ドラゴンは滅びない




血を連ねる鎖



 首都の光景は、無惨だった。
 共和国のそこかしこにある街と同じような光景だが、ただ一つ違うところがあるとするなら、瓦礫の量だろう。
共和国内で最も繁栄していた都市であるため、建物も多かった。よって、必然的に瓦礫の量も数十倍だった。
 場所によっては連合軍がある程度瓦礫を撤去して道を造ったが、その道上にも石や破片がごろごろしていた。
だが、その道は共和国国民を助けるためではなく、連合軍の車両部隊が移動するためのものでしかなかった。
廃墟の中でも逞しく生き延びていた共和国国民は、見つけ次第射殺されるか適当な罪を被せられて処刑された。
 それはブリガドーン撃墜作戦の機密を守るためにグレイスが兵士達に命じたことであり、連合軍も了承していた。
希に、ブリガドーン撃墜作戦に異議を唱える兵士や士官がいると、問答無用で処刑されてその肉体は解体された。
グレイスの趣味の一環で、時にロザリアの暇潰しのために、数え切れないほどの人間が毎日のように殺された。
彼らの死体はぞんざいに扱われ、海に捨てられた。それは、兵士達への牽制であり、権力の象徴でもあった。
グレイスの特別管理官という階級は名ばかりで、地位は大佐程度のものを与えられているが、所詮は他人である。
増して、その正体は連合軍が目の敵にしていた古い時代の残留物である呪術師なのだから、従うわけがない。
当然、最初の頃はグレイスに従ってくれる者はほとんどおらず、時には暗殺者を差し向けられてしまうほどだった。
 そこでグレイスは、解りやすくて単純、かつ絶大に、己の権力を鼓舞する方法を取った。それが大量殺戮だった。
生けとし生ける者である限り、死を恐れない者はいない。グレイスは己の手で、時には部下の手で、殺しを続けた。
基本的には拳銃を用いたが、気紛れで剣術を操ってみたり、呪いや魔法を使ったりして、日々死体を作り続けた。
その結果、グレイスの狂気が士官や兵長に行き渡り、いつしか狂気は兵士の士気に取って代わるものと化した。
そうして、グレイスは連合軍の第五連隊を掌握した。正気が狂気である戦場では、狂気こそが正気なのである。
 グレイスはロザリアと連れ立ち、戦車や砲台の車輪跡が残る道を歩いた。瓦礫の下には、白骨が覗いている。
グレイスの足取りは軽く、ロザリアは夫の腕に腕を絡めていた。軍服を着ていなければ、恋人同士のようだった。
たまに擦れ違う兵士達は立ち止まり、最敬礼した。グレイスはそんな兵士達に、友人のように親しげに挨拶した。
ロザリアがたおやかに微笑みかけてやると、兵士達は戸惑いながらも敬礼を続けた。そして、二人は通り過ぎた。
街の中心部へ歩きながら、二人は笑い合った。ロザリアはグレイスにしなだれかかると、可笑しげに声を上げた。

