横濱怪獣哀歌




契リ、千切レズトモ



 嫁入り道具が、列を成して進んでいく。
 タンスを紐で括って棒を渡し、二人の男が肩に載せて歩いていくが、余程重たいらしく、足取りが不安定だった。 着物や衣服が詰まったタンスは更に五竿もあり、タンス自体が大きくて頑丈なので、担ぎ手である九頭竜会の若衆 達は辛そうだった。鏡台は二つあり、麻里子が母親から受け継いだ和式の古びた鏡台と、古代喫茶ヲルドビスで 下宿していた際に使っていた洋式の鏡台が運ばれていく。布団は麻里子が使うものだけではなく、来客用も一緒に 運ばれ、全部で四組もあった。続いて大きな本棚とその中身である本が詰まった木箱が刺青が入った男達に担がれ、 新居へと向かっていった。
 いずれの荷物にも黒い布が掛けられ、九頭竜会の竜の代紋が白く染め抜かれている。さながら、大名行列の如し ではあるが、醸し出す雰囲気が祝言のそれではない。これから起こる一大抗争に対する興奮を隠し切れず、若衆 達はいつになく殺気立っていった。九頭竜屋敷からジンフーの邸宅に向かっていく道具入れの行列はとにかく長く、 道具も多く、それは九頭竜会の財力の強さを如実に表わしていた。
 その道具入れが終われば、嫁入りが始まる。狭間は真琴と共に、九頭竜家の本宅の縁側から道具入れの行列が 正門から吐き出されている様を眺めていた。結婚式といっても、近頃流行ってきたホテルを借りて行う洋風のもの ではなく、古めかしく、重みのある神前式だ。狭間も子供の頃に何度か目にしたことがあるが、田舎の集落と都会の 極道では客の多さも規模も桁違いだ。
 だから、婚前の宴会の時点で物凄かった。しこたま飲まされた酒が未だに抜け切らず、狭間はどろんと濁った目を 伏せて項垂れていた。真琴は呆れたような困ったような目で狭間を窺っていたが、何も言わなかった。飲まされる まいと思っていたはずなのだが、強面で骨太な男達に囲まれて酒をグラスに並々と注がれると付き返せなくなる。 上から下から出せるだけ出した後、水を飲んで血中に溜まった酒精を少しでも抜こうと努力したのだが、それでも まだ気分が悪い。吐き気も収まり切っていない。

「あんたは底抜けの馬鹿だろう」

 真琴の辛辣な物言いに、狭間は反論する気も起きなかった。

「あーくそぉ……。半端に飲めるから辛いんだ……。まるっきり飲めないか、酒豪かのどっちかであれば……」

「ドッチモ、オナジ」

 狭間の酒臭さが気に食わないのか、ツブラは狭間からちょっと距離を置いていた。

「それで、これからどうするのさ」

 花嫁行列が婿の家に行ったらまた宴会だろう、と真琴が嫌がると、狭間は気晴らしにタバコを銜えた。

「そう、それなんだよ。それが問題なんだよ」

 麻里子が事を起こすとすれば、新郎家に嫁ぎ、三々九度などの一連の儀式を終えた後の宴席でのことだろう。 麻里子とカムロが暴れ出して血が流れれば、エレシュキガルが血の匂いを嗅ぎつけて現れる。そこで、狭間と ツブラが手を打つ、という手筈になっている。だが、ここへ来て不安になってきた。
 結婚に至るまでの道のりが、あまりにも平穏だったからだ。昨夜の宴会でも、九頭竜会と渾沌の構成員達は諍い を起こすどころか口論もせずに楽しく酒を酌み交わしていた。その異常極まる光景は嵐の前の静けさなのか、或いは 麻里子とジンフーの結婚を機に本当に和睦してしまったのか、計りかねるほどだったが、まともに考えれば前者 であろう。どちらも事を起こす頃合いを見計らっているだけなのだ。

「御嬢様の御仕度、仕上がりましたーん」

 狭間兄弟に朗らかに声を掛けてきたのは、使用人の忍足ミツ子だった。純和風の邸宅に合うように、着物の上に エプロンを付けている。要するに、泰正たいしょう時代のカフェの給仕係だ。

