ドラゴンは滅びない




高き星空の下で



 我ながら、自分の行動が理解出来ない。
 ブラッドはぐしょぐしょに濡れた短い髪を掻き乱しながら、湖畔に引きずり上げた鋼鉄の女を見下ろしていた。
ルージュは気を失っているのか、赤い瞳から光が失せていた。三度も高出力の雷撃を当てたのだから、当然だ。
魔導兵器とはいえ、ちゃんと魂を持った存在だ。魔法で魂を揺さぶってしまえば、どれだけ体が丈夫でも堪える。
そう思い、雷撃に徹した。長い呪文を紡がなくても済む簡単なものだが、その分魔法の出力が荒く、乱暴だった。
だから、倒せはしなくとも気絶ぐらいはさせられる。その通りの結果になったのだが、心中では良心が鈍く痛んだ。
相手が女だからだろう。ブラッドはそう自己完結させてから、水が入ってしまった靴を脱いで中から水を出した。
ついでにズボンも脱いで、絞った。ぼたぼたと落ちた大量の水が雑草を揺らし、足元に大きな水溜まりを作った。

「オレ、何やってんだか」

 ブラッドは口元を引きつらせ、自嘲した。攻撃した相手なのに、なぜ助けてしまったのだろう。

「やってらんねぇ」

 もう少し、行動に一貫性があっても良いだろう。だがこれでは、女を痛め付けただけに過ぎないではないか。
しかも、倒してそのままにするのではなく、助けてしまうのだから意味不明だ。普通なら、放ったまま帰るだろう。
そうすべきはずなのに、湖底に沈んでいくルージュを放っておけなくて、魔法を使って引き摺り上げてしまった。
 ブラッドは濡れたズボンを肩に担ぎ、ため息を吐いた。彼女の目が覚める前に、さっさと家に帰ってしまおう。
濡れた体を乾かさなければならないし、このままでは風邪を引く。そう思って翼を広げたが、羽ばたけなかった。
やはり、彼女が気に掛かる。ブラッドは地面を蹴ろうとしていた足から力を抜くと、ルージュに向き直り、近付いた。

「やっぱ、美人だよなぁ…」

 泥と湖水で汚れてはいるものの、顔立ちの美しさは変わらない。銀色の髪が乱れている様が、やけに色っぽい。
金属製ながら立派な胸と太股にも水が伝い、どことなくいやらしい。そんなことを考える自分が、もっといやらしい。
特に目を惹くのが、胸だ。ブラッドが今まで見知ったどの女性のものよりも大きく、張りがあってたっぷりとしている。
目が向いてしまうのは、二十歳の青年としては至極当たり前の心理だが、じっと見るのはさすがに悪い気がした。
 普通であれば、機械で出来た女に色気など感じないだろう。だが、ブラッドの傍には、機械で出来た者達がいた。
大柄な甲冑の肉体を持つギルディオスのみならず、父親のラミアン、人造魔導兵器のヴェイパーがそうだからだ。
重厚感溢れる肉体に魂を宿した彼らの姿は、少年の心に強く刻み込まれた。今も、彼らのことは格好良いと思う。
彼らの信念の高さや力強さだけでなく、その肉体も素晴らしいと思う。だから、ルージュが美しいと感じるのだろう。
 ブラッドは、ルージュの傍らに膝を付いた。水を浴びた銀色の肌は滑らかで、半開きの唇から牙が覗いていた。
彼女が吸血鬼であったというのは、本当なのかもしれない。ブラッドがその牙を見つめていると、瞳に光が戻った。
 虚ろだった両目に光を蘇らせたルージュはあらぬ方向を見上げていたが、関節を軽く軋ませ、首を動かした。
目が合った瞬間、ルージュは凄い勢いでブラッドから離れた。地面を強く蹴って後退り、主砲でブラッドを指した。

