南海インベーダーズ




シーク・アンド・デストロイ



『マジヤバいんだけどー! ここのショップもあのショップも並ばなくても入れるぅー! この世の天国じゃーん!』

『おやおや、これはこれは。私達しかお客がおりませんねぇ』

『ねぇゾゾ、これどう、似合う?』

『それはもう似合いますとも、紀乃さん。では、こちらなどいかがでしょう』

『えぇー、ちょっと趣味が古くなーい? んじゃ、これはどう? 流行ってんだよ!』

『デザインはよろしいですが、布が薄っぺらいのが難点ですね』

『じゃ、これは?』

『……なぜスカートの下にズボンを履くのですか? 不可解です』

『レギンスだよ、レギンス! 知らないの?』

『それを知っていることが何かの利益になるのでしたら、知っておきますが』

『これだから男ってのは……』

『ああ、お待ち下さい、紀乃さん! こんなに荷物を持たせないで下さいよ、せめて一つぐらいはお持ちに!』

『お腹空いたからコンビニに寄るだけだよ。誰もいないんだから、その辺に置いてきたっていいじゃん』

『それもそうですね。では、私もそちらに。代金はこれまでと同じく、レジに置いておきましょう』

『きゃー、どれもこれも食べたかったの! チョコにプリンにポテチにカレーパンに唐揚げにコロッケにスムージーに ソフトクリームにツナマヨおにぎりにサンドイッチにぃー!』

『喜んで頂けて何よりですが、一度に食べるとお腹を壊しますよ?』

『解ってるよぉ。ソフトクリームを巻くの、一度やってみたかったんだー。あ、失敗した』

『では、私もしてみましょうか。……意外に難しいですねぇ』

「こいつらは一体何をしているんだ」

 人間を一人残らず排除した渋谷から傍受した音声を聞き、呂号は唇を曲げると、秋葉も呆れた。

「ただのデート」

「どういう神経をしているんだ。あの女は」

 呂号はヘッドフォンに繋げたコードを一本引っこ抜き、耳障りな二人の会話を断絶した。インベーダーである立場を 最大限に利用して渋谷で買い物三昧とは、女の欲望が丸出しだ。しかも、その相手が一つ目のオオトカゲのゾゾ とは、理解しかねる。ゾゾの実物を目にしたことはないが、トカゲという生き物がどんなものかは呂号も知っているし、 触ったこともあるが、生理的に受け付けなかった。だから尚更、紀乃の感性が気色悪い。
 現在、呂号と秋葉は渋谷近隣の高層ビルの屋上に立っていた。管制室の予測通りに渋谷センター街に着陸した 紀乃とゾゾの位置を特定するのは、人払いしてくれていたおかげで簡単だった。その影響で周囲の鉄道がパンクし、 トラブルだらけになっているようだが、呂号には関係ない。今、呂号が気に掛かっているのは、渋谷を囲むように 配置されるべき広域音波発生器の位置だ。あのスピーカーの出力ならば、障害物だらけの渋谷にも存分にメタルを 響き渡らせられるが、一つでも角度がずれると充分な威力が発揮出来ない。四方を飛ぶヘリコプターの羽音に耳を 澄ませながらも、両手は休まずに愛用のエレキギターを弾いていた。

「どう?」

 秋葉に問われ、呂号はつま先でコンクリートをタップしながら答えた。

「上出来だ。微調整したかったところだが時間がない。今日のナンバーはシーク・アンド・デストロイだ」

 呂号はピックではなく爪で弦を弾いたが、絆創膏を巻いた指が痛み、顔をしかめながらピックに戻した。ピックでも 充分に力は発揮出来るが、爪の方がより思い通りの音が出せる。紀乃の脳波を掻き乱す音を混ぜた曲を演奏する のは普段の力任せの音波攻撃とは勝手が違うから、細やかな力加減が大事なのだ。今回は紀乃を生け捕りにする のが目的であって、殺すわけにはいかない。局長の命令でなければ、逆らっていたかもしれないが。

「広域音波発生器、一号機、二号機、三号機、四号機、共に設置完了。通電開始」

 秋葉から報告を受けた呂号はヘッドフォンを戦闘仕様のものに変え、広域音波発生器と直結したアンプに繋いだ ギターを抱えて立った。風向きも悪くない。雑音も遠い。JRや私鉄の運行も全て止め、道路も封鎖してあるからだ。 航空機も空港に縛り付けられ、誰もが自由を奪われて息を潜めている。一つも拍手はもらえないだろうが、呂号に とっては最高のステージだ。呂号は唇の端を吊り上げて最初のコードを押さえ、演奏を始めた。
 隠れていても、殺してやる。