「狭間さん、ご覧になりますーん?」

 人懐っこい笑顔を浮かべるミツ子に、狭間は吸い損ねたタバコを箱に戻した。

「でも、俺は部外者ですよ。まずは九頭竜さんに見せるべきでは」

「旦那様は御用事で席を外されておりますし、御嬢様の御希望でもありますーん」

 妙に間延びした口調で喋るのは、訛りを誤魔化すためだろう。ミツ子の笑顔には逆らい難い凄みがあり、狭間は 真琴と目を合わせた後、同意した。ツブラも連れていっていいかと言うと、御嬢様はそれもお許しになっております ーん、と答えてくれた。大広間には昨夜の大宴会の残骸があり、使用人達は後片付けに勤しんでいる。別の広間には 引き出物が文字通り山積みになっていて、一人分だけでも持ち帰るだけで大仕事になりそうな量だった。
 結婚式の引き出物は、とにかく重く、大きいほど贅沢とされる。帰りの荷物が多ければ多いほど立派だとされて いるので、極道の家ともなると凄まじい。大皿に壺、日本酒の大瓶、湯呑みに茶碗に土鍋、分厚い毛布、干菓子と 和菓子の三段重ね、フルーツの缶詰詰め合わせ、缶入りのサラダ油、砂糖で出来た尾頭付きのタイの塩焼き、極め付けが 大量の砂糖だった。一キロの砂糖が入った箱が五個もある。

「……あれ、どうする?」

 俺と兄貴の分が寄越されるはずだから、と真琴が苦い顔をすると、狭間は肩を竦める。

「持って帰るしかないだろ。少なくとも、食い物は無駄にならんし無駄に出来ん」

「よろしければ、披露宴の後に宅配便を手配いたしますよーん」

 二人の話を聞き付けて、ミツ子が気を利かせる。狭間は少し考えた後、愛想笑いした。

「その時はお願いします」

「承知いたしましたーん」

 ミツ子は引き出物を詰め込んでいる使用人達を労ってから、麻里子の部屋へ案内してくれた。長い廊下を通り、 曲がり、曲がった先に一際大きな部屋が待ち構えていた。ふすまと障子戸が全て開け放たれていて、赤と金の豪奢 な着物が朱色の敷物を敷いた畳に広げられ、帯、帯止め、打掛、襦袢、髪飾り、化粧品、草履、白足袋、といった 装具がずらりと並べてある。勉強机もなければ本棚もなくなった部屋の中央では、花嫁が正座していた。
 ――――言うならば、血の海に浮かぶ白桜だ。白無垢の着物を着付けられ、髪を文金高島田に結い上げられて 角隠しで覆い、ただでさえ色白な顔は白粉によって血色が失われ、口紅に彩られた薄い唇が際立っていた。両手を 揃えて付いていた花嫁は、慎重な動作で顔を上げ、兄弟と対峙した。

「この度は、御結婚おめでとうございます」

 狭間がお決まりの言葉を述べると、真琴もそれに倣う。

「御結婚おめでとうございます、麻里子さん」

「お祝いの御言葉、ありがとうございます」

 新婦、麻里子は二人と目を合わせる。化粧を崩さないためだろう、いつにも増して表情は乏しかったが、それ故 に麻里子の人間離れした容姿が傑出していた。首の繋ぎ目も白粉で綺麗に塗り込められている。切れ長で涼やかな 目元は妖しげな色香を帯び、僅かに綻んだ唇には得も言われぬ悩ましさがあり、白塗りの首筋は匂い立つようで、 彼女が高校に通う十七歳の子供だということを失念させられるほどの仕上がりだった。
 ――――女狐。麻里子の艶やかな晴れ姿を褒め称える言葉としては醜悪ではあるが、それ以外に相応しい語彙 が見当たらない。迂闊に近付けば、骨の髄までしゃぶり尽くされる。狭間が二の句を告げずにいると、麻里子は 背筋をぴんと伸ばして姿勢を戻す。

「聞きたいことがあるのでしたら、是非。結婚式が始まってしまいますと、あなた方とお話しすることも出来なくなって しまうでしょうし、ジンフーの家に嫁げば外には出られなくなるでしょう。今のところは聖ジャクリーン学院に在籍して おりますが、遠からず退学させられるでしょう。数年のうちに、私はあの男の子供を何人も産まされるでしょう。そして いずれは、今度こそ父を殺せと命じられるでしょう」

