アステロイド家族




幕間



 吊られた糸に絡まるは、人工の娘達。


 勤務を終えてから向かう場所は、一つだけだ。
 それ以外の用件はない。勤務が長引く日があっても、長期に渡る作戦に投入された後でも、行く先は不変だ。
当直を交代する軍人達が行き交う通路を足早に歩きながら、アエスタスはただ真っ直ぐに前だけを見据えていた。
擦れ違う下位軍人からはいちいち挨拶されるが、それは煩わしいだけであり、行く手を妨げるだけのものだった。
都合上上官に当たる軍人に対しては礼儀を忘れないが、それ以外の者については視界にすら入れていなかった。
 元々、こちら側には興味はない。都合上、与えられているだけの地位であり、本当に得た地位ではないのだ。
失策らしい失策をしたことがないため、上官だけでなく部下からも評判は良いらしいが、気に留めたことはない。
けれど、それを喜ばしいと思ったことはない。名も知らぬ相手から関心を抱かれても、彼女には何の価値もない。
それ以前に、他者は異物だ。だから、興味を持つこともなければ、視線を向けることすら煩わしくて仕方なかった。
 アエスタスは木星基地の居住区内の自室に入ったが、その室内には当初から据えてある備品しかなかった。
年頃の女性ならば一つぐらいは置くであろう家具や姿見もなく、私物も全くなく、生活感の欠片もない部屋だった。
一度も横たわっていないのでシーツにシワ一つないベッドの上に軍服を投げ捨ててから、アエスタスは目を閉じた。
僅かに意識するだけでアエスタスの存在する空間は反転し、肌に触れる空気の質感が変化し、重みを含んだ。
静かに瞼を上げると、見慣れた光景が網膜に映る。膨大な体積を持つ薄暗い空間に、アエスタスは立っていた。
 ローヒールのパンプスが踏んだのは、不可視の床だった。その下に見えるものは、数万本のケーブルだった。
直径五メートルはある太いものから血管の如く細いものまでが無数に絡み合い、隙間から淡い光が漏れている。
それらは中央に集結しており、上へと伸びていた。その先端は、暗闇の中心に浮かぶ物体に埋め込まれていた。

「お姉様」

 声を掛けられ、アエスタスが振り向くと、そこにはパウダーピンクのナース服に身を包んだ妹が立っていた。

「お仕事、もう終わりですの?」

「コルリス帝国に対する警戒命令は解除された。故に勤務時間も減少した」

 アエスタスが平坦に返すと、妹は朗らかに笑った。長い銀髪を結い上げて留め、ナースキャップを乗せている。
ほんの少し緑掛かった青い瞳は適度な潤いを持っていたが、彼女の瞳孔は金属の滑らかな光沢を帯びていた。
看護師らしい清潔感を感じさせる薄化粧も、落ち着いた品の良い美しさを持つ顔立ちも、異物感に掻き消される。

