横濱怪獣哀歌




ソノ足ニ赤イ靴ヲ



 高宮重工業造船所、と書かれていたであろう看板の前半が消えていた。
 だから、業造船所、という文字しか読み取れない。建造中だった大型船舶は半分以下になり、頑強な建造ドックは 右側が消えているので自重を支え切れなくなり、残った左側が内側に倒れていた。資材置き場や組立場、加工場などの 工場も損害が大きく、後片付けすらもまだ終わっていないようで、至るところに瓦礫の山が築かれていた。
 造船所の入り口には献花台が作られ、犠牲者の名前が書かれた紙も貼り出されていたが、数日前に降った雨で 文字が滲んでいた。造船所に出入りする労働者達は、皆、献花台を横切る瞬間には表情を曇らせたが、造船所の中に 入った途端に切り替えていた。死者を悼むのは結構だが、働かなければ生きていけないからだ。

「あの後、何度もここに通ったから、顔見知りも増えたわ」

 愛歌は道中の花屋で買った花束を供え、線香に火を灯して手を合わせた。狭間もそれに倣う。

「新聞で何が起きたのかは知っていましたけど、実際に来るとなると……」

「辛いわよね。狭間君も当事者だから」

 吸いかけで悪いけど、と愛歌はアメリカンスピリッツを取り出して花束に添えた。

「何が一番辛いかって、遺骨すら入っていない空っぽの棺を御遺族に引き渡す時よ。中には、寿町から働きに出てきて いた日雇いの人達もいたんだけど、その人達は素姓を探るだけでも大変だったわ。遺品があればまだいい方で、その遺品 も見当たらない人もいて……。戦争よりもひどいわ、アレは」

 愛歌は海風で翻ったコートの裾を気にしつつ、愛車に向かった。

「イナヅマの後釜も早く見つけたいんだけど、なかなか捗らなくて。今のところは、東京湾にいる発電怪獣から電力 を引っ張ってきているけど、それも長く続けると発電怪獣の負担が大きくなっちゃうから、早く探さないといけないの。 でも、今は工場も鉄道も増えたから、余分な発電怪獣なんてどこにもいないのよね」

「道理で」

 病院の窓から見えた横浜の夜景が暗かったわけだ。狭間は納得すると共に悔やんだ。もう少し早く、光の巨人とあの 少女怪獣の関係に気付けれていれば、いや、もう一本早い電車に乗って来ていれば、と自責するが、どれだけ後悔しても どうにもならない。どうにもならないから、悔やまずにはいられない。

「気が済んだ?」

 シビックの運転席のドアを開け、愛歌は乗り込む。狭間も助手席に乗り、再び造船所を見上げた。

「光の巨人が現れたところって、どこでもこんな感じなんですかね」

「大体はね。光の巨人が出現した地域はてんでばらばらで法則性も皆無だけど、被害状況は万国共通。怪獣監督省に 入ってからしばらくして、色んな場所に研修に行かされたけど、どこも同じようなもの。アメリカのテキサス湾岸、 アラスカ州のプルドーベイ、メキシコ湾岸、カナダのニューファンドランド島、他にもソ連とかまあ色々と。海沿い が多いのは、発電怪獣のサイズが大きくなればなるほど熱量も増えて冷却水が必要になるから、ってのは狭間君も 学校の授業で習ったわよね。で、発電怪獣が大きければ大きいほど発電量も大きくなるし、それに比例した規模の 工場が出来るし、大きな工場が出来ればその周りの街も大きくなって、人口も増えていって……」

「光の巨人に襲われた際の犠牲者も増えてしまうんですね」

「そういうこと。だから、横浜の被害はまだマシってことよ」

 車を走らせながら、愛歌は穏やかに話す。

「光の巨人が何を狙っているのかは、まあ解るわよね」

「巨大な怪獣ですか」

「中でも一番多いのが、発電怪獣ね。光の巨人が消滅させた超大型怪獣の六割が、発電怪獣なんだもの」

 赤信号で車を止めると、愛歌はダッシュボードを開けて新たにアメリカンスピリッツを取り出し、銜えた。

「神話の時代から何も変わっちゃいないのよ。人間が怪獣の恩恵を受けていることも、光の巨人が現れて怪獣ごと 人間も街も消しちゃうのも。だけど、遠い昔は光の巨人の出現頻度はかなり低かったようだし、現れたとしても怪獣 や街を襲うことはなかったらしいわ」

