機動駐在コジロウ




一寸先はダークサイド



 船島集落から山一つ越えた場所に佇む、ログハウス調の別荘。
 その表札には、吉岡グループの名が仰々しく刻まれていた。雪国仕様の三階建てで一階部分は駐車場兼作業場 になっており、隅に汚れた残雪が寄せ集められている庭には、やはり吉岡グループの名が印された大型トレーラー が収まっていた。この別荘を建てるためだけに森を切り開いて作った道の前後には警備用ロボットが十数体も配置 され、赤外線センサーで辺りを窺っていた。雪が傾斜で滑り落ちるように設計されている屋根の端からは、暖炉が 付いていることを示す煙突が伸びていて、バルコニーが備え付けられているリビングには明かりが点っていた。
 最新家電と調理器具が揃ったダイニングキッチンと併設した三十帖のリビングは天井が吹き抜けになっていて、 その隅にあるレンガ組みの大きな暖炉の中では、薪が火の粉を弾けさせながら燃えていた。リビングに揃っている 者達を見渡してから、吉岡りんねは一人用のソファーに腰掛けると膝の上で手を重ねた。青年は気怠げに背中を 丸めてあらぬ方向を見つめていて、大柄な男は拳銃を組み立て直していて、矮躯の男は細々とした機械部品を 黙々といじくり回していて、りんねの隣に控えているメイド服の女性は笑顔を絶やさなかった。

「皆さん。今しばらく、ご静聴願えますでしょうか」

 りんねが切り出すと、皆、りんねに注意を向けた。りんねは彼らと一人ずつ目を合わせてから、話す。

「私達がこうして集まっている理由も、目的も、存じておられますね?」

「はぁーいんっ」

 メイド服の女性、設楽道子は挙手して快活に答える。実用性重視のブリティッシュメイド形式のメイド服に包まれた 体は、身長こそ女性の平均的な体格だが、重量感すらある胸がエプロンを押し上げていた。長い黒髪は三つ編み にして後頭部でくるりとまとめてあり、金色のバレッタが光っていた。目は大きめでやや丸顔ながら、美人だと言える 条件を充分に備えていた。道子は両手を顔の横で重ね、弾むように喋る。

「私達はぁーん、御嬢様と御一緒にあの小娘の命と財産を狙う悪の組織みたいなものですぅーんっ」

「人聞きの悪いことを言うんじゃねぇ。大体、俺達は仕事でやっているんだ。なあ、お嬢」

 大柄であり凶相の男、武蔵野巌雄がりんねに向いた。骨格が太く筋肉質の体を覆っているのは、不釣り合いにも 思える上等なスーツだった。角張った顔付きによく似合う色の濃いサングラスを掛けていることもあって、威圧感は 相当なものでヤクザの筋者にしか見えない様相だった。りんねは、武蔵野を一瞥する。

「その通りです、巌雄さん。ですから、効率の面でも、経費の面でも、荒事を起こす前に穏便に事を解決すべきだと 判断して、通夜の段階からつばめさんに接触して遺産の譲渡をお願いいたしましたが、ご承諾頂けませんでした。 なので、あのドライブインで戦闘に及んだのは致し方なかったのです。ああでもしなければ、つばめさんは御自分の 立場を理解すらなさらなかったでしょうから」

「そりゃそうだろ。お嬢みてぇな理屈っぽいのにぐちゃぐちゃ言われちゃ、超ウゼェし」

 まだらな金髪と長い手足が目立つ青年、藤原伊織が毒突いた。軍隊アリに似た怪人体から人間体に戻っており、 だらしなくパーカーとジーンズを着込んでいた。伊織から離れた位置にうずくまっている矮躯の男、高守信和は擦り 切れた作業着を着ていた。だが、身長がりんねよりも低く手足も寸詰まったように短いので、両手足の裾を幾重にも 折り返している。しかし、頭部と胴体はそれに反して丸っこく、ベルトもほとんど余っていないので、起き上がりこぼし 人形のような印象を受ける。高守は小さな目でりんねを窺うと、喉の奥から小さく声を漏らした。

「……ん」

「あぁーいっけないんですよぉーん、私達の雇い主にそぉんな口効いちゃあーん」

 道子がにこにこしながら伊織を指差すと、伊織は口元を歪める。

「雇い主っつったって、スポンサーってだけだろ。てか、俺らって、全員所属は違ぇーし? つか、お嬢の親父に勝手に 引っこ抜かれたつーだけで、俺は元々吉岡グループの味方でもなんでもねーし?」

