ドラゴンは滅びない




血を連ねる鎖



 グレイスは、不満だった。


 今のところ、順調だ。いつもであれば計略の障害となりうる存在が、今回は全く手出しをしてこないからだった。
その障害とは、フィフィリアンヌでありギルディオスでもあったが、フィフィリアンヌは現在行方知れずになっている。
ギルディオスも、異能部隊の隊長から退いた身なので関わる理由がないためか、これといった手出しはしない。
楽と言えば楽だが、張り合いがない。連合軍もやたらとグレイスの計画に協力的なので、不気味に思えるほどだ。
連合軍の腹の内を見透かすのは簡単だが、相手の出方を見てみたい。その方が、少しぐらいは面白くなるだろう。
 共和国戦争が終結してからというもの、あまり面白いことはなく、灰色の城で時間をひたすら潰す毎日だった。
それはそれで楽しい日々ではあったのだが、次第に邪心が頭をもたげてきて、刺激を求めたくてたまらなくなった。
暇潰しになりそうだから連合軍でも引っ掻き回してみよう、と考えて、連合軍の上層部に潜入することにしたのだ。
手当たり次第に機密情報を集めていくうちに、連合軍があのブリガドーンに目を付けていることが判明したのだ。
そこで一気に興味が湧いたので退屈凌ぎにと、連合軍の上位軍人を騙して自在に操り、特別管理官に就任した。
しかし、連合軍が開示してくれる情報は大したことはなく、ブリガドーンを狙う目的もあまり大したことがなかった。

「旧時代の遺物たる空中岩石を優秀なる破壊力を持つ近代兵器で撃破することこそ、人類こそが世界の支配者であり、大国を始めとする関係諸国の科学技術が時代の最先端であることを示すものである…」

 グレイスは机の上に載せていた足で書類を引き寄せ、その一文を読み上げたが上体を反らした。

「んーだよーもうー、魔法使うんだから大嘘じゃねーかよー。ていうか、ブリガドーンなんかを壊さないと周辺諸国に威厳を保てねぇってことは、連合軍も結構ガタが来ている証拠じゃねぇかー」

 つまんねぇ、とグレイスは反り返り、窓を見やった。逆さに見える窓の外では、兵士達が訓練に勤しんでいる。
基地の端には、先日使った白鯨に似た硬式飛行船が停泊しており、最新鋭の複葉機も十数機が待機していた。
 ここは、壊滅した首都に建造された連合軍基地である。相当予算を回したらしく、設備も兵器も立派なものだ。
建物も頑強な作りで壁も分厚く、塀も高ければ敷地も広く、海に面しているので補給物資が豊富で兵力も多い。
配備されている兵器も最新鋭の技術を使ったものばかりだが、グレイスの興味を引くようなものはあまりなかった。
基地の中を見て回るのにも、たまにやってくる上位軍人の相手をするのも、呪いで遊ぶのも、すっかり飽きていた。
だが、ブリガドーン撃墜作戦を展開するにはまだ早い。軍備も整っていなければ、艦隊もまだ到着していない。
ただ待機することほど、退屈なことはない。グレイスは勢いを付けて上半身を起こし、だん、と両手で机を叩いた。

「暇なんだよこんちくしょう!」

「あら」

 すると、扉が開き、ロザリアが顔を覗かせた。グレイスと同じく、連合軍の上位軍人の軍服に身を固めている。

「何を一人で騒いでいるのよ」

「だあってさぁー、やることねぇんだもん」

 グレイスは机の上から両足を下ろすと、傍にやってきたロザリアの腰に手を回して引き寄せた。

「だからって、二度目は勘弁してくれない? さすがに私も腰が痛いのよ。一日に何回も出来ないわ。というか、どうしてあなたはそう何度も何度も出来るのよ。そんなに出すと、いつか本当に枯れちゃうわよ」

 ロザリアは、グレイスの額を小突いた。グレイスは、子供じみた態度で拗ねる。

「えー、いいじゃんかよー何回やったってー。ちゃーんと満足させてやるからさぁー」

「良くないわよ。大体、男よりも女の方が辛いんだから」

 ぴん、とロザリアはグレイスの眉間を弾いた。グレイスは大袈裟に仰け反り、弾かれた部分を押さえた。

「だけどさぁ」

 ぎい、と扉の蝶番が軋んだ。グレイスは顔を上げずに目線だけ向けると、扉の隙間から白いものが滑り込んだ。
尖った耳と小さな鼻先を持ち、青い瞳でじっとこちらを見上げている。彼は、二股の尾を自慢げに振り回していた。

