機動駐在コジロウ




井の中のカルト



 それから、高守はいずこへと運ばれた。
 政府のヘリコプターで移送中にサイボーグボディを解体され、種子を分離させられた高守は、冷え切った真水が 入ったビーカーの中に突っ込まれてしまった。空気穴を空けられたゴムカバーも掛けられてしまい、筆談に必要な 道具を与えられなかったので、外部との意思の疎通も不可能だった。おまけにビーカーを箱の中に入れられていた ので、外の様子を見ることすら出来なかった。時間の経過も全く解らなかったが、狭い場所に収まっていると多少は 不安が紛れるので、気分は楽だった。
 箱の蓋が開けられ、外に出されると、冷え切った空気が入り込んできた。ゴムカバーも外されたので、高守は細い 触手を伸ばして外界を探った。高い天井に鉄骨の梁、コンクリートが打ちっ放しの灰色の壁、鉄格子の填った窓、 防護服を着た人々が取り囲んでいる異形の神。シュユの肉体だった。高守はビーカーの中からぬるりと這い出し、 小刻みに震えながら、完全に機能停止しているシュユを見据えた。正確には、全ての触手の尖端に備わった脆弱な 視覚センサーが捉えた情報を統合し、再構成し、認識した。ニルヴァーニアンは神の領域に至る進化の過程で顔の 部品を取り除いた末に、視覚も聴覚も嗅覚も聴覚も切り捨てたため、眼球はなく、もちろん水晶体も網膜も存在して いないので、触手が感知した微細な光と色彩を当てにするしかない。シュユと繋っていた時は、そうした情報の処理 も分析も計算も楽だったが、高守だけでは難しい。だから、視認した外界はぼやけていた。
 足音と共に振動が近付き、ビーカーの水面が細かく波打った。高守が複数の触手を縮めると、ビーカーが何者か の手によって掴まれて上げられた。否、手と呼ぶべきものではない。馴染み深く、懐かしささえある、赤黒く細長い 触手がビーカーを絡め取っていた。だとしたら、これはシュユなのか。だが、シュユにしては触手が細すぎる。

「確認した。高守信和の種子に間違いない」

 所々に黒い油染みの付いた作業着を着ている触手の主は、ビーカーを軽く揺すってから、部品のない顔を背後に 向けた。その先には、先程高守を連行しにやってきた女性が立っていた。彼女もまた色気のない作業着姿で、火の 付いていないタバコを銜えていた。彼女は触手の男に近付くと、男っぽい手付きで髪を掻き上げた。

「んじゃ、あたしの仕事はこれで終わりだな。小倉重機に戻っていいか?」

「構わない。ムジンの分離作業の進行状況は」

「芳しくねーって言っただろう。レイガンドーと岩龍のデータ量が膨大すぎるせいもあるが、ムジンを二人の機体から 分離させるのは予想以上に厳しいんだ。小倉の親父さんがハンダ付けしたわけじゃないのに、二人の回路ボックス からはどうしてもムジンが剥がれないんだ。ペンチを使おうがバーナーを使おうが、割れもしねぇ。だから、物理的に あいつらをムジンから解放するのはきついな。いっそのこと、レイガンドーも岩龍も解体しちまおうかって話も出ては いるんだが、美月ちゃんがな」

 女性は居たたまれないのか、語尾を濁した。触手の男はビーカーを片手に、女性と向き直る。

「そうだな。最も尊重すべきは、マスターの意思だ。マスターが彼らをただの道具と見なさない限り、擬人化した概念 を与えている限り、彼らは人間と同じかそれ以上の存在になる。だから、今、彼らを解体すれば、俺達は殺人以上の 罪を犯すことになるんだ。それは、小夜子さんが一番よく解っているはずだ」

「あったりめーだろーが。レイガンドーと岩龍ほど出来の良いロボットは、見たことねぇよ。あいつらがリングの中で 暴れる姿は最高に痺れるよ。あいつらは疑似人格と名前と戦いの場を与えられた時点で、ただの人型重機じゃなく なったんだよ。あたしみたいなロボットフェチのヒーローで、美月ちゃんの兄貴で、弟で、家族で……」

 小夜子と呼ばれた女性はフィルターを噛み、物憂げに目を逸らす。

「タカさん。レイガンドーと岩龍のこと、どうにかしてやってくれ。あいつらは死なせるべきじゃない」

「俺もそう思う。だから、彼の力が欲しいんだ」

 触手の男がビーカーを掲げると、小夜子は彼に背を向けた。

「そんな奴ぐらい、自分で捜しに行けばよかったじゃんかよ。タカさんの勘の方が、あたしらの情報収集なんかよりも 余程正確で迅速なんだ。それを口実にして、あの子に会ってやっても罰は当たらないと思うぜ?」

