機動駐在コジロウ




可愛い子にはタブーをさせよ



 少女の名は、小倉こくら美月みつきといった。
 りんねの銀色のベンツに同乗して天王山工場を脱してからというものの、口を休ませずに延々と喋り続けていた。 それだけ鬱積していたものがあったのだろうが、それ以前に五分と黙っていられない性分なのだろう。冷酷であると さえ感じるほど無駄のないりんねとは正反対の性格だが、正反対だからこそ仲良くなれたのだろう、と道子は自分 なりに結論を出した。銀色のメルセデス・ベンツが京浜工業地帯から離れると、美月は更に饒舌になった。

「でね、マジ有り得ないってーかでさぁー」

 美月はベンツの車載冷蔵庫に用意されていたコーラを傾けながら、喋り続ける。

「三ヶ月ぐらい前だったかな? お父さんが取引先の人に誘われてロボット賭博を見に行って、その時は勝ち馬に、 っつーか勝ちロボットに乗れてボロ儲け出来たんだよね。ビギナーズラック的な何かでさ。配当金が三十倍ぐらいに なって、私もその恩恵に与ったんだけど、その後がひどくってひどくってさー。最初の頃はお父さんも小遣いの範囲 でちょっと賭けてプラマイゼロぐらいだったんだけど、毎週通うようになると賭け金が倍々で増えていって、先週なんて うちの工場の抵当まで賭けたんだよ? マジひどくない? ヤバすぎない? それまでは賭け事なんて一度もやった ことなかったのにさぁ!」

 コーラで少し喉を潤してから、美月は身を乗り出す。

「当たり前だけど、そんなことしたら従業員が全員路頭に迷うわけ。もちろん私もお母さんも迷いまくりだし、工場に 新しい機械を入れたばっかりだから借金だって返さなきゃならないし、他にも色々と払うお金があったわけよ。でも、 そういうお金も全部賭けて全部負けやがったの! 有り得なくない!?」

 ええ、とりんねが気のない返事をすると、美月の語気は過熱する。

「で、首が回らなくなったからってうちのレイガンドーを改造して賭けられる方に回ったんだけど、戦い始めてすぐは そりゃー調子が良かったの。あのロボット賭博で使われているロボットのほとんどは工業用のを改造したやつなんだ けど、どいつもこいつも改造が有り得ないくらい下手くそで見た目ばっかりでさー。だから、その手のノウハウがある お父さんとレイガンドーは連戦連勝であっという間に借金も抵当も取り返したんだ。そこで引いておけば良かったのに まーた調子に乗りやがって、岩龍ってやつが出てきてからは落ちまくって金も抵当も奪い返されちゃって、挙げ句の 果てに実の娘を賭け金にしやがったんだよ!? 有り得なさすぎない!?」

「それは御愁傷様でしたね」

「全くだよ。でも、りんちゃんが元気そうで良かったよ。あれからずっと学校に来ないんだもん、心配でさぁ」

 美月はクッションが柔らかな座席に座り直すと、コーラの残る缶を回した。

「そこで止めて頂けませんか」

 りんねは運転手に命じ、道中のコンビニに寄らせた。すかさず道子は車中から出てりんね側のドアを開いてやり、 付き従った。んじゃ私も行く、と美月も追い掛けてきた。夜更けのコンビニには、倦み疲れた夜勤のサラリーマンや 引きこもりと思しき挙動不審で顔色の悪い若者や塾をサボって時間を潰している中学生などがおり、そんな彼らを 死んだ魚のような目の店員が相手にしていた。葬式装束にも見えなくもないドレスを着たりんねが自動ドアをくぐる と、皆、一様に振り向いて少しばかり目を見張った。程なくして、手元の携帯電話をいじり始めた。それぞれが愛用 しているSNSで、一時の話題をさらうためだろう。彼らの扱う携帯電話の電波を拾った道子は、彼らが書き込んだ コメントの内容を吟味して特に問題にならないと判断したが、無断で撮影した写真をネットにアップロードをしたら、 その時はハルノネットのメインサーバーとデータバンクを併用して携帯電話会社各社の顧客情報を照会し、りんねを 曝した者を社会的に抹殺してやろう。りんねを守ることもまた、部下の務めなのだから。
 コンビニの店内を一巡りした後、りんねはおでんのちくわを一本残らず買い占め、美月は唐揚げとフライドポテトを 買った。道子も多少は血糖値が低下していたので、低血糖に陥ることを防ぐためにチョコレートを購入したが、その 味が一切解らないのが残念だった。ベンツに戻った少女達は、それぞれの夜食を食べ始めた。

