リリは、なかなか泣き止まなかった。 湖の浅瀬に身を浸しているリリの周囲からはうっすらとした湯気が立ち上っており、風に流されて広がっていた。 服のまま冷たい湖水の中にしゃがみ込んだリリは、頭を包んでいるネッカチーフを両手で力一杯押さえていた。 だが、その下からはネッカチーフを押し上げるように短いツノが伸びており、小さな手では隠し切れていなかった。 リリの傍に座っているフリューゲルは、時折、思い出したように水を掬い上げてはリリの頭上に掛けてやった。 湖水が幼女の全身を包んで流れ落ちると、湯気の量が増えた。それが面白いから、掛けてやっているだけだった。 別に、リリの身が心配というわけではない。尋常ではない出力の炎を発したから、単純に惹かれているのである。 それがなかったら、リリを連れてこなかっただろうし、彼女の願いを聞き入れて湖に来ることもしなかっただろう。 「ううう…」 リリは水を被って額に貼り付いた前髪を避けてから、湖水混じりの涙を拭った。 「なんだ、もういいのか?」 フリューゲルは背を曲げて、リリを覗き込んだ。リリは、胸元を握り締めた。 「まだ、くるしい」 「リリって凄ぇな。このオレ様を吹っ飛ばすんだ、なかなかのもんじゃねぇか!」 フリューゲルは両手で水をたっぷりと掬うと、勢い良くリリの頭に掛けた。 「くけけけけけけけっ!」 「わきゃっ」 思いの外水圧が強かったので、リリは前のめりになった。そのまま姿勢を崩してしまい、水面に倒れ込んだ。 ばちゃっ、と顔面から水面に突っ込んだリリは、少しだが水を飲んでしまい、げほげほと咳き込みながら起きた。 「何するの、もう」 リリはむっとしながらフリューゲルを見上げたが、その肩や周囲からはもう湯気は出ていなかった。 「あれ、もう終わりなのか? つまんねぇの」 フリューゲルはリリの頬に指先を触れてみたが、温度は平熱に戻っていた。リリは、ネッカチーフを外す。 「まだだよ。どくどくしてるもん」 「そうなん?」 と、フリューゲルがリリの胸元に手を伸ばそうとしたので、リリは飛び退いた。 「そこはダメぇ!」 「なんで?」 フリューゲルが首をかしげると、リリはネッカチーフを絞って水を出しながら頬を赤らめた。 「だって…私、女の子だもん…」 「わかんねぇ」 「解らなくてもいいよ、うん、たぶん…」 リリはネッカチーフをぎゅうぎゅうと握り締めながら、フリューゲルに背を向けた。 「ね、フリューゲル。ちょっと、あっち向いてて」 「なんで?」 「なんでって、そりゃ、服が濡れたから、お着替えしなきゃだし」 「なんで?」 「もう、なんでもいいからあっち向いててよフリューゲルぅ!」 リリに押されたフリューゲルは、不可解に思いながらも従った。相手が小さいので、反抗心が起きないのだ。 腕を押してきたリリの手は表面こそ冷えていたが、内側には熱が滾っていた。まだ、力は燻っているようだった。 フリューゲルは水から上がると、湖畔に胡座を掻いて座った。人間って面倒だな、と思いながら地平線を眺めた。 西側の森の奥からは、水蒸気の混じった煙が少し出ている。リリの放った炎も、未だに燻り続けているのだろう。 背後ではリリが服を脱いでいるようなのだが、水を含んで体に貼り付いているので脱ぐのに苦労しているようだ。 だが、それを手伝う義理もない。フリューゲルは両腕を下ろして翼を広げ、湖水に濡れた翼を乾かすことにした。 濡れたままでいると、表面が錆びてしまうかもしれないからだ。魔導金属製の肉体は頑強だが、水は大敵なのだ。 「ね、フリューゲル」 リリの気弱な声が掛けられたので、フリューゲルは振り向かずに返事をした。 「んだよう」 「私のこと、怖くない?」 