横濱怪獣哀歌




夕立



 船島集落の一角に設営されたテントの下には、遺品が山積みになっていた。
 建物の瓦礫や土砂に押し潰されて亡くなった人々の遺体を入れた袋も増える一方だったが、それらを怪獣監督省 一ヶ谷市分署に移送しようにも、この雨では車両が通れそうにない。ただでさえ地盤が緩んでいるだから、重量の 重たいトラックが山道を通れば二次災害が起こりかねないのだ。だが、この暑さでは遺体の傷みも早まるし、遺族 には出来る限り綺麗な状態で対面させてやりたい。それを思うと焦りそうになるが、自制する。
 愛歌はレインコートのフードを脱ぎ、深く息を吐く。吸うと、遺体から発せられる独特の臭気と土砂の濁った匂い と自分の汗の匂いが混じったものが入り込み、胃が縮み上がりそうになる。昨日からひたすら歩き回り、遺品の収集 とムラクモと光の巨人の戦いの痕跡とツブラの触手の回収を行っていたので、化粧はすっかり落ちてしまったし、 風呂にも入れていない。大粒の雨がばらばらとテントを殴り、瓦礫の海と化した温泉街は水煙で白んでいる。警察と 怪獣監督省の捜査員達は突然の雨に逃げ惑い、屋根のある場所に駆け込んでいった。

「光永さん、ここにいたんですか」

 テントに入ってきたのは、やはりレインコートを着た羽生鏡護だった。彼もまた汗で髪が頭皮に貼り付いていて、 派手な柄シャツの襟元も汚れている。さすがに革靴ではなく長靴を履いていたが、スラックスにも泥が跳ねている。 愛歌は既に湿り切ったハンカチで首筋を拭い、前髪を出来る限り整えてから、羽生に応じた。

「珍しいですね、羽生さんが現場に出てくるなんて」

「現場主義は鮫淵の専売特許じゃないんだよ。この僕はね、この機会をずっと待っていたんだよ」

 羽生の狂科学者じみた言葉に、愛歌は肝が冷えた。愛歌の動揺を察し、羽生は肩を竦める。

「ああ誤解しないでくれたまえ、そういう意味合いじゃない。この僕はいかに自分が優れているかを解っているから、 カタストロフなんてちゃちなものは求めたりはしないんだよ。この僕は光の巨人を調べ、探求し、その正体が何なのか を掴まなければならないんだよ。運命だの使命だの、そういうものでもない。そうだね、執念だ」

「執念?」

「有り体に言えばね。ムラクモはこの集落を始めとした一帯で山神として信仰されていたが、それは特に珍しいこと でもなんでもない。それは光永さんも存じているだろう? 山岳信仰や氏神信仰よりももっと旧く、人間の価値観の 奥深くに根付いている信仰心だ。なぜならば、怪獣は目に見える災厄であり、神変であり、脅威であり、実りを生む 母でもあったからだ。だから、この僕が生まれ育った村も信じていたのさ。怪獣をね」

 羽生は御仏となった人々に一礼し、ポケットからタバコを出して一本銜えた。銘柄はダンヒル・ライト。

「この僕の出身地は、ここから近いようでいて遠い土地である、福井と富山の間にある小さい村なんだ。船島集落 よりは大きいが、一ヶ谷市やその隣の鮎野町よりも貧相だ。その昔は農村として栄えていたけど、それは戦前の話 であって、過疎の一途を辿っていた。けれど、村の住民達はどうしても生まれ育った土地から離れられなかった。 村社会特有の縛りから抜け出せないからというのもあるけど、村を守っている怪獣を恐れていたからさ。怪獣の名は 地脈怪獣ウワバミ。ムラクモよりは一回りは小さい怪獣だったけど、農業に欠かせない水と土を生かしてくれている 怪獣だった。けれど、ウワバミは気性が荒かったんだよ。なあに、よくあることさ、お偉い神様だとおだてられて いい気になって、井の中の蛙ならぬヘビになってしまったんだ。だから、これもまたよくあることなんだが―――― 生贄を求めるようになった。怪獣に生贄を捧げることもそう珍しくもないんだが、あれは単なる儀式なんだ。怪獣に 人間から誠意を見せるためだけの行為であり、あなたには御霊を捧げるだけの価値があります、と示すことに意義が あるんだよ。だが、ウワバミは思い上がっていたばかりか、人間に執着を抱いていた」

