横濱怪獣哀歌




円卓ニ余地ナシ



 ケーキの配達を頼まれた。
 モーニングサービスの時間が終わり、昼用のメニューに切り替えるという頃合いのことだった。海老塚からケーキ 箱と地図を半ば強引に渡された狭間は、ツブラと共に店を追い出されるような形で行かされた。だが、地図を見る 限りでは徒歩では遠そうだったので、一旦アパートに帰宅して愛車に跨った。久々に乗ったからだろう、ドリームは 躍起になってエンジンを蒸かしたので、狭間はそれを諌めてからバイクを走らせた。ケーキ箱は後部座席に座らせた ツブラに持たせ、触手で持って浮かせておいて振動を受け流してくれ、と命じた。ツブラはにこにこして赤い触手 をケーキ箱に絡ませて浮かせたので、狭間は小さな両手を出させ、その上に箱を載せ直した。これで、ぱっと見 では手で持っているかのように誤魔化せるはずである。
 狭間の生活圏である元町から南へ向かい、聖ジャクリーン学院と元町小学校のある高台を通り過ぎ、更にそこから 進み、本牧緑ヶ丘に入る。そこから緑地の多い本牧山頂公園に沿って進み、もう一つの公園と見紛うほどの広い敷地 を備えた屋敷に到着した。高い塀越しに見えるのは武家屋敷の如き日本家屋で、表札には。

「……九頭竜」

 達筆すぎて読みづらい表札を見上げていると、狭間の背筋を嫌な汗が滑り落ちた。ツブラは後部座席からぴょんと 身軽に飛び降りると、呼び鈴がどこなのかと探し回り始めた。九頭竜屋敷の門構えもまた屋敷に見合った豪勢さで、 歴史のある寺院のように重厚だった。横浜一円を牛耳るヤクザ、九頭竜会の本丸に相応しい風格がある。

「マー、ゴアイサツ」

 ツブラは屋敷の中が気になって仕方ないのか、門を指す。

「出来るかそんなもん!」

 一度中に足を踏み入れたら最後、生きて出られる保証はない。狭間が青ざめると、ツブラはむくれる。

「ナンデ? ツブラ、ナカ、ミタイ」

「怪獣の心臓を見に行く方がまだ生きて帰れる気がする」

「イミワカンナイ」

「おっ、俺だって、自分で何言ってんのかよく解らねぇよぉ!」

〈なんでもいいけど人の子、俺を路上駐車すると罰金取られるんじゃないのか? ここは一つ、九頭竜家の〉

「駐車場なんか借りられるわけないだろ、そもそも貸してくれないだろ。無茶言うなよ」

「ツマンナーイ」

〈つまんねぇー〉

「お前らの一瞬の娯楽のために俺の一生を棒に振れるわけねぇだろ!」

 とにかく帰る、死なないために帰る、と狭間は降りたばかりのドリームに跨ってエンジンをスタートさせようと したが、背後で蝶番が悲鳴のように軋んだ。それにびくつきながら振り返ると、門扉の脇にある小門が開き、中から 小柄な人影が顔を覗かせた。真っ赤な髪の少女、田室秋奈だった。

「注文」

 英文字が入ったトレーナーにミニ丈の巻スカートというハマトラファッションの秋奈は、手を出してきた。

「えっ? あ、あっ、これ、注文したのはどなたですか?」

 狭間が狼狽えながら受け答えると、秋奈は肩越しに屋敷を指した。

「親分」

「えっ」

 狭間が面食らうと、秋奈は手招きした。

「招来。面会」

「あの、俺のバイクはどこに置いたら」

 ダメ元で聞いてみると、秋奈は少し考えた後、正門の隣にあるガレージを指した。ガレージのシャッターは独りで に上がっていき、狭間を連れ去ったあの黒塗りのベンツを始めとした高級外車が詰まった空間が曝け出された。 ガレージの住人達の動力源達は思いがけないことに騒いだが、狭間は平謝りしつつドリームを停めさせてもらい、 それから改めて九頭竜屋敷に足を踏み入れた。これも仕事だ、と何度も自分に言い聞かせながら。
 仕事でなければ、こんなところに来るわけがない。