「べっつにぃー」 フリューゲルは、くけけけけけけ、と甲高い笑い声を放った。 「だってオレ様は、リリなんかよりもマジで怖い女を二人も知ってんだぜ。そりゃ、リリはすっげぇ火ぃ出してたけど、ちっこいから全然怖くなんてねぇや! リリこそ、なんでオレ様を見てもビビってくれねぇんだよ?」 「マドーヘイキは怖くないもん。ラミアン小父さんも、ギル小父さんも、ヴェイパーもとっても優しいんだもん」 リリはびしょ濡れのエプロンドレスを絞って水を落としながら、俯いた。 「でも、私は、やっぱり街から出ちゃいけなかったんだ。出なかったら、きっとあの二人も…」 「くけけけけけけけけけけっ! 奴らは普通の人間じゃねぇよ、あんなもんいくら焼いたってちっとも悪かねぇさ!」 フリューゲルは顔を上向け、笑う。リリは首から提げた青い魔導鉱石を、小さな両手で握り締める。 「でも、私、いけないことをしたんだ…。絶対にしちゃいけないことを、しちゃったんだ…」 「殺されそうになったら殺し返すのは当然じゃねー? つーか、オレ様はそうするけどな!」 「ああ、どうしよう。きっと、お父さんにも、お母さんにも怒られる、凄く凄く怒られちゃうんだ! ああ、怒られる!」 急に怯えたリリは背を丸めて座り込むと、両腕を抱いた。肌に貼り付いている下着から、また湯気が立ち上る。 「どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう! 帰れないよ、もう二度とおうちに入れてもらえないんだあ!」 体を縮めているリリはがちがちと歯を鳴らして震えているが、彼女の周囲の空気は揺らめくほどに熱している。 「いや、そんなのいやあ!」 「リリ…」 リリの苦しげな叫びに、フリューゲルは横顔だけ向けた。リリは、また泣き出している。 「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」 じゅっ、とリリの足下の水溜まりが沸騰して蒸発する。だが、炎にはならず、焦げそうな熱ばかりを発していた。 感情の高ぶりに合わせて、その炎は温度と威力を高めるようだ。彼女の熱で、フリューゲルの体はすぐに乾いた。 リリは際限なく、ごめんなさい、を繰り返している。許しを請うためのものではなく、自責のために叫び続けている。 なぜ、そんなに辛そうなのだ。人を殺したことを微塵も悔やんだことのないフリューゲルからすれば、不思議だ。 一人二人殺したところで、人間の数に限りはない。それどころか、殺した傍からまた出てくるのだからきりがない。 大量殺戮を娯楽だと感じているフリューゲルであっても、時としてそれが鬱陶しいと思うことがないわけではない。 だからたった二人を、それも人間とは言い難い生き物であった兵士二人を焼いたぐらいで泣くことはないと思う。 フリューゲルはその考えを口にしようとしたが、具体的にどうすれば言い表せるのか解らないので言えなかった。 「私、悪い子だ。凄く凄く悪い子だ」 リリはうずくまると、頭を抱えてツノを押さえた。そのツノは、みしみしと軋みながら伸びつつあった。 「いやだよう、おうちに帰りたいよう、でも、帰っちゃいけないんだ。悪い子だもん、帰ったら怒られちゃうもん」 「だーから、どっちなんだよこの野郎」 会ったばかりの時と似たような言い回しに飽き飽きし、フリューゲルは投げ遣りに言った。リリは、顔を伏せる。 「帰りたいよ。でも、帰れないよ。あんなこと、しちゃったんだもん」 「ふーん」 その気持ちなら、少しぐらいは解るような気がした。フリューゲルは上体を反らし、青空を仰ぐ。 「だったら帰らなきゃいいじゃん。うん、オレ様天才、超名案!」 「だ、だけど…」 リリは口籠もっていたが、そっと顔を上げた。