非武装田園地帯




第二十三話 手負いの獣



 正弘は、上腕を掻きむしっていた。
 制服が破れそうになるのも構わずに、がりがりと引っ掻いた。そうでもしなければ、悪寒に飲み込まれてしまう。
思い付くままに記憶を吐き出した。レイチェルに促されるまま、八年前のあの事件のことを言葉にして出した。
だが、そうすると、今までは形を成していなかった記憶が再構成されて映像となって蘇り、正弘を苦しめた。
 血。父親の死体。踏み潰された内蔵。イトウ一士。口の中に押し込まれた、自分自身の内蔵の気色悪い味。
正弘は背を曲げて、マスクを押さえた。声にもならない呻きが音声発生装置から漏れ、吐瀉物の代わりになった。

「うぐええぁっ」

 指の間から、吐き出した自分の内臓が落ちていく気がした。静香の手が、正弘の背をさする。

「我慢しなくていいから、出しちゃいなさい」

「う、あ、ぐぅ」

 正弘は、言葉が出てこなかった。涙が出てきそうだったが、何も出てこない。吐きたい、全てを吐いてしまいたい。
レイチェルはガバメントを手にしたままだったが、既に銃口は下げていた。マスクフェイスの、表情は見えない。
静香は正弘を宥めてやりながら、レイチェルを見据えた。レイチェルはテーブルの上に、黒い凶器を横たえた。

「事実の確認をします」

 レイチェルは、機械的な口調で言った。

「村田君はイトウ一士の名を聞いた、私の名を聞いた、それだけですね?」

 正弘は震える体を縮めながら、何度も頷いた。レイチェルの平坦な声が、雨音に包まれたリビングに広がる。

「うちゅう」

 他に、知っていることはそれだけだ。正弘が辛うじて言葉にすると、レイチェルはポケットの中から何かを出した。

「確認を完了しました」

 レイチェルが取り出したのは、カード型のデジタルボイスレコーダーだった。正弘の告白を録音していたらしい。

「本当に、それだけなんですね?」

 正弘は嗚咽を零しながら、頷いた。レイチェルは揃えていた足を組み、肩を落とした。

「解った。それなら、君の安全は保証される。機密に抵触していない。安心しろ」

 丁寧だった口調が、男のようなものになった。正弘はその口調に安堵したが、全身の力が抜けてしまった。
体が傾き、ソファーに倒れ込んだ。静香が声を掛けてきたが応える気力すら起きず、クッションに埋もれた。
レイチェルは胸ポケットからタバコの箱を取り出すと、マスクの隙間を空けて挟み、静香のライターを取った。

「借りるぞ」

 断ってから火を灯し、煙を吸い込んだ。

「ここから先は私の独り言だ、聞き流してくれ」

 レイチェルはタバコをマスクの隙間から外すと、静香の吸い殻が積もった灰皿に灰を落とした。

「八年前。我々の部隊は、異星体と共同実験を行っていた。その場所は、まぁ、香川出身の村田君には説明しなくても察しが付くだろう。その中で、我々は人の限界を試していた。いや、人間の脳の限界と表現するのが正しいな。平たく言えば、宇宙人による人体実験だ」

 レイチェルは言葉を切り、煙を吐き出した。

「心身に過負荷を与える薬物を数種混合したものを人工体液内に投与された一士は、長期間の宇宙航行時と同等のシチュエーションのシミュレーションプログラムを単独で十二時間以上行った。実験終了後、一士は理性を失い、錯乱状態に陥って暴れ出した。鎮静剤を投与して取り押さえたが、このままでは危険だと判断し、自衛隊の病院へ移送することにした。だがその車内で鎮静剤の効果が切れた一士は再び暴れ出し、輸送車両内にいた同部隊隊員数人を負傷させて運転席を破壊し、輸送車両を横転させ、脱走した。そこから先の説明は、不要だろう」

