トレーラーのコンテナの中に作られた控え室に、つばめは主役共々押し込められた。 その中には既に衣装やメイク道具が山ほど揃っていて、どこからか掻き集められたスタイリストが伊織を囲んで 忙しく動き回っていた。コンテナの側壁の三分の一を占めるほど大きな姿見の前に突っ立っている伊織の前に、 可愛らしいデザインの衣装が差し出されてフィッティングされては次の衣装が差し出され、その間にも伊織の長い 髪にヘアアイロンを当ててカールさせていた。 つばめにもスタイリストが宛がわれ、ツインテールを解かれてクセの強い髪にストレートアイロンを当てられていた が、何度アイロンを掛けても毛先が跳ねてしまっていた。おかげでスタイリストに渋い顔をしたが、母親譲りの髪質 だけはどうにもならない。隣を窺うと、同じく髪を整えられながら、美月が膝の上にタブレットを置いてホログラフィー を展開してライブの進行表を確かめつつ、空いた手でサンドイッチを囓っていた。卒倒しそうなほどの眠気で朝食が ほとんど食べられなかったからである。こうしていると、つばめと美月まで芸能人になったような気分になってくるが、 だからといって状況に呑まれてはいけない。ライブの目的は、敵の挑発と陽動なのだから。 「にしたってなぁ……」 つばめはメイクボックスの傍に無造作に置かれたコンガラを見、辟易した。虹色に輝くセロファンとピンクのリボン で飾られ、アイドルの小道具らしい装飾が加えられている。プレゼントや花束に紛れて置かれている分にはあまり 目立たないが、正体が解っているととてつもない違和感を覚える。その中に、コンガラの他にもう一つ異質なものが 隠れていた。季節外れのアサガオの鉢植えで、祝・デビューライブ、神名円明、との札が刺さっていた。新免工業の 社長が吉岡グループの社長令嬢に送るものにしては、安っぽすぎる気がしないでもない。 「これを持ってステージに出ろっての? で、ダンスでもしろっての?」 つばめがコンガラを指すと、美月は口の端に付いたパン屑を舐め取ってから答えた。 「まあ、そういうことだね。つっぴーの事情は全部飲み込めてないけど、そうした方が良さそうだし。コジロウ君、ってか シリアスの代わりに岩龍と組んでね。ロボットファイターとセットじゃないと、エンヴィーの存在意義が訳解らないことに なっちゃうし。量産型の警官ロボットを持ってきてもらって改修している時間もないしねー」 「で、ダンスさせるんだっけ。レイガンドーも、岩龍も」 「そうそう、あと、武公ね。武公はレイと岩龍ほど人工知能のスペックは高くないけど、ボディの性能は高いから。 でも、武公のオーナーって岩龍のオーナーでもあったんだよね、確か。地下闘技場で色々あって岩龍がりんちゃんに 買い取られちゃったから、その後継機として造ったはずの武公まで小夜子さんに差し出しちゃうなんて……」 美月は衣装のフィッティングをするために立ち上がり、つばめに振り向いた。 「何があったのかは知らないけど、オーナーが二人を手放すつもりでいるんだとしたら、お父さんと相談して二人を 買い取るよ。岩龍も武公も物凄く性能が良いし、誰にも必要とされなくなったら可哀想だし」 「うん、それがいいよ」 衣装も似合うよ、とつばめが笑いかけると、美月は赤面した。 「そお? これ、なんか、凄いんだけど」 美月は体を捻り、パフスリーブのブラウスとチェック柄のベストと、たっぷりのフリルで膨らませたミニスカートを着た 自分の体を見回した。いつものサイドテールもヘアアイロンで巻き髪にされ、髪の結び目には衣装に合わせた色 のシュシュとラインストーンのヘアアクセサリーが付いている。美月はそれほど派手な顔立ちではないが下地として は優れていたのか、化粧映えしている。普段は作業着姿が多いので気付かなかったが、美月は足が長く、肉付きも 程良いのでミニスカートがよく似合っている。 「やぁーん、りんちゃん、かぁーわぁーいぃーいぃー!」 唐突に美月が黄色い声を上げたので、つばめが伊織を見やると、伊織は純白のミニドレスを着付けられていて、 中途半端に脱色した長い髪は縦ロールのツインテールにされている。ドレスの背中には天使の翼を思わせる飾り が付けられている最中だったが、当の本人は不愉快極まりない顔をしていた。 「んだよ、ウゼェな」 「ね、ね、写真撮っていい? ネットには流さないから!」 