「まあ。なんてことかしら」

 オレンジの口紅を付けた唇を綻ばせて妹は微笑んだが、アエスタスは表情を変えなかった。

「だが、これは予測されたことだ」

「そうですわね。けれど、少し刺激が足りませんわ」

「私達は予定された行動を行う他はない」

「ええ、解っておりますわ」

 末妹、ヒエムスは笑みを崩さぬまま、アエスタスの隣に添った。

「アウトゥムヌスはどうした」

 アエスタスが問うと、ヒエムスは前方を示した。

「アウトゥムヌスお姉様も、今し方お帰りになられたようですわ」

「そうか」

 アエスタスは歩調を早めて、近付いた。下界から零れている淡い光に照らされた少女が、こちらに振り向いた。
腰近くまで伸びた赤銅色の髪がかすかに揺れて、色素という色素が欠乏している肌に包まれている頬を撫でた。
アエスタスとヒエムスよりも背は低く、幼い。細長い手足は儚げな雰囲気を生むが、虚ろな眼差しは金属だった。
彼女もまた、瞳が金属で成されていた。それを見つめるアエスタスの青い瞳もまた、有機的な質感を失っていた。
 金属の瞳。それこそが三人に共通する事項であり、機能であり、特異な生体構造を示している部分でもあった。
彼女達の外見は新人類と大差はないが、その細胞の一つ一つを成す蛋白質には大量の珪素が含まれている。
故に、その柔らかな皮膚も華奢な骨もしなやかな筋肉も細い神経も内臓の数々も新人類のそれとは違っている。
 アウトゥムヌスは髪と同じ色をした長い睫毛を音もなく伏せると、両手に抱えている調理専用機械を見つめた。
それは、電気式炊飯器だった。デンプンの煮える甘い匂いが湯気と共に立ち上って、彼女の周囲に漂っている。

「アエスタスお姉様。ヒエムス」

 もう一人の妹、アウトゥムヌスはその炊飯器を二人に向けた。

「食べる?」

「いりませんわ」

 ヒエムスが笑顔で断ったので、アウトゥムヌスは炊飯器をアエスタスに向けたが、アエスタスも顔を背けた。

「私もいらん」

「空腹」

 アウトゥムヌスは炊飯器を抱えてその場に座り込むと、がぱんと蓋を開けて、手に持っていたしゃもじを入れた。
ひとしきり掻き混ぜていたが、そのまま食べ始めた。だが、アエスタスとヒエムスはその行動を全て無視していた。
 アウトゥムヌスの奇行は、今に始まったことではない。全く同じ環境で生育されたはずだが、思考がずれている。
昔は姉も妹もアウトゥムヌスの奇行に対して文句を言ったが、本人に改善する気がなかったので無意味だった。
なので、今となってはアエスタスもヒエムスも完全にアウトゥムヌスを放置してしまい、口を出すことすらなくなった。

