フカセツテンから一条の光が放たれ、空を焦がした。 見間違えようがない。ナユタの光だ。新免工業の大型客船での暴走が脳裏に過ぎり、つばめは臆しそうになった が踏ん張った。ナユタはつばめの精神に連動している、だから、つばめが怯えてはナユタの制御が失われてしまう。 フカセツテン内部の異次元と物理的法則が同一のナユタの光がフカセツテンの表面に反射し、次第にその輪郭が 縁取られ、視認出来るようになってきた。上空での異変に気付いた観客達の視線は、ステージからフカセツテンに 釘付けになり、歓声も弱まってきた。ダイヤモンド型にカッティングされた鉱石を横長に引き延ばしたような、涙型の 形状の結晶体は、槍の穂先のような鋭利な尖端を下方に向け、音もなく迫ってきていた。 「あれ、何?」 レイガンドーの肩越しにフカセツテンを目視し、至極尤もな意見を述べた美月に、伊織は肩を竦める。 「新興宗教の本部。んで、宇宙人の宇宙船? みてーな?」 『これだけの人数をフカセツテンの落下予測地点から逃がすのは骨だ、コンガラを使おう』 つばめの肩の上で高守が筆談したが、つばめは聞き返す。 「使うっていっても、これ、複製するだけしか出来ないじゃない。何をどうやれっての」 『このステージの構造物を複製するんだ、一つや二つじゃなくて山ほど。考えている時間はないよ!』 高守に急かされてつばめは改めて危機感を覚え、コンガラを包んでいたリボンとセロファンを外して投げ捨てると、 黒い金属製の箱を思い切りステージに押し付けた。コンガラはつばめの手の下でうっすらと光を放ったが、複製は 始まらなかった。それもそのはず、つばめの脳内に複製後の明確なイメージが存在していないからだ。ステージ の構造物を複製したとしても、真正面に作ってしまっては観客が巻き添えを食ってしまう。かといってライブ会場 から離れた場所に複製したところで、突っ込んでくるフカセツテンを防げない。どうすればいい。 息を詰め、フカセツテンを睨む。結晶体の上部に浮いている光の中から飛び出した一つの黒い影が、真っ直ぐに ステージに狙いを定めている。美野里だ。歓声が悲鳴に、ざわめきが怒声に、戸惑いが確信に変わっていくのが 肌で感じられる。すると、音もなく這い寄っていた人影がつばめの背後に寄り、目の前に携帯電話を差し出した。 「理解しなくてもいいから、この計算式を頭に叩き込んでくれる? この僕の理論が正しくないわけがないんだから、 疑ったりしたらこの場で頭から飲み込んでやるよ」 羽部だった。携帯電話のホログラフィーモニターには複雑な数式が表示されていて、つばめはそれが何のための 数式でどんな答えが出るのかも察しは付かなかったが、数式自体は中学数学のレベルだったので、頭に入らない こともなかった。舐めるように目を走らせ、言われた通りに頭に叩き込んでから、コンガラに念じた。 「作って!」 命じた途端にコンガラから光と共に僅かな風が生まれ、つばめの前髪を舞い上がらせた。直後、ステージと同一の 構造物がライブ会場を囲む形で出現し、更にその上に出現し、またその上に出現し、積み重なっていく。その様 は、さながらジェンガのようだった。一晩の突貫工事で鉄骨を組んで造られたステージは増殖に増殖を続け、前後 左右に蓄積された複製品のステージは内側に向けて傾きながら更に増殖していき、アーチ構造のトンネルを形成 した。美野里は空中で一瞬たじろいだが、ステージの照明と鉄骨の隙間を器用に擦り抜けていき、つばめとの距離 を狭めてくる。観客達の悲鳴と鉄骨同士が組み合う騒音に羽音は紛れず、漆黒の複眼につばめが映る。 「次はこれ」 そう言って、羽部はおもむろにペットボトルを差し出してコンガラに浴びせた。その冷たさにつばめは手を引っ込め そうになったが、堪えて再び念じた。すると、コンガラから猛烈な勢いで水が噴出し、美野里に命中した。 