「ほんっと好きだねー、ちくわ。やっぱ、りんちゃんだなぁ」

 黙々とちくわを頬張るりんねに失笑してから、美月は唐揚げを囓った。

「だけど、あれって本気なの? うちの馬鹿なお父さんにぽんと一億円も投資するなんて、正気の沙汰じゃないよ。 てか、いくらりんちゃんが大金持ちだからって、そんなに大きな額のお金を扱っていいの? そもそも、どうして りんちゃんが天王山に来たの?」

「順を追って説明いたしましょう」

 りんねはカラシを付けたちくわを噛み千切り、嚥下してから、答えた。

「私は至って本気です。利鞘が望めるからこそ、投資するのです。美月さんの御父様がオーナーであるレイガンドー さんは、ロボット賭博に用いられている他のロボットと基本性能に差はありませんが、人工知能の稼動歴が非常に 長いのです。いかに完璧な格闘戦プログラムを組まれていようと、咄嗟の判断を行うためには経験が不可欠です。 一個の人格が出来上がるほどの年月を過ごした人工知能には、人間味と呼べるほどの柔軟性と自己判断能力が 備わっています。それさえ上手く引き出してやれば、レイガンドーさんは岩龍さんに確実に勝利出来ます。美月さん の御父様が作った借財も、一気に取り戻せます。私が天王山工場を訪れた理由については、小倉重機本社工場に 到着してからお話しいたしましょう。美月さんの御父様とレイガンドーさんを交えてお話しいたしたいので」

「……そっか」

 美月はポテトをつまみ、複雑な感情を滲ませながら咀嚼した。

「本当は家に帰りたくもないしお父さんの顔なんて二度と見たくないけど、レイガンドーとはちゃんと話をしたいから、 私もりんちゃんと一緒に行くよ。うちの工場に」

「でしたら、参りましょう」

 りんねが運転手に促すと、運転手は銀色のベンツを淀みなく発進させた。都心部の夜景を眺める美月の表情は 終始暗く、りんねを相手にお喋りに興じたのは空元気だったのだろう。それは当然だろう、賭け事の賭け金にされた ばかりか身売りされそうになったのだから、平静ではいられまい。むしろ、これまでよく泣かずに踏ん張ってきたもの だと感心してしまう。美月は道子の視線に気付くと、笑顔を作ろうとしたが、頬が引きつって目元が潤んだ。

「大丈夫、だから」

 それが嘘であることは明白だった。けれど、下手に慰めるのは美月への侮蔑になりかねないので、道子はそっと ハンカチを差し出した。美月は懸命に嗚咽を堪えながら白いレースのハンカチを受け取り、それを顔に押し当てた。 声にならない声と、これまで溜まりかねていた苦悩と、計り知れない絶望が、少女の引きつった喉の奥から漏れて いた。りんねはそんな美月の震える肩に軽く手を添えると、美月は堰を切ったように号泣した。
 けれど、りんねは涙すら浮かべていなかった。




