機動駐在コジロウ




一寸先はダークサイド



 人心地ついたのは、湯上がりのビールを飲んでからだった。
 美野里は生乾きの髪にタオルを被せ、リビングのソファーで胡座を掻いた。大型液晶テレビのリモコンを取って、 チャンネルを回してみるが、これといって興味を引くような番組は見当たらなかった。最近のドラマに面白味は感じ ないし、元々バラエティ番組を好んではいないし、かといって辛気くさいドキュメンタリーや堅苦しい報道番組を見る ような気分でもない。だからといって、ブルーレイレコーダーに撮り溜めてある映画を見るような余裕もなく、美野里は 色々と持て余した気持ちになりながらビールをもう一口啜った。

「あの子、どうしてるかなぁ」

 リビングテーブルに手を伸ばし、酒の肴に持ってきたチーズ載せクラッカーを囓った。あの寂れたドライブインでの 戦闘の後、美野里は政府関係者によって強引に移送された。どこからともなく飛んできたヘリコプターに乗せられ、 あれよあれよという間に都内に戻されて車に乗せられ、書類の束を渡された後、両親が経営している弁護士事務所 の前に放り出された。呆然としながらもその書類を見てみると、佐々木つばめと関わらないと約束するならそれ相応の 対価を支払う、という内容だった。それが何を意味しているかなど、考えるまでもない。

「とことんあの子を追い詰めて身も心も痛め付けて、弱った瞬間に何もかも毟り取ろうって腹ね」

 塩気の効いたチーズとクラッカーで乾いた喉にビールを流し込み、炭酸混じりのため息を吐く。

「じょおーだんっじゃないっ!」

 唐突に美野里が叫んだので、キッチンで朝食の仕込みをしていた母親の景子が驚いて駆け寄ってきた。

「な、何よ、美野里ちゃん?」

「つばめちゃんのことに決まってんじゃない! なんであの子があんな目に遭わなきゃならないのよ!」

 疲労と苛立ちでいつも以上に酔いが早く回った美野里は、勢い良く立ち上がり、母親に詰め寄る。

「なんでって、そりゃ……私達は納得ずくだからよ」

 景子は柔和な表情を崩さずに、美野里を宥めてきた。

「いいこと、美野里ちゃん。つばめちゃんが来てくれなかったら、お父さんの事務所も今みたいに大きく出来なかった のは間違いないし、この家だって建たなかったのかもしれないのよ」

「あの子をうちで育てていたのって、全部お金のためだったの!?」

 美野里が語気を荒げると、景子はやや目を逸らす。

「あなたも弁護士の仕事をしているんだから解っているでしょうけど、世の中、綺麗事だけじゃやっていけないのよ。 でもね、これだけは勘違いしないでほしい。つばめちゃんのことはあなたと同じぐらいに愛しているし、本当の娘だと 思っているわ。けれど、長光さんの遺言があったから……」

「あの遺言の中身、お父さんとお母さんは知っていたの? なのに、公開したっていうの?」

「長光さんとは生前からお付き合いがあったから、薄々は。遺言があるってことは長光さんの子供さん達には既に 知られていたから公開しないわけにもいかなかったし、公開しなければ私達の身が危うかったのかもしれないのよ。 昼間のことで解ったでしょう、吉岡さん達は手加減もしなければ遠慮もしない方々なのよ。そりゃ、つばめちゃんが 危ない目に遭うのはとても辛いし、可哀想だけど、あの子にはあのロボットが付いているから大丈夫よ」

「どれだけ凄くても、ロボットはロボットよ!」

「あのロボットの性能は、美野里ちゃんだってよく知っているでしょう? だから、後のことはあのロボットに任せて しまえばいいのよ。寂しいし、切ないことではあるけど、私達はつばめちゃんがいなかったことにして暮らしていくのが 一番安全なのよ。私もお父さんもね、この家と美野里ちゃんを守りたいのよ。解ってちょうだい」

「だからって……」

 美野里は目元を手で覆うと、唇を噛んだ。母親の気持ちもよく解る。吉岡グループの権力も同然の財力を味方に 付けている吉岡りんねがとんでもない少女だということも、身に染みて理解している。その部下である面々が常人で ないことも、政府が渡してきた書類の内容で把握している。だから、備前家でつばめを引き取らなかったことにして しまえば、何もかもが上手くいく。口封じのために政府からも補償されるだろう、吉岡グループも何かしらの手を回して くるだろう、少なくとも昼間のような常識外れのトラブルには巻き込まれずに済むだろう。だが、しかし。
 美野里は二階の自室に戻ろうとしたが、思い直してつばめの部屋に入ってみた。佐々木長光の葬儀に出るため に出かける支度をした時のままで、つばめの私物がそこかしこに残っていた。中学生二年生の女の子らしい趣味の 水玉模様のベッドカバーが掛かったベッドに腰掛け、脱力感に苛まれた体を横たえた。天井にも壁にもポスターの類 は貼っていないのですっきりしていて、整理整頓が行き届いている。余所者だからだ、と思っていたからだろう。

