ヲルドビスに戻ると、真琴と麻里子は下校していた。 二人ともまだ制服姿で、少し休んでから夜間のシフトに入るとのことだった。その間は狭間とリーマオで店を回す ことになる。九頭竜総司郎と会ってきたことは言うべきではないなぁ、と思いつつ、狭間はヘルメットを置いて荷物 も置いてから、エプロンを付け直した。客の入りは程々で、忙しくはないが暇でもなかった。 「妙やなぁ」 会計を終えてレジを離れたリーマオは、首を捻りつつバックヤードに入ってきた。 「代金が合わないと大事ですから、そういうことは早めに言って下さいね」 狭間は身支度を整えつつ返すと、リーマオはレジ台の下に入っている伝票の束を見やった。 「そうやない。えげつないことがあったばっかりやってのに、客足が衰えんのはなんでやろなぁ。台帳を見返してみたんや けど、横浜界隈で何が起きとっても稼ぎに波がないように思えるんよ。天気がえらい悪かったり、ゴリラ風邪が 流行しとった時はさすがに稼ぎが落ちとったけど……なんやろなぁ」 「それだけ常連が多いってことですよ」 「常連やったら、虎牢関もなかなかのモンやったで。出しとった料理がアレやったからでもあるんやけど、ここのは そうやない。そやかて、裏メニューで怪獣料理を出すわけでもあらへんねん。何がちゃうんやろなぁ」 いやに真剣に悩んだリーマオは、厨房でフライパンを振るう海老塚を見やった。 「ヲルドビスが流行る理由が解ったら、どうするんです」 「そら、虎牢関の再建に利用するんや。二号店三号店とあるんやけど、料理人がイマイチなんよ。腕は決して悪くないん やけど、一味足らんねん。それに、うちは料理作るんも店で働くのも嫌いやないねん。ごっつい綺麗な靴を履かせて もろたから、自分の店は出せんようになってしもうたけど、そんなん、どうにでもなる」 「リーマオさんにも普通というべき価値観が備わっていたとは、なんだか意外です」 「うちをなんやと思うとるんや、この皿洗い」 「新入りのアルバイトです。それで、ジンフーさんには会わないんですか」 「会ったところで、どないすんねや。うちもガキやないし、あの親父もおぼこいわけやない。そら、義理の母親になる オンナがうちより年下っちゅうんは生理的に受け付けんけども、それが渾沌のためになるんやったら、まあええ とちゃうかなぁって思うたんよ」 「随分と割り切っているんですね」 「いちいち悩むんは、時間と体力の無駄やろ。ホンマ、うちを何やと思うてはるんや」 リーマオはむっとするが、スラックスに包まれた両足――舞踏怪獣カーレンが笑った。 〈ねえ人の子、マオちゃんって可愛いでしょ? だから、私はこの子の足になったのよ〉 余計なこと言うんやない、とリーマオは真紅のブーツを尖ったつま先で小突いてから、給仕の仕事に戻っていった。 麻里子のカムロ、須藤のシニスターと同じく、神経が繋がっているから意思の疎通が出来ているらしい。仲は悪く ないようだが、リーマオの武器として扱われることに疑問を抱いていない辺り、カーレンの相当な強硬派だ。 理解しきれないものは理解出来ないものとして、結論と情報だけを得てしまえばいい。狭間がリーマオの持論から 得たものはそれだったが、確かに理に適っている。裏社会で生きるためには不可欠な価値観であり、能力の一つ なのだろう。となれば、麻里子とジンフーの結婚式では、狭間がいくつか思い付いた作戦の中でも最も凶悪なもの を用いるべきだ。どんな目に遭おうとも情けと容赦を捨てきれない凡人であるが故に、つい、甘さという名の逃げ のある手段を選んでしまいがちだ。仕事が上がったら、作戦の細部を練らなければ。 練って、煮詰めて、固めなくては。 作戦会議は、フォートレス大神で行うことにした。 