純情戦士ミラキュルン




素晴らしき未来への門出! 正義と悪のウェディング!



 ついに、この日がやってきた。
 手元の招待状に印された期日が近付くに連れて、大神邸からは芽依子の痕跡が日に日に消え失せていった。 元々私物の少ない部屋が綺麗に片付けられていき、服、本、身の回りの雑品が段ボール箱に全て詰め込まれた。 そして、今日、芽依子の荷物が詰まった段ボール箱は、新婚夫婦の新居となるマンションに運び出された。
 洋風の装丁の招待状を閉じたレピデュルスは、封筒に戻した。大神邸の二階からは、家人達の声がする。名護と 弓子の長女である亜矢が走り回っていて、それを追い回す弓子の足音と声が天井から伝わってきた。ほら良い子 にしてったら、おめかしするんだから、と弓子は必死だが、亜矢は追いかけっこを楽しんで笑っていた。夫の名護の 声がしないのは、ガレージで車を出す準備をしているからだ。その証拠に、彼の愛車のエンジン音が響いている。

「つか、そろそろ出発しないとヤバくね?」

 階段から下りてきた鋭太はイタリアのブランド製のスーツの襟元を正し、白いネクタイを締めた。

「御心配なさらずとも、挙式には間に合いましょう」

 レピデュルスが柱時計を示すと、鋭太は普段よりは大人しめにセットした頭部の体毛をいじった。

「あー、そうだ。ちょっと頼まれてくんね」

「何でございましょうか」

「写真、撮ってくんね」

 鋭太はダークグレーのスーツの内ポケットから携帯電話を取り出し、レピデュルスに投げ渡した。

「よろしゅうございますが、何用で?」

「ちえりがさ、なんか知らねーけど欲しがったんだよ。俺の写真。芽依子じゃなくてさ。意味解んね」

 照れ臭そうにそっぽを向いた鋭太に、レピデュルスは笑みを浮かべるように腹部の口を少し開いた。

「それは乙女心にございます」

「早くしてくんね。すっげぇハズいから」

 鋭太はスーツをきっちりと着込んでいること自体が恥ずかしいらしく、姿勢を崩した。

「了解いたしました、坊っちゃま」

 レピデュルスは照れを懸命に堪えている鋭太を撮影してから、その画面を鋭太に見せた。

「このようになりましたが、いかがでございましょう」

「あー、うん。もういいや。てか、二度も撮れねーし、ハズすぎて」

 鋭太は自分の写真を保存し、短いメールを打つと、写真を貼付したメールを送信した。

「成人式の時にも俺の紋付き袴なんて見たがったんだよなー、ちえりの奴。マジ変だし」

 携帯電話を閉じて胸ポケットに戻した鋭太は、曖昧に笑う。レピデュルスは腹部の口を閉じ、表情を戻した。鋭太 は高校二年の三学期から勉学に励んだおかげで無事に高校を卒業し、苦労はしたが大学に進学していた。成長期 が終わりきっていなかった体は進学した後も成長を続け、今となっては兄の剣司に劣らぬ体格だ。だが、怪人として の能力が目覚める兆しもなく、チャラついた言動も変わらないが、進路はきちんと見定めている。そして、魔法少女 まじかるチェリーの正体である桜木ちえりと交際を始め、今では双方の家族公認の仲である。ちえりは美花以上に 控えめで大人しい性格で、軽薄な性格の鋭太とは正反対にも思えるが気が合っているようだ。何度となく大神邸に 出入りしたおかげで、ちえりはすっかり大神家の家人とも仲を深め、亜矢にも懐かれている。

「だからぁ、ちょっと待ってぇー!」

 必死な弓子の叫びに背中を押されるように、亜矢が階段を駆け下りてきた。

「わぁい、私の勝ちぃー!」

 黒のベルベットのワンピース姿の亜矢は、裾から出た尻尾を揺らしながら駆けてきたが、鋭太に阻まれた。

「うんにゃ、俺の勝ち」

「違うもん、亜矢の勝ち! だってお母さんが追い掛けてこないもん!」

 誇らしげに小さな胸を張った亜矢に、鋭太は姪っ子を軽々と抱き上げた。

「ほい、捕まえたー。だから俺の勝ち」

「あぁ、ずるいずるい、小父ちゃんずるいぃ!」

 亜矢は鋭太の頭上で抵抗するが、大人の腕力には敵うはずもなかった。

「あー、ありがとう鋭ちゃん……」

 息を切らしながら階段を下りてきた弓子は、弟の腕に抱かれた娘を見て安堵した。

「てか、姉貴も無理すんな。次のがいるんだし。ほい、亜矢」

 鋭太は腹部がゆったりとした薄黄色のドレスを着た弓子に、亜矢を差し出した。

「うん。そのつもりなんだけど、亜矢がねぇ……」

 弓子は鋭太から亜矢を受け取って力なく笑ったが、亜矢はまだ暴れ足りないらしく母親の腕から逃れようとする。 身を乗り出して落ちそうになったので、すかさずレピデュルスが受け止めると、亜矢は途端に喚いた。

