制圧は簡単だった。 校門を制し、屋上から降下して教室に突入し、裏口を塞ぎ、教職員を全員射殺し、校舎を封鎖すれば完了だ。 人型昆虫が出現するようになってから、自衛軍の仕事も変わった。大を守るために小を殺すようになっていた。 女王の卵を孕んだ女性を生かしておけば、女王の匂いに惹かれた人型昆虫に犯され、新たな女王が誕生する。 そして、その女王が産み落とす卵によって人型昆虫は一度に数百倍に増産され、日本中の人間を食い尽くす。 そうなれば、取り返しの付かない事態になる。そのためにも、手が下せる段階で手を下さなければならないのだ。 紺色の軍服に身を包んだ桐子は、高校の廊下を優雅に歩いていた。職員室からは、まだ銃声が聞こえている。 廊下には我先にと逃げだそうとして射殺された中年の男性教師が倒れ、爆ぜた頭部から脳漿が飛び散っていた。 保健室では養護教諭が射殺され、玄関では守衛が射殺され、階段では教室に向かおうとした教師が死んでいる。 見慣れた光景なので何も思わない。それどころか、校内のそこかしこから聞こえる生徒の悲鳴が心地良かった。 「鍬形一尉!」 二階に繋がる階段を封鎖していた兵士が、桐子に最敬礼した。 「全クラスの制圧を完了しました!」 「そう。だったら、私達の出番ね」 桐子は振り返り、あぎとの先端で天井を削りながら歩いている恋人を見上げた。 「行きましょう、セールヴォラン。これから、楽しいことを始めるのよ」 「桐子が楽しいのなら、僕も楽しい」 セールヴォランは、平坦ながらも少しだけ声色を弾ませていた。桐子はくすくすと微笑みながら、階段を上る。 「今日はどんな子がいるのかしら? ふふふふ」 「血と硝煙が強すぎる。女王の匂いが解らないかもしれない」 ぎしぎしと関節を軋ませながら階段を上るセールヴォランは、触角を動かした。 「大丈夫よ。実際に目で見れば、すぐに解るんだから」 桐子は二階に昇ると、射殺した担任教師の死体を片付けている兵士に敬礼されたが、目線も返さなかった。 熱を持った自動小銃を構えている戦闘員に囲まれた扉を開け、一年A組の教室に入ると、激しい悲鳴が迸った。 自動小銃を突き付けられた生徒達は、男子と女子に分けられていて、右側に男子、左側が女子のグループだ。 女子の泣き声と男子の絶叫が教室を揺さぶり、セールヴォランがドアを破りながら入ると更に悲鳴は増大した。 「あら、失礼ね」 桐子はセールヴォランの逞しい上右足に腕を絡め、頬を緩めた。 「セールヴォランはこんなにも素敵じゃないの。それなのに怯えるなんて、あなた達、趣味が悪いわね」 「鍬形一尉。男子の処分はどうなさいますか」 小隊長に尋ねられ、桐子は素っ気なく命じた。 「殺して。邪魔だわ」 すぐに小隊長の号令が掛かり、兵士達の自動小銃の銃口が男子に向けられ、盛大に機銃掃射が行われた。 十数秒後には、彼らは弾痕の開いた肉塊と化していた。硝煙の煙が晴れると、血臭がでろりと重たく広がった。 甲高い女子の悲鳴が一層引きつって、ガラスをびりびりと揺らした。桐子はセールヴォランに口付け、微笑む。 「安心して。あなた達はすぐには殺さないわ。だって、やることがあるんだもの」 「桐子が望むのなら、僕もそれを望む」 セールヴォランは桐子から離れると、女子の一団へと歩き出した。素早く戦闘員達は下がり、銃口を下げた。 彼女達は涙を流し、命乞いをし、失禁しながら醜く叫んでいるが、セールヴォランにとってもいつものことだった。 