「アエスタスお姉様」

 口の周りに飯粒を付けたアウトゥムヌスが、アエスタスに尋ねた。

「順調?」

「予測の範囲内だ」

「順調?」

 今度はヒエムスが問われたので、ヒエムスも答えた。

「予測の範囲内ですわ」

「ならば、次は私」

 アウトゥムヌスはしゃもじに盛った白飯にかぶりつき、頬一杯に詰め込んだ。

「ひょにー・ひゃうひにへっひょくする」

「喰うか喋るかどちらかにしろ」

 アエスタスが僅かに眉を曲げると、アウトゥムヌスはしばらく咀嚼してから白飯を飲み下し、再度発言した。

「ジョニー・ヤブキに接触する」

「あの方は面白い方ですわね、出来ればお近づきになりたくないタイプですけれど」

 ヒエムスがくすりと笑うと、アウトゥムヌスは中身が半分以上減った炊飯器を掻き混ぜた。

「彼の行動は最も変則的。故に、接触しなければならない」

「それは言えている。あの個体が起こすトラブルは、お母様の予測よりも若干被害が上回っていた」

 アエスタスが言うと、アウトゥムヌスは炊飯器の中に手を入れて、白飯を握った。

「それに」

 アウトゥムヌスは両手で湯気の昇る白飯を握り締めたが、指の間からにゅるにゅると糊状の白飯が溢れた。

「おにぎりの製造法を調査したい」

「他にもあるだろうが」

 アエスタスが口元を歪めると、アウトゥムヌスは手を開き、潰れた白飯を口に含んだ。

「秋は収穫の季節」

「そうですわねぇ。あれの作った農耕地は、立派とは言い難いですけど良質の作物が育つ耕地でしたものねぇ」

 まだ食べる気ですの、と呆れ顔のヒエムスに、アウトゥムヌスは頷いた。

「退屈だから」

 アウトゥムヌスは潰れた白飯の付いた手を丁寧に舐めてから、顔を上げ、姉と妹を見上げた。

「本当に、食べない?」

「喰わん」 

「同上ですわ」

 二人の冷ややかな返事に、アウトゥムヌスは再びしゃもじを取って白飯を掬い、頬張った。

「余剰分を与えようと思っていた」

「嘘を吐け」

 アエスタスが毒突くと、アウトゥムヌスはぐりぐりと炊飯釜の中を掻き混ぜた。

「私は嘘は吐けない。だから、更に摂取する」

「むやみやたらに喰うな。本来、私達は栄養源の摂取など不要なんだ。内部器官が変質したらどうする」

 アエスタスが顔をしかめると、ヒエムスは細い眉を顰めた。

「そうですわよ。お姉様の内部器官が故障したら、交換するのは誰だと思っていますの?」

「ヒエムス」

 アウトゥムヌスに指され、ヒエムスはつんと顔を逸らした。

「いちいち手間を掛けさせないでほしいですわ、私も私で忙しいんですのよ」

「けれど、それがヒエムスの仕事」

「表面上ですわよ。本職ではありませんわ」

 全くもうお姉様ったら、とヒエムスはため息を零したが、気を取り直して長姉に向き直った。

「アエスタスお姉様。私の方は順調ですわよ。滞りなく進んでおりますわ」

「こちらもだ。何一つ、問題はない」

「終焉」

 アウトゥムヌスはしゃもじを舐めながら、釜に張り付いた飯粒しか残っていない炊飯器を見下ろした。

「あら、本当ですわね」

 ヒエムスが姉の肩越しに炊飯器を覗き込むと、アウトゥムヌスはかすかに落胆を滲ませた。

「ジャムが必要だった」

「絶対に合わん」

 アエスタスが嫌悪感を示すが、アウトゥムヌスはそれを気にすることもなく、残り僅かな白飯を食べた。

「或いはピーナッツバター」

 アエスタスは妹の相手に疲れ、背を向けた。ヒエムスも同じようで、笑顔を消してあからさまに顔をしかめている。
アウトゥムヌスは名残惜しいらしく、炊飯器から釜を外して、ポットを傾けて熱湯を注いだ後に丹念に混ぜている。
結果、内側に張り付いていた飯粒が溶けて本格的なデンプン糊になったが、アウトゥムヌスは喉を鳴らして飲んだ。
これ以上付き合いたくないので、アエスタスとヒエムスは、姉妹の主であり母である巨大な質量の物体を見上げた。
 金属製の頭蓋に満ちた生温い脳漿は、ゆらゆらと揺れて光を乱し、胎児の眠る子宮にも似た穏やかさがあった。
海の如き体液に、前頭葉、側頭葉、頭頂葉、後頭葉、小脳が包み込まれて、それらを支える脳幹が伸びていた。
太古の大木にも劣らぬ太さの脳幹には足元で這いずる無数のケーブルが埋まり、絶えず電気信号を注いでいた。
 巨大なる脳に神経伝達物質が駆け巡るたびに、思念を通じて思考が揺れる。意識がざわめく。神経が騒ぎ出す。
声なき声が、姉妹の精神を浸食する。人工の頭蓋に充ち満ちたテレパシーを通じ、深淵の如き思考が伝わった。
いつしか、三人は言葉を失っていた。否、言葉は必要なかった。珪素で出来た肉体も、本当は不要なものだった。
便宜上使用している器に過ぎない。その器に並々と注ぎ込まれた思考の海で、三人の意識は静かに重なった。
羊水に似た脳漿の傍で、三姉妹は意識の波の狭間に沈んでいき、この宇宙の行く末を見つめながら目を閉じた。
次に目を開いたら、異物に溢れる世界に戻っているだろう。端末として生み出された姉妹の行動は、既定事項だ。
 直径五万メートルの質量を誇る脳髄、アニムスは、惑星級宇宙戦艦テラニア号の中枢であり姉妹の母胎だった。
母は母であると同時に姉妹の全てであり、全てを見通す力を持ち得ており、いかなる事象であろうとも予測出来る。
母に誤りはない。故に姉の言葉にも誤りはなく、妹の判断にも誤りはなく、妹の行動にも誤りはなく、全てが正しい。
その通りに行動することこそが真理であり、意義であり、必然であり、姉妹が姉妹として存在している理由である。
 けれど、それ以外には何もない。






08 7/10