「そんなこと、ないのに」

 美野里の弱い呟きは、白い天井に吸い込まれて消えた。つばめが備前家にやってきたのは、美野里が十五歳の 初夏の日のことだった。一学期の中間テストが近いので午後の授業も部活もなかったので、昼をまたいで友人達と お喋りに興じた後に帰宅すると、赤ん坊の泣き声が聞こえた。乳児を連れて知り合いでも尋ねてきたのだろうか、と そっとリビングを窺うと、母親がピンク色の産着を着た赤ん坊を抱えていた。その子はどこの子、と美野里が母親に 尋ねると、母親は少し嬉しそうに笑った。つばめちゃんっていうのよ、今日からうちの子になるのよ、と。物珍しさも 手伝って美野里が赤ん坊を覗き込むと、笑い返してくれた。途端に、美野里の胸中に熱いものが湧いた。
 その日から、美野里には十五歳年下の妹が出来た。赤ん坊が両親の関心を奪ったことによる妬ましさを感じない こともなかったが、それ以上につばめが可愛くて可愛くて仕方なかった。一人っ子なので、兄弟に憧れを抱いていた こともあり、お姉ちゃんになれたのがとても嬉しかった。だから、美野里はつばめとは対等に接してきた。姉としての 立場を弁え、ケンカする時は全力でケンカして、遊ぶ時は全力で遊んで、実子と養子の間に差を付けないようにして きた。両親もつばめを大事に育ててきたが、それは金蔓で借り物だったからなのか。

「どうすりゃいいのよ、これから」

 政府から押し付けられた書類一式に署名捺印して返したら、二度とつばめに会う機会はなくなる。それどころか、 つばめが家族だったという証拠さえ揉み消されてしまう。そうなってしまったら、つばめは正真正銘天涯孤独になる。 十四歳なんてまだまだ幼い、周囲の大人から支えられてやっと独り立ち出来るかどうかという年齢だ。それなのに、 莫大な遺産を継ぐ羽目になり、醜悪な欲望の渦中に放り込まれてしまった。

「ロボットなんかに守れるもんか」

 物理的には守れるだろうが、本当の意味でつばめを守ることなんて出来ない。美野里は歯痒さを紛らわすため、 力一杯枕を抱き締めた。確かにあのロボットは有能だ。五年ほど前、父親に連れられて船島集落に赴いた際に 佐々木長光と連れ立って現れたのが、つばめにコジロウという名を与えられた警官ロボットだった。あの頃は長光 が管理者権限を有していたので、名前は違っていた。美野里の記憶が確かなら、ムリョウと呼ばれていたはずだ。 彼は長光の指示を受けて甲斐甲斐しく働いていて、長光以外の住民が退去したことで荒れていた集落全体の田畑を たった一体で耕したり、薪割りをしたり、買い出しに行ったり、と雑用をこなしていた。長光本人は善良な老人で、 美野里と父親を暖かく出迎えてくれた。日当たりのいい縁側で茶を酌み交わしていると、つばめがどうしているか、と 長光が尋ねてきたので、元気に暮らしています、と美野里が答えると長光は、それならいいんだ、と言った。
 長光がつばめを佐々木家から引き離したのは、こういった仰々しい揉め事から遠ざけるためではなかったのか。 美野里が長光であれば、そういう判断を下す。つばめの両親はどちらも行方知れずになっているのだから尚更だ。 真っ当な家庭に引き取られて健やかに育ってくれ、と願うだろう。だとすれば、遺言など開くべきではなかったのだ。 それなのに、美野里はろくに考えもせずにあの遺言書を開いてしまった。その結果がこれだ。