「ぎひっ!?」 思わぬ反撃を喰らった美野里は吹き飛ばされ、鉄骨のアーチの内側に叩き付けられた。水の複製と同時に噴出 が続いている水の勢いは止まらず、美野里とステージの間には薄い霧が掛かった。水圧で鉄骨に押し付けられた 美野里は稚拙ながらも確実な攻撃から脱しようと藻掻いていたが、動きが止まり、六本足が弛緩した。このまま では美野里が死んでしまうと危惧し、つばめはコンガラから手を離して水を止めた。羽部はつばめの判断を咎め なかったので、それでよかったのだろう。羽の根本が鉄骨に辛うじて引っ掛かっている美野里が反撃に転じる気配 はなく、触角も垂れ下がっている。だが、油断は出来ない。 不意に、凄まじい衝撃がステージのトンネルを揺さぶった。雷鳴を数百倍に増幅したかのような破壊的な騒音が 頭上から轟き、一瞬、観客達の悲鳴が遠のいた。岩龍の影に潜り込んでライトの破片と思しき細かなガラス片から 身を守りつつ、つばめは頭上を仰ぎ見てみた。弧を描いて組み合っている鉄骨の上には、一目では見渡せないほど の規模を誇る結晶体が横たわっていた。これが、フカセツテンだというのか。 「……大きい」 つばめが率直な感想を漏らすと、つばめの肩に昇った高守が筆談する。 『僕も外から見たのは初めてだよ。船島集落と同規模だから、全長三千メートルはあると思っていいね。物理法則 が違うから分子の密度も違うとはいえ、並大抵の重量じゃないよ。羽部君の仕掛けがどれほど持つか』 「五分も持たないね」 羽部はアーチの根本を支えている構造物を指し示すと、眉根を寄せた。地面に接しているステージは鉄骨が既に 潰れつつあり、一つ折れるたびに降り注ぐ破片が増した。フカセツテンを乗せた状態が長引けば、その重量に負けて アーチを支えることが出来なくなり、いずれ観客達の真上に落下し、押し潰してしまうだろう。しかし、今度は一体 何を複製すればフカセツテンを押し戻せるのだろうか。つばめは嫌な汗が滲み、背中を伝った。 ライブ会場を設営したスタッフ達が観客達を出来るだけ遠くに逃がそうと尽力しているが、混乱が混乱を呼んで 人々の足並みが乱れているので、将棋倒しが起きないとも限らない。美野里が目覚める前に手を打たなければ、 次はない。だが、どうすればいい。羽部に次の作戦を乞おうと振り返ると、その羽部が何者かに吹き飛ばされた。 頭部を殴打されたヘビ男は派手に横転し、血の筋を引き摺りながらステージから落下した。長い尻尾が地面へと 吸い込まれていく様を目の当たりにし、つばめが唖然としていると、拳の主がつばめの背後に立った。 忘れもしない駆動音、排気熱。彼だ、と確信してつばめが振り返ると、コジロウが立っていた。羽部の血に汚れた 右の拳から一際鮮烈な青い光が漏れているのは、ナユタを手に収めているからか。つばめは歓喜して駆け寄ろうと したが、コジロウは躊躇いもなくつばめに拳を向けてきた。 「コジロウ?」 つばめが身動ぐと、コジロウは腰を落とし、構える。彼の最大にして最強の武器、腕力を行使するつもりだ。 「敵対勢力、確認。これより、戦闘を開始する」 「お爺ちゃんに、何かされたんだね」 怒りや戸惑いよりも先に哀れみを覚え、つばめはコンガラを抱き締める。 「本官は、敵対勢力に情報を開示せよとの命令は下されていない。よって、その質問には答えられない」 羽部の血がこびり付いた銀色の拳は、暴力の生々しさをまざまざと見せつけてくる。彼のマスクフェイスに翳りは なく、赤いゴーグルもつばめに据えられている。伊織はつばめを逃がすつもりなのか、腕を掴んでステージを下りろ と促してくれたが、つばめは首を横に振った。コジロウを停止させられるのはつばめだけであって、今、この場から 逃げたとしても事態の解決には至らない。それどころか、悪化の一途を辿る。コンガラまでもを奪われれば、祖父は 今以上に増長する。