ドラゴンは滅びない




退屈凌ぎは高尚に



 二人の頭脳戦の規定は簡単である。
 お互いに問題を出して、その問題に正解出来た方が勝ち。出来なかったら負け。と、非常に単純明快なものだ。
先制は伯爵で、後攻はフリューゲルとなった。フリューゲルは先程出された問題の答えを、必死に考えている。
 問題の内容は簡単だ。文章題の足し算で、パンを二個持った状態でパンを五個買ったらいくつ、というものだ。
答えは七個なのだが、フリューゲルにはどうしてもそれが計算出来ないらしく、頭を抱えて苦しげに唸っている。

「えー、と、最初にあったのは、二つだろ。で、そこに」

 フリューゲルは頭を抱えていた手を外し、三本指の手を広げて目の前に出した。

「えー、と、二つ、だろ」

 右手の指を、二本折り曲げる。で、と左手を見る。

「で、そこで、五つ…」

 そう言いながら、フリューゲルは左手の指を全部曲げた。そして右手の残りの指も曲げたが、ん、と首を曲げた。

「一つ足りない」

 フリューゲルは曲げた首を戻すと、曲げた指を開き始めた。

「いーち、にーい、さーん、しーい、ごー、ろーく、ろーく…」

 全部の指を開いてから、フリューゲルは甲高い声で喚き散らした。解らなくなったらしい。

「六しか出来ねぇえええっ!」

「その状態で一を足せば計算出来るんじゃなくて?」

 ボンネットに腰掛けて髪を整えながらヴィクトリアが提案したが、フリューゲルは両の手を睨み付けたままだった。

「オレ様、頭の中じゃ出来ねーんだもん。手ぇ使わないと」

「なんて程度の低い戦いだ…」

 ギルディオスは呆れ、ため息を吐いた。伯爵は、フリューゲルの指が少ないのを見越してこの問題を出したのだ。
フリューゲルの指は三本しかなく、左右合わせても六本だ。だから、六以上の計算は出来ないと察したのだろう。
事実その通りだったわけだが、それでは頭脳戦というより単なる意地悪でしかない。伯爵らしいと言えばらしいが。

