機動駐在コジロウ




サインは投げられた



 一乗寺、制圧完了、との報告が無線機を通じて聞こえてきた。
 レトロささえある角張った黒い無線機を掲げていた武蔵野は、それを軽く放り投げてきた。思わぬことにつばめが たじろぐと、すかさずコジロウが無線機を受け止めてくれた。無線機のスピーカーからは、新免工業の戦闘員による 報告が続いている。寺坂、設楽、共に輸送中。この分では、一乗寺も連行されてしまうのだろう。だが、どこへ。
 つばめはコジロウの影に隠れて、武蔵野を見上げていた。色の濃いサングラスと彫りが深く厳つい顔付きからは 表情が読み取りづらかったが、威圧感は隠そうともしていなかった。つばめを連行したいがために、つばめと関わり のある者達にこうも簡単に手を掛けてしまうのか。制圧完了、と報告されていたので、皆の安否は定かではないが、 殺してはいないと思いたい。殺したのであれば、わざわざ制圧という言葉を使わないはずだ。
 無線機が切れると、痺れすら生じるほどの緊張が戻ってきた。つばめは喉が干涸らびそうなほど乾き切っていた が、トートバッグの中にある水筒を手にする余裕はなかった。セミの声はいつも通りにやかましいはずなのに、耳に 届いてこない。コジロウの外装から漏れ聞こえてくる僅かな駆動音が、つばめの心中を支えてくれていた。

「次は誰を狙うか、解るな?」

 武蔵野は口を開き、銃口を上げる。つばめはコジロウの腕に縋り付き、気力を振り絞る。

「やめてよ、それだけは。お姉ちゃんもミッキーも関係ないじゃない、放っておいてよ!」

「そう思うんだったら、お前の方が誰とも関わるな。それすらも出来ないくせに、遺産を欲しがるんじゃない」

 武蔵野の叩き付けるような言葉に、つばめは身を竦めた。

「欲しいわけじゃない。でも、誰かが管理しなきゃならないから」

「だったら手放せ、今すぐに。そうすれば、弁護士の女と友達は見逃してやるよ。他の連中も五体満足とはいかない かもしれないが、解放すると約束してやる」

 武蔵野はコジロウを顎で示すと、コジロウはつばめが縋り付いている右腕を曲げ、つばめの肩に触れた。

「口頭の約束は無意味だ」

「俺はお前に話しているんじゃない、木偶の坊。お前のマスターと話しているんだ」

 コジロウの影に隠れているつばめを見据え、武蔵野は返事を乞うてきた。

「その木偶の坊も含めた遺産を全て手放して遺産相続争いから逃げ出すか、俺達の要求を突っぱねて弁護士の女 と友達に取り返しの付かない傷を負わせるのか、それとも俺達の要求に従って連行されるか。それ以外の選択肢 があると思うなよ。木偶の坊に戦わせて俺達全員を始末したところで、俺の報告が途絶えれば、他の部隊は即座に 行動に移せと命令してあるからな。だから、この場を凌いだとしても無意味なんだよ」

「そんなの」

「ただの脅しに決まっている、とでも言いたいのか? だったら証拠を見せてやるよ」

 武蔵野は少し離れた位置に通信兵に目配せすると、大型の無線機を背負っている通信兵は装備を探り、PDAを 取り出して武蔵野に渡してきた。武蔵野はそれを操作してホログラフィーを展開させ、立体的な地図を表示させた。 美野里の弁護士事務所が入っている小規模なビル、美月の住まう母方の親戚の家、二つの地図が重なった。更に リアルタイムの映像に切り替わり、戦闘員のヘルメットであろう目線の映像が現れた。
 拡大に拡大を繰り返しているので解像度は低かったが、事務所でデスクワークに勤しむ美野里がいた。ガレージで レイガンドーの整備と改造で油と汗にまみれている美月の姿も確認出来た。武蔵野が一言命じると、その視界の中に 黒く細長い筒が浮き上がってきた。遠距離からの狙撃が可能な、スナイパーライフルだ。その照準が上がり、何も知らず に日常を謳歌している二人に狙いが定められる。照門に照星が重なり、美野里が、美月が。

「もうやめてぇっ!」

 耐えられなくなったつばめが叫ぶと、武蔵野が再度命じ、銃身が上がった。つばめはコジロウの腕を力一杯抱え、 泣き出すまいと堪えていた。自分が狙われるのであれば、まだ気が楽だ。コジロウがいてくれればなんとかなるし、 自分一人だけなら痛い目に遭っても我慢出来る。だが、美野里は大事な姉で、美月は生まれて初めて出来た友人 なのだ。つばめが誤った決断をしたせいで二人が傷付きでもしたら、詫びようがない。