一番手前にいた女子生徒を掴み、引き倒す。男子生徒の血溜まりに転げた女子生徒は、ぎゃあぎゃあと喚いた。 セールヴォランは躊躇いもなく制服を破り、太く厚い爪を腹部に突き刺した。絶叫が鈍くなり、生温い飛沫が散る。 びちびちと内臓ごと肉を切り裂いたセールヴォランは血の吹き出る肉を左右に開き、子宮の内部を覗き込んだ。 「外れ」 「じゃ、次ね」 桐子は教卓に腰掛け、毛先を弄びながら悠長に命じた。 「解っている」 セールヴォランは痛みと出血で絶命した女子生徒を投げ捨てると、新たな女子生徒を掴んで床に引き倒した。 髪の短い女子生徒は手足をばたばたさせながら精一杯の抵抗を試みるが、セールヴォランに敵うはずもない。 ブレザーとブラウスを一度に引き裂き、若者らしい柔らかな脂肪の載った腹部に爪を埋め、ぶぢゅりと裂いた。 すると、爪に違和感を感じたのでセールヴォランが持ち上げてみると、先端に肉塊が付いた細い管が出てきた。 血と羊水を滴らせながら現れたのは、ようやく人間の形を成し始めていた胎児だったが、へその緒が途切れた。 べちゃっ、と母親の女子生徒の血溜まりに落下した胎児は、柔らかな頭蓋骨が潰れて薄い脳漿が流れ出した。 「桐子。まただ」 セールヴォランが胎児を握り潰しながら桐子に報告すると、桐子は眉根を顰めた。 「これで十人目ね、任務中に妊娠中の女子生徒を見つけるのは。まともに産めもしないくせに孕むんじゃないわよ。命の無駄遣いじゃない」 「僕には解らない」 「私にも理解出来ないわよ、そんなこと。ほら、さっさとやって。食べたかったら食べてもいいわよ」 「うん」 セールヴォランは胎児であった小さな肉塊を絶命した女子生徒の上に落としてから、次の女子生徒を掴んだ。 三人目、四人目、五人目、六人目、と流れ作業のように腹部を裂いていったが、女王の卵は発見出来なかった。 途中で、セールヴォランは女子生徒を四人捕食した。殺してから喰うと味が悪いので、生きたまま喰らい付いた。 上半身を先に喰ってから腹部を裂くが、やはり見つからない。一年A組の女子生徒の中にはいないのだろうか。 この高校はクラスが多く、生徒の数も多いので、女王の卵を孕んだ女子生徒は他のクラスにいるのかもしれない。 セールヴォランは最後の女子生徒の頭部を叩き潰してから、腹部を切り裂いていたが、触角をぴんと立てた。 セールヴォランは女子生徒の死体を放り投げて立ち上がると、ぐるりと首を大きく回してから桐子に振り向いた。 「桐子。女王だ」 「本当なの、セールヴォラン?」 桐子がセールヴォランに問うと、セールヴォランは血の滴る上両足の爪をだらりと下げた。 「桐子とは違う、女王の匂いがする」 「それで、その子はどこにいるの?」 「外」 セールヴォランは、教室と廊下を隔てる壁を指した。桐子は教卓から降りて廊下に出ると、校門を見下ろした。 見ると、確かに制服姿の少女が立っていた。住宅の影から、装甲車に封鎖された校門を遠巻きに眺めている。 「ねえ、あなた」 桐子は手近な兵士を掴まえ、制服姿の少女を指した。 「あの子、捕まえてきて。ここの生徒なんだから、パーティに参加させてあげないと可哀想だわ」 「了解しました!」 戦闘員は敬礼し、素早く駆け出した。桐子は汚れた窓越しに小柄な少女を見つめながら、唇の端を上向けた。 女王だとしたら、桐子の手で殺すだけだ。薫子には事故だとでも報告すればいい。今までもそうしてきたのだ。 女王の卵を見つけるたびにセールヴォランと共には出撃したが、生き残るのは桐子とセールヴォランだけだった。 