機動駐在コジロウ




大はショーを兼ねる



 クテイはあの子の祖母なのですよ、とその男は語った。
 中途半端に再生した体を法衣で覆い隠し、はみ出している触手を不規則にうねらせた。人間の皮を被っている のは胸から上と左腕だけで、それ以外は全て触手だった。十五年前、右腕を失った彼の肉体に根付いた異形の生物 が深く根を張り、肉だけでなく骨と神経をも触手で侵食した結果、その肉体を包む皮膚だけが人間らしさを辛うじて 繋ぎ止めていた。内臓は形こそ人間のそれだったが、触手で成されていた。複雑に絡み合って内臓を織り上げた 細い触手が抱いていた薄膜の中身はほとんどが酒で、美野里が爪で切り裂いて中身を出した時にはつんと酒精が 漂ったほどだ。余程、彼は深酒をしていたのだろう。

「クテイが私の住まう土地にやってきたのは、五十年前のことです」

 吉岡りんねが掛けていた銀縁のメガネを手にした彼は、慣れた手付きでそれを掛け、目を瞬かせる。

「あれは、私が英子さんと結婚して間もない頃でした。英子さんは都会から船島集落に嫁いできたのですが、それ故 気位の高い女性でした。体はあまり丈夫ではありませんでしたが、学があり、自我がはっきりとした、扱いづらい方 でした。私の生家は細々と農作を行って長らえてきた農家でしたし、船島集落に住まう人々もそうでしたので、我の 強い英子さんは馴染めませんでした。むしろ、馴染もうとしなかったのでしょうね。彼女は、私も、私の親族も、船島 集落に住まう人々も、船島集落自体も、心底見下していましたから。華やかで恵まれた都会暮らしから一転して、 不便極まりない田舎に嫁がされたことを疎んでいて、事ある事に文句を言いました。そんな性格だから、あなたは 御両親から見放されて泥臭い田舎に追いやられたのだ、と何度言いたかったでしょうか」

 彼がメガネを押さえながら肩をひくつかせると、それに合わせて触手の尖端もざわめいた。

「英子さんは……そういう女性でした。そんな彼女が私に宛がわれたのは、私の周囲に結婚相手に丁度良い女性が 見当たらなかったのと、私が家族の中で最も立場が低かったからですよ。どれほど文明が進歩し、時代が変貌 していこうとも、閉鎖的な集落の農家の価値観はそう簡単には変わらないものです。ですから、父親と長男が全て に置いて最優先であり、五男であった私はみそっかすでした。ですから、思い切って都市部の大学に進学しようと しても受験票を捨てられ、受験費用すらも使い込まれてしまいました。そんなことを何度も繰り返しているうちに私は 英子さんを宛がわれ、気付いた頃には親の手で婚姻届を出されていました。なので、私が英子さんの存在を知った のは、結婚した後のことだったのです。祝言を挙げたらしいのですが、記憶にありません。現実だと思いたくなくて、 脳が記憶することを拒否したのでしょうね」

 日焼けした皮膚が貼り付いた左腕で触手を掴み、愛おしげに撫でる。

「結婚生活は最悪でしたね。実家から出ることも許されなかったので、私と英子さんに部屋が与えられたのですが、 英子さんは自分の権利と立場をこれでもかと主張して、私の生活出来るスペースを蹂躙していきました。夫婦生活 なんて、あるわけがありません。近付くだけで怒るんですよ、あの女は。やれ田舎臭いだの汚いだの低俗だのと、 朝から晩まで金切り声で喚くんです。病院に行くために英子さんが街に出ていくと、ほっとしたものです。そのうち、 英子さんが船島集落に嫁がされた理由が見えてきました。体の弱さを言い訳にして朝から晩まで遊び歩き、生活費を 持ち出して手当たり次第に欲しい物を買い漁るのです。それと並行して、男にも手を出すのです。欲望の固まりが 服を着て歩いているようなものでした。生活費を使い込んだ後には私の両親と激しく口論し、跡取りを産んでやる んだからそれぐらい許せ、と何度も喚いていました。その声を耳に入れないために、私は頻繁に散歩に出ました。 虫の声と夜露の冷たさはとても優しく、煩わしい現実から逃れることが出来ました」

 口調こそ平坦だったが、彼の語気からは当時の苦しみが痛切に伝わってきた。

「そんな、ある日です。いつものように両親と口角泡を飛ばして口論した末、英子さんは家を飛び出しました。それも 珍しくもなんともありませんが、捜しに行かなければ大騒ぎするので、私は渋々英子さんを追いました。その時です、 あの美しく素晴らしい流星が降ってきたのは。あの青白い光が降ってくる様は、脳裏に焼き付いています」