「つばめ」

 コジロウは右腕を戒めるつばめの腕を解かせてから、向かい合う形で身を屈めてきた。

「コジロウ……。ねえ、私はどうすればいいの? どうすれば、皆、助けられるの?」

 不安に次ぐ不安で押し潰されそうなつばめは、コジロウのマスクフェイスと見つめ合った。コジロウは優しい手付きで つばめの肩と背中を支えてくれながら、武蔵野を一瞥した。

「本官はつばめの安全を最優先する」

「でも、この人達を倒すだけじゃダメだよ。お姉ちゃんとミッキーが無事でいるっていう保証はないもん」

「それについては本官も理解している。彼らを戦闘不能に陥らせても、第二陣、第三陣が控えている。本官がいかに 高性能であろうと、同時に二箇所で行われる狙撃を阻止することは物理的に不可能だ。下位個体の遠隔操作では レスポンスにラグが生じるため、無用な被害を発生させる危険性が高い。寺坂住職と設楽女史、一乗寺諜報員の 救出についても同様だ。人工衛星による探査の結果、三人の輸送ルートは大きく分断されており、本官の独力では 救出は不可能だ。よって、つばめと備前女史と小倉女史の安全を確保するためには、新免工業側が提示してきた 条件を了解する他はないと判断する」

「コジロウを機能停止させて、あの人達の言いなりになれってこと? でも、それじゃ」

 コジロウが新免工業に奪われてしまうかもしれない。つばめが悔しさに駆られて唇を噛むと、コジロウはつばめの 頬に指先で触れた。角張った指の平たい部分を用い、つばめの薄く汗が浮いた頬をそっとなぞった。

「本官のマスターは、つばめだ」

 他の誰のモノにもならない、だから安心してくれ。彼はそう言いたいのだろう。つばめはコジロウの大きな手を両手 で包んで頬を寄せ、その硬さと内部の機械熱に感じ入った。コジロウと離れるのは辛いし、怖いし、寂しい。けれど、 美野里と美月が犠牲になる方が耐え難い。新免工業が約束を守ってくれるという保証はないが、コジロウの判断を 信じなくては。つばめが感情に流されて迷っている時は、彼の冷徹な判断を信じるべきだ。それが、マスターとしての 心構えではないか。つばめはコジロウと手を繋ぎながら、一度深呼吸した後、武蔵野に向き直った。

「解った。でも、コジロウを機能停止させる前に、お姉ちゃんとミッキーを狙っている人達を一人残らず退却させて。 寺坂さん達がどこに運ばれていくのかも、ちゃんと教えて。私もそこに連れて行かれるんでしょ?」

「言われなくとも、そのつもりだ」

 アルファ、ブラボー、共に戦闘態勢解除、退却、と武蔵野は無線機を通じて命じた。

「これでいいだろう。もう一つの要求にも応えてやる。お前とその木偶の坊は新免工業所有の大型客船に移送される。 他の連中もそこに移送される。距離も時間も長い、覚悟しておけ。酔い止めぐらいは渡してやるがな」

 次はお前の番だ、と武蔵野が急かしてきた。つばめとコジロウを包囲している戦闘員達は自動小銃を構え直したが、 武蔵野は彼らを制して銃口を下げさせた。この隙にコジロウを戦わせ、武蔵野と戦闘員達を倒して逃げ出すのは 容易いが、それでは寺坂と道子と一乗寺が助けられない。どうやって助けるか、は置いておいて、ひとまず彼らの 居場所に辿り着かなければどうにもならないからだ。そのためには、不本意極まりないが新免工業の手中に落ちる しかないのだ。勝機は一筋も見えないが、これ以上事態を悪化させないためには仕方ないことなのだ。
 だから、少しの間、彼から離れなければならない。つばめはコジロウと向かい合うと、外装交換によって新品同様 になったマスクフェイスを撫でた。先程、コジロウがつばめにしてくれたような手付きで触れてやる、コジロウは瞼を 閉じるかのようにゴーグルの光を落とした。彼なりに、覚悟を決めているのだろう。

「お休みなさい、コジロウ」

 額を突き合わせ、静かに命じると、コジロウの駆動音が途絶えた。外装が開いて蒸気と共に廃熱が行われ、辺りに 暑気を上回る熱が籠もった。それが弱い風で払われると、セミの声が戻ってきた。つばめは後退り、コジロウから 離れた。片膝を付いて俯いている警官ロボットは身動き一つせず、試しにつばめが名前を呼んでみてもゴーグルには 赤い光が戻ってこなかった。