 九頭竜屋敷の構造は複雑だった。
 道案内をしてくれる秋奈もまだ把握し切れていないらしく、時折立ち止まっては引き返し、引き返してはまた方向を 変え、何度も首を傾げながら進んでいた。狭間はケーキ箱を抱えながらも、好奇心に任せて走っていきそうになる ツブラを引き止めるのに忙しく、自分がどこをどう通っているのかよく解らず、秋奈の小さな背中を追うのが精一杯 だった。曲がりくねった廊下にやたらと入り組んだ部屋順から察するに、この屋敷は何度も増改築を繰り返している のだろう。そうでもなければ、こうもややこしい構造にはならないはずだ。
 歩くこと十数分。ようやく辿り着いた奥の間は、一際広い部屋だった。秋奈はふすまの前で膝を着くと、中に声を 掛けてふすまを開いた。神話時代の代表的な大怪獣、ヤマタノオロチが描かれているふすまが開くと、その奥には 和装の壮年の男、怪獣の部品を継ぎ接ぎにして体に結合させている怪獣人間、青緑色の髪に赤い瞳の男がいた。 白髪というよりも銀髪というべき髪をオールバックにしている壮年の男は、昇り龍の柄が付いた着流しの袖と裾で 手足を隠していたが、右腕と右足はだらりとしていた。目を合わせるまいと狭間は気を張っていたが、壮年の男 から注がれる鋭い眼差しに負けて目を動かした。
 顔の作りだけならば、細面で神経質そうな目元は知的階級の人間のようだ。狭間が想像していた九頭竜会組長 は、いかにもそれらしい武骨な角張った顔と体付きの男だったので、意外ではあった。だが、取り澄ました表情 の端々には数々の修羅場を潜り抜けてきた気迫が刻み込まれていて、近寄りがたい。というより、不用意に傍に 近付いたら無傷では済まないという圧力がある。場に呑まれてしまい、狭間は立ち竦んだ。

「親分。到着いたしました」

 秋奈は深々と頭を下げてから奥の間に入ると、狭間に中に入るように促した。狭間は気後れどころかこの場から 逃げ出したくてたまらなかったが、ツブラがするりと入ってしまったのでそれを追って入った。秋奈の手でふすまが 閉められると、背筋が強張ってケーキ箱を抱えている両手も突っ張った。柄は凄いが至って普通のふすまなのに、 分厚く頑丈な隔壁が下ろされて退路を塞がれたかのような絶望感に襲われた。
 九頭竜会組長とその部下達の前には、場違いなものが据えられていた。円い座卓、いわゆるちゃぶ台だ。愛歌と 狭間の住まうアパートにあるような、使い古されたものだ。狭間が呆気に取られていると、秋奈は奥の間の隅にある 茶箪笥から大きな丸い皿とナイフと人数分の皿とフォークを出し、座卓に並べ始めた。つまり、このケーキをこの場 にいる全員で食べる、ということか。皿の枚数は六枚で、ツブラも人数に加えてあるようだった。

