ため息を吐くのは、何百回目になるだろうか。 自分の軽率さと浅はかさがつくづく嫌になって、何に対してもやる気がなくなる。吉岡りんねに直談判しに行った時と いい、ヘビ男との件といい、もう少し考えてから行動出来ないものだろうか。一呼吸置いてから考えて動けば戦況も 少しはまともになるだろうに。ヘビ男が体液として身に宿している遺産、アソウギに迂闊にも生体接触してしまった 以上、つばめの価値を確信したフジワラ製薬による攻勢も激しくなるだろう。襲い掛かる怪人の数も確実に増える だろう、襲撃される頻度も間違いなく上がるだろう、それを考えるだけで気疲れしてくる。だから、目の前の小テストに 気が入るわけがない。そもそも、目を向ける余裕すらなかった。 「はあ……」 徹底的に掃除したおかげで透き通った窓から雲一つない青空を見上げ、つばめは呆けた。 「どれだけ嘆いたって、事態はどうにもなんないの。だから、いい加減に勉強してくれよう」 教卓で頬杖を付いている一乗寺にぼやかれ、つばめは担任教師を横目に窺った。 「それどころじゃない気がして止まないんですけど」 「あのヘビ野郎の居所は割り出せていないけど、放っておけばそのうち出てくるって。その時にどうにかすりゃいいの、 はいこれでこの話は終わり、だからちゃっちゃとテストやっちゃってよ!」 「その時にどうにか出来なかったらどうするんですか。で、怪人百鬼夜行になったらどうするんですか」 「機銃掃射で皆殺しにするだけだよ。俺らは自衛隊にも顔が利くしね」 「しれっとそんなことを言わないで下さいよ。でも、その怪人百鬼夜行にとっつかまった私が食べられちゃっていたら どうするんですか」 「火炎放射と焼夷弾かなぁー。つばめちゃんの肉片がちょっとでも残っていると、後が面倒だしね」 「先生には助けるっていう選択肢はないんですか」 「俺の人生の選択肢はね、攻撃一択だけなの。ひたすらAボタンを連打してんの」 「たまにはBボタンを押して下さいよ」 「えぇー、それじゃつまんないじゃーん。セーブしないで一気にクリアするのが楽しいんじゃーん」 一乗寺が不満げに唇を尖らせたので、つばめは余計に気が滅入ってきた。 「私は逐一セーブしたい派なんで」 この男に真面目な話を持ち掛けたのが、そもそもの間違いだった。つばめは心底後悔しながら、テスト用紙の上に シャープペンシルを転がした。テストの内容自体はそれほど難しいものでもなく、これまで学習してきたことの復習 の意味合いが強い。なので、気持ちさえ入ればすぐに片付くのだが、なかなか切り替えられなかった。それに、懸念は つばめ自身の失態に関するものだけではなかったからだ。 「お姉ちゃん、今頃どうしているかなぁ」 つばめがまたため息を吐くと、一乗寺が笑顔で愛銃を振り回した。 「あのクソ坊主のドタマ、ぶち抜いておけばよかったかもねー」 今朝方、美野里は寺坂の運転する車に乗って一ヶ谷市内に出向いていった。その理由は、都心の実家の車庫に 起きっぱなしになっている自家用車と個人事務所を立ち上げるために必要な書類を受け取るためである。どちらも 美野里の父親が経営する弁護士事務所の若手弁護士が、中部地方への出張を兼ねて運んできてくれるのだが、 船島集落へ繋がる道が解りづらいからということで一ヶ谷駅前で落ち合うことになった。だが、その駅前に行くまで のバスもなければタクシーも呼び出すだけで金が掛かる、ということで、暇を持て余している寺坂を足にしたのだ。 住職であるにも関わらず、暇と金と欲望を持て余している寺坂は何かと美野里に絡んでくる。キャバクラで女遊び に慣れているから、弁護士という堅い職業である美野里をからかうのが面白いのだろうが、良い迷惑だ。美野里も 寺坂を鬱陶しがっているのだが、寺坂が佐々木家の檀家である以上は関わりを断ち切れないし、人間の絶対数 が少ないために息苦しいほど狭い社会の田舎ではそう無下に出来る間柄でもない。それに、寺坂が無駄に所有して いるスポーツカーの数々は、今回のように便利な足になるので突っぱねるのは惜しい。扱いづらい男なのだ。 「お姉ちゃんが無事でありますように」 「よっちゃんがみのりんに張り倒されていますように」 つばめが至って本気で祈ると一乗寺も釣られて祈った。