純情戦士ミラキュルン




悪事には愛を添えて



 二月十四日。
 それは、バレンタインデーであると同時に、悪の秘密結社ジャールに女性達からの差し入れが届く日である。先代 暗黒総統ヴェアヴォルフ、もとい、大神斬彦の愛妻、大神鞘香が夫に贈るケーキの試作品が届く。次に、大神家の メイドであり悪の秘密結社ジャールの一員である、内藤芽依子のチョコブラウニーも届く。そして、大神家の長女で あり名護刀一郎の妻である名護弓子からも、出来が良ければクッキーが届くこともある。最後に、正社員では唯一 の女性であるクモ怪人のアラーニャが、社員全員に小さなチョコレートを配る日である。その上今年は、大神剣司、 もとい、暗黒総統ヴェアヴォルフの恋人の野々宮美花も手作りケーキを贈ってくれた。
 おかげで、悪の秘密結社ジャールには甘いものが山ほど溜まり、どれから手を付けるべきか迷うほどであった。 最初に手を付けた御菓子は、鞘香の作った甘酸っぱいフランボワーズソースが掛かったレアチーズケーキだった。 その次は、美花の作ったちょっといびつな形の1ホールのガトーショコラで、その次が芽依子のブラウニーの順だ。 妊娠していることもあり弓子からのクッキーはなく、その代わりに名護には手編みの膝掛けが贈られた。アラーニャ からのチョコレートだけは既製品で保存が利くので、それは後の楽しみにと、引き出しの中にしまわれた。

「今年はまたすっげぇのな」

 昼過ぎに悪の秘密結社ジャールにやってきた大神鋭太は、甘いものだらけの社内を見て半笑いになった。

「でも、さすがにピジョンレディのはねーか。あったら、俺らマジ全滅だし」

「そりゃあねぇ。鳩ちゃんはぶきっちょでやすし、作ったとしても食べるのは鷹男さんだけでさぁ」

 んまい、とファルコは感想を述べながら、鞘香のレアチーズケーキをクチバシで噛み千切っていた。

「美花ちゃんが僕達に贈ってきたのは義理だろうけど、若旦那には本命がプレゼントされているよね?」

 名護が弓子の手編みの膝掛けを撫でながら笑うと、レアチーズケーキを食べ終えたヴェアヴォルフは照れた。

「そりゃ、まぁ……」

「ちなみにどんなのよ?」

 べろんと長い舌でレアチーズケーキを巻き取ったカメリーが問うと、ヴェアヴォルフは顔を背けた。

「そういうのは、人に言うようなものじゃないだろ」

「全くでございます」

 腹部の口を開いて、一口ずつ切り分けたレアチーズケーキを丁寧に食べながら、レピデュルスが頷いた。

「それに、これだけ贈られたってことはホワイトデーには三倍返しだぞ」

 皿に残ったマスカルポーネチーズをフォークで刮げ取り、舐めたヴェアヴォルフは、尻尾をゆらりと振った。

「毎年毎年母さんが気合いを入れるのは、新しい訪問着が欲しいからなんだよ。あれ、一着で何十万もするくせに、 その上で草履とか外套とか襦袢とか帯とか飾り紐とかを欲しがるもんだから、いくら金があっても足りないんだよな。でも、 母さんは着物一式が欲しいがためにクリスマスも誕生日も結婚記念日も何も言わなくて、いざって時に父さんにべったべたに 甘えるんだ。母さんは成人式シーズンに着付けで荒稼ぎしているんだから、その金を使えばいいのになぁ。全く強かだよ、 あの人は」