ヲルドビスでは、麻里子もカムロもリーマオもカーレンもいるし、海老塚もいる。フォートレス大神の一階には 一条御名斗は住んではいるのだが、近頃は須藤の家に入り浸っているのか留守がちだった。狭間は御名斗の自室の 様子を窺ってみたが、人の気配も怪獣の気配も感じられなかった。他の部屋は相変わらず空き部屋で、辰沼京滋と 二人の怪獣人間が住んでいたのもほんの一時期だ。だから、盗み聞きはされないだろうとは踏んだが、念には念を 入れ、要点は筆談にすることにした。こういう時、広告の裏紙がとても役に立つ。 狭間、ツブラ、愛歌、そして真琴で座卓を囲んでは紙を何枚も消費した。真琴は自分がこの場にいていいもの かと不安なのか、落ち着きがなかった。愛歌の隣に座っていることもあり、終始そわそわしていた。愛歌は真琴 の初々しさを茶化しつつも、やるべきことはきちんとやった。 「つまり、あれがああしてこうなるわけね」 愛歌は文字だらけの広告の裏紙を見下ろし、頬杖を付く。 「そう都合良く行くものかしらねぇ。都合良くなってくれなきゃ困るのは確かだけど」 「今まで散々都合の悪い目に遭わされてきたんで、たまには俺とツブラにとって都合の良いように事が運んでくれ なければ割に合いませんよ。それと、羽生さんの研究が意外と役に立ちそうなんです」 狭間は自分の案を書いた紙を、愛歌の前に差し出す。 「それこそ、上手くいく保証なんてないわよ。一番危ない」 だからこれはダメ、と愛歌はその紙を突き返すが、狭間は再度差し出す。 「でも、これ以外に方法は思い付きません。というか、たぶん、ありません」 「だからって、こんなのは許可出来るわけないでしょ。怪獣Gメンとしては」 「じゃ、愛歌さん個人としてはどうなんですか」 「んー……」 愛歌はヲルドビスの売れ残りであるケーキを口にし、咀嚼して嚥下した後、拳を握って腰を浮かせた。 「九頭竜会も渾沌も全力でやり込めたいっ! 弱らせたいっ! あの連中のせいで怪獣の密輸ルートがどれだけ 作られて枝分かれしたことか! どっちも密輸には慣れたもんだから、売人を突き止めて逮捕して取り調べしても 別のルートがあるもんだから怪獣の流通は止まらないし止められないし、資金源は断ち切れないし、おまけに売人は ろくな情報持ってないし! エレシュキガル騒動でしっちゃかめっちゃかで、やっとまともな情報を持っていそうな 人間を突き止めたのに行方不明になっちゃうし、おまけに赤木君は掴まらなくなったし! このクソ忙しい時期に 本省に出向だなんて! そのせいで私の仕事量だけが増えていくし! だから酒の量も増えるし!」 愚痴をぶちまけるうちに熱が入ってきたのか、愛歌はだんっと拳を座卓に叩き付ける。 「でもって、私なんかじゃ到底力が及ばないことばっかりが起きるし! 何が起きたのかを知るのは全部終わった後 だから、誰も助けられないし、何も守れないし! 羽生さんの力を借りたいのに行方をくらましちゃうし! 私が やるべきことがあるはずなのに、それが何なのかが解る前に取り返しのつかないことになりそうで嫌なの!」 愛歌は広告紙を握り潰し、肩を怒らせる。 「お願いだから、もう、あんまり無茶しないで。狭間君もツブラちゃんもまこちゃんも、いなくならないで」 「善処しますよ」 狭間の気弱な答えに、愛歌は顔を上げて狭間をきつく睨んだ。 「全方位からケンカを売られたからって、全部買うことはないの!」 「だから、ひとまとめにして一度に全部なんとかしようって考えた末に、思い付いたのがこれなんですよ」 狭間は愛歌に気圧されつつも、作戦の概要を書いた広告紙を改めて差し出す。愛歌はまだ何か言いたげだったが、 狭間が愛歌に半ば強引に手渡すと、愛歌は明らかに苛立ちながらも作戦の概要を読んだ。 「でも、これって成功するの?」 