「お楽しみの最中でごぜぇやしたか」

「入るなら入るって言え、ヴィンセント」

 グレイスは嫌そうな目で、ヴィンセントを睨んだ。

「お邪魔しちゃあ悪いと思いやしてねえ」

 ヴィンセントは足音も立てずに近寄ってくると、軽く跳ね、机に着地する。

「あっしのことはお気になさらず、どうぞお続け下せぇ」

「ロザリアの肌を見ていいのはオレだけなんだよ、だからお前はとっとと失せろ」

 グレイスが追い払う仕草をしても、ヴィンセントは動じずに尾を振っていた。

「そいつぁ寂しいですなぁ、呪術師の旦那」

「お前にも仕事を任せてあるだろうが。顔なんて見せなくていいから、そっちに専念しとけ」

 グレイスは立ち上がると、ロザリアの肩を抱いて歩き出した。

「解りやした」

 ヴィンセントは、うやうやしく頭を下げた。グレイスはヴィンセントを横目に見つつ、扉を開けて執務室から出た。
廊下に出ると、執務室の扉の両脇に立っていたアレクセイとエカテリーナが揃った動きで敬礼し、軍靴を鳴らした。

「あ、そうそう」

 グレイスはロザリアの肩を引き寄せながら、二人の生体魔導兵器を見やった。

「この間のジム・マクファーレンの逃亡幇助と暗殺だけど、ご苦労だったな」

「特別管理官。疑問があります。質問の許可を」

 アレクセイは一歩踏み出し、グレイスの前に立った。グレイスは、きょとんとする。

「ん? なんだ、言ってみろ」

「なぜ、単なる二等兵を逃亡させたのですか。その上、なぜ泳がせておいたのですか。脱走兵の処分という単純な任務は、我々の技能を生かせる仕事だとは到底思えません。そして、最大の疑問は、なぜわざわざ脱走させてから処分するように命じたのですか。ジム・マクファーレン二等兵が所属部隊から離脱する前に、処分を行えば良かっただけのことではないのですか」

「解ってねぇなー、お前は」

 グレイスはゆっくりと首を横に振ってから、満足げに笑った。

「オレの愛しの重剣士、ギルディオス・ヴァトラスを揺さぶるには情に訴えかけた方がいいんだよ。ブリガドーンがどういうふうに危ないとか連合軍の作戦がどんな具合にやばいとか説明したとしても、あの野郎は食い付かねぇのさ。異能部隊とキース・ドラグーンの一件のせいで裏に引っ込んじまったギルディオス・ヴァトラスをまた戦いに引き摺り出すには、それが一番有効なんだよ。そのために、モニカ・ゼフォンも銃殺刑にしたんだよ。ジム・マクファーレンに嘘を吹き込むのは簡単だが、どうせなら真実の方が面白いじゃねぇか。あの野郎は、部下を自分の子供みたいに可愛がってたからなあ。今頃、後悔と自責でぐらぐら揺れてるのかと思うとぞくぞくするぜ。で、最後に突き落としてやるんだ」

「あなた、何かやるつもりなのね?」

 ロザリアは夫の胸に手を添え、上目に見上げる。

「リリ・ヴァトラスの殺害だ」

 グレイスは、至極楽しげに言った。

「あの野郎を揺さぶるには、これが一番なんだよ。自分の血縁の子供なんて殺されてみろ、怒り狂って斬りかかってくるだろうぜ。そのついでに、他の連中とも久々に遊びたいんだよ。フィフィリアンヌが目に付くところにいねぇのが、ちょっとどころか物凄ーく残念だが、今は我慢してやるよ。それはまた次の機会だ」

「では、即刻に」

 かっ、と軍靴を叩き合わせたエカテリーナを、グレイスは制した。

「ああ、まだまだ。リリを殺すのは、オレの知り合い連中がゼレイブに集まってからだ」

「ですが」

 表情は変えなかったが、エカテリーナはほんの僅かばかり不服そうだった。グレイスは、軍服の襟元を緩める。

「ヴィンセントの情報によると、異能部隊の生き残りとリチャードとキャロルがゼレイブに向かっているようなんだよ。双方とも、あと数日でゼレイブに到着する計算になる。そこにギルディオス・ヴァトラスと伯爵とオレの愛娘も加えなきゃならないんだが、それが一番難しいんだよなぁ」