「連行しろ」

 武蔵野の言葉を受け、戦闘員達は慌ただしく動き始めた。曲がりくねった狭い道路を苦労しながら通り抜けてきた 大型トレーラーがやってくると、戦闘員達は片膝を付いた格好で硬直しているコジロウを寝かせようとするが、その 態勢でロックされてしまったのか、どの関節も全く動かなかった。仕方ないので、片膝を付いたコジロウの胴体や腕に チェーンを巻き付けて持ち上げ、トレーラーのコンテナに搬入された。戦闘員達の大半もコンテナに乗り込むと、 発進します、とサブリーダーらしき戦闘員が言った。

「小娘。迎えの車が来るから、俺と一緒にその車に乗れ。あの木偶の坊を再起動されたら、元も子もないからな」

 拳銃をホルスターに戻した武蔵野が、戦闘員が満載のコンテナを示した。つばめはコンテナの奥でビンディングに 固定されているコジロウの姿を見、不安が戻ってきた。

「あの人達、コジロウに何もしない? ひどいことしない?」

「安心しろ、連中はそこまであくどくない。というか、契約にないことはしない。だから、あいつに触りもしない」

「本当?」

「ああ。それが大人の世界ってやつだよ」

 武蔵野はトレーラーの運転手とコンテナに乗り込んだ戦闘員達に出発するように命じると、コンテナの後部ハッチ をロックした後に大型トレーラーは発進していった。積み荷がかなり重たいからだろう、エンジン音はどこか苦しげ で、カーブを曲がるのは大変そうだった。トレーラーの影が山道に消えていくと、つばめは喪失感に苛まれた。これで 本当に良かったのだろうか。コジロウは、皆は、無事なのだろうか。

「とにかく、日陰にでも来い。暑さでぶっ倒れるぞ」

 武蔵野は叢雲神社の石段に腰掛けると、日向の下で突っ立っているつばめを手招いた。

「悪役に心配される筋合いなんてない!」

 コジロウがいないのだから、敵に弱気を見せてはダメだ、とつばめは言い返したが、緊張の糸が途切れたからか 目眩が起きそうになった。踏ん張ろうとしても足元がふらつき、視界が回る。だから言わんこっちゃねぇ、と武蔵野は つばめの手を引いて石段に座らせた。涼しい木陰に入り、トートバッグに入れっぱなしになっていた水筒を取り出した つばめは蓋を開いて中身を飲んだ。氷はすっかり溶けていたが冷たさはそれなりに保たれていて、清々しい液体が 喉から胃へと流れ込んでいった。武蔵野も自前の水筒を出し、傾けた。

「悪いようにはしない。お前の母親と約束したからな」

 そんなの信じられるものか。つばめは再び言い返そうとしたが、武蔵野はサングラスを外してつばめを見下ろして きていた。考えてみれば、この男の素顔を見るのは初めてかもしれない。鼻筋と同様に彫りの深い眼窩には、歴戦 の兵士らしい鋭さが備わっていたが、鳶色の澄んだ瞳には親愛の情が宿っていた。言うならば、父親が娘を見守る かのような眼差しだった。つばめは戸惑い、張り詰めていた敵意が僅かばかり揺れた。
 まさか、とは思うが。




 無線機を握り潰すと、バッテリーの内用液が零れた。
 ただの黒いプラスチック塊と化した無線機を投げ捨ててから、相手の戦闘服で手を拭う。殺すならまだしも、昏倒 させるだけとなると骨が折れる。手加減しなければならないが、半端に手を抜けば返り討ちに遭ってしまうからだ。 彼らは武蔵野から撤退しろと命令されたのに、それを無視して攻撃に転じようとしていた。油断も隙もない。
 このブラウスは肌触りが良くて気に入っていたのに、台無しだ。けれど、事務所を直接攻撃されていたら、道子が 手伝ってくれたおかげで片付いていた部屋が大荒れになってしまう。それに比べれば、ブラウスの一枚ぐらいどうと いうことはない。気絶している戦闘員の装備を剥ぎ、生地が厚くごわごわとした迷彩服を脱がし、それを羽織って肌を 隠した。足元がローヒールのパンプスなので歩きづらいが、相手のブーツまで脱がしている時間はないし、彼らが目を 覚ませば反撃されてしまう。そうなれば、次こそ彼らを殺さなければならなくなる。

「殺すのは趣味に合わないのよねぇ」

 美野里は細切れになったブラウスで汗を拭ってから、細かな虫が飛び交う雑草を掻き分けた。虫達は美野里が一歩 踏み出しただけで道を空けてくれ、蚊の一匹も羽虫の一匹も去っていった。皆、解っているのだ。