「成功する、と、思います。でも」 それまで押し黙っていた真琴は、愛歌の剣幕に臆しながらも鉛筆を取る。 「そりゃ、俺だって、兄貴の作戦は無茶苦茶で馬鹿げていてどうしようもないとは思いますけど、その羽生さんって 科学者が考えた方法を利用すれば活路は開けるはずです。活路だけは。でも、作戦の肝はそこじゃなくて」 真琴は余白が多い広告紙を引き寄せ、鉛筆を走らせる。 『勝つ方法はどうにでもなりますけど、問題はその後です。どうやって逃げて生き延びるか、それが肝心なんです。 退路を確保しておかなければ、本当の活路は開けません。兄貴がエレシュキガルから逃げた方法について聞いては みましたけど、一度目はエレシュキガルがまだ弱かったからであって、二度目はエレシュキガルが食べ過ぎて体が 重たくなっていたから逃げられた、としか思えませんでした。つまり、敵の状態が悪いことが前提であって、運に 任せすぎているんです。エレシュキガルが成長しきっていないから得られた機会であって、九頭竜会と渾沌はそうも いきません。用が済んだら、兄貴と俺を殺さないはずがありませんから』 優等生らしい小奇麗な字が連ねられているが、手汗で紙が歪み、字も端々が震えていた。 『だから、兄貴に本当に考えてほしいのは、俺と兄貴とツブラの退路を確保することなんだよ。兄貴の体質を有効に 活用すべきなんだ、こういう時こそ。愛歌さんに頼んで、これまで兄貴が接触した怪獣のリストを作ってもらったんだ けど、使えそうなのが何獣かいたんだ。だから、こいつらを利用出来ないかどうか試してほしいんだ』 そう書いた後に、真琴は怪獣の名をずらずらと書き連ねていく。 『だが、俺はあいつらを操れない。話を聞けるだけだ』 真琴の隣に移動した狭間は、手近な広告紙に返事を書く。 『操る操らないじゃなくて、呼び出せるかどうかだ。怪獣には色んな派閥があって、兄貴に協力的なのは穏健派で、 九頭竜会と渾沌の怪獣人間にくっついているような奴らは強硬派だってことも知った。兄貴は怪獣同士の派閥争い の間にも挟まれているみたいだけど、それを揺さぶって兄貴の味方にさせることが出来れば』 『俺は苦労してない!』 鉛筆の芯が折れかねないほど強く大きく書いてから、狭間は深呼吸した後に鉛筆を握り直す。 『強硬派も穏健派も超越派も、エレシュキガルに関しては及び腰なんだ。強硬派だけがエレシュキガルに抗おうと しているが、それ以外は動こうともしない。光の巨人に襲われるのは嫌だと思っているようなんだが、エレシュキガル は神話怪獣だから、どうにかされても仕方ない、と諦観しているような節がある。第一、穏健派を揺さぶろうにもネタ がないんだよ。怪獣の弱みを握ろうにも、そもそもあいつらは弱みを見せてくれるような柄じゃない』 ツブラ、何か知らないか、と狭間は期待せずに問うてみると、ツブラは触手で鉛筆を掴んで動かした。 『ある まひと はなし きく だから みんな ちかづく でも まひと はなし しない なったら』 『つまり、俺の頼みを齟齬にしたら怪獣達の話を二度と聞かない、と脅せばいいのか? だが、そんなものが』 通用するのか、と狭間は書こうとするとツブラの触手が手元に割り込んできて、狭間の字に重ねて書いた。 『する』 ツブラの言いたいことが、なんとなく解ってきた。長い時を過ごしている怪獣達は刺激に飢えていて、特に人間との 交流を欲して止まなかった。だから、大抵の怪獣は狭間に話しかけてくる。狭間は彼らをぞんざいにあしらうが、 それでも絶えず言葉を投げかけ、感情を吐露し、怪獣電波に乗せてぶつけてくる。怪獣同士は怪獣電波で繋がって いるのであり、怪獣達もそれぞれで自我を持っているから、寂しいということはないのだろうが、刺激が失せると 停滞して衰退する。