 恍惚と目を細め、過去を望む。

「あの船は、フカセツテンは雫型の結晶体でした。全長は船島集落とほぼ同等でしたから、三千メートル弱はあった かと思います。細く尖った部分を下方に向けながら降下してきた流星の光に気付き、皆、家から出てきました。英子 さんもその時ばかりは口を休め、この世のものとは思えぬ光景に見入っておりました。みるみるうちに夜空が見える 範囲が狭まっていき、星空が青白い光に塗り潰され、昼間のように明るくなりました。このままでは結晶体は集落に 墜落すると誰しもが思いましたが、逃げる暇などありませんでした。英子さんは醜い悲鳴を上げて山へと逃げていき ましたが、その途中で洒落たハイヒールのかかとが折れたのか、投げ捨ててしまいました。皆が皆、絶望と恐怖に 顔を引きつらせていましたが、私は違いました。ああ、この生活が終わるのか、と思うと、嬉しくて嬉しくて嬉しくて、 久し振りに心からの笑顔を浮かべました。ですが、結晶体が墜落しても、何も起こりませんでした。結晶体は地面に 触れた瞬間に消え失せてしまい、青白い光もなくなってしまいました。まるで、何もなかったかのように」

 彼は、悩ましげに眉間を押さえる。

「住民達は訝りながら自宅に引き上げていきました。ですが、私はそんな気は起きませんでした。忌まわしく疎ましい 矮小な世界が壊れなかったことが、心底空しかったからです。それに、英子さんを連れ戻さなければ、両親からまた どんな言葉で蔑まれるか、解らなかったからです。両親と英子さんが言い争う様を目の当たりにした兄妹達は全員 家を出てしまいましたから、跡取りを産む立場にある女性に去られては困るからです。両親と英子さんは日々、あれ ほど憎悪をぶつけ合っているのに、英子さんと私の関係は友人にすら至っていないのですから妊娠する可能性は 皆無なのに、期待を抱くなんておかしな話ですよね。ですが、家族の中では英子さんは私よりも遙か上に位置して おりましたから、捜さなければ捜さないで怒鳴られます。金切り声で喚かれますし、物を投げ付けられます。折れた ハイヒールを拾って渋々山を登っていくと、程なくして英子さんは見つかりました。服が下品でしたので」

 愛おしげに、懐かしげに、彼は頬を綻ばせる。

「英子さんは藪の中で転んでいましたが、私の姿を見つけると自力で立ち上がったばかりか、御心配掛けて申し訳 ありませんでした、と頭を下げてきました。有り得ないことでした。英子さんは転んだ時は私に起こせと命じるのに、 いざ起こそうとすれば触るなと言って手を弾いてくるからです。私が呆気に取られていると、英子さんは裸足のまま で砂利道を歩き始めました。夜も遅いですからおうちに帰りましょう、と柔らかな言葉遣いで英子さんに促され、私は 半信半疑で彼女の背を追いました。すると、どうしたことでしょう。英子さんの下品な服の背中が破れていて、その下 から覗く素肌から奇妙なものが生えていたのです。ツルのような、ツタのような、根のような、およそ人間のものとは 思いがたい異物でした。長さは英子さんの長い髪に隠れる程で、歩くたびに僅かばかり波打ちました。その奇妙さに 見入ってしまっていると、英子さんは立ち止まり、私を人気のない物置小屋まで導きました。初めてまともに触れた 彼女の手は、ぞっとするほど冷たかったことをよく覚えています」

 彼の語り口は滑らかで、楽しそうですらあった。

「英子さんは私の手を握り、私を見つめてきました。その眼差しは、見ず知らずの相手を観察するものであり、先程 までのヒステリックな表情は消え失せていました。英子さんは唇をきつく結んでいましたが、私の手を離さないまま、 話し始めました。英子さんは山中で転び、背中を強打した際に脊椎骨折と内臓破裂を併発し、放っておけば一日で 死に至る可能性がある、と。今、英子さんの肉体を借りて話しているのは英子さんではなく、先程船島集落に降って きた宇宙船に乗ってきた存在であると。だが、墜落した際に宇宙船の構造物が破損して機能停止してしまい、修復 が出来るまではこの土地を離れられないと。それまでは、どうか英子さんとして過ごさせてほしい、と」