「なあにあれ、馬鹿みたいね」

「きっと、奴らの頭ん中じゃ、お前は絶世の美女で最高の娼婦になっているはずだぜ」

 グレイスは逆手に、先程の兵士達を指した。ロザリアは、口元を押さえて笑い続ける。

「でしょうね。私がどんなことをされているか、想像するまでもないわ」

「実年齢ばらしたらどうなるんだろうな。見た目はうら若き貴婦人だってのに、中身は四十手前の年増なんだから」

 グレイスの明るい笑顔が癪に障ったロザリアは、夫の頬をぐいっと抓った。

「あら、鉛玉を食べたいの? 口の中に鉛玉を詰め込んでやろうかしら、それともそのまま胃に撃ち込もうかしら」

「そんなに怒ることねぇじゃん」

 ロザリアの手を離させ、グレイスはむっとした。ロザリアは、つんと顔を逸らす。

「歳のことは忘れたいのよ」

「でも、フィフィリアンヌは気にしてねぇけど。あいつ、四捨五入で六百近いけど歳のこと言っても全然」

「私とあの女を一緒にしないでくれる?」

 ロザリアはすかさず拳銃を抜くと、ごつっとグレイスの眉間に抉り込ませた。グレイスは、両手を上げる。

「…はいはい」

「解ればいいのよ、解れば」

 ロザリアは目は据わったままだったが、拳銃は下げた。グレイスは妻の肩と膝の裏に手を回し、持ち上げた。

「ちんたら歩くのも面倒だ、一気に行くぜ!」

「あ、ちょっと」

 ロザリアが言い返すよりも先に、グレイスは魔法を紡いだ。足元に風が巻き起こり、その風をどんと踏み切った。
直後。風が巻き上がり、グレイスの背を押した。ロザリアの長い髪が後ろへ流れ、二人の軍帽が浮き上がった。
だが、それを落とすよりも先にグレイスは自分の軍帽の鍔を歯で噛み、ロザリアのものは右手で押さえてやった。
風を纏った足で、空気を蹴る。そのたびに視界が上昇し、二人の眼下には荒れ果てた首都の景色が目に入った。
 首都の海沿いに造られた巨大な連合軍基地、かつての共和国政府本部、金融街、歓楽街、住宅街、基地島。
それらを、長い海岸線が包んでいた。左手から伸びる長い砂浜がぐるりと都市を取り囲み、潮風が渡っている。
空と地上の、境目の光景。ロザリアはグレイスの首に腕を回して顔を寄せると、うっとりと目を細めて微笑んだ。

「飛行船よりずっと素敵」

 満足げなロザリアに、グレイスは軍帽を噛んでいる歯を見せつけるように笑む。

「ねえ、これからどこへ行くの? まさか、ブリガドーンってわけでもないわよね?」

 ロザリアは顔に掛かった髪を掻き上げ、夫の肩越しにブリガドーンを指したが、グレイスは視線を動かした。
ロザリアは、その視線を辿った。夫の視線は、共和国政府本部も共和国軍本部も過ぎた先に注がれていた。
 二重の円に囲まれた、巨大な廃墟。六芒星を刻まれた壁は無惨にも破壊され、中の部屋が露わにされている。
広大な敷地をぐるりと取り囲むように造られた、巨大な二重の円。石畳に、色の違う石を置いて造ったものだ。
その円の間にも、同じく色の違う石で造られた大きな魔法文字がいくつも並んでいるが、いずれも壊されていた。
魔法ではなく近代兵器によって魔法文字は壊されて歯抜けにされ、二重の円は途切れ、六芒星も削られていた。
ロザリアが魔法陣を見ていると、グレイスが再び宙を蹴った。更に高度が上がり、廃墟のほぼ真上に到達した。
 敷地の中央の建物は、土台を残して破壊し尽くされていた。


 遊覧飛行を終えた二人は、建物の土台に着陸した。
 ロザリアを下ろしたグレイスは、久々にまともな運動をしたために多少疲れてしまった足を気にしつつ、進んだ。
軍帽の鍔には、獣でも噛み付いたかのようなくっきりした歯形が残ってしまったので、魔法を使ってそれを消した。
ロザリアは、ここが何の施設の跡地なのか解っているようだった。これだけ魔法陣があるのだから、当たり前だ。
 ここは、魔導師協会本部の跡地だ。戦中戦後に魔導師達によって禁書を奪われたので、損傷が激しかった。
砲撃とは明らかに違う魔法による損傷もあり、魔導師と思しき魔法の杖を持った白骨死体が大量に転がっていた。
 グレイスは白骨死体の一つを豪快に蹴り飛ばしてから、ロザリアの手を引き、残された土台の中を歩いていた。
土台そのものにも魔法陣が施されていたが、そのほとんどが効力を失っており、ただの模様と化してしまっていた。
ロザリアはグレイスに連れられるままに、進んだ。西に面した場所までやってきたグレイスは、急に足を止めた。
ロザリアも立ち止まり、グレイスの隣に添った。グレイスは足で石やレンガの破片を払うと、にやりと目を細めた。