「それは俺もだ。だが、名義の上じゃ俺らのリーダーはお嬢だ」

 分解したオートマチックの銃身を上げて武蔵野がりんねを示すと、りんねは深々と頭を下げる。

「若輩者ではありますが、何卒よろしくお願いいたします」

「俺はそんなん納得しちゃいねーし、てか理解出来るかっつの。アホくせ」

 伊織が苛立たしげにつま先で床を叩くと、りんねは伊織を一瞥した。

「ですが、伊織さん。佐々木つばめさんの身柄と財産を奪取する、ということが、私達の共通の目的であることには なんら変わりありません。私達が共同戦線を敷いたのも、あちら側の戦力に対抗するためであって、馴れ合うため ではありません。伊織さんに納得して頂く必要もなければ理解して頂く理由もありませんが、私達が手を組む上では 多少の上下関係が必要だと判断したので、私があなた方のまとめ役を務めさせて頂くこととなったのです。あなた方 がどれほど優れた能力の持ち主であろうと、使いどころを誤れば何の意味もありません。それどころか、今や無敵 の財力とボディーガードを得た佐々木つばめさんにやり返された挙げ句、あなた方の母体組織すらも買収されて、 佐々木つばめさんの傘下に収められてしまうかもしれません。そうなれば、戦う前に終わってしまいます」

「馬鹿言え。相手はただの中学生だぞ、お嬢と違ってな」

 武蔵野が一笑すると、りんねは冷ややかに返した。

「何も違いはありませんよ、巌雄さん。私の背後には御父様と吉岡グループが控えておりますが、つばめさんの傍ら にはあのロボットと無限の財力が控えております。要は、それをどう使うかなのです」

「金に溺れさせてぇーん、さくっと破滅させればいいんじゃないですかぁーん?」

 んふーん、と道子が小首を傾げたが、りんねは意に介さなかった。

「そのような小手先の手段が通じるとお思いですか? つばめさんを養育なさっていた御家庭は、それはそれは腕の 立つ弁護士一家なのです。となれば、安易な大金を得て破滅した人間の話や、借金まみれで自殺寸前に陥った 人間の話を寝物語に聞いて育ったと考えておくべきです。それでなくとも、最近の子供はリアリストですから、目先の 金に溺れるような素直さは持ち合わせていないと踏まえておくべきでしょう」

「お嬢、それ、買い被りすぎじゃね?」

 伊織が可笑しげに肩を揺すると、りんねはきつい眼差しで伊織を見下ろした。

「敵を見くびって判断を見誤るよりは余程良いと思いますが、伊織さん?」

「そうですよぉーん、伊織さぁーん。丸腰のガキ一人なんて確実にヤれるーとか調子ぶっこいてぇーん、いの一番に 突っ掛かっていったくせにぃ、回し蹴り一発で吹っ飛ばされちゃったじゃないですかぁーん。やだもう最低ぇーん!」

 道子が嘲笑すると、伊織は腰を上げた。

「んだと、この脳みそ女!」

「お静かに。まだ話は終わっておりません」

 りんねがやや語気を強めると、道子はちょっと物足りなさそうだったが引き下がり、伊織は忌々しげだったが腰を 下ろした。りんねは今一度彼らを見回してから、深く息を吸った後に話を再開した。

「ですから私達は、効率良く、確実に、つばめさんを攻めていきましょう。各々の得意分野と能力は異なりますので、 それを存分に生かしながら、全てを奪い取るのです」

「おお、おっかねぇ。だが、派手な手段は嫌いじゃないぜ」

 武蔵野がにたりとすると、道子は両手を組んで身をくねらせる。

「いやぁーん全てだなんてぇ、御嬢様ったら過激ぃーん! でもそれが素敵ぃーん!」

「てか、やっぱり殺すのはダメなん?」

 伊織が残念がると、高守がぎこちなく頷いた。

「ん」

「逆に言えば、つばめさんを殺しさえしなければ何をしてもいいということですよ、伊織さん」

 りんねが目を細めると、伊織は肩を揺すって笑みを零す。

「手足切り落としたって構わねぇってか、っひゃっひゃひゃひゃ!」

「だったら御嬢様ぁ、次は私に行かせて下さいなぁーん!」

 目を輝かせながら道子がりんねに詰め寄ると、武蔵野が片眉を吊り上げた。

「いや、俺だ。敵が俺達を見くびっている隙を衝いて攻め落とす」

「……む」

 高守が丸く小さい手をおずおずと挙げると、伊織が彼を押し退けて立ち上がる。

「いいや今度こそ俺だ、メスガキがあの木偶の坊を使いこなす前だったらどうにでもならぁな!」

「今夜中に、誰がつばめさんを襲撃するかを決める方法を決めてまいります。それまで、どうか大人しくなさっていて 下さい。下手に暴れ回られると、必要経費が嵩んでしまうのです」