立ち上がり、フリューゲルの背に歩み寄る。 「うん、おうちに帰らなきゃ、怒られないよね。でも、そんなことしたら、私はもっと悪い子になっちゃうよ」 「ワルイコってなんだよ? リリはそれが怖ぇのか、それとも嫌いなのかこの野郎?」 「だって、いけないことをしちゃいけないんだもん」 「何がいけないことなんだよ? やられたらやりかえすのはキホンだーってトカゲ女も言ってたぜ?」 「トカゲ?」 「うん、トカゲ女! リリよりもちょっとだけ背が高くてな、子供のくせにすっげぇ偉そうで、嫌な奴なんだ!」 それでな、とフリューゲルがフィフィリアンヌについて説明を始めようとしたが、リリは唇を噛み締めていた。 話を聞いていないらしい。フリューゲルはやる気を削がれたのでちょっと不機嫌になりながらも、リリに喚いた。 「んだよ、聞けよ! せっかくオレ様が話してやってんだからよー!」 「フリューゲルは、お空を飛べるんだよね?」 リリは、目の前の鋼の鳥人を見上げた。フリューゲルは、ぐりっと首を曲げる。 「当たり前だろーが! ワーバードが空を飛ばなくて何になるってんだよこの野郎!」 「だったら、遠くまで、行けるよね?」 「行けないわけがあるかってんだよこの野郎!」 「だったら」 リリはこくっと唾を飲み下してから、フリューゲルを見据えた。 「私を、遠くに連れていけるよね?」 「あん?」 フリューゲルは曲げていた首を元に戻し、姿勢も戻した。リリの目元に、じわりと涙が浮かぶ。 「もう、おうちには帰れないもん。だから、私をどこか遠い場所まで連れていって。お願い、フリューゲル」 「んー、別にいいぜ。テーサツって暇だからもう飽きたし。それにオレ様、リリのことはそんなに嫌いじゃねぇし」 フリューゲルは平べったい指先で、マスクを引っ掻いた。リリは、期待半分不安半分、といった顔になる。 「ほんと?」 「で、どこ行く? オレ様が飛んで行けない場所なんて、この世にはないんだぜこの野郎!」 「えっと、じゃあ…」 リリは辺りを見回していたが、遠くの空に浮かぶ山に目を留めた。フリューゲルは、彼女の視線を辿る。 「なんだよ、ブリガドーンかよ。でも、あんなところに行ったって面白くもなんともないぜこの野郎?」 「え、行けるの? ブラッド兄ちゃんも行けない場所なのに、フリューゲルは行けるの?」 リリの羨望の眼差しを受け、フリューゲルは得意になる。 「当たり前だっつってんだろーがこの野郎! すぐにだって行けるぜ!」 「じゃあ、お願いしてもいい?」 「どうせオレ様も暇なんだ、ブリガドーンだろうがどこだろうが連れていってやるってんだよこの野郎!」 「ありがとう、フリューゲル」 リリに礼を言われたが、フリューゲルはどう返すべきかを全く知らなかったので、とりあえず頷いた。 「うん」 「あ、でも、行くのはちょっと待ってね。お洋服を乾かしてからじゃないと、風邪を引いちゃうもん」 「どれくらい掛かるんだ、それ」 「もう少しかも」 リリは、自身の発した熱で大分乾いた下着に触れた。エプロンドレスも、先程の熱で水分がいくらか飛んでいる。 「あ、そうだ」 リリはネッカチーフを持った手で、フリューゲルを手招いた。 「フリューゲル、手を出して」 「こうか?」 フリューゲルが言われた通りに右手を伸ばすと、リリはその手首にネッカチーフをしっかりと結び付けた。 「私のお願いを聞いてくれたお礼と、お友達になったお祝いにあげるね。私の大事なものなんだ」 「くれるってんなら、もらってやるけどよ」 フリューゲルは不思議な気持ちで、右手首に巻き付けられた布を眺めた。四辺に、花の刺繍が施されている。 淡い黄色の布で、使い込まれてはいたが大事にされていたようでそれほど傷んでおらず、布地も褪せていない。 