鬼蜘蛛姫




第七話 錦には裏目ありき



 蒸し暑い夏が過ぎると、山々は秋に覆い尽くされる。
 紅葉した木々から枯れ葉が舞い散り、日を追うごとに吹き付ける風は冷え込んでいく。分厚い雪が降り積もる前に 束の間だけ訪れる、極彩色の一時である。洞窟の上に空いている穴から入り込んでくる枯れ葉を掻き集めながら、 八重姫はふと感傷に駆られた。一括りにした長い髪を背中に流し、振袖の着物にたすき掛けして腕を曝し、枯れ枝を 竹に縛り付けて作ったホウキを手にしている自分を顧みたからである。八本足の下には冬の間に焚き付けにする ために集めた枯れ葉が山と積み重なり、鮮やかな赤と黄色が混じり合っている。それらをカゴに詰め込み、雨露が 当たらない奥へと運んでやる。その隣に転がっている倒木は、手が空いている時にでも断ち切っておかなければ、 割って薪にすることも出来ない。柴もたっぷりと溜め込んであるが、それだけで足りるとは思えないからだ。
 砂埃に汚れた手を払いながら、八重姫は八本足を動かして洞窟の外へと向かった。白い煙が細く長く立ち上り、 時折火花が爆ぜている。枯れ枝と枯れ葉を重ねて火を灯した焚き火の炎は小さかったが、充分な熱を持っていた。 火の番をしているのはもちろんチヨで、枝を突っ込んでは中を掻き回している。その傍では、柔らかな綿入れを着た 糸丸が大人しくしている。チヨは八重姫に気付くと、太めの枝を振り上げた。

「八重姫様、もうじき焼けるでな!」

「母上もこっちに来てよ、寒くないよ!」

 すっかり言葉が達者になった糸丸は、八重姫を手招いた。八重姫は微笑み、応える。

「そうかえ。ならば、そなたが充分暖まると良い。わらわはここで良いぞえ」

「こっちの方があったかいのになぁ」

 糸丸は不思議がりながらも、焚き火に両手を翳した。

「あの奇怪な根は、そうやって食すものなのかえ」

 八重姫はなるべく火に近付かないようにしながら、我が子の傍に腰を据えた。

「根っこじゃねくって里芋だいや。本当なら煮いた方が旨いんだども、焼いても喰えんっちゅうこともねぇし」

 チヨは焚き火をほじくり返し、灰にまみれているいびつな形の芋を転がした。細い根は焼き切れて木肌のような皮 は黒く煤けていたが、ほんのりと甘い匂いがする湯気が零れていた。二つ三つと灰から出し、外気に曝して粗熱を 取ってから、それなりに冷めた芋を取って皮を剥いてやった。

「糸丸、あっちゃいから気ぃ付けて喰えいや」

 チヨが糸丸に渡すと、糸丸は小さな手で煤けた芋を持ったが、あまりの熱さに放り出してしまった。

「ぎゃっ熱い!」

「これこれ、落とすでない」

 八重姫はすかさず糸を吐き付けて斜めに渡し、芋を空中に縫い付け、その糸を手繰り寄せて芋を手にしてみた。 すると、妖怪の手でもかなり熱かった。となれば、幼子である糸丸にとっては焼け石も同然だ。

「これ、チヨや。もう少し冷めたものを渡してたもれ」

 八重姫が熱々の芋をチヨに渡すと、チヨは訝しげに握り締めた。恐らく、熱さを感じていないのだろう。

「そんげにあっちゃくねぇと思ったがんに」

「そなたの体と糸丸を同じように考えるなかれ。ほれ、糸丸。これなら冷めておるぞえ」

 八重姫は灰の中に転げている芋を爪先で転がし、熱さを確かめてから、その一つを糸丸に渡した。糸丸はチヨの 見よう見まねで皮を剥くと、白い湯気を立てている芋にかぶりついた。せっかくなので、八重姫も芋を食べてみること にした。少々筋が多いがねっとりとした粘り気があり、控えめながら甘みがある。これまで食べてきた物とは異なる 味と食感が面白く、気付いた頃には丸々一つ食べてしまった。糸丸は息を吹きかけて芋を冷ましながら、一口ずつ 一口ずつ食べている。チヨは熱をほとんど感じないからか、八重姫と同じようにすぐに食べ終えてしまった。