 りんねが皆を見渡すと、伊織が変な顔をした。

「決めるための方法を決めるって……なんかおかしくね?」

「あなた方全員の生殺与奪、つばめさんの生殺与奪、そして私自身の生殺与奪の決定権を得ているのが、リーダー であるこの私なのです。よって、全てに置いて決定権を得ているのが私なのです。それをお忘れなく」

 ソファーから腰を上げたりんねは、再度深々と頭を下げた。

「では皆様、お休みなさいませ。私はこれから入浴した後、就寝いたします。また明日、お会いしましょう」

 そう言い残してから、りんねは装飾が多い螺旋階段を昇っていった。お待ち下さいませぇ御嬢様ぁんっ、お手伝い いたしますぅーんっ、と道子がその後を追い掛けていった。

「で、俺らはどこで寝るんだよ」

 伊織がだだっ広いだけのリビングを見渡すと、武蔵野は分解した拳銃の整備作業に戻った。

「知らん」

「……ぬ」

 気まずげに顔を逸らした高守も、それまでいじくり回していた機械部品を掻き集め、逃げるようにリビングを去って いった。伊織は仕方なく手近なソファーに座り直したが、落ち着かず、武蔵野の大きな背に声を掛けた。

「なー、おっさん」

「無駄に話し掛けるな。お前らと馴れ合うのは仕事の内に入っていない」

 武蔵野が荒々しく言い捨てるが、伊織は構わずに喋り続ける。

「晩飯、死ぬほど不味かった気がしねぇ?」

 伊織のストレートな言葉に、武蔵野はぎくりと厳つい肩を竦めた。ドライブインでの戦闘後、当面の活動拠点となる 別荘に引き上げた。その後、メイドの道子が作った夕食が振る舞われた。肉厚のハンバーグをメインにしたコースで、 前菜、スープ、肉料理、デザートと出されたのだが、どれもこれも見た目は完璧なのだが味がひどかった。

「だが、お嬢は普通に喰っていたぞ」

 俺の味覚だけが変なのかと思った、と口の中で呟いてから、武蔵野は返した。

「だぁーろぉー? ハンバーグなのにゲロ甘って有り得なさすぎだし、てか異常すぎだし。腹が減ってたから胃の中に 詰め込んだけどさ、そうじゃなかったら即リバースみたいな?」

 伊織が盛大にぼやくと、武蔵野は嘆息した。

「デミグラスソースだと思ったらチョレートソースだったんだよな……。あれなら俺が作った方がまだマシってもんだ」

「にしたって有り得るかよ、あの味。あーやだやだ、明日の朝飯もあんなんだなんてマジヤベェー」

「食事は士気に直結しているってぇのになぁ」

 武蔵野が伊織に同調すると、伊織は武蔵野を指した。

「んじゃ、明日っからおっさんが作りゃいいし。それで解決しねぇ?」

「生憎だが、俺の労働契約書には家事全般は含まれちゃいないんだよ」

「はぁ?」

 伊織が聞き返すと、武蔵野は組み立て直したオートマチックの拳銃を握り、異常がないかを確かめる。

「俺の仕事はお嬢の身辺警護と佐々木つばめの襲撃しかしねぇ、ってこった。無駄なことをしたくはねぇんだよ」

「あー……そう言われてみりゃあ……」

 伊織も自分の労働契約書の内容を思い出して、納得した。そういえば、この一味に加わる前に書いた書類には、 吉岡りんねの身辺警護と佐々木つばめに襲撃を行うことで賃金が発生する、とあった。となれば、食材への冒涜の ような不味い料理をそれなりに食べられるものに作り直したとしても、労働に対する対価は発生しないということだ。 不味い料理に辟易した伊織や武蔵野が台所に立って料理をしたとしても、家事をしたことで発生する賃金は、全て 設楽道子のものになる。彼女の場合は、戦闘員であると同時にメイドとして労働契約を交わしているはずだからだ。 そう考えると、これほどまでに無駄なことはない。