「俺はあの子に会う理由はない」

「会ってやれって。その方が後悔しないぞ、絶対に」

 小夜子はフィルターが少し湿ったタバコを唇から外し、指の間で転がす。

「あたしは後悔しきりだよ。自分の話になっちまうけど、あたしさ、親父しか家族がいなかったんだ。タカさんみたいな 機械いじりばっかりしている人で、仕事の間はタバコを切らさないんだ。おかげで、ヤニと金属と石油の匂いがして いないと落ち着かない体になっちまった。母親のことは知らないし、知りたくもない。んで、あたしは親父を少しでも 幸せにしてやろうって思って、頑張って頑張って頑張って公務員になったんだけど、試験勉強に夢中で親父の具合 が悪くなっていることにちっとも気付かなかった。タバコ飲みだから年中咳をしていたし、毎日煤やら金属の粉やら で顔が黒くなっていたからでもあるんだけど、その、な……。まあ、簡単に想像が付くだろうけど、末期の肺ガンに なっちまっていたんだ。で、治療出来る段階はとっくに過ぎ去っていて、モルヒネも効かなくなって、半月もしないで 死んじまった。あんなに大きな体だったのに、色んな工具を器用に扱っていた手を持っていたのに、一抱えしかない 骨壺に収まっちまった。大人になったから一緒に酒飲もう、とか、仕事の話がしたいなぁ、とか、まあ、色々あったのに 何も話せなかった。仏壇に向かって喋ったって空しいだけだし」

 深く深くため息を吐いてから、小夜子は心なしか潤んだ目で触手の男を見やる。

「だから、あたしはつばめちゃんがちょっとだけ羨ましいよ。だって、まだ親がいるじゃないか」

「……まともな人間の親であれば、の話だ」

 触手の男は声色を低め、触手を下げた。小夜子は洟を啜ってから、口角を上げる。

「それを決めるのはタカさんじゃない、つばめちゃんだよ」

 じゃあな、と小夜子は手を振ってから、足早に去っていった。高守は細い触手を伸ばして、触手の男を見やった。 小夜子とのやり取りから察するに、この男は佐々木つばめの父親であるようだ。ということは、クテイと佐々木長光 の間に生まれた、ニルヴァーニアンと人間の混血児でもある。だとしても、なぜ彼は高守を欲したのだろうか。クテイ の生体情報を色濃く受け継いだ彼からしてみれば、シュユの苗床でしかない高守は劣化した個体に過ぎず、遺産を 操るための力は備えていない。自分でも自分の使い道が解らないほど、半端だ。

「高守信和だな」

 高守の触手に、長孝は自身の触手を絡めてきた。生体電流で直に意思の疎通を行おうというのだろう。

『あ、はい。そうですけど、僕に何か』

 高守が思考して返答すると、彼は言った。

「俺は佐々木長孝、佐々木つばめの父親だ」

『それは先程のお話で大体解りましたけど、でも、僕に何の御用で? 長孝さんみたいな人にとっては、僕みたいな 半端者は人間もどきの延長でしかないと思うんですけど』

「君に出来て、俺に出来ないことは山ほどある」

『ヴァイブロブレードのことですか?』

「まあ……それもそうだが、最も重要なのはシュユだ。一目瞭然だろうが、俺の母親はクテイだ。だから、俺はクテイ と関わりのあるものとしか互換性がない。二週間前、サイボーグが一斉に機能停止したんだが、その原因は彼らの 生命維持に欠かせない部品にシュユの下位互換である生体部品が使われていたためなんだ。異次元宇宙と物質 宇宙を繋ぐルーターとも言うべきシュユが殺されたからだ。だが、クテイの恩恵を受けたものは影響は出なかった。 現に、俺はこうして動いている」

『その理屈で行くと、僕が機能停止しないはずがないんですけど。それと、一乗寺さんも』

「そうだ。ルーターが破壊されてメインサーバーから情報を得られなくなっても、君や一乗寺の肉体は現存している。 クテイとアソウギの力で生み出された怪人達は、遺伝子情報をダウンロード出来ない環境に置かれたら液状化して 死んだはずなのに、君達はそうならない。その理由が解るか?」

『急にそんな質問をされても困るんですけど。でも、なんとなく予想は付きます。僕も一乗寺さんも物質宇宙で現存 出来るほどの概念を得ているから、遺伝子情報や何やらがなくても個としての形を保てるんじゃないかな、と』

「大筋ではその通りだ。一乗寺皆喪も、君も、桑原れんげに接触していたからな。その影響だろう」

『あ、なるほど』

 高守は納得して、二本の触手をぽんと打った。要するに、異次元宇宙からの情報を必要としなくとも、物質宇宙に 高守という存在が認識されている、ということだ。更に言えば、その存在を認識している、という概念が形作られる のは桑原れんげという概念の固まりの力を借りているからだ。