「いーやぁー! レピデュルスは冷たいからやー! お母さんがいいぃー!」

「その私から散々逃げておいて、何を言うんだか」

 弓子は肩を竦めると、亜矢はぐいぐいとレピデュルスの胸を押してその腕から脱そうとする。

「助けてぇー、おかぁーさぁーん! やーぁー!」

「いやはや、すっかり嫌われてしまいましたな」

 レピデュルスが亜矢を床に戻すと、亜矢は途端に駆け出して母親の影に身を隠してしまった。弓子のドレスの裾を 握った亜矢は、頬を膨らませて唇を尖らせ、敵意を込めた眼差しでレピデュルスを見上げた。
 人間の名護と獣人にも怪人にも満たない弓子から生まれた亜矢は、母親のそれに似た尻尾だけが生えていた。 それ以外はまるきり人間で尻尾を隠してしまえば人間の少女だが、ようやく生え揃った乳歯には太い牙があった。 名護にそっくりな目元と弓子に似た可愛らしい顔立ちに人懐こい性格なので、家族の誰からも可愛がられている。 だが、レピデュルスだけは亜矢に甘くなく、事ある事に厳しく躾けているので嫌われてしまうのは仕方なかった。

「全くもう……」

 弓子は足元の亜矢を見下ろし、苦笑した。その腹部は丸く迫り出していて、第二子が育まれつつあった。

「私、レピデュルスはやだ。芽依子姉ちゃんがいい!」

 亜矢は眉を吊り上げてレピデュルスを睨んだので、弓子は亜矢の手を外させてから屈み、目線を合わせた。

「芽依子ちゃんはお嫁に行くんだから、我が侭言わないの。芽依子ちゃんが綺麗な花嫁さんになったところ、見たいって 言っていたじゃない。おめかしするのも楽しみにしていたじゃない。それなのに、どうして逃げちゃうの?」

「だって、芽依子姉ちゃんがいなくなったら寂しいもん。つまんないもん」

 亜矢はしゃくり上げ始めたかと思うと、ぼろぼろと泣き出した。

「お嫁さんに行っちゃやだぁ! 芽依子姉ちゃんがいないとやだぁ! やだぁ、やだぁー!」

「その気持ちは私も解るけど、芽依子ちゃんはお嫁に行って幸せになるんだから、皆でお祝いしてあげなきゃ」

「やーぁー!」

 母親に縋り付き、亜矢はますます泣いた。

「亜矢御嬢様。お母様の仰る通りにございます」

 レピデュルスも床に片膝を付き、亜矢と目線を合わせた。

「芽依子は人生の伴侶と添うために大神家から巣立ったのであり、今生の別れというわけではございません。新居も 遠くはございませんし、歩いて行ける距離にございます。ですから、芽依子と会おうと思えば、いつでも会えるので ございます。だから、どうぞ御安心なされませ」

「……本当?」

 亜矢はしゃくり上げながら、レピデュルスに聞き返した。レピデュルスは大きく頷いた。

「もちろんですとも」

「じゃ、じゃあ、芽依子姉ちゃんはまた亜矢と遊んでくれる? ホットケーキ焼いてくれる? ご飯作ってくれる?」

 不安と期待を入り混ぜて捲し立てた亜矢に、弓子も頷いてみせた。

「もちろんだよ。だけど、亜矢がお母さんの作るご飯をちゃんと食べてくれなきゃ作ってくれないからね?」

「えー……。お母さんの、あんまりなんだもん……」

 拗ねた亜矢に、レピデュルスはきちりと外骨格を軽く軋ませた。

「でしたら、私めもお手伝いいたしましょう」

「だったら食べる! レピデュルス、冷たいから触るのは嫌だけど、ご飯はおいしいもん!」

 途端に機嫌を戻した亜矢に、鋭太は肩を竦めた。

「現金すぎだし」

「皆、そろそろいいかい?」

 玄関に顔を出したのは、結婚式に相応しい服装の斬彦と名護だった。

「ガレージから出したし、エンジンも暖めたし、亜矢の席もちゃんとした。だから、後は乗って出発するだけだ」

「剣司は先に到着しているでしょうね。社員全員を詰め込んだバスに同乗すると言っていたから」

 二階から下りてきた鞘香は扇に鶴の柄の黒留袖の着物姿で、頭部の体毛も和装に似合う形に結い上げていた。

「おばーちゃーん!」

 亜矢は弓子の元から離れると、鞘香の元に駆け寄った。

「はいはい、なあに? あら、髪がぼさぼさじゃない。裾も衿も曲がっちゃって、あらあら、顔もべたべたで」

 膝を曲げて亜矢の前に屈んだ鞘香は、ハンカチで亜矢の顔を拭ってから弓子に向いた。

「また逃げられたのね? 大して時間も手間も掛からないから、式場でなんとかしてあげるわ」

「ごめんね、お母さん」

 情けなさそうに耳を伏せた弓子に、鞘香は帯の下から出した尻尾を揺らした。

「全くよ。今日は時間がないから仕方ないにしても、亜矢が幼稚園に行くようになったらあなたが全部してあげなさいね。 レピデュルスになんか任せちゃいけませんからね。亜矢が自分で出来るようになったら、手を出しちゃダメよ。そうじゃないと、 ちっとも自立しないんだから」