「ふ、服を着ろ、服を!」

「え?」

 ブラッドがきょとんとすると、ルージュは困惑しながら喚いた。

「しっ、しかも、なんだ、濡れているじゃないか! そんな、そんなので、下着一枚なんて、お、お前という奴は!」

「あ、悪い」

 ブラッドは自分の状態に気付き、平謝りした。濡れた下着が、下半身にぺったりと張り付いている。

「着ろ、今すぐに!」

「でも、ズボンも靴もびっちゃびちゃだし、着たらマジで寒ぃんだけど」

「そんなことはどうでもいい、着ろと言ったら着るんだ!」

 ルージュはかなり必死になって、主砲を振り回している。ブラッドは、変な顔をする。

「なんだよ、いきなり。さっきまであんなにびしっとしてたのにさー。なんか、マジ格好悪くね?」

「格好良いとか格好悪いとか、そういう問題じゃない! た、ただ、私は、そういうのは良くないと!」

 ルージュは立ち上がろうとしたが、雷撃の衝撃が残っていて腰に力が入らず、その場に崩れ落ちた。

「とっ、とにかく、良くないから良くないんだ!」

「別に、そこまで驚くほどのもんじゃねぇと思うけど」

 ブラッドが苦笑いすると、ルージュはしどろもどろになる。

「そりゃ、まぁ、そうかもしれないが、だが…」

 今度は、恥ずかしがっている。散々取り乱してしまったせいか、普段の毅然とした表情がすっかり崩れていた。
ブラッドの姿を正視出来ないのか、視線をあちこちに動かしている。兵器然としていたはずが、やけに女らしい。
それが、可愛いと思ってしまった。ブラッドは冷え切っていた体が妙に熱くなってしまい、彼女から目を逸らした。

「そういえば、さ」

 気まずくなった空気を紛らわすため、ブラッドは言った。

「あんた、なんか叫んでいたみたいだけど、あれって何だったん?」

「聞こえて、いた、のか?」

 ルージュはぎこちない動きで、ブラッドに目線を向けた。ブラッドは頷く。

「全部は解らねぇけど、多少は。有り得ない、とか、お前のことなど、とか」

 それを聞いた途端、ルージュは強烈な恥ずかしさで顔から火が出る思いがしたが、実際、そんな感じだった。
激しい羞恥で過熱した魂が体を熱し、全身にまとわりついた湖水を蒸発させていく。それが余計に恥ずかしい。

「どうかしたん?」

 ブラッドに問われ、ルージュは湯気の出ている主砲を振ってブラッドを遮った。

「うるさい、なんでもない!」

「もしかして、照れた?」

「違う! そんなわけがあるか!」

「ふうん」

 ルージュは急いで否定したが、ブラッドはあからさまに怪しんでいる。

「なんだ、その、人を真っ向から疑っている目は」

 ルージュはブラッドを睨み返したが、ブラッドは水滴の落ちる髪を掻き上げた。

「オレの友達にさ、そういう感じのことばっかり言う人がいるんだよね」

「それがなんだと言うんだ」

「その人、すっげぇ意地っ張りでさあ。嬉しいのに怒ってみたり、楽しいのにそっぽ向いたり、幸せでたまんないのに悪態吐いたりすんだよな。なんていうか、根っこから捻くれてんだよな」

「だから、それがなんだと」

「あんたも、そういうタチだったりするん? 素直じゃない、っつーの?」

 少年のような目で見つめられ、ルージュは口籠もった。そういう面はあるかもしれないが、認めたくない。

「私は、そういうのではない」

「否定されると余計にそれっぽくなるんだけど」

「やかましい!」

 ルージュは羞恥を誤魔化すためにいきり立ち、主砲をブラッドの胸に突き付けた。

「いい加減にしろ、今度こそ魂ごと貫いてやる!」

 だが、彼は動じなかった。反論されるか、反撃されるかと思っていた。しかし、それ以上のものが返ってきた。
迷いも躊躇いもない視線が、ルージュを射抜く。水気を帯びて青ざめた肌が、月明かりでほのかに輝いている。
言葉に詰まる。目を逸らしたくなる。そんな目で見ないでほしい。機械の固まりでしかない自分を、見てほしくない。
 相手は、年若い半吸血鬼だ。そんなことを思う理由はない。なのに、戸惑いが動揺を呼び、心を揺さぶっている。
息をすることなどしなくなったはずのに、やけに息苦しかった。ルージュは左腕を下げると、軋む膝に力を入れた。
地面をかかとで抉りながら立ち上がり、ばしゅう、と水が入ってしまった推進翼から強引に炎を走らせて浮上した。

