横濱怪獣哀歌




円卓ニ余地ナシ



 狭間が両開きの扉を閉めると、光源は乏しくなった。
 しゃらしゃらと金属音を奏でつつ、聖ジャクリーンは一番奥の部屋の至聖所に戻っていった。礼拝堂も 兼ねているようで、至聖所の前にある祭壇に向かって長椅子が二列並んでいた。麻里子を操っているカムロはその 一つに腰掛けたので、狭間とツブラは長椅子を一つ隔てて座った。相手がいかに有効的な態度を取ってきたとしても、 安易に近付くのは得策ではない。カムロは無表情ながらも美しさが弛まない麻里子の頭部にしゅるりと巻き付き、 音もなく首を外した。途端に麻里子の胴体は弛緩し、長椅子に仰向けに倒れた。

〈こっちの方が無駄なエネルギーを浪費しなくて済む〉

 麻里子の生首だけとなったカムロは、長く伸ばした黒髪を渦巻かせ、その上に目を閉じた生首を据える。

〈さて、人の子。お前は総司郎から何の頼み事をされたんだ? 総司郎が京滋の手を借りて俺の支配から逃れた ことは既に感じ取っているが、総司郎に俺が感付いていることを感付かれないために黙っているだけなんだがな。 まあ、俺とあいつは似たようなもんだ。他人を利用しているつもりが利用されている。いつものことだ〉

「それを話す気はない」

「ナイ」

〈だろうぜ。だが、人の子。結果がどうあれ、お前が総司郎の申し出を受け入れたら、お前はヤクザの下っ端という 立場に収まっちまうぞ? お前自身がそう思っていなくても、傍から見ればそれ以外の何物でもないからな。バイト 先のヲルドビスにしても、甲治の底知れなさにビビり始めた頃だろう? あいつは悪い奴じゃないが、裏を返せば、 九頭竜会よりも渾沌よりも強硬派の怪獣よりも極悪だ。誰にとっても味方であるってことは、どの勢力にも火と油 をじゃんじゃん注げる立ち位置にあるってことだからな。今だってそうだ。麻里子が倒れるにせよ、総司郎が今度 こそ殺されるにせよ、そんなことになれば九頭竜会にガタが来るのは明白だ。ただでさえ危ういのに、俺と麻里子 の力でなんとか束ねていた烏合の衆がばらけちまえば……今度こそ渾沌が台頭する〉 

「その、渾沌ってなんだ? 中国系マフィアだってことはなんとなく理解しているが、それ以外は全然」

「ゼンゼン」

〈詳しく説明すると話が脱線しちまうが、何なのかを知らないで話を進めてもややこしくなるだけだから、簡単に説明 はしてやる。渾沌は中華街を縄張りにしている悪党共で、九頭竜会よりもタチが悪い。資金力もそうだが、あいつら は怪獣の組織片から作ったヤクを捌いているからな。そんなもんが効くのかよと思っちまうかもしれないが、それが またよく効くんだそうだ。効かなきゃ売れないからな。怪獣義肢の密売は長いこと九頭竜会の十八番だったんだが、 この十年――――麻里子の首をちょん切ってからというもの、それまでの怪獣義肢の密売市場を渾沌が乗っ取って いきやがったんだよ。辰沼は元々渾沌の子飼いの闇医者、というか、医者崩れの若造が裏社会でろくでもない 技術を身に着けた成れの果てなんだが、どっちの組織にも重宝されているから長らえている。実際、俺も辰沼が いなければ妖怪もどきとして扱われるだけだったからな〉

「つまり、その渾沌と九頭竜会は互いに相手が鬱陶しいわけだな」

「ダナ」

〈平たく言えばそういうことになる。が、九頭竜会がからっきしなんだよ。渾沌は組織力もあれば資金力もあり、銃で 撃たれたぐらいじゃびくともしない怪獣人間も何人も抱えているし、何よりも顔が利くんだ。渾沌の御大将であるジン フー、金の虎って書くんだが、そいつがまあ商売の上手い男でな。戦後のどさくさに紛れて闇市で荒稼ぎしてから、 その金を元にして中華街を綺麗に造り直したのさ。腕はいいが経営がガタガタだった店を立て直すために出資した のもジンフーだったもんだから、中華街の商売人共の信用は固いなんてもんじゃない。挙げ句の果てには中華街の 真ん中に一際でかいビルを建てて、ビルを丸ごと自分の店にしちまいやがった。その店の売り上げと中華街全体から のみかじめ料がどれぐらいの稼ぎになるか、考えるだけでうんざりする。対する九頭竜会はと言えば、怪獣義肢 の市場というでかい資金源を奪われたから、別の資金源を作るのかと思いきや、いくつかの企業舎弟と横浜一帯 の歓楽街からのみかじめ料だけで立ち回ろうとした。だが、そんなどんぶり勘定が上手く行ったのは照和中期まで のこと、怪獣義肢を付けた舎弟の管理維持費だけでも馬鹿にならないってのになぁ〉

