横濱怪獣哀歌




遺志ハ石ニ非ズ



 一服がてら、状況を整理した。
 魔法使いは用意周到で、御茶菓子まで用意してくれていた。例によってドイツ菓子だ。小麦粉にハチミツと砂糖 を混ぜてシナモンなどの香辛料を入れて重曹で膨らませた伝統的な焼き菓子、レープクーヘンであった。シナモンと ハチミツの香りが強く、コーヒーに負けていない。触感はクッキーよりもしっとりしている。
 魔法使いの敵は怪獣使いだが、怪獣使いの中には魔法使いを慕う者も多く、綾繁哀もその一人だった。政府側 は魔法使いが怪獣使いを失墜させようと画策しているのを見てみぬふりをしていて、悲がガニガニを暴走させた 際も手を打たなかった。しかし、政府が魔法使いの味方かと言えばそういうわけでもなく、帝国陸軍も同様である。 そして、魔法使い――この場合は海老塚甲治に限られるが――は怪獣使いを失墜させてヴォルケンシュタイン家の 栄誉を取り戻した後はどう出るかが解らない。怪獣の大多数は人の子たる狭間真人寄りの思想を持っているが、 氷川丸のような神話怪獣の記憶を継ぐ怪獣は、狭間に対しては敵意を抱いている可能性が高い。しかし、火星に 向かうには、氷川丸かそれに準じた能力を持つ宇宙怪獣戦艦と成り得る怪獣の助力がなければならない。
 怪獣聖母にケンカを売る前に、まずは氷川丸を懐柔する方が先決だ。しかし、どうやって。二杯目のコーヒーを 飲み終えた狭間は、横倒しになっている古い客船を眺めた。四人はノースウェスト・スミスの墓がある丘のふもと に移動し、運良く破壊をまぬがれたテーブルを囲み、その辺に転がっていた石を組んでかまどを作り、その上に水 を入れたポットを置いて湯を沸かしていた。熱源は薪ではなく、海老塚の鉱石怪獣である。

「率直に聞きますけど、マスターはどうしたいんです?」

 狭間は空になったカップに湯を入れて濯ぎ、ほんのりと茶色を帯びた湯を啜った。

「ヴォルケンシュタイン家の再興、とでも言ってほしそうですね」

 海老塚はステンレス製のドリッパーからフィルターを外し、新しいものに取り換えた。

「ですが、それが土台無理なことは解り切っています。あれから、私は何度もドイツに渡ってヴォルケンシュタイン家 の血族を探しに探したのですが、どうしても見つけ出せませんでした。名のある貴族ではあったのですが、それ故に 閉鎖的な部分も強かったので、血縁関係も閉じていたのです。親族は何人かいらっしゃいましたが、養子や婿といった 関係でしたので血縁ではありませんでした。ですので、名を継いでいるのは私しかいないのです」

「だったら、怪獣使いを失墜させた後はマスターが成り代わるんですか?」

 真琴は砂糖をたっぷり入れたコーヒーを飲みつつ、二枚目のレープクーヘンを齧った。

「そのつもりはありませんよ。綾繁家が成してきたことをそっくりそのまま引き継げるようでしたら、とっくにそうして いましたとも。ですが、私は未熟者ですから、宮様の御声と同じ力を発揮出来る魔法を生み出せませんでした。怪獣に 電気的刺激を与えて操作するための機械を開発した企業は、そこまでの精度は求めてはいないようですが、量産体制に 入りつつありますのでいずれ実用化されることでしょう。私の行動は、そこに至るまでの布石でしかなく、時代の変革 の切っ掛けにしかなりません。けれど、それが限界なのです。魔法使いというものは」

 いい歳であろうとも夢を見たくなるものですよ、と寂しげに呟いてから、海老塚は氷川丸を仰ぎ見る。

「彼女もそうなのでしょうね。神話時代が終わろうとも、神話時代の夢を見続けているから、ノースウェスト・スミス を求めて止まないのです。氷川丸として全うすればいいものを、それだけでは満たされなかったのです。私も、何度も 思いましたとも。魔法使いという肩書など捨て、ヴォルケンシュタイン家への恩義は胸の奥に秘め、喫茶店の主として 化石に囲まれながら過ごすべきではないのかと。けれど、どうしても出来なかったのです。私という人間の根幹は、 やはりヴォルケンシュタイン家にあるのですから」

「ということは、今頃は政府が手を回し始めているってことですか」

「御門岳、というよりゴウモンと言った方が解りやすいでしょう。つい先程まで、私はゴウモンの山中にある家屋にて 身を潜めていたのですが、そこに執務小隊が乗り込んでまいりましてね。執務小隊というのは、政府寄りの部隊なのです。 逃げ延びはしましたが、油断出来る状況ではありません。今頃は、玉璽近衛隊の別働隊が横浜駅の地下に突入している ことでしょう。店には手を付けてほしくはないのですが、どうでしょうかねぇ……」

