ドラゴンは滅びない




退屈凌ぎは高尚に



 フリューゲルは、うんざりしていた。


 退屈で退屈で退屈だ。暇潰しにと空へ飛び出してみたが、これといって目新しいものがあるわけでもなかった。
春から初夏に移りつつある風は穏やかで棘がなく、日差しも温かいので気を抜けば眠気に襲われてしまいそうだ。
眼下の景色は、相変わらずだ。薄い雲の隙間から見える地上には、廃墟や小さな街しかなく連合軍の姿はない。
連合軍が行軍を行っていれば、適当に襲撃して憂さ晴らしをするのだが、その相手がいなくては話にならない。
地面と向かい合う姿勢で飛んでいたが、くるりと身を翻して仰向けになる。金属製の翼の生えた両腕を、広げる。

「かったりーんだぞこの野郎ー。なーんか、面白いことねぇかなー」

 フリューゲルは両足を組み、上体を反らした。すると、空と大地が反転した。

「禁書集めもほとんど終わっちまったしー、つーか吸血鬼女とネコジジィがほとんど集めたようなもんだしー、オレ様の出番なんてなかったしー、つーかブリガドーンに戻るのもめんどいしー、でも敵もいねーしー」

 フリューゲルはぼやきながら身を反転させ、高度を下げた。薄い雲を突き破り、地上との距離を狭めていった。
退屈を凌げることがないものか。そう思って目を凝らしてみても、目立ったものや興味を引くものは一切なかった。
 退屈なのは、今に始まったことではない。禁書奪還の際の無差別の破壊活動や戦闘が終えると、空虚になる。
戦闘時は魂が焼け付くほど高揚し、それこそ天にも舞い上がる気分になるのだが、終わると途端に萎んでしまう。
限界まで高ぶっていた緊張感も失い、全身に漲っていた闘志も落ち着くと、心にぽっかりと大きな穴が開くのだ。
だから、戦っている時が一番心地良く、また清々しい。自分はこのために生まれてきたのだ、という実感が湧く。
 実際、フリューゲルは戦闘兵器として生み出された。共和国軍が健在だった時代に、人の手で生み出された。
近代では絶滅したも同然の魔物の生体組織を培養して造った肉体に、人造魂を入れて作られたのが自分なのだ。
いつ生み出されたのかは覚えていないが、フリューゲルの入った檻を人間達が囲んでいたのは良く覚えている。
檻から出されることもあったが、ほとんどの場合は出されずに、檻に入れられたまま様々な薬品を投与された。
冷たい鉄の蓋と床と柱に囲まれた小さな世界の中で、フリューゲルは何度となく終焉を経験し、蘇生を繰り返した。
 そのうち、檻ごとどこかに連れて行かれるようになった。連れて行かれた先では、幼い子供と対峙させられた。
外に出されて子供に訳の解らないことをされたかと思うと、記憶が途切れ、気が付くとまた檻の中に戻されていた。
魔導師らしき者や軍人らしき者とも対峙させられ、訳の解らないうちに死んだ。そして、また気付けば蘇っていた。
同じ時間を回り続けるような、不思議な感覚だった。だが、窓の外では季節が巡り、時間は確実に経過していた。
 そんな日々がいつまでも続くかと思われたが、共和国戦争が開戦した直後、フリューゲルは放置されてしまった。
近代の戦争では、人造魔物の戦闘兵器は全く役に立たないと見なされたのだろう。だから、捨てられたようだった。
灰色の建物には誰もいなくなり、檻の鍵は開かず終いで、どこかで起きている戦闘の轟音ばかりが聞こえていた。
孤独と空虚だけに魂が満たされ、飢えが心を荒らし、檻を相手に戦ったが檻が壊れることはなく、出られなかった。
 そのまま、数十回目の死を経験するはずだった。だが、連合軍の軍服を着た者がフリューゲルの前に現れた。
その者はフリューゲルの朽ちかけた肉体から魂を引きずり出すと、魔導鉱石の中に納められ、どこかに運んだ。
そこで意識を失い、気付けばこの体になっていた。その後も色々なことがあったが、訳の解らないうちに過ぎた。
 半竜半人の女、フィフィリアンヌ。空に浮く山、ブリガドーン。同じ境遇ではあるが、よく解らない二体の魔導兵器。
いずれも、何がなんだか解らない。檻の中で生き、檻の中で死に、檻の中の世界の住人だった者には大きすぎる。
馬鹿だ馬鹿だと罵られても、言葉の意味すらもよく解らない。だが、罵倒の文句だとは解っているのでたまに使う。
 連合軍とフィフィリアンヌの手によってこの世界に放り込まれてから、日が浅いため、何をするべきか解らない。
だから、楽しみと言えば戦闘しかなく、それ以外に面白いと思えるものに出会ったことがないので退屈極まりない。