「気持ちのいい話じゃないわね」

 静香が、ぽつりと呟いた。レイチェルは、タバコを持った手を下げる。

「全くだ」

 レイチェルは、倒れ伏して動かない正弘を見下ろす。

「君の憎悪は、私に向けてくれ。そうしてもらわなければ、私も気が済まないんだ」

「言われなくても、そうなるでしょ」

 静香が冷たく言い放つと、レイチェルはほとんど吸っていないタバコを灰皿にねじ込んだ。

「村田正弘君。君に落ち度はない。落ち度があるのは、我々だ。だから、君が罪悪感を感じる理由はないんだ」

 罪。生きている、罪。正弘は関節を軋ませながら上体を起こし、首を横に振った。

「ちがう」

 一人だけ生き延びた理不尽。取り残された寂しさ。

「おれは、しぬべきだったんだ」

 冷たい体。墓石の下の家族。墓石の下で眠る本当の体。死に損ない。死に損ない。死に損ない。死に損ない。

「死んだ方が、良かったんだ」

 傷口が、開く。

「いっそ、あのまま死んでいれば、オレは一人になんかならなかった! 皆と一緒になれたんだ!」

 正弘は頭を抱え、喚き立てる。

「殺してくれれば、良かったんだ!」

「撃たれたいか?」

 レイチェルの、氷のように鋭利な言葉が放たれた。銃口を上げたかと思うとテーブルを乗り越え、正弘を掴む。
正弘の襟首を片手で持ち上げたレイチェルは、ごりっ、と銃口を正弘の側頭部に押し当てながら顔を近寄せた。

「死ねなかった理由よりも生き延びた意味を考えろ! それでもお前はサイボーグか!」

 表情が窺えないはずのレイチェルのマスクフェイスが、険しくなったように思えた。

「私も若い頃は、そういう下らないことを考えていたよ。私の場合は戦闘でね、車両にロケットランチャーを撃ち込まれたんだ。装甲車だったんだが、最近の貫通弾は随分と性能が良くてな、弾かれる前に突き破ってきやがった。音と光が起きたかと思うと、私は砂の中に埋もれていた。体の上には、隣に座っていた隊員がいたんだが、そいつは腰から上が吹っ飛んでいた。私はそいつの上半身が盾になったおかげで、頭には損傷を受けなかったが、首から下にロケット弾と車両の破片がめり込んでいて使い物にならなくなった。だが、私はサイボーグとなり、再びこの世に蘇った。私は、生きていたかったんだ。だから、こうして生き長らえられているんだ」

 レイチェルの頭部装甲が、正弘の額付近に当たる。

「お前もそうだ。村田正弘。お前の脳は、お前を生かすことを選択した。だから、お前は生きているんだ」

「でも、オレは」

 死に損なっただけに過ぎない。正弘が震えた声を漏らすと、レイチェルは顔を離して一笑した。

「サイボーグというものは、誰でもなれるものではない。無論、肉体の損傷時に受けたダメージの度合いにもよるが、脳だけを取り出してサイボーグ化手術を施しても保たない脳も存在するんだ。どれだけ処置を行っても、栄養分を送り込んでも、電気信号で刺激を与えても、死ぬ奴は死ぬ。私は仕事柄、そういう連中を嫌になるほど見てきた。医者共にもその理由はあまり解っていないようだ。私は、泥臭いことが割と好きでね。だから、精神論というやつもそれなりに信じている。だから私は、君は君自身が生きたいと願ったからこそこうして生きているのだと信じている。それを、君自身が否定してはいけない。それ以上否定すると、本当に撃つぞ?」

「あ…」

 正弘が尻込みすると、レイチェルは正弘の襟首から手を離し、ガバメントをホルスターに戻した。

「不幸を嘆くこと自体は一向に構わない。運命を呪うのも個人の自由だ。だが、自分自身を否定することほど悲しいことはないと思うが」

 レイチェルはソファーの上に置いてあった迷彩柄のキャップを取ると、頭に乗せた。

「では、失礼する。また確認したい事項があったら連絡する」

 邪魔をしたな、とレイチェルは背を向けてリビングを出ていった。玄関では、ジャングルブーツを履いている。
扉を開けて通路に出、重たい足音が遠ざかっていった。正弘は思考の切り替えが出来ず、突っ立っていた。
静香も似たようなもので、玄関を見ていた。正弘は短時間の内に色々なことがあったので、頭が混乱していた。

「一体…なんだったんだろう…」

「あたしに聞かないでよ」

 静香は腰を上げると、冷めたコーヒーが入った来客用のカップを二つ持ち、キッチンに向かった。

「あ、そうそう。明日から三日間休暇取ったから。マサも付き合え」

「はい?」

 正弘がきょとんとすると、静香はカップをシンクに置き、正弘を指した。

「拒否権はないからね。命令」

「でも、平日ですよ」

「だーからどうだってのよ。一生に一度ぐらい学校をずる休みしたって、神様は怒りゃしないわよ」

 解ったわね、と静香は言い切った。正弘は反論しようと思ったが口を挟めず、突っ立っているしかなかった。
レイチェルの訪問と、過去の記憶の氾濫と、静香の命令がごた混ぜになって、頭の中がぐちゃぐちゃだった。
黒く深い銃口と襟首を掴まれた感触は、なかなか消えなかった。他人に体を持ち上げられたのは、初めてだ。
あれは、レイチェルがフルサイボーグだからこそ出来た荒技だ。身のこなしも隙がなく、正に職業軍人だった。
 正弘はまだ混乱が抜けなかったが、三者面談のプリントを静香に渡さないと、と思い出して自室に向かった。
本当は、こんなことをしている場合ではないと思う。明確に思い出した過去の記憶と、向き合わなければ。
レイチェルの言葉を噛み締めるべきだ。静香の横暴を阻止するべきだ。だが、ちっとも思考が動かない。
 全く、訳が解らない。