リリを見下ろすと、リリは薄茶の髪の間からほんの少し出ているツノを隠したいのか、しきりに髪をいじっていた。 フリューゲルは、彼女をじっと眺めた。同じ竜族でも、フィフィリアンヌに比べればリリの方が余程可愛らしかった。 ブリガドーンに帰ったら、トモダチとやらになったのだからずっと傍に置いておこう。それに、彼女はとても面白い。 炎を発するなんて、凄く面白いではないか。言うこともやることもその能力も、そのどれもに興味を惹かれてしまう。 リリの中には、他にも面白いものが隠れているに違いない。リリが一緒にいれば、毎日が一気に楽しくなりそうだ。 くけけけけけ、とフリューゲルは笑った。 森の中の焼け野原に、白ネコがうずくまっていた。 二本の尾をぱたぱたと振りながら、元は人間の形をしていたものを眺めていた。焼死体というものは、無惨だ。 二つある焼死体の片方の頭蓋骨は、落下した拍子に砕けてしまったのか大きく穴が開いていて脳髄が出ている。 頭皮には縮れた髪が僅かに残っていたが、触れば崩れ落ちそうだ。どちらがどちらなのか、判別が付けられない。 二体の焼死体の胸部には、煤けた魔導鉱石が埋め込まれていた。その魔導鉱石だけは、損傷を受けていない。 早く、二人を再生させてやらなければ。ヴィンセントは腰を上げると二本の尾を下げ、焦げた地面に引き摺った。 「やれやれ。面倒が掛かるでやんすねぇ」 ヴィンセントはぼやきながらも、二つの焼死体の周囲に二重の円を描いた。そして、その中に五芒星を描いた。 魔法文字もいくつか書き加えてから、魔法陣の外へ出た。ヴィンセントは目を細め、とん、と魔法陣の端を叩いた。 ネコの前足が魔法陣の端を押さえると、二重の円の内側の空間が震えた。水面のように、ゆらゆらと波打つ。 すると、二重の円の内側に大きなものがいくつも降ってきた。落下した衝撃で飛沫が飛び散り、白い毛を汚す。 ヴィンセントは辟易しながらも、顔に付いた赤黒い汚れを前足で拭った。更に数回、落下音と衝撃が繰り返された。 魔法陣の内側には、新たな死体が増えていた。そのどれもが連合軍の戦闘服を着ていて、絶命したばかりだ。 脳天を撃ち抜かれた者、胸部を抉られた者、腕を落とされた者、腹を切り裂かれた者。全て、血の匂いが新しい。 一番古いものであっても、せいぜい死後半日だろう。よくもまぁこんなに殺すものだ、と少しばかり感心してしまう。 死体から流れ出した生臭く赤黒い血が、二つの焼死体に触れた。すると、触れた部分から潤い、骨が再生した。 右側の骨格が太い焼死体は、足に触れた血を、触れた部分にも口があるかのような勢いでずるずると啜った。 左側の骨格が華奢な焼死体は、肩に触れた血を同じように吸い上げていくと、肩の肉が蘇って筋肉が作られた。 みしみしと焼けた関節を鳴らしながら、二体は立ち上がった。皮も肉も焼け落ちた顔を動かし、死体に向いた。 二人は、ぎしっ、ぎしっ、と膝と背骨を軋ませながら歩いて手近な死体の前に座ると、おもむろに喰らい付いた。 焦げた歯で皮を食い破り、筋を噛み切り、骨を砕き、血を啜り、体液を飲み、髄液を浴びながら、喰らっている。 喰らえば喰らうほどに、組織は再生していく。崩れた腕が元に戻り、肉が盛り上がり、筋肉と脂肪が作られていく。 剥き出しになっていた手足や背中や腹や頭に皮が広がり、全身を覆い尽くしていく。目も、鼻も、耳も、口も戻る。 正直、いい光景ではない。ヴィンセントは、一心不乱に死体を喰らうアレクセイとエカテリーナから目を逸らした。 生体魔導兵器と言えど、重大な損傷を受けたら再生には材料が必要となる。特に、新鮮な蛋白質が欠かせない。 そのために一番有効なのは、同じ人間の体、つまりは死体だ。