「それが、クテイさんですか」

 美野里が名を口にすると、ええ、と彼は満足げに目を細める。

「そうです。あの日以来、私の生活は落ち着きました。中身が英子さんではなくなった妻はとても大人しく、心遣いと 思慮に溢れる素晴らしい女性となり、クテイが間に入ってくれるようになったおかげで両親との不和も収まり、集落 の住民達も親しくしてくれるようになりました。クテイは人智を外れた存在ではありましたが、私達の文化や文明を 律儀に学習して立ち振る舞い、家事どころか農業もこなしてくれるようになり、おかげで随分と家計が助かりました。 そして、私との間に子を設けてくれました。皆、とても喜んでくれました、両親もやっと私を認めてくれました。ですが、 実家の奥の間で長孝が産まれた時、全てが露呈したのです」

 あの子は人間の形をしていませんでした、と呟き、彼は触手を絡み合わせた右腕を掲げてみせる。

「赤黒く、のたうちまわる、一抱えもある触手の固まり。それがクテイが産み落とした長男でした。助産師は、悲鳴 を上げて逃げ惑いました。あれほど喜んでくれていた両親も私とクテイをひどい言葉で罵倒し、手当たり次第に物を 投げ付けてきました。クテイはヘソの緒も切っていない我が子を抱いて守ろうとしますが、弱り切った体では逃げる ことすら出来ませんでした。クテイは私に縋り付き、どうかこの子は、この子だけは、と哀願してきました。そこで、私は 決断しました。愛する人のために力を尽くそうと」

 だから、手始めにクテイを知る人々を葬りました。と、彼は穏やかに陰惨な事実を告白した。あらゆる手を尽くして 船島集落の住民達を追い詰め、逃げ出させ、両親すらも徹底的に弱らせた。それから三年もしないうちに船島集落 は住民がいなくなり、田畑は荒れ、先祖代々受け継いできた家屋も同様だった。長男の子育てに悪戦苦闘している クテイの手助けと農業をする中で、クテイが乗ってきたという宇宙船の構造物を畑で掘り当てた。金属の棺に入った 異様な物体の数々だった。クテイは、それを返してくれ、それがないと元の世界に帰れない、と言ってきたが、その 言葉を聞いた途端、彼の心中で濁った感情が凝った。ようやく出会えた理想の女性と別離しなければならなくなるので あれば、彼女が元の世界に帰るために必要な道具をなくせばいいのでは、と。

「だから、売り払ったのです。クテイは船島集落から外に出られないようでしたので、船島集落を含めた周辺の土地 を買い上げるための現金が必要だったこともありますがね。売り払う前に、これはどういう機能があるのかとクテイ から聞き出しました。ですが、苦労しましたよ。彼女はそういったことに関しては口が硬かったので、クテイの触手と 長孝の触手を何十本も切り落とす羽目になりました。そのせいで、畳を何枚も張り替えなければならなかったのが 大変でしたね。クテイと長孝の体液は、人間のそれとは少し違いますから。その甲斐あって、クテイは私の言うことを 聞いてくれるようになりました。程なくして次男も産まれましたが、こちらは私の血が色濃く現れていて、ただの人間に 過ぎませんでした。退屈な肉塊でした。ですが、クテイはそんな愚劣な次男も可愛がっていましたので、私は上っ 面だけは次男も可愛がることにしました。そして、クテイの体液と触手の切れ端を使ってフカセツテンの構造物、 今では遺産と呼ばれているものを動かし、その機能を見せつけ、高額で売り払いました。船島集落の土地を全て 買い上げ、構造物を売り払った相手からキックバックされた売り上げで懐は潤っていきました。とても、とても、 幸せな時間でした。クテイと同じ姿をした長男と戯れるクテイは筆舌に尽くしがたい美しさでした」

 ですが、とため息を零し、彼は顔を上げる。寺坂善太郎の顔で、肉体で、佐々木長光は嘆く。

「月日が経ち、成長した長孝は私の元から去ってしまいました。続いて産まれた次男もです。本来あるべき土地 ではない場所で暮らし続けたからでしょう、クテイは日々弱っていきました。それなのに、あの子達は母親を見捨てて いったのです。クテイを生かしてやろう、守ってやろう、と私は手を尽くしましたが、クテイはとうとう力尽きてしまい、 小高い斜面に一本だけ生えている桜の木と同化して眠りに付きました。それが三年前のことです。それからの日々 がどれほど空しかったことか……。ですから、私はもう一度クテイに出会うために、こうしているのです」

