下半身の人工外皮を剥がし、触手を解いた。 触手は一本だけでも常人の腕力を越える筋力を備えている。だから、下半身の触手だけでも、寺坂の上半身と 美野里の重量を易々と支えることが出来る。それでも、触手だけというのは味気ないので、人工外皮を被せたままの 両腕で美野里を横抱きにしてやった。その状態で再び病院に戻ると、人々はどよめき、道を空けた。 化け物同士の婚礼のようだ。だが、足元に伸びるのはバージンロードではないし、廊下の壁際に避けている人々 は寺坂と美野里を祝いに来た客ではないし、向かう先には愛の誓いを立ててくれる聖職者はいない。いるのは、生と 死の狭間に揺らぐ少女と異形の青年だ。エレベーターを使うと触手の端が挟まれてしまいそうな気がしたので、階段を 一段一段上っていき、最上階の病棟に辿り着いた。 騒ぎを聞き付けたのか、りんねと伊織が寝かされている病室からは文香が現れた。寺坂に拒絶されたのが余程 堪えたのだろう、目元の化粧が崩れかけている。文香の面差しにはほんの少し突けば爆ぜてしまいそうな危うさが 張り詰めていて、寺坂への警戒心も漲らせていた。そそるなぁ、と寺坂は内心で少し笑う。だが、今は情を注ぐべきは 美野里だけだ。寺坂は美野里を見せつけるように掲げながら、文香に言った。 「気が変わった。出来る限りのことをしてやるよ」 「そう」 文香は寺坂と美野里を眺めていたが、背を向けた。俯きがちな横顔は、哀切で痛々しかった。 「りんねも、伊織君も、苦しめないであげて」 「ああ、出来る限りはな」 寺坂は触手を一本出してドアをスライドさせ、開いた。するりと病室に入ってドアを閉めると、板越しに文香の嗚咽 が聞こえてきた。りんねを再び失うかもしれない恐怖に苛まれているのだろう。 改めて、ベッドの上に横たわる二人を確かめる。窓際のベッドにりんねが、壁際のベッドに伊織が横たえられていて、 りんねの体にはコードやチューブが付いていた。心電図が規則正しい電子音を鳴らし、酸素マスクから酸素が 供給され、脈拍に合わせて点滴が流し込まれている。対する伊織には計器のコードは付けられていたが、点滴や 酸素マスクは付いていなかった。人型軍隊アリであり、人間とは体の構造がまるで違う伊織には、余計な付属物 を付けられなかった、と言った方が正しいのかもしれないが。 壁際にあるソファーを引き摺ってきてベッドサイドに横たえ、その上に美野里を寝かせてやる。寺坂は美野里の顔 に手を添え、折れた顎の狭間から覗く口に指先を入れてみた。唇よりも遙かに硬く、歯の数十倍の強度を誇る顎は 固く閉ざされていて、その中の柔らかな粘膜には触れられなかった。それが少し残念だったが、美野里の外骨格に 偽物の唇を当ててから、寺坂はサングラスを外した。 「みのりんもいおりんも御嬢様も、俺が気持ち良くしてやるよ」 腹に力を込めて、目を凝らす。精神の触手を乖離させながら、寺坂は二人に近付いた。精神の触手がクテイの 触手を断ち切れるなら、その理屈で精神体を繋げ合わせている二人のパイプラインも断ち切れるはずだ。そして、 そのパイプラインをそっくりそのまま寺坂と美野里に繋げてしまえれば、美野里は寺坂の支配下に置かれることに なる。かなり無茶をすることになるのだから、りんねと伊織の精神体は無傷では済まないだろう。だが、最早、寺坂 は誰を犠牲にしても厭わない覚悟を据えていた。そこまでしなければ美野里を振り向かせられないのだから、何を 壊そうが、失おうが、気にならない。 思い返してみれば、いつもそうだ。寺坂善太郎は、強欲で貪欲な人間なのだ。子供の頃からそうだった。堪え性が なく、他人の持ち物を羨んでは奪い取り、飽きては捨てていた。