「親父がおふくろにベタ惚れしてんのがまずダメなんだし。つか、どっちもいい歳してんのになー」

 鋭太はレアチーズケーキの残った一切れを小皿に取ると、フォークで大きく切って口に突っ込んだ。

「この分だと、姉貴の子供が産まれたら、マジひどいことになるんじゃね?」

「ああ、なりそうだねぇ。お義父さんって弓ちゃんには特に甘いから、きっとそれ以上に甘やかすね」

 不安げな名護に、レピデュルスは胸に手を添えた。

「そうなりましたら、私めが憎まれ役となりましょう。慣れております故」

「頼むよ、レピデュルス。この分だと、僕も甘やかしちゃいそうだから」

 苦笑した名護に、承知いたしました、とレピデュルスは頭を下げた。

「で、なんで今日は図書館じゃないんだ?」

 食べ終えた皿を給湯室に運ぼうと立ち上がったヴェアヴォルフが弟を見やると、鋭太は渋い顔をした。

「いるにいられなくなったんだよ。桜木の奴が俺にチョコ渡して、すぐに半泣きで逃げちまったせいだし」

「そりゃ結構なことじゃないか」

 にやけたヴェアヴォルフに頭を撫でられ、鋭太は兄の手を振り払ってから牙を剥いた。

「良くねーよ! てか、当分図書館に行けねーし! 超気まずいし! 勉強マジはかどらなくなるし!」

「丁重に食べてやれよ。でもって、お返しはちゃんとするんだぞ」

「言われるまでもねーし! 兄貴も野々宮にきっちり返せよ、でねーとマジでジャール潰されるし!」

 鋭太はせめてもの抵抗に兄に向かって言い返してから、通学カバンからちえりのチョコを取り出し、開いてみた。 ふわふわとした桜色のラッピングで、赤いリボンが結ばれた包装紙の中には、小振りな長方形の箱が入っていた。 いかにも手作りらしいトリュフチョコにはメッセージカードが添えてあり、鋭太はそれを見た途端に突っ伏した。

「うっへあ……」

「頑張りなさいよ、坊っちゃま。大人しそうに見えてアレな性格だけど、ちえりちゃんってば申し分ない子よ」

 うふふふふ、とにやけながら、カメリーは七瀬からのプレゼントであるチョコ掛けの乾燥芋虫を囓った。

「てか、カメリー、何をどこまで知ってんの?」

 鋭太が気恥ずかしさを堪えながら顔を上げると、カメリーは丸まった尻尾を振った。

「それは企業秘密よん。あ、でも、ちゃあんと常識は弁えてあるから安心してねん」

「あー……すっげーハズいし。てか超死ねるー……」

 鋭太は耳を忙しなく動かして口元を曲げつつ、メッセージカードを上げた。ちえりの字で短い文が書かれていた。 大神鋭太様へ。私は、あなたを好きになってしまいました。返事はなくても構いません。ただ伝えたかっただけです。 桜木ちえり、と緊張に震えた字で名前が印されていて、見ているこちらまで恥ずかしさが移ってしまいそうになった。 だが、ちえりとは出会ってから一ヶ月と少ししか経っていない。鋭太にとっては、ちえりは女友達の一人でしかない。 好意は持っているが、異性として意識することはなかった。けれど、こんなものを渡されては意識してしまう。

「その子、もうちょっとまともなのを選べばいいのに」

 食べ終わった皿を片付けるために立ち上がった名護が、鋭太の肩越しにカードを覗いてきた。

「見んじゃねーよ!」

 ぶわっと尻尾を膨らませた鋭太に、名護は笑った。

「はいはい。返事をするんだったら、メールや電話じゃなくて直接会って伝えてあげなよ」

「素晴らしき青春にございます、鋭太坊っちゃま」

 レピデュルスは鋭太の背後に寄り、しなやかに頭を下げた。

「てか、お前までからかうん?」

 照れすぎて拗ねた鋭太がレピデュルスを睨むと、レピデュルスは黒い複眼を上げた。

「いえいえ。私めは大神家に身も心も捧げております故、家人である鋭太坊っちゃまにそのような態度を取るつもり は毛頭ございません。使用人として、鋭太坊っちゃまの成長を喜ばしく思っているだけにございます。ですが、どうぞ お気を付けなされませ。いざ事に及ぶとしても、婚姻前の御懐妊は……」