 ヴィクトリアってばお姫様な子だし、とグレイスが唇を尖らせると、ロザリアは指を折り曲げて数えた。

「でも、あれから大分経ったから、そろそろ飴玉が切れる頃じゃないかしら。買い足していなければ、の話だけど」

「このご時世だ、金があっても買えないかもな。だとしたら、話は簡単に進むかもな」

 二人のやりとりを見ていたアレクセイが、疑問符を付けずに訝しんだ。

「飴玉ですか」

「そう、飴玉。他にも糖蜜とか砂糖漬けとか氷砂糖とかも大好きなんだよね、うちのヴィクトリアは。ていうか、あの子の場合、甘いものが動力源だからそれがなくなっちまうとダメなんだよ」

「ダメなのですか」

 今度はエカテリーナが言った。うん、とグレイスは頷く。

「ダメったらダメ。魔力が高すぎるから燃費が悪いんだよ。だから、飴玉がなくなっちまうと、ヴィクトリアも自動的にダメになっちまう。で、あの人の良いギルディオス・ヴァトラスはヴィクトリアを見捨てずに、なんとかしようと考える。そこで、手っ取り早く補給と休息の取れる場所であり、見知った顔が揃っているゼレイブに向かうはずだ」

「ヴィクトリア、ちゃんとやっているかしら。お菓子だけじゃなくて、ご飯も食べているかしら。きっと野宿ばかりだろうから、風邪なんか引いていなければいいんだけど」

 ロザリアが不安げに眉を下げると、グレイスは彼女の肩を軽く叩いた。

「大丈夫だって、その辺は。なんせ、子供大好きなニワトリ頭が一緒なんだから」

「それもそうね」

 ほっとしたように、ロザリアは表情を緩めた。エカテリーナが、再度質問をする。

「では、リリ・ヴァトラス殺害の任務を遂行するのは」

「奴らがゼレイブに集まってから、七日後だな」

「遅すぎます」

 アレクセイは、グレイスの答えを一蹴した。

「あーもう、解ってねぇなー。お前ら、ちょっとがっつきすぎなんだよう」

 グレイスは、二人の顔を指差す。

「久々に昔の知り合い連中が集まって、ああお前も生きていてくれたかという安堵感を噛み締めて、穏やかな日常に慣れてきたところを突き崩して壊すのが快感なんだろ。いきなり殺すのは味気ないじゃんか」

「ですが」

「お前ら、なんかよく口答えするなぁ。謀反でも起こす気?」

「申し訳ございません、特別管理官」

 途端にアレクセイは引き下がり、敬礼した。エカテリーナも同じようにする。グレイスは、前髪を掻き乱す。

「ま、なんでもいいけど。じゃ、オレ達はちょっと散歩してくるから」

「同行いたします」

 すかさず背筋を正したアレクセイに、グレイスはひらひらと手を振った。

「いいよ別に。それにオレは、お前らなんかに守られなくても死なねぇよ」

 グレイスとロザリアの背は遠ざかり、角を曲がって見えなくなった。二人の足音と弾んだ会話も、遠のいていく。
アレクセイとエカテリーナは一瞬だけ視線を交わらせたが、音もなく動いて、最初に立っていた位置に戻った。
人間の形状をした家具を配置したかのように、二人の無表情な姿は壁に馴染み、者ではなく物として立っていた。
すると、執務室の厚い扉がすっと開かれた。細い隙間から身を滑り出させたヴィンセントは、二人を見上げた。
何も言わなくとも、アレクセイの手が動いて扉が閉まった。ヴィンセントは、アレクセイの足元に擦り寄っていった。

「全く、呑気やんすねぇ、呪術師の旦那は」

 ヴィンセントは二人の中間辺りまで進むと、冷たい床に寝そべった。

「本当の仕事はこれからでごぜぇやすよ、お二方。フンドシ締め直していきやしょうや」

 だが、二人は答えなかった。唇を硬く引き締めて、虚ろな眼差しで真正面の壁をじっと見据えているだけだった。
しかし、ヴィンセントは満足げに二本の尾を揺らした。前足に顎を載せてとろりと目を閉じると、浅い眠りに落ちた。
 壁の向こうの訓練場からは、基礎訓練を行う連合軍兵士の掛け声や狙撃訓練の小銃の銃声が響いていた。
アレクセイとエカテリーナが見つめている壁のすぐ脇には縦長の窓があり、そこからは廃墟の首都が見渡せた。
そして、首都と大陸の中間にある海峡の真上に浮かぶブリガドーンもよく見え、距離が近いので一層巨大だった。
 二人は歩き出した。歩幅も身長も違っているのに、寸分も違えずに歩調を合わせて、機械的に進んでいった。
擦れ違う兵士に挨拶されても何も返さず、長い廊下を通り、いくつかの角を曲がり、人気のない方へと向かった。
 二人の足は、行き止まりで止まった。天井までの高さがある分厚い鉄製の扉があるが、固く閉ざされていた。
取っ手には太い鎖がきつく絡められ、錠が閉めてある。アレクセイとエカテリーナは手を出し、錠の上で重ねた。