そうなれば、つばめの手元に遺産は戻らず、財産も相続出来ず、コジロウとも二度と会えなく なってしまう。つばめはコジロウに向き直り、一歩、踏み出した。 「コジロウ」 「本官には、そのような個体識別名称は設定されていない。本官は、ムリョウだ」 「ほら、丸腰。あんたって、そんな相手に攻撃するようなロボットじゃないでしょ?」 つばめは唯一にして最大の武器であるコンガラを放り投げると、コジロウはかすかに肩をびくつかせた。が、攻勢 には転じる気配はなく、つばめとの睨み合いを続けただけだった。 「本官は命令を行使する」 コジロウに続き、光輪を背負った巨体の異形も下りてきた。何かしらの力が働いているのだろう、ステージに着地 した瞬間に震動は起きず、軽く砂埃が舞っただけだった。これがシュユか。つばめは人智を越えた形状の生物に 圧倒され、息を飲んだ。コジロウだけならともかく、どうやってシュユの相手をすればいい。頼りないが頼みの綱で あった羽部もやられてしまい、拳大の種子に過ぎない高守は当てにならない。だが、逃げられるはずもない。 「それがどんな命令かは知らないが、本来のマスターに逆らうほどの価値がある命令なのか?」 ぐ、と両腕に力を込めて上体を起こしたレイガンドーは、直立してからコジロウを睨んだ。 「コジロウも本心ではそう思っていないから、俺達の回路の電圧が元に戻ったんだろ? 嘘とは言わせないぜ」 「ほんなら、ワシャあこいつを相手にしちゃろうかのう。程々に暖まった体を持て余すのは、勿体のうてな!」 続いて起き上がった岩龍は拳を叩き合わせ、シュユと向かい合った。 「僕達は人間に対する非殺傷設定は厳重に設定されているけど、相手が非人間型の生命体だとそうでもないんだ よねぇ。だから、あのお姉さんの相手をしてあげるよ。どうせ、もうすぐ目を覚ます」 武公は目線を上げ、鉄骨のアーチの内側で羽を震わせて水を払っている美野里を捉えた。 「レイ、大丈夫なの!?」 美月はレイガンドーに駆け寄ろうとしたが、レイガンドーはそれを制し、ステージの下を指し示した。 「俺達の試合はこれからが本番だ、トリプルスレットの決着はまだ付いていないからな。それより、美月はあいつの 心配をしてやってくれ。いくら人間じゃなくとも、コジロウのパンチをモロに食らって無事でいられるわけがない」 「あ、う、うん!」 美月は戸惑いながらも頷き、ステージから下りていった。その際に強引に伊織の手も引っ張っていき、伊織の姿も ステージから消えた。美月に逆らわなかったのは、無用な戦闘を行ってりんねの肉体を傷付けたくないからだろう。 武公の読み通り、程なくして美野里はステージに向かってきた。しとどに濡れた外骨格から水を滴らせながら、肩を 怒らせて苛立ちを露わにしている。つばめは不安と緊張と、それらを上回る戦意に駆られた。 今、ここで一瞬でも怯んだら終わりだ。コンガラで複製した即席の防御壁は長く保たない、よってフカセツテン自体を コントロール下に置かなければ三十万人もの観客の大多数が死傷してしまう。そのためには、シュユをつばめの 味方に付ける必要がある。コジロウも倒さなければ、彼の動力源であるムリョウに触れることすら出来ない。美野里 は出来れば傷付けたくはなかったが、手加減していたらこちらがやられてしまう。甘い考えは全て捨てよう。 「大人しく、コンガラを渡しなさい。そうすれば、少しぐらいだったら手を緩めてあげてもいいわよ?」 美野里は触角を振るって水気を払ってから、爪を掲げる。が、つばめは言い返す。 「生憎だけど、コンガラは現時点だと私の持ち物じゃないんだ。買いたければ、吉岡グループと売買契約を結んだら どうなの? もしかして、そっちはそれすらも出来ないぐらい金がないの? ああそうだよねぇ、可哀想な身の上の 女の子に相続させた財産を掠め取っていくような、みみっちい根性と金銭感覚しか持っていない、烏合の衆の悪の 組織だもんねぇー。