「ま、どーでもいいか。てか、俺も味覚はそんなにねぇし」

 だから、味にこだわる理由もない。伊織が諦観すると、武蔵野も独り言のように漏らした。

「まともに喰えりゃそれでいい」

 互いが黙ると、リビングは静まり返った。二階の浴室でりんねが浴びているであろうシャワーの水音と、メイドらしく りんねに甲斐甲斐しく世話を焼く道子のブリッコ声が別荘全体に響いている以外は、耳に付いてこなかった。夜風に 揺さぶられる木々の葉音や警備用ロボットの駆動音も聞こえなくはないのだが、それ以外には何もない。窓の外は 墨をぶちまけたように暗く、別荘以外の建物は一切ない。生まれも育ちも都会の伊織は、落ち着かなくなってきた。 こんなにも静かすぎると、逆に神経がざわついてくる。先程満たしきれなかった衝動が燻ってくる。

「うっだぁーあああっ!」

 奇声を上げて跳ね起きた伊織を、武蔵野は鬱陶しげに見やった。

「なんだ、いきなり」

「っだぁーもう落ち着かねぇ!」

「暴れるなら外へ行け。俺は関わらんぞ」

「てめぇみてぇなクソ人間が、この俺の相手なんか出来るわけねぇだろ!」

 伊織はそう叫ぶや否や、ベランダに面した窓を開け放った。肉の薄い背中が膨張し、色褪せたTシャツが破れて 外骨格が迫り出してくる。顔が変形して複眼が現れ、一対のノコギリじみたアギトが生え、手足が更に伸びて凶悪な 爪を帯び、脇腹からはもう一対の足が伸びた。二.五メートル程度の異形へと変化した伊織は、黒光りする外骨格 に貼り付いている細切れのTシャツとジーンズを放り捨てると、ベランダの手すりに飛び乗り、力を溜める。

「殺しきれなかったんだよ、殺し足りねぇんだよっ!」

 直後、伊織は黒い矢となって夜空に上昇していった。が、屋根を越えるかと思われた瞬間に、二階のベランダから 跳躍してきた道子によって捕獲された。笑顔を全く崩さない道子は、伊織にラリアットを加えながら二階のベランダ に舞い戻った。そのまま首を極めて伊織を引き摺っていき、脱衣所のドアを開け放った。

「御嬢様ぁーんっ、伊織さんが余計なことをなさりそうになりましたぁーんっ!」

 シャンプーとリンスの甘い香りが混じった湯気を触角で感じ取った伊織が複眼を上げると、そこにはバスローブを 着た濡れ髪のりんねが立っていた。湯気で若干曇り気味のメガネを掛けてから、水気を含んだ長い黒髪をタオルで まとめた後、恐ろしい腕力で伊織を拘束している道子に近付いてきた。

「ありがとうございます、道子さん。では、罰を与えないとなりませんね」

「はぁーいんっ、ではではぁっ」

 道子は伊織を床に放り投げると、スカートを持ち上げながら後退した。

「お嬢、てめぇがこの俺に罰なんか……」

 と、伊織は丸腰のりんねに襲い掛かろうとしたが、りんねは香水瓶を構えて吹き付けてきた。その細かな水の 飛沫が触角を濡らした途端、伊織の戦闘衝動が削げ、猛烈な脱力感に苛まれた。六本の足を踏ん張って意地で 起き上がった伊織は、顎をぎちぎちと鳴らしながらりんねを睨み付ける。

「てんめぇえええええっ……」

「伊織さんを改造なさった方々から頂いたもので、昆虫の鎮静と麻痺作用を含んだフェロモンだそうです。その効果が 切れるまでは五六時間ありますので、その間に頭を冷やして下さい。参りましょう、道子さん」

 りんねは伊織の傍を通り過ぎると、道子もそれに続いた。

「はぁーいんっ、御嬢様の仰せのままにぃーんっ」

 次第にぼやけていく複眼で力一杯りんねを睨み付けながら、伊織は顎を最大限に開いて胸郭を震わせて罵声を 放ったが、その語気に力はなかった。ワックスの効いた廊下に突き立てていた爪も全て抜け、俯せになると、腹部を 上下させて喘いだ。だが、フェロモンに抗うことなど不可能だった。だから、あの女は嫌いだ。佐々木つばめの身柄を 奪い去った後、真っ先に吉岡りんねの首を跳ね飛ばしてやる。そして、その暁には。
 暴力と殺戮の快楽に浸ってやる。





 


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