ドラゴンは滅びない




夢幻泡影



 ギルディオスは、気付いた。


 足音がする。統率の取れたものではなく、乱れているが忙しない足音が雑草を蹴り飛ばしながらやってくる。
ギルディオスが枯れ枝を踏み砕くと、驚いたように立ち止まる。相手が飲んだ息と声から察するに、若い男だ。
連合軍兵士か、それとも共和国内の反抗勢力か。ギルディオスは、背中からバスタードソードを引き抜いた。
 今、通っている道は、共和国西部の街道から外れた道だ。人の気配がないので荒れ果て、獣道も同然だ。
連合軍と魔導兵器三人衆に目を付けられないために、草木を薙ぎ払って無理矢理蒸気自動車で通っていた。
その途中、足音が聞こえてきたのだ。蒸気自動車の前で斧を振るっていたギルディオスが、いち早く感付いた。
ちらりと背後を見やると、蒸気自動車の運転席でハンドルを掴んでいるヴィクトリアも、警戒している様子だ。
 ギルディオスはヴィクトリアから借りた斧を足元に放り投げると、がさがさと進んでいく足音に添って歩いた。
呼吸を合わせて歩いていくが、蒸気自動車の排気音と駆動音がしているのでとっくに気付かれているだろう。
 足音は一つ。最初はあまりの乱れぶりに複数かと思うほどだったが、耳を澄ませれば呼吸音は一人分だ。
斥候にしては落ち着きがなく、特殊部隊にしては間が抜けており、普通の兵士にしても様子がおかしかった。
 ギルディオスはヴィクトリアに目配せした。ヴィクトリアは魔法を放つ構えを取り、片手を上げて一点を睨んだ。
彼女の視線の先で、背の低い木が大きく揺れた。ギルディオスは大股に踏み込んで飛び出し、その木を切った。
大人の腕ほどの太さがある幹を斜めに斬り落とし、斬られた部分を剣の腹で薙ぎ払い、草むらの中に転がした。
木の陰に隠れていた人影は身を引こうとしたが、ギルディオスの剣先を喉元に据えられ、浅く息を吸い込んだ。

「戦闘態勢を解け! これは命令だ!」

 ギルディオスが軍隊調に声を張ると、汚れた戦闘服を着た青年は怯えに顔を歪め、小銃を落とした。

「所属と部隊名、及び上官名を乞う!」

「答えないと、首どころか胴体まで切り裂かれてしまうわ、兵隊さん。それかもしくは、魔力中枢と魔力を乱して破裂させてしまおうかしら。うふふふふふ」

 ヴィクトリアは右手を掲げ、にたりと目を細める。ギルディオスは、剣先を兵士の喉元に当てた。

「連合軍か。オレ達の暗殺任務を任されたにしちゃ不用心だな、囮か?」

「その可能性は高いのであるぞ、ギルディオス。ただでさえ我が輩達は下らない面倒に巻き込まれやすいのであるからして、間違いなく面倒事の原因となるであろう連合軍兵士など屠ってその辺りに埋めてしまうのである」