「さあーて」

 グレイスは身を下げ、手を翳した。すると、平坦な石畳の土台に四角形の溝が生まれ、ごとっ、と僅かに動いた。
そのまま、四角形の石版が浮かび上がってきた。それはグレイスの足元までやってくると、彼の目の前に降りた。
グレイスはその上に載ると、ロザリアも載せた。四角形の石版が抜けた箇所には、真っ暗な穴が口を開けていた。
それはただの陰影ではなく、正真正銘の闇だった。光に照らされているはずの穴の側面すらも、闇で出来ていた。
生暖かい風が吹き上がり、砂埃を散らす。グレイスがつま先で石版を叩くと、穴は倍の大きさに引き延ばされた。

「これね、オレが造った仕掛け。ちょっと暗い場所に入るが、我慢してくれよな」

 グレイスはロザリアを安心させるかのように、肩を優しく抱いてきた。ロザリアは、夫に身を任せることにした。
闇の深さに少々不安を駆られたが、彼と一緒ならば。グレイスは指を立てた右手を差し出すと、くるりと翻した。
 二人を乗せた石版は従順に動き、闇の穴に降りた。足が入った瞬間、ロザリアの背に冷たいものが駆け上った。
だが、それはすぐに消えた。但しその代わり、なんともいえない違和感のようなものが闇と共に体を包んできた。
光もなければ、音もなかった。感じるのは傍にいる連れ合いの体温だけで、それがあるから心が支えられていた。
これほど濃い闇に放り込まれたら、一日も持たないだろう。ロザリアは、グレイスにしがみつく手に力を込めた。
 すると、闇は唐突に終了した。柔らかな光が足元から立ち上ってきたかと思うと、視界が戻り、音も耳に入った。
月明かりに似た冷たい光、涼やかな水音、春先のような湿気を帯びた土の匂い、そして、半球状に造られた部屋。
部屋の壁は、天井と壁の境目がなかった。全体的に緩やかな曲線を描いていて、レンガが隙間なく積まれている。
そのレンガが、青白い光を放っていた。よく見るとそれはただの岩石ではなく、青味を帯びている。魔導鉱石だ。
半球状の部屋の床は、見事な円形だった。水音は、その円の中に造られた二重の円からさらさらと零れていた。
二重の円とその内側にある六芒星には、水が流れていた。どういう仕掛けかは解らないが、川になっているのだ。
それらの中心に、魔法陣の浮き彫りが施された台座が据えられていた。縦長の台形で、これも魔導鉱石製だ。
だが、台座には何も載っていなかった。グレイスは軽い足取りで青い水の小川を飛び越えると、台座に向かった。
台座の前に到着したグレイスは、ロザリアを手招きした。ロザリアもグレイスに倣って、慎重に中心に向かった。

「これ、なんだか解るか」

 グレイスは、台座を撫でた。ロザリアは、台座を見下ろす。

「何かを載せていたみたいだけど、それがなくなっている気がするわ」

「そう。そうなんだよ」

 グレイスは、自身の腰ほどの高さしかない台座の頂点に手を置いた。

「この場所は、歴代の魔導師協会会長が造り上げてきたものなんだ。魔導師協会の地下に置くことで、この場自体を強力な魔導結界と化すことに成功していたんだ。普通の魔導結界は一つの空間を囲むだけだが、こいつは違う。少しずつ違う空間を重ねていって、更にその空間の間に魔力による障壁を張った。一度中に入れても、余程魔法に長けてないと脱出出来ないって寸法だ。中途半端に空間を曲げて脱出を計ろうとすると、障壁の間に造られた空間が自己修復を行ってだな…」

