純情戦士ミラキュルン




第十話 謎多き怪人! 暗躍のナイトメア!



 世間では、夏休みが始まっていた。
 学生時代は毎年心待ちにしていたものだったが、社会人となった今となってはあまり関係のない行事だ。 だが、それは去年までの話である。今年ばかりは、夏休みが始まってしまったことがどうしようもなく寂しかった。 大神はいつものようにレジに立ち、雑務をこなしながら、重苦しい胸中を紛らわすためにため息を小さく零した。 ピーク時を過ぎたので客の数はまばらになって手が空いてくると、おのずと仕事と関係ないことを考えてしまった。
 今日もまた、美花は来なかった。市立高校は夏休みであり、彼女は部活動をしていないのだから来なくて当然だ。 そのため、大神の不純極まる労働意欲は大いに削がれたが、従業員の義務である仕事はきちんと果たしていた。 美花とは会えない方が良いのかもしれない。美花は鋭太と付き合っているのでは、邪魔をするべきではない。 美花の相手が愚弟であることは、正直言って腹が立つし並々ならぬ嫉妬心が芽生えるが、他人の恋路なのだ。 それに、美花が鋭太を選んだのなら仕方ない。自分ではないことが悲しかったが、美花には美花の人生がある。
 大神は美花とメール交換も続けていて、時折電話もするようになったが、一緒に遊びに行くことはなかった。 大神も美花も都合が合わないから、というのが理由だが、美花は大神と距離を置きたいのだろうと思っていた。 美花は大神に近付いたはいいが、やはりクラスメイトである鋭太の方が気楽に付き合えると思ったに違いない。 だから、大神は友達の域を超えられない。それに、大神には彼女として振る舞っている女性が身近に存在する。

「いらっしゃいませ」

 ドアが開いたので反射的に挨拶すると、件の女性、メイド服姿の内藤芽依子が入ってきた。

「おはようございます、若旦那様」

「おはよう、芽依子さん」

 場所が場所だけにやりづらかったが、大神が挨拶を返すと、芽依子は膝を曲げて一礼した。

「本日、私は旦那様よりお暇を頂きました」

「お休みなら、なんで仕事着を着ているんだ?」

「私めは大神家の使用人であります故、若旦那様も御世話させて頂きとう存じます」

「いいよ、そんな。そこまでしてくれなくても」

 大神が少々困ると、芽依子は肩から提げたトートバッグから鍵を取り出した。 

「若旦那様の御部屋の鍵は奥様より譲り受けておりますが、若旦那様の御了承を得ぬうちに御部屋に 上がるのは失礼極まる行為でございますので、御了承を頂きたく若旦那様の元へ馳せ参じた次第でございます」

「な、なんで?」

 大神が面食らうと、芽依子は平坦に続けた。

「御安心なさいませ。若旦那様の生活圏を乱すつもりは毛頭ございませんし、掃除にしても洗濯にしても炊事にしても、 若旦那様の了解の範囲内で執り行うつもりでございます」

 失礼いたします、と芽依子はレジに近付いてきた客に場所を譲ったので、大神はその客の会計を手早く行った。 芽依子と大神を見比べて不可解げな顔をして出ていった客を見送った後、大神は芽依子を見下ろして苦笑した。

「悪いんだけど、芽依子さん。その話は、俺の仕事が終わった後にしてくれないか?」

「申し訳ございませんでした。ですが、事は早い方がよろしいかと存じまして」

「でもなぁ……」

 大神は片耳を曲げ、言葉を濁した。いくらメイドの芽依子であっても自室を掃除してもらうのは気が引ける。 大神の部屋は、男の独り暮らしの常でひどいことになっている。先日掃除をしたが、中途半端に終わらせた。 ゴミの山を全て捨て、申し訳程度に畳を拭いたが、汚れはまだまだ残っていて綿埃が分厚く降り積もっている。 家族同然の使用人であっても、相手は女性だ。彼女を部屋に上げるのなら、もう少し部屋が綺麗な方が良い。