「よく来てくれた」

 九頭竜会組長は自由の効く左手を上げ、狭間に座るように示した。

「君のことは海老塚から聞いている。私は麻里子の父親、九頭竜総司郎そうしろうだ」

「そして、我らが九頭竜会の組長であり、僕達の雇主であり、良き友人でもあるのさ」

 辰沼京滋は朗らかに出迎えてくれたが、狭間はしどろもどろに応じ、ケーキ箱をちゃぶ台に置いた。

「はあ、どうも。その節は」

「御門岳でのこと、ちょっと根に持っている感じっすか?」

 外殻強化型怪獣人間、藪木丈治が茶化してきたが、狭間は笑えもしなかった。

「あれを根に持たない方がどうかしています」

「大丈夫、問題はない。今のところは、あなたとシャンブロウに対して手を下す予定はない」

 人数分の紅茶を淹れながら秋奈が言ったが、今のところはでしかないんだよなぁ、と狭間は更に絶望を深めた。 ツブラは正座するとちゃぶ台の天板が目の高さになってしまうので、座布団を三枚借りてきて、その上にちょこんと 正座した。座布団の綿が柔らかすぎるせいで、少し不安定ではあったが。
 ケーキ箱の中身は、古代喫茶・ヲルドビスでも一番人気のザッハトルテだった。切れ目の入っていないワンホール で、ケーキの全面に掛けられたチョコレートフォンダンが艶やかに輝いている。店で出す際はザッハトルテに添えて 出す砂糖の入っていないホイップクリームは、六ヶ所に柔らかく盛られている。つまり、六人分に切り分けることを 海老塚は想定済みだったというわけだ。知れば知るほど、底知れないマスターである。
 ケーキを切り分ける役割は、狭間に一任された。店で切る場合は細長いケーキナイフをコンロで温めてから切る のだが、秋奈が渡してきたのは普通の文化包丁だったので、狭間は不安に思いつつも包丁を入れた。まずは中心を 半分に切り、皿を回転させて角度を変えて切り、更に角度を変えて切り――――なんとか均等に切れた。

「ええと、その、これでいいでしょうか」

 びくつきながらも包丁を置いた狭間は、九頭竜に尋ねた。九頭竜総司郎はザッハトルテを一瞥する。

「それでいい。取り分けてくれ」

「俺がですか!?」

「そうだ」

 九頭竜総司郎に念を押され、狭間は震えそうになる手で小皿に分けていき、それをちゃぶ台に付いている面々の 前に並べた。最初はもちろん九頭竜総司郎、次に辰沼、藪木、秋奈、ツブラ、最後に自分だ。秋奈が淹れた紅茶も 出され、チョコレートとアプリコットジャムの香りにダージリンの香りが優しく重なる。奥の間の畳とふすまに濃く 染み付いている、タバコと日本酒の匂いとはかなり相性が悪かった。

「では、円卓会議と行こうじゃないか」

 九頭竜総司郎は固まっている狭間を見据えると、左手でティーカップを取った。

「円卓会議。呉越同舟ともいうね」

 洒落てるなぁ、と辰沼はにやけていて、やけに楽しそうだった。

「つまり、上座も下座も敵も味方もないってことっすね」

 藪木が御丁寧に解説してくれたが、ありがたくもなんともない。ヤクザの親分と同列の立場に立てるような人間では ないことは、狭間自身がいやというほど思い知っているのだから。

「ギョエツドーシャウ?」

 ツブラは聞いたばかりの言葉を口にしたが、発音が怪しかった。

「ごえつどうしゅう」

「ゴエチュドーショウ?」

「だから……まあ、いいか。まるで意味が解らないわけじゃないしな」

 狭間はいつもの調子でツブラの言葉を訂正してやってから、はたと気付き、慌てた。

「ああ、いえ、お気になさらず!」

「シャンブロウの話は辰沼から聞かせてもらったが、それ以上だな。確かに、外見的特徴からして地球上の怪獣で はないな。近頃、横浜界隈に現れては光の巨人と戦っている超大型怪獣とも特徴が一致しているが、同一の個体で あると考えるのは早計だな。だが、そのシャンブロウがあの女性型超大型怪獣に似た能力を持っていることは、 須藤から受けた報告で知っている」

 九頭竜総司郎は片目を閉じ、ツブラを眺めている。黒髪のカツラとサングラスは外していないのに、触手も全部 引っ込めさせているのに、なぜ。狭間が身じろぐと、九頭竜は両目を開く。

「怪獣義肢の結合手術をするためには、怪獣の体液をまず体に流し込んで馴染ませる必要があってね。その影響 からか、少しばかりモノが透けて見えるようになったのさ。おかげで、どこの誰が何を隠し持っているのかが すぐに解るようになって、何度も命拾いしたものさ。今もそうだ。狭間君が持ってきたケーキが海老塚のもの であり、狭間君とシャンブロウが丸腰であると透けて見えなかったら、この部屋に通しはしなかったよ」