 小一時間程のドライブの後、小倉重機本社工場に到着した。
 その頃になると美月もいくらか落ち着いていて、涙も収まっていた。感情の起伏がはっきりしている分、それほど 長引かない質なのかもしれない。銀色のベンツが空っぽで真っ暗闇の駐車場に滑り込むと、ヘッドライトが見覚えの あるトレーラーを照らし出した。トレーラーのコンテナと本社工場の間には、満身創痍の積み荷が滴らせたオイルの 雫が滴っていた。それを見た途端、美月はまたも泣きそうになったが押し殺した。強い娘だ。
 本社工場の正面扉は閉ざされていたが、オイルの道標は途切れずに続いていた。分厚い鉄扉の間からは明かり が漏れており、物音もするので主は帰っているようだ。りんねは正面扉の脇のスチール製のドアを美月に示したが、 美月が少々臆したので道子がノックした。気怠い返事があったので、道子はドアを開けた。

「夜分遅くに失礼いたしますぅーん」

 メイド服の裾を持ち上げて膝を折って一礼し、道子は年季の入った工場に入った。

「さっきの奴らか」

 油染みの付いた作業着姿の中年の男は、道子を見るとあからさまに嫌な顔をした。

「突然の訪問、失礼いたします。改めて自己紹介いたします、吉岡りんねです」

 道子に続いて工場に入ったりんねが一礼すると、美月の父親は顔を背けた。

「とっとと帰れ、お前みたいな小娘に金を出してもらうなんて情けないにも程がある。レイガンドーは負けちゃいねぇ、 部品だっていくらでもある、何度でもやり直しが利く、賭け金だってある。人を虚仮にするのもいい加減にしろ」

「賭け金とは、レイガンドーさん本人ですか?」

 りんねは目線を上げ、水銀灯の鮮烈な光に照らし出されている作業台に横たわっている、スクラップ寸前の人型 ロボットを見やった。青い外装はオイルと傷にまみれて汚らしく、右の拳が潰れた腕は単なる鉄の固まりに過ぎず、 左のスコープアイどころか頭部の半分が抉れ、完全に機能停止しなかったのは奇跡としか言い様がない。小倉は 図星だったらしく、一瞬身動いだ。りんねは、埃っぽく整理整頓が行き届いていない工場内を見渡す。

「見たところこの工場に従業員が出勤している様子はありませんので、違法賭博で負けが込んだために一人残らず 解雇してしまったか、或いは従業員すらも賭け金にした挙げ句に敗北したか、そのどちらかでしょう」

「……後者だよ」

 苦々しげに、小倉は吐き捨てる。

「未成年であり可愛い盛りである美月さんを違法賭博の賭け金にしてしまえる、ということは、奥様は当の昔に愛想を 尽かしてしまったのでしょうね。そうでもなければ、美月さんをあのような吹き溜まりに引き摺り出せるはずがない からです。レイガンドーさんと岩龍さんの戦闘を少々拝見いたしましたが、レイガンドーさんのフットワークの性能が かなり落ちていたところから察するに、整備不良もあったのでしょう。替えの部品の在庫がどれほど残っていようと、 レイガンドーさんのオーバーホールまではお一人では行えないでしょうからね。負けを取り戻そうとするあまりに対戦 のスパンもかなり短くなさっていたようですし。それでは、岩龍さんが相手ではなくても負けてしまいます」

「ああそうだよ、その通りだよ!」

 小倉は手近なスパナを投げ捨て、コンクリートの床に叩き付けた。銀色の棒が跳ね上がり、回転する。

「そこまで解っていたんなら、なんで俺なんかに目を付けた!? なんで岩龍を買わないんだ!?」

「それが投資です。レイガンドーさんには、確実な利鞘が見込めるからです」

 りんねは全く動じずに小倉に歩み寄ると、ハンドバッグから小切手帳を出して一枚千切った。

「どうぞ、これをお納め下さい。レイガンドーさんのオーバーホールに必要な人件費と機材費とその他諸々を一括で まかなえるだけの額をお書きになって下さい。経費が余りましたら、そのまま懐にどうぞ。それでも足りないと仰るの でしたら、もう一枚差し上げます。あの場では一億と申し上げましたが、実際には十億ほど余裕がございます」