 海老塚はしゅんしゅんと湯気を噴くポットを傾け、ドリッパーに湯を注ぎ、円を描いた。

「思っていたよりもずっと事が大きい……」

 真琴が渋面を作ると、狭間はレープクーヘンを齧りつつ言った。

「トライポッドに乗った男が言うセリフかよ」

「あの時は実感がなかったし、状況が掴めていなかったんだよ。横浜界隈で完結しているものだとばかり」

 真琴がむっとすると、海老塚は最後の一滴が落ちる前にドリッパーを上げた。

「あながち間違いではありませんよ、真琴君。全ては横浜から始まり、横浜にて終わるのです。いえ、終わらせて しまうのです。世界各地に突発的に出現しては非道の限りを尽くす光の巨人を一点集中させてしまえば、被災する 都市の数も消し去られる人間の数も大幅に減らせます。怪獣の熱量の高さが光の巨人の出現頻度と大きさに比例 していると政府も存じているでしょうが、怪獣使いに頼らない経済を作り出すための一歩を踏み出せるのですから、 今更二の足は踏まないでしょう。その一歩を刻む場所は、文明開化の地横浜」

「……まさか」

 そのために、政府と企業の思惑を阻むどころか誘い込んでいるのでは。光の巨人を掻き集めたい理由は、もしか すると。狭間が慎重に海老塚を窺うと、海老塚はメガネの奥で目を細める。

「護国怪獣と張り合えるのは、光の巨人だけですからね」

「マスターは、シュヴェルト様の御遺体を取り戻したいんですね?」

 御無事かどうかは解らないけど、と悲は付け加えて目を伏せた。

「その通りです、悲様。よくぞお解りで」

 海老塚は笑みを保ったまま、深く頷く。

「だけど、それは、いや待てよ?」

 そんなことをすれば真日奔全体を敵に回す、と言いかけて、狭間は気付いた。あの夏の日の風景を思い出す。

「護国怪獣は光線技を出していましたけど、光の巨人は現れる気配すらありませんでしたよ? ガニガニの光線に してもそうだ、あれだけの熱量を持っているんだから感知されないはずがないんですよ。それなのに、なんで連中 は現われなかったんです? マスターは、その理由を御存知なんですね?」

「知っていると言っても、浅い部分のことだけですよ。真実というには浅はかで、事実というには裏付けがあまりにも 足りません。――私の主観に過ぎませんが、護国怪獣が放つ光線は光の巨人と同等の光で出来ているのではない のか、と思っているのです。乱暴極まりない考えだとは自覚しておりますから、真に受けないで下さい」

 海老塚は湯気の上るコーヒーに口を付け、眉を下げる。

「兄貴」

 どうするんだよ、と言いたげな顔をしている真琴に、狭間は何も言えなかった。海老塚の目論見通りに光の巨人が 群れを成して横浜に出現したとして、それに応戦した護国怪獣が倒されてしまったら、最悪という範疇では収まる ものではない。護国怪獣とは、その名の通りに国防の要であると同時に怪獣の卵が眠る地脈を安定させる存在 でもある。地脈は火山に直結している。護国怪獣を失って火山活動が乱れれば、被害は戦争の比ではない。だが、 海老塚は、護国怪獣と共に果てた青年の遺体を取り戻すためだけにそれをしようとしている。独善の極みだ。
 今、ここで、この男を止めなければならない。それが出来るのは、自分だけだ。狭間は腰に下げたライキリの柄に 手を添えたが、握り切れなかった。根性なしめ、とライキリから罵倒されたが言い返せなかった。火星に行きたいが ためだけに怪獣聖母に挑もうとしている狭間が海老塚を説教出来るはずもなく、言い出せたのはこれだけだった。
 少し歩きましょう、と。




 魔法使いと散歩をしている間にも、世界は着々と綻んでいく。
 諸行無常ってこんな時に使う言葉かもな、と狭間は思いつつ、ライキリの柄に掛けた手を握り切れないまま、空中 庭園を歩き続けていた。魔法使いはいつもと変わらぬ穏やかさで、景色を楽しんでいる。あの大陸にはこういう国が ありましてこういった種類の化石が発掘されまして、あの山脈は大陸と大陸がぶつかって出来たものなので標高が 高い地点から貝の化石が発掘されているんです、あの国にはあの時代の地層がありましてね、と話題の中心は化石 ばかりだった。海老塚に無限の時間と金と体力を与えれば、世界中を掘り尽くしてしまいそうだ。

「タバコはお止めになるのですか?」

 爪楊枝を銜えている狭間に、海老塚は問い掛けてきた。

「続けられるような状況でもありませんし」

 狭間は立ち止まり、爪楊枝を吐き捨ててから、老紳士と向き直る。

「あなたは悪人だ。だけど、悪党じゃない。だから、俺はどうすりゃいいのか解らなくなるんです」

「そうでしょうね。私も、時々自分が解らなくなります。けれど、私が私を信じてやらねば誰が私を信じるのだと 思い直して、その疑問をやり過ごしているのです」

「正面切って戦ったところで、勝ち目はないのは目に見えています」

「それはどうでしょうね。私の魔法は色々と手間が掛かりますが、狭間君の場合は怪獣と言葉を交わせばいいのです から、そちらの方が遥かに有利です。もう二十年ほど若ければ、田室中佐が鍛え上げた上に九頭竜さんが血を存分に 吸わせたライキリに喰って掛かったことでしょうが」