「お気になさらず。私めは大神家のメイドにございます故、若旦那様の御部屋がどれほどの惨状であろうとも 眉一つ動かさずに埃一つ残さずに綺麗にしてご覧に入れましょう」

 芽依子が抑揚なく言い切ったので、大神は少し迷ったが、手を合わせた。

「だったら、部屋の掃除だけでもお願い出来るかな。それだけでいいから」

「心得ました」

 芽依子は一歩身を引くと、丁寧に礼をした。

「それでは若旦那様、私めはこれにて失礼させて頂きます」

 芽依子は姿勢を戻し、足早にコンビニを後にした。芽依子の姿が遠ざかると、バックヤードから中村が現れた。

「何? あのメイドさん。つか、大神の彼女?」

 中村はだらしなく笑いながら、大神に絡んできた。

「なんだよその言い方は」

 大神が言い返すが、中村はへらへらしていた。

「大神、あの女子高生からメイドさんに乗り換えたん?」

「そういうわけじゃない」

 大神は中村を振り払おうとしたが、中村は詰め寄ってきた。

「つか、大神ってそういう趣味だったん?」

「芽依子さんは俺の実家の使用人だから、ああいう態度なんだよ。別に付き合っているわけじゃない」

「だったらどうだってんだよ。いくら大神でも、どっちかは喰ったんだろ?」

「はぁ?」

 大神が声を裏返すと、中村は大神の肩を馴れ馴れしく叩いてきた。

「まさか、どっちにも手ぇ出してないってことはねーよな?」

「仕事に戻れよ。客が来る」

 大神は中村を引き剥がし、バックヤードに押しやった。中村は不満げだったが、品出しの作業に戻った。 中村が並べた文句に大神は苛立っていたが、客がいる手前では表情には出せず、尻尾を重たく揺すっていた。 美花にしても芽依子にしても、手を出せるわけがない。好意を持っている相手であっても安易に付き合うのは 良くないと思っているし、それでは誰も彼も傷付いてしまう。美花も、芽依子も、鋭太も、引いては七瀬もだ。自分に ばかり都合良く物事を動かしても、良い結果にはならない。
 だから、美花と鋭太の関係を見守ろう。しかし、だからといって安易に芽依子に心を寄せられるわけもなかった。 好きなのは美花だ。だが、好いてくれているのは芽依子だ。どちらが良いかと比べては二人に申し訳ない。 どちらにも良いところがあり、どちらにも魅力がある。大神には二人を選べる権利はなく、増して手を出すなどと。 けれど、そう思っているくせにどちらとも良い関係になれたらいい、と大神の心中では浅ましい感情が起きていた。
 つくづく、自分が情けなくなる。




 二人も外回りに出掛けてしまうと、社内は静まった。
 経理担当のアラーニャが上半身の六本足で器用にキーボードをタイプする音が、コンクリートの壁に跳ね返る。 古めかしいクーラーが唸りを上げて冷気を吐き出しているが、二人しかいないので出力は最低に絞ってあった。 人型昆虫のアラーニャも人型古代甲殻類のレピデュルスも変温動物で、体温が下がりすぎると生命活動が低下する。 それに、本社に設置されているクーラーは雑居ビルを建設した当時のものなので、やたらめったら電気を喰ってしまう。 世界征服を企む悪の秘密結社が過剰にエコを叫ぶ世間の流行に則ったわけでもないが、経費節減は大切だ。
 経費の支出計算を行っていたアラーニャは、喉を潤すために緑茶を飲もうとしたが、マグカップは既に空だった。 底に溜まっていたのは茶葉だけで、とても飲めそうにない。アラーニャは立ち上がり、手狭な給湯室へと向かった。

「レピさぁん、お茶ぁ、いりますぅ?」

 アラーニャが茶葉の入った急須に湯を入れながら尋ねると、自分のデスクからレピデュルスが答えた。

「頂こう」

「じゃあ、そっちに持っていくわねぇ」

 アラーニャは自分のデスクに戻ってマグカップに緑茶を注いでから、レピデュルスの湯飲みに注いだ。

「はぁい、どうぞぉ」

「ありがとう、アラーニャ」

 レピデュルスは湯飲みを取り、アラーニャが注いだ熱い緑茶に細長い口の先端を差し込んだ。

「外はまた一段と暑そうだな」

 燦々と日差しが降り注ぐ屋外を見やり、レピデュルスが呟くと、アラーニャは口元に足先を添えた。

「そうねぇ。天気予報じゃ、真夏日になりそうだぁって言っていたわぁ」

「ファルコもだが、パンツァーも心配だ。装甲が分厚く、動力機関が強靱な分、生じる熱量も多いのだからな」

「でもぉ、お二人とも自己管理が出来ない歳じゃないんだしぃ、大丈夫よぉ」

 アラーニャが微笑むと、レピデュルスは少し笑った。

「そうだな、アラーニャ。だが、私の中では、二人はまだ年若き青年に過ぎぬようだ。認識を改めねばならぬと 思ってはいるのだが、私の内で流れる時と君達の内で流れる時の速さが違うが故に、齟齬が生じてしまうようだ」