「九頭竜屋敷は立派だったがな」

「ナー」

〈あんなもんは見せかけだよ。キャデラックのエンジンとその動力源の怪獣が抜かれていただろ? あれは車体を 維持するための金がなくなったんで、バラしたからだ。そうしておけば、車絡みの税金の削減になるからな。屋敷 を保つために必要な金すらないくせに、踏み込まれた時に敵を迷い込ませるためにってんで増改築を繰り返したし、 何よりも俺を麻里子から離そうとしている。俺がいなくなれば麻里子は今度こそ死んじまう。九頭竜会の構成員共も、 総司郎もだ。俺がどれだけ九頭竜会に貢献したのか、あいつらは忘れちまったようだな〉

「組長を填めて手足を切り落とさせたのは、カムロなのか?」

「ノカ?」

〈ああ、その通り。実行したのは俺、考えたのは麻里子だ。そうでもしないと、あのクソ爺ィは大人しくしてくれない だろうし、そこまでしないと九頭竜会を潰せないからな〉

「ん、ちょっと待てよ。カムロ、お前はさっきは九頭竜会を維持したい、みたいなことを言っていたような」

「ヨーナ」

〈そりゃ、恩がないわけじゃないからな。昔はそう思っていたさ。だが、深入りすればするほど粗が目に付いてきて、 どれだけ俺が踏ん張っても変な方向にばっかり進んでいきやがるんだよ。だから、いっそのこと九頭竜会を綺麗に 潰しちまって、渾沌に吸収されるか滅ぼされるかをすりゃあいい。もう、うんざりなんだよ」

「うんざりなんです」

 狭間でもツブラでもない声が聞こえ、麻里子の生首を包んでいた髪が割れ、少女の目が覗く。

〈麻里子。起きたのか〉

「ええ、さっきから」

 首だけの麻里子は、しっかりと声を発した。声帯はあるだろうが横隔膜も肺も離れている、それなのにどうやって 声を出しているのだ、と狭間は考え込みそうになったが、そこはカムロの力でなんとかしているのだろう。長い黒髪が 真ん中から開くと、麻里子の整った顔が露わになる。

「狭間さん、ツブラちゃん、こんにちは」

「あ、どうも」

「ドーモ」

 なんとも間の抜けた挨拶だった。狭間とツブラが一礼すると、麻里子はかすかに頬を動かした。

「私はカムロと共に生きられれば、それでいいんです。それ以外には大して興味がないんです。お父さんのことも、 九頭竜会のことも。けれど、九頭竜会と関わりを持って生まれた以上、死んだとしても九頭竜会との因縁は決して 断ち切れないんです。ですから、九頭竜会そのものを壊す他はないんです」

〈だから、俺は麻里子を利用する。麻里子も俺を利用する。どうなったとしても、麻里子は俺を恨みもしないし、俺も 麻里子を恨みはしない。利害関係は一致しているんだよ。むしろ、九頭竜会が潰れてくれた方が、人の子にとっては ありがたいんじゃないのか?〉

「それは……」

 確かにそうかもしれないが、だがしかし。狭間が答えあぐねると、カムロは毛先で麻里子の頬を撫でる。

〈今、俺は警戒を解いている。お前が辰沼から寄越された薬を使えるとすれば、この瞬間だけだ。俺は自分が何を やってきたのか、それによってどんな報いを受けるのか、理解しているからな〉

 言葉だけ聞けば、もっともらしいことばかりを言っている。だが、それが逆に胡散臭い。九頭竜会側かと思いきや 狭間に味方するようなことを言ったり、麻里子に喋らせて同情を引こうとしたり、と。となれば、カムロの言うことは まるっきり信用しない方がいい。渾沌に関する情報も、カムロの主観が多大に入っているので当てに出来るかどうかは 解らない。海老塚の印象を悪い方へと傾けようとしたのも、狭間に信用されるためだろう。海老塚の底知れなさが怖い のは事実ではあるが、今、話題にするようなことではない。
 他人を利用しているつもりが利用されている、とカムロは言う。つまり、俺は誰かに利用されているかもしれない から、お前が俺を利用してもいいんだぞ、という誘いであり、暗に同じ被害者的立場にあるのだと示そうとしている。 しかし、それは見え透いた罠なのだ。狭間の警戒心を緩めるための妄言に過ぎない。狭間がカムロを鵜呑みにして 行動したら、九頭竜会と渾沌は潰し合いを始めるだろう。九頭竜会が弱り気味のヤクザであっても、渾沌が無傷 で済むわけがない。そうして双方の勢力が弱まったところに付け込むのが、カムロのような悪党だ。