「親分の透視はガラス玉を見通すようなものだけど、秋奈ちゃんのは別格なんだよ。ふふふふ」

 やたらと自慢げな辰沼は、ザッハトルテを食べつつ力説する。

「秋奈ちゃんはね、凄いんだ。人間レントゲンとでも言おうか、いや、それ以上かも。調子がいいと鉛でさえも 透けて見えちゃうんだよ、これが。だから、僕の助手には最高なんだよ。高価で大きなレントゲン機器を買う必要も 借りる必要もないし、何より連れて歩ける。おかげで仕事が捗ってねぇ、うん」

「それ、本当、なんですか」

 狭間が訝ると、秋奈はちらりと狭間を見た。

「真実。内ポケットのゴールデンバットは残り三本。小銭入れの中身は千円札が一枚と百円玉が三枚と十円玉が 七枚に一円玉が六枚とバイクのキー。免許証入れには予備の千円札と週刊誌の袋綴じの切り抜きで……」

「ありがとうございますそれ以上は勘弁して下さい本当に」

「捕捉。私は意図せずとも視えてしまう。擦れ違った人間の服や皮膚だけでなく、骨と内臓までもが透けるために、 相手の胃腸の内容物も目視出来る。実際、あなたの内容物も。正直、不快」

「そりゃそうでしょうね」

 狭間は怪獣の剥き出しの感情を常日頃からぶつけられている身なので、秋奈の苦悩も解らないでもない。狭間が 苦笑すると、秋奈は鏡の如く磨き上げられたフォークを取る。

「けれど、この能力は無益ではない。丈治君と辰沼先生のお役に立てる」

「そうとも。秋奈の力がなければ、これを私の体から摘出するのは不可能だったよ」

 九頭竜が懐から小さな瓶を取り出し、ちゃぶ台に転がした。その中では黒い糸が不気味に蠢いていて、カマキリの 寄生虫であるハリガネムシによく似ている。程なくして、狭間は黒い糸の正体を悟る。

「これ、カムロの髪の毛ですね?」

「そうだ。かつて私が麻里子を助けるために結合させた、クソッ垂れの小悪党の怪獣だよ」

 九頭竜はダージリンティーを傾けてからザッハトルテを口にし、旨い、としみじみと呟いた。

「十年前だったな。中華街を拠点にする渾沌との抗争の最中、麻里子が誘拐された。私を誘い出すための罠だとは 知っていたが、カタを付けるにはそれしかないと踏んで呼び出された場所に向かった。そこには目隠しされて椅子に 縛り付けられた麻里子と、渾沌の頭領、ジンフーとその部下共が待っていた。ジンフーを殺せば抗争は片付き、 麻里子も助けられる。そう考えたのが間違いだった。ジンフーは真っ先に麻里子の首を跳ね、私が動揺している間に 舎弟が次々と殺された。あの頃はまだ青かったんだよ、この私も。麻里子の首を拾い、ジンフーと切り結び、奴の 片足を落とし、敵が混乱している間に麻里子の首と体を抱えて逃げ出した。麻里子と舎弟の血にまみれて行き着いた 場所が辰沼の診療所でな。そこで、出来ることがあるならなんでもしてくれと辰沼に懇願し、麻里子の首とカムロを 結合させた。それが間違いだった」

「どれほど検査しても、怪獣の性格までは分析出来ないからね。僕のミスでもあるさ」

 辰沼はザッハトルテを早々に食べ切り、たっぷりと砂糖を入れたダージリンティーを啜った。

「僕達がゴウモンの上にいたのは、ゴウモンの体液を使って抗怪獣薬を生成するためだったんだよ。本当は秘密に しておきたいんだけど、ここまで来たらそうもいかないしね。一般的に流通している芹沢ワクチンよりも効果が 絶大だけど、その分副作用が大きい。でも、そうでもしなければカムロは引き剥がせないのさ」