ロボットファイトを取り仕切る立場の人間から十四歳の少女に戻った美月は、目を輝かせて伊織に詰め寄る。 「一枚だけだぞ」 突っぱねるかと思いきや、伊織はスタイリスト達を下がらせた後、笑顔を作ってポーズを取った。 「この角度だからな、この、ちょっと左上から見下ろすアングルが一番可愛いんだよ、りんねは!」 「うんうん知ってるー、そうなんだよねー!」 きゃー可愛いー、と歓声を上げながら、美月はタブレットの内蔵カメラを使って伊織の写真を撮った。それを保存 し、つばめの元に駆け寄って見せつけたかと思うと、今度はつばめの手を引いた。 「どうせなら一緒に撮ってもらおうよ、こんな機会は二度とないだろうし、ね!?」 「一枚だけつったろ」 とは言いつつも、伊織はエンヴィーの衣装を着たつばめを右に置き、アイドルらしい衣装を着た美月を左に置き、 センターに収まってからポーズを決め直した。その際、つばめと美月のポーズに細々と口出しをして微調整させて から、アングルを指定した後、スタイリストに撮らせた。 「これで良し」 伊織はタブレットを美月に返してから、ヘアメイクの続きに戻った。保存した写真を確認し、美月はまたも黄色い声を 上げて身悶えた。つばめは媚びを売って余りあるポーズを決めた自分を見た途端に猛烈な羞恥に駆られ、顔を 逸らしてしまったが、恐る恐る目線を戻してみた。伊織は主役を務める美少女に相応しく、最も派手なポーズを 決めていて、フリフリの衣装が引き立つように腰を少し捻ってから、胸の谷間を見せつけるために二の腕で胸を 寄せつつ、悪戯っぽく唇を吊り上げている。左側に立たされている美月は、伊織の引き立て役にされてしまったようで、 伊織に比べるとかなり地味なポーズになっていた。ウィンクした部分にピースをした手を重ねて、歯を見せる笑顔 を作りながら、片足をくの字に曲げている。そしてつばめはと言えば、カメラを上から見下ろすように顎を逸らし、挑発 的に腕を組んでいる。エンヴィーの衣装は二人の衣装とは方向性からして違うので、ポーズのタイプも違うのが当然 ではあるのだが、釈然としない。綺麗に着飾ってはいるが、こんな写真ではコジロウに見せられない。 「んー、と」 美月はタブレットを操作してから自前のショルダーバッグを探り、携帯電話を操作したが、手を止めた。 「羽部さんのメルアドって……なんだっけ?」 「あのヘビ野郎と知り合いなのか、美月」 伊織が不躾に尋ねると、美月はタブレットに保存した写真を自分の携帯電話に転送しつつ、返した。 「りんちゃんも知っているの、羽部さんのこと。てことは、つっぴーも?」 「まー、色々とね。でも、あれとは関わらない方がいいよ。本当にろくでもないから」 つばめが諌めると、美月は携帯電話を操作し、先程撮影した写真の画像をホログラフィーに浮かばせた。 「私は、そうでもないと思うけど。そりゃ、羽部さんって無限に湧いてくる謎の自信を振り翳してくるし、私服の趣味が 悪すぎて最早笑いが取れるレベルだし、物言いも態度も最悪だけど、でも、なんか嫌いになれないんだ」 「はぁ!?」 「嘘ぉ!?」 伊織とつばめが同時に声を裏返すと、美月は苦笑した。 「まあ、うん、それが普通だよね。てか、私も何も起きていない時だったらそう思ったし、絶対に近付きたくないタイプの 人だったけど、あの時は他の誰にも頼れなかったから。でも、少しでも誰かに頼っちゃうと自分はダメになるって 思っちゃうぐらい、一杯一杯だったの。羽部さんが私を甘やかすのは簡単だっただろうし、突き放すのはもっと簡単 だったと思う。だけど、あの人、近付きもしないけど逃げもしなかった。だから、お父さんが迎えに来てくれるまで、 私は踏ん張れたんだ。それがあるから、物凄くひどい人なのに嫌いになれないの」 悪辣極まるヘビ男でも、誰かの役に立つことがあるのか。それが羽部の意図したことかどうかは解らないが、彼が 美月を支えていてくれていたおかげで、今の美月があるのは確かだ。けれど、美月の言葉を羽部に伝えるべきでは ないだろう。美月と羽部がどういった経緯で出会ったのかは与り知らないが、どこかの誰かの思惑があったからこそ 生じた出会いだ。これ以上美月を荒事に巻き込まないためにも、羽部には美月の居所を教えてはいけない。羽部が 美月を利用しないとも限らないし、羽部が美月を傷付ける可能性も否めない。 伊織もそう思ったのか、羽部について言及しなかった。