非武装田園地帯




伊集院かれんの憂鬱



 サイボーグ同好会の四人は、リビングに集まっていた。
 百合子は正弘の様子を気にしているようだったが、鋼太郎はこの一件にあまり興味がなさそうな態度だった。
透は正弘の淹れた緑茶を啜り、ちょっと温度が高いです、と批評した。正弘は、三人と向かい合って座っていた。
普段はL字型に配置しているソファーを動かし、一人掛けのソファーを三人掛けのソファーと向かい合わせた。
三人掛けのソファーには百合子と透が、鋼太郎はなぜか床に座り、正弘は一人掛けのソファーに腰掛けていた。
正弘がどうやって話を切り出すか迷っていると、静かに緑茶を味わっていた透が、珍しく最初に言葉を発した。

「そういう時は、大人しくしているのが、一番だと思います」

 透はガラステーブルに茶碗を置き、膝の上で手を重ねた。

「ダメな時は、ダメなんです」

「そういうものなの、透君?」

 お茶請けの最中を囓っていた百合子が透に尋ねると、透は小さく頷いた。

「はい。私も、よく、行き詰まりますから」

「よく解んねぇな」

 鋼太郎はフローリングに直接座って胡座を掻いていたが、首を捻った。

「オレは絵も何も描けねぇから、描けるだけで凄いっつーかで。だから、オレは役に立てないっすよ」

「私も、そんなには。ムラマサ先輩の、苦しさは、解りますけど」

 透が控えめに言うと、百合子は興味深げに身を乗り出した。

「スランプって、そんなにしんどいんですか?」

「しんどいって言うか、息苦しいな」

 正弘は電気ポットの下に急須を置き、新たな湯を注ぎ込んだ。急須から、薄く湯気が漂う。

「今まで出来ていたことが出来なくなってしまう、というか、出来ていた感覚を忘れてしまうというか」

「だから、戻るまで、じっとしているのが、一番なんです」

 透は最中を二つに割ると、その半分を口元に運んだ。一口一口、ゆっくり食べていく。

「それか、もしくは、漫画のことを、思い切って、忘れてしまえばいいんです。そればかりだと、ただでさえ煮詰まっている頭が、ますます、煮詰まってしまいますから」

「うん。勉強もそうだよね。気分転換しないと、進まないもんね」

 頷いた百合子に、鋼太郎は首を横に振った。

「気分転換にゲームおっ始めて、全クリするまでプレイしちまったのはどこの誰だよ」

「だって、面白かったんだもん! いいじゃんよ、ハイスコアも一万点も更新出来たんだから!」

 百合子は鋼太郎を遮るように、声を上げた。正弘は背を曲げて、頬杖を付いた。

「だが、なぁ」

「私の場合は、好きな本を読んだり、とか、写生に行ったり、とか、そんな感じですけど」

 透は急須を取ると、慣れた手つきで自分の湯飲みに注いだ。すると、百合子は威勢良く挙手した。

「じゃあさ、一ヶ谷に行ってゲーセンでも行きましょうよ! ガンコン振り回してゾンビ殺しましょう、ゾンビゾンビ!」

「ゆっこはそういうのも得意なのか?」

 正弘が百合子に問うと、百合子が答えるよりも先に鋼太郎が答えた。

「得意っつーか、大好きなんすよ。体感アクションっつーか、そんな感じのが」

「ノーミスクリアはデフォルトっすよ! アーケード筐体で全国ハイスコアの一位に入ったこともあるんですから!」

 得意げに、百合子は大きな胸を張る。鋼太郎は飲用チューブを湯飲みに入れ、少し冷めた緑茶を啜る。

「オレはやらねぇからな。ガンコンはどうも苦手だ」

「えー、パッドよりも使いやすいじゃんよー。それともなあに、鋼ちゃん、ガンもノーコンなの?」

 百合子はソファーから下り、鋼太郎の背に覆い被さった。鋼太郎は、少しむっとする。

「違ぇよ、お前のプレイにもう付いていけねぇんだよ。ゲームとはいえ、なんであんなに射撃が上手いんだよ」

 透は、正弘を見やる。

「ムラマサ先輩は、ゲームとか、しないんですか?」

「たまにするけど、せいぜいRPGぐらいだよ。ゆっこみたいな、派手なのは得意じゃないな」

 正弘は、少し肩を竦めた。透は、眉を下げる。

「私も、ゲームは、苦手です。それに、ゲームセンターも、あんまり」

「そっか。じゃ、ゲーセンはまた今度にするね。じゃあさ、カラオケとかどうかな!」

 百合子は、再び挙手した。

「それなら、透も大丈夫じゃないのか?」

 正弘が透に言うと、透は短く答えた。

「はい、なんとか」

「カラオケなー…」

 鋼太郎は、やはりやる気がない。百合子は鋼太郎の首に腕を回し、ぎゅっとしがみ付く。

「なんだよー、鋼ちゃんはそれも嫌だってのかー?」

「そういうんじゃねぇけどさ、お前が行きたがってるのってオレらがいつも行く場所じゃねぇか。ゲーセンで暴れてからカラオケで三四時間粘る、っつーのが毎度のコースじゃねぇかよ」