で、お爺ちゃんのお姉ちゃん以外の部下って誰だっけ? もしかしていないの? いたとしても、 その人達を雇っていられるほどのお金はあるの? ないよね? だとしたら、さっさと書類を書き直して、遺産も財産も 私の懐に戻してくれないかな? 弁護士費用には色を付けて払ってあげるから」 「随分と言うようになったじゃない。でも、口は慎んだ方が身のためよ。お行儀も悪いし」 「人前に素っ裸で出るお姉ちゃんほどじゃないと思うけど」 はしたない、とつばめが怪人体の美野里を指すと、美野里は触角を立てた。 「解っているわよ、そんなこと。解っているけど、こればかりはどうしようもないんだから!」 御鈴様の立ち位置を示すテープがそこかしこに貼ってあるステージを蹴って、美野里は躍り出た。真っ先に応戦 したのは武公で、美野里の爪が振り上げられた瞬間に上右足を左手で掴み、腋の下に左腕を潜らせた。武公は 淀みない動作で美野里の背後を取ると鮮やかに投げ飛ばし、ステージに叩き付けた。アームドラッグだ。 だぁあんっ、とステージの床板として並べられている板が暴れ、美野里の体は一度バウンドした。が、転げ落ちる 寸前に意識を戻したのか、爪を引っ掛けて体勢を立て直した。背中の外骨格が歪んだのか、羽の付け根がずれて 体液が少しばかり滴っている。武公は左右に軽くステップを踏みながら、拳を上げて美野里を挑発する。 「たったそれだけでタップしないでよ? 盛り上がらないからね!」 「ガラクタロボットの分際で、いい気にならないで!」 「いいねぇいいねぇ、その安易なヒールキャラ!」 素早さを生かし、美野里は一瞬で武公の懐に飛び込む。だが、武公の反応速度も負けてはいなかった。美野里 の蹴りが武公の膝関節に加えられたが、武公はよろけもせずにその打撃を受け止めたどころか、打撃を受けた膝 とは反対の膝で美野里を蹴り上げた。ウェイトもパワーも差が大きすぎたらしく、黒い人型昆虫は大きな弧を描いて ステージの後方へと転がり、照明を支えている鉄骨に激突した。それでも、美野里は立ち上がる。 「こ……のぐらいで、私は負けたりは」 「思わないね。だってまだ、始まったばかりじゃないか!」 武公は無邪気にはしゃぎながら、美野里に迫った。美野里は逃れようとするも、先程の試合で機体の暖気が済んで いる武公の動きは滑らかで、尚かつ鋭かった。武公は美野里に背を向けて彼女の顎を肩に載せ、その態勢のまま 下半身を落とした。ごぎぃっ、と外骨格と合金製の外装が激突して仰々しい打撃音が響く。スタナーである。 「ぐ、あぁはっ」 折れた顎から体液とも胃液とも付かないものを撒き散らしながら、美野里は倒れ込む。ひどく咳き込む美野里の 首を掴んだ武公は、頭上より高い位置に掲げた後、渾身の力で床に投げ落とした。チョークスラム。 「ほらほら、やり返してみなよ? それともなあに、お姉さんって対人戦だとほぼ無敵だけどロボットとなると不得意 なのかなー? そりゃそうだよね、ウェイトもパワーも段違い、おまけにスタミナもだ!」 不規則に足を痙攣させている美野里を見下ろし、武公はせせら笑う。美野里は折れた顎を軋ませ、六本足に力を 込めて震えながらも体を起こすが、度重なる打撃で目眩がしているのか、足が真っ直ぐ伸びきっていない。もう一度 大技を喰らわせれば、勝負は決まる。つばめは外骨格に大きなヒビ割れが出来て体液を垂れ流している美野里を 正視しづらかったが、目を逸らすべきではないと注視した。武公はおもむろに美野里をリングを囲むチェーンに振り、 がしゃあっ、と太いチェーンに絡まって項垂れた美野里に狙いを定めた。が、その時。 「どあらっしゃああああーいっ!」 野太い怒声を上げた岩龍が、シュユの下半身を掴んで豪快なスープレックスを決めようとした。