「何、これ?」

 ロザリアは、台座の後ろを見下ろして目を丸めた。そこには、この場所の風景に似つかわしくないものがあった。
それは、太い鎖だった。合計で四本の鎖の先には頑丈な手枷と足枷が付けられており、鎖自体も丈夫そうだ。
だが、手枷には、何も繋がれていない。鈍い光を放っている鎖の下にあったのは、一山の白っぽい灰だけだった。
室内の空気は水気を含んでいるにも関わらず、灰は乾き切っていて、指先で触れると呆気なく崩れてしまった。

「なんだよ、オレの話を聞いてなかったのかよ。んで、どうした?」

 グレイスは台座を乗り越え、身を乗り出してきた。ロザリアは、灰の山を指差す。

「これ、何かしら」

「さあな。別にどうでもいいだろ」

「それもそうね」

 ロザリアは灰に触った手を払うと立ち上がり、台座を挟んで夫と向かい合った。グレイスは、台座を叩く。

「それじゃ、ここの主が誰だったのかを説明してやろう」

 グレイスは目線を下げ、台座を見据えた。



「偉大にて絶大なるご先祖、ルーロン・ルーだ」



 グレイスの眼差しは、冷えていた。

「オレがそのことに気付いたのは、割と最近だ。五十年くらい前だったかな。丁度、フィフィリアンヌが先代の魔導師協会会長から会長職を渡された後だ。情報の元は、魔導師協会会長を退いたアルフォンス・エルブルス本人だ。奴はこの時代の人間にしては魔法の扱いが上手くてな、特に延命の魔法を得意としていた。だからアルフォンス・エルブルスは、魔導師協会の会長職を二百十数年以上も続けていたんだが、さすがに体にガタが来てたんでフィフィリアンヌに地位と権力を譲ったってわけだ。だが奴は、それを取り戻す気でいた。不老と若返りの魔法を極めて若い頃の体と頭脳を復活させ、新進気鋭の魔導師となり、フィフィリアンヌに渡した地位を奪い返して共和国や周辺諸国の魔導に絡む全てを支配しようと企んでいたのさ。だから、魔導師協会の前会長とあろう御方がこの卑しい呪術師めに仕事を頼んできたっつーわけだ。奴が言うには、魔導師教会の地下には不死を得た存在が封じられているんだそうで、その不死の存在から魔法や魔力を得れば不死の魔法を極められる、ってことらしいんだ。正直、オレはそういうのは好きじゃないんだが、とにかく暇だったから、退屈凌ぎに老いぼれの世迷い言に付き合ってやることにした。んで、オレはフィフィリアンヌを出し抜いて魔導師協会本部に潜入し、この地下空間を見つけたんだが」

 グレイスは、腹立たしげに舌打ちした。

「一足遅かった」

「どういうこと?」

 ロザリアが訝しむと、グレイスは台座に腰掛けた。

「知ったこっちゃねぇよ。オレがここに来た時には、とっくに空っぽだったんだから。だが、あのアルフォンス・エルブルスの話が嘘じゃなきゃここにはルーロンがいるはずなんだ。アルフォンス・エルブルスも、最初は魔導師協会本部の地下に何が封じられているのかは知らなかったらしいんだ。歴代の会長の間に伝わる封印の魔法を使って封印を施していたんだが、ある時疑問を感じて色々と調べてみたらしいんだ。そしたらまあ、ルーロン・ルーだという証拠が出るわ出るわ。やれ呪いを使うなだの、やれヴァトラスを遠ざけろだの、とにかくルー絡みのことばっかりだったんだそうだ。それで更に突き詰めて調べた結果、魔導師教会本部のある土地を開拓したのはヴァトラス家のご先祖様であるヴァトラ・ヴァトラスで、魔法と呪術で悪さをしていたルーロン・ルーの魂を封印して魔導鉱石に閉じ込め、それを地下深くに沈めて永久に葬ったっていう魔導の歴史書が出てきた。その歴史書はオレも読んだことがあったが、地名が違うし地図もいい加減だったから、ルーロン・ルーが封じられている場所がどこか特定出来なかった。だが、アルフォンス・エルブルスは、それ以降から現在までの歴史書や地図と照らし合わせて、それが魔導師協会の地下だってことを見定めたんだ。だが、奴はそこで終わっちまった。オレがルーロンの行方を捜し出そうと思った矢先に、コロッとおっ死んじまった。死因は老衰、だからオレが殺したわけじゃない。それはそれで楽なんだけど、奴から引き出せた情報が中途半端なのが心残りだな。おかげで、ルーロン探しは未だに捗っちゃいねぇってわけ」