「えー、飽きたのー?」

 百合子は前のめりになり、鋼太郎を見下ろす。鋼太郎は、百合子を背負ったまま言い返す。

「飽きたわけじゃねぇけど、それってムラマサ先輩のスランプと全然関係なくねぇか?」

「ないと言えば、ないですけど、でも、有効だとは、思いますよ」

 透の言葉に、百合子は高々と拳を突き上げた。

「じゃ、決定ってことで! それじゃ、今から行きましょうか、一ヶ谷に!」

「今からか?」

 正弘がきょとんとすると、百合子は大きく頷いた。

「早い方がいいっすよー、こういうのは」

 そして、そのまま四人は一ヶ谷駅に向かった。電車が来るまでまだ時間があったので、その間は喋っていた。
彼らとの会話で笑ったりしながらも、正弘の胸中には思うように描けないことによるわだかまりが出来ていた。
笑いが途切れた瞬間に、ふとその苦しさを思い出してしまう。三人の配慮は嬉しいが、有効だとは思えない。
気分を変えたぐらいでどうにかなるぐらいなら、誰も苦労はしない。そんなことを、頭の片隅でちらりと考えた。
 考えてしまう、自分が嫌だった。




 それから、およそ五時間後。四人は、一ヶ谷駅ビル内のファーストフード店にいた。
 思う存分歌い散らして満足したのか、百合子は晴れやかな顔をしているが、他の三人はそれなりに疲れていた。
特に、一人だけフルサイボーグではない透は疲れ果ててしまったのか、普段にも増して口数が少なくなっていた。
鋼太郎はストロベリーシェイクを、飲用チューブで啜って飲んでいる。だが、吸いづらいのか、少々苦労している。
正弘も、百合子のテンションに当てられて疲れていた。彼女はいつもテンションが高いが、カラオケだと最高潮だ。
いわゆる、マイクを握ったら離さない人種というやつらしく、三人が選曲するよりも先に百合子が選曲していた。
 百合子が熱唱し続ける間、鋼太郎は正弘に話した。百合子とデートをすると、半日はカラオケで潰れるのだと。
病弱で体力がなかった生身の頃に出来なかったのと、フルサイボーグの喉は疲れを知らない上に音を外さない。
なので、楽しくて仕方ないらしく、鋼太郎と百合子のデートコースには必ずカラオケが入れられるのだそうだ。
 鋼太郎も歌わないわけではないのだが、彼の場合は楽しむよりも先に照れてしまって歌い方が荒っぽかった。
正弘もそんな感じなので、思うように弾けられなかった。だが、透は透なりに楽しんでいたらしく、結構歌っていた。
透は、最初は割と普通の歌を選んでいたのだが、途中から歌詞がやたらとえげつないものばかりを選曲していた。
中でも、一番強烈だったのが死ね死ね団のテーマだった。その歌を歌う透は、妙に楽しげでなんだか怖かった。
百合子の突き抜けるほどハイテンションな歌声よりも、鋼太郎の投げやりな歌声よりも、透が最も印象深かった。
正弘は透を横目に見たが、透はあの強烈な歌を歌っていた際の凄絶な表情を失い、眠たげに瞼を伏せている。