「僕も手伝うからそんなに落ち込まないでよ、弓ちゃん」

 名護が弓子の手を取って立ち上がらせながら励ますと、弓子は伏せていた耳を立てた。

「うん、頑張る」

「んじゃ、とっとと行こうぜ。ぼやぼやしてっと、マジで結婚式始まっちまうし」

 ほれ行くぞ、と玄関から外に出た鋭太が亜矢を手招くと、亜矢は鋭太に向かって駆け出した。

「鋭太小父ちゃんもちー姉ちゃんと結婚するの?」

「するにしたって、すぐじゃねぇよ。そうだなぁ、亜矢が幼稚園に上がってお姉ちゃんになった後、ぐらいじゃね?」

 亜矢を抱き上げてガレージに向かいながら鋭太が希望的観測を述べると、亜矢ははしゃいだ。

「そしたら、ちー姉ちゃんとずっと一緒だぁ! 芽依子姉ちゃんも好きだけどちー姉ちゃんも好きぃー!」

「野々宮、っつーか、美花姉ちゃんはどうなん?」

「美花姉ちゃんが変身してない時は好きだけど、変身したら剣司小父ちゃんと怪人の皆をいじめるからきらーい」

「あいつはそれが仕事なんだっての。ほら、亜矢、良い子にしろ」

 ガレージ前に出された車にやってきた鋭太は亜矢をチャイルドシートに座らせ、ベルトを締めてやった。

「鋭太小父ちゃんも一緒だよね?」

 亜矢が鋭太の袖を掴んで引き留めてきたので、鋭太は名護に向いた。

「刀一郎さん、俺もこっちの方が良くね? 亜矢、構ってやれるし」

「ああ、その方がありがたいよ。ねえ弓ちゃん」

 弓子と自分の荷物を抱えてやってきた名護は、後部座席の下に荷物を置いてから、助手席のドアを開いた。

「うん。鋭ちゃん、ほんっとにありがとう! 鋭ちゃんがいなかったら、手に負えないもん」

 だから次のもよろしくね、と言いながら弓子が助手席に座ったので、後部座席に座った鋭太は舌を出した。

「勘弁してくれよ」

「いいじゃないの、予行練習になるんだし」

 にこにこしながら運転席に座った名護はシートベルトを締め、ドアを閉じた。

「それじゃ、僕達も行こう」

 少し遅れてやってきた斬彦は祖国生まれの自家用車の後部座席ドアを開き、先に鞘香を乗せた。

「旦那様、私めが運転いたします」

 戸締まりを終えてからやってきたレピデュルスが頭を垂れながら手を差し伸べるが、斬彦は首を横に振った。

「いいよ、僕がする。それに、こういう日ぐらいは、君も本分を忘れたっていいじゃないか」

「ですが、旦那様」

 レピデュルスが躊躇すると、ハンドバッグを膝に乗せた鞘香は後部座席から手招きした。

「あなたも芽依子さんから招かれた来客なのだから、それらしく振る舞えばよろしいのよ」

「だから、ほら」

 斬彦もレピデュルスを後部座席に促したので、レピデュルスは鞘香の隣に腰掛けた。

「失礼いたします、奥様」

「はい、どうぞ」

 鞘香が朗らかに返すと、斬彦は運転席に座り、シートベルトを締めてからバックミラーを調整した。

「しかし、芽依子さんがお嫁に行っちゃうとは、時間が経つのは早いなぁ。初めて会った時は小さな女の子だとしか 思わなかったのに、いつのまにか大人になっていたんだから」

「子供達も大きくなるわけよね」

「うん、そうだね」

 鞘香の言葉に斬彦は感慨深げに頷いてから、アクセルを緩く踏み込んで、大神邸の敷地から車道に出した。 それに続いて名護の車も発進し、住宅街の狭い道路を抜けて幹線道路に出て、目的地のホテルに向かった。 街路樹に混じって植えられている桜の木はほとんど花が散っていて、春の終わりと夏の兆しを等しく示していた。
 斬彦と鞘香と言葉を交わしながら、レピデュルスは車窓を流れる街並みを眺めるが、普段とは違うように思えた。 その原因は、平静を装ってはいるが平静ではないからだ。体液が濁り、内臓の位置がずれたような感覚があった。 芽依子と速人が一緒になることは素直に喜ばしく、祝う気持ちは十二分にあるが喜びとは違う思いが生じる。一言で 言えば寂寥だが、それだけではない。大切に育ててきた花を手放してしまうような、やるせなさがあった。芽依子の 結婚を心から喜んでいるはずなのに、とレピデュルスは自戒したがいずれの思いも振り払えなかった。
 結婚式会場のホテルは、刻一刻と近付いていた。







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