機動駐在コジロウ




蛇の道はヘビー



 ヘビのマウントポジションを取るのは難しい。
 だが、それは手足が生えていない場合だ。蛇足ってことわざは正しかった、とつばめは変なことに感心しながら、 コジロウに押さえ込まれているヘビ青年を見守った。長い体をうねうねと必死に動かしたが、ヘビ青年は怪人体に 変身した際に生やした両手足を逆方向に曲げられているので、コジロウの万力の如きホールドから脱せずにいた。 羽交い締めされた上に両足をも固められているヘビ青年は息苦しげに舌を伸ばし、指の間に水掻きのような膜が 張った手でコジロウの外装を弱々しくタップするが、コジロウは決してそれを聞き入れずにヘビ青年の縦に長い体に 覆い被さっていた。世にも珍しい、警官ロボット対ヘビ怪人のレスリングだ。
 つばめはコジロウに、ヘビ青年を取り押さえておくように命令した。外骨格が強固な伊織とは違って、ヘビ青年の 耐久性はそれほど高くなさそうなので、コジロウの凄まじい腕力で殴り付けたら過剰なダメージを与えてしまいかね ない。先程の口振りからしてヘビ青年は高学歴の化学者であると見ていい。暴力と殺人衝動の固まりである伊織の ように本能的に体を捌けないだろうから、コジロウと真っ正面から戦っても勝負になる以前の問題だ。と、いうことで、 つばめは必要最低限の労力でヘビ青年を籠絡する策を講じた。その結果が、これである。

「はい、ワン、ツー、スリー!」

 教室の窓越しにつばめがスリーカウントを取ると、ヘビ青年は息も絶え絶えに文句を言った。

「卑怯だぞぉっ、どれだけウェイトに差があると思ってぇっ……」

「降伏せよ。さもなくば、強硬手段に及ぶ」

 つばめのスリーカウントが終わると、コジロウはヘビ青年の後頭部に額に当たる外装を据えた。ヘビ青年は更に 文句を吐き出そうと顎を開くも、ヘッドバッドを放とうとしているコジロウの態勢に気付くと口籠もった。

「ああ、うぅ……」

「コジロウ、そのままでいてねー」

 つばめが呼び掛けると、コジロウは顔を上げた。

「了解した」

 教室の窓を閉じてから昇降口に向かい、上履きからスニーカーに履き替えたつばめが広場に出ると、ヘビ青年は 捨てられた子イヌのような眼差しを向けてきたが相手にはしなかった。己の重量と腕力を最大限に生かしてマウント ポジションを維持しているコジロウは、つばめが至近距離に近付いてきたと知ると脚部装甲を開き、内蔵されている タイヤを出してヘビ青年の足に噛ませた。途端に、ヘビ青年の尻尾が縮み上がる。

「そ、そのタイヤ、動かさないよね、ねっ!?」

「さあて、どうだか」

 つばめが腰に手を当てて嫌みったらしく笑うと、ヘビ青年は狼狽えた。

「わ、悪かったよ、予告もなしに襲撃してさぁ。で、でっでもあれだろぉ、まだ何もしてないじゃないかぁ」

「私を痛い目に遭わせるために来たんでしょ? なのに自分が痛い目に遭いたくないなんて、変じゃんか」

「でも、それは未遂……」

「未遂でも、格好だけであっても、私を良いように利用しに来たのは事実じゃない。それなのに、自分がやられそうに なったら及び腰になるなんて情けないにも程があるよ。大体さぁ、私がこれまでどんな目に遭ってきたか解る?」

「資料には全部目を通したし、御嬢様一味の報告書だって読んできたこの僕に対して、その質問はないなぁ」

「見ると聞くとじゃ大違いだよ」

 ここ最近の大異変を、つばめは訥々と語り出した。

「ただの一度も会ったことのないお爺ちゃんのお葬式があるからって連れ出されたら、良く解らない遺産を全部相続 させられて、従兄弟の極悪成金美少女とその部下に命を狙われて。初日なんてあの伊織って奴に胴体を掴まれて ぶん投げられたんだよ。その次は吹雪の中を一生懸命歩いていたら砲撃されて、ついでに雪崩を起こされて。また その次は、大事な大事なお姉ちゃんの命が狙われて。更にその次は食糧を買い出しに出かけたらホームセンター で待ち伏せされて、先生が銃撃戦を始めちゃってさぁ。で、その次は平日は襲わないでほしいって吉岡一味の別荘に 交渉しに行ったら、逆にお姉ちゃんを殺すって脅されて。まあ、きっちりやり返したんだけど。でもって、この前の 日曜日なんてお天気が良いから菜の花畑に散歩に行ったら地雷原になっていて」

