機動駐在コジロウ




蛇の道はヘビー



 とりあえず、場所を移動した。
 いつもの教室に戻ったつばめはコジロウの厳つい腰にしがみついて体を隠しつつ、教卓側でとぐろを巻いている ヘビをじっと睨み付けていた。ヘビは先割れの舌をちろちろと出し入れさせていて、全長五メートル以上はあろうか という長い体を持て余していた。枯れ葉の降り積もった山林ではカモフラージュになること間違いなしの焦げ茶色の ウロコは艶やかで、時折動く丸い目の縦長の瞳孔は糸のように細くなっている。
 コジロウを盾にしながら、つばめはヘビと睨み合い続けていた。気色悪い上に巨大な爬虫類とは会話なんてしたく もないのだが、話し合いの席を設けなければ、つばめは絞め殺されてしまうだろう。そうでなければ、小鳥のように 頭から丸飲みにされてしまうだろう。そんな事態を防ぐためには話し合って解決する他はないだろうし、このヘビは 吉岡一味よりは話が通じそうな気もしたからだ。だから、腰が抜けたつばめはコジロウに助け起こしてもらってヘビ 共々場所を移したのだが、話をどうやって切り出したものか。

「おい、低脳ロボット」

 先程と同じく、ヘビは不躾な語彙で話し掛けてきた。つばめが竦むと、コジロウがすかさず身構える。

「つばめに危害を加えるというのであれば、本官は即刻護衛行動に移る」

「ああ違う、そんなに急な話じゃない。そう、まずは段取りの確認だよ」

 ヘビは首を横に振ってから、コジロウとその陰に隠れているつばめを見やった。

「そっちの女子中学生が件の佐々木つばめで、お前はムリョウってロボットだろう? その辺の情報は、本社の資料で 確認済みだ。僕の仕事は、御嬢様一味に所属している低脳の中の低脳のハシゴ状神経系な御曹司、藤原伊織と 大して変わりはない。もっとも、あの馬鹿息子には出来ないことを山ほど任されてるけどね。まあ、僕は根っからの 理系人間……じゃないか、理系の怪人だから、殺人狂の馬鹿息子とは違って人を襲うのは得意じゃないけどね」

「怪人になって人を襲うのが得意な人間なんて、そうそういてたまるもんか。で、ムリョウってのは」

 つばめがコジロウの背中を仰ぎ見ると、コジロウは横顔を向けた。

「本官の以前の個体識別名称だ」

「へえ、そうなんだ。知らなかったぁ」

 つまり、祖父が付けた名前か。つばめが付けたコジロウよりは洒落ているが、しっくり来ないのはコジロウと呼ぶ のに慣れ親しんでいるからだろう。余裕が出てきたつばめは、コジロウの腰に腕を回した。つばめは足腰にまだ力が 戻ってこないので椅子に腰掛けているのと、元々の身長差があるせいで、つばめはコジロウの臀部にあたる外装 に顔を寄せる形になった。角張っていて厚みも丸みもない尻なのだが、不意に触りたい衝動に駆られた。

「人前でいちゃつかないでくれる? そういうのって殺人衝動に繋がるんだけど」

「へあっ!?」

 再度ヘビに話し掛けられた途端、つばめは我に返って椅子ごと身を引いた。コジロウの尻を触りそうになっていた 手を慌てて引っ込め、ぎこちなく表情を取り繕った。警官ロボットに痴漢行為を働いてどうする。

「で、その木偶の坊のロボットの名前はムリョウじゃないのか? コジロウっていうの? うわダッサ」

「コジロウはコジロウだからコジロウなの、ダサいのは自覚しているけど似合うからいいの!」

 つばめが言い返すと、ヘビはちろりと舌を伸ばした。

「馬鹿はどこまでいっても馬鹿なんだなぁ。まあ、この僕は優秀だからそんなミスは犯さないけど?」

 ヘビは独り言を漏らしながら俯き、長い体をボール状に丸めた。

「今回、この僕がわざわざお前達の前に出てきてあげたのはね、この僕の科学技術と天性のセンスで調整して体内に 注入したアソウギの仕上がり具合を確かめるためさ。で、そのついでに戦ってあげる。光栄だろう?」