 突然、重力が戻った。
 ずんと腹に来る重低音と機械的な鋭さを帯びた音色が四方から響き渡った瞬間、紀乃はサイコキネシスの制御を 失った。手に持つのが億劫なので浮かび上がらせていた紙袋が次々に落下し、日に焼けたアスファルトに散った。 ゾゾも異変を察知したようだが、最初にしたことは荷物を拾い集めることだった。少しだけ浮かばせていた体もまた 地面に引き戻され、紀乃は苛立ちながら辺りを見渡した。先程、ヘリコプターが怪しげな動きをしていた場所から、 大音量の音楽が流されている。それも、耳障りで神経を逆撫でしてくる音楽、ヘヴィメタルだった。

「うげぇ、最悪! これ嫌い!」

 紀乃が耳を押さえると、大量の服を両腕に抱えたゾゾは訝った。

「確かに少々派手な音楽だとは思いますが、御上手ですよ?」

「そりゃそうかもしれないけど、メタルは嫌いなの! ロックも微妙! ヘヴィメタルもデスメタルもメロディックメタルも オルタナティブメタルもゴシックメタルもクラシックメタルもシンフォニックメタルもスラッシュメタルもネオクラシカルメタルも パワーメタルもフォークメタルもメロディックデスメタルもラップメタルもメタルコアもグラムメタルもヴァイキングメタルも、 とにかくメタルってのが嫌! 大嫌い! 聞きたくもない!」

「メタルとはそんなに種類があるのですね。勉強になりました」

 ゾゾが感心したので、紀乃はますます苛立った。

「勉強なんかしなくてもいいの! 感化されたら困るし! てか、あんなのばっかり年がら年中聞かされちゃ、どんな に格好良くたってテクニックが凄くたってうんざりするんだから! それもこれも全部お父さんのせいだ!」

「おやおや、紀乃さんの御父様はメタルがお好きなのですか」

「あれはもう好きとか言う範疇じゃないの、クレイジー?」

 地面をも揺らしかねない音量で掻き鳴らされるエレキギターを聞かないようにしながら、紀乃は心底うんざりした。 物心付く前から、紀乃が聴かされた音楽は九割九分がメタルだった。エレキギターにドラムにデスヴォイスが子守歌 代わりにされ、父親の下手くそな歌を何度も何度も聞かされた。悲しいことに、その洗脳のおかげでバンドの見分け も聞き分けも付くようになってしまったが、耳にする音楽の種類を抑圧されていた反動でアイドルグループの軽くて 耳障りの良い歌が好きになり、忌部島に捨てられる前は入れ込みかけていたほどだ。

「メタリカのシーク・アンド・デストロイ」

 音を聞いただけですぐにバンド名と曲名を言い当てた自分に切なくなりながら、紀乃は力を高めた。

「変異体管理局の誰かだろうけど、こうなったらもう容赦しない! スピーカーごとぶっ飛ばしてやる!」

 メタルに対する憎悪じみた苛立ちでざりざりに逆立った神経を抑制し、感覚を広げた。アスファルトの熱さ、日光の 鋭さ、ビルとビルの間に吹き溜まっている空気の重たさ、空の濁り具合までもが肌と神経に至ったが、破壊対象で あるスピーカーの質量と位置が掴み取れなかった。もう一度やり直したが結果は同じで、音源からして東西南北に 一機ずつ設置されているのだろうが、感覚が近付けそうなところで掻き消されてしまう。というよりも、紀乃の感覚が 頭に入り込んできた異物に阻害されているような。

「ゾゾ、どうしよう、何も出来ない!」

 紀乃が慌てると、ゾゾは自己生体改造を施して背中に生やした骨と皮の薄い翼を広げ、警戒した。

「そのようですね。私見ではありますが、敵はこの音楽で紀乃さんの脳波を乱しているのではないでしょうか」

「でも、そんなことって出来るの?」

「音とは物理的振動波であり、脳波とは電気信号です。それを踏まえて考えますと、このメタルを演奏している方は 恐ろしく精密なサイコキネシスを操るのではないでしょうか。根拠はありませんが」

「私と似た力だけど、方向性はまるっきり違うってこと?」

「ええ、そうでしょうね。紀乃さんはひたすらパワーを追求しておりますが、この方は違います。繊細かつ正確です」

「……なんっか腹立つ」

 メタルを演奏していることもそうだが、なぜか癪に障る。紀乃は再び超能力を外に出そうとするが、今度も失敗し、 小石の一粒も浮かび上がらなかった。渋谷を形作っているビルの窓が余さずびりびりと震え、中にはヒビが走って いるものもある。ビルを成しているコンクリートと鉄骨が共振しているかのように音が跳ね返り、四方からだけでなく 上下左右からもシーク・アンド・デストロイが襲い掛かってくる。長らく聞いていると、頭の芯に重たい痛みが起きた。 紀乃が額を押さえると、ゾゾは荷物を躊躇いもなく放り出して紀乃を横抱きにし、駆け出した。