 だから、と羽生はタバコのフィルターに歯を立てる。

「この僕には、母親の違う姉がいてね。その昔は豪農だったんだが、今となっては金も土地もない、旧いだけの家 でしかなかったんだが、昔の価値観を引き摺りすぎているせいで妾だの乳母だのなんだのがまかり通っていたんだ。 この僕は、その、妾の子でね。おまけに、当代の家長である父親の子ではなくてね、祖父の子でね。その辺のせいで まあ色々とあったんだが、十二歳年上の姉さんは……久美姉さんは、この僕を気に入ってくれてね。この僕とは 違って自分に自信が持てない人で、いつも暗い顔をしていて、家に籠りがちだから病的に色白で、冷え性なもんだ から手足が爬虫類みたいに冷たかった。今にして思えば、あれは鬱病でも患っていたんだろうね。死にたい 死にたいと口癖のように言っていて、ずっと寝込んでいて、たまに起きてきたかと思えば首を括ろうとして。この僕を 構ってくれるのは気分が良い時だけだったけど、あの人のことは嫌いじゃなかった。この僕が遊び疲れて寝入ると、 姉さんはふらっと外に出ていく。そしてまた、夜中にふらっと戻ってくるんだけど、寝間着にしている浴衣が泥やら 水やらで汚れていたんだ。ウワバミに会いに行っていたからだ。そこまで話せば、予想は付くだろう?」

「千代さんとムラクモの件と、構図が同じですね」

「そう、そうなんだよ。だから、姉さんは村祭りで生贄の娘役を志願したんだ。あれはこの僕が六つの時だったから、 もう二十四年も前になる。祭りの前日、姉さんはずっとにこにこしていた。あの人が笑った顔を見ることなんて滅多に なかったから、家中がそりゃあもう大喜びした。祭りの当日を迎えても上機嫌で、はしゃいですらいた。そりゃそう だろう、長年恋焦がれていたウワバミに噛み殺されるんだから。人間じゃない相手と通じ合えて死ねるんだから、 嬉しいはずだよ、姉さんにとっては。でも、子供だったからね。この僕はそんなこととはつゆ知らず、姉さんが笑って いるから自分もなんだか嬉しい、としか思っていなかった。普段は食べられない尾頭付きの鯛や、沢山の御馳走を 食べて、宴会になって、村全体が生き生きしていた。沢山の灯篭が灯されて、ホタルも飛んでいたっけ。山腹には ウワバミが横たわって祭りをじっと眺めていた。祭りが佳境に入ると、姉さんはお清めの酒を飲まされて御輿に 乗せられて、ウワバミの元へと運ばれていった。この僕は早々に床に入れられたんだけど、浮かれていたから、寝付け なかったんだ。だから、寝床を抜け出して、姉さんを担いだ御輿行列の後を追っていった。大人達が持っている提灯の 明かりを辿っていくだけでよかったからね。神社に入ると姉さんの御輿が下ろされて、皆が山から下りていくと、 ウワバミと姉さんだけになった。そこで姉さんは着物を脱いで、ウワバミの口に入ると、顎が閉じた」

 羽生はタバコをテントの外に差し出すと、雨粒が火を消してくれた。

「それからすぐだよ、光の巨人が現れたのは。夜中なのに昼間のように明るくなって、夏だったのに冬のように寒く なったかと思うと、羽の生えた光の巨人が次々に降ってきた。だが、ウワバミは黙って消されるまいと逃げ回って、 その後を光の巨人が追っていったから、何もかもが消された。この僕の実家も、他の民家も、田畑も、ウワバミも、 姉さんも。その後、その後は、ええと、どうしたんだっけな……」