「何が光栄なもんか。で、アソウギって何?」

 ヘビの言葉に出てきた単語をつばめが繰り返すと、コジロウは銀色の拳を握り締めた。

「遺産の一つの個体識別名称だ。これはあくまでも仮定に過ぎないが、何らかの原因でフジワラ製薬がアソウギを 所有し、遺産を奪取するための作戦に利用しているのだろう」

「何だよ、そのつまらない話は長引きそうか? じゃ、僕は出ていく。お前らと同じ空気を吸うのも嫌だ」

 ヘビはやる気なく頭を下げてから、文字通り蛇行して教室を出ていった。床を這う独特の物音が遠ざかると、つばめは 安堵して脱力した。ひたすら態度が悪いヘビに腹を立てるよりも先に恐怖が襲ってきたからだ。
 離れてしまうのは惜しかったが、つばめはコジロウの腰に回していた腕を外し、椅子の背もたれに寄り掛かった。 無意識に呼吸を詰めていたせいで薄くなっていた血中酸素を上げるために深呼吸した後、両の拳を固めて身構え ているコジロウを見上げ、その背部装甲をぽんぽんと軽く叩いた。

「もういいよ、コジロウ。今はヘビがいないんだし」

「つばめ。あの個体に生体接触を行ったか?」

 どことなく、コジロウの語気が強張っていた。つばめはきょとんとする。

「触ったか、ってこと?」

「そうだ」

「そういえば、ちょっとだけ」

 つばめが人差し指を立てると、コジロウは佇まいを整える。

「これより、遺産の一つであるアソウギの性質と能力について、簡潔に説明する。前マスターが本官の人工知能に 施したセキュリティによって本官は遺産についての情報を口外することは不可能だったが、フジワラ製薬が所有して いる遺産がアソウギであると判明したことによってセキュリティ規約第七条が適応され、アソウギについて口外する ことが可能となった。よって、説明する」

 コジロウはヘビの出ていった方向を見据え、スコープアイの輝きを強める。

「アソウギとは、現住生物とその周辺環境を複合的に判断し、現住生物のゲノム配列から生体構造を解析と同時に 分析した上で環境に適応した合成生物を作成する無限バイオプラントだ。その形状は粘液。だが、アソウギ単体だけ ではその能力を発揮することは不可能であり、管理者権限を持ってしてもバクテリアの合成すらも完遂出来ない。 理論の上ではフジワラ製薬が有する化学技術ではアソウギを作動させることすら不可能なのだが、何らかの手段で アソウギに働きかけ、アソウギに対して拒絶反応を起こさない人間にアソウギを投与して改造しているのだろう」

 コジロウの発声装置から矢継ぎ早に出てくる訳の解らない単語に、つばめは戸惑った。

「無限バイオプラント? それって何? 何のためのもの? なんでそんなのがコジロウと同じ遺産なの?」

「その理由について明言することは、セキュリティによって妨げられている」

「粘液ってことは、いやちょっと待てよ、いやいや待たなくてもいいけど」

 混乱してきたつばめは、先日の出来事で知った事実と今し方知った事実を頭の中で整理した。無謀にも吉岡一味の 本拠地である別荘に乗り込んだはいいが逆に追い詰められ、吉岡りんねの唇を奪った後に暴走した藤原伊織との 交戦中に把握した情報に寄れば、軍隊アリ怪人に変身出来る伊織は体液の七割を遺産に置き換えている。それは つまり、フジワラ製薬が所有している遺産、アソウギに違いない。そして、伊織と同様にヘビに変身しているヘビ青年も また、体液の何割かをアソウギに置き換えているのだろう。
 伊織に触れた時は、止まれ、コジロウを離せ、と強く念じていたから伊織はその通りに動いた。だが、ヘビ青年に 不用意に触った時は何も考えていなかった。これはなんだろう、と軽く触れてみただけだ。コジロウが開示してくれた 情報に寄れば、アソウギは管理者の思念を読み取って変形するものではないので、あのヘビ青年が不定型な物体 になることはないだろうが、管理者権限が触れたことでヘビ青年の体内に満ちているアソウギを活性化させてしまった 可能性は大いにある。と、いうことは、前回の二の舞になってしまうのでは。
 巨大化した軍隊アリはともかく、巨大化したヘビは嫌すぎる。つばめは気が遠くなりかけたが、なんとか踏ん張って コジロウの腕を掴んだ。すると、校庭と呼ぶには広すぎてグラウンドと呼ぶには狭すぎる広場から物音がした。
 直後、教室の窓に奇妙な影が映った。




 羽部はぶ鏡一きょういち
 年齢は二十六歳、出身は東京、国立大学の化学科を卒業してフジワラ製薬に就職し、製薬部の研究部員として 日々働いていた。近年のフジワラ製薬の本業ともいえる遺産による人体改造の基礎研究を任されていたが、羽部 は偶発的に胃散を投与された人間を液状化させる方法を見つけ出した。それから間を置かずして、液状化させた 人間を再び固体化させる方法も発見し、一介の研究員から化学者の仲間入りを果たす。
 そして、その研究の成果は大いに役立てられたようだった。一乗寺は撃つ機会を失って冷えたままの愛銃を左脇 のホルスターに収め、思い切り舌打ちをした。フジワラ製薬の名が入ったトレーラーのコンテナには円筒形の容器が 五百個以上も格納されていたが、全て開封されて空っぽになっていた。トレーラーが横付けられているのは中流 程度の勢いのある川で、砂利と雑草が散らばる河原には空の容器が山のように転がっていた。