「俺は桑原れんげを掌握し、支配下に置きたい。そのためには、より異次元宇宙に近い君の存在が不可欠だ」

 長孝の申し出に、高守は戸惑った。そんなことを言われても、出来る保証はない。そもそも、桑原れんげを支配下 に置くことは誰にも出来なかったはずだ。桑原れんげが一個の人格として独立し、暴走した際、桑原れんげの産み の親とも言える設楽道子は桑原れんげに追い詰められて殺された。管理者権限を持つつばめも、れんげの概念を 担う一端にされてしまった。ハルノネットの本社を強襲してサーバールームを破壊しようと、桑原れんげに執着心を 注ぎ続けていた美作彰が自殺しようと、桑原れんげを消去することは出来なかった。簡単なことだ、桑原れんげは 概念なのだ。彼女の名前を思い浮かべてしまったが最後、何度プログラムを削除しようと、プログラムが保存された 電子機器を破壊しようと、桑原れんげは蘇る。それが遺産の恐ろしさだ。

『それが出来たと仮定した上で質問しますけど、概念を操作してどうするつもりなんです?』

「概念を書き換えて、俺がシュユに成り代わる」

『えぇ?』

 高守が余程変な声を上げたのだろう、長孝は触手が生えている肩を揺すった。

「俺だって、自分の考えが可笑しいと思うさ。だが、俺達には後はない。つばめが殺されてみろ、俺達は二度と遺産 に手出し出来なくなる。今でこそ、クソ親父はクテイにつばめの感情を喰わせたいがためにつばめを生かしている が、クテイがつばめの感情に飽き飽きしたら一巻の終わりだ。クテイはクソ親父につばめを殺せと命じ、クソ親父は 躊躇いもなくつばめを殺す。そういう奴らだ」

『で、でも、長光さんは人間ですよね? いや、今はもう人間じゃないですけど』

「あいつは肉体こそ人間だが、中身は人間じゃないさ」

 長孝は憎らしげに言い捨ててから、ズボンの裾から出ている触手を波打たせて進んだ。

「移動する。桑原れんげの主要なプログラムを保存したサーバーの住所を、武蔵野がリークしてくれたんでな」

 シュユの肉体を触手の端で捉えながら、高守は不可解な気持ちに駆られた。長孝の目論見が成功し、彼自身が シュユに成り代わってフカセツテンを操縦出来るようになったとしよう。そうなれば、長孝という個人の人格や何やら は桑原れんげの概念によって塗り替えられ、佐々木長孝はイコールでシュユになってしまう。そうなってしまえば、 彼は佐々木つばめの父親ですらなくなる。佐々木長光の息子ではなくなれるのは、彼にとっての幸福なのだろうが、 それではつばめが哀れだ。だが、自我や自意識をなかったことに出来るのは、少し羨ましいと思った。
 そんなものがあるから、皆、些細なことで悩み苦しんでしまう。




 移動すること、二時間半。
 シュユの肉体が格納されている倉庫は御鈴様のライブ会場に程近い場所だったので、埋立地の一角であり、そこ から都心に出るまでに時間が掛かった。桑原れんげのサーバールームがある建物の住所が入力され、カーナビは 的確に道順を教えてくれたが、やたらと遠回りな上に道が入り組んでいた。ハルノネットの社長であった吉岡八五郎 が念には念を入れて、カーナビに送信されてくる位置情報に細工を施していたようだ。そうでもなければ、同じ地区 を何度も何度も巡る指示が出るわけがない。だが、長孝はそれには逆らわずに、ハンドルを握っている運転手に その通りに走ってくれと注文した。運転手は怪訝そうだったが、言い返さずにハンドルを切った。
 同じ景色を何度も見せられて乗り物酔いに似た酩酊感に陥った高守は、触手を一本残らず引っ込めてビーカー の底に没していると、ようやく車が止まった。ワゴン車のスライド式のドアが開き、外界に出されると、倉庫を出た時 よりも大分日が陰っていた。秋の日は釣瓶落としだ。
 ワゴン車がバックして道路に戻ると、不意に霧が流れ出してきた。それと共に、微細な違和感が触手を駆け巡り、 高守はビーカーの中で身震いした。これは、シュユが作り出した異次元の中にいる時と全く同じだ。だとしたら、この 空間も異次元なのだろうか。空間の湾曲を感じて遠近感が狂った高守は、長孝の触手に触れた。