だから、誰かが大事にしているバイクや両親が細々 と貯め込んでいた金を奪って遊びに使っても心が全く痛まない。だが、右腕を失って触手を植え付けられ、クテイと 佐々木長光に利用されていることは気に喰わなかった。利益を得るのが自分ではないからだ。だから、長光には 抗い、逆らったが、この体たらくだ。故に、長光を出し抜かなければ気が済まない。 作業は単純だ。寺坂の精神の触手を使い、りんねと伊織の精神体を引き剥がし、二人を繋いでいるパイプライン を切断し、それを美野里と寺坂の間に移植する。寺坂の精神体は自由に剥がせるし、美野里も意識を失っているから 抵抗されないだろうし、遺産の互換性があるから拒絶反応も起こらない。 息を詰め、気を張り詰め、精密に触手を動かしていく。サングラスを掛けては外し、物質宇宙と異次元宇宙の狭間 を見極め、精神と肉体が剥がれかけている部分を見つけ出す。そこに触手を滑り込ませて持ち上げるが、精神体 には重量はほとんどないので手応えがないのが心許ないが、躊躇っていては作業が滞る。りんねと伊織の精神体 を持ち上げ、両者を結び付けているモノを目視する。触手よりも細く、弱く、白く煌めく糸。さながら蜘蛛の糸だ。 糸を慎重に切り離し、絡め取ってから、りんねと伊織の精神体を元在る場所に下ろした。その瞬間、二人の肉体 は僅かに痙攣したが、意識が戻る兆しは見受けられなかった。糸が消えないうちに、寺坂は脆弱な糸を己の触手 に結び付けて溶かしてから、美野里の精神体を乖離させ、糸の尖端を彼女に結び付けた。 「……う」 ぎぎぃ、と美野里が外骨格を軋ませ、胸郭からくぐもった声を漏らした。美野里からフィードバックしてきた情報と 感情の波をやり過ごしてから、寺坂は美野里を優しく抱き起こす。 「おはよう、みのりん」 人型ホタルの触角が上下し、寺坂の匂いを探る。首を曲げて濁った複眼を動かし、寺坂の姿を映す。 「ます、たぁ……?」 「長光のクソ爺ィはもういない。だから、俺がマスターになってやるよ」 寺坂は美野里の複眼を覗き込み、笑みを見せる。美野里は六本足を曲げて身動ぐが、抗わず、弛緩する。 「私のこと、褒めてくれる?」 「そりゃもちろん」 「一杯、甘えてもいい?」 「当たり前だ」 「家族になってくれる?」 「言われるまでもねぇよ」 寺坂が頷くと、美野里は顎を開いて少し力を抜いた。上両足を上げ、寺坂の背中に添えてくる。爪先がジャケットに 刺さっていて、手付きはぎこちない。寺坂も人工外皮を被せた左手で美野里を抱き寄せ、その重みを味わう。 「長光のクソ爺ィなんか、すぐに忘れさせてやる。半日も掛からねぇよ」 精神は既に繋がっているのだから、後は肉体を繋げてしまえばいい。美野里は身を捩り、触角を下げる。恥じらって いるのだと察し、寺坂は一際劣情が膨れ上がった。それが流れ込んでいるのか、美野里は寺坂から懸命に顔を 逸らそうとする。すかさず触手を添えて美野里の顔を向けさせ、目を合わせ、寺坂は万感の思いを込めて囁く。 「何、してほしい?」 「つばめちゃんを殺して。ぐちゃぐちゃに、めちゃめちゃに、ごちゃごちゃにして、私にプレゼントして?」 首を大きく逸らし、美野里は触角をびんと強張らせた。黒い爪が寺坂の人工外皮に食い込み、破る。 「ねえ、ねえ、ねえ?」 ぶちゅぶちゅっ、と人工外皮の下の触手を千切りながら、美野里は上体を起こして寺坂に顔を寄せる。 「私のこと、好きなんでしょ? 好きにしたいんでしょ? 好きになってほしいんでしょ? だったら、なんで私の全部 を肯定してくれないの? マスターみたいに、何をやっても褒めてくれないの? マスターがしてくれたことをしてくれ ないんだったら、好きになるわけがないじゃない。