 ごとり、と蒸気自動車のボンネットの上にヒビの入ったフラスコが落ちた。兵士は、後退る。

「ま、待ってくれ」

「質問の前に、オレの質問に答えてもらおうか」

 ギルディオスは兵士との間合いを詰めて剣を横たえ、ぐいっと刃を首筋に押し当てた。兵士は、身動ぐ。

「解った、答える。ジム・マクファーレン、連合軍西部方面隊歩兵部隊所属の二等兵だ」

「的確な応答に感謝する、マクファーレン二等兵。それで、お前の目的は何だ、答えろ」

 ギルディオスは顔を寄せ、声に威圧感を含ませた。ジムと名乗った兵士は、悲痛な叫びを上げる。

「目的なんてない! お願いだ、そこを通してくれ!」

「あら、結構強情なのだわ。拷問にでも掛けようかしら、きっと楽しいわ。まず最初に、皮でもゆっくりと剥ごうかしら」

 ヴィクトリアは、うっとりと微笑んだ。ギルディオスは、その言葉に内心で顔をしかめた。

「馬鹿なことを言うな、オレ達はそういうんじゃねぇんだから。自白の魔法でも掛ければ済む話だろうが」

「どうせなら、傀儡の呪いの練習台にでもしたいのだわ。心だけを残して、他は全て私の意のままにするのだわ」

 ヴィクトリアは少々不満げだったが、蒸気自動車から降りてギルディオスと兵士の元に近付いてきた。

「その方が、とても素晴らしいわ。私に命じられるままに自分で腹を割いて目を抉って内蔵を引きずり出して、私への呪いの言葉を吐きながら死に向かう様を想像しただけでぞくぞくするわ。ねえ、ギルディオス。私はとても退屈なのだわ、だから、それぐらい楽しませてもよろしくなくて?」

 ヴィクトリアはギルディオスを見上げたが、ギルディオスは一蹴した。

「それをやりたいんだったら、オレのいない時にやれ。但し、今だけはやるんじゃねぇぞ」

「見返りが欲しいのだわ」

「ああ、考えておいてやるよ。だからさっさとしろ、ヴィクトリア」

 ギルディオスに急かされ、ヴィクトリアはむくれながらもジムに手を翳した。ジムは、なぜかぽかんとしている。
畏怖でも怯えでもなく、安堵しているようにも思えた。この状況で浮かべる表情にしては、随分と奇妙なものだ。
ギルディオスはそれを訝しみつつも、剣を押し込む手を緩めなかった。ヴィクトリアの手が、ジムの手に触れる。
 少女の白い手が、傷だらけで泥に汚れたジムの手に添った。ヴィクトリアは落ち着いた口調で、魔法を紡いだ。

「血と肉の器に眠りし御魂よ、我が声を聞け。我が言葉こそ真理であり、我が意志こそ御魂の意志である」

 ヴィクトリアの語気が、強まった。

「理性の鎖に戒められ、感情の牢獄に封じられし御魂に命ず。その鎖は朧であり、その牢獄は霞である」

 ジムの表情が、次第に緩んでいく。恐怖と警戒心でぎらついていた眼差しが徐々に和らぎ、体から力が抜ける。

「いざ現れよ、自由なる御魂よ。我が声に従い、我が心に添え。それこそが真理である」

 ジムの膝が崩れ、その場に座り込んだ。目の前に落ちている小銃を手にすることもなく、ただ呆然としていた。
自白の魔法によって、警戒心だけでなく緊張も解かれたようだった。ギルディオスは小銃を拾うと、肩に担いだ。