「私、お姉ちゃんなんかじゃない」

 ただの頭の悪い女だ。美野里は髪がぐちゃぐちゃになるのも構わずに、体を丸めて頭を抱えた。どうすれば、妹を 守ってやれるだろうか。救い出せはしなくても、支えてやれるだろうか。いい考えがちっとも浮かんでこない。
 美野里は自室には戻らずに、そのままつばめの部屋で寝入った。上っ面だけの関係なんて嫌だ。本物の姉妹に なれたと思っていたのが自分だけだとしたら、滑稽にも程がある。己の無力さと弱さを嫌になるほど味わいながら、 美野里は泥のように眠った。混濁した記憶がランダムに繋ぎ合わされて出来上がった夢は、最悪だった。
 どう動くことが、最善なのだろうか。




 どうしても寝付けなかった。
 つばめは布団の中で何度も寝返りを打ったが、目を開け、太い梁が横たわった暗い天井を見つめた。一乗寺が 学校に戻った後、冷蔵庫の中身で在り合わせの夕食を摂り、風呂を沸かして入り、コジロウに押し入れから布団を 出してもらって和間に敷いて眠ることにしたのだが、いつまでたっても神経が凪いでくれなかった。
 何百回目かも解らないため息を吐いて、つばめは起き上がった。寝間着代わりにジャージを着ていたが、やけに 冷え込むので、布団と一緒に出してもらった厚手の綿入れ半纏を羽織った。眠くなるまで気を紛らわそうとテレビが 置いてある客間に行こうとふすまを開けると、暗闇に赤い瞳のロボットが立っていたので、つばめは心底驚いた。

「ひぃ!?」

「マスター、驚愕には値しない。本官だ」

 無論、コジロウだった。つばめは二三歩後退ってから、深呼吸して落ち着きを取り戻した。

「……うん、知ってる。でも、まだ慣れていないだけ」

「マスター、本官に所用でもあるのか」

「ううん、別に。寝付けないの」

 素足で板敷きの廊下を歩くと寒いので、つばめはショルダーバッグの中から靴下を取り出して履いてから、改めて 和間から出た。昔の農家なので部屋がやたらに広く、つばめが寝ていた部屋も二十畳はある。なので、廊下もそれ に応じて長かった。おまけに明かりが付いていないので、コジロウがLEDで弱く灯している両耳のパトライトと赤い瞳 だけが光源だった。使い込んであるので滑りがいい廊下を歩いていき、ふすまを開いたが、そこは客間ではなく別の 部屋だった。もう少し歩いてから別のふすまを開くが、またしても別の部屋だった。

「ねえ、コジロウ。客間ってどこ?」

「客間は更に二つ先の部屋だ、マスター」

 コジロウが廊下の奥を指し示したので、つばめは寒さで体を縮めながら進んだ。二つ先の部屋のふすまを開ける と今度こそ目当ての客間で、茶箪笥の上に小さめの液晶テレビが鎮座していた。だが、何もないよりはいいので、 つばめは蛍光灯を付けてからリモコンを探した。茶箪笥の引き出しの中に入っていたので、無事テレビを付けると、 見慣れない深夜番組が映った。それでも音がないよりは寂しくないので、つばめはふすまを閉じてから、部屋の隅 にあった石油ストーブに点火した。鈍い着火音の後に灯油独特の匂いが立ち込め、芯が赤々と輝く。

「コジロウもこっちにおいで」

「了解」

 つばめが手招きすると、コジロウはつばめの傍にやってきた。つばめが座布団を持ってきてテレビの前に座ると、 コジロウもその隣に正座した。ぼんやりとテレビを見つめながら、つばめはコジロウの横顔を見上げた。何度見ても 胸の奥がずきりと痛む。ただの機械の固まりなのに、変に意識してしまう。今だって、隣に座っているだけなのに、 夜気で冷え切っていた頬が火照ったかのように暖まってくる。
 吊り橋効果ってやつかな、とつばめは中途半端に冴えた頭で考えた。あれほど解りやすい命の危機に瀕したこと は初めてだったし、助けられたのも初めてだった。だから、こうも惹かれてしまうのだろう。これは恋などではない、 ほんの少し恋に似た感覚に陥っているだけだ。何せ、相手はロボットなのだから。

「ねえ、コジロウ」

 綿入れ半纏の袖を合わせ、その中で冷えた両手を握り締めながら、つばめは呟いた。

「お爺ちゃんって、どんな人だった?」

「本官の主観では判断を付けかねる」

「なんで?」

「本官は先代マスターの設定により、明確な人格を得るように設定されていない。どんな人か、という質問は対象者 の人格を回答者の主観によって評価を下す言葉であり、本官はその主観に相当する自己判断能力を得るほどの 人格は完成されていない。よって、マスターの質問には答えかねる」