「ねえ、あなた」

 ヴィクトリアは長い髪を梳いていた櫛で、フリューゲルの足を指した。

「足の指も合わせてみたら出来るんじゃなくて?」

「これ、ヴィクトリア! 何を余計なことを教えておるのであるか!」

 伯爵が反論したが既に遅く、フリューゲルは片足を上げて目の前に出し、爪先を曲げた。

「ろく、で、六の次は確か、七だ!」

「はい、正解正解」

 ギルディオスが欠片も気のない拍手を送ると、フリューゲルは歓喜して飛び跳ねるように立ち上がった。

「七だな、七なんだな、七だっつてんだこの野郎ー!」

「あなたの負けね、伯爵」

 ヴィクトリアは伯爵を見下ろし、一笑した。伯爵は腹立たしげに、ごぼごぼと泡立つ。

「貴君がこの鳥に余計な知恵を付けなければ、このまま我が輩が勝利していたのである!」

「あら。相手の弱点に付け込むことは、高貴なる者の流儀に反する行為だと思うのだわ」

 ヴィクトリアは、涼しい顔をしている。勝利したことでやる気に充ち満ちたフリューゲルは、伯爵に迫る。

「じゃ、次はオレ様な! オレ様の得意技はなんだか答えてみやがれってんだこの野郎ー!」

「上空から標的に向けて魔力弾を一斉投下する空爆なのである」

「なんで解るんだよこの野郎!」

 不満極まりない声色を上げたフリューゲルは伯爵を指して叫んだが、伯爵は気のない返事をする。

「貴君の攻撃と言えばそれだけだからである。それ以外の攻撃をしてきたことはないように思うのである」

「オレ様の凄いところはな、それだけじゃねぇんだよこの野郎!」

 むきになったフリューゲルを、伯爵は高慢に煽り立てる。

「ほう、ならば是非教えてもらいたいものであるな、フリューゲルよ」

「オレ様は吸血鬼女とネコジジィよりも速く飛べる! すっげぇんだぞ、超マジすげーんだからなこの野郎!」

「それは技とは言わないのである。性能と言うべきものである」

「じゃ、じゃあ、そうだな」

 フリューゲルは腕を組んでしばらく悩んでいたが、顔を上げた。

「死なない! オレ様は不死身なんだ、何度死んだってまた蘇ることが出来るんだぞこの野郎!」

「確かに貴君は魔導兵器と化しているが、それは完全な死から免れただけであり、肉体的な死は」

「死なないったら死なねぇんだよこの野郎! オレ様はこうなる前から、ずーっとそうだったんだからな!」

「死なぬ者はいないのである」

「ばーかばーかばーかぁあ! オレ様は死なない、痛い目にあっても寝て起きたらまた体は元通りなんだよ!」

 それは、何度となく経験したことだ。体が燃やされても、貫かれても、毒に犯されても、目覚めたら戻っていた。
だから、怖いものなど何もない。戦いに赴いても、絶対に死なないと確証があるからだ。自分だけは違うのだ。

「オレ様は特別なんだ、そこら辺の連中とは違うんだ! あの女だってそう言ってたんだぞこの野郎!」

「あの女、とは、誰のことであるか?」

「あの女っつったらあの女に決まってんだろうが! 変なメガネしてて、偉いカイキューショーの付いた軍服着てて、女なのに男みたいな喋り方する、タイサだよタイサ!」

「…大佐?」

 ギルディオスは反応し、身を起こした。階級が高く、男言葉で喋るメガネの女。それは、竜の青年に違いない。

「そいつはサラ、いや、キースって名前じゃなかったか?」

「うん、そうだ。確かそんな名前だった。いっつも偉そうでげらげら笑う奴で、すっげぇ変な女だった!」

「となると、お前らは共和国軍製の魔導兵器ってことになるのか?」

「違うんだぞこの野郎」

 フリューゲルが首を横に振ったので、今度は伯爵が尋ねた。

「ならば、まさかとは思うが、貴君は連合軍に造られたのかね?」

「んーとな、オレ様は元々マドーギジュツケンキュージョってところにいたんだ。でな、そのタイサってのがよく来てたんだけど、そのうち来なくなったんだ。で、しばらくしたら、連合軍の奴に魂だけを引っこ抜かれて外に連れ出されて、気付いたら連合軍の基地にいて、この体になってたんだぞこの野郎」

「魔技研だと?」

 ギルディオスの動揺混じりの言葉に、ヴィクトリアは訝しんだ。

「知っているの、ギルディオス?」

「少しな。異能部隊時代に、ちょいとばかり関わりのあった機関だよ」

 ギルディオスは太い足を組み直してから、顎に手を添えた。

「魔技研ってのは、魔導技術研究所ってところでな。基本は魔導師協会がやってたみてぇな魔導の研究をしてたんだが、近代の技術と魔導の融合を目指してもいたんだ。結構古くからある機関でよ、魔導拳銃も魔技研が開発して流通させたものなんだ。この蒸気自動車の魔力式駆動機関だって、元を辿れば魔技研の発明品みてぇなもんなんだよ。ヴェイパーみてぇな、つってもヴィクトリアは知らねぇか、まぁ、そのなんだ、蒸気機関式の魔導兵器の開発にも成功しているんだが、一番大きな功績は魔導鉱石に魂を封印する技術を向上させたことなんだ」

「だけど、そんなことは珍しくもないと思うわ。現に、あなたは魔導鉱石に魂を入れて長らえているわ」

 ヴィクトリアの言葉に、ギルディオスは首を横に振る。

「オレは運が良かったんだよ。死んだ時には未練たらたらだったし、フィルの魔法も上手だったからな。それまでの魔法は、死者の魂を魔導鉱石に納めても、死者の魂の執念が相当強くなきゃ保たなかったんだ。魂と魔導鉱石の相性もあるし、魂と魔導鉱石を完全に癒着させるためにはかなりの魔力を使うし、術を施す時には高魔力の宿った血液、平たく言えば竜族の血を使うんだが、それ以外にも面倒な調合の薬液を使うんだ。だから、素人はもちろんだが知識の浅い魔導師には出来ないことだったんだ。だが、魔技研は、それを全部ぶっ飛ばしちまうほどの技術を作りやがったんだ。それまではグレイスしか知らなかった、液体魔導鉱石の製造方法を確立したんだよ。オレはよく知らないが、液体魔導鉱石ってのは普通の魔導鉱石に比べてモノに馴染みやすい性質を持っているらしくて、魂にも簡単に馴染むんだそうだ。で、その液体魔導鉱石から造った魔導鉱石も扱いやすいから、どんな奴の魂も吸い込めて保存出来ちまうんだ。オレの部隊に寄越された魂入り魔導鉱石のほとんどが、そうやって造られたものだった。もっとも、魔導兵器として使ったことはほとんどなかったがな。オレはそういうのは好きじゃねぇんだ」