それというのも、戦闘員達を殺すからだ。女王の卵を潰した事実を知られないためには、それが手っ取り早い。 だから、これからもそうするだけだ。桐子は教室に戻ると、返り血を全身に浴びたセールヴォランに身を寄せた。 女王に相応しいのは、桐子だけだ。 捕縛された少女は、教室に連行されてきた。 桐子はやはり教卓に座って、大量の血液と内臓の破片が飛び散っている床に転がされた少女を見下ろした。 他の生徒達と同じ制服を身に付けているが、地味だった。顔立ちも髪型も雰囲気も、全ての印象が薄かった。 教室に必ず一人はいる、空気に馴染むタイプだった。いじめられることはないだろうが、友人もいないのだろう。 後ろ手に縛られて倒れている少女は、セミロング程度の栗色の髪が顔に掛かっていて、表情が読めなかった。 悲鳴すら上げなかった。兵士に連行されてきても終始無表情で、教室の惨状を目にしても青ざめた程度だった。 大抵の人間は、惨状を見た途端に気を失うか、死に物狂いで逃げ出すか、悲鳴を上げて震えるか、のどれかだ。 珍しいことだが、面白くない。ここまで派手なことをしているのだから、少しぐらいは反応してくれないとつまらない。 「あなた、私達が怖くないの?」 反応の薄さに不満を感じた桐子が呟くと、少女は血痕の散る床を見つめた。 「それは、怖いです」 「だったら、なぜ怯えてくれないの? 悲鳴も上げてくれないの?」 「声を上げたら、また吐いてしまいそうだから」 「別にどうでもいいじゃない、そんなこと。まあ、そういうのを見るのは嫌いだけど」 「吐いたら、また食べなくちゃいけないから」 「あなた、過食症? じゃなかったら拒食症?」 「いいえ」 少女は光のない瞳で、桐子を捉えた。 「何よ、気持ち悪いわね」 桐子は少女を一瞥してから、教室の隅で立ち尽くしているセールヴォランに向いた。 「それで、どうなの、セールヴォラン?」 「セール、ヴォラン?」 少女は上体を起こして振り向き、桐子の視線を辿った。巨体の人型クワガタムシは、複眼に少女を映し込んだ。 「感じる。女王の匂いだ。でも、別の匂いも混じっている」 「そう。でも、そんなのはどうでもいいわ」 桐子は教卓から降りて少女に歩み寄ると、つま先でその肩を突いて転ばせた。 「セールヴォラン。この子を殺して、卵も潰しなさい」 「でも、桐子。薫子は」 「あんな女の命令なんて、聞くだけ無意味よ。私は女王なのよ、私に命じられる人間なんていないわ」 桐子は仰向けに倒れた少女の胸元に、軍靴の硬い靴底を落とした。 「さあ、セールヴォラン」 「解った」 セールヴォランは桐子の命令通り、近付いてきた。桐子は少女の胸元から足を下げ、唇の端を歪めた。 「いつも通り、卵もちゃあんと殺すのよ」 「解っている」 セールヴォランは、これまでと同じように少女の制服に爪先を引っ掛け、布地を切り裂くべく上両足を引いた。 リボンが千切れ、ブレザーが裂け、ブラウスが破けると、桐子の靴底による赤い痣が付いた薄い胸元が現れた。 セールヴォランが少女の皮膚を裂こうと爪先を伸ばした時、羽音が聞こえ、反射的に爪を引いて触角を上げた。 「桐子! 敵、急速接近!」 「それ、どこから?」 少々残念そうな桐子に問われ、セールヴォランは叫んだ。 「五時の方向!」 桐子がセールヴォランの視線を辿ろうと目を上げた瞬間、黒く巨大な固まりが琥珀色の羽を広げて迫ってきた。 