「でも、優しい、とか、いい人だった、とかあるじゃん」

「それもまた、主観に基づいた感想だ。だが、本官には主観に相当する自己判断能力は備わっていない」

「面倒臭いなぁ、もう」

「より正確な情報を認識し、分析し、判断し、行動するのが本官の役割だ」

「じゃあ、別の質問にするよ。コジロウは、どうして私を守ってくれたの?」

 つばめが問い直すと、コジロウは平坦に答えた。

「本官は管理者権限を有している生命体を護衛するように設定されているからだ」

「コジロウが入っている棺に触っただけだよ? そういうのって、書類の上の話でしょ?」

「それは認識が誤っている。本官を始めとした遺産の管理者権限は、ゲノム配列に記載されている」

「ゲノム配列って……遺伝子のこと?」

「そうだ」

「じゃ、私はお爺ちゃんの遺伝子が入っているから、コジロウを動かせたってこと?」

「そうだ」

「それじゃ、従兄弟の吉岡りんねも同じだってこと?」

「その可能性は非常に高い。よって、マスターが管理者権限保有者第一位であり、吉岡りんねは第二位に当たる」

「それダメじゃん」

「何がダメなのだ、マスター」

「だって、私よりも先に吉岡りんねがコジロウに触っていたら、コジロウはコジロウじゃなくて」

 つばめが今更ながら動揺すると、コジロウは淡々と返す。

「吉岡りんねの元に下る可能性があったと同時に、全く別の固体識別名称で呼称されていた可能性があった」

「あれ? でも、そうなるとちょっと変だな。コジロウを起動させることが出来るのが私とあの成金御嬢様だけだった とすると、通夜の段階でコジロウを起動させておくもんじゃないのかな? そうしておけば、成金御嬢様側が戦う前に 勝てるわけだし、余計な戦いをしなくて済むし」

「その理由は明白だ。先代マスターによる本官の使用権限が完全に抹消されるのは、先代マスターが生体活動を 終了したと同時に本官がコールドスリープモードに入った後、四十八時間後だ。吉岡りんねは、その情報を把握して いたと仮定出来る。実に合理的な判断に基づいた行動だ」

「変って言えばさ、なんで私のお父さんとか吉岡りんねの親が先に出てこないの? 普通の遺産相続もそうだけど、 遺伝子が管理者権限ってことは、その人達にも遺伝しているわけじゃん」

「管理者権限は、直系の一親等ではなく直系の二親等に遺伝するように設定されている」

「そりゃまた、ややこしいことをしてくれちゃったもんだなぁ」

 つばめが綿入り半纏の袖に顔を埋めると、コジロウは言った。

「マスターは先代マスターの計らいにより、本官を始めとした遺産から遠ざけられていた。よって、マスターが本官と 遺産に関わる情報を取得していないのは当然だ」

「ねえ、その遺産ってのは一体何なの? コジロウは、それが何なのか知っているんでしょ?」

「遺産の全容についての情報は取得しているが、先代マスターによりプロテクトが掛かっている。よって、現マスター の命令であろうとも情報の開示は不可能だ」

「意地悪ぅ」

「本官はシステムに則った行動を取っているだけであり、意地が悪いと称されるような行動を取ったわけでは」

「解っているって、そんなの」

 コジロウには意地悪するだけの感情がないからだ。つばめはコジロウを気にしないように、テレビを見つめた。

「私がマスターになって、嬉しいとか嫌だとか、そういうのはないんだよね」

「本官には情緒的な自己判断プログラムは存在していない」

「だから、解っているっての」

「ならば、なぜマスターは質問する」

「いけない?」

「そのような禁則事項は存在しない」

「じゃ、文句言わない」

「本官の問答には、人間的な感覚で文句と呼称すべき語彙は存在しない」

「それが文句だってんの。もうちょっと可愛げのあることを言ってよ」

「それは了解すべき事項ではない」

 テレビの騒がしい音声に、二人のやり取りが重なった。しかし、それが途切れると、なんともいえない侘びしさが 石油が燃える匂いと共に室内に立ち込めた。適当な世間話を切り出そうにも、そもそも相手は世間を知らないロボット なのだ。つばめの触れる話題は限られているし、コジロウの反応も決まり切っている。だが、もっと長く話していたいと 思ってしまった。それは、一人きりの寂しさを紛らわしたいからだ。決してコジロウと仲を深めようと思っているわけでは ない。単調な主従関係から先に進むために不可欠な土台作りだなんて、考えるわけがない。万が一考えていたと しても、それは恋心などではない。考えれば考えるほど頭に血が上ってきたつばめは、頬を押さえた。