 ぐっしょりと濡れたパイプ椅子に腰掛け、羽生は眉間を押さえる。

「思い出せないな。覚えているはずなのに、何年経っても思い出せない。人間の精神に備わった、自己防衛機能が 発揮されているからだね。この僕の記憶がはっきりするのは、祭りの日から三年も過ぎた頃だ。ある日、気付くと、 この僕は九歳になっていた。目が覚めたかのように悟ったんだ。体が大きくなっていたことを理解するまでに時間が 掛かって、あるはずのない知識もあって、見たこともない服を着ていた。手近な人間に何が起きたか聞いて回ると、 この僕は福井でも富山でもない遠縁の親戚の家に引き取られていて、名字が変わっていた。羽生というのは養父の名 だよ。本名は砂井というんだ、砂井鏡護。我に返ってから養父母に尋ねたんだ、どうしてここにいるのか、なぜ この僕は名字が変わっているのか、家族は、姉さんは、ウワバミはどうなったのかって。すると、養父はやるせない ような、悲しいような顔をしてこう言った。光の巨人に消されてしまったんだよ、と」

 火の消えたタバコを指の間で弄びながら、羽生は遠い目をする。

「それから、この僕は、なぜ自分が生き延びてしまったのかを考えた。悩んだ。悔やんだ。そして、養父の優しさ と裕福さに甘えて勉強に没頭した。訳の解らないものを理解するためには訳の解ることから理解すべきだという持論が あったからだ。中学高校と進み、大学に進学しても、光の巨人を追い求めたが、どう足掻いても光の巨人の正体 は解らなかった。それどころか、知ろうとすればするほど深みに填まっていく。相手は光だからね、雲を掴むような 話よりももっと空虚だ。その時に出会ったのが、第三帝国の魔導師、ヴォルフラム・ヴォルケンシュタイン卿だった」

 あれは十九の時だったかな、大学の一年目だった、と羽生は小声で付け加える。

「光の巨人を知るには、怪獣を知らねばならない。そこに気付いたからだ。ヴォルケンシュタイン卿は怪獣と人間の結合 手術の研究をしていて、その理論が現実のものとなれば難病の患者を何人も救えると言っていた。だが、この僕は 闇医者になろうとしていたわけじゃなくて、怪獣と人間の根本的な違いについて知りたかっただけなんだ。もっとも、 同じ講習を受けていたトカゲ男は端から闇医者になりたがっていたようだけれどね。ああ忌々しい。そこでこの僕は 怪獣について何も知らなかったことを知り、人間についてもそれほど深く理解していなかったことも知り、その双方 を繋ぎ合わせられるヴォルケンシュタイン卿の理論に心酔した。若かったんだよ」

 自己嫌悪を交えて吐き捨て、羽生は眉根を寄せる。

「けれど、怪獣について理解を深めると、今度はこうも思った。根本的に違う生き物を結合させても意味はない、と。 実際、そうなんだ。九頭竜会の面々のように怪獣人間と化しても、強い力を得られるのはほんの短期間だ。長くても 十五年、短ければ半年足らずだ。それでなくとも命を落としかけた人間なのだから、長生き出来るわけがないんだ。 だが、ヴォルケンシュタイン卿はこう熱弁した。怪獣人間は、結合させる怪獣の生体部品を定期的に交換することで命を 長らえられる、超人となれる、とね。だが、そうなったとしても光の巨人に立ち向かえるわけでもないし、怪獣と 差しで戦えるわけでもない。それに気付いたからヴォルケンシュタイン卿の講習会を辞めたんだけど、他の講師や教授は 光の巨人の研究にそれほど力を入れていなかった。力を入れているのは外国の大学の教授しかいなかったから、 思い切って留学して、その教授の下に付いて、やっと光の巨人について本格的な研究が始められたんだよ。けれど、 やはり資料が足りなかった。致命的にね。だけど、ここ最近、光の巨人の出現頻度が恐ろしく上がっているから、 その資料を集め放題なんだ。集めなければならないんだ。集めて、調べて、突き詰めなければならないんだ」

「それで、何か解りそうですか?」

「少しはね。光の巨人がシャンブロウに触れても対消滅するどころか、シャンブロウを攻撃してきたとなると、相手 は質量を伴い始めているってことだ。触れられるということは、相手を認識出来るということだ。サメ男が今までに 上げた報告書によれば、光の巨人はシャンブロウに無関心だったようだけど、それはもう過去のことだ」