「お?」

 フリューゲルは、ふと何かを感じ取った。何度なく会っている彼らのものと思しき気配が、感覚を掠めていった。
気配を感じた先を辿って目線を向けると、遥か遠くにある細い道を黒塗りの蒸気自動車が走っているのが見えた。
 じっと目を凝らすと、蒸気自動車に乗っている面々の姿が見えた。その顔や表情すらも、手に取るように解る。
これなら、少しは暇潰しが出来そうだ。気分が高揚したフリューゲルはけたけたと笑い転げながら、高度を下げた。
 目指すは、あの三人だ。




 その頃。蒸気自動車を駆るギルディオスは、助手席の少女を窺っていた。
 ヴィクトリアは、落ち込んでいた。クマのぬいぐるみを縋るように抱いていて、一言も喋らずに遠くを見ている。
いつもの自信過剰な態度は引っ込み、唇を噛んでいる。余程、己の呪いが打ち破られたことが悔しいのだろう。
 ギルディオスはヴィクトリアから視線を外し、前に向いた。脱走兵のジムの一件から、一週間近くが経過した。
後部座席には体を貫かれて即死したジムの血痕が残っていたが、日に日に色褪せて、最近では赤みも失せた。
何度も洗ったので血生臭さも抜けたが、死の痕跡は完全には消えなかった。だが、彼女の問題はそれではない。
連合軍の密偵、ヴィンセントの言葉がヴィクトリアの自尊心を潰した。ルージュの砲撃に呪いが打ち消された、と。
ルージュに対して嫉妬のような敵対心を抱いているヴィクトリアにとっては、強烈な屈辱であり、挫折でもあった。
それから、ヴィクトリアは尊大さを失ってしまった。クマのぬいぐるみに縋り、声を殺して泣いている時もあった。
ギルディオスはそれを哀れだと思う反面、いいことだとも思った。挫折を経験しなければ、人間は成長出来ない。
 それまでのヴィクトリアは、己を無敵だと思い込んでいた。お嬢様暮らしをしていたので、挫折を知らなかった。
両親から蝶よ花よと愛され、子供の身には余る強大な魔力と魔法の才能を持ち、向かうところに敵はいなかった。
だが、灰色の城から出た世界ではそうではなかった。ルージュを始め、ラオフー、フリューゲルと強力な敵がいた。
それ以外にも、炊事や洗濯、長い旅路、連合軍の目といった様々な障害がヴィクトリアの自尊心を削っていった。
そして、ルージュに敗北した。ルージュ自身に負けたわけではないが、その力に負けたのであれば敗北も同然だ。

「なあ」

 ギルディオスが声を掛けても、ヴィクトリアは反応しなかった。ただ、虚ろな目であらぬ方向を見ている。

「禁書、集めに行くか?」

 ヴィクトリアは答えず、瞼を伏せてしまった。ギルディオスはどう続けようかと迷ったが、影を感じて顔を上げた。
蒸気自動車の真上に、何かが飛来した。制動を掛けて停車させると、その前に翼を持った影がするりと降りた。
カギ爪を持った大きな足を柔らかな土にめり込ませ、着地する。鋼鉄の鳥人、フリューゲルはやかましく叫んだ。

「さあオレ様と戦えやがれってんだぞこの野郎ーっ!」

「だとさ。どうする?」

 ギルディオスがフリューゲルを指しながらヴィクトリアに尋ねたが、ヴィクトリアは目線も向けなかった。

「あなたがやって、ギルディオス。私は興味なくってよ」

「そうか? でも、久々に魔法ぶっ放してみたらどうだ。この鳥野郎なら、簡単に当たると思うぜ?」

「気力もないのだわ」

 ヴィクトリアの弱り切った返事に、ギルディオスは肩を竦めた。

「まだ無理か。じゃ、オレが適当に」

「ちったあビビるか困るかしろってーの! マジつまんねーじゃねぇかこの野郎ー!」

 二人のあまりの素っ気なさに苛立ち、フリューゲルは地団駄を踏んだ。ギルディオスは、両手を上向ける。

「だって、オレらとお前が会うのはこれでもう十何度目だぜ? 今更驚けって方が無理なんじゃねぇの?」

「四体目とかいないのかしら」

 ヴィクトリアが呟くと、ギルディオスは首を捻る。

「いたらいたで面白いかもしれねぇけど、この分だといなさそうだな」

「はっはっはっはっはっはっはっは。三人とは随分と中途半端な数であるな、いっそのこと五人ぐらいに増やした方が見た目にも派手になって良いと思うのである」

 伯爵の低い笑い声が、後部座席から上がった。ギルディオスは、なんとなく同意する。

「そうだなー、その方がもうちょい区切りがいいかもな。三人、っつーと物足りねぇけど、五人となると丁度良い気がするな。なあ、鳥野郎。四人目と五人目もやっぱり魔物なのか? 合体とかしちゃう? それとも変形する? もしかしたら巨大化とかしたりしねぇだろうな?」

