機動駐在コジロウ




ウェットより育ち



 片手で絞めても指が余るほど、細い首だった。
 薄い肌の下では頸動脈が穏やかに脈打ち、小さな唇の間からは吐息だけが漏れる。抵抗する素振りもなければ 苦しがりもせず、伊織の短絡的な激情を静かに受け止めていた。メガネの奥では澄んだ瞳が瞬き、人間と怪物の 狭間に揺らぐ青年をじっと見つめていた。これなら、作り笑いでも笑顔を浮かべている道子の方が余程人間らしい。 そう思った途端、伊織は急激に殺意が萎え、首を掴んで足を浮かせていたりんねを放り出す。
 浅く、弱い、呼吸が繰り返される。伊織の手形が付いて赤らんだ首筋を押さえ、小さく咳き込んだ。なんだ、やはり 苦しかったのではないか。ならば、そう言えばいいものを。そう言ってくれれば、今すぐに殺してやったのに。

「殺して下さっても構わなかったんですよ?」

 りんねは呼吸を整えてから、乱れかけた襟を直した。その首筋を緩く戒めている銀のチェーンが崩れる。

「吉岡グループが所有する遺産はコンガラと申します。その能力は複製です」

「……んだよ、知らねぇよ、そんなもん」

 りんねの生温い肌の感触が残る手を持て余し、伊織が毒突くが、りんねは淡々と言葉を連ねる。

「コンガラは与えられた物体が無機物であろうと有機物であろうと関係なく、複製します。複製する際に必要な物質 は存在しません、コンガラ本体が無限に物質を生み出しているのです。ですから、原型となる試作品さえ完成させて コンガラに与えてしまえば、資材を調達する必要もなく、工場を建設する必要もなく、工場を運営するために必要な 人間を雇う必要もなく、無制限に生産が可能なのです」

 その続きを聞きたくない。しかし、伊織はりんねの言葉を一心に聞き入っていた。当然のことながら、各企業から 派遣されている面々は諜報員としての側面も持っている。それぞれの動向を見張り、遺産の在処と能力を探り、 佐々木つばめのみならず、遺産を奪う機会も虎視眈々と狙っているのだ。だから、りんねの言葉を聞き流すわけに はいかない。役割が果たせなければ、伊織には何の価値もないのだから。

「ですが、コンガラは命までも複製出来ません。肉筆で書かれた書類をコピー機で印刷しても、インクの潤みや紙の へこみまでも模倣出来ないように、コンガラは形だけを複製します。よって、コンガラは動植物を与えられても、全く 同じ遺伝子情報と形を持ったものしか生み出せないのです。人間にも同じことが言えます」

 りんねは俯きがちに立ち上がり、長袖を捲った。小枝のような腕には、注射針の痕がいくつも残っている。

「私の生体情報はつばめさんの管理者権限とほぼ同等ではありますが、つばめさんの管理者権限のような絶対的 な効力は持っていません。以前、つばめさんの生体情報を入手することが出来ましたので、それを元にして複製を 行ってみました。つばめさん本人には程遠いですが、コンガラに与えたものと全く同じ物体が、全く同じ生体情報を 持って生み出されました。ですが、管理者権限に値する能力は半減し、私と同等かそれ以下に劣化していました。 恐らく、コンガラ自体にそういった設定が施されているのでしょうね。管理者権限を持つ人間の生体情報を無尽蔵に 複製出来てしまったら、管理者権限が存在する意義が失われてしまいますからね」

 りんねは腕の内側に付いた注射針の痕を握り、隠した。

「私は自分がつばめさんの代用品であることぐらい、承知しております。私という個人には、何の価値もありません。 この御時世、外見などどうとでもなります。知識はいくらでも詰め込めますが、それがイコールで知性だというわけでは ありません。両親が繁殖行動を行えば、私に近しい遺伝子情報の人間は産み出せます。いえ、その相手が私の 母である意味はどこにもありません。管理者権限は父方の遺伝ですから、母親の血は関係ありませんので、父が 若い女性を見繕って産ませればいいのですから。私はあなたと同じです、伊織さん」

