機動駐在コジロウ




箱入りマスター



 コジロウを整備に出したのは、金曜日のことである。
 一乗寺が呼び出してくれた政府の整備斑は、警察車両に挟まれた仰々しいトレーラーで船島集落にやってきた。 装甲車からは重武装した自衛官が何人も出てきて、皆、自動小銃を装備していた。そればかりか、逐一外部と無線 連絡を取っていて、政府要人を護送するかのような大事になっていた。集落の上空にはヘリコプターが旋回し、輪を 描いていた。つばめはトレーラーが一台来る程度だと想像していたので、すっかり気圧されてしまった。
 一乗寺と政府関係者に促されるまま、差し出された数枚の書類に署名と捺印を繰り返した後、整備主任の人間に コジロウに一時機能停止を命令してくれと頼まれたのでそう命令した。途端にコジロウは目から光を失い、各関節 から蒸気を噴出して動きを止めた。コジロウの廃熱が完了したのを確認してから、トレーラーから出てきた整備員達が コジロウをカートに乗せて搬入していき、作業が完了するとすぐに移動していった。
 別れる時にはちゃんと言うべきことを言おう、とつばめは密かに胸に誓っていたが、知らない人間が多すぎたのと、 彼らは終始コジロウをただのロボットとして扱っていたので、コジロウにいつものように接しては良くないような気が してしまったために、何も言えなかった。差し出された書類に署名捺印する時に、どこに何を書けばいいのか、とは 政府関係者に尋ねはしたが、それぐらいだった。コジロウは週明けには帰ってくると政府の人間は言っていたが、彼と 離れるのは初めてだったので、せめて別れぐらい惜しませてほしかった。
 コジロウがいない朝は考えるだけで憂鬱だ。雨戸も開けてくれないだろうし、ぬかみそも混ぜてくれないだろうし、 玄関先に散らばった落ち葉も掃いておいてくれないだろうし、ブラウスのアイロンも自分で掛けなければいけないし、 燃えるゴミと燃えないゴミも分別してまとめておかなければならないし、庭に生えた草も適度に抜いておかなければ 荒れてしまうし、などと、つばめは次第に現実的な考えに耽ってしまった。美野里が家事がまるで出来ない分、家事 をコジロウに任せがちだったからだ。料理に洗濯に掃除といった細々としたことはつばめが余裕を見て手を付けて いるのだが、学業と吉岡一味との荒事で疎かになりがちなことをコジロウに頼んでいたのである。だから、コジロウ がいない分、当然ながらつばめの負担も増えてしまう。

「いやいや、そうじゃないでしょ? そこはもうちょっとこう、乙女チックに……」

 つばめは恋する乙女らしからぬ生々しい考えをする自分に呆れて、首を横に振った。すると、何かに額をぶつけて しまい、その衝撃で仰け反ると更に後頭部を平たいものにぶつけた。何事かと目を開けてみるも、辺りは真っ暗で 光は一切なかった。雨戸を開けていないのだろうか、とつばめが起き上がろうとすると、今度は肩と側頭部が何か にぶつかって痛みが骨を貫いた。涙目になりながらも、つばめは混乱しきりの頭で懸命に考えた。

「つまり、えっと、どういうこと?」

 慎重に手を伸ばし、頭上に触ってみる。硬く冷たいが、つばめの体温が染み込んでいるのかほんのりと暖かみが あった。更に顔の前に手を伸ばしてみると、頭上とほぼ同じ間隔で遮蔽物があった。その手を前後左右に動かして みると、肩幅の倍近い幅で角の内側にぶつかった。頭上にも両手を伸ばして前後左右に動かしてみると、こちらには 四つ角があった。起き上がるとまた頭をぶつけかねないので、両足を曲げてずり下がり、行き止まりに当たったので 両足を動かして探ってみた。こちらにも四つ角がある。それらを踏まえ、頭の中で立体図を作ってみる。

「……長方形の、箱?」

 もしかして、つばめは長方形の箱に閉じ込められているのだろうか。だとしても、どこの誰がいつのまに。真っ先に 思い当たったのは吉岡一味だが、これまで自宅を攻められたことはない。けれど、自宅の場所など当の昔に割れて いるだろうし、あの吉岡りんねが手をこまねいているわけがない。だが、真夜中に吉岡一味が攻めてきたとしても、 コジロウがいない今は戦闘狂の一乗寺が突っ込んでいくに違いない。そんなことになっていたら、さすがに銃声やら 何やらで目覚めているはずだし、美野里に泣き付かれているだろうし、上へ下への大騒ぎになる。けれど、それすらも 気付かずに熟睡していたということは、もしかして、いやいやまさかそんな、それだけは考えたくない。