「俺だけ働かせて、お前らだけ良い思いをしてんじゃねぇや全く」

 ぼやきと共に近付いてきた羽音の主は、八重姫の正面に降りてきた。九郎丸は背負っていた縦長のカゴを置き、 山吹色に熟した柿を山ほど放り出した。チヨは食べ終えた芋の皮を火に投げ入れると、九郎丸に駆け寄った。

「わあすんげぇ! こんなに実が成っとる木がどこにあったんけ、鴉どん!」

「あるところにはあるんだよ。だがな、お前らには何が何でも教えやしねぇ。俺の取り分がなくなっちまうぜ」

 九郎丸は無造作に柿を掴むと、クチバシを開いて齧り付いた。

「母上、あれはどういうものなのか? おいしいのか?」

 鴉天狗が食べているものが気になったのか、糸丸は八重姫の袖を引いてきた。八重姫は腰を曲げる。

「あれもわらわは口にしたことはないが、不味いものではなかろうぞ」

「それ、甘柿なんけ? だったらおらも喰ってみてぇな、な、一つぐらいええろ、鴉どん!」

 チヨが目を輝かせると、九郎丸は種を吐き捨てた。

「ああ食え食え。その分、冬支度の取り分がなくなっちまうだろうがよ」

「母上、母上! 九郎丸から御許しが出た! 食べよう!」

 嬉々として糸丸が急かすので、八重姫は仕方ないと思いつつ、九郎丸が放り出した柿の一つに手を伸ばした。 が、その時、視界の隅で鴉天狗がかすかにクチバシを曲げた。何かしらの腹積もりがあるに違いない。チヨは全部が 甘柿だと信じてしまっているらしく、いい加減に選ぼうとしていたので、それを制した。

「どれ、わらわが選んでしんぜようぞ」

 八重姫は八つの目を全て開き、九郎丸の足元に散らばった大量の柿に目を凝らした。妖力をほんの少し高めて 見透かしてみると、ほとんどの柿は透き通っていたが一つだけが濁っていた。八重姫はこれまで柿を食べたことは ないが、甘いものと渋いものがあり、渋柿は干し柿にするものだとチヨから教えてもらった。だから、チヨが九郎丸に 採ってくるように注文したのも渋柿であり、甘柿が混じっているとしても少量に違いない。だとすると、数が少ない方が 甘柿だということになる。八重姫は額の六つの目を閉じてから、中が濁った柿を拾った。

「切ってやろうかえ」

 爪先を鋭く変化させた八重姫は、手のひらの上で柿を四つに切り分けた。二切れを糸丸とチヨに渡し、先にチヨが 食べてみせた。糸丸は姉がおいしそうに柿を食べる様を興味深げに観察していたが、柿の熟れた汁を舐めて甘みを 味わってみてから実を囓った。途端に、糸丸はだらしないほど顔を緩ませた。

「あんまぁい」

「うむ。甘いのう」

 八重姫も四分の一を食べ、種もヘタも皮も咀嚼して飲み込んでから、他の柿を取って九郎丸に差し出した。

「故に、そなたもたんと喰え。減った分は、また採ってくればよかろうぞ」

「……しかしだな、鬼蜘蛛の姫よ。俺は既に一つ喰ったのであってだな」

 口籠もった九郎丸が後退ったので、チヨは怪しんだ。

「もしかすっと、鴉どんは自分だけ甘いのを喰ってみせておらと糸丸に渋ぅいのを喰わせようとしたんけ?」
 
「だからどうしたぁっ!」

 馬鹿げた目論見を言い当てられ、九郎丸は両翼を広げて飛び立とうとした。だが、八重姫はその足に糸を絡めて 引き摺り落としてやった。地面に強かに顔を打ち付けた九郎丸は起き上がると、苦し紛れに毒突いた。