 純然たる商売道具です、とりんねは言葉を締めた。伊織は文句をぶつけてやろうかと口を開いたが、喉の奥から 罵倒も侮蔑も出てこなかった。その通りだからだ。伊織の感情なんて会社の動向には関係なく、伊織の意志なんて 最初から存在せず、伊織に人間らしさなんて誰も求めてはくれない。それが、伊織という商品だ。

「フジワラ製薬の方で、何か動きがあるようですね」

 りんねは分厚いハードカバーの洋書を開き、その間から手のひらに隠れるほど小さなPDAを出した。その画面に は録音された音声ファイルが表示されていて、りんねが液晶画面のボタンを押すと音声が再生された。伊織と羽部 の下らない会話から始まった、フジワラ製薬の作戦についての会話が鮮明な音質で録音されていた。いつのまに、 と驚いたが、伊織は怒る気は起きなかった。この別荘を造ったのは吉岡グループだ、商売敵でもある部下を見張る ために盗聴装置の一つや二つ、仕掛けていてもおかしくはない。むしろ、その方が自然だ。

「じゃ、どーすんだよ? 俺とあのヘビ野郎を殺すのか、あ?」

「いいえ。私は、伊織さんと鏡一さんの会話を耳に入れなかったことにいたします。また、その情報を記憶に留めて いないことにいたします。フジワラ製薬がいかなる手段でつばめさんを奪おうとなさるのかは、後学のためにも是非 とも拝見させて頂きたいのです」

「商売敵を泳がせる理由にしちゃ、弱すぎじゃね? 裏があんだろ、どーせ」

 伊織が訝るが、りんねは表情すら変えずにPDAの電源を落とした。

「御想像にお任せいたします」

 失礼いたします、とりんねは伊織に深々と頭を下げてから、自室に戻るために階段を昇っていった。その頼りない 後ろ姿を見上げていると、腹の底に嫌なものが煮えてくる。以前から薄々感じ取っていた、りんねと伊織は同類だと いう根拠を得たからか、一層熱を増してくる。黒く粘ついたものが内臓を侵食し、神経を逆立ててくる。
 一度、伊織は自分の部屋に戻った。だらしなく惰眠を貪っている羽部を苛立ち紛れに蹴り飛ばしてから、充電器に 突っ込んだままにしてあった携帯電話を取り出した。ホログラフィーモニターを開き、以前、父親が送ってきたメールを 再度開いて文面を確かめる。電話連絡もあったのだが、その後、同じ内容のメールが届いた。まるで携帯電話が普及 し始めた頃のアナログ人間のようで癪に障るが、重要事項なので消去出来なかった。
 準備が整い次第、戦いに来い。場所は羽部に聞け。短い文面には父親の権力と威圧感が漲っているかのようで、 長時間直視出来なかった。けれど、父親から頼りにされているのだと思うと不思議と気持ちが浮き立ってくる。初めて 他人を傷付けて大喜びされた時と同じような、くすぐったい感触が背筋を這い上がってくる。

「おい」

 伊織は羽部を蹴り飛ばすと、羽部は布団の上で一回転した後に床に落ち、渋々目を開けた。

「なんだよう、もう」

「俺は誰を殺せばいい?」

 伊織がメールの文面を羽部に突き付けると、羽部はかったるそうに瞬きした後、頭の下で手を組んだ。

「あのさあ、準備が整い次第、ってあるでしょ? すぐに何をどうこう出来るほど、単純じゃないんだからね? その 準備ってのはこの僕の優れた頭脳による綿密な計算を元にした情報をアソウギに与えてやって、その上でどうにか なるものなんだからさぁ。あーやだやだ、社会経験がない奴ってこれだから。もうちょっと寝かせてよ、この僕はクソ お坊っちゃんと違って二十四時間頭脳労働をしているんだから、ちったあ休ませてくれないと発狂しちゃう」