「解錠」

 二人が命じると、独りでに錠が動いて開き、落ちた。じゃらじゃらと鳴りながら太い鎖も外れ、床にとぐろを巻く。
二人は手を引くと、左右の扉の取っ手を引いた。重たく蝶番を軋ませながら扉が開いたが、中は真っ暗だった。
二人はやはり同じ動作で足を進め、中に入って扉を閉めた。湿気の籠もった重たい空気が、立ち込めている。
地下室に似た陰湿な闇に満たされていた部屋に、光が広がった。光源は、四方の壁に下げられた鉱石ランプだ。
 鉱石ランプから放たれる無機質な光が照らし出した部屋の中には、何も置かれておらず、がらんとしていた。
家具は一切なく、生活するための部屋ではない。あるものと言えば、床一面に描かれた五芒星の魔法陣だった。
 エカテリーナは軍服の襟元に手を差し込むと、しゅるりとタイを引き抜いて床に放り投げ、軍服とシャツも脱いだ。
無感情にスカートも脱ぎ、軍靴も靴下も下着も脱ぎ捨ててしまうと、青白い光の下に均整の取れた肢体を晒した。
手足はすらりと長く、薄い背中は滑らかで、張りと艶のある乳房と尻はたっぷりと丸い、瑞々しい女の体だった。
だが、その胸には魔導鉱石が埋め込まれていた。乳房と乳房の間の皮膚に、紫色の球体の石が没している。
魔導鉱石の艶やかな表面には、魔法陣と同じく五芒星が刻み込まれており、石と同じ色の光を薄く放っていた。

「生体組織修復作業、開始」

 エカテリーナは魔法陣の中心に膝を付き、目を閉じた。アレクセイは魔法陣の脇にしゃがみ、床に手を付けた。

「生体組織修復作業補助、開始」

 魔法陣が、白い光を放ち始めた。その光は鉱石ランプの光よりも遥かに強く、エカテリーナの肢体を包み込む。
目が眩むほどの輝きを全身に纏いながら、エカテリーナはうっすらと目を開き、動かした。瞳に、傍らの彼が映る。
アレクセイは魔法陣の外周に片手を置いたまま、もう一方の手をエカテリーナに伸ばし、その肩に手を触れた。
柔らかく滑らかな、だが氷のように冷たい肌の感触が手に伝わる。アレクセイの手に、エカテリーナの手が重なる。

「修復作業、異常なし。内部損傷修復完了」

 エカテリーナの言葉に、アレクセイは返す。

「修復作業補助、異常なし。生体組織修復完了を確認」

「魔導動力核、魔力充填開始。充填達成率、一割二分」

 エカテリーナはアレクセイの手を握り、肩に頭をもたせかけた。アレクセイは身を乗り出し、彼女との間を狭める。

「魔導動力核、魔力充填率上昇中。魔力充填完了まで、十五分三十七秒」

「魔力充填作業、継続」

 エカテリーナは間近に迫ったアレクセイの顔に目を向け、ほんの僅かに目を細めた。

「現状を報告せよ」

「行動へ移行」

 アレクセイはエカテリーナの肩から手を外し、顎に添えた。

「続行許可を」

「許可」

 エカテリーナの返答が終わると同時に、アレクセイは間を詰めた。二人の体温のない唇が、音もなく重なり合う。
魔法陣から放たれる光が落ち着くまでの十五分と少しの間、アレクセイとエカテリーナは深く口付け合っていた。
エカテリーナの修復作業が全て完了すると二人は表情を欠片も変えずに離れ、エカテリーナは服を身に付けた。
 再び薄暗さを取り戻した室内には、エカテリーナが軍服を着込む、かすかな衣擦れの音だけが響いていた。
アレクセイはエカテリーナを見つめていた。だが、その瞳は何も映していない。エカテリーナもまた、同じだった。
それから一度も視線を交えることもなく、二人は魔法陣の部屋を出て廊下に戻ると、歩調を揃えて歩き出した。
背後で、また独りでに鎖が取っ手に絡まり、錠ががちりと填められたが、その物音にも反応せずに歩き続けた。
 任務に戻らなければならない。







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