「こいつがろくでもねぇ研究をしなきゃ、俺達は無駄足を踏まずに済んだんだがなぁ。溶かした人間を川に流しちまう なんてえげつない手段を、思い付く方も思い付く方だが、実行する方も大概にイカレてやがる」

 周防は羽部鏡一についての情報が連ねられた書類を握り潰し、トレーラーを睨み付けた。

「いい感じに追い詰めたのに、ばこばこ先手を打たれまくりだねぇ。俺達は出塁すら出来ないわけ? 凡退?」

 一乗寺がぼやくと、周防は苦々しげに嘆息する。

「いや、もっと悪い。バッターボックスにすら足を踏み入れちゃいない」

「で、その羽部って野郎が今回のヤマの肝だってことは、スーちゃんはどうやって調べを付けたわけ」

「何、簡単だ。研究所内の監視カメラやらカードキーの入出記録を調べてみて解ったんだが、俺達が目を付ける前 から、あの爆破解体された研究所からは羽部の姿が早々に消えていたんだよ。地方の子会社に出張扱いになって いたんだが、交通機関にそれらしい姿はなかった。出張先行きの切符を買ったという記録もなかったし、出張先の 子会社にも来ていなかった。だが、本社には戻ってきていない。他の連中は大体足取りが掴めたんだが、羽部だけが 宙ぶらりんだったんだ。どこかにいるはずだが、どこにいるかが掴めない。つまり、どこにでも動かせる位置付けに いるってことだ。おまけに、奴の頭の中にはろくでもねぇ研究の成果が詰まっている。基礎研究に関するデータは フジワラ製薬のメインサーバーに保存されているからな、ネット環境さえあればどこからでも引き出せる」

「でも、その羽部って野郎は戦闘員じゃないんだろ? いくら吉岡グループが共闘規定を設けているとはいえ、それが 適応されるのはつばめちゃん絡みのことだけじゃん? 他の企業に見つかったらゲームオーバーでねぇの?」

「それがだな」

 周防は彫りの深い顔に顔に渋面を作り、携帯電話から地図のホログラフィーを投影した。

「三日前にフジワラ製薬が発送した自社製品配送ルートだ」

「うあーお……」

 早々に先手を打たれていた。一乗寺は地図を見、変な笑いを浮かべた。様々な配送業者を使ってフジワラ製薬が 自社製品を配送したルートが中部地方の地図に重なっているのだが、そのうちの一つが病院でもドラッグストアでも ない山奥に配送されていた。地形と道筋を見る限り、その配送先が吉岡一味の根城である別荘であることは間違い なさそうだった。あんなに辺鄙な山奥に居を構えている人間は、そうそういるものではない。

「てぇことはあれだね、馬鹿息子の伊織の手下にしておいて一味に加えちゃおうって腹だね。でも、あの馬鹿息子の 性格からして上手くいくわけないって。あいつはアリンコのくせして狂犬みたいな性分だし、部下なんかをプレゼント されたって使う前に捨てるに決まっているよ。いや、違うな。捨てるのを前提として送った、とか?」

 一乗寺が喋りながら考えをまとめると、周防は太い顎をさする。

「液体を捨てる時、排水溝に流すにしても地面にぶちまけるにしても、てんでバラバラの方向には捨てないもんだ。 馬鹿息子にその気が毛頭なくとも、液体が混じっちまえばそれでいいんだからな。フジワラの社長はふざけている ように見えるが、形から入っている分、やることは確かだ」

「俺、帰るわ。なーんか面倒なことになっちゃったりしちゃっている気がするんだよねぇ」

 肩を竦め、一乗寺はトレーラーに背を向けた。周防は皮の厚い手で、一乗寺の背を叩く。

「それがいい。授業計画だってあるだろうし、佐々木の孫娘も寂しがっているだろうしな」

「スーちゃんはいい人だねぇ。俺はただ、その羽部って奴のドタマをぶち抜きたいだけなんだけどな」

 愛銃のAMTハードボーラーのグリップに手を添え、一乗寺は口角を上向ける。

「川に不法投棄された液体人間共には銃弾は通用しないが、元の姿に戻った羽部には通用するじゃん?」

「その頃までに羽部が生き延びていたらいいんだがな。馬鹿息子が口封じに殺しちまっているかもしれんぞ」

「大丈夫だって。あの手の輩はね、ああウゼーって思ったことには絶対に腰を上げないの」

 俺もそうだから、と笑顔で返してから一乗寺は現場を後にした。公安のトレーラーに首尾良く用意されていたバイク に跨って河川敷を脱し、土手を下りて通行規制が掛かっているために静まり返っている県道を通り、国道に入って 船島集落を目指した。フルフェイスのヘルメットに内蔵されている無線機に時折入ってくる報告にいい加減な答えを 返し、定期連絡をあしらいながら、拳銃の引き金を引ける瞬間を心待ちにした。
 それだけが人生の楽しみなのだから。