「えーと、私、死んだ?」

 つばめの脳裏には、つい一ヶ月ほど間の祖父の葬儀が蘇ってきた。だとしても、どんな理由で死んだのだろうか。 先程ぶつけた頭を除いては痛くもなんともないし、出血している様子もない。これまでに病気らしい病気をしたことも なければ入院した試しもないので、発作の類ではないだろう。思えば短い人生だった。
 こんなことになると解っていたら、コジロウに全力で好意をぶつけてしまえばよかった。挨拶のように好きだ好きだ と連呼して抱き付き、徹底的にイチャイチャし、あわよくば乗っかって。

「死んでないなぁ。うん、絶対に」

 コジロウのことを少し考えただけで、ガソリンを大量にぶちまけた枯れ草の山に焼夷弾をぶち込んだように感情が 高ぶってしまったので、つばめは火照った頬を押さえながら前言撤回した。ロボットに乗っかって何をどうするつもり だったんだ私は、と全力で自分に突っ込みを入れていると、箱が外側からノックされた。

「つばめちゃーん、起きたぁー?」

 少しばかりくぐもってはいるが、美野里の声に間違いなかった。箱を構成している板が厚いらしく、外部の音は鈍く 聞こえてくる。妙に静かだったのはそのせいか、と今更ながらつばめは理解しつつ、箱を叩き返した。

「お姉ちゃーん、これ、何ー?」

「これね、コジロウ君が入っていた箱よ、はーこ」

「箱って……ああ、あれか」

 つばめは、祖父の棺の後ろに横たわっていたコジロウの棺を思い出した。

「でも、なんで私はその箱の中に入っているの? ていうか、誰が入れたの? お姉ちゃん、それとも先生?」

「どっちも違うのよ。その箱もれっきとした遺産でね、コジロウ君とセットになっているものなのよ。なんて言えばいい のかしらね、んーんと、そう、あれよあれ! 刀と鞘みたいな関係だって、大分前に長光さんから教えてもらったわ。 確か名前は……タイスウ、だったかしらね。これは私の想像に過ぎないけど、コジロウ君がつばめちゃんから離れて いる間はタイスウがつばめちゃんを守ってくれるように、長光さんが設定しておいてくれたんじゃないかしら」

「うん、そんな気がする。コジロウの前の名前がムリョウで、この箱の名前がタイスウってことは、無量大数か」

 そういうことになるわねぇ、との美野里の返事があったが、つばめは腑に落ちなかった。無量大数といえば数字の 単位の中でも際立って大きい単位だとは知っているが、それとコジロウとこの箱にどんな繋がりがあるのだろうか。 つばめなりに頭を捻ってみたが、朝食も食べていないことも相まって何も思い付かなかった。とりあえず、この箱から 外に出て、やるべきことを済ませなくては。トイレにも行きたい、顔も洗いたい、朝食も食べたい、お弁当の支度もして おかなければ。今日、土曜日は一乗寺が社会科見学に連れて行ってくれるからだ。
 社会科見学の予定を切り出されたのは、コジロウを送り出した直後だった。敵の狙いは何もつばめだけではなく、 コジロウも遺産なのだから付け狙われている。だから、二人が別行動を取っている間は敵の注意も二分する。その 間に学校行事を済ませておこうよ、と一乗寺が浮き浮きしながら説明してくれたのである。
 身支度するためには外に出なければならない。しかし、どうやって。




 今日の朝食は、清く正しい和食だった。
 但し、見た目だけは、との注釈が付くのはいつものことだ。武蔵野はピーナッツバターの味がする味噌汁の衝撃が 未だに忘れられず、胃袋が重苦しいままだった。塩ザケにべとべとする片栗粉の衣が付いていたのはまだいいと しても、卵焼きに巻き込んであったのが豚肉に見せかけた車麩だったとしても、カニのほぐし身とワカメの酢の物が ゴマ油の味しかしなくとも、唯一まともな白米のおかげでなんとか食べられた。けれど、豆腐とネギとワカメが浮いた 味噌汁にたっぷりと入っているピーナッツバターには参った。そして、武蔵野の汁椀の底には、窮屈そうに長い体を Cの字に曲げたちくわが収まっていたのである。

「一度、冷蔵庫を片付けた方がいいんじゃないのか?」

 武蔵野はそんな独り言を漏らしつつ、武装の準備を整えていった。吉岡グループが所有している監視衛星が撮影 した写真に寄れば、今朝八時半頃、船島集落から一乗寺の軽トラックが出発していった。その荷台にはコジロウが 以前格納されていた鉄の棺桶が横たわっていたのが奇妙ではあったが、そんなことは大して重要ではない。政府の 整備斑がコジロウを回収し、輸送したことは、吉岡一味側も既に知っている。というより、大型トレーラーやら装甲車 が徒党を組んでド田舎の集落に来たとなれば、おのずとその目的の察しは付く。つばめから引き離されたコジロウを 狙って暗躍する者も出てくるかもしれない。