「次に会う時は、命はないと思え」

 ルージュは体を反転させて、上昇した。ブラッドは立ち上がり、その背を見上げた。

「ルージュ」

 名を呼ばれ、ルージュは反射的に制止した。横顔だけ向けると、ブラッドはルージュを強く見据えていた。

「あんた、綺麗だよ。けど、いい女じゃねぇよ」

「…ふん」

 ルージュは、一笑した。その言葉を振り切るために、頭上に広がる星の運河を目指して飛び出して加速した。
そんなことは、言われなくても解っている。だが、ひどく落胆した。今度も、何を期待してしまっていたのだろう。
 魂の底がずくりと疼き、水が入って重たい体が更に重たくなったように感じた。離れれば離れるほど、苦しい。
ブラッドの眼差しや、表情や、声や、全てが焼き付いている。忘れようと思えば思うほど、魂に染み込んでいく。
 鋼鉄の女の後ろ姿が見えなくなっても、ブラッドはその場に立ち尽くしていた。言うべきでないことまで、言った。
綺麗だ、などと言ったところで何になる。それでは、ルージュに見惚れてしまったことを認めるだけではないか。
やはり、あのまま水に沈めておくべきだった。そうしていれば、言葉も交わさずにいて、見惚れずにいたはずだ。
 今になって、母親、ジョセフィーヌの予知の意味が理解出来た。母親は、ルージュに会うことを予知していたのだ。
彼女と再会したことを、後悔している。惹かれてはならない相手だと解っているのに、心はそちらに向かっていく。
 美しい兵器。麗しの吸血鬼。だが、真っ当な存在ではない。何の目的を持って、禁書を集めているかも不明だ。
知っているのはその名前と、その美しさだけだ。それ以外は何も知らないのに、心の内は彼女に占められる。
 ブラッドはルージュが飛び去った方向を見つめていたが、寒気を感じてくしゃみをした。現実に引き戻された。
屋敷に帰って服を着替えて暖かくしなければ、本格的に体調を崩してしまいそうだ。事実、背筋に悪寒が走った。
吸血鬼とはいえ、風邪は引く。ブラッドは水気の残るズボンを振って水を飛ばしてから、両翼を広げて浮上した。
 そこで、もう一度くしゃみをした。




 翌日。ブラッドは、大いに後悔していた。 
 頭が重たくずきずきと痛み、節々が痛い。顔は火照っているのに手足は冷え切っていて、気分が悪かった。
間違いなく、風邪を引いた。やはり、びしょ濡れのまま、裸同然の格好で夜空を飛ぶのは無謀極まりなかった。
 自室のベッドに横たわり、ブラッドは天井を見つめていた。熱で目が潤んでいるので、視界がぼやけている。
窓から差し込む日差しは柔らかく、弱い風も心地良いが、気分の悪さだけはどうにも収まってくれなかった。
 もしかしたら、ジョセフィーヌはこうなることも予知していたのかもしれない。その可能性は、充分に有り得る。
もう少し、予知をまともに受け止めておくべきだった。そうすれば、風邪を引く未来は回避出来たかもしれない。
だが、どれだけ後悔してももう遅い。ブラッドはベッドの脇に立っているリリに目をやると、リリは眉を下げている。