「で、ジム。お前はどこから来た?」

 ジムはぼんやりとしていたが、目の焦点をギルディオスに合わせた。

「ヴァトラス、少佐ですか」

「知り合いか何か?」

 ヴィクトリアに尋ねられ、ギルディオスは首を横に振った。

「いんや。異能部隊の兵士のツラは全部覚えているが、こいつは知らねぇな」

「ですが、その姿も、剣も、自分の知っている情報と相違ありません。あなたはヴァトラス少佐ではないのですか?」

 ジムは身を乗り出そうとしたが、ギルディオスの手に制された。

「悪いが、オレはもう少佐なんかじゃねぇ。十年前にきっちり退役して、傭兵家業に戻ったんだよ」

「そうですか…」

 ジムはかなり落胆し、項垂れた。ギルディオスは、バスタードソードを背中に担いだ鞘の中に戻す。

「だが、確かにヴァトラスではある。ギルディオス・ヴァトラス、傭兵だ」

 途端に、ジムは顔を上げた。顔色が戻り、子供のように嬉しそうに目を輝かせた。

「じゃあ、あなたがランス・ヴァトラス大魔導師の父親で、リチャード・ヴァトラス講師のご先祖なのですね!」

「なんか、妙な言い方だなぁ…」

 ギルディオスが反応に困っていると、ヴィクトリアは鼻で笑った。

「あなたそのものに敬意は払われないなんて、あなたらしくってよ」

「ああ…僕はなんと運が良いのだろう、神のお導きだ!」

 両手を組んで涙を流さんばかりに喜ぶジムに、ヴィクトリアはあからさまに不機嫌な顔をした。

「この私に手を触れられたくせに感謝の言葉すら述べないなんて、やっぱり拷問に決定なのだわ」

「だーから、いい加減にしろっての。こっちの娘はヴィクトリア・ルーってんだ」

 ギルディオスがヴィクトリアを示すと、ジムはぎょっとして身を引いた。

「ルーとは、あのルーなのですか、ヴァトラス少佐!」

「少佐はやめろ。その反応だと、お前はグレイス・ルーのことも知ってんだな?」

 ギルディオスは、今にも魔法を放ちそうなヴィクトリアと顔を引きつらせているジムの間に入った。

「てぇことは、お前は魔法大学にでも通っていたのか? ランスのことを大魔導師なんて呼んだり、リチャードのことを講師なんて呼ぶのは、魔法大学の生徒ぐらいだからな。ルーの歴史もそこで知ったのか?」

「あ、はい、ヴェヴェリスの大学に通っていました。ルー一族がどれほど邪悪で恐ろしい一族か、習いましたから」

 ジムが小さく頷くと、ヴィクトリアは唇を尖らせた。

「失礼だわ。お父様の悪事は美しいのよ、邪悪なんていう単純で品性のない言葉で片付けないでほしくってよ」

「なるほどな」

 ギルディオスは、顎を撫でた。それならば、ジムが先程浮かべた安堵の表情にも多少なりとも納得が行く。
久々に魔法に触れられたので、状況を忘れて嬉しくなったのだろう。だが、彼は魔法大学の学生だったとは。
恐らく、共和国戦時中に国外に逃亡したは良かったが、その逃亡先の国で連合軍に徴兵されたに違いない。
そして、終戦後も兵役に就かされ、共和国内に派兵されたのだ。このようなことは、あまり珍しいことではない。
 共和国政府が倒れて何年も無政府状態が続いている共和国と共和国国民は、良いように扱われている。
帰る場所を失った共和国国民を強制収容所に押し込め、過酷な労働を強いているという話はいくらでも聞く。
共和国国民であった若者を連合軍兵士にし、かつての故郷や同胞と戦わせていることも重大な問題だった。
だが、国際政府連盟はそれらを議題に上げない。連盟の構成員は、連合軍と関わりがある者が多いからだ。
意見しようにも共和国政府がないので外交官も政府高官もおらず、連合軍の意のままにされてしまっている。
戦後五年が過ぎても、戦争は未だに終わっていないのだ。それどころか、事態は日に日に悪化しつつある。

「それで、ジム。もしかしてとは思うが、お前は脱走兵か?」

「はい」

 ジムは、呆気ないほど素直に答えた。

「僕は、部隊から逃げてきたんです。今までは主に国外で活動していた部隊なのですが、連合軍は近々大規模な作戦を展開する予定なので、そのための増強人員として派兵されたんです。ですが、僕達の部隊は、略奪を繰り返しながら進軍していたので、もう、耐えられなくて…」

「作戦ねぇ…」

「はい。その作戦も、正気の沙汰とは思えないものなんです。運良く生き延びてきたけど、もう、次は…」

 ジムは込み上げてきた感情を隠さずに、泥の付いた頬に涙を伝わせた。

「僕は、まだ死にたくない」

 顎を震わせて歯を食い縛り、肩を怒らせているジムから目を外し、ギルディオスはヴィクトリアを見下ろした。

「呪いの類は掛かっていたか?」

「私が感じた限り、なかったわ。だから偽証ではないわ。恐らくね」

 ヴィクトリアはジムに興味がないのか、素っ気ない。ボンネットの上で、伯爵がぐにゅりと身を捩った。

「それで、どうするのであるか、ニワトリ頭。この男を放っておけば、我が輩達に危険は及ばぬのである」

「そりゃそうかもしれねぇけど、このまま放っておくのは夢見が悪ぃんだよ」

 ギルディオスは身を屈めると、ジムと目線を合わせた。

「出会っちまったもんは仕方ねぇ。このままここにいても、お前の追っ手にオレ達がやられちまうだけだからな。一緒に来い、ジム。但し、武装は全部外させてもらうぜ。場合によっては拘束する。それでも、付いてくるか?」