「そんなのいないんだぞこの野郎! オレ様達の他に魔導兵器がいたら、とっくに出てきて戦ってるに決まってんだろこの野郎! ていうか合体も変形も巨大化も、出来るんだったらオレ様がとっくにやってるぞこの野郎ー!」

 フリューゲルがだんだんと地面を踏み荒らしながら言い返すと、ヴィクトリアが舌打ちした。

「つまらないのだわ」

「女の子が舌打ちするな、行儀悪ぃだろ」

 ギルディオスがヴィクトリアを諫めていると、フリューゲルはボンネットを両手で掴んで身を乗り出してきた。

「ちったあオレ様に注目しやがれこの野郎!」

「えぇー…」

 ギルディオスが不満げな声を漏らすと、フリューゲルはむっとした。

「んだよ、その態度は。舐めてんのかこの野郎?」

「舐めてるっつーか、飽きた? こう何度も何度もやり合ってると、お前の戦法は読めちまってさあ」

 ギルディオスが苦笑すると、フリューゲルは飛び上がり、だん、とボンネットに乗った。

「オレ様は退屈なんだよ、だから戦えつってんだぞこの野郎!」

「そんな動機で襲撃を仕掛けられても、我が輩達がやる気など起こすわけがないのである」

「うん」

 伯爵の言葉に、ギルディオスがこっくりと頷く。

「大体、暇だから戦うって思考が理解出来ねぇな。オレだったら、剣の修練でもするけどな」

「シューレン?」

 フリューゲルに聞き返され、ギルディオスは運転席の隅に押し込めてあるバスタードソードを指した。

「そう、こいつの修練。ちょっとでも欠かしちまうと、すぐに腕が錆び付いてきちまうから」

「そんなもんどうでもいい! オレ様が退屈だってんだから退屈なんだよ、戦いやがれってんだこの野郎ー!」

 いきり立ったフリューゲルは両腕を上げて翼を広げ、威嚇する格好を取った。ギルディオスは、少女に向いた。
だが、ヴィクトリアはやはり反応しなかった。ギルディオスが、仕方ない、と剣を取ろうとすると伯爵が声を上げた。

「ならば、この我が輩が貴君の相手をしてしんぜよう!」

「…あ?」

 ギルディオスがきょとんとしていると、伯爵は空間転移魔法を操り、ボンネットにフラスコごと落下した。

「光栄に思うが良いのであるぞ、フリューゲル! 高貴にして秀逸、知的にして大胆、優雅にして華美なる我が輩が貴君のような下卑たる者の戦いの申し出を受けてやったのだ、さあ思う存分感謝の言葉を述べたまえ! 褒めよ、称えよ、崇めるが良いのである!」

「やだ」

 フリューゲルはきっぱりと即答した。伯爵は内側からコルク栓を抜くと、触手を伸ばして振り回した。

「ええいこの鳥頭が、我が輩の素晴らしき申し出をたった二文字で切り捨てるでない!」

「だって、マジ弱そうなんだもん」

 なー、とフリューゲルに同意を求められ、ギルディオスはがりがりとヘルムを引っ掻いた。

「まあ、なぁ。スライムが強かったら異常だぜ」

「最大魔力数値も一桁台にしかならない矮小な液状生物が、戦闘を行おうと言うことからしてまず馬鹿げているわ。確かに、フリューゲルは三人衆の中でも特に弱い魔導兵器だけど、スライムが勝てるはずなどないのだわ。戦ったとしても、水分が蒸発して粘り気のない粉と化すか、再生出来ないほど木っ端微塵に吹き飛ばされるか、魂を抜かれてただの液体に戻るか、そのいずれかにしかならないのだわ」

 ヴィクトリアが覇気は失せているが辛辣な言葉が並べたが、伯爵は、ふん、と一笑して彼女を指す。

「魔導兵器と言えど、女の放った砲撃で吹き飛ぶほど弱い呪術しか扱えぬ貴君には、言われたくないのである」

 どっ、とヴィクトリアの拳が伯爵の触手を押し潰した。触手ごとボンネットに倒れた伯爵は、鈍い悲鳴を上げた。
余程面白くなかったのか、ヴィクトリアは何度となく伯爵を殴りつけている。目元には、うっすらと涙を溜めている。
どがん、どごん、と妙に力の入った打撃音が繰り返されている。フリューゲルは、ギルディオスと顔を見合わせた。

