横濱怪獣哀歌




ソノ足二赤イ靴ヲ



 愛歌が買い込んできた惣菜が、狭いテーブルを埋め尽くした。
 揚げたてのコロッケにマカロニサラダ、ひじきの煮物と浅漬け、サヤインゲンのゴマ和えと出し巻卵、そして暖かい 白飯だった。それを挟んで愛歌と向かい合った狭間は、言われるがままにカップ酒で乾杯した後、料理に箸を付けた。 味付けはどれもこれも濃く、甘味が強かったが、おいしかった。近所に総菜屋があるようだ。

「へえー、ツブラちゃんねぇ」

 コロッケを肴に安酒を傾けながら、愛歌は狭間の後ろで大人しく座っている少女怪獣を見やった。

「で、そのツブラちゃんはなんで家の中で靴を履いているの?」

「脱がせようとはしたんですけど、余程気に入っちゃったみたいで脱がないんですよ」

「どうしても?」

「どうしても」

「あー、私にもそういう経験あるわぁ。子供の頃、ものすごーく気に入っちゃった服とかリボンって外したくなくなる からねぇ。でも、下の階に足音が響いちゃうから、ツブラちゃんの気が済んだら脱がせちゃってね」

「家の中で靴を履いて、そのまま外に出ると縁起が悪いですしね」

「それもある」

 料理を粗方食べ終えた愛歌は、狭間の服の裾を引っ張っているツブラを見、にっと笑った。

「良い名前じゃない。髪の毛が赤いから、黄色がまたよく似合うわね」

「アウ?」

 ツブラが聞き返すと、愛歌は頷く。

「似合うわよ」

「マー、ニアウ?」

 ツブラが体を傾けて狭間の視界に入り込んできたので、狭間はぞんざいに返した。

「はいはい似合う似合う」

「こうしてみると、なんか親子みたいね。狭間君とツブラちゃん」

「えげつない冗談はやめてください」

「ナイ?」

「そうなると、私は子持ちの若いツバメを囲っている資産家とかかしら? いや違うわ、アバンギャルドなファッション デザイナーで、こうしてボロアパートに身を窶しているのは、親の反対を押し切って独立したばかりで生活に金を回す 余裕がないからであって、とか……。いいわね、割と」

「いきなり変な妄想に浸らないで下さい」

「必要なことよ。私と狭間君とツブラちゃんの関係をどう説明すりゃいいのよ、隣近所に」

「当たり障りのないやつでいいじゃないですか。親戚とか」

「それじゃつまんない!」

「ナーイ」

「そういう問題ですか」

「問題なのよ!」

 愛歌はぐっと拳を握ったが、そんなところに力を入れたとしても、問い詰められればすぐにボロが出るのでは、と 狭間は懸念した。そもそも狭間と愛歌の間柄を勘繰るような人間がいるのだろうか、とも。だが、狭間と愛歌のこと はともかくとして、個人所有が禁じられている怪獣であるツブラが民家で飼われているのは妙に思われるだろうし、 狭間自身も違和感に苛まれている。愛歌は怪獣Gメンではあるが、怪獣を養育する権限があるのはまた別の部署の 公務員だ。残っていた出し巻卵を食べてから、狭間は言った。

「まあ、ツブラのことは誤魔化さなきゃならないですよね。通報されると困りますから」

「んー……。そうねぇ……」

 腕組みをした愛歌は上体を反らし、天井を仰いだ。

「んじゃ、こうしましょう。狭間君は怪獣使い見習いであって、私は怪獣Gメンとしてその監督をしている」

「怪獣使いって、そりゃ、そういう血筋の人がなるべきものであって俺は全然そういうんじゃ!」

「まあね。怪獣使いは特殊能力を生まれ持った一族が就く職業であって、国家資格の中でも最難関の資格では あるけど、まあなんとかなるでしょ」

「いやいや絶対なんとかなりません血筋なんかどうにもなりません」

「とにかく、その辺の細かい話はまた明日ね。銭湯に行きましょ」

 そう言って、愛歌は食べ残しを綺麗に平らげてから食器を重ねていった。狭間は後片付けを手伝ってから、銭湯に 行く準備を整えた。風呂桶にタオルと石鹸を入れていると、背後からツブラに襲い掛かられた。ここまで来ると、抵抗 したところで敵うわけがないと解っているので、狭間はツブラの触手を甘んじて受け入れた。
 食べた分だけ補われた体力が、ごっそり奪われた。




 寝苦しさと脇腹の痛みで目が覚めた。
 銭湯の熱い湯にのぼせたのか、慣れないことの連続で神経が立っているせいなのか。いや、違う。ナツメ球から 広がるオレンジ色の光の下、ぼんやりと見えるのは、狭間の腹に覆い被さっているツブラだった。その小さな足に 履かれたままの赤いエナメルシューズの靴底が、脇腹に食い込んでいる。道理で痛いわけだ。

「全く……」

 ツブラを剥がして起き上がった狭間は、寝乱れた髪を掻き混ぜた。中途半端に伸びた髪が鬱陶しいので、床屋に 行くまでは愛歌のヘアゴムでも借りて結んだ方がいいだろう。布団から出ると、足の裏にぐにゃりとした奇妙な感触 が伝わってきてぎょっとした。よく目を凝らしてみると、ツブラの触手が脱力して放射状に広がっていた。その中心 であるツブラ本獣は熟睡していて、すやすやと穏やかな寝息を立てている。