好きになってくれないなら、好きになる意味がないじゃない」 美野里の上右足の爪が曲げきられると、寺坂の人工外皮を被った左手首が切り落とされる。薄いシリコンで出来た 手の形をした袋と触手の尖端が床に転げ、のたうつ。美野里はソファーから起き上がり、ぐるりと頭部を回す。 「どうして、好きになってくれないの?」 あの細い糸を通じて、激情が逆流してくる。寺坂は目眩と吐き気を堪えながら、美野里と向き直った。美野里の心 を満たしているものは、血反吐が混ぜ込まれたヘドロだ。中でも最も強烈な感情がつばめへの嫉妬と憎悪だった。 両親に素直に甘えられるつばめが羨ましくて、要領が良いつばめが妬ましくて、愛想が良いつばめが腹立たしくて、 それ故に怪人と化した。それでも、美野里は満たされない。つばめがこの世に存在している限り、長光にどれほど 褒められようと認められようと頼られようと、劣等感からは逃れられない。 「ああ、そうかよ」 好きでいたのに、好きでいようと決めたのに、どんな本性を見せられても愛せる自信もあったのだが。猛烈な悪意 を流し込まれては、寺坂と言えども萎えてしまう。 「だって、寺坂さんの価値って、私を好きでいてくれることだけでしょ?」 「なんだよそれ。俺はキープだってのか? 俺はいつだって、みのりんが本命だったのにさぁ」 寺坂は切断された触手を再生させて、毒突いた。美野里が好きでいたいのは、他人から常に好かれていて常に 求められている自分であって、寺坂自身ではないということだ。その事実を知るのがもっと早ければ、寺坂も美野里 にここまで執着せずに済んでいたかもしれないし、事態の悪化を防げたかもしれない。だが、後悔するだけ無駄だ。 支配出来ると思っていた、支配したいと願っていた、支配出来ないわけがないとタカを括っていた。だが、そんなこと はなかったのだ。美野里は長光に寄り掛かることで、自分自身を最肯定してもらおうとしていただけだった。過剰な プライドと自意識の固まりだ。愛し愛され、という暖かな関係は元より望んでいないのだ。 「あ、ふぁっ」 甘ったるい声を漏らした美野里は仰け反り、二の腕に当たる節に爪を立て、顎を逸らす。 「は、はぁっ、入って、入ってきちゃ、あぅんっ!」 びぃんっ、と羽を張り詰め、美野里は下両足を突っ張らせる。その性感に酷似した感覚は、あの糸を通じて寺坂も 味わわされていた。同時に、膨大な情報も流し込まれ、その感覚を与えた輩の正体も知らしめられた。この上ない 屈辱に歯噛みした寺坂は、せめて美野里の肉体だけでも奪い返そうと触手を掲げ、投じる。 一閃、黒が翻る。美野里の爪が寺坂の触手を切り捨て、壁へと放った。粘液を撒き散らしながら壁に突っ込んだ 触手の切れ端は、ぬるりと筋を残しながら滑り落ちる。寺坂は応戦するべく触手を操ろうとしたが、脳内の神経伝達 細胞を駆け巡った電気信号が神経に至る際に異物に阻まれ、突っ伏した。この感覚には、覚えがある。 「……クッソ爺ィ」 埃一つない床に頬を押し当てながら、寺坂が吐き捨てると、美野里は深々と礼をした。長光の仕草だった。 「お久し振りです、善太郎君。いずれ、こうして下さると思っていましたよ」 「なんでまた戻ってきやがったんだ、今度こそあの世に行ってくれたと思って祝杯上げちまったじゃねぇか」 寺坂は起き上がろうと触手に力を込めるが、微動だにしなかった。美野里は顎に爪を添える。 「アマラと同様、ラクシャも本体は情報そのものであってデバイスではないのです。まあ、道子さんのようにすんなり とは行きませんがね。シュユの肉体が破壊された瞬間、ラクシャが宿している情報を別の場所に一時的に転送 し、退避したのです。以前、桑原れんげさんが構築しておいてくれた、人間の概念という名の最も身近な異次元宇宙の 内側に形成されたネットワークにね。