だが、狭間以外の人間とは言葉も通じないから、狭間だけが人間社会との接点であり、情報源 なのだ。人間も数多の情報媒体から情報を得ることで文明を成し、自我を成し、自分の内と外の世界を構築する。 もしもそれを断たれてしまえば、怪獣達は自我が薄らいで記憶すらも消える。その恐怖は、どれほどのものか。 「ありがとな、ツブラ」 狭間はツブラを撫でてやってから、腰を上げ、窓を開け放ってゴールデンバットを銜えた。怪獣電波を操れるよう になってからはまだ日が浅いので、強く、広く放つには集中する必要がある。火を付けて馴染み深い味の煙を肺に 入れ、ニコチンが回る感覚に浸ってから、怪獣電波の出力を出せる限り高めた後に――――言った。 〈俺の話を聞きたいか、怪獣共。俺の言葉を聞きたくなければ、俺に逆らえ。俺の言葉を聞き続けたいのであれば、 俺とツブラに手を貸せ。神話怪獣に立て付く度胸があるなら、そいつを俺達に貸してくれ〉 横浜の夜景が点滅する。潮騒に似たざわめきが起き、狭間の言葉が怪獣達の間を伝播していく。光のさざ波は どこまでも広がっていき、海に向かっても尚も続き、波がまた新たな波を呼び、そしてまた。そこまで驚くほどの ことでもないような気がするが、と思いつつ、狭間は一服しながら怪獣達の返答を待った。 「どうだった?」 真琴に問われ、狭間はタバコの灰を灰皿に落とした。 「イマイチ」 思っていたよりも反応は芳しくなく、好意的な反応はほとんどなかった。罵倒と拒絶と侮蔑ばかりだったのは、 敵が神話怪獣だからだろう。人間は神に弓を引ける立場だが、怪獣はそうではないのだから。結婚式当日はまだ 先なので、当日までに返事が来るまで待ってみよう。助力が得られないなら、その時はその時で作戦を練り直せば いい。タバコを吸い終えた頃合いに、真琴が別の紙を差し出してきた。 『エレシュキガルがいなくなった後のこと、考えてみた?』 『考えるべきだろうが、考えたくない』 ツブラを一瞥した後、狭間は荒い字で書き付けた。 『ツブラが兄貴のところに来たのは、光の巨人を操っているエレシュキガルをどうにかするため。この作戦が成功した として、エレシュキガルも光の巨人もいなくなったら、シャンブロウの存在意義はなくなるんじゃないのか?』 『考えたくない』 真琴が書いた字の傍らに、狭間は雑に書く。真琴は紙を奪い、兄の字の下に書く。 『冷静になれよ。シャンブロウがどんな扱いをされているのか、兄貴も知っているだろ? 役割を終えた後も人間の 世界に居続けたら、えげつない目に遭う。解剖されるか、隔離されるか、触手を毟られて怪獣人間に使われるか。 そうなるのは俺でさえも嫌だと思うから、兄貴はもっと嫌だろう。嫌なら、決断すべきじゃないのか?』 真琴は最後まで書き切ってから、狭間を見据えてきた。狭間はその文面から目を逸らし、ツブラに向くと、ツブラ は俯いていた。漢字は読めないから筆談の内容は解らないだろう、と思っていたが、いつのまにか漢字も読める ようになっていたらしい。ツブラの成長を喜びたくなったが、それらを上回る苦悩に押し潰されそうになる。 真琴の言うことは尤もだ。人間本位の世界で、地球生まれ地球育ちの怪獣で成されている社会で、火星生まれで 神話怪獣の末裔であるツブラが真っ当に暮らせるわけがない。ツブラは内面が人間に近付きつつあるが、怪獣は 怪獣でしかなく、悲しみばかりが増えるだろう。いずれ、狭間では彼女を守り通せなくなるかもしれない。どれほどの 情を注ごうとも、そんなものはツブラを守る盾にはなってくれない。むしろ、狭間がツブラを思えば思うほどに ツブラを地球に戒めてしまう。エレシュキガルとの戦いに勝利しても、その先が見通せないとなれば。 問われたことに、答えが出た。 15 1/15 |