「御謙遜を」

 そう言いつつ、狭間はライキリの柄を握り締めた。鍔が熱すると、ライキリは囁いてきた。

〈力で押し切れば魔法使いに勝てる。俺が保証する。俺に切れないものはねぇんだ、鉱石怪獣なんざ真っ二つだ〉

「馬鹿言え、勝った負けたでどうにかなる話じゃない。大人しくしておけ」

 狭間はライキリをぐっと押さえ付け、品の良い老紳士を見据える。海老塚もまた、怪獣使われの青年を真っ直ぐ 見下ろしてきた。戦うのは容易い。だが、それで解決するような問題であれば苦労はしない。かといって、この男 の意思を変えられるものなどあるものか。ヴォルケンシュタイン家の当主がいれば、簡単だっただろうに。

〈人の子〉

 静かで冷たい声が、海老塚の懐から聞こえてきた。狭間が訝ると、海老塚は懐に手を差し込み、内ポケットから 小振りな巻貝の化石を取り出した。すると、その表面に切れ目が走り、赤い目が見開かれた。

〈護国怪獣を滅ぼされるのは、我らにとっても不利益だ。故に、魔法使いを止めてはくれぬか。だが、魔法使いを 滅ぼされれば、我らは友を失う。掛け替えのない、人の友を。それだけは許しがたい〉

「そうしたいところだが、それは相手の出方にもよるな」

 狭間は化石怪獣に言い返してから、海老塚に一歩近付くと、海老塚は躊躇ったものの化石怪獣を差し出して きた。狭間はそれを受け取ったが、思っていたよりも熱くて取り落としそうになったので、スカジャンの袖を 伸ばしてから手のひらに乗せた。細長い巻貝怪獣は身を転がし、狭間と目を合わせる。

〈我が名は化石怪獣パンサラッサ。パンサラッサとは我の個体名ではない、全ての海が一つであった頃、同じ海にて 育まれた全ての怪獣がパンサラッサである。故に、我はパンサラッサのうちの一つに過ぎないが、我らが意志は全に して個、個にして全であるが故に、我が言葉はパンサラッサの総意である〉

「なんだかよく解らんが、パンサラッサは怪獣電波で思考も繋ぎ合わせているってことだな?」

〈間違いではない。その判断でも構わぬ〉

「で、そのパンサラッサは魔法使いを諦めさせる呪文でも知っているのか?」 

〈そんなものはパンサラッサは知らない。だが、パンサラッサは魔法使いと呼ばれる者達に付いては知っている。 故に、パンサラッサは人の子に魔法使いについての情報を譲渡する。魔法使いから魔法を奪いさえすれば、魔法使い はただのヒトとなる。故に、魔法を奪ってはくれぬか。魔法は、彼の高貴なる魂を歪める力だ〉

「無茶苦茶言いやがる」

 魔法は技術であり記憶であり知識だ、奪えるわけがない。狭間は首を横に振りかけたが、パンサラッサは目を 大きく見開いて凝視してきた。そんなものは自分でなんとかしろ、とでも言いたげだった。記憶を操る力を持つ怪獣 は、世界中をひっくり返してみれば一獣はいるかもしれない。だが、生憎、手近にいるのはライキリとパンサラッサと ブリガドーンで、いずれも記憶を操る能力など持っていない。となれば、使えそうなのは狭間の放つ怪獣電波ぐらい なものだが、人間には通じない。せめて怪獣人間であれば通じ合えるのだが、海老塚はそうではない。
 心を折らなければ、この男は何度でも立ち上がるだろう。腕を斬り落とそうが腹を貫こうが、魔法を使って怪獣の 血肉で己を補い、生き続けようとするだろう。狭間の情欲に基づいた執念が薄っぺらく思えるほど、海老塚の執念と いうべき忠誠心は分厚く硬い。それを砕くためには、巨石を穿つ水の一滴の如く、長い年月が必要だ。出会ってから 一年足らずの若造に説教されて折れるような忠誠心など、あるわけがない。――――ならば、あれしかない。

「狭間君、お話は終わりましたか?」

 巻貝怪獣を受け取った海老塚は、懐に手を差し入れて何かを握る。拳銃か、いや怪獣か。

「事情が変わりました。――――俺とライキリの相手をして下さい」

 勝ち目はない。しかし、戦わなければ止められない。海老塚は狭間の視線を辿って、意味を悟ったようだが、怯む どころか口角を上げた。魔法使いの腕前を試す程度の気持ちでいるのだろう。こちらもそのつもりだ、殺し合うため に刃を向けるわけではないのだから。斬撃怪獣を抜刀し、狭間は息を詰め、白刃の先に立つ男を睨む。
 視界の隅で光の柱が立ち、また一つ、街が消えた。





 


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