「まあ、俺には関係ないか」

 他の企業が何を画策していようと、率先して関わるべきではない。武蔵野は自分に割り当てられた仕事を全うし、 佐々木つばめの確保という戦果を上げなければならない。そのためにも、準備だけは整えておかなければ。
 使い慣れた自動小銃、コルトM4コマンドーの整備は完璧だ。弾丸を詰め込んだスペアのマガジンも多めに持ち、 コルトM4コマンドーが目詰まりを起こした場合に使う自動小銃も、もう一丁用意してある。こちらは同じコルトだが、 仕様が異なるコルトM16A2だ。どちらも白兵戦用の銃であり、前回の失敗も踏まえて今回は狙撃用のライフルも 用意しておいた。世界的にもメジャーな狙撃銃、M24 SWSだ。欲を言えば対戦車砲の一つや二つ持っていきたい ところだが、そこまで持っていくと愛車の後輪が沈んでしまって走りが鈍くなる。銃器や弾丸は金属の固まりだから、 重量も相当なものだからだ。左脇のホルスターには、相棒であるブレン・テンが控えている。

「おい、道子」

 別荘の地下階のガレージから階段を昇った武蔵野は、リビングに呼び掛けるが、メイドの声は返ってこなかった。 普段であれば、朝食の後片付けを終えて掃除を始めている頃合いなのだが。訝りながら、武蔵野がリビングに顔を 出すと、そこに道子の姿はなかった。死ぬほど不機嫌そうな顔の伊織と、死ぬほどやる気のない顔の羽部と、何を 考えているのか一切解らない高守が、食後の時間をかったるそうに過ごしていただけだった。

「みっちゃんならね、今日から実家に帰るってさあ。で、その支度に行ったってわけよ」

 ああ平和になるぅー、と、暖炉前のソファーに座り込んでいる羽部が弛緩する。服の趣味は相変わらす毒々しく、 魚のウロコのような模様に玉虫色の光沢が付いたジャケットと、目玉のワッペンが数箇所に貼ってあるジーンズで、 どこでそんなものを売っていたのか聞きたくなるほどだった。実際に尋ねはしないが。

「定期点検だろ、機械女だし」

 腰をずり下げた格好で一人掛けソファーを陣取っている伊織は、若干襟が伸びたTシャツに色褪せたジーンズと いうだらしなさではあったが、羽部の格好に比べると何百倍もまともに見えるのが不思議だ。羽部の答えは論点が ぼやけていたので解りづらかったが、伊織の答えはまだ解りやすかったので、武蔵野は自分なりに結論を出した。 道子はフルサイボーグだ、それ故にメンテナンスが欠かせない。大方、道子の雇用主であるハルノネットから定期 点検を促す連絡が届いていたのだろう。それならば仕方ないが、道子がいなければ少し困ったことになった。

「ぬ」

 丸っこい上体を傾けてきた高守に覗き込まれ、何の用なのか、と問われたのだと察した武蔵野は答えた。

「ああ、ちょっとな。一乗寺が軽トラでどこかに出かけたってことまでは解ったんだが、その行き先をトレース出来て ないんだよ。馬鹿正直に軽トラのケツを追っかけていったとしても、追い付く前に振り切られるか、一乗寺の野郎に バカスカ撃たれて行動不能になるのがオチだ。だから、行き先を把握しておいて、別ルートを辿っていこうと思って いたんだが、道子がいないんじゃなあ。作戦を変えるしかないか」

 ゲリラ戦でも仕掛けてみようか、と武蔵野が思案しながら、ガレージに繋がる階段を下りようとすると、ガレージの シャッターが外側から持ち上げられた。防弾仕様の分厚く重たいシャッターががしゃがしゃと軋みながら上昇していく と、人型重機、岩龍が興味津々に覗き込んできた。

「ほんなら、ワシが付き合ってちゃるけぇのう!」

「馬鹿言え、お前はGPSなんて付いていないだろうが。それがなきゃ、どうやって衛星と通信するんだ」

 武蔵野は岩龍をあしらいながら、ジープの後部座席に銃器と弾薬を詰め込んだ。岩龍は拳を握り、鼓舞する。

「気合いじゃけぇ!」

「気合いでどうにかなったらコンピューターはいらんぞ」

「ほんなら、どうしたらええんかいのう! ワシャあ仕事がしとうてのう、来月こそ親父さんに仕送りするんじゃい!」

 武蔵野に一蹴されても、岩龍は臆さずに文字通り首を突っ込んでくる。キャタピラの間に渡してある軸のような腰を 目一杯曲げて腹這いになり、広範囲を捉えられるスコープアイを輝かせながら、ガレージの中に顔をねじ込んで 武蔵野に迫ってくる。その純粋な労働意欲に、武蔵野は少しばかりほだされそうになったが、岩龍が実戦で頼りに なるとは到底思えない。地下闘技場で長年戦ってきたロボットの人工知能の情緒を強化し、明確な人格を与えたと はいえ、どこもかしこも未完成で幼すぎる。図体のでかい子供の扱いづらさは先日の迷子騒動で身に染みている し、何より目立つ。この片田舎では人型重機は数えるほどしか稼働していなかったので、尚更だ。