「ブラッド兄ちゃん」

 リリはフィリオラの作った魔法薬が入っているバスケットを机に置いてから、ブラッドに向き直った。

「大丈夫、じゃなさそうだねぇ」

「すっげぇ頭痛ぇー…」

 ブラッドは頭痛に苛まれ、細い声で返事をした。リリは、小さな手をブラッドの額に当てる。

「うわーひどい。夜中にお外に出て、湖に落っこちて、そのまんまで帰ってくるなんて。そりゃ誰だって風邪引くよ」

「うん。オレが馬鹿だった」

 ブラッドは左手を挙げ、ネッカチーフを被ったリリの頭を撫でた。

「ありがとな、薬、持ってきてくれて。フィオさんに、お礼言っといてくれ」

「了解。今日のお使い、第二弾だね!」

 リリは、お大事にねー、と笑いながらエプロンドレスの裾を翻して部屋を出ていった。軽い足音が、遠ざかる。
ブラッドはベッドに横たわったまま、ぶらぶらと手を振った。すると、今度は別の足音が部屋の中に入ってきた。

「ぶらっどー」

 次に入ってきたのは、ジョセフィーヌだった。食事の入った皿を載せた盆を、机に置いてから近付いてきた。

「あたま、がんがんする?」

「すっげぇ気持ち悪ぃ」

 ブラッドが掠れた声で返事をすると、ジョセフィーヌはよしよしと息子の頭を撫でてきた。

「いいこいいこ。でも、ちゃんとたべてからおくすりをのむんだよ?」

「あー、解ってる」

 ブラッドが引きつり気味ながらも笑い返すと、ジョセフィーヌは屈託なく笑った。

「それならよーし。じゃ、ジョーはおしごとにもどるからね。あしたにはげんきになるんだよ、ブラッド」

「あ、母ちゃん」

「ん、なあに?」

 部屋から出ようとしたジョセフィーヌは、ブラッドに引き留められたので振り返った。ブラッドは、母親に向く。

「母ちゃんは、何を予知したんだ?」

「んーとねえ」

 ジョセフィーヌは寝癖が残る前髪をいじっていたが、不意に表情を消した。



「みんな、しぬの」



 朝の爽やかな空気に不似合いな、突き放した口調だった。ジョセフィーヌの茶色の瞳は、光を失っている。
ブラッドは、二の句を継げなかった。ジョセフィーヌは目を伏せると、非常に冷淡に、乾き切った言葉を述べた。

「しんじゃうんだよ」

「なんだよ、それ」

 ブラッドは笑い飛ばそうとしたが、母親の表情と発した言葉の冷たさでぞっとし、表情を変に歪めただけだった。
ジョセフィーヌは表情を戻さないまま、出ていった。扉が閉められて足音が遠ざかってから、ようやく息を吐いた。
 母親の予知が突拍子もないことには慣れているはずだが、あれほど冷たい表情を見せたのは初めてだった。
ジョセフィーヌの予知能力が現れるのは、不定期だ。その予知がどんな未来なのかは、彼女以外には解らない。
どんな内容なのか話してもらっても、ジョセフィーヌの知能が幼女のままなのでろくな答えは返ってこないのだ。
だから、聞いた方が想像するしかない。だが、先程の恐ろしい言葉は、どう受け取っても言葉通りにしかならない。
 共和国どころか周辺諸国の情勢は悪い。連合軍の動きは不穏だ。閉ざされたゼレイブに、明るい未来はない。
けれどいきなり、みんなしぬの、はないだろう。冗談にしては悪すぎるが、ジョセフィーヌは冗談など言わない。
冗談だと思っていた言葉が鋭い予知であったりすることもしばしばあるので、母親の言葉を侮ってはいけない。
 ブラッドは火照った額を押さえ、目を閉じた。平静に攻撃を行う彼女、戸惑って照れていた彼女、美しい彼女。
後悔は尽きなかった。昨夜、ルージュに再会さえしなければ、こんなにも胸が痛むことはなかったはずなのに。
 再会しなければ、ルージュを忘れることが出来たはずだ。叶うことのない恋なのだと、切り捨てられたはずだ。
しかし、再会した。ブラッドは歯を食い縛ったが、胸中に込み上がるルージュへの思いは熱を増すばかりだった。
 いけない恋ほど、深みに填る。




 星々に見守られ、二人の吸血鬼は再会する。
 それぞれの思いは噛み合わずとも、その心は向かい合う。
 届かないのだから思ってはならぬと思えば思うほど、恋しさは増していく。

 恋心とは、複雑極まるものなのである。







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