「黙ってろ、クソヘビが」

 思い通りの答えが返ってこなかったので、伊織は羽部の脇腹を蹴り付けてやった。羽部は呆気なく吹き飛んで壁 に激突するも、痛いとは言わなかった。眠気の方が勝っているのか、壁に激突した格好のまま、薄手の掛け布団に くるまって動かなくなった。その反応もまた苛立ちを誘い、伊織は派手に舌打ちしてから窓を開けた。
 ジーンズのポケットにねじ込んでいた薬袋を引き裂き、シートも破り、生体安定剤を一錠残らず口に放る。それを 水も使わずに飲み下し、D型アミノ酸で作られたゼラチンのカプセルを胃液に浸して溶かしていく。この中身はきっと りんねの血であり、皮膚であり、分泌物であり、髪の毛だ。立場も存在も近しいからこそ憎たらしいあの女を喰った ような気分になれるのは清々しいが、一方で実物を切り裂けもしない自分に腹が立ってくる。
 それはなぜか。五臓六腑に染み渡る少女の味に打ち震えながら、伊織は黒光りする外骨格に包まれていく己の 手を凝視した。それは恐らく、りんねに同情しているからだ。殺したいと願って止まないのは、りんねを通じて自分を 殺したいと思っているからだ。それはなぜか。物心付いた頃から暴力に染まり切っている自分に飽き飽きしている からだ。けれど、暴力を知らない自分は藤原伊織ではない、とも思う。また、人間が理性で忌避している快楽に全身 でどっぷりと浸っている自分が誇らしい、とも思う。そして、暴力は他人に評価されるためには最も確実な手段だと 知っているからだ。だから、伊織は自分とりんねを殺す代わりに他者を殺す。
 ぎちぎちぎち、と軍隊アリが顎を鳴らす。ベランダからはみ出した体躯を縮めて触角を左右に揺らし、空気の流れ に混じる人の匂いを絡め取る。古臭い排気ガスの匂いが濁った刺激をもたらしてくる。敢えて古い動力機関の車に 載って爆音を轟かせるのを好む人種は少なくない、そういった連中が賢かった試しもない。
 ベランダの柵に爪痕を残して踏み切った怪物は、ぬるりとした夜気に身を躍らせる。生体安定剤は何も人間体に だけを安定させるものではない、怪人体も安定させてくれる。だからこそ、生体安定剤なのだ。一息に別荘の敷地を 脱した伊織は、カーブのきつい道路に着地した。汚らしい爆音と煤けた排気ガスを辿り、ブレーキ痕を辿っていくと、 大人数が乗れるSUVがアイドリングしていた。ヘッドライトを煌々と灯したまま、カーブの隅に停車している。

「ホントにここでいいの? てか、道に迷ったっぽくない?」

 化粧臭い女が、脳天から出したような甲高い声で喋る。

「でも、ここ以外の道はなくね? 引き返したら余計に迷いそうじゃね?」

 整髪料の匂いがどぎつい男が、へらへらと笑っている。

「いっそ引き返すか? でも、ここまで実況しちゃったしなー、心霊スポットに来たーって」

 SNSの投稿画面をホログラフィーモニターに表示させた携帯電話をいじりながら、別の男が喋る。

「そんなん、別にどうにでもなるし。だってこの辺、GPSが通じないんだろ? で、衛星写真も撮れねーっつーから、 謎の廃村扱いされてんじゃん。適当にやべーやべーって言っておけば、ちょっとは盛り上がんじゃね?」

 SUVの運転席に座っている男が、退屈そうにハンドルにもたれかかっている。

「でもさでもさー、途中に寺あったじゃん、寺。そこの墓場の写真とか撮って加工してアップすれば、少しはマジっぽく なるんじゃないの? そしたらネタ扱いされなくて済むし?」

 助手席のドアにもたれている女がデジタルカメラを取り出し、いじっている。音もなく杉の太い枝に飛び移った伊織 は、複眼を凝らして若い男女グループを眺め回した。大方、船島集落が心霊スポットとしてウェブサイトかSNS辺り に取り上げられたのだろう。船島集落近辺で市販の携帯電話のGPSが機能しなくなるのも、ウェブ上の地図で衛星 写真が撮影されていないのも、全て吉岡グループが手を回しているからだ。

