行うのは、無理だ。
これでもう、本当に本当に、私は後戻り出来なくなってしまった。平和な日常に帰ることは不可能になった。
覚悟は決めていた。決心も固めていた。そうなることが解っている上で、北斗と南斗に、会いに行ったのだから。
でも、どうしてこんなに悲しいんだろう。辛いと感じるんだろう、切なくなるんだろう、勝手に涙が出てくるのだろう。
私が涙を堪えていると、南斗は私の背を軽く叩いてきた。北斗も私の肩に手を触れると、優しい声で言ってきた。

「存分に泣くが良い、礼子君」

「…うん」

私はゴーグルを外して手袋も外し、目元を押さえた。意思に反して次から次へと出てくる涙が、顎に伝い落ちた。
そのまま、私はずっと泣いていた。何が悲しいのか、どこが苦しいのかも解らないくらい、ひたすら泣いていた。
戦闘任務が終わったので、太陽の移送のために駐屯地に向かっている間も、北斗と南斗の傍で泣き続けた。
そしていつしか、眠りに落ちていた。泥のような眠りの中で、私は夢を見た。血と硝煙の匂いがする夢だった。
赤い鋼の戦士も、姿形だけ良く似ていて性格は大違いの双子のロボットも、誰も、私を助けに来なかった。
私一人で、戦い続けている夢だった。





 


06 8/13