そうだよね、それがいいよね、と美月は物寂しげに呟き、 携帯電話をショルダーバッグに戻し、ヘアメイクの続きを始めた。伊織とつばめも自分の場所に戻り、ヘアメイクの 締めに取り掛かった。ライブ会場では音響の微調整が行われ、セットを組む時間がなかったのでホログラフィーに よる大掛かりなエフェクトが空を彩り、徐々に増えつつある来場者のざわめきが潮騒のように聞こえてきた。ライブ 自体は偽物であり、観客も吉岡グループの社員であり、目的がショービジネスではないにしても、大舞台に立って 演じなければならないことに代わりはない。 ナユタはつばめの精神状態に連動している。ならば、それを利用するまでだ。つばめはエンヴィーを演じるために 不可欠なマスクを見つめてから、被り、見事な巻き髪に仕上げられた髪を払った。そして、心の底から願った。再び コジロウに会えるように、自分の不手際を謝れるように、この事態を解決出来るように。 そして、開場時間が訪れた。 鉄骨で組み上げられたステージには鈴生りに照明が付けられ、煌々と輝いていた。 単純計算でも一キロ四方はあろうかという規模の会場には隙間なく人間が詰め込まれ、その人いきれがステージ 上まで届いてくる。ステージの四方にはホログラフィー投影装置が備えられ、スチーマーが作り出した人工の霧の 水分子に光を投影し、立体的な映像を映し出している。会場前から流されている音楽はもちろん御鈴様の楽曲で、 インストゥメンタルだったが、それ故に期待を高ぶらせてくる。 ステージ脇の控え室の中、気持ちを御鈴様に切り替えた伊織は、マイクを手にして階段を昇っていた。その後ろ姿 の潔さに、つばめは図らずも呑まれかけた。りんねを生かし切るために己を犠牲にすることを厭わない、人ならざる 青年の覚悟が漲っていたからだ。ステージ上のカメラがリアルタイムで捉えた映像が控え室に設置されたモニターに 映り、ステージ中央に立った御鈴様と、それを一心に照らす光条が立体映像で浮かび上がった。 御鈴様の登場で、会場全体が途端に沸き立つ。三十万人の視線が一人の少女の一挙手一投足に注がれるが、 御鈴様は臆しもせずに顔を上げる。照明の熱が浮かせた薄い汗が少女の頬を潤ませ、零れ落ちそうなほど大きな 瞳が宝石にも勝る輝きを得る。艶やかなリップグロスが載った唇が開き、一呼吸の後、叫んだ。 「はぁーいっ、みんなぁーっ!」 伊織でもりんねでもない別人のアイドル、御鈴様が大きく手を振りながらステージを歩く。 「今日は私のデビューライブに来てくれてぇっ、本当に、ほんっとぉーにっ、あぁりがとぉーっ!」 割れんばかりの歓声に、御鈴様、御鈴様、との男女混合のシュプレヒコールが重なる。 「全力で、全身で、全霊で、全細胞で、全、全、全、全、全世界を!」 御鈴様はマイクを握り締め、ぐるりと会場を見渡す。 「痺れさせてあげる!」 と、叫ぶと同時に実物の花火が上がり、色鮮やかな火花が飛び散る。御鈴様の合図の後にバックバンドの演奏 が始まり、ビートの速い重低音が四方八方のスピーカーから発射される。ヒールの高いブーツを履きながらも軽快な ステップを踏んだ御鈴様は片手で振り付け通りのダンスを踊りながら、歌い始めた。そのダンスに合わせ、盛大な パイロと共に登場したロボットファイター達が、それぞれのパートを踊り始める。攻撃的なまでに、過激な演出だ。 炎の熱気が控え室まで漂ってきて、つばめは思わず息を呑んだ。 御鈴様の歌は、圧倒的に上手かった。事前に歌の流れを把握しておくために動画を何本か見たのだが、実際に 見ると迫力が段違いだ。声量は力強く、発音が明瞭で、声も掠れずに伸び、音域も恐ろしく広い。ダンスもキレが あり、振り付けを完璧に覚えている。もちろん、肉体の本来の主であるりんねの才覚もあるだろうが、彼女の能力を 最大限に引き出している伊織の技量も相当なものだ。これでは売れるのも当然だ。 「だけど、肝心の歌の内容がなぁ」 今、御鈴様が歌っているのはいわゆる電波ソングで、速いテンポに語感が近い単語をデタラメに並べたもので、 正直言ってつばめの趣味には合わなかった。美月はそうでもないらしく、頬を染めて舞台に見入っている。美月は こういう歌が好きなのか、とつばめが内心で意外に思っていると、美月は両の拳を固めた。 「武公の関節の可動域が広い、レスポンスも速い、体重移動も完璧、ああっ凄いぃっ! 設計図見たい!」 「あ、そっちか」 美月らしい反応だが、つばめはちょっと拍子抜けした。