「日頃の恨みを晴らそうとしただけじゃあねぇか! いちいち糸を引っ掛けるんじゃねぇや!」

「糸丸がそなた如きに恨まれる覚えはないぞえ」

 八重姫が睨め付けると、糸丸は小走りに駆けて母親の巨大な下半身の後ろに隠れた。

「八重姫様でなくて糸丸を狙うだなんて、意気地なしにも程があるいや。まあ、気持ちは解らんでもねぇけど」

 チヨは甘柿の種を口から出すと、散らかっている柿の実を拾い集めてカゴに入れ、背負った。

「そったら鴉どん、償いをせんとならんすけん。干し柿をこさえるの、手伝えいや」

「なんで俺が」

 そんな下らん仕事を、とぼやいた九郎丸に、八重姫は糸を撚り合わせた針を突き付けて脳天に軽く刺した。

「立場を弁えぬかえ」

「姉上、僕も手伝う!」

 カゴを背負ったチヨが洞窟に入っていくと、糸丸が追い掛けていった。チヨは糸丸が追い付くのを待ってから、刃物 を使わないことはさせたるいや、と言い聞かせていた。糸丸は頷いてから、チヨと手を繋いで歩いていった。二人の 姿が淡い暗がりの奥に消えた頃、八重姫は九郎丸の脳天から針を引き抜いて焚き火に投げ捨てた。

「九郎丸や。あの娘はともかく、糸丸にだけは手を出すでないぞえ。掠り傷でも付けてみよ、縊り殺してくれるわ」

「仮にも鬼の名を持つ女が、あんな小童につまらん執着を持ちやがって。反吐が出らぁな」

 身を起こした九郎丸は、クチバシの端に伝い落ちてきた血を手っ甲で拭ってから目を瞬かせた。

「わらわが誰を慈しもうと、そなたには関わりのないことぞえ」

 八重姫は焚き火に土を被せて火を消してから、洞窟の奥へと向かった。岩と岩の間に太く結った糸を渡してあり、 そこに洗った着物や下穿きなどを掛けて干してある。縫い上げたばかりの冬物の着物も並び、足元を弱く抜ける風を 孕んで揺れている。叢雲川から毎朝汲んでくる水が入った水瓶に始まり、漬物をたっぷり漬け込んだ樽、籾殻の ままの米が詰まった麻袋、チヨが叢雲の賽銭を元手に買ってきてくれた砂糖入りの壷、一から仕込んだ味噌の樽、 などが洞窟の両脇にずらりと並んでいた。この一年半程で、八重姫の日々は随分と忙しくなった。糸丸を父親の名 に恥じぬ人間に育て上げるためには、それ相応の生活が必要であると痛感したからだ。今でこそ、チヨと共に山を 駆け回って奔放に暮らしているが、いずれは嫡男の身の上に欠かせない教養も与えなければならない。いずれは 息子に勉学や武術を学ばせるためにも、それらしい人間を見繕っておかなくては。だが、その前に冬を越す準備を 整えておかなければならない。洞窟の中に建てた小屋では、干し柿に使う渋柿の皮を剥くチヨと、チヨが剥いた皮を カゴに入れている糸丸の姿があった。石に石をぶつけて欠いて作った石包丁を渋柿に添え、柿を回しながら器用に 皮を剥いでいる。その手際の良さが面白いらしく、糸丸はチヨの手元を凝視している。
 己の両手を見下ろすと、少々皮が厚くなっていた。指先の脂っ気が抜け、姫君らしい手からは懸け離れつつある。 それもこれも、日々家事に追われているからだ。それがなんとなく誇らしく思えた八重姫は、両手の汚れを前掛けで 拭ってから小屋に近付いた。やり方をチヨに教えてもらい、石包丁で渋柿の皮を剥いていき、皮が剥けた柿を荒縄で 結んで小屋の軒先に干した。干し柿の簾は、山々の紅葉にも引けを取らない鮮やかなものだった。糸丸に干し柿 のおいしさを語って聞かせているチヨを横目に見つつ、八重姫は胸の内でささやかな計画を立てた。
 雪が降り出す前に、糸丸を連れて甘柿を探しに行こう。