「さて、とぉ」

 美野里は伸び放題の雑草を押し退けながら進み、曲がりくねった道路に出た。きついカーブを縁取っているガード レールの向こうには、市民達が日常を謳歌している一ヶ谷市内が一望出来る。美野里が今し方までデスクワークを していた事務所の姿も見えるが、ここからでは豆粒も同然だ。目測でも数キロは離れているが、その距離をほんの 数分で、スナイパー一人とフロントマン二人を抱えて移動したのだが、疲労は感じなかった。それどころか、肉体が 程良く温まってくれた。長らく使っていなかった身体能力を発揮した清々しさが、細胞の隅々にまで染み渡る。

「次の仕事に移りましょうか」

 新免工業が表立って行動を開始した今を逃せば、また動きづらくなってしまう。つばめを始めとした関係者が船島 集落から離れている間に、やるべきことを済ませておかなければ。美野里は辺りを見回してから、新免工業の誰か が移動手段として隠しておいたバイクを見つけた。草を被せて上手く偽装されていたが、人工物の独特の匂いだけ は隠せない。イグニッションキーは刺さっていなかったので、指先を変化させてコードを切断し、それを何度か接触 させてヒューズを飛ばす。すると、ガソリンエンジンが作動して黒々とした排気を噴き出した。
 タイトスカートを切り裂いてバイクに跨った美野里は、ロングヘアを靡かせながら峠道を駆け抜けた。田舎なので 道中では対向車とは擦れ違わなかったので、もちろんパトカーの類とも擦れ違わず、ヘルメットを被っていないこと を咎められることもなかった。十数分のツーリングの末、美野里は吉岡りんねの別荘に到着した。
 アイドリングを続けるバイクから下りた美野里は、一息吐いてから、ロータリーを見回した。そこにあるべき巨体が 見当たらなかった。アスファルトが抉れていたり、別荘の壁が砕けていたり、と戦闘が行われた痕跡はあるものの、 勝者の姿もなければ敗者の姿もなかった。ロータリーには、吉岡りんねの部下達が所有していた車両とは異なった タイヤ痕が付いていたので、岩龍はそのタイヤ痕の主に回収されたとみるべきか。ならば、別荘の主と、その部下の 矮躯の男はどこにいるのだろうか。階段に足を掛けようとして、美野里は気付いた。

「何、これ?」

 コンクリート製の階段には、粘液が垂れ落ちていた。それも一滴や二滴ではなく、太い刷毛で塗りたくったかのよう に玄関から階段の降り口まで続いている。その液体を指先で掬い取って、美野里は悟った。これは藤原伊織と吉岡 りんねの成れの果てであり、それを誰かが回収して運んでいったのだと。
 鍵が開け放たれている玄関に入り、足跡を残さないためにパンプスを脱いでスリッパに履き替える。粘液の帯を 辿っていくと、リビングに差し掛かったところで途切れていた。恐らく、二人を同じ箱にでも詰めたのだろう。それから 先は辿りようがなかったので、美野里は舌打ちした。伊織とりんねを回収したのは、りんねの部下である高守信和 だと見るべきだ。二人はともかく、あれが奪われていたら面倒なことになる。
 いや、まだ奪われていない。それどころか、置いていったようだ。美野里は数歩後退し、三階の壁に空いた砲撃の ような大穴を仰ぎ見た。埃と木片だらけの階段を昇っていき、大穴が開いている部屋に入る。そこは吉岡りんねの 自室であるらしく、美野里も見覚えのある服が折り畳まれてベッドの上に置かれていた。だが、私物はほとんどなく、 壁の一面を埋め尽くしている蔵書はほとんど読まれた形跡がなかった。

「……あった」

 美野里は毛足の長い絨毯に沈んでいる水晶玉を見つけると、口角を吊り上げた。

「吉岡りんねがいなくとも、滞りなく進ませますわ。マスター」

 細い銀のチェーンを抓んで水晶玉を持ち上げた美野里は、それを手中に収めた。汗ばんでいるが冷たい皮膚に かすかな電流が駆け抜け、弱い痺れが末端にまで至った。たたらを踏んだ美野里は項垂れ、長い髪が顔を覆う。 それを掻き上げながら上体を起こすと、美野里の面差しは一変していた。顔の作りこそ同じだが、表情筋の使い方 がまるで違っていた。それまで羽織っていた迷彩服を投げ捨てると、ボロ切れも同然の服を脱ぎ、裸体を曝す。
 その背からは、一対の昆虫じみた羽が生えていた。





 


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