「で、ムラマサ先輩、すっきりしました?」

 百合子はオレンジジュースを飲んでいたが、ストローから口を外して正弘に声を掛けた。正弘は、苦笑する。

「一番すっきりしたのはゆっこじゃないのか?」

「一人で十曲も連続で入れやがって。割り勘なんだから、ちったぁこっちにも歌わせろってんだよ」

 鋼太郎は、百合子の髪をぐしゃっと乱した。透はぼんやりしていたが、思い出したように会話に加わった。

「ちょっと、あれは、不平等です。民主主義に、反します」

「ごめーん。次は気を付けるから。だって、皆でカラオケに行くなんて久し振りだったんだもん。だから嬉しくって」

 百合子は両手を重ね、平謝りした。鋼太郎は、百合子の頭を押さえ込む。

「はしゃぎすぎなんだよ、お前は」

「あー、もうちょっと延長したかったなぁ。歌いたいの、まだあったのにぃ」

 百合子は鋼太郎の手から逃れると、体を起こし、鋼太郎に身を寄せた。鋼太郎は、即座に身をずり下げる。

「解った、また今度連れていけばいいんだろ! 来週な、来週! 但し、今度はお前が支払えよな!」

「解ってるってぇ。鋼ちゃんって付き合いが良いから好きー」

 嬉しそうににやけながら、百合子はオレンジジュースの続きを飲んだ。鋼太郎は照れたのか、顔を逸らした。

「オレ以外の誰が、お前みてぇなカラオケ馬鹿に付き合えるかってんだよ」

 正弘が微笑ましく思いながら向かい側の二人を眺めていると、正弘の隣で透が呟いた。

「そういえば、ムラマサ先輩。次は、何の、漫画を、書くつもりなんですか?」

「色々と考えてはいるんだ。だけど、上手くまとまらないんだ」

 正弘は中身を飲み干して氷だけになった紙コップを、手の中で回す。ざらり、と氷が擦れ合う音がする。

「次の漫画で使いたい設定とかセリフとか、こういうシーンが描きたいとか、こういう展開にしたいとか、そういうのは浮かぶんだ。だけど、それを結びつけることが出来ないんだ。なんていうのかな、掴み所がないんだ」

「よく、解ります」

 透の声は、カラオケで喉を酷使したために若干掠れていた。

「描きたいものは、見えるんです。でも、どうやって、描けば、いいのか、解らなくなっちゃうんですよね」

 透はウーロン茶の入ったコップを左手で持っていたが、コップをテーブルに置いた。

「ムラマサ先輩は、どうして、漫画を描いているんですか?」

「そういえば、話したことなかったな。まぁ、話さなくてもいいようなことだから、話さなかったんだが」

 正弘は、次のデートの話を始めた百合子と鋼太郎のやり取りを聞き流しながら、透に目を向けた。

「こっちに来たばかりの頃、とにかく暇を持て余していたから絵ばかり描いていたんだ。リハビリのためでもあったんだが、何を描いてもいいって医者から言われていたから、本当になんでも描いたよ。でも、描いているうちに、なんだかつまらなくなってきたんだ。これだけじゃダメだ、って思ってね。だから、適当なストーリーを付けたのをチラシの裏とかミスコピーの裏とかにがりがり描いていたんだ」

「楽しかったんですね、それが」

「ああ。絵だったら、自分の好きなように出来るし、漫画にしても自分のやりたい放題のものが出来るからな」

 正弘は足を組み、組んだ手を膝の上に載せた。

「それに、ガキの頃からそういうことが好きだったんだ」

「男の子にしては、ちょっと、珍しい、趣味ですね」

 微笑ましげに笑んだ透に、正弘は返した。

「オレには、姉が二人いたんだよ。四つ、いや、五つ年上の智代は男子みたいな遊びが好きだったんだけど、三つ年上の和代は女の子女の子しててさ。お人形遊びとかおままごととか、色々と付き合わされたよ。オレは末っ子だったからな。智姉は気が強くて乱暴だったから、オレとはあまり気が合わなくて、だから必然的に和姉と遊ぶことの方が多かったんだ。オレが少女漫画を好きになったのは、間違いなく和姉の影響だ。和姉は月刊誌を毎月買っていたから、それをよく読ませてもらったし、単行本も読ませてもらったよ。智姉は智姉で別の漫画雑誌を買っていたけど、絶対に読ませてくれなかったからなぁ。マサにはまだ早い、って」

 正弘が淀みなく話す家族の話に、透は聞き入っていた。百合子と鋼太郎も話を止めて、正弘を見つめていた。
三人からの視線を感じ、正弘は言葉を切った。そんなに神妙な顔をしなくても、と思ったが、ようやく気付いた。
三人に、自分の家族の話をするのは初めてだ。今までは、過去の事件の大きさと傷の深さで言うに言えなかった。
言おうと思うことすらもなかった。言ってしまったら、三人に敬遠されてしまうのではないかと思っていたからだ。
だが、その辺のごちゃごちゃしたことを意識せずに話していた。心の傷が癒えつつあることを、正弘は実感した。

「そっかあ。ムラマサ先輩には、お姉さんがいたんですかー」

 百合子の笑顔に、正弘は頷いた。

「ああ。いたんだ」

 正弘の過去形の言葉にも、三人とも触れてこなかった。少しの間が空いた後、再び他愛もない会話が始まった。
久し振りに、姉達のことを思い出した。絶対に忘れてはならないことだったが、近頃は忙しくて思い出せなかった。
高校生活や、サイボーグ同好会のことや、静香との関係などの現在の日常に目が向いて過去には向かなかった。
それはいいことではあるが、寂しいことでもあった。正弘は切ない気持ちになりながらも、三人との会話に戻った。
 姉達の記憶は、眩しく、色鮮やかだった。





 


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