教室の後ろから二人の様子を眺めていたコジロウは怪訝 そうではあったが、二人の視線を辿って窓越しに青空を見上げた。だが、その先にこれといって異常がないと確認 すると、またつばめの背に視線を戻した。それ以降もため息ばかりが繰り返され、答案用紙は空欄のままだった。 気が滅入ることばかりだ。 人型重機、岩龍。 それが吉岡りんね一味の新戦力であり、別荘の破損箇所を修理してくれるロボットでもあった。その機体は、小倉 重機で製造された機体を吉岡グループが手を加えたものである。全長六メートル、上半身は角張った人型のボディ で両腕には精密作業を可能とする五本指のマニュピレーターが装備されている。下半身はどんな悪路も走行可能な キャタピラであり、抜群の安定性を誇っている。ガソリンエンジンではなく水素エンジンで動いているので、背面の 太い排気筒から噴出されるのは熱した水蒸気だけだ。重機らしく、外装はスズメバチを思わせる派手な黄色と黒に 塗装されているのだが、動力部を格納している背面部の外装には派手な昇り龍のペイントが施されていた。 「この昇り龍のペイントは、私の記憶にありませんが」 別荘のロータリーに出て岩龍を一通り見て回った後、りんねは眉根を顰めた。 「機体の注文書にも記載されていませぇーん」 りんねの背後に控えている道子は、携帯電話から投影したホログラフィーで注文書を確認し、肩を竦めた。 「趣味最悪すぎだし」 ロータリーに下りることすら億劫なのか、伊織は二階のベランダから岩龍を見下ろしている。 「ヤクザの入れ墨かよ」 りんねからは少し離れた位置から岩龍を眺めていた武蔵野が半笑いになると、ガレージの物陰からロータリーの 様子を窺っていた高守が声にならない声で呼び止めてきた。真っ先にそれに気付いたりんねはガレージに向かうと、 高守はコンクリートが剥き出しになっているガレージの内壁を短い指で指し示してきた。そこには、岩龍の背面の 外装に塗装されたものと全く同じ昇り龍のペイントが付いていた。さながら、大型のプリンターでプリントアウトした かのような正確な絵だった。興味深げに壁の昇り龍を眺めるりんねに、高守は口の中で一言二言呟いてから自身の 携帯電話からホログラフィーを投影した。それはガレージの壁に描かれた昇り龍を撮影した画像を元に検索した 結果を表示したページで、壁の昇り龍とそっくり同じ構図と配色のイラストの画像がいくつも並んだ。 「つまり、この昇り龍はそちらのイラストを元にして描かれた、ということですね?」 りんねが検索結果の画像と壁の昇り龍を交互に示すと、高守は肯定した。 「ん」 「問題は、それを誰が描いたか、ということですが……」 考えるまでもないようですね、とりんねは付け加えて振り返った。ガレージの中にはペンキやスプレー塗料の缶が いくつも転がっていて、パレット代わりに使ったであろうベニヤ板には絶妙な色彩に配合された塗料が残っていた。 そして、それらを使って壁に試作を描いた刷毛と筆が何本も散らばっており、刷毛と筆の柄は角張ったものに圧迫 されたかのように潰れていた。その形と大きさは、比較するまでもなく、岩龍のマニュピレーターと一致していた。 「岩龍さん。勝手なことをされては困ります」 ガレージから出てきたりんねが岩龍に近付くと、岩龍はヘルメット状の頭部を動かし、ゴーグル型の視覚センサー で名実共に主である少女を視認すると背面部を誇らしげに叩いた。 「どうかの、ブチ格好ええが! ワシがやったんじゃけぇ!」 「それと、この言語パターンは一体何なのですか? 私が岩龍さんの人工知能を入手した際には、そのような訛りは 付いていなかったと記憶しているのですが」 りんねが不愉快さを露わにすると、あ、と二階のベランダで伊織が反応した。 「あーそれ、たぶん俺のせいじゃね?」 「おどれはそげなことしたんか? ワシャあ、ちぃーとも覚えとらんけぇのぅ」 岩龍が首を捻ると、りんねは苛立ちを堪えるためにこめかみを押さえた。 「一応聞いておきますが、伊織さんは岩龍さんの人工知能に何をなさったんですか?」 「CSでやってたVシネ見せた。つか、いちいち話し掛けて育てるなんてマジ面倒だし」 「伊織さん、あなたと言う人は……」 「つかお嬢が悪いし。