「それで、その魔導技術研究所はどうなったの?」

 ヴィクトリアの問いに、ギルディオスは肩を竦めた。

「さあてな。戦争が起きる前まで活動してたみたいだが、オレは戦争が始まる前に除隊処分を受けたからその後のことは解らん。フィルが掴んでた情報だと、研究員の大半は行方知れずで研究に使われていた魔物やら人間やらも処分されたらしい。だが、こいつがいるとなれば、全部が全部処分されたってわけでもなさそうだな」

 と、ギルディオスはフリューゲルを指差す。ふうん、とヴィクトリアは少し面白げにする。

「それじゃ、あの女とラオフーも人造魔物なのかしら」

「違うんだぞこの野郎」

 フリューゲルは、即座に否定した。

「あいつらに会ったのは、この体になった時が初めてだった。だから、あいつらは外から来たんだぞこの野郎」

「なるほどな。同じ魔導兵器ではあるが、全員出身が違うわけか。まぁ、ラオフーは名前からしてそうだもんな」

 ありゃ東方の言葉だもんな、とギルディオスは納得した。

「つまり、フリューゲルは魔技研に造られた人造魔物だったが魂を魔導鉱石に封じられ、どういうわけか知らないが連合軍の手に落ちて人造魔導兵器と化していた、ってわけか。連合軍が魔導兵器を造っていたっつーのはちょいと変な気もするが、このご時世だから、誰が何をやらかしていたとしても不思議じゃねぇな。だが、そうなると、お前らは禁書を探すために造られたわけじゃないってことだ。まぁ、そりゃそうだろうけどな。となれば、禁書を探すように命令してるのは別の奴なんだな? そいつがどこの誰なのか、想像が付かねぇでもねぇけどよ」

 ギルディオスは、内心で舌を出す。

「まーた面倒っちいことになってきやがったぜ。このまま何も起きなきゃいいがな」

「そうね。禁書の流出だって、考えてみればかなり不自然なのだわ」

 ヴィクトリアは、人差し指で唇を押さえる。

「あの竜の女の魔法は、そんなに容易く破られるものなのかしら。魔導師協会支部で禁書を封印していた魔法は、単純そうに見えて実は面倒なものが多かったわ。だから、魔導師協会本部に掛けられていた魔法はもっと凄かったはずだわ。あなた達三体が連合軍に造られたのにその連合軍と敵対していたり、あなた達の戦闘能力からすれば大したことのない禁書なんて集めさせられていたり、何かずれている気がするわ」

「だよなぁ…」

 ギルディオスも考え込みそうになった時、突然、フリューゲルがびょんびょんと飛び跳ねた。

「おいこら! オレ様とのズノーセンはどうなったんだよこの野郎!」

「ああ、悪い。適当にやっといてくれ、伯爵」

 ギルディオスが顎で伯爵を示すと、伯爵は誇らしげに笑った。

「はっはっはっはっはっはっはっはっはっは。お望みとあらば、この格調高き歴史的な戦いを続けようではないか、フリューゲルよ。ならば次は、掛け算の文章題をお見舞いしてやるのであるぞ!」

「上等だあっ、掛かってきやがれこの野郎ー!」

 くけけけけけけけけけ、と鳴き声を上げるフリューゲルに対して伯爵も笑い声を上げ、辺りはやかましくなった。
騒がしい二人を見つつ、ギルディオスは思った。もしかしたら伯爵は、フリューゲルに鎌を掛けたのではないか。
だがすぐに、まさかな、と思い直した。フリューゲルが無防備にべらべらと喋ってくれるのは、彼が無知だからだ。
 鎌を掛けるにしても、掛けられる場所がない。だが、伯爵が煽ってくれたおかげで、それなりに情報が得られた。
事に関わるつもりはないが、ある程度は状況が見通せるようになった。これで、多少は動きやすくなっただろう。
 それから、フリューゲルと伯爵の下らない頭脳戦は延々と続いた。