「その頃はまだ人口密度が低かったからじゃないでしょうか。光の巨人は光分子だけで構成された物体であると 仮定されているので、視認しているのは赤外線であって実像ではないと予想されています。だから、怪獣が発する熱 と人間の街が発する熱を誤認して襲い掛かってくるんじゃないかと」

「ベタな答えをどうも。そう考えるのが手っ取り早いし、相手が自然現象であると思えば諦めも付けられるだろう けど、私はこう考えているの」

 アクセルを踏み込んでから、愛歌は眉根を顰めた。

「あいつらが狙っているのは人間でも怪獣でもない。文明そのものなんじゃないかって」

「また随分と飛ばしましたね」

 急加速で内臓が圧迫され、狭間は顔をしかめる。二時間程前に喉に触手を突っ込まれたからか、胃袋の辺りが 妙な動きをした。せっかく食べたものが戻ってこなければいいのだが。

「それはまあそれとして、買い物行きましょ、買い物」

 愛歌は加速を緩めずにハンドルを切ったので、狭間はドアに体が押し付けられた。乱暴すぎる運転だ。

「私んち、布団は一組しかないし、日用品だってそんなもんだから、必要最低限でも買い込んでおかないと暮らすに 暮らせないじゃない。狭間君もその恰好のままってわけにもいかないだろうしさ。なんだったら、いい感じの服を 選んであげてもいいんだけど?」

「はあ」

「うち、お風呂はないけど、近所に銭湯があるから」

「はあ」

「自炊出来る? 出来るんだったらお願いしたいなー。私、料理は下手くそでさぁ」

「喫茶店の常連になっていたのはそのせいですか」

「まあね。あ、そうだ、合鍵も作らなきゃね! 合鍵!」

 合鍵。その言葉がいやになまめかしく思えてしまうのは、狭間にも少なからず下心があるからだろう。むしろ、若い 男としてはそれが起きない方がおかしい。狭間が妙に気まずくなって目を逸らすと、愛歌はにやける。

「でも、私に手は出さないでよ? あの子に妬かれたらただじゃ済まないだろうし」

「いや、俺はちがぁおうっ!?」

 狭間が反論しようとすると、トランクスペースから伸びてきた赤く細い触手が狭間を戒め、シートに縛り付けた。

「マー」

 後部座席を乗り越えてきた少女怪獣は座席の間から顔を出し、狭間を見つめてくる。

「そうだ。せっかくだから、この子の服と靴も買ってあげないとね! 見た目は人間とほとんど同じなんだから、裸の ままじゃ可哀想だもの。後で足のサイズを測らせてね」

「ハーイ」

 少女怪獣が快諾すると、愛歌はにこにこする。

「あら、いいお返事ねー」

「別にいいでしょうが、そんなの」

 触手を引きはがして自由を取り戻した狭間は意見するが、愛歌は言い返す。

「素っ裸の幼女を連れまわす不審者になりたいのであれば止めはしないけど?」

「マー」

 ヘッドレストを乗り越えて狭間の頭に覆い被さってきた少女怪獣に、狭間は辟易しつつも見上げてみた。つるんと して凹凸のない体は小学生の頃に見た女子と大差のない体型で、性的魅力は皆無だ。肌色も常人とは違って白い のだが、遠目から見れば素っ裸の子供に見えなくもない。かもしれない。だが、子供は大人と違って隠すべきもの がないし、怪獣だから特に問題はないのでは、と狭間は思っていたが、愛歌がやけに念を押してくるので最後には 狭間は折れた。子供服は大した出費にはならないだろう、と思ったからでもある。
 元町商店街は品揃えが良かったので、買い物はすんなりと終わった。