しかし、二本の足 ではなく触手で構成されているシュユの下半身は収縮し、岩龍の荒々しいホールドからは逃れたが、慣性の法則に 従ってあらぬ方向に飛び出した。ジャーマンスープレックスを決めるはずがバックドロップになってしまい、リングを囲む チェーンを巻き込みながら落下した。シュユは背負った光輪を点滅させながら、怠慢な動きで上体を起こす。 「もっと気張ってこんかい! 面白うないんじゃい!」 岩龍はシュユに詰め寄ると、シュユはすかさず岩龍に触手を絡ませてねじ伏せようとするが、岩龍はそれ以上の 出力でシュユの触手を強引に引き千切った。シュユが僅かにたじろいだ隙を見逃さず、岩龍はシュユの腋の下に 頭部を差し入れて下半身を掴み、担いだ。ファイヤーマンズキャリーの態勢だ。 「だあらっしゃーい!」 意味はないが覇気は上がる雄叫びを上げながら、岩龍は横向きに倒れてシュユの頭部を床へと突っ込ませた。 デスバレーボム。すると、まともに喰らった衝撃によって光輪が歪み、遂に光が途切れた。常に発光していたから 解りづらかったが、光輪は実体を伴った肉体の一部だったようだ。岩龍からニードロップで追い打ちを掛けられて、 シュユは無数の触手をうねらせるも、立ち上がれなくなった。いかに新興宗教の神様であろうと、こんな仕打ちを 受けるとは予想していなかっただろう。触手を無造作に掴まれている異形の神に、つばめは少し同情した。 根性見せんかいっ、と叫びながら、岩龍はシュユを抱え、その首を極めている。異形の神は人間とは体の構造が 明らかに違うので、首を絞めれば落ちるのかは解らないが、苦しいことには変わりないらしい。その証拠に、シュユ は必死に藻掻いていた。ラフファイトが売りのヒールである岩龍の技の掛け方は特にパワフルなので、並大抵では 抜け出せないのだ。次第にシュユはぐったりしてきて、狂ったように乱れていた触手が一本、また一本と脱力して いった。このままでは生死に関わるので、つばめは慌てて遮った。 「岩龍、ストップ! それ以上やるとダメだって!」 「なんじゃい、せっかく調子が」 出てきたのに、と岩龍が言いかけた時、レイガンドーが投げ飛ばされてきた。シュユに気を取られていた岩龍は 彼を避けきれず、まともに突っ込まれてしまった。ぐわしゃあああっ、とけたたましい騒音を生み出した二体は、激突 した衝撃で互いに吹っ飛ばされ合った。ステージの外側にいた岩龍は場外へ、内側にいたレイガンドーはセットへ。 最新式の大型ホログラフィー投影装置を完膚無きまでに破壊したレイガンドーは、弁償出来るかな、とぼやきつつ、 破片にまみれながら立ち上がった。レイガンドーを投げ飛ばした主の赤いゴーグルが、攻撃的に輝く。 「敵対勢力、排除」 「いつまでもじゃれ合っていられないんだがなぁ。アイアンマンマッチは、また今度にしようぜ」 レイガンドーは構え直し、コジロウと向かい合う。コジロウはマスクフェイスを翳らせ、拳を上げる。 「排除」 「投げ技は俺の本領じゃないからな、俺もそっちが性に合っている!」 両の拳を固めたレイガンドーが腰を落とすと、コジロウは両足の脛からタイヤを出して急速発進した。再び激突 する、かと思いきや、レイガンドーはコジロウに懐に入られる寸前でコジロウを押し止めていた。コジロウのタイヤが 空回りし、悲鳴に似たスキール音とゴムの焼ける匂いが漂う。 「そらよっとぉっ!」 コジロウを突き放し、コジロウが仰け反った瞬間にレイガンドーはアッパーカットを放つ。白いマスクが銀色の拳に 削られ、中空に火花が散った。たたらを踏んだコジロウが体勢を立て直そうとするが、レイガンドーは素早いジャブ を小刻みに繰り出してコジロウを揺さぶり続け、バランサーを乱しに乱した後、ダブルアッパーで突き上げた。 「色男を台無しにするが、恨むなよ!」 コジロウがバランサーを自動補正して姿勢を戻す寸前に、レイガンドーは拳を開いてコジロウにアイアンクローを 仕掛けた。