「ここはひとまず体勢を立て直しましょう、そのためには音の届かない場所がよろしいです」

 ゾゾが向かったのは、乗客が一人もいない渋谷駅だった。ハチ公像前を通り過ぎて階段を飛び越え、一息に地下 一階の通路に着地した。停止しているエスカレーターの手すりに両足を擦り付けて真っ直ぐ滑り降り、地下二階の 通路に到着した。だが、それでも、エレキギターの滑らかなリフが耳に届いてくる。

「でしたら、もっと地下へと参りましょう」

 頭を抱える紀乃を支える腕に力を込めたゾゾは、ショップのウィンドウが連なる通路を抜け、地下三階に繋がって いるエスカレーターの手すりを滑り降りた。ホームに来るとようやく音が遠のき、紀乃は頭を押さえる手を緩めた。

「なんか、頭の中が変」

「それはそうでしょう、外的要因で脳波を乱されているのですから、血圧も変わってしまいますよ」

 ゾゾは紀乃を床に下ろし、膝を付いた。

「ところで紀乃さん、あちらの階段はどこに出るのですか?」

 と、ゾゾが右手奥の階段とエスカレーターを指したので、紀乃は渋谷駅の構造を思い出しながら返した。

「ああ、あっちに行くとロッカーがある場所に上がれるの」

「では、あちらは?」

 と、今度は左手奥を指したゾゾに、紀乃はちょっと面倒だったが答えた。

「109に出るんだよ」

「でしたら、あのエスカレーターは下に繋がっているのですか?」

「うん、副都心線に」

「ならば、あのエレベーターはどちらに?」

「地下三階だよ」

「ですが、この階層も地下三階ではありませんか」

「そうなんだからそうなんだってば。私にだってよく解らないところもあるんだから」

「都会は魔境ですねぇ」

 ゾゾは感心したのか瞬きし、紀乃はその言い回しに突っ込もうとしかけたが、駅構内に設置されているスピーカーから シーク・アンド・デストロイが爆発しかねないほどの凄まじい音量で放たれ、ホーム全体の空気を痺れた。

「うぁっ!」

 今度は衝撃破も加わったのか、見えない手で薙ぎ払われたかのように紀乃は倒れ込んだ。ゾゾもまともに喰らい、 ホームから広告板に吹っ飛ばされ、ばぁん、とデザイナーのセンス溢れる広告に大きな抉れが出来た。線路を共鳴させて 反響した音の嵐が、音の刃が、音の波が、二人を執拗に攻め立ててくる。

「このままでは、どうしようもありませんね……」

 広告板からずるりと落ちたゾゾは、線路の敷石に尻尾を埋めながら呟いた。

「だけど、こんなの、どうにも出来ないよ」

 このままでは、音に殺されてしまう。紀乃は悔しくなったが、また冒頭から演奏が始まったシーク・アンド・デストロイを 聞かずに済む方法がない。耳栓しても頭蓋骨を伝わって聞こえてくるだろうし、スピーカーを一つ二つ壊したところで 何の意味もない。かといって、演奏者を見つけ出そうにも、肝心のサイコキネシスを使えないのでは。

「私に良い考えがあります、紀乃さん」

 ホームから這い上がってきたゾゾが紀乃を助け起こすと、紀乃は苦笑した。

「余計不安になる言葉なんだけど」

「まあ、そう仰らず。音で音を跳ね返し、自由を取り戻した状態で音波の発生源を叩けばいいのですよ。ですので、 僭越ながら唄わせて頂きます」

「何を?」

 紀乃が問うと、ゾゾは頬に手を添えた。

「その、私、歌は下手なものでして、あまり熱心に聞かないでくれませんか? 恥ずかしいんです」

「そんなこと言ってる場合か!」

 この非常時に恥じらわれても傍迷惑なだけだ。紀乃はゾゾを蹴り飛ばしたい衝動に駆られたが、今、頼れるのは ゾゾしかいない。歌が下手だろうがなんだろうが、思い付きの作戦を実行してもらわなければ、紀乃は役立たずの まま変異体管理局に捕まってしまう。そうなれば、せっかく買った服が勿体ないし、水着を着て海で泳ぐという願望も 果たせずに終わってしまう。眉を吊り上げた紀乃が腕を組んで仁王立ちすると、ゾゾは恥じらいつつ歌い出した。
 音程もリズムもあったもんじゃなかった。





 


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