 買い物を終えた後、シビックは元町の住宅街の奥へ奥へと進んだ。
 最初に見かけた家々は豪奢だったが、路地を曲がっていくにつれて建物はどんどん古く小さくなっていき、住民達 の服装も建物に比例したものになった。道路も次第にアスファルトがなくなっていき、舗装されていない剥き出しの 道になり、轍や穴や石を踏むたびに車体が上下左右に揺れた。そして、辿り着いたのが年代物のアパートだった。

「で、これが愛歌さんちですか」

「そう。これが私んち」

 愛歌が示したのは、狭い駐車場と隣接している古びたアパートだった。フォートレス大神、との看板が付いている が、錆が浮いている。トタン屋根の木造二階建てで、外壁も風化している。建てられたのは照和一桁かもしれない。 横文字がとてつもなく似合わないが、この名前を付けられた当初は洒落た建物だったのかもしれない。

「で、これが鍵屋で作ってもらった合鍵ね。大事にしてよね」

「そりゃもちろん」

「んじゃ、早速我が家に行きましょうか」

 愛歌は愛車に鍵を掛けると、買い込んだ物資を抱えて鉄階段を上っていった。愛歌の住まう部屋は二〇三号室の 角部屋で、他の住民達は職業も活動時間帯もばらばらなのだそうで、ほとんど顔を合わせることはないらしい。 壁が薄いからあんまり騒がないように、テレビもあるけど音は絞って使え、夜はきちんとカーテンを閉めろ、鍵も ちゃんと閉めてから出かけろ、と愛歌は細々と忠告してきたが、どれもこれも尤もだったので狭間は素直にそれを 聞き入れた。愛歌は、ただいまぁ、と言ってから上がった。

「お邪魔します」

「シマース」

 狭間が靴を脱いで上がると、少女怪獣もそれを真似て上がった。

「それは今回だけね。次からはちゃんとただいまって言いなさいね、狭間君」

「善処しますよ」

「シマスヨ」

「んで、狭間君の荷物はまだまだあるから、運んでこないと……」

 愛歌がサンダルを突っかけて外に出ようとしたが、立ち止まった。玄関先には、愛歌が車から降ろしたばかり の布団やら何やらが既に運び込まれていた。それらを縛っているのは赤く細い触手で、するりと解けて少女怪獣 の元に戻っていった。得意げに口角を上げた少女怪獣に、狭間はちょっと驚いた。

「気が利くな、お前」

「マー」

 少女怪獣は両手で頬を押さえ、身をくねらせる。照れているらしい。

「それじゃ、私は夕飯の買い出しに行ってくるから、狭間君は自分の荷物の整理をしておいてね。あと、その子の 名前も考えてあげなさいよ。いつまでも名無しの権兵衛のままじゃねぇ」

 お留守番よろしくね、と愛歌は言い残してさっさと出ていった。とりあえずは寝床を作ろう、と狭間は部屋を見回す が、六畳二間の部屋は荒れていた。洗濯したはいいが畳んでいない服の山、安酒の空き缶、新聞や雑誌の束に埃が 積もっている。掃除から始めなきゃならんな、と狭間がげんなりしていると、少女怪獣が絡みついてきた。

「やめろ。さっき喰ったばかりだろうが、俺の体力を」

 狭間は懸命に少女怪獣を押し返すが、少女怪獣は狭間に覆い被さろうと触手で体を浮き上がらせた。

「ヤーン。オナカスイタ」

「一応病み上がりなんだから手加減してくれ、でないとまた倒れるぞ」

「スイタ」

 少女怪獣は頬を丸め、拗ねる。狭間はその触手を一束掴み、顔を上げさせる。

「あのなあ。お前が喰った体力を作るには、俺はその分だけメシを喰って休まなきゃならないから、すぐに出来る ってものじゃない。それと、所構わず俺に、その、アレするのはやめてくれ。外人じゃないんだから」

「スイタ」

「我が侭言うな。せめて俺が夕飯を喰った後にしてくれ。でないと、本当に身が持たない」

「ユーハン?」

「そうだ。人間はな、朝昼晩と飯を食うんだ。例外もあるが。だから、その後だ。解ったか。解ったな?」

「……ウン」

 少女怪獣は渋々頷き、身を引いた。話せば解ってくれるのか、と狭間は感動すら覚えた。今まで接してきた怪獣達 は一方的に言いたいことを言うだけで、狭間の言い分など無視していた。だが、少女怪獣は怪獣言語ではなく、人間の 言葉を使ってやり取りするからか、狭間と対等に話してくれる。それがいやに嬉しかった。