 町営住宅を出たレイチェルは、鮎野駅の出入り口でタバコをふかしていた。
 本当は、フィルターが汚れるだけなのでやるべきではないのだが、生身時代の習慣が未だに抜けないのだ。
味などさっぱり解らないが、それでも気持ちが晴れる。吸気機能を作動させて煙を吸い込み、そして吐き出す。
二本目を出そうと胸ポケットに手を入れたが、止めた。駅舎から出てきた人物を見て、ホルスターに手を掛けた。

「個体番号を答えてもらおうか?」

 近付いてきた人影は、藍色の瞳にフルサイボーグを映した。生気のない頬に、藍色の髪が落ちる。

「一自衛官には、そこまでの権限はアリマセン」

「私は三佐だぞ」

「それでも、同じデス」

「お堅いな」

 レイチェルが毒突くと、藍色の髪と藍色の瞳を持った白い肌の女性は、レイチェルの胸を小突いた。

「お互いサマデス」

「それで、お前は何人目のペレネなんだ?」

 レイチェルの問いに、ペレネは言った。外見は百合子の病室を尋ねたペレネと全く同じだが、髪型だけが違う。

「デスカラ、答えられマセン。我々の守秘義務に関わりマス」

「村田少年の尋問は終わった。お前達が危惧している事態は起きていない。安心しろ」

 これが証拠だ、とレイチェルは、カード状のデジタルボイスレコーダーをペレネに渡した。

「後で確認させて頂きマス。偽証された場合、たとえ三佐であったとシテモ、処分を行いマス」

 デジタルボイスレコーダーを宇宙開発連盟の制服の内ポケットに入れ、ペレネは人工的な笑みを見せた。

「全く。私には、お前らのような存在も、お前らの目的も、理解に苦しむね」

 レイチェルは改めてタバコを取り出し、マスクに挟んだ。

「お前達ほど科学技術の発展した種族が、なぜ地球人のような劣等種族に関わってくるんだ?」

「アナタは自分の種族を卑下しすぎデス」

「そう思うんだから仕方ないだろう」

 レイチェルはマスクの隙間から煙を漏らしつつ、ペレネを見下ろした。ペレネは、鮎野駅周辺を見渡す。

「いい場所デスネ。人口密度は、低レベルなのが一番デス。高レベルになると、生命体は劣化していきマスカラ」

「しかし、こんな辺鄙な街に来るとは、何か用でもあるのか? また、実験材料を取りに来たんじゃないだろうな」

「守秘義務に関わりマス」

「肯定、と捉えさせてもらおう」

 レイチェルは携帯灰皿を取り出し、その中にタバコの灰を落とした。

「しかし、本当に訳が解らないよ。私達にとって、お前達という異星体との接触や交流を行うことには利益があるが、お前達にとっての利益とは何なんだ? お前達からしてみれば、地球の文化レベルも技術レベルもとっくに通過した後のはずだ。興味を持っているのだとすれば、尚のこと、観察だけして接触まではしないんじゃないか?」