「そこでだ、狭間君。君とシャンブロウの力で麻里子とカムロを捕らえ、辰沼が作った抗怪獣薬を投与し、麻里子を カムロから解放してやってくれないか。その仕事に見合った対価は弾む」

 九頭竜が盃を掲げるようにティーカップを掲げたので、狭間はザッハトルテに差し込んだフォークを止めた。無茶 苦茶にも程がある。そんなことが出来るわけがない。そんなことは自分でやればいいだろうが。と、罵倒の文句が 次々に浮かんで喉まで上がってきたが、抑え込み、狭間は愛想笑いを作った。

「具体的には、どうやればいいんですか?」

 そんなもんを聞いたら後戻り出来なくなるぞ、事実上の承諾だ、と内心で冷静な自分が叫ぶが、口にしてしまった 言葉は取り消せない。辰沼はフォークを置き、口角を上向ける。

「よくぞ聞いてくれたよ、狭間君。僕の作った抗怪獣薬を怪獣義肢を付けた人間に投与すると、人間と結合している 怪獣を麻痺させると共に拒絶反応を起こさせ、結合を緩め、分離させるんだ。その際に両者に掛かる心身の負担は もちろん軽くはないけど、完全に癒着するよりはマシだと思ってもらうしかないね。カムロは御嬢様の御命を助け はしたが、御嬢様の脳をも浸食して人格に多大な影響を及ぼしてしまった。その結果、御嬢様はカムロの乗り物と 化し、御嬢様の寵愛という名のカムロの支配を受けた若衆や舎弟が増えに増え、挙げ句の果てに親分の手足を切断 されるように手を回したのさ。その結果は知っての通り、御嬢様が組長代理に収まり、十七歳の身空にして横浜を 牛耳る極道を手に入れてしまった」

「……は、ぁ?」

 ヤクザとはいえ、自分の親の手足を切らせたのか。誰に。どうやって。狭間が絶句すると、九頭竜が言う。

「カムロが支配しているのは、うちの連中だけじゃなかったってことだ。聖ジャクリーン学院の生徒、教師、寿町の 屑共、そして渾沌の下っ端だ。私を襲撃したのは渾沌の構成員だったから、最初は抗争の延長だったのだと思って いたが、調べてみるとその構成員共は元々は寿町で糊口を凌いでいた日雇い人夫で、渾沌に加わったのはつい最近 だった。そんな輩を鉄砲玉として雇うのは渾沌にしては雑すぎるが、それにしては私の右腕と右足を切り落とした 腕が鮮やかすぎたんだよ。切られた瞬間、痛みを感じないほどだったからな。そいつらはその場で捉え、ゴウモン の元で拷問した末に白状してもらったが、大した情報を得られなかった。それ以前に、日本語をほとんど使えない ような連中だった。だが、広東語が解る奴がいないわけじゃなかったから通訳させたんだがな。そこで、連中はこう 言ったのさ。――――黒髪の娘の糸に寄生された、とな」

 九頭竜は凶相ではありながらも、幾分か楽しそうだった。

「君とシャンブロウはあの阿婆擦れに抗怪獣薬を突っ込み、カムロ共々黙らせてくれるだけでいい。そこから先は、 親である私の領分だ」

 それは、つまり。狭間は反論しかけたが、閉じた。狭間に九頭竜総司郎の決断と行動を留める理由もなければ、 動機もなく、むしろ麻里子がいなくなってくれた方が楽ではある。だが、相手は十七歳の少女であり、常連客で あり、カムロの支配から逃れればごく普通の少女に戻る可能性もある。しかし、どうなったとしても九頭竜は娘を 殺すつもりでいる。人道的にも法律的にも拙い。殺人教唆だ。引き受けるわけにはいかない。
 しかし。狭間には、断れるだけの勇気は備わっていなかった。





 


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