 その夜。フリューゲルは、ブリガドーンに帰還していた。
 ブリガドーンの山頂近くにある岩棚に座り、指先を使ってがりがりと地面を削って、稚拙な文字を書いていた。
禁書の奪還がほぼ完了した今となっては、半球体の建物を使うことも減り、直にブリガドーンに帰ってきていた。
だが、ブリガドーンに一番長く留まっているフィフィリアンヌと顔を合わせることは少ない。何かしているようだった。
しかし、それが何なのかは相変わらず解らない。ブリガドーンにいる面々の中でも、竜の少女が最も不可解だ。
 フリューゲルが歪んだ文字を書いていると、青い月光が陰った。顔を上げると、ルージュが空中に浮いていた。
月明かりを遮るように浮かんでいる彼女は、赤い瞳から光を淡く滲ませていた。フリューゲルは、彼女を見返す。

「んだよ、吸血鬼女」

「こんなところにいたのか、フリューゲル。いつまでも帰ってこないと思ったら、まだ遊んでいたのか」

 ルージュは呆れ気味に呟いてから、フリューゲルの足元に書かれた大量の文字らしきものに気付いた。

「お前、字が書けるようになったのか?」

「スライムと黒髪のメスガキに教えてもらったんだぞこの野郎。あいつらって凄ぇな、色んなこと知ってんだぜ!」

 オレ様も凄ぇんだけどな、とフリューゲルは自信満々に胸を張った。ルージュは、ほんの少しだが感心した。

「そうか」

「でもな、あいつらって馬鹿なんだぜこの野郎」

 フリューゲルは、くけけけけけけけ、と嘲りの笑い声を放つ。

「死んだら終わりだ、なんて言うんだぜ? マジで馬鹿じゃねー? しんどい目に遭っても、寝て起きたら全部元通りになるってこと知らねぇのかな、あいつら」

 ひゅ、と風が切られた。フリューゲルが顔を上げると同時にルージュの足が側頭部を殴打し、視界が揺らいだ。
その直後、腹部を蹴られた。足元が浮かんだと思った瞬間にもう一撃与えられて飛ばされ、岩壁にめり込んだ。
激しい衝撃で全身が痺れ、意識さえも霞んでしまいそうだった。ルージュは、フリューゲルの元に歩み寄ってくる。
フリューゲルが反撃するために身構えようとすると、ルージュの主砲が上がり、フリューゲルの喉元を抉ってきた。

「馬鹿はお前だ」

 ルージュの表情は冷淡であったが、その眼差しは僅かに揺れていた。

「死せば、無だ」

 主砲の奥から光が迫り上がり、迸る。強烈な熱が喉を焼いた瞬間、フリューゲルはびくりと体を反らした。

「それ以外の、何物でもない」

 ルージュは主砲を下げ、砲口から薄布のような煙を立ち上らせながら背を向けた。

「早く中に戻れ」

 とっ、と軽く地面を蹴り、ルージュは夜空に飛び出した。フリューゲルは熱が残る喉を押さえ、何度か咳き込んだ。
これだから、あの女は嫌いだ。何かにつけて攻撃してきて、こちらの話をろくに聞こうともせずに立ち去ってしまう。
 死は終わりじゃない。死ぬことはない。死ぬほどの目に遭っても、目が覚めたら体は元通りになるのだから。
今までだってそうだった。今度のものは以前とは少し違うかもしれないが、自由の利く体があるのだから同じだ。
 ルージュも馬鹿だ。あの三人も、賢いところもあるが馬鹿なのだ。やっと、馬鹿の意味が飲み込めた気がする。
自分が解っていることを解っていない者は、馬鹿なのだ。解っているはずのことが解らないのが、馬鹿なのだ。
だが、自分は違う。フリューゲルは覚えたばかりの文字と滅茶苦茶な計算式を書きながら、一人悦に浸っていた。
 戦闘以外の、新しい楽しみを手に入れた。




 暇を持て余した鋼の鳥は、僅かばかりの知性を得る。 
 だが、その身に刻まれた人の業は深く、未だに過ちを修正されることはない。
 鋼の鳥は、人の手で繰り返し与えられた死と生を、昏睡と覚醒であると思い続ける。

 それはとても哀れで、またとても空しいことなのである。







07 4/19