生きている者よりも、吸収効率が良いのだそうだ。 人間の死体ならばそこら中に転がっているから、事欠かない。だが、人が人を喰らう様は悪趣味極まりなかった。 二人は、それぞれ二体ずつの死体を喰い散らした。最終的に地面に残っているのは、血溜まりぐらいになった。 その頃には、二人は大分回復していた。髪の長さはでたらめで目の焦点も定まっていないが、元に戻っている。 「ヴィンセントか」 アレクセイが、先に言葉を発した。少々掠れているが、以前と同じ声だった。 「なぜ、お前がここにいる」 エカテリーナは手の甲で血に濡れた口元を拭い、白ネコ、ヴィンセントに目の焦点を定めた。 「そのご様子ですと、お二人は任務をしくじっちまったようでごぜぇやすねぇ」 ヴィンセントは、炎で焼き尽くされた地面をぐるりと見渡した。 「リリ・ヴァトラスは、もうここにはおりやせん。これ以上の残留は無意味でごぜぇやすよ。それに、そんなお体じゃあ満足に戦えませんでしょうて。ここは一つ、撤退しなさったらいかがでやんす」 「生体組織再生は七割方完了した。戦闘行動には問題はない。任務を継続出来る」 エカテリーナは腹部に貼り付いていた焼け爛れた皮膚ごと戦闘服の名残を剥ぎ取ると、足元に投げ捨てた。 「一度退いて、体制を立て直しやしょうや。その方が、作戦が滞りなく進みやすぜ」 それに、とヴィンセントは、暗くなりつつある空を見やった。西の空の果てには、ブリガドーンが浮いている。 「鳥の兄貴が、リリ・ヴァトラスがブリガドーンへ連れていっちまったんでさぁ。こいつぁちょいとばかり、面白ぇことになりそうでやんすよ」 「それは、あちら側の意図か」 「さあてねぇ。あっしにゃあ解りやせんよ。鳥の兄貴は、馬鹿な上に気紛れでごぜぇやすから、何を考えているのか今一つ解らねぇんでやんすよ。ですが、これで事態はもっと楽しい方向に転がるに違ぇねぇですぜ」 アレクセイの言葉に返したヴィンセントは、二人に背を向けた。 「これからが本番でごぜぇやすぜ、お二方」 ヴィンセントは二人から目を外し、足音を立てずに森の中を歩いた。ゼレイブに繋がる、細い道を辿っていった。 昼間は日差しが差し込んでいるので明るい森も、夜になればそこかしこに深い闇が生まれ、空気も淀んでくる。 フリューゲルがリリを連れて飛び立ったのは、今日の昼前だ。今頃は、ブリガドーンに到着していることだろう。 となれば、事態が本格的に動くのは明朝になると思っていいだろう。そうなれば、もう誰も引き返せなくなるのだ。 「覆水盆に返らず、ってねぇ」 森の中を抜ける道を進みながら、ヴィンセントは独り言を呟いた。道は次第に開け始め、小さな街が見えた。 街の中には空き家ばかりが並んでいるが、奥にある一際大きな屋敷の窓には煌々とした明かりが点っていた。 普段は静まっている空気に、緊張感が漲っている。ゼレイブを包んでいる魔力に、皆の感情が流れ込んでいる。 不安。懸念。後悔。葛藤。躊躇。混乱。動揺。絶望。憎悪。あらゆる負の感情が、異形達の楽園を乱している。 心なしか、ゼレイブの周囲だけ夜の闇が深まっているように思える。平穏で当たり前の日常を壊すのは、簡単だ。 最も脆い部分に亀裂を加え、そこから押し広げてしまえばいい。そしてその傷口を、新しいうちに抉ってやるのだ。 この世にあるもので、壊れないものはない。また、壊せないものはないのだ。ヴィンセントはにいっと目を細めた。 夜が明けるのが、楽しみだ。 銀翼を翻し、幼女の元へ舞い降りた来訪者。 幼女は己を守るための炎で己を焼け付かせ、その心に深き傷を負う。 その炎は全てを焼き尽くすが、過ちだけは決して焼き尽くせない。 炎の力は、幼女の身には有り余るものなのである。 07 5/25 |