 米を入れて水を張った釜をかまどに掛け、蓋を閉める。
 薪を並べ、その上に枯れ枝や藁といった焚き付けを被せ、ふっと息を吹きかけた。途端に青白い炎が駆け抜け、 焚き付けに燃え広がった。左右を窺って他の奉公人に見られていないことを確かめてから、団扇で仰いで小さな火 を徐々に大きくしていった。この屋敷に来たばかりの頃は慣れないことばかりだったが、今ではそれらしくなってきて いる。長年勤めている女中から手際の良さを褒められると、目論見も忘れて喜びそうになる。こうして女らしいことを して褒められるのは、決して悪い気はしないからである。
 玉、玉、と広間から呼ぶ声がしたので、白玉はかまどの火加減を確かめてから振り返って返事をした。そこには、 旅支度を調えた主人と奥方と下男が揃っていた。赤城家の主は達筆な手紙を差し出すと、古い友人から急ぎの用が あるとの連絡が来た、だから数日は出かけることになる、その間の留守を頼む、と頼んできた。白玉、もとい、玉は 快諾すると深々と頭を下げた。三人を門まで見送った後、かまどの火加減を確かめるために台所に戻った。
 それから程なくして、赤城家の嫡男である鷹之進が帰ってきた。刀を二本ぶら下げたまま玄関に座り込み、いやに 難しい顔をしながら草鞋を脱いでいる。玉は再び玄関に向かうと、鷹之進を出迎えた。

「お帰りなさいまし、若旦那様」

「ああ」

 鷹之進は刀を腰から引き抜くと、それを床板に横たえた。シワの寄った眉間を押さえ、揉み解す。

「やはりいい気はせぬな、若い娘の亡骸を検分するなど」

「また上がったのでござりまするか」

「そうだ。これでもう八人目だ。こうも立て続けに死人が出るとは、何かあるとしか思えん」

 鷹之進は広い背を丸め、渋面を作る。

「まあ、恐ろしい」

 玉は袖で口元を覆い、しおらしく眉を下げた。鷹之進は少々目を泳がせ、玉を窺う。

「まあ、なんだ。お玉、お前も気を付けい。妙な輩を見かけたらすぐに俺に伝えよ、早馬で駆け付ける」

「恐れ多い御言葉、ありがとうござりまする」

 玉が手を付いて頭を下げると、鷹之進は照れ臭そうに厳つい顔を綻ばせた。

「何、安いものよ」

「若旦那様。お伝えしておくことがござりまする。旦那様と奥方様は急用が御出来になり、今し方旅立たれました」

「なんと。如何なる用向きか」

「それは解りませぬ。ですが、数日はお帰りにならないと」

「そうか……」

 鷹之進は、再び目を泳がせた。玉は台所に戻る旨を伝えてから、立ち上がろうとすると、鷹之進の手が伸びた。 皮の厚い骨張った手が玉の手を掴み、引き寄せてくる。玉は顔を背けて恥じらった素振りを見せたが、袖の下では 口元をにたりと引きつらせていた。なんと容易い男だろうか。女慣れしていないとは思っていたが、ここまで初だとは 正直意外ではある。この分だと、私娼に手を付けたことも数えるほどだろう。となれば、陥落させるのは赤子の手を 捻るよりも簡単だ。鷹之進の骨の太い手首に指をそっと這わせてやると、驚いたようにびくついたが、それが同意 の仕草だと察したのか鷹之進は玉の袖に手を差し込んできた。
 それから間もなくして他の奉公人が現れると、鷹之進は弾かれたように手を離して、奥座敷に逃げ込んだ。玉は 何事もなかったかのような顔をして鷹之進を見送った後、仕事に戻った。白玉が玉と名乗って赤城家の武家屋敷で 奉公人として働くようになったのは、晩夏の頃合いである。鬼蜘蛛の八重姫を討ち取るための下見のために叢雲山 に乗り込んできた鷹之進を妖術で道に迷わせた際、図らずも妖術を打ち破ったチヨという名の娘に、鷹之進が礼と して渡した紋所入りの手拭いを掠め取ってきた。それを手にして赤城家の屋敷を訪れ、チヨの姉だと名乗ってそれ らしい話を並べ立てたところ、鷹之進は玉を疑うどころか奉公人として雇ってくれた。それ以降、玉は屋敷の仕事を 覚えて日々忙しき働きながら、それとなく鷹之進に近付いて色目を使った。その甲斐あって、鷹之進は玉を女として 意識するようになり、近頃では目で追ってくるようになった。妖術を使って一息に魅了するのもいいのだが、それでは あまりにも味気ない。どうせ惚れさせるなら、女の武器を使い抜こうではないか。
 そうでなくては、貞元も妬いてはくれまい。





 


11 8/28