俺らなんかにそいつの教育を任せたのはお嬢じゃねーか」 りんねに叱責される前に、伊織はさっさと室内に戻ってしまった。 「おどれがワシを親父さんとこから引き離したんか、あぁん?」 岩龍が上体を曲げてりんねを見下ろしてきたので、りんねは岩龍を見上げた。 「ええ、そうです。あなたの元の所有者から買い上げました」 「あぁっ!? そがぁなこと、親父さんが許したはずがなかろうがぁ!」 ドスの効いた声を張り上げ、岩龍はりんねに食って掛かってきたが、りんねは一切動じずに言い返す。 「御明察です。私の独断で買い上げました」 「ワシャあ生まれてこの方親父さんとこにおったんじゃ、それをおどれらが無茶苦茶な方法で攫ったばかりかこげな 不細工な機体に押し込めおって! 背中にスミでも入れんと気に食わんかったんじゃ! おどれがどんだけワシの 設定をいじくろうったって、記憶容量をフォーマットしくさっても、ワシは親父さんのモンじゃけぇのう!」 岩龍はりんねを握り潰さんばかりの勢いでマニュピレーターを突き出したので、慌てて道子が割って入る。 「落ち着いて下さいぃーん、岩龍さぁーん」 「ワシャあ親父さんとこに帰るけぇのう、止めたって無駄なんじゃい!」 岩龍はその場で機体を反転させてキャタピラを回転させ、急発進したが、十メートルも進まないうちに止まった。 「ほんで、ここはどこじゃ? 天王山でもなきゃあ、親父さんちの工房でもねぇようじゃが。ちゅうか、ワシはそもそも どこに連れてこられたんじゃ? さっぱり解らんのぅ」 「もしかしてぇーん、岩龍さんのGPSって外しちゃってたりしますぅーん?」 道子が戸惑っている岩龍を指すと、りんねは答えた。 「ええ。岩龍さんは長距離移動を目的とした機体ではありませんし、単独行動を行うための機体でもありませんし、 不要だと判断してハード面からもソフト面からもGPSを撤去したんです。岩龍さんは買い取った時点で人工知能が かなり成長しておりましたし、その上でレイガンドーさんの経験と情緒パターンを移植したので、個性が強くなること は予想済みでした。なので、下手に周辺地域の地形を理解されてしまうと、独りでにお出掛けになってしまうのでは と思いまして。人間一人でも勝手に出歩かれたら騒ぎになるのですから、人型重機が単独行動を取るような事態に なっては無駄な手間を取ってしまいますからね」 「そう思うんだったら、なんでもう少し従順な性格に設定しなかったんだ、お嬢?」 武蔵野が真っ当な疑問をぶつけると、りんねは答えた。 「コジロウさんと同じ行動を取っていては、こちらに勝ち目はありません。コジロウさんは極めて効率的な判断能力を 備え、徹頭徹尾理性と知性で行動します。恐らく、先代マスターである長光さんがコジロウさんには情緒は不要だと 判断してそう設定したのでしょう。下手に情緒を発達させては対人戦闘に支障を来しますし、肝心な時に判断能力 が不安定になる危険性がありますから、実に合理的な措置といえます。ですが、コジロウさんの利点はイコールで 欠点であるとも言えるのです。なぜなら、現マスターであるつばめさんは直情的で短絡的だからです」 「そりゃ確かに」 これまでの佐々木つばめの行動を見ていれば良く解る。武蔵野が失笑すると、りんねは続けた。 「ですので、こちらもつばめさんの突拍子のないその場凌ぎの発想の上を行かなければなりません。ですが、私は 中間管理職という立場ですので的確に状況を把握して判断を下さなければなりませんし、感情的な行動に及ぶこと など以ての外です。増して、巌雄さんを始めとした皆さんは立派に成人しておりますし、人生経験もお積みになって おられますから、そう無茶なことはいたしません。伊織さんは未成年ですし、かなり感情的ではありますが、伊織さん 御自身のルールに則っておられますから、その枠組みから外れることはありません。ですので、つばめさんの行動 は予想外も甚だしいのです」 「だからぁーん、つばめちゃんぐらいに感情的な人員が必要だったーってことですかぁーん?」 「だったら、なんでその役割をロボットなんかに任せたんだ? 普通はそれこそ人間の役割だろうが」 道子の意見を受けて武蔵野が不思議がると、りんねは平然と返した。 