「なんなんだ、お前……」

 小倉は小切手とりんねを見比べ、やや身を引いた。

「美月さんのクラスメイトです」

 りんねが僅かに目を細めると、小倉は二枚の小切手を引ったくった。

「こいつは返さないからな! 絶対にだ!」

「ええ。そのつもりでお渡しいたしましたから」

「これだけありゃあ、いくらでもこいつを改造出来る……!」

 小倉は年季の入った作業机に突っ伏してペンを握り、心なしか震える手で小切手に金額を書き込んだ。小切手が歪む ほど力一杯握り締めて、工場に隣接した事務所に駆け込んでいった。程なくして部品と人員を手配するために電話 を掛け始めたらしく、切羽詰まった話し声が響いた。時折裏返り、舌を噛み、言葉を詰まらせながらも、突如降って 湧いた幸運に狂喜している。興奮している。また派手なギャンブルに興じられる幸福感に満ち溢れている。
 小倉の姿に、道子は既視感を覚えた。佐々木つばめの襲撃と遺産の奪取という仕事に就く前、手慣らしを兼ねて ハルノネットから割り振られた仕事では、人間が堕落していく光景を何度となく見てきた。きめ細かく展開された携帯 電話のネットワークを利用した犯罪や闇取引の現場に踏み込み、犯罪者達が死なない程度に暴れ、道子のクセを サイボーグボディを馴染ませるために経験を積み重ねる最中に、安直な欲望に溺れた者達の末路を嫌と言うほど 目の当たりにしてきた。
 道子がちょっとデータを操作して預金額を上げてやると両手を挙げて歓喜し、その元手を考えもせずに賭け事に 埋没していく。その場合はほとんどがヤクザ紛いの消費者金融の口座と直結させて名義も偽装してあるので、三日 と持たずに消費者金融業者に見つけ出され、何もかもを毟り取られる。中にはまともな人間もいて、真っ当に警察 に届けたり、銀行に問い合わせをしたりする者もいるのだが、目先の快楽に弱い人間はいずれも奈落の底に滑り 落ちていく。蝋をたっぷり塗り付けた靴底で潤滑油を踏んだかの如く、呆気なく。

「……美月」

 ぎちぃ、と作業台に横たわっていたレイガンドーが首を起こし、右だけ残ったアイセンサーでドアの陰に隠れている 美月を捉えた。首のシリンダーがぎこちなく上下し、抉れた左目から一際太いオイルの筋が垂れ落ちる。

「レイ、レイぃっ」

 美月はドアを開け放って作業台に駆け寄ると、レイガンドーは右のアイセンサーを瞬かせた。

「そう泣くなよ。かわいこちゃんが台無しだ」

「馬鹿なこと言わないでよ、もう止めてよ、もういいよぉっ」

 美月はレイガンドーの左の拳に縋り付くと、肩を怒らせる。

「そう言われてもなぁ。俺は少しばかり情緒が出来上がっているってだけであって、根っこの部分はそこら辺にいる 人型重機と同じなんだよ。だから、社長から戦えと命じられたら最後、戦うだけなんだよ。良い具合にチューンナップ してもらったボディがぶっ壊れるのは惜しいし、他のロボットに勝てないのは悔しいような気がするが、それだけだ。 美月が泣いているのを見るのは少し辛いが、俺にどうにか出来る問題じゃない」

 レイガンドーは緩やかに首を横に振り、関節が潰れかけた拳を開き、汚れた指で美月を慈しむ。

「俺から言えることがあるとすれば、社長に売られる前にどうか上手く逃げてくれ。その手伝いをしてやれたら一番 いいんだろうが、生憎、俺はそこまで高度なロボットじゃないからな。資材を運んで組み立てるか、似たような境遇の ロボットと戦うか、そのどちらかしか出来ないんだ。ごめんな、美月」