『あの、ここって異次元ですよね? フカセツテンの外なのに、こんなのって維持出来るんですか?』

「俺の精神力を動力源にして、複製した遺産の情報処理能力を働かせてあるからだ。フカセツテンはあくまでも殻で あって、それがあると空間が安定するのは確かだが必ずしも必要というわけではない。異次元の規模にも寄るが。 見た目こそ違うが、俺と似通った生体構造の弟には見つかっていたようだが、この様子からするとハチは異次元に は踏み込めなかったらしいな。遺産同士の互換性を利用してハッキングを仕掛け、桑原れんげのサーバーとして 利用していたことからすると、入れないなりに頑張っていたようだ」

『弟さんと仲が悪かったんですか?』

「お互いに無い物ねだりをしていただけだ。それはそれとして、ここだ」

 長孝が触手で示したので、高守はビーカーの底から浮き上がって触手を出し、視認した。それは、古びた町工場 にしか見えなかった。錆の浮いたトタン屋根に雨の筋が付いたコンクリートの壁、プラスチックが変色している看板 に砂埃が堆積したシャッター、などと、どこもかしこも経年劣化していた。看板に印された文字は色褪せていたが、 決して読めないことはなかった。機械部品・設計・製造、宮本製作所。

『こんなところにサーバールームがあるんですか?』

 高守が不思議がると、長孝はポケットから古びた鍵を出してシャッターの鍵穴に差し込み、回した。

「あるんだ。大分昔に俺が造ったんだ」

『え? でも、長孝さんって機械屋ですよね?』

「機械屋だ。だが、俺が造ったのは人間の常識が通じるサーバーじゃない。ニルヴァーニアンの常識が通じている サーバーなんだ。だから、色々と面倒でな」

 長孝は触手を絡ませてシャッターを押し上げ、腰の辺りの高さまでの隙間を造ってから中に入り込んだ。換気すらも されていなかったのだろう、空気は埃で濁り、町工場に相応しい機械油の刺激臭が沈殿している。割れた窓から 控えめに差し込んでいる日光が、長孝が歩いたことで舞い上がった埃の粒子を照らし、さながらダイヤモンドダストの ように煌めかせる。角度のきつい細い階段を昇り、二階の事務室に入る。
 磨りガラスの填ったスチール製のドアを開くと、油の切れた蝶番が甲高い悲鳴を上げた。年月と埃が淀んでいた 室内を懐かしげに見回してから、長孝は迷わずに一つの机に向かった。高守の入ったビーカーを机に置いてから、 キャスター付きの回転椅子を押しやり、引き出しを一つ一つ開けていった。紙の書類を放り出し、細々とした私物も 乱雑に投げ捨てていき、引き出しの隅から小さな箱を取り出した。

『それは?』

 高守が触手で埃まみれの小箱を差すと、長孝は眉間に当たる部分にシワを刻んだ。

「俺がひばりに贈ったものだが、俺に返してくるのは計算外だった」

『婚約指輪、ってことですか?』

「まあ、そういうことになるな。ひばりはこれを返すために、わざわざ新免工業から逃げ出して俺に会いに来たんだ。 お金に換えて生活費の足しにしてくれ、と。もしかすると、ひばりは俺と武蔵野の間でぐらついていたのかもしれん が、今となっては真相は解らない。解りたいとは思わないがな」

 長孝が箱を開けると、銀の細い指輪に青く澄んだ宝石が填っていた。宝石のカッティングも、それが埋まっている 台座も極めてシンプルなデザインだった。

「アマラとナユタの複製体を加工したものだ。これがひばりの手元にあれば、ひばりを通じてつばめの管理者権限が 適応され、本体のナユタのエネルギーを受けて桑原れんげも安定すると踏んでいたんだが……」

『あれ? でも、そうなると時系列が変ですよ。桑原れんげは、設楽道子の人格をコピーしたもので』

「桑原れんげがその名前と人格を得て確固たる概念になる切っ掛けを作ったのは確かに道子さんだが、それ以前 にも桑原れんげは存在していたんだ。あれは、アマラの管理プログラムの一部が肥大化したものだからな」

 長孝は触手の尖端で指輪を撫で、眉間のシワを深めた。

「俺は俺のままでいてはいけない。俺が俺であっては、今以上につばめも苦しめる」

 だから、俺は俺でなくなるべきだ。長孝は強く言い切り、箱を潰さんばかりに握り締めた。長孝と会話するために 緩く繋いでいる触手から、彼の苦悩が流れ込んでくる。長孝は極力感情を殺しているが、その実は情緒豊かな男だ。 妻と娘が愛おしくてたまらないが、愛すれば愛するほどクテイが肥え、長光が冗長すると解っているから、家族への 愛情を殺さざるを得ない。そして、自分自身も殺さなければならない。そう、信じ抜いている。
 何から何まで、高守とは大違いだ。





 


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