「うっわひでぇ」

 ヘビ青年が半笑いのような語気で感想を述べたので、つばめはむっとした。

「で、あんたは私を半殺しにして研究材料にするためにここに来たと。ゲームだったか漫画だったかのセリフだった と思うけど、銃を撃つ覚悟があるのは撃たれる覚悟がある奴だ、ってのがあるんだよね。だから、いたいけな中学 二年生の女の子をひどい目に遭わせるってことはそれ相応にひどい目に遭う覚悟がある、ってことだよね。ない、 とは言わせないよ? むしろ、言うな。言ったらコジロウのタイヤが大回転だー!」

 つばめが威勢良く指差すと、ヘビ青年は首を振り回した。

「ひいいいいいい!」

 彼の引きつった悲鳴にちょっとだけ快感を覚えたが、気を取り直してから、つばめは話を続けた。

「このまま何もせずに引き下がって遺産を体の中から取り除いて、何事もなかったかのように普通の人間として社会 生活を送るっていうのなら、私もそれに協力してあげる。遺産の操り方なんて知らないけど、べたべた触っていれば そのうちなんとかなるよね。でも、遺産を使って手に入れた能力とか会社の地位とか給料が大事だから、って言うので あれば話は別。遺産ごと私の管理下に置いてやるー!」

「ひいいいいいい!」

「だってそうじゃん、お爺ちゃんの遺言書に寄れば遺産の一切合切は私のものなんだもん。てぇことは、その遺産を 体液にしているあんたも、あの伊織って奴も、全部が全部私の所有物って理屈になるじゃん」

「いや、それは屁理屈ってやつじゃ」

「文句ある?」

「……いや、別に」

 つばめに睨まれ、ヘビ青年はそっと目を逸らした。

「ね、給料はいくら?」

 つばめが質問すると、ヘビ青年は面食らった。

「なんだよ、出し抜けに。合コンに来た三十代の行き遅れ女でもあるまいし、キモッ」

「いいから答えろ、でないとコジロウのタイヤが」

「解った解った、解ったからそれだけは勘弁してよ。もう……」

 ヘビ青年は瞬膜を開閉させて瞬きしてから、答えた。

「ええーと、新卒採用されてから四年が過ぎたけど、その間に賃金は気持ちだけ上がったんだよなぁー。交通費とか 社員寮の家賃とかを差っ引いた手取りは確か、十三万六千円と少々……だったような」

「うっわ安ぅ! 人間じゃなくなった代償がそれだけ!?」

「あ、で、でも、来月からは手当が付くんだからな! 怪人手当と時間外勤務手当が! それらを合算すると手取りは 二十万を超えるんだけどね、怪人体の維持に必要な薬剤は自費で買わなきゃならないし、それが保健適応外の 代物なもんだから、結局は大して変わらないような、変わるような……」

 ヘビ青年は徐々に語気を弱め、尻尾をだらりと下げた。その様に、つばめは思わず嘆いた。

「世知辛いったらありゃしない」

「まぁねぇ。フジワラ製薬は景気の良い企業だと思ったから、苦労に苦労を重ねて就活して入社したんだけどさぁ」

「じゃ、その倍は出そう」

「はい?」

「倍じゃ不満なら三倍は出す。それでも不満なら、言い値で」

 つばめが指を三本立てると、ヘビ青年は目玉が零れ落ちかねないほど目を見開いた。

「……へあ?」

「だーかーらー、私があんたを雇ってあげるって言ってんの。フジワラ製薬と私の部下の掛け持ちでダブルスパイを してくれるって言うのなら、それはそれで好都合じゃない? ちょっと敵の情報を流してくれるだけで、私の方からの 給料も入るわけだし。私の話を蹴ってフジワラ製薬の社員で居続けるって言うのなら、この場で倒すけどね」

「ちょ、ちょっと待って、ね」

「はい、どうぞ」

 つばめがにこやかに返すと、ヘビ青年はしばらく口の中でもごもごと呟いていたが、目を上げた。

「敵陣営の配下の者を丸め込んで手中に収めて間諜に使う、というのは兵法の基本中の基本だけど、いざその立場 になったら物凄く戸惑うね。でも、悪い話じゃ……ないかもしれない、んだよなぁ」