「お父さんをどうにかしなきゃいけないって、何度も何度も、止めたの。私が賭け金になったのも、これで最後にする からってやっとのことで約束してもらったから、だったんだけど……でも……」

 美月がレイガンドーの太い指に額を当てると、レイガンドーは赤いスコープアイの光を弱める。

「いいんだ、その気持ちだけで充分だよ」

「りんちゃん、レイガンドーを連れ出して。私一人じゃ逃げられない、レイも一緒じゃないと嫌」

 レイガンドーの拳を抱き締めた美月が哀願するが、りんねの反応は冷ややかだった。

「私が投資したのは、あくまでも美月さんの御父様です。美月さん御本人ではありませんから、そのお願いを聞いて 差し上げることは出来ません。レイガンドーさんも、岩龍さんとリターンマッチをすると約束いたしましたから、無闇に 連れ出すことは出来ません」

「りんちゃん……」

 美月はよろめき、目に見えて解るほど青ざめた。美月は大きく息を吸って文句をぶつけようとしたが寸でのところ で飲み下し、ドアに向かって駆け出した。レイガンドーがその背中に声を掛けたが、美月はレイガンドーに振り返りも せずに工場から飛び出していった。りんねは美月の行方を追おうともせず、一輪の花のように佇んでいた。

「あのぉ、御嬢様ぁーん?」

 追い掛けた方がいいのではないか、と思った道子がりんねを窺うと、りんねは道子を一瞥した。

「道子さんがしたいようになさって下さい。私は関与いたしません」

「はぁーいん」

 本当にりんねは美月と友達なんだろうか、と内心で疑念を感じつつも顔には出さず、道子は工場から出た。美月 の携帯電話のGPS情報を事前に得ていたので見つけ出すのは造作もなく、大して距離も離れていなかった。夜中の 工場街はひっそりと静まり返っていて、春であるにも関わらず温もりがない。だが、それはあくまでも道子の主観で あり、肌の感覚ではない。だだっ広い小倉重機本社工場の敷地を出て右に曲がり、進むと、工場建設予定地の 空き地が現れた。雑草が生い茂った四角い土地を囲むフェンスの前で、美月は座り込んでいた。

「……あ」

 美月は気配に気付いて顔を上げたので、道子は美月の傍に腰を下ろした。

「どうぞどうぞぉーん、お気になさらずぅーん。真夜中に若い娘さんがお一人で出歩くのは危険ですからぁーん、私が お付き合いいたしますねぇーん。泣きたかったら思い切りお泣き下さぁーいん、言いたいことがありましたら存分に ぶちまけてやって下さぁーいん、私はいないものだと思って下さって結構ですからぁーん」

「メイドさんは、りんちゃんとはどのくらい一緒にいるんですか?」

 泣き続けて掠れた声で、美月が問い掛けてきた。道子は裾を直してから、答える。

「御嬢様にお仕えするようになったのはぁーん、三ヶ月前ですねぇーん」

「じゃ、りんちゃんが交通事故に遭ったってこと、知らないんですね」

 美月は冷たく黒々としたアスファルトに目を落とし、潰れそうな胸中から言葉を絞り出す。

「りんちゃんは半年前に交通事故に遭って、それっきり学校に来なくなっちゃったんです。それまでのりんちゃんは、 あんなに冷たい子じゃなかったのに。そりゃ、私なんかとは育ちも違うし、有り得ないくらいの大金持ちだから、普通 とはちょっと違う感じの子だったけど、御嬢様だなーって雰囲気はあったけど、あんなにお金のことばかり気にする ような性格じゃなかったんです。それなのに、どうして、あんな……」

「あらぁん、そうだったんですかぁーん。存じ上げておりませんでしたぁーん」

「もう、どうしたらいいのか解らないの。お父さんはもうダメだし、レイのことも助けられないし、りんちゃんもなんだか おかしくなっちゃって。いっそのこと、死んじゃいたい……」