「ツブラ、どう思う」

「マー? ドウ、ッテ?」

 狭間が問うと、ツブラは首をかしげる。

「要するに、カムロは九頭竜会を見限って渾沌に売り渡す気でいるんだが、味方するべきか?」

「シナイ!」

「それじゃ、俺に何度もちょっかいを出してきた九頭竜会を助けるためにカムロを倒すべきか?」

「シナイ!」

「んじゃ、九頭竜会よりもタチが悪いって評判の渾沌に味方するか?」

「シナイ!」

 ツブラは声を張り上げ、狭間の腕にしがみついてじっとカムロを睨み付けた。

「ツブラ、カムロ、スカナイ」

〈天の子も強情だな。九頭竜会と渾沌のいざこざで光の巨人が現れれば、その分、戦えるじゃないか〉

 カムロは肩を竦めるような仕草で髪束を曲げるが、ツブラは首を横に振る。

「ツブラ、タタカイ、キライ」

〈俺達怪獣が力を備えているのは何のためだ? より強い者が生き残るために決まっているじゃないか〉

「ダカラ、ニンゲン、タタカワ、セル?」

〈人聞きの悪いことを言わないでくれよ。俺は横浜一帯に自浄作用の切っ掛けを与えてやるだけだ〉

「そして、最後は自分がおいしいところだけを掻っ攫う、と。だったら、余計にお前の話は聞き入れられない」

 狭間は立ち上がり、カムロを見下ろした。こうして見ると、ただの動くカツラである。

「俺は怪獣の声が聞こえるが、イコールでむやみやたらに話を聞くって意味じゃない。俺にだってな、聞く話を選ぶ 権利ぐらいはあるんだよ。今までだってそうしてきたし、これからもそうするつもりだ。というわけだから、カムロ。 この話は聞かなかったことにする。だが、九頭竜会に任された仕事だけは全うする。とりあえずはな」

〈人の子のくせに何を勝手なことを言いやがる!〉

 反発されたのが面白くなかったのか、カムロは髪を尖らせる。狭間は身じろぎかけたが、踏み止まる。

「勝手なのはお前の方だろうが。誰も彼もが思い通りになると思ったら大間違いだ」

〈……そうかもしれないな。だが〉

「怪獣は思い通りに出来るんです」

 カムロの言葉に麻里子が重ねると、至聖所の扉が開く。聖ジャクリーンは包帯を巻いた顔から唯一露出している 左目をぎょろつかせ、狭間とツブラを捉えた。胸の前で両手を組み、しゃらしゃら、じゃりじゃり、じゃらじゃら、と刃 の鎖と翼を引き摺り、穏やかな笑みを振りまきながら迫ってくる。狭間はツブラの手を引いて逃げ出そうとしたが、 聖ジャクリーンは素早く刃を投擲し、狭間が開けかけた両開きの扉にめり込ませた。木の破片が飛び散り、狭間の 鼻先を掠める。思わず立ち止まって振り返ると、カムロは麻里子の胴体に首を戻してから、微笑んだ。
 否。黒い愉悦に満ちた表情だった。




 一方、その頃。
 駐車場に停めた車の中で、藪木と秋奈は暇を持て余していた。聖ジャクリーンが動いていること、聖ジャクリーン が既にカムロの支配下にあることは秋奈の透視で判明していたが、藪木と秋奈の実力ではまず勝ち目はないので 出ていったところで無駄であると判断し、現状維持に努めていた。狭間とツブラの身に危険が及んでも、それは それで九頭竜会の利益となる。だから、下手に手を出して助けたらややこしくなるだけだ。

「どうするっすかね。これから」

 ボンネットの中で藪木が呟くと、助手席に座っている秋奈は一人あやとりを続行しつつ返した。

「待機」

「そうっすよねー」

「空腹」

「ケーキ一切れじゃ足りなかったっすか。怪獣人間は燃費悪いっすからねー、燃費が」

「不足」

「んじゃ、ちょっくら近所に買出しに行ってきたらどうっすか? オイラはここにいるっすから」

「許可?」

「そりゃ許可するっすー。十五分かそこいらで事態が激変するたぁ思い難いっすからね」

「了解」

 一人あやとりを止めて糸を丸めた秋奈は、小銭入れを掴んでシボレーの助手席から飛び出した。近所の小売店 に向かって駆けていく秋奈の後姿を、藪木はボンネットの隙間からじっと見つめた。出来ることならば一緒に行って やりたいところだが、怪獣人間と化した身では難しい。生身の人間だった頃に出会えていたらデートの一つや二つ 出来ただろうに、生憎、藪木が秋奈と出会ったのは怪獣人間と化した後だ。だから、デートなんて夢のまた夢だ。
 藪木が発する熱を受け、シボレーのエンジンが低く唸った。





 


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