「でしょ? 吉岡りんねに部下がいるんだもん、私の方にいなくてどうするっての。コジロウは別格だけど」

「ちょっと考えさせてよ、それぐらいの時間はくれよ、悪い返事はしないからさぁ。この僕がだよ?」

 ヘビ青年は頭を下げると、つばめを下から見上げてきた。下手に出てはいるものの、卑屈さと陰険さが奥底から 滲み出ている。他人の顔色と時流を窺いながら己の能力と実力を発揮する機会を見逃さず、押してみて分が悪いと 判断したらすぐに引く。人間的には嫌な部類に入るが、間諜としては悪くない。問題は忠誠心の有無だ。

「ま、いいや。考えがまとまったら、声を掛けてね。それまで私は学校を掃除するから」

 つばめはヘビ青年とコジロウに背を向け、足早に校舎に戻っていった。呼び止める声が聞こえてきたが、明確な 答えではなかったので取り合わなかった。スニーカーから上履きに履き替えて教室に戻り、改めてジャージに着替えて から掃除に取り掛かった。積もりに積もった埃をホウキで床という床を掃き掃除し、固く絞ったモップを掛け、トイレも また入念に掃除し、職員室も手を付けられる範囲で綺麗にしていくと、心なしか校舎全体が明るくなった。
 熱中しすぎて、ヘビ青年のことをすっかり失念していた。




 船島集落に帰還した一乗寺が目にしたのは、奇妙な光景だった。
 鮮烈な西日に照らされた校舎前の広場で、コジロウが俯せになっていた。その両手足は何者かを拘束している かのように曲がっていて、両足のタイヤも露出している。だが、その体の下には空間が広がっているだけで拘束する べき相手は存在していなかった。心なしか影になっている部分の地面が湿っている程度で、何かが押さえ込まれて いたという痕跡すら見当たらなかった。言うならば、エアマウントである。

「何これ?」

 バイクを止めてフルフェイスのヘルメットを外した一乗寺が不思議がると、教室の窓が開いてジャージ姿のつばめ が顔を出した。熱心に掃除をしていたらしく、髪にもジャージにも埃が付いている。

「あ、先生、お帰りなさーい」

「うん、ただいまー。で、これは何をさせているわけ? 幽霊でも掴まえたの?」

 一乗寺が妙な態勢のコジロウを指すと、つばめはぎょっとした。

「ああっ!? すっかり忘れてたぁっ!」

「何を」

「あのですね先生、ヘビが出たんですよヘビが! 超デカいのが! んで、それが例によって私のことを狙っていた ものだから逆にやり込めてやろうって思って、コジロウにマウントを取らせてから取引を持ち掛けたんですけど!」

 つばめは窓枠から身を乗り出し、汚れた雑巾を振り回す。

「うっかり掃除に熱中しちゃってヘビ野郎の存在を綺麗さっぱり忘れた挙げ句、逃げられたわけだ」

 うわダッセ、と一乗寺がストレートな感想を述べると、つばめは気恥ずかしげに赤面した。

「御名答です」

「で、どんな取引を持ち掛けたわけ?」

 正直言って興味はなかったが一乗寺が尋ねてみると、つばめは苦笑した。

「そのヘビってのがフジワラ製薬の差し金らしくて、フジワラ製薬の三倍は給料を出すからダブルスパイをしてくれーって 頼んでみたんですよ。でも、すぐに答えてくれなくて、仕方ないから掃除を始めたら面白くなっちゃって」

 ごめんコジロウ、もういいよ、とつばめが命令を解除すると、無理のあるエアマウントの態勢を保っていたコジロウ は関節から高圧の蒸気を噴き出し、一度俯せになってから起き上がった。ロボットであろうとも、長時間変な態勢で いたために過負荷が掛かっていたらしく、廃熱によって僅かばかり陽炎が起きていた。