 窓のカーテンを引いて、校庭とグラウンドの中間のような広場を窺った。
 あの影絵の主を見定めるべく、つばめは慎重に視線を動かした。ここ数日の上天気で乾き切った広場の地面に 横たわっているのは、四本の手足が生えたヘビ青年だった。正に蛇足だ。人間と同じような関節が付いた五本指 が生えた手足を必死に踏ん張り、起き上がろうとするが、バランスが取りづらいのか苦労している。

「うおっふぁえ」

 ヘビ青年は二本足で立ち上がりかけたが、長すぎる尻尾が災いして横転した。

「だ、大丈夫?」

 窓を開けてつばめが話し掛けると、ヘビ青年は震える足を伸ばして頑張るが、またも横転した。

「お前なんかに心配されたくないよ、ていうか見るなよ、この僕が格好悪いなんて許されざることなんだから!」

 あうっ、と弱く悲鳴を上げ、ヘビ青年は三度横転した。これでは手足を使わずに這いずって移動した方が余程早い のではないだろうか。あまりにも足腰が覚束無いヘビ青年に、つばめは同情心すら湧いてきた。だが、相手は紛れ もなく敵なのだ。どれだけ見た目が変でも、態度が情けなくとも、遺産を悪用している企業の差し金であることには 変わりはない。つばめの肩越しに広場を見据えるコジロウは、表情こそ現れないが緊張感があった。

「うん。うん、ん、大体は予想通り。心拍は単純計算で二百、凄い、凄いぞ、吉岡りんねの生体組織の非じゃないね。 これならどんな生体改造にも耐えられる、それどころか、アソウギの能力を応用した遺伝子工学が」

 ヘビ青年は独り言を連ねながら長い背を弓形に曲げ、関節の外れる顎を大きく開く。

「脳細胞がくっついてきた。ああ凄い、あー気持ちいい……」

 肩のない首をゆらりと反らし、ヘビ青年は瞳孔が針の如く細くなった目で、つばめを捉える。

「アソウギには、重大な欠陥がある。遺伝子と蛋白質と水分と多少の金属物質を与えれば、環境に適応した生物を 生産出来たり、生身の人間と適当な生き物を一緒に放り込んで溶かし込んじゃえば改造人間が出来上がるけど、 量産体制には至らない。それどころか、アソウギを投与して体液の大半をアソウギに置き換えなければ、改造人間 は生物としての形を保てなくなっちゃう。僕はその作用を応用して改造人間の生体組織を液状化させ、保存出来る 技術を見つけ出したけど、そんなのは所詮副産物だったりする」

 ヘビ青年の円らな瞳に力が籠もり、瞼を狭めるように瞬膜を少し出す。

「アソウギは与えられた遺伝子からその生物を取り巻く環境を分析すると同時に状況適応能力を見出し、授ける。 それはつまり、苛烈な環境下にある生物の遺伝子を使用して改造人間を作り出せば、どれだけ脆弱な人間であろう とも驚異的な力を持った怪物になれる、というわけだ」

 バランスが取れるようになったのか、ヘビ青年は確かな足取りで校舎に近付いてくる。

「馬鹿息子の伊織がその良い例だよ。あいつはとことん馬鹿だけど、あらゆる化学実験を行っても生き延びた軍隊 アリの遺伝子とアソウギを体に混ぜ込まれて改造されたんだ。だから、あんなにも完成度が高いんだ」

 ヘビ青年は先割れの舌を伸ばしながら、顎を最大限に開いて牙を剥く。

「社長は僕を君の元に差し向けてくれた。ステレオタイプな世界征服計画には差したる興味はないけど、僕の能力を 認めてくれたばかりか生かしてくれたのは社長だけなんだ。その恩義には報いる必要がある」

 先程までの辿々しい態度とは打って変わって、ヘビ青年は流暢かつ勝ち気に己の考えを並べ立てていった。余程 自分の能力が認められたことが誇らしいのだろう、少々解りづらいが笑顔すら浮かべている。長い尻尾も上機嫌に 左右に揺れていて、広場の地面に太い筋がいくつも付いている。コジロウはヘビ青年に応戦するべく、顎を引いて 拳を固めたが、つばめはコジロウを制してヘビ青年と向き合った。
 戦闘を回避出来る良い考えが浮かんだ。





 


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