「構いません」

 ジムは頷いた。ギルディオスは頷き返すと、ジムの戦闘服を探って弾丸の入った箱やナイフを外した。

「オレ達のことを真っ当に信用はしない方がいいぜ、ジム。オレ達も、お前のことを信用してねぇからな」

「ええ、そうね。未来永劫、信用なんてしてやらなくってよ」

 ヴィクトリアは一歩下がり、上から下までジムを睨め回した。ジムは、顔を伏せる。

「当然のことです。あなた方に逆らうつもりはありません」

 ギルディオスはジムの装備していた軍用ナイフと拳銃、小銃を手にして立ち上がった。彼の表情に力はない。
信用するつもりは毛頭ない。武装を外したのも気休めだ。やろうと思えば、素手でも子供ぐらいは簡単に殺せる。
学生とはいえ、魔法の心得があるなら尚更だ。ギルディオスも、至近距離で高出力の魔法を撃たれては負ける。
脱走兵を装った暗殺者、或いは工作員である場合もある。気を抜くことは出来ない、と思い、小銃で彼を指した。

「オレ達と一緒だからっつっても、身の安全が保証されたわけじゃない。それは解るな?」

「はい」

 ジムは立ち上がり、姿勢を正した。ヴィクトリアは蒸気自動車に昇り、座席に戻った。

「私達は無知でもなければ愚かではないのだわ。あなたが少しでも不穏な行動をしたら」

「その場で屠るだけである」

 と、伯爵が締めた。ギルディオスは小銃やナイフを蒸気自動車の後部座席に投げ入れ、振り返った。

「こういうご時世で、オレ達はこういう連中だからな。そうでなかったらちったぁ信用してやってもいいんだが、そういうわけにもいかねぇんだ。お前の部隊から離れた場所までは連れて行ってやるが、それから先まで面倒を見るつもりはない。本当に、それでもいいんだな?」

「殺されなかっただけで充分です」

 ジムは、表情を強張らせた。ギルディオスは、ようし、と大きく頷いた。

「ひとまず、ここを離れる。ヴィクトリア、空間転移魔法で南に五十程度飛ばしてくれ」

「嫌よ。この私の大切な魔力を、そう易々と使いたくはないのだわ。頼むのならこれに頼みなさい」

 ヴィクトリアはつんと顔を逸らし、伯爵を指した。ギルディオスは苦々しげに唸ったが、仕方なく言った。

「解った解った、後で殺戮ごっこでも虐殺ごっこでも拷問ごっこでもなんでも相手をしてやる。だから、今はオレの言うことを聞いてくれ、ヴィクトリア。お願いだから」

 呆れつつも弱っているギルディオスに、ヴィクトリアは心なしか満足げに目を細めた。

「約束よ」

 ヴィクトリアは運転席から助手席に身をずらすと革製のトランクを開き、その中から一本の白墨を取り出した。
伯爵の入ったフラスコを後部座席に放り投げてから、蒸気自動車の車内にがりがりと魔法陣を描いていった。
ギルディオスはジムを引っ張ってくると、蒸気自動車に両手を付かせてその背後に立ち、ジムの動きを封じた。
ジムはギルディオスを見やったが、すぐに視線をヴィクトリアの手元に向けた。着々と、魔法陣は仕上がっていく。
 ヴィクトリアは魔法陣の中心に六芒星を書き込むと、ギルディオスとジム、伯爵を見渡したが、目線を戻した。
かっ、と白墨が魔法陣の中心を叩き、固い音を響かせる。途端に足元の空間が歪み、ぐにゃりと柔らかくなった。
 歪んだ空間に、ずぶずぶと蒸気自動車が吸い込まれていく。ギルディオスとジムも、同じく引き込まれていく。
だが、土には埋まらなかった。足に感じるのは、空間を歪めて繋げた先と思しき場所の生温い空気だけだった。
完全に引き込まれる瞬間、ギルディオスは空を仰ぎ見た。何かが過ぎった気がしたが、それを確認する前に。
 空間を、飛び越えた。







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