「コジロウ。昼間、助けてくれてありがとう」

 照れる場面でも相手でもないはずなのに無性に気恥ずかしく、つばめが絞り出すように呟いた。

「マスターの護衛は本官の主要任務だ。よって、礼を述べられる事項ではない」

 と、コジロウが無感動に返したので、つばめは空回りする自分を情けなく思いながら顔を背けた。

「その、マスターってのはやめてくれない? なんか……やりづらい」

「その理由は」

「マスターなんて柄じゃないし」

 つばめは膝を抱え、肩を縮める。マスター、と呼ばれるとコジロウと自分の間に絶対的な溝が出来るようで嫌だ。 コジロウは機械然としたロボットではあるが、ただの道具として扱いたくない気持ちが生まれていた。どうせこの先、 つばめは独りぼっちだ。一乗寺昇は教師であり政府の人間なので、つばめに深入りしてくれないだろう。最低限の 世話は焼いてくれるだろうし、守ってくれるだろうが、あくまでも仕事の上でのことだ。だから、つばめと対等に接して くれる人間なんて二度と現れないだろう。自分を取り巻く状況の全容さえも掴み切れていないし、これからどうやって 生きていけばいいのかすら把握出来ていないのだから、せめて心の拠り所だけは欲しかった。

「だから、私のことは名前で呼んで」

 人形遊びの友達ごっこかもしれないが、寄り掛かる相手がいないよりはいい。

「了解した」

 つばめの言葉を受け、コジロウは頷いた。短いモーター音の後、赤い瞳がつばめを照らす。

「マスター・つばめ」

「だから、そのマスターがいらないんだってば」

「では、改めて呼称する。つばめ」

「それで良し」

 つばめは頬を緩ませ、頷き返した。たったそれだけのことではあったが、随分と気が休まった。不意にコジロウが ふすまの外に向いたので、つばめはふすまを開けて外を見た。すると、いつのまにか雪が降り出していた。白い息を 吐きながら目を丸めたつばめは、芯まで凍えるような寒さと安堵感から目尻に僅かばかり涙が浮かんだが、それを すぐさま拭い去った。これからは、今まで以上にしっかりしなければ。身も心も強くなり、余りある財産と正体不明の 遺産に押し潰されないようにしなければ。両の拳を固め、力強く突き上げる。

「うおっしゃあああああっ!」

 雪の綿帽子を被った裏庭に向かって、つばめは意気込むために叫ぶ。

「この家も、この土地も、なんか超凄い遺産も、ざっくざく入ってくる金の山も!」

 ふすまの隙間から正座しているコジロウを窺うと、途端に猛烈な戦意が沸き起こり、全力で叫ぶ。

「でっ、でもってぇ、コジロウも! 全部が全部私のモノだ、誰にも渡してやるもんかぁっ!」

 叫び終えたつばめは拳を緩めると、白い吐息を散らしながら、自分の言葉の余韻に浸った。我ながら過激なことを 言い過ぎたかな、と再度コジロウを窺うが、コジロウは少し訝しげな目線を送っているように見えた。そう見えるのは あくまでもつばめの主観であって、コジロウの真意はそうではないのであって、と先程の機械的なやり取りで得た 知識を元に考えた。だが、つばめはどうしようもなく恥ずかしくなってきて、後退った。

「つばめ。誰に対して本官の所有権を主張したのだ?」

 と、ふすまを開けながらコジロウが首を傾げたので、つばめは今までになく赤面して逃げ出した。

「誰だっていいだろうがそんなもんーっ!」

 逃亡する理由が見受けられない、とコジロウの訝った言葉が背中に掛けられたが、つばめは涙目になるほど赤面 してしまい、振り返ることなど出来なかった。寝室にしている和室に飛び込んでふすまを閉めて布団に潜り込むと、 暴れ狂う心臓と高熱を出した時のように火照った頬を持て余しながら、そば殻の枕を抱き締めた。こんなことでは、 吉岡りんねとその一味と戦う前に悶え死んでしまう。否定に否定を重ねて自分を誤魔化してきたが、最早小手先の 言い訳は通用しない。イカレているのは自分の頭か、心か、それとももっと根本的なものだろうか。いずれにせよ、 つばめが莫大すぎる遺産を相続する意志を固めた動機が、非常にどうしようもないことだけは明白だった。
 一目惚れしたロボットを手放したくないがために、戦う道を選んだのだから。





 


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