「解り切ったことですよ。ロボットは電源さえ落としてしまえば、行動不能に陥らせられるからです。ですが、人間では そう簡単にはいきません。昏倒させるにしても当たり所が悪ければ脳内出血を起こして死亡してしまいますし、薬剤を 投与して昏睡させるにしてもいずれ薬剤に耐性が付いてしまいますからね。こういった灰汁の強い人材は、都合の良い 時に動かせるようでなければ扱いづらいではありませんか」 「そりゃあ……まあ……」 道理ではあるが、非人道的だ。武蔵野がリアクションに困っていると、道子は表情を取り繕った。 「御嬢様の仰る通りですぅーん、あ、あはははははーん」 「先程のやり取りで、岩龍さんの自我が発達しきっていることは良く理解出来ました。新たな機体が気に食わないと いうことは確固たる主観と自意識を得ているということであり、インターネットに接続して検索した画像を元に昇り龍 のペイントを背面装甲に行ったのは自己主張の表れであり、元の所有者に対して親子の情に近い感情を抱いている ということは情緒が出来上がっている証拠であり、私の意見に反論するということは……」 岩龍の人格の完成度についてりんねが訥々と語っていると、ガレージから出てきた高守が指し示した。 「……ぬ」 高守の寸詰まりの指を辿ると、別荘と県道を繋ぐアスファルトにキャタピラ痕が延々と続いていた。話し込んでいる 間に岩龍は自我に則った行動を取ったらしく、その巨体は既に消え失せていた。水素エンジンの駆動音と共に半端な 訛りの広島弁が聞こえてきて、ワシャあおうち帰るけぇのおーっ、とドスの効いた声で幼児のような言葉を叫んで いた。ロボットにも帰巣本能があるのだろうか。 「おい道子、岩龍の行き先はトレース出来るか?」 武蔵野が道子に尋ねると、道子は若干面倒そうではあったがネットワークに接続した。 「んーとぉーん、御嬢様が先程仰ったようにGPSの類を全部外してあるのでぇーん、人工衛星を通じてのトレースは まず不可能ですぅーん。衛星写真でなら追えなくもないですけどぉーん、リアルタイムじゃないので当てには出来ない ですぅーん。人工知能搭載型ロボットには装備が義務付けられている固体識別信号発信装置を頼りにしてみればぁ ーん、なんとかなるかもしれませんけどぉーん、なんでそんなことしなきゃならないんですかぁーん?」 「図体がでかくて自我が強いくせに情緒が幼児並みのロボットに暴れられてみろ、壮絶な額の損害賠償が来るぞ」 武蔵野が真顔で指摘すると、道子は手を叩いた。 「そうですねぇーん! そんなことになっちゃったらぁーん、裁判だけでも一苦労ですぅーん!」 「で、誰があの馬鹿を連れ戻しに行くんだよ? 俺は行かねー」 ベランダから上半身を乗り出している伊織が、缶コーヒーを片手ににやにやしている。武蔵野は道子に向いたが、 御掃除の時間ですぅーんっ、と道子はメイド服の裾を翻して別荘に駆け戻っていった。高守を見やるが、矮躯の男は 武蔵野と目が合う前に顔を背けて早々に逃げていった。ということは、と武蔵野はりんねと目を合わせた。 「仕方ありませんね。巌雄さん、車を出して下さい。固体識別信号発信装置とキャタピラ痕を追跡し、捜索した後に 岩龍さんを回収いたします。帰ってきて頂かなければ、別荘の壁の穴が塞がりませんからね」 りんねは当てにならない部下達を一瞥してから、ガレージに歩き出した。 「俺はベンツなんて上品な車は運転出来んぞ」 「巌雄さんのジープで構いませんよ。車に関しては、それほど執着はありませんので」 長い黒髪を靡かせながら颯爽とジープに乗り込むりんねの姿は、相変わらず見惚れるほど整っていた。武蔵野は 娘と言っても差し支えのない年齢の上司に気を取られかけたが、我に返って、ジャケットのポケットを探ってジープ のイグニッションキーを取り出した。予備の拳銃とマガジンをダッシュボードに入れてから助手席に収まったりんねは、 シートベルトを締めてから、自身の携帯電話を取り出してラップトップ型のホログラフィーを展開した。すぐさま件の 固体識別信号のサーチシステムを検索、ダウンロードし、作動させ、透き通ったウィンドウを幾重にも重ねた。 迷子のロボット探しなど、すぐに終わればいいのだが。 12 5/8 |