「私にいい考えがあります」

 三階のベランダから、少女の澄み切った声が響いた。岩龍はガレージの中から首を抜き、起き上がる。

「おお、姉御! なんじゃい、その、ええ考えっちゅうんは?」

 武蔵野がガレージから出ると、三階のベランダからりんねが見下ろしていた。膝下丈の藤色のワンピースの下には 八分丈のスパッツを履き、胸元の大きなリボンが目立つ白のカーディガンを羽織っている。

「岩龍さん、お手を」 

「おう!」

 りんねが指示すると、岩龍はキャタピラを鳴らしてベランダに近付き、りんねの立つベランダへと手を差し伸べた。 りんねはエアコンの室外機の上にでも昇ったのか、難なくベランダの柵を乗り越え、岩龍の分厚く巨大な手のひらに 収まった。そのまま岩龍は地上まで腕を下ろし、りんねを武蔵野の前に差し出してきた。

「ありがとうございます」

 りんねは岩龍に礼を述べてから、地面に下り、武蔵野と向き直る。

「いいですか、巌雄さん。実直なあなたのことですから、岩龍さんが幼すぎて頼りにならないとお思いでしょう。それは 否めないことではありますが、岩龍さんは実社会に出た経験が皆無なのですから、仕方ないことなのです。右も左も 解らないのですから、直情的に行動する他はないのですから。ですが、そこを支えて差し上げるのが私達の仕事の 内ではありませんか。御存知の通り、岩龍さんにGPS関連のソフトをインストールし、GPS用アンテナを搭載させる ことは諸事情によって許可出来ませんが、岩龍さんの情報処理能力があれば監視衛星からの情報を元にトレース することは可能です。巌雄さん、携帯電話をお貸し下さい」

 りんねが手を差し伸べてきたので、武蔵野は迷彩服のポケットを探り、出した。

「出来るのか、そんなこと?」

「ええ、それなりに」

 りんねはワンピースのポケットから自分の携帯電話を取り出すと、武蔵野の旧式の携帯電話とケーブルで接続し、 手早く操作した。プログラムを同期させて、吉岡グループの監視衛星とリアルタイムで通信を行うために必要な ソフトをダウンロードしてインストールすると同時に細々とした設定を行い、更に岩龍の人工知能の情報処理能力を 利用出来るようにするために岩龍のセキュリティを通り抜けられるようにセッティングし、素人にはややこしい構図の トレースした映像を見やすいようにレイアウトし、ウェブ上の地図と重ねて見られるように設定し、設定を保存した。 その間、五分足らず。彼女の手元を覗き込んでいる岩龍はある程度意味が解るのか、しきりに感心していた。

「出来上がりましたので、どうぞ」

 りんねは武蔵野の携帯電話を差し出してきたので、武蔵野はそれを受け取り、操作した。

「お、おう……」

 ウェブ上の地図を見るような気楽さで、監視衛星のトレース映像を見ることが出来るようになっていた。監視目標が 一乗寺の軽トラックに固定されてはいるものの、今日一日使えるのであれば充分だった。もしかして、りんねには 出来ないことなどないのか、と武蔵野は戦慄しかけたがぐっと押さえた。いつの時代であろうとも、最先端の技術に 長けるのは子供なのだと思い直した。

「そんなら行こうかいのう、小父貴! 的に掛けた奴の行き先は見当が付いたんじゃろ?」

 岩龍はお出掛けを心待ちにする幼子のように、腕を前後に振り回した。

「危ないからそれは止めろ。こいつが役に立つのは解ったが、岩龍を前線に連れて行くと目立ちすぎるぞ。その辺 はどうするんだ、お嬢?」

 武蔵野がはしゃぐ岩龍を示すと、りんねは携帯電話を掲げてみせた。

「いい考えは一つではありません」

 そう言って、りんねは通話モードに切り替えて、どこかに連絡を取り始めた。最初から抜かりはない、というよりも、 岩龍を同行させることを前提として前々から作戦を立てていたようだ。そうでなければ、こうも手際良く事が運ぶわけ がない。誰も彼も、りんねの手のひらで転がされているということか。それを認識しても、以前ほど薄ら寒さを感じなく なったのは、単純に慣れたからだけではない。多少の諦観と共に、有能な上司に動かされる快感を覚えていた。
 兵士もまた、道具に過ぎないからだ。





 


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