「とりあえず、なんでもいいから服を着てくれ。どれがいい」

「ドレ?」

 狭間は紙袋をひっくり返し、元町商店街で手当たり次第に買い込んできた服や靴を広げてみせた。女の子の服の 良し悪しはさっぱり解らなかったので、選んだのは愛歌である。少女怪獣は触手を伸ばし、ワンピースやブラウスや スカートを抓んでみたが、次々に投げ捨てていった。足に合ったサイズのズックも気に入らなかったらしく、ぽいっと 放り投げてしまう。

「色が気に食わないのか?」

 狭間は少女怪獣が放り投げた服を見比べてみるが、どれもこれも普通のものだった。だったら何がいいんだ、だが 今から買い直しに行くのは大変だし金も掛かる、と狭間が悩んでいると、少女怪獣は目を見開いた。

「ン!」

 数本の触手が持ち上げたのは、黄色いレインコートと赤いエナメルシューズだった。小学生御用達のレインコート はともかく、赤い靴は余所行きの服を着た時にだけ履くような代物なので、全く馴染んでいなかった。それでも少女 怪獣はお気に召したらしく、かたかたと硬い靴音を立てながら歩き回っていた。木綿や麻や化学繊維といった素材で 出来た服の山を一瞥し、狭間はふとあることに気付いた。少女怪獣が気に入ったのは、つるつるとした手触りで光沢 があるものだということに。

「じゃ、これはどうだ」

 狭間は日用品を入れていたビニール袋を差し出すと、少女怪獣はすぐさま受け取り、頬擦りした。

「ウン!」

「ご機嫌取りの方法が解っただけでも良かったよ」

 少女怪獣が大人しくしてくれている間に、自分の生活環境を整えなければ。部屋のそこかしこに溜まっているゴミ を一カ所に集めてから箒で埃を掃き、洗面台の隅にあった雑巾を使って水拭きをすると、いくらかマシになった。 まともに掃除をするのは、明日以降でもいいだろう。
 開け放った窓にもたれかかると、買い物の途中で買い込んだゴールデンバットを吸って一息吐いた。雑味が多く、 ニコチンがきついが、その分じっくりと味わえる。ビニール袋と戯れることに飽きたのか、少女怪獣は髪に似た触手 を波打たせながら、狭間の足元に這い寄ってきた。何の気なしに頭を撫でてやると、気持ちよさそうに目を細め、触手を 指で軽く梳いてやると、でろりと弛緩した。

「名前、あるのか?」

「ル?」

「ないのか」

「ナイ」

「シャンブロウっていうのか」

「チガウ。シャンブロウ、ナマエ、チガウ」

「じゃあ、名前を決めてやらないとな。でないと呼びづらい」

「ヅライ!」

「そうだな……」

 少女怪獣の外見で最も目を惹くのは触手だが、それを元にした名前が思いつかなかった。なので、その次に目を 惹くものは、大きな赤い目だった。安直にヒトミと名付けてもいいが、それでは普通の人間の名前と間違えてしまい かねない。となれば――――

「ツブラ。それでどうだ?」

「ラ?」

「そうだ、ツブラだ」

「ツブラ!」

 少女怪獣は口角を上げたので、合意してくれたとみていいだろう。

「それじゃ、改めてよろしく。ツブラ」

 ここまで来たら、縁が切れるまで付き合うしかない。覚悟を据えた狭間が手を差し伸べるが、ツブラは手ではなく 触手を差し伸べてきた。それをぐねぐねと曲げて五本指の手を作り、狭間の手を握ってきた。その感触は柔らかく、 見かけに寄らずしっかりとした重みがあった。触手の一本一本が筋肉で出来ているのだとすれば、重くて当たり前だ。 手触りはすべすべしていて、ツブラが好む感触のものと似ていた。
 少女怪獣の触手は、爬虫類の如く冷たかった。





 


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