「死んだところでぇーん、何がどうなるってわけでもありませんよぉーん」

 道子は美月に寄り添い、己や周囲の経験を踏まえた言葉を連ねた。 

「たとえ死んだとしてもぉーん、事態が解決されるわけでもなければぁーん、収拾するわけでもありませんしぃーん、 物事がなかったことになるわけでもありませんしぃーん、辛いことが凄く辛いまま残ってしますしぃーん、それ以前に お葬式やら各方面への補償やら何やらでお金が掛かって掛かってどうしようもありませんしぃーん、下手をすれば 変な組織に死体を奪われていじくり回されて改造人間にされて生き返らせられるかもしれませんしぃーん、とにかく ろくなことにならないことだけは保証いたしますぅーん」

「何それ」

 道子が連ねた言葉の身も蓋もなさに、美月は悲しみも絶望も一巡してしまったらしく、小さく噴き出した。

「安易に死ぬぐらいならぁーん、這い蹲ってでも生きていた方がマシですぅーん」

 私も善処しますからぁーん、と道子が胸に手を当てると、美月はぎこちなくはあったが頷いてくれた。道子は先程の 車中では食べるタイミングを逃したチョコレートを差し出すと、美月はそれを受け取って少し食べてくれた。甘いものを 口にしたことで落ち着いたらしく、もう泣きはしなかった。だが、今はまだ父親にもりんねにも会いたくないと言い、 立ち上がろうとはしなかった。その気持ちは解らないでもないので、道子は彼女の気が済むまで付き合ってやった。 工場街から見える夜空は高いが、船島集落ほどではなかった。
 滑らかな電動エンジンの接近音と共にヘッドライトのビームが差し、銀色の車体が近付いてきた。道子は警戒を 緩められない美月を宥めつつ、主を出迎えた。運転手にドアを開けられて後部座席から下りてきたりんねは顔色 一つ変えてはいなかったが、身構えている美月を銀縁のメガネに映すと、しなやかに手を差し伸べてきた。

「美月さん。今宵は拙宅でお過ごし下さい。誠心誠意、お持て成しいたします」

「もう私に帰る場所も行く場所もないからって、変な同情をしないでよ。そういうの、凄く嫌」

 精一杯の意地で毒突いた美月に、りんねは携帯電話を掲げる。

「いえ、これは安易な同情ではございません。合理的な判断に基づいた行動です」

 りんねの手元から浮かび上がったホログラフィーモニターに、美月と似た面差しを持つ中年女性が映し出された。 リアルタイムのテレビ電話らしく、美月の姿を見た途端に女性は身動ぎ、安堵した。着の身着のまま、といった格好の 女性を見つめた美月は徐々に目を見開き、お母さん、と縋るように手を伸ばした。

「美月さんの御母様は、現在、拙宅でお過ごし頂いております。事の次第については、帰宅した後に改めてお話し いたしましょう。込み入ったお話になりますので、お休み頂けるのはもうしばらく先になりますでしょうが」

 りんねは美月の母親に一言二言伝えてから、ホログラフィーモニターを消した。美月は何が何だか解らないらしく、 その場に座り込んでしまった。道子はそんな美月を立ち上がらせて、銀色のベンツの後部座席に座らせてやった。 りんねは美月が楽に座れるようにと助手席に移動し、運転手に命じて吉岡邸へ車を発進させた。
 疲れ果ててぼんやりしている美月に、車内に備え付けてある薄手の毛布を掛けてやってから、道子はサイドミラー に映るりんねの涼やかな眼差しを見据えた。その視線の先にあるのは都心部の夜景と街灯に挟まれた薄暗い道路 だけだったが、りんね自身には世の中の動きが透けて見えているのかもしれない、と道子はちらりと考えた。
 敵に回さなくて良かった、とつくづく思った。





 


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