 長話を聞かせてしまいましたね、と、長光は詫びてから、腰を上げた。美野里は首を横に振る。込み入った事情を 聞かせてもらえたということは、それだけ美野里が信頼されているからだ。だから、苦ではない。むしろ、内心では 喜んでいたが、それを表には出さなかった。いい歳をしてはしゃぐのは見苦しいからだ。

「そろそろ出発いたしましょう。準備はよろしいですか、美野里さん」

 長光が美野里を見やると、美野里は一旦帰宅した際に拝借してきたつばめのヘアブラシを差し出した。そこには、 つばめの長い髪が何本も絡み付いていた。長光は可愛らしいオレンジ色のヘアブラシを眺め回してから、髪の毛を 一本引き抜いた。佐々木ひばりに似た色味の細い髪の毛の感触を確かめてから、長光は頷いた。

「では、ムリョウを起こさなければなりませんね」

「フカセツテンを動かすことを、皆に知らせますか?」

「どうせ、烏合の衆なのです。私が彼らの目的に興味がないように、彼らも私の目的には興味がないでしょう。国彦 さんは昇さん……いえ、ミナモさんさえ手に入ればそれでよろしいんですし、克二さんは暴れられるのであればそれで いいのですから、フカセツテンが動こうが、どこへ向かおうが、気にも留めないでしょう。ですから、美野里さんは私の 傍に付いていて下さればそれでいいのです。最後まで、お付き合いして下さいますね?」

「はい」

 美野里は顎を緩め、触角を下げて平伏した。欲されているのが、たまらなく心地良い。

「ありがとうございます、美野里さん。頼りにしておりますよ」

 触手の尖端で顎を軽く触れられ、美野里は陶酔した。法衣を靡かせながら歩く長光の姿は、同じ肉体であれども、 寺坂とは雲泥の差があった。長身だが姿勢の悪い寺坂では垂れ下がっていた袖も軽やかに翻り、肩で風を切って 進んでいく。下半身は触手を束ねて二本足にしているので、足音はいくらか鈍いが、歩調は生前となんら変わりは ない。美野里は少し遅れてから、長光の背を追っていった。美野里が長光の言われた通りに働けば、長光は褒めて くれる、認めてくれる、労ってくれる。多忙な両親がしてくれなかったことをしてくれる。実の孫であるつばめに向かう はずの関心を奪い取れる。
 それが、どれほど素晴らしいことか。美野里は長光と共に倒壊した本堂に近付き、その基礎の下に隠されていた 異物を見下ろした。直径三メートルほどある、十六面体の透き通った結晶体だった。その中には、ムリョウを動力源 とする警官ロボット、コジロウが封じ込められていた。美野里が基礎であるコンクリートを剥がして穴を掘り、その中 に放り込んだ時のままの格好なので、四肢はでたらめな方向に投げ出されていた。長光はラクシャを掲げてみせる と、結晶体は燐光と共に地面から浮かび上がってきた。それにナユタを差し出し、飲み込ませる。

「コンガラの元へ向かいましょう、ムリョウ。場所は解っていますよね、解らないはずがありませんよね?」

 長光がつばめの髪の毛を差し出すと、結晶体はすんなりと飲み込み、淡く発光した。

「そこに誰がいようとも構いません。何が待ち受けていようとも惑いません。あの子を罠に掛けてコンガラを起動 させるように促した後、コンガラごとあの子を奪い去ります。そして、全ての遺産を使い、クテイを目覚めさせて やるのです。ラクシャだけでもシュユを動かせたのですから、全ての遺産を使えば、クテイに再び自由と幸福を 与えてやることが出来るでしょう」

 触手の右腕と人間の左腕を広げた長光は、胸を反らし、霧に塞がれた狭い空を仰ぎ見た。

「私はあなたの高みに近付きましたよ、クテイ。あの日、あなたが助けた若者の肉体は無駄にはしませんでしたよ、 ほら、この通りです。どうです、あなたに似て素晴らしいでしょう?」

 恍惚としながら愛妻に語り掛ける長光の横顔を見、美野里は胸中が疼いた。クテイへの嫉妬ではない。クテイは 長光の行動理念の軸であり、彼の愛情を溢れんばかりに注がれているのだから、薄汚い感情を抱くべき相手では ない。むしろ、長光と同等に敬うべきだ。ならば、長光が肉体を奪った寺坂への同情か。だとしても、寺坂への好意 は上っ面だけであり、寺坂が望む反応を返していただけだ。寺坂も、美野里との恋愛ごっこを楽しんでいた。だから、 何も感じるはずがない。つばめへの罪悪感など、当の昔に消え失せた。だから、気のせいだ。
 美野里の全ては、長光に捧げたのだから。





 


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