「我々も、最初はそういう考えでイマシタ。デスガ、それだけでは飽き足らなくなったのデス。それだけのコトデス」

「お前達の本体がそう思ったのか? それとも、お前達自身がそう思ったのか?」

「守秘義務に関わりマス」

「またそれか」

「ハイ」

 ペレネは、笑みを消す。

「デスガ、我々も生き物デス。生き物デスカラ、他者との接触を望み、進化を願うノハ、必然ではナイデスカ?」

 それは、体の良い言い訳だ。レイチェルは口に出さなかったが、そう思いながら、タバコの続きを味わった。
このペレネと全く同じ外見をした異星体達は、二十一世紀終盤に突如地球に訪れ、様々な技術を提供した。
ペレネは、それ自体が一つの生き物だ。同一の外見をした同一の遺伝子を持つ個体を、大量に保有している。
同一の意識を共有し、同一の価値観を持ち、同一の存在意義を持つ。彼女達には性別はなく、繁殖はしない。
クローン技術を用いて、増殖していく。老朽化、つまり寿命を向かえた個体を廃棄することにより新陳代謝を行う。
言うならば、巨大な単細胞生物のような存在だ。だが、彼女達の話によれば、かつてはそうではなかったらしい。
 当初は、地球人類のような生物だったのだが、進化の過程で個々の意識は進化を阻害するという判断を下した。
その結果、最も優れた遺伝子の女性を素体としたクローンを量産し、全てのペレネを統括する意識体を造った。
ペレネ達の本体の意識体は母星にあり、何万光年先でも通じるテレパシーを用いて、意識を伝えているらしい。
彼女達の母星も国家という概念を失い、一つの組織、統一宇宙軍、という存在となって平等な社会を作っている。
ペレネ達には、外面も内面も個体差はない。同一の意識体を共有しているので、思考も平坦で、全く波がない。
彼女達自身はお互いの見分けが付くらしいのだが、地球人にとっては、どのペレネも同じペレネにしか見えない。
だがそれでは齟齬が生じるので、判別を付けさせるため、作成時のシリアルナンバーを名乗ることになった。
シリアルナンバーの番号が若ければ若いほど偉い、らしいのだが、詳しいことは一般人には知らされていない。
その上、政府高官などでなければ、ペレネから情報を受け取ることは出来ないように法律で制限されている。
 また、ペレネ達もいたずらに情報を流すことはない。そのため、一般人には彼女達はただの宇宙人でしかない。
地球にやってきた、物凄い科学技術を持った、美人だけどロボットみたいな宇宙人。世間では、そんな認識だ。
ペレネが来た当初は侵略ではないかとパニックになったが、話し合いを重ねた結果、敵意がないことが解った。
そして、交渉を重ね、双方は交流を持つようになった。地球人は、彼女らが与えてくれる技術が目当てだった。
最初は慎重に求めていたが、近頃ではあからさまになり、地球の人や物を取引材料にして求めるようになった。
彼女らもまた、要求が増えてきた。研究材料にするとの名目で、動物のみならず人間の肉体を求めてきた。
宇宙船で星の彼方まで運んだ人間の肉体をどういった実験に使っているのか、彼女達はほとんど明かさない。
人類もまた、彼女達の報復を恐れて問い詰めることはしない。じわじわと、侵略されているような気がする。
 それが杞憂に終わればいいが、とレイチェルは町営住宅を見上げた。もしも、彼女達と戦争が始まったとしたら。
地球人類は、間違いなく勝てないだろう。そして日本国内も徴兵が始まり、サイボーグは真っ先に戦場に送られる。
そうなってしまえば、やっと一般社会に復帰することが出来た正弘も、強制的に戦火の中へと落とされてしまう。
そうさせないためにも、レイチェルらが頑張るしかない。自衛隊や各国の軍隊は、ある意味での犠牲者なのだ。
彼女達を刺激したくない政府の方針に従って言われるがままに動き、船に乗せられて宇宙の果てへと送られる。
 合意の上だと説明しているが、そうでない場合も多い。村田一家を惨殺した、伊東武一士もその一人だ。
交通事故でフルサイボーグとなった彼は、上に言われるがままに彼女達の実験を受けさせられ、投薬された。
結果、強力な鎮静剤が効かないほど錯乱して暴れ出し、同部隊の隊員らの手によって射殺されてしまった。
状況と境遇こそ違えど、伊東武一士も、ある意味では村田正弘と同じ被害者なのだ。彼らには、落ち度はない。
その実験にどういった意味があったのか、ということは、レイチェルらには何一つとして教えられていない。
薬の内容も、八年が過ぎた今でも知らないままだ。所詮、軍人は政府の手駒に過ぎない、ということなのだろう。
知らない間に、どこかで物事が動いている。日常を必死に生きている間に、世界はおかしな方向へ進んでいる。
 レイチェルはフィルターだけになってしまったタバコをマスクの隙間から外し、携帯灰皿の中に押し込んだ。
庇から頭を出し、駅舎を仰ぎ見た。年季の入っている看板には、JRのロゴと共に鮎野駅と書かれている。
日本生まれだがアメリカ育ちのレイチェルには、物珍しい風景だった。時間が余ったので、少し街を見ていこう。
山々に、川に、田園風景。まるで、二十世紀で時間を止めたかのようだ。こんな世界も、この世にはある。
 レイチェルの知っている世界は、喧噪と人間が溢れる都市と、銃声と血臭のする戦場ばかりしかなかった。
正弘もまた、戦いを知らない。それがどれだけ幸せで、幸運なことか。その幸運すら知らない子供が、羨ましい。
レイチェルは、なんとなくペレネにタバコを差し出した。ペレネは躊躇していたが手を伸ばし、一本抜いた。
それに火を点けてやりながら、レイチェルは分厚い雲の切れ間が出来ていることに気付いた。雨が上がる。
 長く、降り続いていた雨が。





 


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