「へえ」

 ロザリアはグレイスの背に覆い被さり、腕を回した。

「でも、ヴァトラって人もおかしな人ね。なぜ、ルーロンを殺さなかったのかしら」

「ただ単に殺せなかったんじゃねぇの。ルーロン・ルーとヴァトラ・ヴァトラスは、友達だったらしいから。ギルディオス・ヴァトラスのご先祖様なんだ、根性が甘っちょろくたって不思議じゃねぇさ」

 グレイスは腕を伸ばし、ロザリアの頬に手を添えた。ロザリアは、その手に己の手を重ねる。

「そうね。それで、あなたはこのルーロンって人を探し出すつもりなのね?」

「大体の目星は付けてある。十中八九、ルーロンはブリガドーンにいるはずなんだ」

「なぜそう思うの?」

 ロザリアが尋ねると、グレイスはにやりとした。

「長いこと眠っていた魂は、当然ながら魔力がすっからかんで干涸らびちまっている。その状態から回復するためには、とにかく魔力が必要なんだよ。だから、魔力の補給をしているはずなんだ。魔導鉱石の鉱脈に隠れているっていう線もないわけじゃないが、地下に潜ってちまちま探すぐらいだったら、空に浮かんでいるでっかい山を目指した方が確実だ。オレだってそうする。だが、あんなでかいものをどうにかするのは、稀代の天才呪術師たるオレ様でもちょっと難しい。そこで、連合軍と手を組んだってわけだ。利用出来るものは利用しねぇとな」

「そんなことだろうと思ったわ。それで、ルーロンに会ったらどうする気なの?」

「そりゃあ、もちろん。殺してやるに決まってんだろうが。それ以外に何があるってんだよ」

「付き合うわ、グレイス。なんだかとても楽しそうね」

 ロザリアは体を下げて、夫の肩に顎を載せた。

「間違いなく楽しいだろうぜ」

 灰色の呪術師の笑みが、邪悪に歪む。

「ルーロンを殺すのは、オレの昔からの夢だった。奴さえこの世にいなければ、オレは縛られずにいたはずなんだ。あんなぐちゃぐちゃした家になんか生まれるはずがなかったし、長ったらしい変な名前を付けられることもなかったし、口だけで全然役に立たない親父に叩かれることもなかったし、ヴァトラス殺しなんていう下らなくてガキ臭い呪いを受けることもなかったし、何よりこのオレ様が家柄なんぞに縛られることもなかったはずなんだ」

「随分とルーが嫌いなのね」

「こんな一族、好きなわけがあるか。ルーロンの血縁だから呪術師になったわけじゃない、オレはオレだからこうなったんだよ。人を殺すのも痛め付けるのも呪うのも騙すのも奪うのも昔から大好きだったから、生まれがどうこうとかは関係ないの。なのに、他の連中はそれを解ってねぇんだなぁ。ロザリアはそうじゃないから好きだけど」