「で、自習はしたの?」

 一乗寺が再び尋ねると、つばめは言い返してきた。

「自習用のプリントも何も置いていかなかったくせに、よく言いますね」

「あーそうだっけ? ごめーん」

 てへっ、と一乗寺が自分を小突いてみせると、つばめは冷たく言い捨てた。

「それだけは止めて下さい。リアルに殺意を覚えます」

「廃熱と同時に各部の点検、及びエネルギー供給の開始」

 コジロウは理不尽かついい加減な命令に文句も言わずに、機体の不具合を確認し始めた。長らく留守にしていた 担任教師に文句をぶつけてくるつばめをやる気なくあしらいながら、一乗寺はコジロウを見やった。彼と交戦した ヘビ怪人の正体は十中八九、フジワラ製薬の研究員である羽部鏡一だ。
 だとしても、疑問が残る。羽部鏡一本人だとしたら、なぜつばめの前にわざわざ顔を出したのか。つばめと接触する ことはイコールでコジロウと敵対することになるのだから、怪人への変身能力を得ているとしても戦闘経験が皆無な 羽部にとっては極めて不利な状況に陥るはずだ。実際、コジロウにあっさり確保されて拘束されていたばかりか、 つばめに無茶苦茶な取引を持ち掛けられてしまった。吉岡一味が住んでいる別荘に液状化した状態で輸送された 後、無事固体化したはいいが、フジワラ製薬を見限って裏切るつもりだったのだろうか。或いは、フジワラ製薬側と こちら側を繋げる内通者となるべく潜り込む手筈だったのか。それとも、全く別の目的なのだろうか。

「ねえつばめちゃん、そのヘビ野郎に何かした?」

 湿り気の残る地面に触れながら一乗寺が呟くと、つばめは少し考えた後に答えた。

「ちょっとだけ触りましたけど。最初に見た時にはヘビだとは思わなかったから、何かなーって。で、それからしばらく したら、寝起きでぼんやりしていた感じのヘビの人が急に元気になって難しいことを一杯喋って、私に襲い掛かって きそうになったからコジロウにマウントを取ってもらって。なんか、まずかったですかね」

「これは俺の想像に過ぎないんだけどさぁー……」

 一乗寺は、湿り気のある土を指先でなぞる。

「この前、つばめちゃんが藤原伊織に触った時は明確な命令を頭に浮かべていたから、事態はどうにか好転した。 だけど、その明確な命令がないまま管理者権限が適応されたとしたら、どうなると思う? 俺が考えるに、ログイン 画面にアカウントとパスワードを入力した状態になるんじゃないかってね。どの遺産にしたって、アクセスもログイン もされなきゃ動くはずがないんだよ。管理者権限の持ち主がアクセスしてログインしてコマンドを入力して初めて動く 代物なんだよ。なのに、ログインしたまま放置したってことは、コマンド入力し放題ってことじゃんか」

「え? そ、そんなにヤバかったんですか?」 

「情報を秘匿しすぎるってのも考え物だよ、いやマジで。そりゃつばめちゃんに遺産絡みの情報を与えずにいれば、 つばめちゃんが私利私欲に走る危険性は軽減出来るし、余計な騒動が起きなくて済むだろうけどさあ、当の本人に 危機意識が生まれないもんだから丸裸も同然なんだよ。これだからお役所仕事って嫌ーい」

「ごめんなさい。私、そんなことになるとは知らなくて」

「いいのいいのー。つばめちゃんは責任を被るような年齢でもなければ立場でもないし、始末書が来るとしたら俺に だし、そもそもつばめちゃんは被保護対象者であって自分から行動に出ることを想定されていないわけだし、政府側の 対応がグズグズの穴だらけなのは今に始まったことじゃないし。それに、俺としてはちょっと楽しかったりする」

 一乗寺は立ち上がると、おもむろに拳銃を抜いて湿った地面に発砲した。

「怪人なんてものは法律上は存在していないんだから、フジワラ製薬の怪人共が徒党を組んでつばめちゃんに襲い 掛かってきてくれたら、ガンガン殺せるじゃん?」

 銃声に驚いて硬直しているつばめを目の端に捉えつつ、一乗寺は熱を帯びた愛銃に目を細めた。銃口から昇る 細い硝煙と鼻腔を刺す火薬の匂いと、肩と腕に残る痺れを伴う余韻が、性的興奮にも等しい高揚感を味わわせて くれた。ヘビ怪人に変身した羽部鏡一を殺せなかったのは心底惜しいが、楽しみが先に伸びたと思えばいいだけの ことだ。さあ来い、早く来い。限りのない欲望に溺れた化け物共よ。
 知恵の実はここにある。





 


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