「それじゃあ、私はまだ女の子ってことかしらぁん?」

「君はいつまでも変わらぬよ、アラーニャ。どれほどの月日が過ぎようと、その美しさの前では宝石の光も霞もう」

「あらぁん、お上手」

 アラーニャは足先でつんとレピデュルスの肩を小突くと、急須を持って給湯室に戻った。

「時に、アラーニャ」

 レピデュルスが声を掛けると、三角コーナーに出涸らしを捨てたアラーニャは振り返った。

「はぁい、なぁに?」

「ナイトメアからの報告は上がってきているのかね?」

「ええ、あるわよぉん」

 急須を洗って水切りカゴに乗せてから、アラーニャは給湯室を出て取締役のデスクに向かった。

「失礼するわねぇ、若旦那ぁ」

 アラーニャはスチール机の右脇にある引き出しの一番下を開け、怪人からの報告書のファイルを取り出した。 ミラキュルンやそれ以前のヒーローとの決闘や作戦の結果を書き記したものだが、そのほとんどが敗北だった。 時系列順にファイリングしてあるので、芽依子が大神の元へと送り込まれた日に一番近い日付を開いてみた。 その翌日には芽依子からの細かな報告書が上がってきていたが、それ以降はあっさりした内容になっていた。 理由としては、大神の身辺に大きな変化が起きていないからだろう。実際、そうそう変化が起きるものでもない。 報告書に登場する人物が増えたぐらいで、芽依子と大神の関係も相変わらずの平行線を辿っているようだった。

「はぁい、どうぞぉ」

 アラーニャがレピデュルスの手元に報告書のファイルを差し出すと、レピデュルスはそれを受け取った。

「ふむ……。若旦那は堅牢だと思っていたが、これほどまでとはな」

「そうねぇ。芽依子ちゃんぐらい可愛い子に迫られたらぁ、普通はぐらぁって来ちゃうわよねぇ」

 アラーニャもレピデュルスの肩越しに覗き込み、八つの目を瞬かせた。

「だが、原因はそれだけではないように思える」

 レピデュルスは芽依子の整然とした字を眺め、顎を囲むヒゲに似た外骨格を撫でた。

「若旦那は御自身も怪人であるが故に怪人の特殊能力に対する耐性をお持ちだが、それにしては成果が 悪すぎやしないかね? ナイトメアの持つ幻惑能力を持ってすれば、若旦那であろうとも魅了出来るはずなのだが」

「そういえば、そうねぇん」

 アラーニャはぱちぱちと瞬きしてから、レピデュルスに向いた。

「相手がボスクラスの怪人だからぁ、幻惑能力を使うに使えないとかぁ?」

「しかし、ナイトメアは打算的で現実的で効率的な行動を好む性分だ。若旦那をたらし込むことで報酬が 得られることを知っているのだから、尚のこと行動を早めるはずだ。となれば……」

 レピデュルスは複眼を上げ、アラーニャを映した。

「私達は人選を誤ったやもしれぬ」

「ああ、そういうことぉ」

 すぐに感付いたアラーニャが頷くと、レピデュルスは分厚いファイルを閉じた。

「いずれ、ナイトメアには詫びておかねば」

 レピデュルスはファイルをアラーニャの足に戻しながら、彼女の八つの目を見上げた。

「して、アラーニャ。君の毒は奴に回ったのかね?」

「あらぁん、急にそんなこと聞かないでよぉ。困っちゃうわぁ」

 アラーニャは身をよじって恥じらい、分厚いファイルで顔を覆い隠したが、上の目を少しだけ出した。

「誰にでもぉ、私の毒が効くとは限らないわぁ。だからぁ、効かなくても仕方ないのよぉ」

「悪いことを聞いてしまったな」

「いいえぇ、気にしないでぇ。御仕事に戻りましょ、レピさぁん」

 アラーニャは足の一本をしなやかに振り、取締役のデスクの引き出しに報告書のファイルをに戻した。 再び自分のデスクに戻ったアラーニャを複眼の端に捉えながら、レピデュルスは書類を捌く作業を再開させた。 ボールペンを走らせていたが、僅かに手を止めてアラーニャを見やると、八つの目はモニターの光を映していた。 表情の窺いづらい横顔から何も読み取れなかったので、レピデュルスは彼女から目を外して書類を見下ろした。
 芽依子も、アラーニャも、今のままで幸せなのだろうか。怪人ではあるが彼女達はれっきとした女性だ。 二人とも決して幸福な道程を歩んできたわけではないのだから、自分の幸せを追い求めても良いはずだと思う。 しかし、彼女達を欠かせば世界征服が遠ざかる。けれど、個人の幸せを蔑ろにされた世界は幸福なのだろうか。 社会の枠組みに填め込まれて統一された世界は美しく、整っているが、それ故に己を貫くことが非常に困難だ。 悪の組織という枠組みに填っている限り、二人もそうだ。だが、レピデュルスにはどうすることも出来ない。 正社員四天王のリーダー格であり、歴代暗黒総統ヴェアヴォルフの右腕であり、社内最古参の怪人ではあるが。
 一社員に過ぎないからだ。





 


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