本来は土木作業用の人型重機であるレイガンドーは、腕力では岩龍にも引けを取らない。だからこそ、 ボクシングを主流とした格闘スタイルで勝ち抜いてこられたのだ。 コジロウはレイガンドーの手中から逃れようと、レイガンドーの右腕の外装に指をめり込ませてきた。分厚く頑丈な 外装が紙屑のように引き千切られ、ケーブルやシャフトが露出する。過電流と機械油が散り、血溜まりならぬオイル 溜まりが両者の足を滑らせる。態勢が崩れきる前に力を注いだレイガンドーはコジロウのゴーグルを指先で砕き、 アイセンサーを手のひらで潰し、白いマスクの下に隠されている各種センサーを壊しに掛かった。だが、コジロウは 手探りにも関わらず、的確にレイガンドーを攻めていた。マスクに深いヒビが走り、内蔵されたセンサーにも損傷が 及ぶ寸前、突然、レイガンドーの右手が開いた。コジロウの手刀が、彼の右腕の肘関節を折ったのだ。 「いよ、っとぉ!」 刹那、レイガンドーは折られた右腕を引いて左半身を捻り出し、コジロウの右肩を殴り付けた。バランサーは正常 に作動してもセンサー類の大半が破損したからか、コジロウの姿勢は安定しない。レイガンドーに反撃を加えようと するが見当外れの位置に向かい、結果としてレイガンドーの好機を増やすだけだった。 左フック、左アッパー、ボディーブロー、ボディーブロー、ジャブ、ジャブ、ジャブ、更に左アッパー。首の付け根の 外装が割れて頸椎に当たるシャフトが覗き、千切れたケーブルが何本も零れる。コジロウのあまりの痛ましさに、 つばめは吐き気すら憶えた。だが、今は堪えなければ。喉の奥に迫り上がる胃酸の味に辟易しながら、つばめは 頭上のフカセツテンを見上げた。巨大な結晶体の底部がステージで組んだ即席のトンネルを破りつつあり、会場に 注ぐ鉄骨や破片の量も頻度も目に見えて増えている。もう、時間がない。 「レイガンドー! コジロウの胸の下を狙って! そこを叩けば、コジロウは止まる!」 「なるほどな、ロボットでも急所はハートってことだ!」 レイガンドーはつばめに応じながら腰を捻り、踏み込み、遠心力を伴った超重量級のパンチを投じた。その一撃で コジロウの胸部装甲は砲弾を飲み込んだかの如く抉れ、バックパックが内側から盛り上がった。臓物に似通った パイプやチューブごと拳を引き摺り出したレイガンドーは、ふらついたコジロウを強烈なアッパーで仰け反らせた。と、 同時に彼の頭部が高々と宙を舞った。度重なる攻撃で外れかけていた首のシャフトが先程の一撃で折れたのだ。 黒々とした機械油が噴き上がり、レイガンドーの頭部と拳に滴り落ちる。ごっとん、とステージに落下したコジロウの 頭部を直視してしまい、つばめは血の気が引いたが、それも意地で堪えた。 「わっ、私に考えがあるの!」 つばめが駆け寄ると、レイガンドーは膝を付いて目線を合わせてきた。 「言ってみろ。俺が出来ることなら、やってみせる」 「コジロウの右手の中に、ナユタがあるの。それを使えば、フカセツテンを浮かばせられる」 「よし、解った」 悪く思うな、と呟いてから、レイガンドーはコジロウの右肩に全体重を掛けて外装を踏み砕いた。半壊した肩関節 の根本を潰し、片足でコジロウの胸を踏みながら右腕を引き抜くと、それをつばめの前に差し出してきた。コジロウは 最早原形を止めていない。それもこれも、自分のせいだ。その事実に打ちのめされながら、つばめはコジロウの右手 を開かせようとした。だが、関節が固まっていて上手く動かない。機械油で手が滑り、力が入らない。 「手伝うよ。君の力だけじゃ、出来ないことは一杯あるからね」 外装のそこかしこに美野里の返り血を帯びた武公が近付き、コジロウの指を開かせてくれた。 「後で、コジロウに謝らなきゃ。一杯、一杯、一杯……」 この手で何度守られただろう、支えられただろう、救われただろうか。