「ねえねえ、途中に別荘とかあったよね? そこに行ってみる? でさ、探険してみようよ!」

「でも、あそこって廃墟じゃないっぽくない? 車とか停まってたし、人型重機も置いてあったっぽいから、ヤクザの だったりするんじゃない? 近付かない方が良いよ、絶対」

 化粧臭い女の提案に、もう一人の女が意見してきた。だが、他の男共は急に乗り気になり、そこまで引き返そうと 言い始めた。男共の匂いにどぎつさが加わった。りんねの別荘が廃墟だと頭から決め付けているばかりか、無料の ホテル代わりにして一夜を楽しもうと考えたに違いない。もう一人の女はしきりに他の面々を止めようとしているが、 ノリ悪ぅーい、と言われて渋々SUVに乗り込んだ。
 さあ、お楽しみの時間だ。伊織は顎を大きく開いて笑みのような表情を作り、枝を踏み切った。エンジンを蒸かして 発進したばかりのSUVの前に着地すると、ヘッドライトに浮かび上がった伊織を見た途端に車中の全員が絶叫する。 けれど、皆、恐怖を感じる前に喜んでいた。待ちに待った心霊現象が始まったからだ。

「何これ何これ、ヤバーい!」

 デジタルカメラを持った女が率先して伊織を撮影し始める。助手席の窓から首を出してファインダーを覗き込んだ 無防備な女に、大鎌の如き爪を振り下ろす。呆気ない手応えの後に首が跳ね飛び、宙を舞う。期待に満ちた顔が 歪んだのは、アスファルトに激突した頭蓋骨が割れた瞬間だった。
 男女は凄まじい絶叫を上げ、首を失って弛緩した助手席の女を遠のけようとする。それ幸いと、伊織は絶命した ばかりの女を助手席から引き摺り出して切断面に喰らい付いて、死した瞬間から腐敗が始まった体液を嚥下する。 味がする。鉄と蛋白質と塩分の味が舌に絡み付き、生温い温度が胃袋に広がっていく。
 感じ慣れた味、いつもの味、おいしい鉄の味、懐かしささえある死人の味。それをひとしきり味わってから、伊織は 怪獣のように吼える運転席の男の胴体を三本の爪で貫くと、肋骨を折り、心臓を抉り出して口に放り込んだ。筋肉 の噛み心地は心地良く、すぐに噛み千切るのが勿体ないと思った。後部座席に収まっている二人の男と一人の 女は醜悪に泣き叫んで、車が揺れるほど暴れている。伊織は高揚感に任せて笑いながら、運転席と助手席のシート を乗り越えて顎を開き、その間に女の首を挟んで切断した。赤い噴水が上がり、雨も降ってくる。反応を楽しむため に男を一人だけ殺し、最後の一人は足を折ってその辺りに放り投げた。もっとも、怯えられるのに飽き飽きしたら、 すぐに殺して胃袋の中に収めてしまうのだが。
 殺したての死体を道路に引き摺り出し、生き残った最後の一人に命乞い混じりの罵倒をされながら、伊織は久々に まともな食事に有り付いた。ずっとずっとそうだった。気付いた頃からそうだった。伊織に与えられてきたのは血と 肉と悲鳴と暴力だ。ごきゅごきゅと骨を噛み砕きながら、愉悦に浸った。
 ああ、美味しい。




 翌朝。コジロウと連れ立って、つばめは登校していた。
 だが、その途中で足を止めた。コジロウに対して何が引っ掛かっていたのかということを、思い出したからだ。立ち 止まった主を追い越しそうになったコジロウは足を止め、つばめを見下ろしてきた。初夏の朝日は朝露に潤う草木 に鮮やかな光を与え、二人の長さの違う影を作り出していた。手入れもされていなければ人通りもないために雑草 が伸び放題の畦道ではちりちりと虫が鳴き、山間では野鳥が朝を告げている。