「なあ、あいつ、止めねぇのか?」

「止めたら後が面倒だ」

 ギルディオスのぼやきに、フリューゲルは首をかしげてしまった。少女とスライムは、仲間ではないのだろうか。
傍から見れば、仲間割れにしか見えない。ヴィクトリアは今にも泣きそうな顔で、伯爵をひたすらいたぶっていた。
 素手では飽きたらないのか、ぬいぐるみから出した銀色の小振りな拳銃の持ち手で、どかどかと殴っている。
別に痛くはないのであるが、いや地味に痺れる、だがそれがまた、しかしやはり痛いような気も、と伯爵は叫ぶ。
しかし、ヴィクトリアは打撃を止めなかった。フリューゲルは所在に困りながらも、ボンネットの上に座ることにした。
 これはこれで、暇潰しになるかもしれない。


 ヴィクトリアが落ち着くまで、事は一時中断した。
 伯爵をしこたま殴り付けてそれなりに気が晴れたらしく、ヴィクトリアは心なしかすっきりした表情になっていた。
伯爵はと言えば、でろりと伸びていた。ボンネットの上を伝い落ちそうになっていたが、落ちる寸前に身を引いた。
 フリューゲルはボンネットの上に座ったままで、平べったく細長い指先で伯爵を時折突いたりして遊んでいた。
運転席に座っているギルディオスは、足を組んで頭の後ろで手を組み上体を反らしていたが、伯爵を見下ろした。

「んで、伯爵。フリューゲルと戦うってんなら、どうやって戦うんだ?」

「う、うむ…」

 伯爵は伸び切ってしまった赤紫の粘液を引っ張り上げ、渦を巻くようにして一塊にした。

「我が輩は知的にして優雅であるからして、肉弾戦は不可能なのである」

「素直に打たれ弱いって言えよ」

 ギルディオスがにやにやすると、伯爵は触手を伸ばしてギルディオスを指した。

「そうとも言うかもしれぬが、ええいとにかく、貴君らのような馬鹿が行う下品で粗野な肉弾戦は麗しく潤った肉体の我が輩には不向きな戦法であるからして、我が輩に適したやり方でやらせてもらうのである」

「で、なにすんだよ。オレ様は戦いたくて仕方ないんだからなこの野郎!」

 どん、と勢いを付けて立ち上がったフリューゲルは、腰に手を当てて胸を張った。伯爵は、フラスコの中に戻る。

「ここは頭脳戦で勝負を付けようではないか、フリューゲルよ!」

 ガラスの球体の内側で身を丸めた伯爵は、ぶるりと震えた。

「近代的、かつ効率的、それでいて高貴であり優雅であり華美! それが頭脳戦なのである!」

「どうせ下らねぇことだろ」

 興味ねぇ、とギルディオスは顔を逸らしたが、フリューゲルは急に前のめりになって伯爵に寄った。

「なんかよく解んねーけど、なんかカッチョイイんだぞこの野郎ー!」

「はっはっはっはっはっはっはっは、そうであろうそうであろう!」

 上機嫌に高笑いを放つ伯爵を、ヴィクトリアは横目でちらりと見た。

「相手が無知だから丸め込んでいるだけだわ。頭脳戦なんて言っても、所詮程度は知れているわ」

「じゃ、勝手にしろや。オレらは関係ねぇんだから、責任は自分で取れよな」

 ほい、とギルディオスはつま先でフラスコを蹴った。フラスコごと地面に落下した伯爵は、即座に言い返した。

「これ、何をするのであるか! もう少し丁重に扱ってくれぬと困るのである!」

「なーなーなー、ズノーセンってなんだ、早くやろうぜズノーセン!」

 ボンネットから降りたフリューゲルは、地面に転げたフラスコの前に座った。伯爵は、ぐにゅりと身を捩る。

「我が輩と戦えることを光栄とし、我が輩の華麗なる戦いぶりを未来永劫語り継ぐが良いぞ、フリューゲル!」

 ギルディオスは顔を上げ、ボンネットの鼻先の前でぺたんと座り込んでいるフリューゲルの後ろ姿を見やった。
背中の丸め具合といい、姿勢の悪さといい、荒っぽいながらも知識の足りない口調といい、まるきり子供である。
 実際、そうなのかもしれない。魔導兵器と化しているので外見では年齢は解らないが、精神年齢は幼そうだ。
彼らがどういう経緯でこの状態になったのは察しは付かないが、ちゃんとした生まれの者ではないのは確かだ。
 フリューゲルは伯爵と言葉を交わしながら、甲高い鳴き声を発している。その姿は、なんだか楽しそうに見えた。
まともに出会えていたら、少しは仲良くできたかもな。ギルディオスはそう思いながら、二人の会話を聞き流した。
 そして、スライムと鋼鉄の鳥人の頭脳戦は始まった。







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