おかげで、全ての情報が無事でしたよ。私の記憶も、人格も、何もかもがね。 負傷した美野里さんが自己修復のために遺伝子情報をダウンロードしている最中に、それに便乗して私の情報の 一切合切も美野里さんの中にダウンロードさせておいたのです。効率的でしょう?」 「桑原れんげ? あいつも、てめぇの」 「当たり前ですよ。私以外の誰が、あんな大それたことを企てますか。桑原れんげさんは、次男の浅知恵と美作彰 君の妄想だけで出来上がるようなネットワークではないのですよ。そして、私以外の誰も、彼女を掌握出来ないの ですからね。れんげさんの人格を構築するに当たって、道子さんの感情の変動を引き出すために彰君にストーカー じみたことをさせてみたのですが、いつのまにか彰君が本気になってしまったのは参りましたけどね。そのせいで、 道子さんを仕留めてサイボーグ化するタイミングが少しずれてしまいましたよ」 美野里の肉体に意識を宿した長光は、爪先を使って寺坂の顎を上げさせる。 「美野里さんと共に過ごせて、良い思いが出来たことでしょう。でしたら、もう、思い残すことはありませんね」 「また、俺の体を使う気なのか」 「いえいえ、そんなことはいたしませんよ。もう、善太郎君に用事はありませんからね。りんねさんも伊織君も、皆、 私の思い通りには動いてくれませんでしたからね。ですから、二度とお会いすることはないでしょう」 「ああ、とっとと死んでくれよ。閻魔様が勺をフルスイングして地獄に落としてくれるぞ」 触手のほとんどが脱力していく中、寺坂が意地で言い返すと、美野里の姿をした長光は首を傾げた。 「ああ残念ですね、最後の機会でしたのに。美野里さんを満足させて下されば、美野里さんを善太郎君に譲渡して もよろしいと思っていたのですが、美野里さん御自身が善太郎君を選ばなかったのですから。それだけ、彼女は 底なしに飢えているのですよ」 「俺を殺すなら、さっさとしやがれ。まどろっこしい」 「そんなに勿体ないことはいたしませんよ。クテイは恋愛感情も好みますが、ここ最近は憎悪も好んで食するように なったのです。ですから、存分に私を憎んで下されば、それだけクテイは満たされていくのです。次にお会いする時 を楽しみにしておりますよ、善太郎君。盗んでいった家紋も返して頂きますからね」 再び一礼してから、美野里の姿をした長光は窓ガラスを突き破り、脱した。起き上がることも出来ないまま、寺坂 は羽を振るわせて飛び去っていく黒い姿を見送った。途方もなく空しさと、更なる悔しさと、一抹の解放感が寺坂の 淀んだ心中を塗り潰していった。道子にも振られて美野里にも振られるとは散々だ。 長光は、恨め、と言い残していった。けれど、そう言われると逆らいたくなる。確かに長光も美野里も心の底から 腹立たしいが、かといって、根性も何もかもねじ曲がった寺坂が言われた通りに出来るわけがない。クテイも長光も 持て余した末に腹を下すような、感情でも抱いてやろう。だが、それが何なのかを考え付く前に、寺坂はまたも黒い 爪に切り捨てられた。下半身を成していた触手が一息に両断され、膨大な体液が噴出する。赤黒い飛沫を浴びて 突っ立っているのは、伊織だった。抗えるほどの余力も失せた寺坂は諦観し、意識を手放した。 そして、寺坂は鮮やかに両断された。 燃えろよ燃えろ、と道子は高らかに歌った。 有り余る欲望が詰まっている黴臭い雑誌や写真集は、次々に焚き火にくべられて灰と化していった。鮮やかな炎 をぼんやりと眺めながら、つばめは縁側で膝を抱えていた。寺坂への思いをきっぱりと切り捨てた道子はつばめに 散々甘えて泣き付き、気が晴れたのだが、晴れすぎて突き抜けてしまったらしい。そして、勢い余って寺坂の蔵書で あるエロ本の山を燃やしていた。