「足の踏み場がないな、これ」

 狭間は壁伝いに歩いて窓際まで移動して、台所の傍にある小窓を開けた。狭間が寝起きする部屋は台所のある 玄関側の六畳間で、愛歌が寝ているのは奥にある六畳間だ。ふすま一枚隔てただけなんだよな、と考えてしまい、 狭間は自分の浅ましさにうんざりした。愛歌に下心を抱いてはいけない。ただでさえややこしく、面倒な事態を 収拾しようと尽力してくれているのだから、そんなことを思うのは失礼だ。それに、愛歌が世間知らずの若造に 過ぎない狭間を構ってくれるわけがない。男として認識してくれているかどうかも怪しい。
 壁掛け時計を見ると、午前四時前だった。新聞屋も来てねぇな、と小さく呟いてから、気を紛らわすためにタバコ を吸った。朝を迎える一歩手前の街は既に動き出していて、店舗や家庭で使用されている怪獣達のざわめきが、風に 混じって聞こえてくる。離れている分には耳障りではないのだが、ぎゃあぎゃあと喚かれると心底参ってしまう。聖徳 太子ではないのだから、全ての言葉を聞き取れるわけがないし、頼み事をされても引き受けきれない。

「だから、例外なんだよ」

 ツブラのことを引き受けたのは、タイミングが良かったからだ。愛歌によく似た謎の女に誘われてあわよくばと 考えたから、田舎暮らしに退屈していたから、都会に出る機会を窺っていたから。それだけだ。

〈ありがとう、その子を守ってくれて〉

 太く長い汽笛に紛れて話し掛けてきたのは、女性的な語り口の怪獣だった。

「俺は別に何もしちゃいないし、出来なかった」

 これは独り言だ。ミミズをぶちまけたかのような触手の海の中、狭間は紫煙を口の端から漏らした。

「造船所も、そこで働いていた人達も、そこで使われていた怪獣達も、助けられるはずだった。俺が助けてくれる と思ったから、あんた達は俺にツブラを預けたんだろ? だが、そんな賭けが成功するはずがないし、現にあんなこと になっちまった。期待しないでくれよ。俺も俺に期待しちゃいないし、出来るわけがないんだから」

〈私はそうは思わないわ〉

「だから、そう買い被るなよ。光の巨人とまともにやり合えるのはツブラだけみたいだが、だからといって俺がアレと 立ち向かえるとは思わないでくれ。この前はたまたま上手くいったが、次は解らん。ツブラを放り出してトンズラする かもしれないし、今度は俺が光の巨人に消されるかもしれないし」

〈あなた達が光の巨人と呼ぶモノと立ち向かえるのは、その子だけなのは確か。けれど、光の巨人と呼ばれるモノは 世界中に現れるし、現れた分だけ、都市も人も怪獣も消されてしまうけど、それを全て止める術はないの。その子も君も 神様じゃないから、全てを守り、救うのは不可能だもの。だから、あなたはその子を守ってあげて〉

「守ったらどうなる? 俺にいいことでもあるのか?」

〈悪いことにはならないわよ。たぶん〉

「どいつもこいつもいい加減だなぁ」

〈ふふ。私達もあなた達も生き物だもの。不確定要素があるからこそ、変動し、変異し、変化するのよ〉

「ごもっとも。で、あんたはどこの誰だ」

〈私は氷川丸〉

「あー……。山下公園にあった、あの古い船か」

〈そうよ。たまに会いに来てね。あなたは、私達怪獣にはとても大切な人だから〉

「その割には人使いが荒すぎないか」

〈あら、そうかしら? ……そろそろ仕事始めの時間だわ、大人しくしなきゃ。それじゃ、また〉

 氷川丸と名乗った怪獣の声が徐々に弱まっていき、途切れた。

「あ、そうだ、おい!」

 イナヅマに話を聞け、とムラクモや他の怪獣達に言われたが、それを聞き出す前にイナヅマは消失してしまった ので聞けず終いだった。氷川丸ならそれを知っているのではないかと思ったのだが、氷川丸の声は二度と聞こえず、 他の怪獣達も自分たちの仕事で手一杯で答えてくれなかった。疑問だけが宙に浮き、狭間は舌打ちする。

「くそ」

 何をさせたいのか解らなければ、こちらも動きようがないというのに。だが、朝っぱらから叫ぶと近所迷惑に なるので、狭間は手近な空き缶でタバコの火を消してから窓を閉めた。こうなったら二度寝してやる、と狭間は 再び布団に潜り込むと、もぞもぞとツブラが動いて狭間にしがみついてきた。

「冷てぇ……」

 良く冷えた水枕に抱き付かれたかのような感覚に辟易し、狭間はツブラを剥がそうとするが、ツブラの短い手足 はがっちりと狭間の胴体を戒めていた。しゅるしゅると触手も集まってきて、狭間は繭に包まれたサナギに似た姿 に成り果てた。ツブラは狭間の胸に頭を摺り寄せていたが、顔を上げ、目を瞬かせる。

「イイコト」

「しなくていい。というか、お前にはされたくない」

「シタイ」

「だから、しなくていい」

「イイコト」

 にやけたツブラは小さな手を狭間の手に重ね、指を組んできた。

「ああ、そっちか」

 だったら特に問題はない、今のところは。気が済むまでそうさせてやろう、と狭間はツブラと手を繋いだまま、目を 閉じた。ツブラは足をばたつかせて、赤い靴をこつこつと軽く鳴らすと、その音に合わせて触手が揺れた。ツブラの 冷たさには慣れないし、赤い触手も気色悪いが、懐かれるのは悪い気はしなかった。
 二度寝から目覚めると、愛歌の姿はなく、出勤した後だった。





 


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