それなのに。つばめは自責の念から滲んだ 涙を拭えず、震える顎を噛み締めた。岩龍がつばめの背後に腰を下ろし、覆い被さってきた。 「何があっても、最後まで一緒にいてやるけぇのう。ワシじゃとコジロウの代わりにはなれんかもしれんがな」 武公はコジロウの右手の指を力任せに開かせ、その手中に握り締められていた青い結晶体を取り出し、つばめ に渡してきてくれた。円筒形のガラスケースは粉々に割れ、チェーンは切れていて、ナユタから零れるエネルギーは 途切れ途切れだった。つばめの心中と同じだった。 「ごめんなさい」 コジロウにも、美野里にも、他の皆にも。 「もっと頑張るから。しっかりするから。強くなるから。だから、お願い」 これ以上、ひどいことにさせないために。つばめは衣装を千切ってナユタを包んでから握り締め、胸に当てると、 傷だらけで首と右腕を失ったコジロウに寄り添った。お揃いにするはずだったのに、コジロウだけが付けた片翼の ステッカーも擦り切れていた。レイガンドーの拳が掠ったのだろう、コーティングごと無惨に破れている。ステッカー に手を重ねて慈しみ、つばめは呻いた。コジロウの胸部装甲に額を当て、ナユタに願った。 清浄な青い光が溢れ、広がっていく。ライブ会場を上回る広範囲にナユタのエネルギーが及び、地球上の万物 に等しく与えられる重力から解放された。鉄骨を突き破らんとしていたフカセツテンもまた緩やかに浮かんでいき、 徐々に遠のいていった。折れた鉄骨、ライトの破片、観客達の持ち物、ロボットファイター達の部品、機械油の雫、 控え室の屋根のシート、誰かが投げ捨てていったペンライト、そしてコジロウの頭部。 弱重力の中を泳いだつばめは、コジロウの頭部を回収すると、衣装が破れるのも構わずに抱き締めた。どれほど 謝っても、償いきれない過ちを犯した。それでも、立ち上がらなければならない。遺産がこの手にある限り、祖父の 意思が潰えぬ限り、誰かが遺産を利用しようと企んでいる限り。 「REC所属のロボットファイターによる、エキシビジョン・トリプルスレットマッチ! 勝者、レイガンドー、岩龍、武公 ーっ! そしてぇ、彼らを応援してくれた皆さぁーんっ! どうもあぁりがとぉーっ!」 ステージに戻ってきた御鈴様は叫んだ後に勢い良くマイクを振り上げると、スポットライトが注いだが、御鈴様からは 少し外れていた。ナユタのエネルギーフィールドによる影響で誰も彼もが浮かび上がっている状態なので、演出係の スタッフも調整が間に合わなかったようだ。御鈴様はマイクを両手で握り、満面の笑みを浮かべた。 「それでは引き続き私の歌を、って言いたいところだけど、皆、係の人に従って退場して下さい! ちょーっと演出が 派手になりすぎちゃったから、セットが壊れちゃったの! 押さない、駆けない、喋らない、を守ってねー!」 御鈴様が大きく手を振ると、従順な返事が返ってきた。不慣れな弱重力に戸惑う人間が大半だったが、スタッフの 懸命な努力のおかげで、観客達はライブ会場の外側に吐き出されていった。御鈴様は笑顔を保ちながら、つばめ に目を向けた。つばめは御鈴様に掠れた声で礼を述べてから、コジロウの頭部を掻き抱いて嗚咽を殺した。 「コジロウの奴、俺達にはほとんど攻撃してこなかったな。だから、そういうことなんだよ。だから、あんまり気に病む じゃねぇよ。ウゼェから。どんな形であれ、主人を守れただけで本望なんだよ。道具ってのは」 俺もそうだから、と小声で付け加え、素の表情に戻った伊織はつばめに少し笑んだ。それは伊織の主観であって コジロウの主観じゃない、とつばめは言い返そうと思ったが、何も言葉が出てこなかった。言葉に出来るほど感情が まとまっておらず、感情と呼べるほどくっきりとした情念はなく、ただひたすらに苦しかった。 今ばかりは、膝を折っても許されるだろう。 12 12/21 |