 グレイスはロザリアを引き寄せ、その頬に口付けた。ロザリアは、くすぐったそうにする。

「私も好きよ、グレイス。あなたは本当の私を見つけてくれたから。だけど、なぜヴィクトリアは関わらせないの?」

「ヴィクトリアは、オレとは違うんだよ」

 グレイスはロザリアを抱き寄せ、彼女の胸元に顔を埋めた。

「ヴィクトリアはいい子だ。ちょっと我が侭でちょっといい加減でちょっと自意識過剰でちょっと無意味に尊大だけど、我が子ながら頭のいい子だとは思う。可愛いしな。でも、オレとは違ってヴィクトリアはルーの血を愛している。オレを引っくるめて、なのかもしれないが、ルーそのものに執着を持っているのは確かだ。そのルーの象徴であり祖先であるルーロンを殺すなんてことは、出来ないだろうな。それどころか、オレの考えが間違っているなんてことを言って殺しに掛かってくるかもしれねぇ。ロザリアに似てちょっと凶暴だからな。もしもそんなことになっちまったら、悲しくてどうしようもなくなっちまう。ロザリアとヴィクトリアは、オレがやっと得た家族だ。こんなことで、壊したくねぇんだよ」

 ロザリアは、グレイスをきつく抱き締めた。

「それは私も嫌よ、グレイス」

 壊すのは容易いが、積み上げるのは困難だ。ロザリアは夫を宥めるように、優しい手付きでその髪を撫でた。
この十二年で、灰色の城は大分変わった。グレイスはそれを何度となく言い、子供のようにはしゃぐこともあった。
子供の明るい笑い声が響き、かなり下手だが妻からの手料理が振る舞われ、少々異常だが楽しい日々だった。
ロザリアも、それを心地良いと思う。だが、それを壊すのはとても簡単だ。それを、グレイスは今まで行ってきた。
ヴァトラス家のみならず、魔導師や政治家や軍人に取り入って掻き乱し、人の心を壊して狂わせては楽しんだ。
壊れる切っ掛けは些細でも、壊れてしまえば止められない。そして、壊れてしまえば、元通りになることはない。
自分のものは壊したくないというのは、恐ろしく我が侭で手前勝手な考えだ。だが、グレイスとはそういう人間だ。
呪術にも魔法にも長けているが、我が侭で子供っぽい。だから、好きだ。ロザリアは夫を抱く腕に、力を込めた。

「ヴィクトリアに会えなくて、寂しい?」

「超寂しい」

 でもな、とグレイスはロザリアの胸元から顔を上げた。

「殺し合うのは嫌だ。嫌われるのも、泣かれるのも、恨まれるのも、怒られるのも、困られるのも。だから、まだ会えない。ルーロンを完全に殺してからじゃねぇと。オレが踏ん切り付けられないから。それに、ヴィクトリアは十二歳になったんだからちょっとぐらいは子離れするべきかなーって思ってさ」

「じゃ、あの子が年頃の男の子を連れてきても平気なのね?」

「そりゃ、その場で男を叩き殺すさ」

 途端にグレイスが不機嫌になったので、ロザリアは笑ってしまった。

「出来ていないじゃないの」

「だーから、これからしようって思ってんだよ! 笑うなよ!」

 むきになったグレイスが余計に可笑しく、ロザリアは声を転がして笑った。その声は、半球状の部屋に響いた。
グレイスはむっとして、顔を背けた。自分でもダメだと解っているから、こうして変えようとしているのではないか。
笑われたのは面白くないが、彼女の笑い声を聞くのは悪くない。グレイスはすぐに機嫌を戻し、表情を緩ませた。
 ルーロン・ルー。その名を忘れた時はない。グレイスが生を受けた時から、グレイスを縛り上げてきた存在だ。
いわば、強固なる鎖だ。引き千切ろうとすればするほど深く食い込み、逃れようとしても手足に絡み付いてくる。
それは、体に流れる血に刻み込まれているのだから余計にタチが悪い。目に見えないものほど厄介なものだ。
だからこそ、その元凶であるルーロンを殺すのだ。その瞬間を想像しただけで、心が浮き立ち魂が熱してくる。
 さあ、滅んでしまえ。




 遠き昔から続く、忌まわしき一族の血。
 その血の源である存在は不死者となり、未だ長らえている。
 彼の者の不死を終わらせるべく、闇の底で蠢くのは。

 悪しき血を断ち切らんとする、灰色の呪術師なのである。







07 5/2