 二人と一獣から視線を外さずに、麻里子は穏やかに語る。

「私を不幸だとお思いですか。それとも、いい気味だとお思いですか。或いは、なんでもいいからさっさと死んでくれ とでもお思いでしょうか。父でさえも、私を祝福してはくれませんでした。言葉の上ではなんとでも言えますが、態度 では隠し切れません。屋敷から追い出したくせに、私に殺されかけたことを未だに根に持っているくせに、私が嫁ぐ ことを憂うだなんて、あの男らしくありません。母も、私が嫁ぐことを喜びはするでしょう。けれど、祝福するかは また別です。あの男に凌辱されて私を孕み、産み落としたのですから、母が私を愛することはないでしょう。けれど、 私はそれを不幸だと思ったことはありません。何事も、不幸だと思うから不幸になるのです」

 麻里子は角隠しに包まれた髪に手を添えると、カムロが髪の間から潰れた目を出す。

〈どこにいようが何をしようが、麻里子が幸せなら俺も幸せなんだ〉

「誰かを愛するということは世間一般では尊ばれていますが、あれは要するに自己を愛するための行為なのです。他人 から評価され、認識され、理解されていることを愛と呼ぶのであれば、された、という感覚を愛情であるとしている のであって、他人に依存していることに変わりないのです。ですので、私は他人に依存せず、私と私の一部でもある カムロに依存して生きているのです。万が一、ジンフーが幼妻を愛でるような人格と価値観を持っていたとしても、 伴侶として執着されたとしても、私の信念は揺らぎません。私は、私であるからこそ幸福なのです」

 麻里子は身をずらし、狭間と向き合う。

「ですので、狭間さん。どうか、私の幸福を妨げるようなことをなさりませんよう」

「あなたの幸福は、俺達にとっての不幸です」

「そうですか。でしたら、宴席はさぞや賑やかになりますね」

 麻里子は目を細めたが、微笑みとは程遠いものだった。

「御嬢様、花嫁行列の御仕度を」

 ミツ子は麻里子の元に近寄ると、麻里子は立ち上がり、振袖の袖を抓んだ。ミツ子は麻里子の手を取ると、使用人が すかさず駆け寄って白無垢の裾を持ち上げた。自力ではまず歩けない格好なので、介添えが必要なのだ。麻里子 は狭間らに一礼してから、慎重な足取りで部屋を後にした。狭間の記憶が確かならば、花嫁行列の際、花嫁の 手を引く役割を行うのは叔母なのだが、九頭竜総司郎は親戚付き合いをしている様子もないので、組員の女房 辺りがその務めを果たすのだろう。などと考えつつ居間に移動すると、新郎の親族がいた。

「なんや、まだおったんかいな」

 真っ赤な外骨格が目立つ足を組んでソファーに座っているのは、白と青の漢服を着たリーマオだった。

「リーマオさんこそ、ジンフーさんの御屋敷に戻らなくていいんですか? あちらも忙しいでしょうに」

 狭間が訝ると、リーマオは足を組み直した。それに合わせ、くるぶしにあるカーレンの目が瞬きする。

〈マオちゃんは御迎えに来たのよ、新しい御母様を〉

「誰が女学生なんぞを母親と思うんや、ええ加減にせいや」

 やかましいわ、とリーマオは右足で左足を蹴り付けてから、袴の裾を直して立ち上がる。

「あの娘の手ぇ引いて歩け、って親父に言われたんやけど、そんなん引き受けるはずないやろ。せやから、 それは他の適当な女にやらせることにしたんや。うちは戸籍の上ではあの女狐の娘になるんやし」

「大人しくしていて下さいね、と言うだけ言ってみますが」

 狭間は及び腰で諌めるが、リーマオはにやりとした。濃い口紅で彩られた唇の間から、八重歯が覗く。

「そら、九頭竜会の出方次第やがな」

 ほなまた後でな、と言い残し、リーマオはハイヒールを鳴らしながら廊下を駆けた。屋内であろうとも、決して靴を 脱げない体になったからだ。便所に行ってくる、と真琴にツブラを預けてから、狭間は用を足しに行った。その後で先程 吸いそびれていたタバコを吸い、今一度決意を固め、この日のために練り上げた作戦を反芻した。
 成功させなければ、明日はない。





 


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