「そうですか……」

「長々と話してしまってすまなかったね、光永さん」

「いえ、お構いなく。羽生さんのこと、知っているようで知らなかったんですね、私は」

「知らなくてもいいさ、別に。まあ……満月には全部話してあるけどね。この僕の家族だから」

「お子さんの経過は順調ですか?」

「うん。少し大きくなってきた。だから、この僕は突き止めなければならないんだ。光の巨人を退ける術を」

 そう言った羽生の横顔は、いつになく力強かった。それだけ、彼は妻を愛しているのだ。羽生の妻である満月とは 顔を合わせたことはないが、きっと素敵な女性なのだろう。それが羨ましくなる一方で、自分をそこまで思ってくれる 相手はもういないのだ、とも思って胸が痛んだ。雨脚が弱まる気配はなく、テントのたわみに溜まった雨水が溢れ、 滝のように流れ落ちていた。愛歌はタバコを吸おうとしたが、思い止まり、握り潰した。
 主を失った山は綻び、泣いていた。




 触手の束の中に、切断された触手を隠す。
 傷を見せてしまうと、彼が悲しむからだ。階下からは、弟の真琴と食卓を囲む狭間の話し声が聞こえてきて、少し 安堵する。狭間の匂いがするTシャツを抱き締め、埋もれながら、ツブラは目を閉じる。ムラクモの牙が食い込んだ 右肩はひどく痛み、損傷は再生しきっていないが、神経も繋がっているし、触手で縫い付けたので誤魔化しは効く。 この分なら、まだ戦える。彼を守れる。役に立てる。

〈天の子や〉

 雨音よりも重たい足音がトタン屋根を噛み、上下逆さまの影が窓に掛かる。

「ヤエヒメ」

 ツブラはそっと身を起こして障子戸を開くと、糸でぶら下がっているヤエヒメは上下を戻した。

〈辛いかえ〉

「ツラクナイ」

〈痛いかえ〉

「イタクナイ」

〈苦しいかえ〉

「クルシクナイ」

 窓越しにヤエヒメに受け答えながら、ツブラは触手で体を戒める。震えそうになるからだ。

「ツブラ、マヒト、イッショ、コワクナイ」

〈人の子はそうでないやもしれぬがのう〉

「モシモ、ソウナラ、ツブラ、ヒトリ、タタカウ」

〈人の子もそう言うやもしれぬのう……。そなたらは、通じ合っておるのかえ〉

「ツブラ、マヒト、スキ、イケナイコト」

〈そうやえ〉

「ダケド、スキ」

〈それが恋慕というものぞえ。やりきれぬものよ、わらわも身に覚えがある〉

「ダケド、ツブラ、イナンナ。イナンナ、エレシュキガル、チガウ。ムラクモ……エレシュキガル、ナッタ」

〈アレが来るのかえ〉

「モウ、キテイル」

〈大型怪獣達の犠牲をもってしても、阻めなかったのかえ〉

「デキナカッタ」

〈ふむ……。ならば、我らも反撃する術を変えねばならぬのう。水際で阻止するのも、最早限界じゃ〉

「ドウスル?」

〈神話時代とは違って人間が至るところで栄えておるから、あの頃のように終末戦争を起こすと後始末が面倒じゃ からのう。なるべく被害を出さず、かつ穏便に、しかし的確にアレを滅ぼさねばならぬ〉

「ムズカシイ」

〈わらわもそう思ったえ。じゃが、そうせばならぬ。それが怪獣の務めぞえ〉

「ガンバル。ツブラ、エレシュキガル、タタカウ」

〈その言葉、信じさせておくれ。わらわだけでなく、全ての怪獣にのう〉

 ヤエヒメは八つの目を全て開き、ツブラを見つめてきた。ツブラはガラスに額を付け、じっと見返す。両者はしばらく 視線を交わらせていたが、ヤエヒメはするりと身を引いて屋根に上った。がつん、とトタンを踏み切る足音の後にヤエヒメ の気配が遠のいていったので、八重山を離れて他の土地に移り住むのだろう。ツブラは再び横になると、体中に詰まった 疲労と痛みを押し殺しながら、触手の繭を作った。
 雨は、もうすぐ止むだろう。





 


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