「結局からかってんじゃねぇかー!」

 鋭太が尻尾だけでなく背中の体毛まで逆立てると、レピデュルスはきちきちと外骨格を擦らせた。

「どうか、若旦那もお気を付けなされませ」

「あー、うん……。まあ、一応……」

 ヴェアヴォルフもなんだか気まずくなり、給湯室から出しかけた体を引っ込めた。

「怪人と僕らのは量が違うもんね。だから、命中率も格段に上だしね」

 ヴェアヴォルフの背後で、自分の皿を洗い終えた名護が言ったので、ヴェアヴォルフは耳を伏せた。

「刀一郎さんまでそういうことを言わないでよ。本気で困るから」

「事実じゃないか」

「事実だから困るんだよ」

 週末の飲み屋かよ、とヴェアヴォルフはぼやきながら、緑茶のお代わりを淹れるために急須を持って出ていった。 赤い軍服の下から垂れ下がる尻尾の主を見送ってから、名護は、予定日は六月なんだよね、と上機嫌に笑った。 怪人達に良いようにされてぐったりしたらしく、鋭太はデスクに突っ伏していて膨らんだままの尻尾を垂らしていた。 レピデュルスは自分の席に戻り、ファルコも食べ終えた皿を片付け、名護も仕事の続きをするべくデスクに戻った。 ヴェアヴォルフは自分の湯飲みに緑茶を注ぎ、一口啜ってから、一連の会話に参加していない彼に気付いた。

「パンツァー、燃料タンクでも空になったか?」

 一人、椅子に座り込んでいるパンツァーは、アラーニャからのプレゼントのチョコレートを単眼で睨んでいた。

「なんでもねぇよ、若旦那。気にしねぇでくれ」

 そう言うものの、明らかにその声色は弱っていた。砲塔を載せた背中も丸まって、戦車らしからぬ情けなさだった。 その理由に男達は気付いたが口には出さず、それぞれがやるべき仕事を再開して手を動かし始めた。
 パンツァーはアラーニャが座っているべきデスクに単眼を向けたが、八本足を持つ妖艶な怪人の姿はなかった。 それもそのはず、アラーニャは昨日から病欠している。本人はただの風邪だと言ったが、どうにも気掛かりだった。 パンツァーはぎしぎしと関節を軋ませて身動きしたが、気が落ち着かず、仕事をしようとしても彼女に気が向いた。 退勤時間まで堪えられるか、とパンツァーは悩みつつ、新しい契約先の資料整理を始めた。
 だが、集中出来なかった。




 彼は、あのチョコレートを食べてくれただろうか。
 あんなものだけで済ませるつもりはなかったのに。縫合されたばかりの腹部を気にしつつ、アラーニャは思った。 外骨格には血管も神経も通っていないので痛みはないはずだが、妙な疼きが起き、冷たく青い体液が濁っていく。 それは、途方もない罪悪感と鎮静作用に誤魔化された苦痛の残滓だ。いつもながら、たまらなく悲しくなってしまう。 精を受けないがために産まれることもない者達は、腹部から取り出された後、どうなるのかを知りたくなる時もある。 だが、知ってしまえば二度と立ち直れないと解っているから、些細な好奇心を塗り潰して心中に押し込めてしまう。
 昨日、アラーニャは無精卵を一つ残らず摘出した。月経というよりも堕胎なので、何度経験しても慣れるものでは ない。怪人と言えども所詮は知性を持った巨大な虫なので、社会生活を営むためにはそれなりの配慮が必要だ。 無精卵の摘出手術は、人型昆虫や虫系怪人には当たり前のことだと理解していても、胸がじくじくと痛む。
 つるりと丸く透き通った卵。アラーニャの遺伝子を継ぎ、魂も継いでいるであろう、名前すら持てなかった子供達。 冷ややかな母の体から引き摺り出され、人知れず闇へ葬られ、意識と自我を持つ前に土へと還る子供達。一度でも 目にしたら名残惜しくなってしまうから、今まで一度も卵と対面したことはないが、後悔してもいた。せめてその姿を 記憶に止めてから土に還すべきでは、とは思うが、目にしたら気が狂いかねないとも思っていた。だから、今回も また彼らを一度も見ずに事を終えた。それが正しいのかどうか、未だに判断を付けかねていた。