「思い出した」

 つばめはコジロウに詰め寄り、指差した。

「どうしてタイスウのこと、教えてくれなかったの!」

「タイスウがつばめを保護するように設定を施したのは本官ではない。よって、本官の関知するところではない」

 コジロウは相変わらずの無表情のまま、無責任なことを言った。つばめは指を下げ、むくれる。

「だからって、何も言わないで行っちゃうことないじゃんかー。おかげでひどい目に遭ったんだから」

「ひどい目、とは」

 コジロウに聞き返され、つばめは待ってましたと言わんばかりに捲し立てた。

「そりゃひどい目って言ったら、ひどい目だよ! 朝起きたら棺桶みたいな箱に閉じ込められちゃうし、蓋の開け方を 知らなかったからトイレにも行けなかったし、そのまま軽トラの荷台に括り付けられて無理矢理社会科見学に連れ 出されちゃうし、帰り道は帰り道でトンネルに罠が仕掛けてあったみたいで閉じ込められちゃうし、先生が箱を砲弾 代わりにして落盤した岩をぶち抜いてくれたおかげで外に出ることは出たんだけど、体中が痛いしで!」

「それらを総称し、ひどい目、というのか」

「そうだよ!」

 つばめが意味もなく拳を固めると、コジロウは少し考えた後に返した。

「ならば、本官もそれに相当する経験を経ている」

「え? そうなの?」

 つばめが首を傾げると、コジロウは羅列した。

「政府管理下の整備施設にて整備作業を終了し、船島集落へと本官を移送する際、外部からインフラをハッキング されて整備工場が爆破された。寸でのところで本官を搭載し、発進したトレーラーが奇襲攻撃を受けた。あらかじめ 陽動として配備されていたトレーラーを走行させたがことごとく看破され、陽動のトレーラーは全て破壊された。その 際、政府関係者は十八名、民間人は十七名、うち十五名が死亡、十二名が重体、八名が重軽傷を負った」

「え」

 そんな話、聞かされてもいない。つばめは言葉を失ったが、コジロウは続ける。

「吉岡グループを始めとした企業、団体が狙うのはつばめだけではない。遺産の一つである本官もまた、その標的 の一つであると断定されている。よって、本官とつばめを引き離せば、本官を狙う人間が暗躍することは十二分に 予測出来た事態だ。よって、本官はつばめに整備作業の同行と指示を乞うべきだった。本官とつばめが行動を共に していれば、陽動作戦の失敗によって発生した被害が軽減されたのではないか、と……」

「それ、全部、私のせい?」

 よろけかけたつばめに、コジロウは真新しい外装の手を差し伸べ、支える。

「それは違う。つばめの意志と行動が関与する事例ではない。遺産を巡る争いを始めた者達に全ての責はある」

「でも……」

 少し泣きそうになったつばめに、コジロウは膝を曲げて目線を合わせてきた。

「よって、つばめ。今後は本官と離別するべきではない。たとえ短期間であろうとも、危険が及ぶ可能性が高い」

「うん、そうだね」

 コジロウと向き合い、つばめは目元を拭ってから顔を上げた。

「じゃ、まずは学校に行こうか。自分のやるべきことをやってから、色んなことを考えよう」

「それが賢明だ」

 コジロウは膝を伸ばし、つばめの後ろに下がった。だが、つばめはコジロウと隣り合い、顔を背けながらその右手 の指を二本掴んだ。コジロウは戸惑ったように僅かに体に制動を掛けたが、つばめの意志を尊重してくれた。彼の 手の冷たさを味わいながら、つばめは唇を結んで前を見据えた。緩やかな坂道の先には、こぢんまりとした分校が 二人を待ち構えている。この景色もいつ壊されるか解らないのだ、と痛感する。
 だから、何が起きていようとも立ち止まるわけにはいかない。遺産を巡る争いでどれほどの犠牲が出たとしても、 それはつばめとコジロウに注がれる敵意と欲望を和らげる緩衝材にはならない。むしろ、無差別に犠牲者を出して こちらを脅しに掛かってくるだろう。心が痛もうと、辛かろうと、悲しかろうと、そんなものは現実から逃げ出す言い訳 にすらならない。今までもそうやって踏ん張ってきた、だから、これからも踏ん張って進んでいこう。
 愛すべき警官ロボット、コジロウを守るためにも。





 


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