本格的に黴びていたり、湿気ている本ばかりなのは、道子もそれなりに気を遣って いるのからだろう。黒い煙に舞い上げられた薄い灰が、薄曇りの空へと吸い込まれていった。 「ああ、なんて清々しいんでしょうか! どんど焼きですね! いえ、この辺だと賽の神ですね!」 満面の笑みを浮かべて振り返った道子に、つばめは曖昧な返事を返した。 「いや、あれはエロ本じゃなくて藁だよ。まあ、道子さんがそれでいいなら、別に何も言わないけどさ」 「焼却灰による近隣地域の汚染濃度をシミュレーションの後、算出し、報告すべきだ」 竹箒で枯れ葉を集めていたコジロウに忠告され、つばめは苦笑する。 「どこに? てか、こんな山奥なんだし、文句を言ってくるような御近所さんなんていないと思うけど」 「そういえば、高守さんはどこにいらっしゃいますか? 今朝から、お見かけしていませんけど」 湿気を吸って膨らんだエロ本を焚き火に投げ込んでから、道子が訝ると、つばめも気付いた。 「言われてみれば。高守さんって種だけなんだし、そう遠くへは行けないはずなんだけど」 いや、そうでもないな、とつばめは思い直した。りんねが自殺を企てて伊織のアソウギを暴走させた際に、高守は 地面に根を張って土を掻き集め、仮初めの体を作り上げていた。あまり長持ちはしない、と高守は語っていたが、 その方法さえ用いればある程度の移動は可能だろう。どこに行ったのかは気掛かりだが、いざという時は道子に 探してもらえばいい。それに、他の面々とは違い、高守は攻撃的ではない。寺坂、一乗寺、武蔵野といった男達は 血の気が多いが、高守は比較的大人しいタイプだ。だから、そのうち帰ってくるだろう。 だが、仮にも弐天逸流の上位幹部だった高守が全くアクションを起こさないとは限らない。つばめの目を盗んで、 弐天逸流の再興を目論んで暗躍していたとしたら。不安に駆られたつばめが唸ると、コジロウが平坦に言った。 「んー……」 「つばめ。本官が三十キロ離れた先の量販店の特売で買い込んできた、五パックの卵の処理方法については」 「いや、それはいいから。なんとか食べるから。コジロウの機動力が高いのを良いことに、特売巡りなんかをさせた 私が悪かった。賞味期限も長いし、気長に処理するよ。今日の晩御飯も卵料理になっちゃうけどさ」 つばめが苦笑いすると、道子が両手を重ねた。 「じゃ、私もお手伝いしますよ! 茹で卵ぐらいだったら、きっと上手く出来ますって!」 「でも、この前、古典的な方法でオーブンレンジを吹っ飛ばしちゃったじゃないの」 「あうぅんっ」 つばめが先日の失敗を指摘すると、道子は半泣きになった。 「オーブンレンジの新しいやつを買おうにも、電器屋さんも遠いしねー」 と、こんなことを迂闊に言ってしまうと、また。はっとしてつばめが振り返ると、コジロウの姿は消えていた。今し方 まで彼が持っていた竹箒は絶妙なバランスで地面に立っていて、落ち葉の小山は排気で半分以上が巻き上げられ ていた。道子はすぐさまGPSを作動させてコジロウの行き先をトレースし、目的地は電器屋さんですね、と報告して くれた。これでは、まるでお使いの楽しさに目覚めた子供である。 悪気はないし、無駄遣いはほとんどしないのだが、行動が迅速すぎて戸惑ってしまう。つばめはコジロウが調達 してきてくれるであろう新品のオーブンレンジに思いを馳せ、いっそのことお菓子作りの道具も一通り揃えてケーキ を焼いてみるのもいいかもしれないと考えた。備前景子からは、料理だけでなく、お菓子作りも教わっていたからだ。 こうも退屈な日々が続くのだから、それぐらいは楽しみがあってもいいだろう。 余裕を持っていなければ、遺産を巡る争いはやり過ごせない。 13 1/23 |