「明日は、仕事に行かなきゃあ……」

 アラーニャは気怠い体を布団に横たえ、自室の天井を仰ぎ見た。

「頑張らなきゃ、いけないのよねぇ……」

 もしも子が産まれたとしても、アラーニャには子供を育てる自信もなければ、体力があるほど若くもない。愛した男 は精すら持たない機械の男だ。彼に血が通っていたら、異種間受精が出来る可能性はあったのだろうか。だから、 これでいいのだと思おうとする。けれど、もしも産まれて育ってくれたら、と頭の片隅でつい考えてしまう。そうなれば 自分が一番困るのに、望まずにいられない。女として枯れていないから、母性も枯れていないのだ。

「あらぁ」

 鎮静剤が抜けきっていないから時間の経過を失念したらしく、いつのまにか、窓の外が暗くなっていた。

「もう、夜なのねぇ」

 この夜が明ければ、いつも通りの朝が訪れる。何事もなく、世界征服を目指して仕事をする日々に戻る。それが 日常だから普段は何も感じないが、今ばかりは辛くて仕方ない。のうのうと生きる自分が疎ましくなった。子を殺しても 生きるのが正しいのか、死んだ子の分も生きられているのか、迷い出したら重苦しく沈んでいった。
 玄関で物音がして、ドアの中で錠が噛み合い、回った。この部屋の合い鍵を持っているのは、彼一人しかいない。 出迎えなければ、とアラーニャは身を起こすとドアが開き、街灯の逆光を受けながらパンツァーが上がってきた。

「邪魔するぜ」

「あらぁん……」

 アラーニャは平静を装おうとしたが、保てず、毛羽立った畳に足先を食い込ませた。

「具合、悪ぃのか」

 アラーニャの前でパンツァーが膝を付くと、アラーニャは小さく頷いた。

「ええ」

「俺はこんなんだから、何をしてやりゃいいのか解らねぇが、何か必要なら」

「あなたが欲しいわぁ」

 同じ罪深い痛みならば、快楽を伴う痛みが欲しい。アラーニャは、上二本の足をパンツァーに絡ませた。

「ね……?」

「おいおい、ちょっと待てよ。病み上がりのくせして、そう焦るんじゃねぇ」

 パンツァーはアラーニャを制しながらも、自重を掛けすぎないように気を配りながら覆い被さってきた。

「俺も退屈だったのは確かだがな。お前さんがいてくれないと、俺は」

 パンツァーの角張った金属の指がアラーニャの丸い腹部を撫でたが、真っ直ぐな傷口に気付き、止まった。

「なんだ、この傷。一昨日までは、こんなもの」

「いいの、気にしないでぇ。ねぇ、だから」

 アラーニャはぐいっとパンツァーの首を引き寄せるが、パンツァーはその足を振り解いて身を起こした。

「馬鹿言うな、そんなんで出来るか! 無理にねじ込んだら、お前さんの体液が零れ出しちまうじゃねぇか!」

「でもぉ……」

「安心しろ、俺はそんなに若くねぇ。だから、今日のところは傍にいるだけで満足出来る」

 角張った指で顎を持ち上げられ、赤い単眼と八つの目が合う。窓の向こうで、私鉄の電車が騒がしく走り抜ける。 人影が多く並んだ車窓の灯りが全て通り過ぎ、踏み切りの警笛も鳴り止むと、アラーニャは少しだけ気が抜けた。 無機質だが温かな情の籠もった単眼を八つの目に映していると、それだけで苦しみが溶け、体液の濁りも薄まる。 アラーニャはパンツァーのキャタピラが付いた腕に四本の足を絡め、彼の内から滲む熱を吸い取った。
 空っぽの体を、少しでも満たすために。







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