住宅街の上空を弾丸のように飛び抜けてきたそれは、迷いなく一年A組の窓に吸い込まれ、ガラスを粉砕した。 白く煌めく無数の破片を赤黒く濡れた床に散らしながら、黒く巨大な固まりは床に転げ、血と内臓の海に落ちた。 「カンタロス!」 少女が歓喜と困惑を混ぜた声を上げると、黒く巨大な固まりは立ち上がり、ツノからガラスの破片を落とした。 「昼間ってのは、かったりぃな」 「どうして学校が解ったの?」 少女に問われ、黒く巨大な固まりは、あぎとを開いて警戒しているセールヴォランを見据えた。 「妙な気配と一緒にあいつの匂いが流れてきたからな。あれがお前を孕ませたら、俺がお前を守る意味がない」 「セールヴォラン、あいつは何なの!?」 動揺した桐子が喚くと、セールヴォランはもう一つの脳を操り、ツノを持つ人型昆虫の外見と情報を照合した。 「桐子。あれが十五号だ」 分厚く硬い、漆黒の外骨格。丸太のように太く、屈強な上両足。雄々しいツノ。セールヴォランに匹敵する体格。 二本足で屹立した人型カブトムシは血溜まりとガラス片を踏み締め、少女を背後に庇い、ぎちぎちと顎を鳴らした。 「なんだ、お前は」 「十五号。君は処分対象だ」 セールヴォランはがちがちとあぎとを鳴らしてから、威嚇のために上体を反らした。 「桐子。命令を」 「下らねぇな。お前は人型昆虫のくせに、そんな下等生物に従うのか?」 人型カブトムシがせせら笑うが、セールヴォランは平静だった。 「これは勧告ではない、警告だ。速やかに降伏せよ、十五号」 「カンタロス…」 少女に不安げな顔で見上げられ、人型カブトムシはぎちりと顎を軋ませた。 「女王。俺の中に入れ」 「セールヴォランと戦うってこと?」 「それ以外にねぇだろ」 人型カブトムシは少女の襟首を掴み、持ち上げ、体液の糸を引きながら開いた胸部の中に押し込んで閉じた。 人型カブトムシは一度肩を落としたが、すぐに顔を上げた。先程とは違う姿勢で立つと、複眼で桐子を見定めた。 「カンタロス。今度は上手くやるね」 人型カブトムシは発声装置から少女と同じ口調の声を発し、桐子へと歩み寄ってきた。 「まさか…そんな…」 女王の卵の持ち主は、そのまま十五号の使用者だったのか。桐子は戸惑ったものの、冷静さは保っていた。 人型カブトムシの中に入られては、殺すのは一苦労だ。感付かれたのは厄介だが、ここは戦うしかないだろう。 それに、相手は成虫に羽化したばかりだ。実戦経験が豊富な桐子にとっては、素人を相手にするようなものだ。 「行くわよ、セールヴォラン!」 「桐子が僕を求めるなら」 セールヴォランは人型カブトムシから目を離さずに、頷いた。桐子はセールヴォランの前に立ち、服を緩めた。 本当なら全て脱いでしまいたいが、そんな暇はない。セールヴォランは胸部を開くと、桐子を体内に押し込めた。 少し冷たい粘液が全身に絡み付き、軽い痛みの後に神経が繋がり、全身の至る穴に神経糸が滑り込んでくる。 意識が移り、視界が上昇し、感覚が変わる。電気的な刺激で覚醒した桐子は、セールヴォランと一体化していた。 セールヴォランの複眼に、人型カブトムシが映る。だが、桐子の記憶にある十五号の姿とは似ても似付かない。 脱皮した後も成長を続けたのだろう、体格が一回り以上大きくなり、相応に腕力も上がっているのは間違いない。 十五号、もとい、カンタロスが脱皮したのはほんの三日前なのだ。五年も共に戦ってきた、桐子達の敵ではない。 勝利以外の結末など有り得ない。 09 2/8 |