その切り替えの早さが少し羨ましい。 「だって凄いんだよ、ダンスのプログラムはインストールしたけど微調整する時間はなかったし、タイミングの設定も いじっていないのに、武公ってば自分で全部調整しちゃってるんだよ、リアルタイムで! ほら見て、レイのダンスは ちょっと遅れている、ほら、またステップがずれた! 岩龍も! なのに、武公は違うんだよ! うーわー、どうやって 造ったの、あの子! コジロウ君も並べて踊らせてみたら、状況適応能力の比較が出来るのにー!」 美月は声を上擦らせ、身を捩る。次、出番です、とステージ進行のスタッフに急かされ、美月は感激を引き摺った まま控え室を後にした。バックダンサーとしての仕事を終えて一旦引っ込んだレイガンドーと岩龍と武公に、指示を 出すためである。つばめは美月とは担当が違うので、まだ呼び出される段階ではない。 軽食や飲み物が用意されているテーブルに、場違いなものが沈んだコップが置かれていた。高守信和の意志を 宿した種子がだ。つばめがそのテーブルに寄ると、高守はすかさず携帯電話を操作し、筆談する。 『今のところ、予定通りだよ。御鈴様の歌で発生した微細な振動波が拡大しつつある。その証拠に、ほら』 高守の触手がスナック菓子の山に紛れているラッピングされた箱、コンガラを示した。カラフルなセロファンから、 ほのかに青い光が滲み出している。先程まで何もなかったのに。遺産と関わりの深いシュユを目覚めさせる振動波 ならば、遺産そのものに作用してもなんら不思議ではないだろう。 『道子さんがいてくれたら、本部に残っている携帯電話の送話器を利用して振動波を直接異次元に流し込めるん だろうけど、生憎、僕にはそんな芸当は出来ないからね。敵がこちらの馬鹿騒ぎを見つけてくれるまで、待つしか なさそうだよ。もっとも、そんなに長くはないだろうけど』 「コジロウ、大丈夫かなぁ」 つばめはエンヴィーのマスクをいじりながら不安を零すと、高守は答えた。 『彼は大丈夫だろうさ。ムリョウは遺産の中でも特に丈夫だし、彼のボディも高出力のエネルギーに耐えられる設計 になっているから、滅多なことでは壊れないよ。まあ、分解されたら別だけど』 「そうなんだよなぁ。新免工業とやり合った時はコジロウの手足が外されちゃって、ナユタにくっつけられちゃって、 挙げ句の果てにナユタがデタラメなエネルギーを出しちゃって、もう大変だったよ。だけど、コンガラはこうして手元 にあるんだし、暴走したとしても大したことにはならないよね。てか、暴走しようがないんじゃない?」 『つばめさんの管理下にある限りはね』 出番です、とスタッフに呼び付けられ、つばめはエンヴィーのマスクを被り直してコンガラを脇に抱えた。 「じゃ、行ってくる! 後はよろしく、主にヘビ男のこと!」 『頑張ってきてね。僕も羽部君も、出来る限り力を貸すよ』 「高守さんって、結構いい人だったりする?」 緊張を誤魔化すためにつばめが笑うと、高守は一本の触手を左右に振りつつ、ボタンを叩いた。 『まさか。本当に善良なら、新興宗教なんかで小手先の幸福を他人に与えて支配下に置いたりはしないし、シュユの 名を借りて自分の考えを押し通したりはしないよ』 「ああ、そうだろうねぇ!」 つばめは震え出しそうな拳を固め、ぱぁん、と手のひらに叩き付けた。高守は触手をしなやかに振っていたので、 つばめはそれに手を振り返してから、スタッフが渡してくれたマイクを握り締めた。ステージに続く細長い階段を昇る に連れて、鼓動が早まり、呼吸が詰まり、緊張が漲ってくる。ロボットファイトの興行とは規模は段違いだ。ステージ では、御鈴様が五曲目を歌い終えていた。ステージ裏手に続く通路に入ると、レイガンドーの肩に腰掛けた美月が つばめに笑みを向けてきたので、つばめはぎこちなく笑い返してから、跪いた岩龍に身を委ねた。 レイガンドー、岩龍、武公。三体のロボットファイターは盛大なスモークとカクテルビームを浴びながら、一歩前に 踏み出した。すると、曲調ががらりと変わり、明るくポップな曲からエレキギターのリフが荒々しいヘヴィメタル調の 楽曲が演奏開始された。マイクと共にコンガラを力一杯抱いていると、岩龍がつばめを小突き、ウィンクするように ゴーグルを点滅させた。つばめはその仕草で少しだけ気持ちが緩み、深呼吸した後、唇を引き締めた。 戦いの始まりだ。 12 12/15 |